痛い、痛いよ。腕が千切れちゃったの。肩から先が取れちゃったの。痛いはずなのに、でも痛くないの。痛いのは心なの。みんなにばれちゃった。ヒナが、結局は大人になっても人形だって事、ばれちゃったの。
ねぇジュン、なんでかな。なんで、ただ幸せになりたいだけなのに、なんでこんなに痛いのかな。ヒナは、ジュンと愛し合って、結ばれたいだけなのに、どうしてみんなでヒナを虐めるのかな。
石を投げて、唾を吐いてくるんだよね。金糸雀は知らないだけ。でも、きっと本当の事を知ったら蔑むんだ。愛してると言って離れて死ねと言うんだよね。
そんなことはないよね。できないよね。ジュンは、ヒナが愛してるんだから。ここから逃げないと。今すぐここから逃げないと。
なんでもない、なんでもないのよ。ただいつもと同じ日々が続いていく。
どのみち風は吹くでしょう?だから、私たちも同じなの。風の如く、同じように過ぎ去っていく。
だから、だからね。
その間だけでもいいの。愛して。幸せにして。お願い。お願いします。
全てを捨てたヒナを、私を見捨てないでください。
息を切らし、這い蹲りながら地獄のように長い道のりを行く。
たった数メートルの距離が、永遠とも思えるほどに長い。
ドレスは擦り切れて、可愛らしさなんてのはありはしない。ただの布切れだ。
「ジュン、ジュン」
今にも途絶えてしまいそうな声で雛苺は名を呼び続ける。あまり痛くもないはずなのに、それでも激痛が心を支配している。進もうにも進めない。進んでも、近づかない。でも、側に行きたい。
髪を彩っていたリボンは踏みつけられて取れてしまった。流れるような美しい金髪は、埃と土で汚れてしまっている。
それでも。愛して欲しい。ただそれだけのために。
「ジュン、起きて。ヒナを助けて」
すがるような声色ではない。優しく言い聞かせるような、幼い声で。ベッドに横わる想い人に寄り添い、言う。
次第に少年の目が開く。目が合って、にっこりと微笑む雛苺。
「雛苺……?どうして僕はここに……」
混濁する記憶を辿り、思い出す。大人になった雛苺。朧げだが、目の前で戦う真紅と雛苺。
「お、お前!」
起き上がり、一気に警戒するジュンくん。だが、見下ろした雛苺は見るに耐えられない姿だった。
「雛苺、腕が……!」
「ねぇ、ジュン」
そっと、ジュンくんの袖を雛苺が掴む。
「ヒナね、ジュンが大好き。一緒にくんくんを見てる時も、はなまるハンバーグを食べてる時も、怒られてる時も、ジュン登りしてる時も。ずっと、好き」
ドキッとしてしまった。前にも雛苺にキスされたりしたが、あの時と違って今はしおらしい。腕が無くて痛いと言うのもあるのだろうが、それにしてもとても魅力的で、それでいてどこか小さいころの雛苺の面影もあって。
にっこりと笑う雛苺は、続ける。
「人間になりたかったの」
アリスでは無く、人間。その言葉の重みを、ジュンくんはまだ理解できない。
「人形はね、いつか人間と別れるの。だから、人間になって、ジュンと一緒に生きて、死にたかったの」
「そんな、そんなこと言われても」
「ごめんね。ヒナはわがままね。愛してるって言って、こんなことしかしてあげられなくて、気づいてるのにそれを見ないふりして、みんなを傷つけて、真紅にも見捨てられて。本当に、馬鹿なの」
真紅が見捨てた。そんなことがあるのかと、ジュンくんは頭で否定する。だが、それじゃあこの腕は、と。
「ねぇ、ジュン。ヒナはね、全部捨ててきちゃったの。最後に残ったのは、ジュン。あなた。でもね、ジュンはきっと、ヒナを捨てると思う」
