早朝、俺は携帯を胸ポケットに入れ、イヤホンをして何回目だろう通学路を通るわけだ。しかし、この日はいつもと違っていた。これも退屈して止まなかった日常が変わったことへの兆候なのだろう。いつもの通学路から外れて俺は駅に向かう。家からは電車を使うまでもなく徒歩で20分ほどの所に学校があるのだが、今日はその前に確認しておかなければならないことがあるのだ。
「どうだニア」
「反応はないわね」
俺は昨日、ミッションの途中でサーチに引っかかったプレイヤーを確認しに来たのだ。
そのために遅刻覚悟でギリギリの時間帯に来た。昨日の反応は駅近の高層マンションからのものだった。
推測の域を出ないけれども……。
「つまりは学生の可能性が出てきたわけか」
そして、もっとも近い学校は讀伽の通っている『桜花学園』だ。讀伽のように近い理由で学校を選ぶ生徒は少なくない。同じ学校にいる可能性が高いのだ。もちろん仕事でいない可能性もある。しかしゲームというジャンルでは大人よりも子供のほうがニーズが高いのは事実だ。
「学校に着いたらもう一回頼む」
「わかったわ」
溜め息が零れる。強制のような学校生活でも気が抜けないなんて。
そのまま学校へ向かう一本道に入った。今から走ればまだ遅刻は免れるが、そんな気分には到底なれない。ましてや皆勤賞など端っから狙っていないのだ。
当然のように5分近く遅刻し、正門の前で遅刻者を叱咤するために体育の教師がいつものように仁王立ちしているのだ。
学籍番号、学年、名前と事情聴取のような聞き取りが済むとそこから説教が始まるのだ。遅刻しているのにここでさらに時間を取らされるのはどうかとも思うが、もうこれにも慣れたものだ。
もちろん俺も毎日のように遅刻しているわけではないけれども、まあ多いのは事実だ。そしてその時に限ってこの体育教員に同じことの繰り返しを聞かされる。
「聞いてるのか高坂」
「もちろんです。先生のご高説に度々感心させられています。人生の奥深さを教えられる日々、私は先生に徳を説いてもらうために遅刻してしまうのかもしれません」
こんなことを言えば許してもらえるわけではない。しかし、俺は退屈な毎日のスパイスにこうしてべた褒めしてみる日々だった。
「バカたれが、いいからもう行け。もう遅刻するんじゃないぞ」
「ありがとうございました」
このやり取りに先生は気分が良くなるのだ。そもそもこの体育教師はそんなに頭が良くない。というか体育でわかるとおりに見たまんま体育会系だ。徳が高い人物なわけがあるか、今日も扱い易い教師に頭が上がらない。
俺は下駄箱へ向かってゆっくり歩き出すと、後ろで聞き覚えのある声が響いた。
「すみません」
走ってきたのだろうその声は、息も絶え絶えだ。
「三島か、お前が遅刻とは珍しいな、だが、遅刻は遅刻だ学籍番号を言え」
体育教師は俺にしたように事情聴取を済ませる。そして三島にも同様に説教タイムが始められる。
三島は俺を見つけると顔の前で手を合わせた。
「しょうがないな」
今外しておいたイヤホンを付けようとしていたのだが、頼まれてはしょうがない。イヤホンをポケットに戻して俺は踵を返した。
「三島、部活に打ち込むお前がそんな弛んだ態度でどうするんだ。今度大会も控えているんだろう?いいか、体を鍛える前にだな心を鍛えだな……」
「先生よろしいですか」
「何だ高坂まだいたのか」
「三島とは同じクラスでして、先生のご高説を三島にも聞かせてやりたいのは山々なのですが、残念なことに1限目は移動教室でして……三島には私からたっぷりと先生の教えを反芻して聞かせますので」
「そ、そうかならば高坂に頼むとするかな」
教師は後頭部を掻きながら、三島にも「早く行け、もう遅刻するなよ」と言って背中を引っ叩く。
俺は三島と駆け足で下駄箱に向かった。
「助かったぜ」
「別にいいけど、本当に珍しいな」
「あぁ、ちょっとな、お前も昨日休みやがって」
「俺もちょっとね」
「まぁいいや」
そう言うと楽しそうに「後で教えてやるから楽しみにしてろ」と勿体ぶって教室の前で話を終わらせた。
