追記 投稿しました。トップに貼ってあります。
「あいにくコーヒーしかなくてね。いくら貴族に見えるお嬢様でも、コーヒーくらいは飲めるだろう?」
猫の少年は棚からカップを取り出すと、悪びれる様子もなく真紅に尋ねた。真紅も好みはともかくせっかく淹れてくれるのだからと、拒否したりはせずに頷く。普段あれだけ紅茶にうるさい真紅がこれだけ素直な理由の一端には、もちろんジュンとのいざこざがある。つまるところ、今の彼女は疲れていて怒る気力もないのだ。
少年がキッチンへとコーヒーを淹れにいく。真紅は改めて自分のいる部屋を見回した。
3LDKの、一人で住むには広すぎるアパート。壁は煌びやかでなければ雑であることもない、いたって平凡な白の壁。フローリングはしっかり清掃しているのか、綺麗である。
今いるリビングには棚が一つ、テーブルが一つ、ベッドが一つ、テレビが一つにパソコンが一つ。そのどれもが、ポツンと置かれていて飾り気がない。モデルルームでももうちょっと生活感があるだろう。この低いテーブルも、フローリングにそのまま置かれていて、自分で使うにも客人をもてなすにも向いていない。
唯一目を引いたのは、ベッドのそばの壁に掛けられたカレンダー。無駄に大きい、何やら業務用にも見えるカレンダーだ。
「あまり人にコーヒーを淹れる経験がなくてね。美味しくなかったら申し訳ない。まぁ、インスタントだけど」
落ち着いた声の少年が戻ってくる。手にはカップが二つ。彼は真紅の対面に座ると、ソーサーすらないカップを彼女の目の前に置く。
「いただくわ」
そう言って、真紅はあまり飲まないコーヒーをすする。甘い、甘すぎる。
「これ、カフェオレではないのかしら?」
「そうかな。ああ、多分そうだ。いやすまない、何分こういうものには疎くてね」
少年も続いて飲む。彼は一口飲んで、特に表情を変えずにカップを置いてから言った。
「甘い。カフェオレだね」
まるでおうむ返しだ。それでも真紅は別に甘いものは嫌いじゃない。質が悪いのが嫌いなだけだ。だが、この話題にはもう触れず、真紅は質問することにした。
「あなたは何者なの?猫に変身できる人間なんて聞いたこともないのだわ」
そう尋ねると、少年はかなり熱いであろうカフェオレを一気に飲み干して言った。
「なんだと思う?」
「こちらが尋ねているの」
「そう怒ることでもないだろう。これはそう、ちょっとしたゲームだ。客人と、家主の、たわいもないゲームだよ」
どうにも掴めない少年に少し苛立ちながらも、真紅は落ち着いて答えた。
「悪魔。第一、猫の姿をした時点でもうそれは悪魔の所業よ」
「君が猫との間に何かしらの問題があることは分かった。まぁ、そうだね。正直な話、自分でも分からない。これで答えになっているかな?」
なっていない。分かったわ、もういい。それだけ言うと真紅は話題を変える。
「あなた、名前は?こちらが名乗ったのだから、そちらにも名乗るくらいの義務はあるでしょう?」
「名前。私の名前は、賢太。君は真紅、だったね」
少しばかり驚いた。この少年は、この声の高さと美貌で本当に男なのだ。
「驚いたかな?確かに、私の見た目は女性によく似ていると思うが、これでもれっきとした男だよ」
少年は口元を緩める。やや切れ長で二重の目元だけはしっかりと真紅を捉えていた。
「気に障ったかしら」
「いや。私も自分の見た目は気に入っている。気にしなくていい」
そう、とだけ答える。しばしの沈黙。先に口を開いたのは少年、賢太。
「さて、答えるのは自由だが。君は人形だね。生きる人形。素晴らしい。だが、その人形がいったいあの場で何をしていたんだい?あそこはいたいけな少女が夜を過ごすにはいささか……危うすぎる」
真紅は目を伏せる。
「……色々、あるのだわ。人形にも」
「……だろうね。マイノリティであることの気持ちはよく分かる」
「あなたも何か、あるの?」
「ああ。色々あるのさ。人間にもね」
決してバカにせず、少年は慰めるような笑みを見せた。どういうわけか、聡明で賢いはずの真紅の心は、彼に気を許してしまう。
「……あなた、私を見て恋路がどうとかって言っていたわね。なぜ……わかったの?」
少しずつ、ゆっくりと真紅が心を開く。
「私も……僕も恋に破れた一人だからさ。それですべてが嫌になり、逃げた。死んだ。でも、生きている。そういう理不尽な存在さ」
「どういうこと?死んだ?」
少年は懐からタバコの箱を取り出すと、中から一本取り出して口にくわえた。くわえて、真紅に目線でもって許可をもらう。家主が吸うのだから、勝手に吸えばいいと、真紅は頷く。少年はタバコに火をつけ、そしてポケットから携帯灰皿を取り出した。
「そのままの意味さ。好きな人に告白して振られて、高いところから落ちて死んだ。でも、どういうわけか目が覚めたら無傷だった。それどころか、別人になっていたんだ。僕が望む顔に。望む性格に。そして……この能力を手に入れた」
少年の、タバコを持つ手が猫のそれに変異する。暗に、それは人間ではないということなのだろうか。
真紅は律儀な方だ。割と真面目な性格だ。だから、答えてもらったのだからと、自分も答える。
「初恋、だったわ」
一つ一つ思い返すように。カフェオレのミルクが渦を巻いているのを虚ろに眺めながら、言う。