「え……」
「ジュンが一番大切なのは真紅。ジュンには未来があるの。もう昔みたいに弱くない。頑張って、進んでいけるの。人形じゃない、人間だから」
少年は言葉を失った。こうまで自分を愛して、考えてくれた人がいなかったから。揺れ動く心。思春期の少年には、いささかこの経験は刺激が強すぎたに違いない。
だから。選んでしまう。最後まで、雛苺は悪女なのかもしれない。でも、本心だった。彼女の心を、少年に打ち明けた。
「僕は、見捨てたくない」
眠りの王子は決意した。進んでいける。止まっていた針を、元に戻せると、彼女は言ってくれた。それが本気かどうかは少年にもわかる。だからこそ、選ぶのだ。
「雛苺、ぼ、僕は、愛とかなんとか、まだわからない」
「うん」
「でも、でもだぞ!こんな、こんな……僕の事を、考えてくれたのはお前が初めてだから、その……」
「ジュン」
言葉を止める。
「強くなったね」
少年は認められた。紛い物ではない、本物に。
「状況が分からん。だが何かあったのは確かだ」
合流した隆博が説明する。
「それじゃあ何か分かんねぇじゃねぇか」
「しょうがねぇだろいなかったんだから。こっちも蔦に追っかけられて大変だったんだぞこの」
確かに隆博の格好はかなりボロボロで、いかに戦闘が激しかったのかを物語っている。
とにかく、のりちゃんと真紅が無事で雛苺が退いたということは礼が来たんだろう。あいつすげぇな、撃退したのか。いなくなってる理由は分からんが。
「近くに微弱な力を感じます……これは、雛苺?」
雪華綺晶が呟く。どうやら雛苺もジュンくんのところに向かったようだ。これは利用できるな。
「力を辿ろう。きっと、HVTもそこだ。隆博、爆薬はあるか?」
「C4が少し。あれ、お前のは?」
「使った。先を急ごう」
細かくは言わないし、使ったのは事実だ。琉希ちゃんと翠星石の表情は曇っているが、隆博もそれを察せないほど馬鹿じゃない。何度か頷いて、ライフルの薬室を半分ほど開き装填を確かめると俺の後ろを歩き出した。
さっきの事を親友に言えるほど、俺はできちゃいない。
いつまたぬいぐるみに襲われるか分からないために慎重に進んでいく。構えている腕が疲れるが、そうは言ってられないのも事実だ。
通路内は異様なほどに静かで、それが逆に不気味に思えるくらい。前衛を俺と雪華綺晶が、そのすぐ後ろを隆博と蒼星石、最後尾に琉希ちゃんと翠星石が連なり歩いている。
何度目か分からない角を曲がると、数メートル先の突き当たりに装飾の施された扉が見えた。雪華綺晶と顔を合わせる。
「恐らく、あの扉の先に」
ようやく辿り着いた。恐らく雛苺との戦闘は避けられないが、退却したということは彼女も無事ではないだろう。隆博曰くもうこちらの存在は露呈しているそうだから、気兼ねなくぶっ放せる。
少しばかり足が速くなる。仕方ないだろう、ターゲットを前に焦るなんてことはよくあるじゃないか。俺たちは素人だし。早く、早く薔薇とボディを手に入れなければ。
「っ、マスター!」
不意に雪華綺晶が叫んだ。同時に影になっていた右横から気配、人形だった。
俺は特段何も思わず、人形を冷静に見据える。人形はこちらに飛びかかり、首を狙ってナイフを振り下ろそうとしていた。
「コンタクトッ!」
隆博が叫ぶのと俺がライフルで人形のナイフをいなすのは同時だった。攻撃が空振った人形をすぐにライフルのストックで弾き飛ばすと、倒れたところに2発。
「出てきたぞ!隠れろ!」