俺も三島には話があるのだ。三島とは狩猟ゲームで仲良くなったが、俺が《戦姫ヴィスタ》をプレイするために一方的にやめると言い出したのだ。それでも三島は愛想を尽かせずに一緒にやると言ってくれた。しかし、その《戦姫ヴィスタ》がほぼ確実にデスゲームと化してしまった以上、三島を巻き込むことはできない。
すぐに連絡を取って教えてやるべきだったのだが、俺は三島の連絡先を知らない。今まではゲーム内チャットで十分だったこともあって交換してなかったのだ。それに三島は十日後ぐらいになるだろう一般配布の順番待ちをしている状況だからすぐにどうこうということはない。
俺は自分の席に着いた。移動教室のためにクラスメイト達はまばらに教室を出ていき数を減らしていった。
イヤホンを付け。
「ニア、頼む」
「外すなら言ってよ。一人でしゃべって馬鹿みたいじゃない」
「ごめんごめん」
一瞬の間の後、ニアは難しそうに結果を伝えた。
「反応は5つね。一番近いのは4メートル」
「――!!」
俺は首を振った。
{この教室にいるのか}
イヤホンのマイクに口を近づけて小声で問い返す。
「方向は」
「北東あたり、讀伽から見て右斜め後ろね」
気付かないふりをしながら、視線だけを向けた。
「―――!!!!」
そこにはどんどん出ていく扉の近くに三島の席があり、三島も次の準備に取り掛かっている。
俺を怖気が襲った。まだ確定ではない。他の生徒も近くにいたのだ。しかし鼓動の早まりが、不吉な予感が警鐘を鳴らしていた。
俺は動けずにいた。椅子に座ったまま机の木目に視線を落とす。
{どうしてだ。三島はまだ持ってる筈がない。……どうする}
「やるの?」
イヤホンから届く問いに俺ははっとした。三島にはもっと早く教えるべきだったという後悔が襲う一方で、三島もプレイアーとなった以上戦闘になる可能性もある。
しかし………。
「いや、こっちからは動かない」
そう『三島は後で』と言ったのだ、まだ戦闘になるとは限らない。
「わかったわ」
ニアは不満そうに言う。早く武器を使いたいのだろうけど、こっちは命を賭けた戦いだ。これ以上ないほど慎重になるのはしょうがないことだ。
「高坂いかないのか」
ふいに三島が教科書を片手に近づいていた。
「あぁ、今準備するよ」
小声で「外す」といってイヤホンをポケットにしまい込んだ。
まだだ、三島がどういう行動に出るかわからない。信用はしているけど、アニメや映画の世界では人間の汚い部分がよくよく出てくる。自分の命よりも大切なことはないと公言する一方で友情や愛情の大切さ訴えるものは数多くある。俺はもちろん後者を信じたいものだ。どちらにしても映画など液晶の中のフィクションだ。実際に取る行動は予想が付かない。
俺の中では三島がプレイヤーであることはほぼ確実だ。今、ニアがサーチをかけたならプレイヤーを示す点は俺とほぼ重なっているだろう。
三島は普通に会話を挟み、俺は相槌を打つだけだ。
1限目からこの調子だ。俺は気が気でない状態で昼までをやり過ごした。昼休みに入ると俺は逸早く校舎裏に急いだ。今後の展開がどういうものになるかわからないが、一度にニアと話しておかなければならない。
「つまり、そういうことだ。戦うことになっても一方的に俺からはしかけない」
「友達ね~。まぁいいわ、放課後だったわねわかるのは」
三島とは放課後に話す予定だ。どう転ぶかわからないけど、三島はいつもの調子だったのだ。仮に三島が好戦的に挑んできたとしても勿体ぶる理由がない。三島は俺が《戦姫ヴィスタ》のプレイヤーであるのを知っているのだから。
仮に三島が本当に戦いを挑んできた場合、俺はちゃんと戦えるだろうか、僅かな期間だが三島は仲の良い友達と言っていい。それは俺がゲーム――液晶の向こうにしか見出せなかった唯一の繋がりだ。こんな引っ込み思案の俺が気を許せた友人だ。三島は俺のことをどう思っているかはわからないけれど、俺の中で三島はすでにかけがえのない友達となっていた。
こんな状況だからこそかもしれないが、俺はやっと気付くことができたのだ。そして祈るように三島が敵対しないことを願った。
それからの授業は何も入ってこなかった。普段もゲームのことばかり考えているから大差はないのかもしれないけど、今の俺の心境は沈鬱だ。胸が締め付けられる緊張は秒針が進み、分針が動く度に心臓が跳ね上がるように鼓動を速めていった。
