召喚
待ちに待った携帯の入手は手に入れるまでそれほど時間を要さなかった。
近くの量販店には、案の定テントが長い列を作り、スラム街の様相を呈していたが、携帯の受け渡しが刻一刻と近づくにあたり周囲をそわそわした空気が覆った。
事前に本人確認を済ませ、時刻を過ぎると右から左へと携帯を受け取る流れ作業だったために最後尾ですら1時間と待たずに受け取ることができたのだ。たかだが、数十分の違いのために何日も前から並ぶ中毒者の気持ちなど同類の俺でしかわかるまい。
受け取ると脱兎のごとく家に直行するのみだ。脇目もふらず、何かに急かされるように帰ると、俺は自分の部屋へと飛び込んだ。邪魔の入らないようにカギまで閉めて万全を期す。
「半年待ったんだ。焦るなってほうが無理だな」
箱を破り捨てるようにテープを指で強引に引きちぎると、待ちに待ったそれは姿を現した。
《S―202ヴィスタ》、黒に輝く携帯は画面に保護シートが張られ、起動を待ちわびているかのようだった。
使い方は慣れたものだ。なんと言ってもこの手のアンドロイドは以前使っていたものと大して変わりないからだ。唯一にして最大の違いはアプリ《戦姫ヴィスタ》がすでに入っていることぐらいだろう。
すぐに保護シートを剥がし、起動すると、新品の画面が白光して、僅かばかりのアイコンが画面に色どりを与える。
そして俺はすぐにそれを見つけた。一番頭のアイコンが目当てとしていたものだ。アイコンの下には小さく《戦姫ヴィスタ》と書かれている。
すぐに携帯の箱からアプリに関する説明書を抜き取ると同時進行するようにアイコンをタップした。
画面が切り替わり、全画面にタイトルが表示される。スタートの項目を再度タップすると、次の画面に切り替わる。
『戦姫を生成』、ただ一つだけの項目は俺の鼓動を速めた。これが最初で最後の工程だ。じんわりと内から滲み出る高揚が指を画面に滑らせるのを躊躇わせた。
そしてふいに三島が言った「しっくたら」という言葉を思い出した。
「確かに、万が一にも無いとは思うけど……」
万が一どころではなく、絶対にないと言い切れる自信があの時はあったが、今こうして直面すると不安は大きくなる一方だ。大きく頭を振って、自分に「大丈夫だ」と言い聞かせるとボタンをタップした。
すると画面には次の項目が出ただけだった。
『召喚と唱える』の意味は説明書にも明記してある。どうやらタップするのではなく、音声認識によって戦姫を生成するようだ。
一度深呼吸し、今度は躊躇いなく口にする。
「召喚」
僅かに擦れてしまった声でも確かに認証したようだ。
『召喚中』の画面が浮かび上がり、魔法陣がぐるぐると乱回転する。次第に画面が白光し、フェードインした。それは眩しく目を開けていられないほどだった。
微かな目の隙間から光が弱まるのを確認すると、チカチカする視界で手に持つ携帯の画面に細い足が見えた。
「――!」
この瞬間、眼が慣れるのを待つのが惜しいほどに高坂の視線は画面に釘付けとなった。
視界に入り込んだのは寝起きだと言いたげに口に手を当てて伸びをした姿だった。ピッタリと張り付くような服は、申し訳程度に肝心な部分を隠している。真っ赤な髪は腰まで伸び、これまた紅玉のような瞳は力強い。ほっそりとした体のラインは一見戦えそうにない。戦姫、その名に相応しく、姫と呼ぶに相応しい容貌だった。外見からは高坂と同じぐらいの歳に見える。アプリのキャラクターだというのに……仮想で作られた顔形なのに一瞬ドキリとしてしまった。
「あんたが私のマスター?」
「――――!!」
画面の中の少女は、三次元から見つめる俺の目を見て言い放った。
「しゃべった!……あぁ確か人工AIが組み込まれてるんだったかな」
AIシステムの導入は他に類を見ないが、最先端のゲームならばと考え、説明書を覗きこむ。しかし、それにはキャラクターとの会話など一切書かれてなかった。寧ろ薄い説明書には必要最低限のことしか書いていない。
「まぁいいか……」
「ちょっと聞いてるの?もしも~し」