隆博が言いながら横へズレて撃ち始める。いつの間にか扉の前に兵隊の姿をした人形が整列していた。綺麗に並べられた人形達の手には、彼らのサイズに合ったマスケット銃。
「柱に隠れろ!」
俺はそう言って雪華綺晶を抱き上げて横の柱へと隠れる。全員が隠れ、反撃をしようとした瞬間に人形達の銃が一斉に火を噴いた。複数の弾丸が柱を削る……人形サイズといっても殺傷力は十分なようだ。
「マスケットだ!装填に時間がかかるぞ!」
言いながら俺はライフルを左手に持ち替え、上半身の半分を出して人形達を狙う。実際、マスケット銃などの古い銃は装填に時間がかかることで有名だ。
油断していた。撃ったのは前の列にいる奴らだけ。後列の人形が、今まさに俺を殺そうと銃を構えていた。
「うわっ!」
発砲音が響き、ライフルを持つ左腕に痛みが走る。
「マスター!」
雪華綺晶が悲痛に叫ぶ。俺はしかめっ面で柱に隠れると撃たれた部位を確認した。上腕に2発、うち1発は掠っただけだが、もろに当たった方の傷口からは出血していた。
「撃たれたのか!?」
「撃たれた!クソが!」
すぐにポーチから止血帯を取り出して腕に巻く。巻いて、思い切り締め上げる。そこでようやく、もう一箇所被弾していることに気がついた。
左手の薬指の、指輪から先が無い。
「ああ!指!マスター!」
俺の代わりに慌てふためく雪華綺晶。意外にも、俺は冷静で思った以上に痛みを感じていなかった。
「大丈夫だ、指輪はちゃんとある」
そう言って右手で彼女の頭を撫でる。次にライフルを見た。どうやらライフルにも被弾していたらしく、銃身が裂けて機関部が膨らんでいる……銃口から弾丸が入ったのか?貫通しなくてよかった、死んでたかもしれない。
「フラグアウトッ!」
隆博が手榴弾を投げる。数秒後に爆発。ライフルを捨てて予備の拳銃をホルスターから引き抜き、俺はそっと顔を出して確かめる。
「クリアか!?」
「クリア!Forward!」
俺の号令と共に、マスター達とドールズは進んで行く。
「河原 郁葉、あなた指が……」
後ろの琉希ちゃんが気付く。俺はそれに答えず、改めて先頭を進む。
人形の部隊は、先ほどの手榴弾でほぼ壊滅状態にあった。何体かはボロボロであるもののまだくたばってはいないようで、逃げようとしている。俺と隆博はそんな人形達を一人残らず撃ち殺す。
最後の一体を処理し、改めて負傷箇所を隆博が確認する。
「婚約指輪が嵌められなくなったな」
「もうしてるからいいよ。血は止まってるか?」
「ああ。ていうか、うーん。傷がほとんど塞がってるな……お前人間か?」
苦笑いする。そういえば、傷の治りは早かった。今も、もうほとんど痛くない。これは、まぁ、いいことだ。多分。
「マスター……」
俺はしゃがみこんで、申し訳なさそうに佇む雪華綺晶の頭を撫でる。
「大丈夫だ。指サックでもしとけばバレないし、もしかしたらまた生えてくるかもしれないだろ?落ち込むな、雪華綺晶のせいじゃないよ」
そう言って俺は笑うが、やはりまだ彼女の表情は暗い。俺は立ち上がり、隆博に指示をする。
「扉に爆薬を設置しろ、突入するぞ」
言われて頷く隆博。一瞬俺の生々しい左手を見た後、背負っていたリュックから爆薬を取り出す。
「扉は全部吹き飛ばすのか?」
「いや、ドアノブ部分だけでいい」
そんなやりとりをして、隆博は爆薬を千切って薄く伸ばし、雷管を刺す。そしてそれを扉のドアノブに貼り付けた。
「離れろ!」
隆博が注意を促し、俺たちは少し後ろの柱に隠れる。爆薬のリモコンを握るのは隆博。奴と目が合い、俺は左手で握りこぶしを作って自分の頭を軽く叩いた。