そして6限目終業のチャイムが鳴るとすでに俺の手は汗でびっしょりと濡れていた。
ホームルームすら長く感じる。そして教室に生徒が少なくなった頃、俺と三島は閑散とした教室にバッグを置き去りにして屋上へと向かった。
普段、屋上は下から吹き付ける強風に立ち入り禁止になっているのだが、鍵の付いていない扉には簡単な侵入禁止のテープが張られているだけだ。
扉を開けると風が突風のように吹き込んでくる。屋上までを桜の花びらが舞い届き、街全体を一望することができる。
扉のノブを回しながら音を立てずに閉めると、少しの静寂が訪れた。
三島は先に入って歩を進め、立ち止まると時間が動き始める。勢いよく振り向くと、三島の手はポケットに入れられていた。
俺は咄嗟に身構えた。しかし、俺の予想とは裏腹に三島は満面の笑みで言い切った。
「高坂、俺も《戦姫ヴィスタ》を手に入れたぞ」
携帯の画面を突き付けた。その画面ではオレンジ色の髪をした戦姫が礼儀正しく腰を折った。
「…………」
俺は何も言えなかった。嬉しいはずなのに反応が遅れる。頭で理解したときにやっと安堵の溜め息を盛大に吐き出した。
「よかった。……いや、よくない」
そう、最悪の展開は免れたが、これで三島がプレイヤーであることは確実となった。同時にデスゲーム参加者でもあるのだ。
「ごめん。三島、もっと早く教えればよかった」
「ん、何がだ?それにしても運が良かったぜ。順番待ちの予約を入れようとしたんだけどよぉ、何でかダウンロードページに飛んで、試しに押してみたらこの通りだ。実を言えばサービス開始の夜に落とせたんだけど、どうせなら学校で驚かせようと思ってよ」
俺は「そうか」と呟いた。俺が知らせても手遅れだったのだ。
「でよう、俺もいろいろ調べたり操作してみたんだけどさっぱりでよ」
おそらく朝方近くまでいじっていたのだろう。
「――!三島、あの『お知らせ』を見てないのか」
三島は少し考えるように顎に手を当てると、ハッと思い出したように言った。
「なんかの悪戯みたいなやつか、ネットでみたら良くあるらしいじゃんか、新しいゲームにありがちなバグっていうんだっけか、不具合がさ」
俺は普通はそうだろうなと三島の反応が当然だと思いながら、自分で出した結論を話す。
「あれはたぶん冗談とか悪ふざけでもないぞ。ましてや不具合でもないと思う。昨日のニュースは見た?」
ぶんぶんと顔を振って見ていないことを示すと俺は洗いざらい話した。もちろん可能性が高いだけで推測の話だ。
「まじか、それなら戦わなければいいんじゃないのか」
「どうやら、そうもいかないみたいなんだ」
三島の戦姫が苦い顔で頷いた。
「君は三島に何も教えなかったのか?」
画面の戦姫はニアが最初に着ていた、布を巻いたような服装で口を開いた。か細いというよりも、儚くも美しい声音で続ける。
「主様には何度も申したのですが……」
俺はだろうなと納得してしまった。三島は最近ゲームに触れたのだ。ましてやアニメや小説なども縁遠いようで、荒唐無稽な話は端から信じない現実主義者な面がある。どうせ何かの設定かと思ったのだろう。
「悪い、自己紹介がまだだったな、俺は高坂讀伽だ。君は?」
三島が画面の戦姫を差し置いて居丈高に言い放った。
「可愛いだろ、うちの瑞嶺(みずね)は」
「……」
携帯の画面を撫でるように滑らせる三島は、正直気持ち悪い。発売前は女の子目当てかと言われたが、今の状況を見れば釈然としない。
画面の戦姫が声だけをスピーカーから響かせる。
「瑞嶺と申します。讀伽様よろしくお願いします」
様の部分に違和感を感じながらも「よろしく」と伝えた。ニアとはずいぶん違う。礼儀正しく、様付けときたものだ。
俺は胸ポケットの携帯を一瞥した。今頃イヤホンを通してぼやいてるに違いない。
「ところでよぉ、そろそろお前の戦姫も紹介してくれよな」
この悪い顔をした三島は、いつかの婆さんのことを言ってるのかのようだった。
「そうだったな、先に言っておくけど機嫌は損ねさせないでくれよ」
ポケットに手を入れ携帯を掴んだ。そこで後ろのドアが勢いよく開かれる。
「「――――!!!」」