アナザーストーリー11話目
人間の心理描写は難しいなと、作者が改めて実感した回でした。
……切り替えよう。
沈んだ気持ちを引き摺りながら戻ったところで、もうお祭りが楽しめなくなる。
そう意識しながら、私は踵を返すように、適当に歩き回ってきたその道を逆戻りするように帰って行った。
夜伽ノさんに絆創膏を貼ってもらった左足の指の間の傷がまだ少し痛み、慣れない長時間の動きに、疲労も溜まりつつあった。
でも、きっと夜伽ノさんは私を待っている。
待ち合わせ場所に戻らなくちゃ。
……でも。
彼女が、スクールアイドル――いいや、他人に興味を示すような人間であったということには、本当に意外だと思った。
きっと彼女は自分一筋の、現代日本で間違われつつある個人主義のような性格でいて、他の物事や他人の言動になんて、全く目もくれてやらないような――そんな人だと思ってた。
そんな所が、自分と似ているかもな、なんて。
でも、よく考えれば私はやっぱり、夜伽ノさんのことに関しては詳しくなくて――。
いつから、自分と彼女は似た者同士なんだ、なんて錯覚を起こしていたのか。
「でも、良いことよね。夜伽ノさんのことを、私はまた一つ、知ることができたんだもの」
そうポジティブに考える。
決して立場が下になったとか、自分にとって不利な状況になったとかではないが――そう考えていないと、なぜだが身が持たなさそうだった。
「うっは~~~っ!! やっぱりμ'sは最っ高だよ~っ! 海未さんはカッコイイし! 希さんはスタイル抜群だし!」
「ちょ、声が大きいってば亜里沙」
「えー!? 雪穂はあのμ'sのハラショーな演奏に心打たれなかったの!?」
「いや、演奏してた訳じゃないからね? ……まぁ、確かに凄いとは思ってるよ。お姉ちゃんがスクールアイドルをやり出してから、こんな短期間でここまで有名になるなんて」
「でしょーっ! ほんっとにハラッセオだよ!」
「発音変わってない?」
……あら。
今、私の横を前から通り過ぎて行った二人組。
左側の方、高坂雪穂ちゃんじゃなかったかしら。
どうやら私には気づいていない様子だった。
彼女も、姉の晴れ舞台を見に来たのか、はたまたただ単に夏祭りを楽しみにきただけか――いずれにせよ、祭りの会場にいたようだった。
「そういえば、亜里沙のお気に入りの、マネージャーさんだっけ? あの人にも、ステージに上がってもらいたいとか、前に言ってたよね?」
「うんうん! だって凄くカッコイイんだよ!? マネージャーの――」
やがて、背後から聞こえていた彼女達の声も、周囲の騒音に紛れ、私の耳に届かなくなる。
「もう、終わってるみたいね」
急がなくちゃ。
そう、履き慣れない下駄の足を速めようとした時だった。
「あれ、君もしかして一人かな?」
右肩に手を置かれたと思うと、そう声をかけられる。
男の声――すぐに、事態を把握できた私はよほどの自意識を持っていると思う。
顔は向けず、チラと視線を向けた。
「え、マジ? こんな可愛い子が祭りに一人でいんの?」
「なぁ、良かったら俺達と一緒に花火なんてどーかな? 帰りとかも、車があるから送っていけるけど」
……やっぱり、ナンパだ。
まぁ、私くらいのレベルの美少女じゃ仕方がないことかな。
ナンパされた経験が豊富な訳じゃないけど、気持ちは分かる。
右肩へと浴衣越しに触れられるその男の手に、異常なまでの不快さを感じた。
「あ、いえ……。私、連れがいるので」
そう言って目もくれず私はまた歩き出そうとした。
しかし、その男は私の右肩を掴む手に力を加えてくる。
「あ、お友達もいるの? ならその子が来るまでここで待って一緒に行こうよ。二人とも、俺が車で送るし」
……あぁ、もう鬱陶しいわね。
車で送ってくれるのは良いけど、どうせ行き先は家じゃなくて人気のない陰気な場所とかラブホテルでしょうが。
「い、いえ……本当に、良いんで」
大声を出しても良い。
でも、多くの人達が盛り上がる祭りの中でそれを実行するのに、私の中で抵抗があった。
なるほど、と。
冷静なまま、私は電車内で痴漢をされる女性の気持ちを味わった。
「まぁ固くならないでよ。俺達、良い花火スポットを知ってるんだ」
「そーそー。な? 一緒に行こうぜ」
今度は強引に、私の右肩をグイッ、と。
男は身体を引っ張りに来た。
「きゃっ――」
思わず声を上げ、私は左右の足を絡めるようにして、後方によろけてしまう。
何とか転ばずに踏み留められたが、その拍子に、私は二人の男と正面から向き合う形になってしまう。
「あ――」
「うおっ――」
途端。
いかにも遊んでいそうなチャラ男二人組が、私と真正面から目を合わせると、喉の奥で言葉を詰まらせるような声を出した。
「……?」
男達は私の顔をジッ、と見つめたまま、表情をピクリとも動かさない。
片方の、ニット帽を頭に被せた男が、ゴクリと生唾を飲み込み、喉仏を動かす。
……ははぁん。
大方、私の横顔だけしか見ていなかっただけに、予想を遥かに凌駕するくらいの綺麗な顔立ちに、言葉が出ないんでしょうね。
「す、すげぇ……」
「やべぇな、この子……」
ほらね、目が輝いてるわよ?