刹那、隆博がスイッチを叩いて爆破。思ったよりも小さい爆発が起きて扉のドアノブとその周辺数センチが吹き飛んだ。
「Breach!」
俺がそう言うと、隆博が扉へと駆けつけ蹴破ってすぐに隠れる。俺と琉希ちゃんは拳銃を構え、中へと突入した。
雛苺が動かない。先程まで弱々しくも話していたのに、どういうわけかピクリとも動かなくなってしまった。
ジュンくんは焦りながらも、必死に雛苺を起こそうと手段を尽くすが状況は変わらない。考えられるのはゼンマイ切れか、それともダメージを負いすぎたか。
前にも真紅が動かなくなったことがあった。あの時はゼンマイを巻いてやったところ、また動き出してビンタされたのだが。今は彼女のゼンマイを所持していない。
「クソ、どうすればいいんだよ……!」
せっかく見つけたのに。自分を本当に認めてくれる、誰かを。失いたくない。どうにかならないものか。
「フィールド外から失礼するゾ〜」
「なんだお前!」
突然、どこから現れたのかタキシードを着たデカイウサギが気さくにやって来た。ジュンくんは驚いて尻餅をつくが、すぐに雛苺を守ろうとウサギの前に立ちはだかる。
「お前か!雛苺を傷つけたのは!」
「ファッ!?いきなり犯人に仕立て、仕立て上げて、仕立て上げられて頭に来ますよ!僕は違います(半ギレ)」
どうやら犯人ではないらしいウサギ。だが、喋り方がどうにもウザい。ジュンくんはどうしていいのか戸惑うが、ウサギが先に動いた。
「あのさ、俺、いいもん持ってんだけどさ」
どことなく真面目な雰囲気で言うと、懐から何かを取り出して差し出してくる。ゼンマイだった。
「これは……雛苺の?」
「ん、そうですね。欲しいでしょ?ゼンマイ」
ピンハネしそうな神っぽくウサギが言う。ジュンくんはそのゼンマイに手を伸ばそうとして……
「まま、そう焦んないでよ」
ウサギがひょいっと手を引っ込めた。
「なんなんだよ!くれるんじゃないのか!」
「だから焦るなって言ってんじゃねーかよ(棒読み)あげるよ〜。でもさ、その前に薔薇を外してやってくれよな〜、頼むよ〜」
甲高い声でそう言うウサギ。だがジュンくんには薔薇の意味が分からないらしい。
「薔薇が雛苺の負担になってるってそれ一番言われてるから。だからあく薔薇取れよ。あくしろよ」
急にガラが悪くなるウサギ。ジュンくんは渋々薔薇とやらを雛苺から取ろうとするが、どこにそんなものがあるのかわからない。
「いや、薔薇なんてどこにあるんだよ」
「この辺にぃ、ローゼンの弟子が作った薔薇、あるらしいっすよ」
そう言ってウサギが雛苺の胸を指差す。そこには何もないが……
「うわ!」
急に、雛苺の胸から光った薔薇が浮かび上がって来た。驚くジュンくんを指差して笑うウサギ。
「ウッソだろお前!笑っちゃうぜ!」
「う、うるさいな!びっくりしたんだよ!……これが、薔薇……なのか?」
そう言って薔薇をそっと手のひらで包むジュンくん。すると、雛苺が徐々に縮み始める。数秒すると、あれだけ大きかった雛苺は元のサイズへと戻ってしまった。
「これ、雛苺が大きくなってたのって……」
「そうだよ(肯定ペンギン)今それ巡って割とやばいことになってるから早く捨てた方が良いんだよなぁ……」
「お前はいらないのか?」
「(いら)ないです。そんなの持ってたらあのキチガイマスターに狙われるからね、しょうがないね。あ、そうだ(唐突)あの変態ロリコンマスターが雛苺殺そうとしてるから早く逃げた方がいいゾ」
ゾワっと、身の毛がよだった。雛苺を殺す。きっと、雛苺を傷付けた奴だ。
「そ、そいつは今どこに」
