この時期に夏祭りのネタを投稿するのも変な話なんですけどねぇ……
夕霧靜霞が左足を庇うように走り去っていった方向を見つめながら、俺はその場にただ佇みばかりだった。
「あいつ、本当は気にしちゃいねェのか?」
ふと、先程からの――いや、それは彼女と会ったばかりから頭にあった疑問を、俺は呟いた。
「まさか、気づいていないなンてことはさすがに……ありえねェと思うがなァ」
だとしたら、相当な重症だろう。
外面的にも。
内面的にも。
「まァ、訊く訳にもいかねェしな」
そうだ。
それは、他人である俺が踏み込んでいいことではない。
本人の中で――夕霧靜霞の中で問題が解決されていれば、それだけで十分なのだろう。
「……しッかし、俺も丸くなッたよな」
馬鹿げたことを口に出してしまう。
歩き出し、右手にぶら下げたゴミ袋を、屋台が立つ陰の場所に放り捨てた。
「普通なら断ッてるッつゥのに、あいつに『同情』して祭りに付き合ッてやるなンざ」
本当なら、今頃の俺はライブの舞台のセッティングを手伝っているか、休憩室で仮眠を取っている頃じゃないか。
それが、夕霧靜霞のお祭りに行こうとやらの唐突なお誘いのせいで、全て予定がパーになってしまった。
μ'sメンバーの誘いを断ってまで、俺が受けた夕霧靜霞の誘い。
なぜ急に彼女が祭りに誘ってきたのか……その理由はなんとなく見当が付いているが――。
「クソッたれ、あいつらのせいだぞ……」
俺がここまで、他人に気を使ってしまうようになったのは。
『お前は昔から、優しいんだ』
いつだったか、幼馴染みの統堂英玲奈に言われた言葉が、ふと脳裏に浮かぶ。
面倒臭がり屋の性格だったはずなのに。
この祭りの屋台巡りだって、俺にとっては面倒臭いものばかりなのに。
「あ~あァ……なンか、よく分かンねェ」
……まぁ、いい。
深く考える必要な、とりあえず今はないか。
俺は夕霧靜霞の帰りを待つことなく、その場から離れる。
人混みが奥へ奥へと流れるのに逆らわず、早足で縫い目を躱していくように歩いた。
「海未の日舞の舞台は午後八時からか……」
それで、今の時刻は午後の七時三〇分。
なんだかんだ、俺は夕霧と一時間以上も一緒に行動していたらしい。
暑苦しい人口密度の中に埋もれながら歩いていくと、やがて屋台もなければ提灯すらぶら下げられていない、横道が見える。
人通りがほとんどないその道の入り口には黄色の綱ロープが張られていて、それにぶら下げられているプレートには『関係者以外立入禁止』と文字が打たれていた。
俺はそのロープを跨ぐと、大勢の人々が盛り上がる祭りの会場から遠ざかるように、向こうの暗闇へと足を向けた。
立派に聳える木々の間を通る石畳の道を歩いていると、やがて、暗闇の向こうに大きな屋敷の影が見えてくる。
本殿、などと呼ばれていたか。
屋敷の入り口の扉の前まで来ると、屋敷の広さや大きさが見上げて分かった。
「しッかし……すげェな、園田家」
横開きの扉を開け、新鮮な木材の匂いを感じながら、電気の付けられていない玄関で靴を脱ぐと、教えられた通り、真っ直ぐ伸びる廊下を歩き続け、唯一、障子から明かりと数人の声が漏れている部屋の扉を開けた。
「あ、美雪ちゃんだ!」
「おかえりなさ~い」
こちらに背を向け、音に反応して顔だけを振り向かせてそう言ったのは、穂乃果とことりだった。
穂乃果はオレンジ色の。
ことりは桃色の浴衣を着て、髪型を綺麗な簪で纏めている。
「あ、美雪……こちらも今、準備が整いました」
二人の前には、異様な存在感を放つ人物が――。
園田海未。
もう見慣れているはずの彼女なのに、どうも俺の目には、もっと大人びた別人に見えた。