内側から画面をノックするようにコンコンと打ち鳴らす姿は高坂の想像していた《戦姫》とは違った。
「あぁマスターだったけ、そういうことになるね」
画面に向かって返答すると中にいる美少女はつまらなそうに舌打ちをした。
「ちっ……ハズレたかも」
容姿はお姫様なのに言葉遣いは粗暴だった。高坂は妙に人間臭いキャラだなと思いながら頬を引き攣らせた。
「え~と、君の名前を教えてくれるかな」
「まずはあなたの名前を教えなさい。話はそれからよ」
妙に人間臭いというより、自分でマスターか確認しておいて、何故その言葉遣いをするという結論に至ったかを高坂は聞きたかったが、アプリの疑似人格に聞いたところで決まり文句が返ってくるのだろう。ようは設定なのだ。
「俺は高坂讀伽(こうさか とくか)。それで君は?」
「呼びずらいわね。私に名前はないわ」
「それは俺に言わないでくれ……そうか俺が付けろってことかな」
そう言うと画面の中であからさまに嫌さそうな顔をする美少女は見なかったことにする。
「そうだな、ニアってのはどうかな」
「何それ……食べ物とか動物の名前だったら許さないわよ」
「違うよ。ニアは『近い』って意味で、携帯の中にいる君は常に俺の一番そばにいるわけだしさ、どうかな」
「ふ、ふ~ん。悪くはないわね」
「よかった。じゃあ今日から君はニアだ。よろしくねニア」
画面に背を向けてニアは「よろしく、とくか」とだけぼそっと言った。僅かに見える肌が少し血色が良いのは髪の紅が反射しているからだろう。何はともあれ気にってもらえたようだ。
「それにしてもAIってすごいな、どんな受け答えもできるんだっけ」
本来のAIはネットサーフィンをするように膨大な情報量から質問の回答を検索し、ピックアップするというものだ。
「AIって何」
「――!……君はAIがあるからこうして俺と会話してるんだよねって自覚しないのか。つまり、君は人間そっくりの機械って言えばいいのかな」
それを聞いたニアが今度こそ顔を真っ赤にした。
「あたしがロボットだって言うの、ふざけないでこの根暗」
「ね……根暗って、違うと言うならなんなんだい」
「わたしは戦姫よ。そして今、ニアになったわ」
やっぱり自覚はないんだなと讀伽は内心で納得する。でも、その一方でこうも感情を発露するものなのだろうかと疑問も出てくる。讀伽のAIイメージはもっと機械じみたものだ。
説明書にも簡単に目を通したが、それっぽいことはやはり書いてない。
ニアをほったらかしにしている間に、ニアの頬はどんどん膨れ上がっていく。ないとわかっていも画面の中から飛び出してきそうな勢いだ。無論そのあかつきには盛大に固められた拳を見舞われるはめになるだろう。
「そんなに剝れたってしょうがないじゃないか、AIじゃなきゃ説明できないんだから」
こんなセリフにニアが納得するわけもなく――ほらみろすでに拳を握ってる。
しかし、それは振るわれることなく冷めたように解されていった。
「わかったわ。ならこれを押してみなさい」
ニアは画面の中央からピョンッとジャンプして画面の右上にあるアイコンを示した。
小さな丸の中央には《現》の文字だけだ。
「これは何だ?」
俺は書いてないとわかっている説明書に視線を移し、アイコンに触れた。
「讀伽が説明出来ないって言ったんだからね」
触れると画面全体がまた白光する。
俺は目を疑う光景に遭遇した。それは俺の中の当たり前で退屈な日常に終止符を打った。
画面の白光は外に向かって光芒を引き、それに吸い寄せられるように画面からニアが浮き上がった。光が遠ざかり、ニアの体はどんどん大きくなる。そして……。
「―――――!!!」
俺より頭一つ分小さい美少女が狭い部屋の中に現れた。紅毛に紅玉の瞳は今の今まで携帯の画面に映っていたニアそのものだ。
「ふぅ」
肩の間接をぽきっと鳴らしてニアは体をほぐした。
「どうなってるんだ」
ニアは満足げに胸を逸らして讀伽を見下ろす。
「これでどうかしら、私が機械じゃないことがわかって貰えたと思うんだけど」
