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レ級は這う這うの体で海岸に辿り着くと、沈むように倒れ込んだ。一歩踏み出す度、眠気に誘われる。だがこのままではまずい。唸り声を上げながら、四肢に力を入れ這い上がり再び歩き出す。止めどなく血が流れる脇腹を押さえながら、ゆっくりと島へと進んでいった。
レ級の傷は一目で判るほど重症だった。ボタボタと重い音と共に血が流れ、身体から煙を吐いていた。チ級の雷撃を土手っ腹に受けたのだ。あの状態のレ級にはそれを察することも、避けることもままならず、かくしてレ級は相応のしっぺ返しを喰らうこととなった。応戦しようにも砲撃を行おうと意識する瞬間、イ級の眼が脳裏を霞めた。その都度耐え難い嗚咽に襲われ、結局はひたすらに逃げ出したのであった。
数時間で辿り着いた孤島は草木がそこそこに生い茂る規模だった。止血、止血をしなければとレ級は砂浜を歩む。深海棲艦がどのような生態なのかレ級はしらなんだが、生き物であるならば血を流し死ぬだろうと耄碌した頭で考えた。
生い茂るヤシに近寄る。止血のために葉が必要だった。服は又も焼け焦げ、十分な強度など期待できない。意識を保つのも限界に近かった。ぼんやりと景色が白んでいく。しかし、あるものによってレ級は一気に覚醒することとなる。
「…コレハ。」
ヤシの根元には先客がいた。元は美しかろう黒髪を土砂で汚し、ぶすぶすと鈍い音を立てながら煙が立ち上っている。奇妙な眼帯に随分と短いスカート。レ級には見覚えがあった。あの海を滑る四人の少女達に何処と無く似ているだ。人に似合わぬ砲塔を始めとする武装。足のよくわからない機械。ただ、彼女達に比べると幾分背も高く、どこか凛とした女性だった。そんな女性がヤシに身体を預け、眠っているのか死んでいるのか、何故か刀らしきものを握り締め倒れ付していたのだ。
だがレ級が興味を引かれたのは彼女ではない。そんな彼女の脇に、やたら大きなドラム缶が立て掛けられていた。何故か、レ級はそのドラム缶に惹かれた。失われた記憶の片隅にもドラム缶に心沸き立つ経験など無い筈だと暗示をするも、先程までは意識を保つことすら困難だったというに、痛みを忘れそろそろとドラム缶に手を伸ばす。かなり重い。ドラム缶にはなみなみ何かが入っているようだった。たぷん、たぷん。その何かが揺れる度にレ級の胸は高鳴った。開けてみたい。レ級はなりふり構わず衝動的にドラム缶の蓋を開けた。
「変ナ匂イ…。」
中身は黒々と輝く液体だった。蓋を開けただけで香りが広がるほどの強烈な匂い。見たこともない上、明らかに食用ではない代物。そんなものからレ級は目を離せなくなった。何故か、耐え難い空腹感が突如生まれた。無意識の内にドラム缶を傾け、中身を少し手で受けとる。液体に意識が吸い込まれる。そして得体が全くわからないにも関わらず、そろりと舌をつけた。
「美味シイ…!?」
多幸感がレ級を支配する。嘗てこれ程の逸品を口にしたことがあっただろうか。余りの旨さに体裁など構わず、レ級はドラム缶を抱え、爛々と目を輝かせて一心不乱に液体を飲み込んだ。脇目も降らず、それのみに集中した。ドラム缶の中身は彼女がそこまでする程のものであったようだ。
「おい、何してやがる!」
突如掛けられた大声にレ級は飛び上がった。ドラム缶が横に倒れ、砂地を濁す。レ級は慌ててドラム缶を立て直した。もったいない、もったいない。見れば倒れていた女が目を覚ましていた。左手で刀を握り、右手を地面に付き、なんとかして立ち上がろうとしているようだった。目が覚める前の凛とした美しさよりも、起きているときは随分と男勝りな性格のようだ。