浴衣越しでも目立つように大きさを主張する胸を見て、さらに私を犯したい欲望が加速されていく――そんな所かしら。
「おい、夕霧」
そして、背後からかかる声。
本当に、彼女には助けられる。
この場面で誰も私を助けてくれなかったら、かなり危ない目に遭わされていたかもしれない。
私は振り向く。
期待通りの人物が、そこにいた。
「あ、夜伽ノさん」
私はわざと、そんな登場は予想すらしていなかったわ、みたいな嬉しそうな表情を作る。
雑踏の道の中央から。
真っ赤な提灯の灯りに照らされながら。
私の方へと歩みを進めてくる彼女の姿に、男達も気づいたようだ。
「お、おい、前……」
「あ、あぁ……なんか、やばそうだな」
そう言い残し、尻尾を巻いて逃げていく男達へと、私はベッ、と舌を出してやる。
「なァにしてるンですかァ、お前」
「いえ。私ほどの女になると、歩いているだけで男を誘惑しちゃうみたいでね。そういうフェロモンでも出てるのかしらぁ?」
甘く、そう言ってみる。
上目遣いに見る夜伽ノさんは私から視線を外し、男達が背を向けて早足に歩き去っていった方向を見た。
「ふゥン……」
あまり興味なさげに呟く。
「でもあの男の人達も、夜伽ノさんのことを見るとすぐに、怯えて逃げてったわね」
「…………人を寄せつけないオーラでも出てンじゃねェの」
そう言って、夜伽ノさんは私の横を通り過ぎた。
「付いて来い」
「え?」
彼女の言葉に、私はそう聞き返してしまう。
夜伽ノさんは、私の一歩先を行った位置で立ち止まり、それから急かすように、また私の左腕を掴み、強引に引っ張ってくる。
「あ……」
けど、柔らかさがあった。
さっきの男みたいな下衆な強引さじゃない。
もっと、私を気遣うような優しさで、引っ張ってくれる。
「もう花火が始まるまで時間がない。あいつらが予定にないモンをぶッ込んできたせいで、かなり時間が圧されてるンだよ」
花火――。
そのイベント……彼女の方から誘ってくれたことが――。
不自然なまでに親切で積極的な彼女を感じて……やっぱり、私は夜伽ノさんが好きなんだ――そう改めて、胸が熱くなった。
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それを、彼女は追いかけた。
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「ここでいいか」
そこは、私達二人しか存在しない場所だった。
鳥居を出て、コンクリの路面から外れた、背の高い草や木が生える土砂の斜面へと連れ込まれたかと思うと、夜伽ノさんは私の腕を引きながら、殺伐と密集した枝に隠れていた細い階段を登った。
彼女に着いていけば、二人分とも幅がない階段を登り切ると、うねうねと曲がりくねった舗装されていない道に出る。
急な階段と足場の悪い道に、
「怪我、平気か?」
と、夜伽ノさんは尋ねてきた。
平気よ、と私も答え、彼女の後ろを付いていった。
やがて、私達の目の前に現れたのが、この場所。
そこは丘の高台。
左下に目線を向ければ、さっきまで私達が歩き回っていたお祭りのメインストリートや御神輿が担がれる鳥居付近も見下ろせる位置。
妨害されるような障害物なんて見当たらなくて、風が気持ち良いし、街全体――は言い過ぎだけど、遠方まで一八〇度に渡って見回すことができて、上空を見上げれば、夜空に輝く数少ない星屑が近く感じられた。
と言っても、観光地によくあるような双眼鏡や、休息を取るためのベンチ、水飲み場といった設備はない。
いや、それらを設けられるだけのスペースがない。
鉄棒のフェンスで囲まれたその高台は、私と夜伽ノさん――二人が並んで立つともう余分のスペースができないくらいの狭さだった。
おかげで、周囲にはイチャつくカップルもいなければ、走り回る子供もいない。
入り込んでくる世界は、下方から聞こえる和楽器の演奏や踊りの掛け声、また祭りの場に似合った古臭い歌。
『皆様、お待たせいたしました』
私が夜伽ノさんの横顔をチラと見た時に、アナウンスが流れる。
『まもなく、打ち上げ花火を開始致します。本日のフィナーレを飾る、鮮やかな色彩と大迫力の音の開花――え? もう始まる?』