情けなくもニアの出現に驚いて尻もちを付いてしまったためにニアを見上げる無様な格好だ。当然、携帯も落としてしまった。
ニアは足元の携帯を拾い上げると「ここは狭いのよね」と言って全身を見渡し、体をほぐした。
俺は目を擦った。もちろん夢でないことを願ってだ。絶対に起こり得ない非現実が眼前で起こったのだ。
そして今度こそ俺の心臓は早鐘を打った。画面の中でもドキッとしたのだ。それが現実に現れて、それ以上に心臓が反応しないはずはない。
ニアは讀伽の反応を窺って楽しそうに破顔した。
「と……とにかく服を着てくれぇ」
画面の中ではそれほど気にしなかったが、こうして目の前に現れるとかなり際どい。上下ともに予想以上にギリギリだった。
「服っていっても、装備なんか持ってないじゃない」
そうなのだ、事前に仕入れた情報に戦姫の武器や防具、服や小物にいたるまでの全ては携帯の中で購入、入手しなければならないのだ。とは言え今は急を要する。ニアが体を動かすたびに発育の良い胸をきつそうに揺らすのだ。
「ひとまずこれを着ろ」
咄嗟に顔を逸らし、カラーボックスに入ってあるジャージを放り投げた。
「いいけど、ちゃんと装備は用意しなさいよね」
「わ……わかったから早く」
讀伽は溜め息を漏らしつつ衣擦れの音がしなくなったことで確認を取る。
「もう、着終わったか」
「大丈夫だ」
「まずは服だな――ぶっ」
ニアはジャージを羽織っただけでファスナーは開けっぱなしだった。しかも中に来ていた晒しのような服は取り払われているため、さっきよりも、というかアウトだった。
ファスナーの締め方が分からなかったらしく、結局俺が顔を背けながら閉めてやるのだった。
「それで、当然携帯の中に戻れるんだろうな」
「もちろんよ。携帯の同じマークを押せば戻れるわ。どの道もう少ししたら戻れるけどね……」
一先ず、両親にばれる心配はなくなった。見つかったら大事だ。安堵し、まだ冷めやらぬ頭で本題を切り出した。
「さて、一体どうなってるんだ。携帯から女の子がでてくるなんて漫画じゃあるまいし」
「どうなってるも何も、私がそんなこと知るわけないじゃない」
「じゃあ、何で出られるってわかったんだ」
「さぁね、あのマークというか画面にあるやつなら大体わかるけど、なんでって言われても……」
俺は《戦姫ヴィスタ》に関する知識を総動員した。まずはゲーム内キャラが現実に出現する現象について、これは俺の知る限りありえない非現実だ。架空、想像の中の話で現実に起こったと言う話は聞いたことがない。仮に過去にあったとしたらもっと大騒ぎになるはずだ。俺が知らないはずはない。ということはこの現象はわからないということで保留にしておくほかにはない。
次にニアについてだ。彼女が《戦姫ヴィスタ》通りの役割を担っているのだとすれば、戦うために存在しているだけではなく、同時にナビゲーションも兼ねているはずだ。それならば彼女が言う『わかる』というのも一応の理解はできる。
この際、彼女が何者であるかは後回しだ。――いや戦姫だ。ニア本人が言っていたではないか。
ならば、俺は何をどうすればいい。俺が集めた情報・知識は役に立たないってことなのか?
「とりあえず、ニアが出てきたことは置いておこう。それで俺は何をどうすればいいんだ」
ニアは深い溜息を付くと、「ハズレだ」と小さく呟いた。
「私は戦うためにいるの、戦い方も分からないって言うんじゃないでしょうね」
わからないものはわからないのだから俺は頷くの一択だ。そもそも発売前に与えられた情報で公式のものは少ない上に、直前になっても詳細なところまでは何も開示されなかったのだから知りようがない。
「はぁ~、私がその携帯とか言う箱から出るのは元々戦うためよ」
「ちょっと待った。戦うって携帯の中で他のユーザーとオンラインで戦うとかじゃないのか」
「何を言ってるかよくわからないわ。と・に・か・く敵と戦う時はこの箱から出なきゃいけないの。その箱の中でどうやって戦えって言うのよ。アホくさ」
さすがの自称ゲーム中毒者の俺でさえも突拍子のない話にこめかみが痛くなってきた!?