衣装はどう見ても特別仕様で、南ことりが制作するようなアイドル向けの煌びやかな衣装などではなく、『和』の神秘を感じさせるような、そんな衣装。
正式な名称なんて知らないし興味もないが、墨絵で描かれたような模様が花やら笹やら、足下は転ぶ心配があるような引き摺りの長裾で、しかし園田海未はそれを慣れた様子で扱い、その場で回転してみせる。
全体的に、青い。
日舞の衣装ではこのような派手な衣装も使うのかと驚くが、真っ青な波を何重にも重ねたかのような海を連想させるその蒼色に、どこか落ち着きさえ感じられた。
「何だか……あの時みたいだな」
「あっ! 美雪ちゃんも思った?」
ふと言葉を漏らすと、それに穂乃果が食いついてくる。
彼女には、今、俺が何を思い浮かべたのか分かったのだろうか。
「合宿の時の洞窟でしょ? あそこにあった海水とか、すっごく青色だったもんね!」
「今ね、海未ちゃんの衣装の色が、あの場所の光景に似てるな~、ってお話してたの」
ことりも笑いながら言う。
当の海未は照れた様子で顔を赤くさせていた。
「穂乃果とことりには、毎年お手伝いとして見られていますが……本番前に誰かに見られるのは、少し恥ずかしいですね」
「あ、悪い……俺、出てようか」
「あっ、いえ平気です。どうせ、これから大勢の人達の見られるのですから」
「そうか……自信ありげだな」
「そりゃ、鍛錬を重ねてきましたし、今までの人生でこの道に精を出し尽くしてきましたから。それに、この舞台は私が小学校の頃から、続けているものなのですよ?」
確かに、それじゃいくらあの恥ずかしがり屋の海未でも、いい加減に慣れているだろう。
……いや、慣れるというより、彼女はこの舞台に誇りを抱いているからこそ、こうも自信が身についているのだろう。
「穂乃果ちゃん。もうけっこう時間、経っちゃってるから……」
「あ、そうだね。絵里ちゃん達が待ちくたびれてるかも」
そう言って、穂乃果とことりは立ち上がる。
「頑張ってね、海未ちゃん」
「今年も応援してるよ!」
それに、海未は綺麗な笑顔を見せた。
「はい! 二人のその想いが、私にとっては一番の力の源です」
それを聞き届けると、二人は障子の襖を開けて廊下に出る。
「美雪ちゃんも早くね」
「用事が済ンだらな」
暗闇の廊下を歩いていく二人を見送ると、襖を閉め、俺はまた海未と向かい合った。
「海未、お前の親父さんは……」
「そのことですけどね、美雪」
俺の言葉を遮り、海未が言う。
「父上から美雪にと、伝言を頼まれました」
伝言。
その言葉に、俺は続きを待つことにする。
「『お礼は言いに来なくて結構。娘の舞台を用意してやることは、親として当然こと。これからも娘をよろしく頼む』……とのことです」
まったく父上ったら……と、海未はどこかこっ恥ずかしく感じたのか、開いた銀と赤の旋律が走る扇子で、顔を目元まで隠した。
その態度に、思わず俺も口元が緩んでしまう。
結局、海未の親父さんに仕事を依頼した俺は、彼に一度も顔を合わせることなく――といった結果になってしまったが……けれどまぁ、向こうがそう言うのなら、良いだろう。
「了解しました……と、親父さんによろしくな」
「……ふふっ。えぇ、必ず」
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これも祭りのお騒ぎ空間から少し距離を置いた場所。
合流地点とされていた、平屋一つ分くらいの大きなテントの入り口幕を広げて中に入ると、メンバーの顔がちらほらと見え、やがて向こうも俺に気づいた。