「そ↑こ↓」
ウサギが扉を指差す。すぐ近く、その事実にジュンくんは恐怖した。すぐに薔薇を捨てて雛苺を抱き上げる。それと銃声がしたのは同時だった。
複数の銃声が響いたと思いきや、扉を貫通して銃弾が部屋へと入って来たのだ。
「あー痛い痛い痛い!痛いんだよぉおおおお!!!!!!」
そのうちの1発がウサギの腰に当たり、あまりの痛さに悶絶して一礼するような動きをする。一瞬の出来事に狼狽するが、逃げなくてはいけないと言うことはよくわかった。
「ど、どうすればいいんだよ!」
「ねーもうほんと……」
悶絶するだけで答えないウサギ。今度は爆発音が響く。いよいよ危険が迫って来た。
「まま、そう焦んないでよ。表向きはその薔薇を回収しに来ただけだから。話せばなんとかなるんじゃない?(適当)」
「お前言ってることめちゃくちゃだぞ!」
と、ウサギはケロリと立ち上がる。まるで痛みなどないと言うような素振りだ。
「しょーがねぇなぁ。お前、これやるわ」
そう言ってウサギが取り出したのは何かのリモコン。それをジュンくんに投げ渡す。
「なんだよこれ?」
「爆弾のスイッチ。押すとここら辺全部吹っ飛ぶゾ〜」
「はぁ!?なんでそんな物騒なもん……」
ジュンくんがそれを問い正そうとした時には、もうウサギはいなかった。まるで先ほどの光景は幻覚だったかのように。だが、事実だ。薔薇は足元に転がってるし、スイッチとゼンマイは手元にある。
「クソ、マジかよ!」
その時だった。扉のドアノブが爆発音と共に吹っ飛んだのだ。驚いたのも一瞬、今度は扉が蹴り破られる。
「コンタクトッ!」
そして突入してくる男。服の左手部分には血が滲んでいて、右手には拳銃。河原 郁葉。雪華綺晶のマスターにして礼が一番ヤバいと言っていた男だった。
「コンタクトッ!」
部屋に突入し、真っ先にジュンくんの腕に抱えられた雛苺が目に入った。俺は銃をジュンくんへと向け立ち止まる。遅れて琉希ちゃん、隆博、そしてドールズがやって来る。
「HVTだ!無事みたいだぞ!」
横でライフルを構える隆博が言った。そんなことはどうでもいい。雛苺を確保するのが最優先だ。
だが、その雛苺はまるで赤子のようにジュンくんの腕で眠りについている上に、小さい。一体どうなっている?
「か、河原さん!」
驚いたようにジュンくんが名を呼ぶ。
「雛苺を渡せジュンくん!」
拳銃をずっと向けたままそう命令する。だがジュンくんは前のような弱々しい表情ではなく、何か決意したかのような顔で言った。
「あんたですね、雛苺を傷付けたのは!」
「そうかもしれないが、今は関係ない!今すぐ、こっちに、雛苺を渡せ!」
俺も負けじと脅す。だが、思わぬ横槍が入った。琉希ちゃんだ。
「待ってください!目標は薔薇の回収です、彼の足元に薔薇が!」
「雛苺もだ!ジュンくん、頭を吹き飛ばしちまう前にさっさと渡せ!」
「渡せっつってんだろ!殺すぞ!」
人間たちだけで盛り上がる。ドールズは少しばかりこの慣れない緊迫した状況に困惑していた。
「いいやダメだ!渡さない!雛苺は僕が守る!」
そう言って、ジュンくんは左手に持つスイッチを掲げる。あれは起爆用のスイッチだ、今さっきまで隆博が使っていたのと同じモデルだ。
「これを押せば爆弾が爆発する!死ぬんだぞ!みんな!」
言葉とは裏腹に、ジュンくんは震えていた。おそらく、興奮しているからあんなにも強気でいられるんだろう。
「郁葉、脳幹を撃ち抜けばいけるかもしれない!」
「ダメです!彼を殺すなんていつ決めました!?救助対象ですよ!?」
「殺さなきゃこっちがやられるぞ!」