「あれ!痛ッ!」
言ったそばから本当にこめかみから頭全体に頭痛が広がり、気が付けば手や足に力が入らず痺れている。
「どうなって……」
「案外早かったわね」
「何をし……たんだ」
手を頭に押し付け、痛みに耐えるのがやっとだ。
「言ったじゃない、讀伽が『説明できない』って、だからわざわざ出てきたのよ。もちろん出るのにも無制限といわけにはいかないわ。だから最初に言ったじゃない」
「聞いてないぞ」
「そうだったかしら、でもあなたが説明を欲していたから出てきたまでのことよ。そんなに大げさなことではないわ。少しじっとしてれば回復するわよ」
さらっと悪びれも無くニアは一方的に言うと、次第にニアの体が薄れていった。
「ほらね、あなたから生気の供給が途絶えたから、この箱に強制送還ってわけ」
最後に光の粒子を散らせて、ジャージだけを残して携帯の中に吸い寄せられるように戻っていった。
ぐったりベッドに横になると、今日一日ずっと気を張り詰め、あまつさえ奇奇怪怪な現象に頭の中はショート寸前だった。
地面に落ちたままの携帯の画面にはニアが様々なアイコンを確認して内から覗き込んでいる。上着を失って上半身裸になっている。片手で抱え込むように隠しているのを見て、「一応、恥じらいはあるんだな」と弱々しく呟いた。
ニアの言う通り、あれから数分横になると頭痛や四肢の痺れはすっかり跡かたもなく消え失せていた。
「生気って言ったけど、まさか寿命が縮まるとかじゃないよな」
画面の中に話しかけると、ニアは鼻で笑った。
「そんなわけないでしょ。でも限界を超えると死ぬわよ」
さも当たり前のように言うが、それは寿命が縮まるのとそれほど大差ないように思う。
「死ぬって……本当に?」
「えぇ、本当に――でも、その辺はあなた次第よ。見ての通り讀伽の生気が一定数まで減ると自動的に戻されるの、だから死ぬまでには至らないわ」
安堵していいのかわからないが、すぐにどうこうなるようなものじゃないと聞き少なからず、強張った体が緩んだ気がした。
「それより、いつまで女の子を裸にさせておく気?変態なの?」
「違う」
画面のメニュー欄にある服装の項目をタップする。当然所持している服などない。脇にあるショップに向かった。
様々な服装だけでなく下着まで幅広く扱っていることに驚いたが、どれも横に○○Gと書かれていることで気が付いた。
「そういえば金ってあるのか」
説明書にはアプリ内通貨はG(ゴールド)が存在するが、携帯アプリに欠かせない課金機能がないのだと言う。Gはバトルやミッションをこなすことでしか入手できないらしい。
「そこに所持金が書いてるでしょ。買える範囲でいいからね」
画面右上に5000Gと書かれているのが俺の所持金のようだ。これは携帯を買った初回特典みたいなものらしく、通常より多いそうだ。
そしてニアが指定した服装を購入した俺の所持金は当然壊滅した。
「言ったそばからギリギリまで買うとは」
ニアは満足気にファッションショーの如く一回転して見せる。鮮やかな赤と白の上下はほとんど巫女装束だった。
「どうかしら」
「あ、うん。似合ってるよ」
「当然、私が着ているのだもの」
破顔して全身を見渡す。
所持金を叩いて買わされたのだ。寧ろ似合わなかったら許さん。
そこに突然『ポンッ』という音とともに画面、ニアの隣に今新しいアイコンが生まれた。
「何か届いたわよ」
「あぁ、お知らせかなにかだろう」
そこには《戦姫ヴィスタ》内の手紙アイコンが微振動して届いたことを知らせた。
画面左下にこじんまりとあるそれを、ニアは抱えるように中央に持ってきて画面に押し当てた。
「何かしらね」
「開けて見ればわかるさ」
少し大きくなったアイコンに触れると一通の手紙が開かれた。
どうやら一斉送信のようだ。そして、ゲームをやり慣れた俺は気付いた。こういう『お知らせ』の場合は差出人が運営であるのが普通だ。しかし、そこには『製作者』と書かれてあった。
怪訝に思いながらも手紙の文面を滑るように読む。
ニアは拡げられた手紙の横から覗き込んでいる。
「――――!!」