すると、慌てた女性の声が聞こえた。
『さ、さあ打ち上げまで五秒前!』
直後の告白に、私も驚く。
「え!? な、なんか急ね……」
「あァ、申し訳ないことしたわァ」
アナウンスによってカウントダウンが始まる。
そして――。
甲高い音を鳴らしながら天へと舞い昇る龍の如く。
それはたった一発――しかし夜空を隅まで照らすかのように開花し、満開に咲いた花火の一滴一滴が息を呑むほど煌めいていて――。
耳を劈くような、生では初めて耳にするその炸裂音に呆然としていると、あっという間に真っ暗だった空に、多種多様な色彩が増していく。
夜空が、晴れた。
手を伸ばせば届きそうな大迫力。
綿で包んだような音? ――とんでもないと思えたのは、夜伽ノさんがこの場所に連れて来てくれたおかげだろう。
光の花が視界を覆う。
それはやがて玉状だけでなく、真っ赤なハート型や水色のダイヤ型といった、様々な形へと変化を見せた。
「あ……」
そう声が漏れたのは、花火を見たからじゃない。
隣に立って、花火が輝く夜空を見上げる夜伽ノさんの横顔を見たから。
空一面に打ち上げられる花火が赤や青、黄色や緑、橙や紫といった風に帯びている色彩を変える度に、真っ白に眩しい彼女の肌が、様々な色に照らされる。
綺麗だ……。
そう思った。
自然と沸き起こるお祭り会場からの歓声。
それを凌駕する程の爆音。
でも、隣同士に立つ私達のお互いの息遣いは、かすかに耳に届く距離だった。
「よく、こんな場所を知ってたわね」
私は、夜空に視線を戻して言う。
「……まァ、散歩してたら見つけたンだよ」
「なんだ、私の為に見つけてくれたのかと思ったわ」
「俺も暇じゃねェんだよ」
そう言う夜伽ノさんは、結構、目の前の花火に釘付けとされているらしい。
余所見なんかしようとせず、見上げたまんまの体勢でもってそう言う。
「けど、まァ……」
「?」
そう言う夜伽ノさんは、どこか、言葉を選ぶように押し黙った。
でも、すぐに。
今度は、花火の色彩にも負けない程の真っ赤な瞳を私へと向けて。
「お互い、初めての花火観賞だろ。だッたら……まァ、隠れスポットで見る絶景ッつゥのも、良いもンだろ」
「……ふふっ」
なんか、ガラじゃないように見える。
夜伽ノさんがそんな台詞を吐くなんて、思えなかったから。
「そうね。……私達は花火初見同士なんだし、他の人達には知らされていない、こんな素敵な場所で花火を見たって、罰は当たらないわ」
今度は数発、連続して異色の花たちが開花する。
それは残光を垂れ下がる巨大な柳のように見せ、今にも私達へと真上から襲いかかってきそうな迫力があって――、
「うわっ、」
思わず、私は右手で、夜伽ノさんの左手を握った。
そして途端、ハッとする。
「ご、ごめ――」
すぐに手を離そうとすると、
「? ……え、」
私の右手が、握り返される。
夜伽ノさんが、私に掴まれる左手に力を込めた。
「別に、このままでも構わないけど」
「っ――!」
予想外の言葉に驚き――でも、それはすぐに喜びへと変わった。
夜伽ノさんが、私をどう思っているかなんて分からない。
冷たい言葉で粗雑に扱われようが、それでも私のために、と何かと世話を焼いてくれたり。
今日のお祭りでも、彼女は色々と私に気を利かせてくれたり、こっちがドキッとしてしまうような仕草も見せていた。
そしてついに、この状況。
花火を見上げながら、初めて、手を繋いだ。
できればいいな。
そんな希望が、現実となってくれた。
「あ、……ありがとう」
「……ン」
キュッ、と。
私はしっかり、夜伽ノさんの手を――私達を繋げているこの小さな温もりを、握り直す。
温かい。
手を繋いでいるから。
花火が、私達の心まで照らしているようで。
天に咲き誇る花火もだけど――まるで幻のように実ったこの現状に、夢なら覚めないでほしいとばかり、私は祈った。
「しッかし、凄ェよな」
ふと、隣で――さっきよりもさらに近くなった距離で、夜伽ノさんは言う。
「あれ、神がかッているように見えるが、全部、人間の手作業でもッて作られてンだろ?」
途方もなく大きく開いた光の業を見上げて、私も思った。
「確かに、そうよね。太古の人々は原始的に、松明とかに灯された火でもって生活範囲を広げてきたらしいって言うけど――ここまで進化したものか~なんて思うわよね」