「初めて、私は人を好きになった。お父様に抱く愛情とも違う。でも、私は……私は、素直じゃなかった。変なプライドを盾にして、知ったような風で威張ってばっかりだった。それに気づいた時にはもう、手遅れ。私は、あの子の望んでいた物になれなかったのだわ。挙げ句の果てに妹の命まで見捨てようとして……ジャンク。そう、私は哀れなジャンクなのよ」
煙が登る。
「失って初めて気がついた。高貴な真紅も、至高の存在になれる真紅も、いらなかったの。私はただ、愛が欲しかっただけ。愛されて、愛して、ただ日常が過ぎればそれで。でも、愛なんて無償で手に入るものじゃない。馬鹿よ、私は。今頃気がつくなんて」
自嘲するように吐き捨てた。
「ああ。そうだな、馬鹿だよ本当に」
少年は肯定する。真紅も、それについては反発しない。本当に、自分は馬鹿だったのだから。
「だけど、人間らしくていいじゃないか。人間は、馬鹿な生き物なのさ」
だから、少年がそう言って驚いた。肯定していたのは、馬鹿であることではない。真紅という、過ちを犯してしまった人形そのものなのだから。
「誰か、私を愛してくれる人を探して。私は懸命に働いてる。毎日毎日毎日。でも皆私を見下して言うのさ、あいつは気が狂ってて、頭に水が詰まってる。祈るべき神もいなければ常識もない。だから神様、誰か私を愛してくれる人を探して」
英語で、歌うように彼はそう言った。
「……その歌は聞いたことがあるのだわ。Queenだったかしら」
「そうさ。でもね、神は無償で助けてはくれない。神は自ら助く者を助くのさ。報われるかは別としてね」
少年が言った意味が分からなかった。
「今日はもう遅い。ベッドを使いなさい」
「いえ。ローゼンメイデンは鞄の中で寝ることで初めて休息が得られるの」
「そうか。なら、そうするといい。夏と言えども、夜は冷えるからね」
タバコの吸い殻を携帯灰皿へとしまう。不思議な少年は、風呂に入ると言い残して部屋を出た。
好きだった。心の底から。
ーーずっと好きでした。付き合ってください。
仲は良かった。でも、それは僕が望んでいるものではなくて。だから彼も、告白された時は大いに困惑していた。
ーーそれ、突き合うじゃないんですかね。んにゃぴ、ちょっとホモセはよくわかんないです。
きっと、彼なりの気の利いたジョークだったんだろう。彼なら言いそうなことだ。でも、まだ子供だった僕はそれが理解できなくて。拒否された挙句馬鹿にされたと勝手に思い込み。
ーーねえ、あいつホモらしいよ。
きっと彼は言いふらしてなんかいないんだろう。でも、どこかでその様子を見ていた誰かが。クラスや学級、それこそ学校中に広まるのに時間はかからなかった。
ーーキモ、マジ同性愛とか理解できね〜。俺もケツ狙われてっかも。
勝手な事を言われすぎて、居場所を失って。
僕は死んだ。
鏡を拳で思い切り叩きつける。血が滲む拳を中心にヒビが入り、幾重にも歪んだ自分の裸体が目に飛び込んだ。
女性のように細くて締まった腕。無駄の無い上半身。産毛すらない全身。女性で言うショートカットの金髪、フランス人形のように整った顔。男の象徴があることと胸がない事を除けば、可憐で美しい女性に見えることは間違いない。
自分は変わった。ある意味理想の、美しい身体に。でも、過去は消せない。
一瞬影が濃くなり、時間が巻き戻る。鏡は割れず、拳からは血が滲まず、あるのはただシャワーを浴びているだけの自分。
「……、うう」
思わず気持ちが高ぶり、自分を慰める。想い人を想像しながら。自分が好きになってしまったあのお調子者を考えながら。
「郁葉、うぅ」
少年は泣く。泣いて、快感には抗えず、少年は矛盾を抱える。
「あ、もしもし、ローゼンさんですか」
夜も最高潮になった今、あのクソ語録ウサギはまた電話片手に誰かと話していた。先ほど真紅と賢太が出会ったあの廃屋で、しかし珍しく何か焦るそぶりを見せながら。
「やべぇよやべぇよ……この辺にぃ、ヤバイ怪物、来てるらしいっすよ。怪物化した猫の少年。まだ未接触なんですよ〜。なんか変なことする前にツンデレツインテールと会っちゃって。正直僕にも手に負えそうにないんですがそれは……え?お前がなんとかしろ?それ無理だゾ」
使っている語録の割には頭をかきむしったりして焦りを表現するウサギ。彼はその場に体育座りすると、話を進める。
「いや、無理です(豚)だからこんなんじゃ手に負えねぇって言ってんじゃねぇかよ(棒読み)あのさぁ、イワナ、書かなかった?なんか変な化け物が最近徘徊してるって!あれいろんな意味で人を喰う怪物だって、古文書で一番言われてるから」
そう言ってタブレットを取り出してネット辞書の怪しい化け物が載っているページを見る。古文書ってなんだよ(棒読み)
「パパパっと手伝って、終わりっ!って感じで……お金欲しいでしょ?え?いらない?困りましたねぇ〜。え?またあの雪華綺晶のマスターをぶつけろって?あのさぁ……あの化け物が一番欲してるのがそのマスターなんだよなぁ。情けない情報量恥ずかしくないの?あ、ちょっと切らないで(小声)」
呆れた様子の電話の主。
「助けてくれよな〜頼むよ〜。え?ほんとぉ?じゃその方向でオナシャス!流石に本性現したね。ってなれば真紅も愛想尽かすでしょ。んじゃ、その方向で。ハイ、ヨロシクゥ!」
通話を切るウサギ。ため息をこぼす。
「ホモ怖いな〜戸締りすとこ」