「…へっ、絶対生きて帰るって、約束してたんだがなあ。レ級か、お手上げだな。」
女はレ級を一瞥すると、起き上がろうと身体を支えていた右腕の力を抜いた。生きることを放棄した、と言ってもいいかもしれない。それほど彼女とレ級には確執と実力差がある筈なのだ。対してレ級は顔を青くして、震えた。衝動に身を任せてしまったがこれは立派な窃盗、犯罪ではないか。なんて過ちを犯してしまったのか。などと泡を食っていたのである。
「ゴ、ゴメンナサイ!ツイ出来心デ!」
土下座。レ級は砂で髪が汚れることも構わず土下座した。今のレ級には金も身分も、名前すらない。出来ることと言えば誠意を見せることだけ。このドラム缶の中身がなんであるかは依然として判明していないが、これほどの美味必ずや値のはるものだろうと思ってのことだった。これに困惑したのは倒れていた女、天龍だった。天龍は横須賀鎮守府にてその生を受けて十一年、遠征部隊の旗艦に選ばれ九年が経つ。一般的にもベテランと呼ばれる部類に入る。そこらの艦娘、例を上げればトラックの艦娘で天龍よりも経験豊富なものと言えば雪風くらいなものだ。そんな天龍にとっても、深海棲艦から謝罪を受けるなんぞ初めてと言わざるを得なかった。
「ああ、なんだよ。ここはもう黄泉の國か。桜の丘には、行けなかったみたいだなぁ。」
故に天龍はもう自身が息を引き取ったと考えた。艦娘として生まれ落ちてかれこれ十一年。ついぞ対話の出来る深海棲艦に会ったことも聞いたこともなかった。ましてや土下座なんというものを見せた素っ頓狂なレ級を見て、現実であると思える筈もなかったのである。周囲に他の艦や日本人が見当たらないのは自分だけ別の場所に来てしまったのだろう。なにせあれだけ殺してきたのだ。自分だけ地獄に来てしまっても仕方ないと天龍は自嘲した。
「深海棲艦と仲良くお喋りか。もしかしたら、これが答えだったのかもしれねぇな。」
目の前の呑気なレ級に、天龍は嘗て戦闘反対を訴え廃艦となった仲間を思った。最後まで意志疎通は出来ると、努力を放棄してはならないと頑なに唱えた少女。気が弱いくせに誰かを助けようという気概だけは一丁前だった大馬鹿者。でも、あいつが抱いた夢、そんな阿呆みたいな空想が正しかったのかもしれない。目の前でぷるぷる震えながら、チラチラと見つめてくるレ級を見て、天龍は笑った。
「エッ!?ココハ死後ノ世界ナノ!?」
片やレ級は凡愚であった。初めて対話に成功し舞い上がり、天龍の発言を真に受けるほどだった。なんとここは死後の世界か、ならばこれほど酷な目に会うのも納得だ。きっと生前悪行を重ね、記憶を剥奪されたのだろう、なんて考え始める始末だった。最早何のためにこの島に来たというのか。
「それをオレに聞くのかよ…。」
これには天龍も重ねて苦笑した。まさか深海棲艦と会話を、ましてやこんなふざけた話をすることになるとは。一体どのような因果か、自分が今とんでもない存在と対峙しているかを自覚した。
「エッ、ト。……ゴメンナサイ?」
またしてもレ級は謝った。だがその内心、ちぐはぐではあるが会話が出来ることに浮き足立つほど高揚していた。首をかしげながら犬のように尾を盛大に振る姿は珍妙以外の何者でもない。しかもその尾の余りの勢いに砂地が抉れ始めているではないか。バスンバスンと尾が地面を抉る度に砂が周囲に巻き上がる。
「………変な奴。」
一言、そう呟くと天龍はゆっくりと瞼を閉じた。
今回は少し短めでしたがレ級の転機と、そして彼女本来の性格が少し垣間見えてきました。
初登場の天龍はトラック所属ではありません。この世界では艦娘が結構貴重です。多少ものによりけりなところはありますが基本的に同じ艦娘は国内に数体、いても二桁には届かないとしています。