「火薬なンてものは戦争や発掘現場にも使われるが……使用方法をちと見直してみれば、こうも壮大で美麗なものを映し出せるンだからよォ」
だから、人間は凄い。
その言葉に、私は口元を緩くして笑った。
「……?」
「あぁ、ごめんなさい。……実は、あなたの今の言葉を聞いて、知り合いのことを思い出したものだから……」
咲いて、咲いて、また消える。
また打ち上げられて、また咲いて――そんな連鎖が起こされる世界を見上げながら、私は一人の知人のことを思い浮かべた。
ネフティスは、お祭りに来ているのかしら。
来ているとしたら、恋人とかしら。
彼女ほどの美少女に、恋人がいないなんてありえない話だと思う。
『ねぇ夕霧さん。どうして、人は争うのでしょうね』
『……え? な、何よ突然』
『ほんと、愚かだと思うのよ。例えば銃の製造に使われている部品も、日本刀の刃も、ダイナマイトの火薬も――使い方を改めるだけで、血を流すこともなく、世のため人のためと役立てられるものばかりだと言うのに』
『……ね、ネフティス? いったい、何の話をしてるのよ?』
『……いえ、なんでもないわ。忘れてちょうだい』
あの時の彼女の発言には、よく意味が汲み取れなかったけど――考えてみると、確かにそうね。
ネフティスの、そして夜伽ノさんの言う通り。
……でも、そんな湿っぽい話はまた今度にしましょう?
「ねぇ、夜伽ノさん」
「あ? どうした夕霧」
私達はお互いに目を合わせず、夜の闇を呑み込む光の演舞を見上げながら呼び合う。
それから、しばらくの無言があった。
音はあった。
花火や歓声、拍手喝采。
でも、狭苦しい高台に立つ私達の間には、言葉じゃ表せない静寂が流れていた。
「――綺麗ね」
ふと、私が呟く。
「あァ、そうだな」
夜伽ノさんが返す。
そんな短い投げかけ合い。
意味はないけど、とても好きだと思った。
「今日は、ありがとう」
「……何が?」
分かってない。
きっと、夜伽ノさんは分かてないのよ。
「私の、我が儘に付き合ってくれて」
一緒に、夏祭りに――。
その誘いにあなたが乗ってくれたことが、どれだけ嬉しかったか。
「色々と、気を利いてくれて」
あなたの些細な言動に、私がどれだけ救われたか。
「花火、見せてくれて」
この機会を作ってくれたことに、私がどれだけ驚いたか。
「今までにない体験をしたわ」
それはきっと、私の中で一生残る――高校生活で味わえた、唯一の青春。
私が今日の出来事を、諦めて破り去ろうとしていた青春のページに刻むということに、きっとあなたは興味なんてない。
「本当に今日は……ありがとう」
あなたのことを、私がどれだけ好きか――夜伽ノさんは知らない。
響き渡る派手な轟音。
届くカラフルな火花の色。
鳴り止むことを知らない夏祭りの主役は、雰囲気に隆盛をかけるように、絶え間なくその連発の開花に拍車を掛けてくる。
和の太鼓の音より胸に響いて。
人生で最も胸の鼓動を激しくさせる。
きっとこの花火は、私のために用意されたステージなんだ。
そして、舞台上には私と夜伽ノさんの二人だけ。
「ねぇ、夜伽ノさん」
「ン?」
私の……握る手を引っ張りながら呼ぶ声に、彼女が私を見る。
すぐ。
身体を寄せるように近づき、下駄の鼻緒にやられる足の痛みに耐えながら、背伸びをして――。
今日一番に大きな花火が、世界を包んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
その現場を、彼女は捉えていた。
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焦った気持ちが、あったのかもしれない。
さて、ついに長かった第七章も次話で完結です(多分)。
本当は凛ちゃん花陽ちゃん編が終われば幕を下ろそうとしたのですが――夏祭りだけに新しい章を作るのもなぁ、いやそもそも夏祭り編は必要なのかなぁ……といった作者の迷いで、長く付き合わせてしまった読者様には申し訳なく思っております。
それでも読者様が、この作品は面白いと言っていただけるのならば、僕はとても歓喜歓喜です!
それでは、次話もよろしくお願いいたします!