「お、出張お疲れ様やん隊長」
「この場所は我々が占拠しましたにゃ!」
「バッカかお前ら、ポジションが違ェじゃねェか」
夏祭り雰囲気を醸し出すライブ衣装を身に纏った希と凛をあしらい、俺はテントの中を見回す。
数多の小道具や看板、祭りのスタッフ陣が数人いるぐらいだった。
やがて、号令をかけられた生徒達のように、μ'sのメンバーが俺の周りに集まってくる。
その内の全員が、ライブの衣装へとすでに着替えを終えていた。
「穂乃果とことりが、さっき更衣室に向かったわ」
「了解。……ン?」
何か、足りない。
そんな違和感を感じたが、すぐにその欠けたピースの形を思い出す。
「おい、真姫とにこはどこに行きやがッた」
「あ、二人ならまだ、お祭りに出掛けたまま帰ってきてないけど……」
「……はァ?」
花陽の言葉に、俺は呆れた。
あの二人、小学生の遠足じゃあるまいし、自由行動の時間はきっちり守りましょうってんだ……。
「まぁ怒らんといてあげて? あの二人、前から妙に仲良いし」
「……あいつら、よく喧嘩してねェ?」
「喧嘩するほど仲が良い、にゃ」
お気楽な感じで希と凛が言うので、俺もそれ以上はしつこく迫らなかった。
そして直後、テント入り口の幕が突風に吹かれたかのように押し上げられる。
「た、ただいまぁ!」
「お、遅くなったわね……」
傾れ込むように中へと入ってきたのは、やはり真姫とにこだった。
浴衣姿で、手には何も持っていないようだが、二人とも走ってきたのか、汗をかいている。
「二人とも。仲が良くてお祭りに夢中になるのはいいけど、遅刻よ」
絵里が言う。
「わ、悪かったわよ。……ていうか! 真姫ちゃんが次々と屋台を指さしてあれ食べたいやらあれで遊びたいやら言いまくるから!」
「し、仕方ないじゃない! 夏祭りだなんてあたし、初めてなんだから! それににこちゃんだって子供みたいに目をキラキラさせて屋台の方見てたじゃない!」
「あ、あれはくじ引きの商品棚ににこの好きなアイドルグループの写真集があって――」
……なるほど、これを一般的に見ると『仲良し』だと判断できるらしい。
この二人、絶対にお互いにデュエットとかは組めないだろうな。
もしかすると、その仲介役として招かれたのが絢瀬絵里だろうか。
そんなことを思いながら、俺は手を叩いて二人を黙らせる。
「おら、もう何でもいいからさッさとテメェらは着替えてこい。今、向こうで穂乃果達もいるからよ」
そう言うと、二人は依然として納得していないような憮然とした表情で互いを睨み合いながら、更衣室のある方向へと姿を消していった。
「ッたく……」
「ね? お二人さん、仲ええやろ?」
「……どこがァ?」
そして再び、俺は残ったメンバーの方向へと身体を向ける。
また全員が、俺に視線を集中させた。
「さて、まずお前らだけに言っておくが――今回の急なイベント設立の件に関しては、悪かッたな」
「またそれ~? もう何回も聞いたにゃ」
「ま、まぁまぁ凛ちゃん」
凛の言う通り、俺のこの謝罪はすでに前にも何回か、こいつらに向けて言っている。
イベント。
それは俺が独断で立ち上げたもので……。
内容は、『夏祭りに特設ステージを用意してもらい、μ'sのライブを披露する』――といったものだ。
以前、初めて海未の家を訪れた時に、俺は海未から親父さんに頼んで欲しいことがあると、それを依頼した。
園田家がこの祭りの運営チームの前線にいるということを小耳に挟み、そのツテでなんとか、μ'sの為に舞台をセッティングしてもらえないかどうかを尋ねてもらうよう、娘の海未に告げた。