「そもそも雛苺が目的じゃないでしょう!なんなんですか!」
「うるせえ!てめえから先に殺すぞ!」
「やってみなさいよ!」
隆博と琉希ちゃんが言い争う。次の瞬間には、琉希ちゃんが得意の格闘戦で隆博と取っ組みあっていた。まんまとライフルを奪われ撃たれそうになる隆博。
「マスターッ!」
蒼星石がすかさず琉希ちゃんを斬りにかかる。だが、翠星石も応戦してそれを防いだ。
「やめるです!おめぇらおかしいです!」
「手を出したのはそっちだ!」
「いいや!アホメガネが余計なことをしたせいです!」
言い合う姉妹。一瞬琉希ちゃんの視線がそちらに移る。すかさず隆博は銃線から逸れてバックアップの拳銃を引き抜き、琉希ちゃんに向けた。
「銃を捨てろ!」
「そっちこそ!」
その間、ずっと俺はジュンくんに銃を向けていた。ただ一言、雪華綺晶に命令する。
「雪華綺晶、制圧しろ」
「はい、マスター」
一瞬だった。一瞬にして、雪華綺晶が蔓を展開して隆博と琉希ちゃんを縛り上げる。次いで双子のドールもその餌食になり、争いは武力によって制圧された。
「おい郁葉!どういうつもりだ!」
「は、離しなさい!河原 郁葉!」
「く、マスター!」
「離すです!ええい末妹!」
俺は拳銃をホルスターに戻す。そして、深呼吸するとジュンくんに向き直って尋ねた。
「そうまでして雛苺を守りたい理由はなんだ?君をさらったのもその子だぞ」
まさか落ち着いて質問されると思っていなかったのか、ジュンくんは少し戸惑うも答えた。
「認めてくれたから」
幼い少年は続ける。
「僕を、本当の僕を見てくれたから。認めて、あ、愛してるって、言ってくれたから!初めてだったんだ、こんなこと言ってくれたの……姉ちゃんも、親も、表面は優しいけど、影では僕の存在を疎ましく思ってた」
少年の脳裏に浮かぶのは、電話越しに親に泣きつく姉の姿。自分の時間を犠牲にしてまで弟の面倒を見ていた少女は、実はもう限界だったらしい。
「それは逃げているだけだぞ。都合のいいものに、逃げて、それでいいのか」
我ながらとんでもないブーメランだと思う。だが聞いておかなければならない。
「わかってるさ。でも、やり直すんだ。一から。雛苺と。僕は、そのためならなんだってする」
俺は天井を見上げてため息を吐いた。なんだ、同じじゃないか。この子は、俺たちと同じなんだ。
最初こそはただ巻き込まれただけの存在かと思ったが、ジュンくんはこちら側の人間だ。俺は嬉しくなった。
「その薔薇、こっちに蹴り渡してくれ」
そう言うと、ジュンくんは素直に下に転がる薔薇を蹴る。蹴った薔薇は、俺の足元へ。それを回収すると、ジュンくんに背を向けた。
「帰るぞ」
「はい、マスター」
そう言って、俺と雪華綺晶は部屋を後にしようとする。ふと、隆博の前で止まった。拘束されながらも、隆博と顔を合わせる。
「これでいいよな?」
「いいと思う。なんだ、最初から聞いときゃよかったよ」
はーっと息を吐く隆博。刹那、雪華綺晶の蔓による拘束が解ける。
背伸びする隆博とは対象的に、琉希ちゃんは敵意のない俺たちを訝しむ。
「なんなんです?」
「自分で考えな嬢ちゃん。さっきは悪かったな」
隆博は謝ると、蒼星石を連れて俺の横を歩いた。残された琉希ちゃんも、よくわからないと言った顔の翠星石と共に去る。
そして残されたジュンくんと雛苺。しばらくずっと同じ体勢でいたが、身体の緊張がほぐれるとその場にへたり込む。
「なんだったんだよ……」
少年にはまだ理解できない何かが、通り過ぎていった。
Queenすき