結果をもらうのに時間がかかってしまったせいで、メンバーにライブのことを話す日時が、随分と延びてしまったのだ。
海未の親父さんから電話で了承の意を受け取った後、俺はメンバーに、短期間でなんとか歌と踊りをマスターしてもらうようにと、無理なスケジュールを提案した。
体力に自信のない花陽や真姫が絶望的な表情を浮かべていたが、リーダーシップ的な存在の絢瀬絵里と、我らがリーダー高坂穂乃果の『やろう!』の声で、全員が向き合ってくれた。
そして、今。
μ'sは、間に合った。
「ライブの開始時刻は予定通り、海未の日舞が終了し、打ち上げ花火が始まる直前――このうちの時間だ」
「心配なのは海未よね。日舞を踊った後にライブって、体力的に大丈夫かしら」
絢瀬絵里が不安そうに言う。
「海未が平気だと、そう言ッたンだ。あいつなら問題ないだろ」
大和魂があれば何でもできます。
そんなことを、彼女は言っていた。
「ンで、海未の日舞は誰が撮影してくれンだッけか、希か?」
「あ、それ聞いたら、運営側のスタッフさんがやってくれるらしいで」
「へェ、そうかい」
多分、園田海未の父親の手回しだろう。
こういうツテがある場合は、本当に良い。
「ン……」
小さく、わざとらしい咳払い。
ここからが本題だと、彼女達に伝える。
彼女達も全員、誰一人としてふざけた様子も見せず、真剣な眼で俺を見た。
……今思えば、本当に、こうなるとは思わなかった。
俺が、誰かを引っ張っていく――誰かに注目され、頼られる存在になるなんてな。
「今日の俺達のライブの価値は、かなり貴重なものになる。この夏祭りでのライブッてのは、A-RISEもSexy・Charmも入り込めない、μ'sだけのもんだ」
プロ野球チームの監督が、試合前の選手達に根気を注入させるように。
明日が受験本番の生徒達へ向けて、教師が『君達ならできる!』と励ますように。
μ'sのマネージャーとして、俺はメンバーに話す。
「そして今回のライブ形式は、お前らにとッて初めての経験で新しい挑戦になる。雰囲気も違えば緊張だッてするだろう……それは分かる」
だがな、と。
「失敗を恐れて逃げるようなことはするな」
花陽と目を合わせた。
「消極的な考えは捨てろ」
凛と目を合わせた。
そして、全員を見渡す。
「最後まで、自分はアイドルなのだという意識を持ッて、積極的な動きを心掛けろ。失敗をした所で誰も責めやしない。今日のライブで、μ'sの名前をさらに天下へ知らしめてやれ――いいな」
最後の言葉は力を込める。
『おーーーっっっ!!』
全員の――更衣室からも聞こえたその大声の返事に、俺は安心する。
こいつらなら大丈夫だろう、と。
やっと一仕事が終わった、と。
「希。帰ってきた海未のフォローはお願いね」
「任せといて」
場を離れる絵里と希。
そして残った凛と花陽――その二人の肩に、俺は手をかけた。
「花陽――アイドルになりたいか」
「――はいっ」
力強く、迷いもなく頷いた。
「凛――自分は可愛いんだと、大勢の連中に認めさせてやりたいか」
「――うんっ」
満面の、弾けた愛らしい笑顔で頷いた。
「……オッケーだ、――頑張れ」
二人の頭をポン、と軽く手の平で叩き、俺は踵を返してテントの出口へと足を進め始める。
「美雪ちゃん」
凛の声に、立ち止まって振り向いた。
凛と、花陽。
二人の幼馴染みは、並んで笑う。
「「ありがとう」」
……どういたしまして。
――なんて言わないが、ただ少し笑った顔を見せて、俺はテントを後にした。
前回の話と比べて文字数が三分の一。
約5700字ですが、随分と短く感じましたどうも西海です。
次話もよろしくお願いします!