私立のお嬢様学校と言えども夕方になれば放課後がやってくる。部活動に所属していればそのまま練習、そうでないならば帰宅するか自習するのが学生のパターンだ。俺は自習なんてしたこと無いけど。
彼女も今日一日の学業を終え、帰宅する。周辺の家よりも広く豪華な家へと辿り着けば門を潜り、野獣邸よりも重厚なドアを開けばガチャコン、という音が鳴る。そうして彼女は帰宅し、高そうなローファーを脱いで整頓した。
「おかえりなさいませ、琉希お嬢様」
出迎えたのは若い家政婦が板に着いた草笛みつ。その姿は、少女の妹の趣味で支給された可愛らしいメイド服だ。素の顔立ちも相まって、非常に可憐な容姿は近所じゃちょっとした名物と化しているらしい。
「みつさん、ただいま。香織は?」
「一足先に戻られて、今はティータイム中です」
「あら、じゃあ私も頂こうかしら」
そう言えば、年上のメイドは笑顔でキッチンへと向かう。その後ろ姿が消えてから、琉希はため息を零して長くなったポニーテールを解いた。
ふぁさっと、浅黄色の髪が腰まで伸びる。元々茶色だった地毛は、あの一件以来少しずつ変化して今では浅黄色にまで変化している。ふと、いるはずのない存在が彼女の横で口を開いた。
「やはり儂の影響じゃな。そのうち嫌でも金髪になるじゃろうて」
イマジナリーフレンド、架空の友達。事情を知らない人から見ればそういう類のものだろう。だが実際は違う。琉希とそのドールにしか見えない1メートル程度の人形は、まさしく亡霊だ。魂と身体を同化した琉希にとっては、もう主途蘭は自分の一部と言っても差し支えない。
「すまんな、クラスメイトや教師からは良い顔をされないだろうに」
曰く、グレたのだと。あるいは失恋した(突然転校した事になったリリィに対して)のだと。人は噂をする。噂は風に流れていくように広まっていく。教師に髪色のことを聞かれる度に、彼女は地毛の色が変化しているのだと事実を述べている。
「いいんです。だって綺麗でしょう?御伽噺のお姫様みたいで。肌の色もだんだんと白くなっていますし」
そう言うと彼女は踊るように回転した。だが元々キレッキレの武道家である彼女が回る姿は何かの演武をしているようにも見える。主途蘭はそんな友の言葉を聞いて少しばかり引いた。なんだか彼女の言動が少しずつ変わってきている気がする。
「まあ喜んでもらえているのであれば良いが」
「ええ。私、リリィさんみたいになりたいから」
クスリと笑う琉希。立ち話も早々に、彼女は居間へと向かう。
居間では相変わらずのゴスロリ衣装の妹と、ドールズが撮り溜めしていたくんくん探偵を鑑賞しながらお茶を楽しんでいた。高級な茶葉を使用しており、嗅ぐ人が嗅げば匂いだけでそれが一級品の紅茶であることがわかる。
琉希は人形劇を楽しむ三人を邪魔しないように無言でソファーに腰掛ける。
「お嬢様、お待たせしました」
草笛みつが出来上がった紅茶を運び、テーブルの上へと置く。陶磁器のカップとソーサー、そして銀のスプーン。机の中央には翠星石が作ったであろうスコーンが山積みでバケットに載っている。
彼女はまず紅茶に手をつけると、茶葉の味を味わう。アールグレイだ。ベルガモットの落ち着いた香りが心と舌を満足させた。
「美味しい、ありがとうみつさん」
淑女らしい落ち着いた声色で感謝を述べると、メイドは一礼して去っていく。琉希はそのままスコーンを口に運んだ。これもうまい。最早お茶会には必要不可欠だ。
「おかえりなさいお姉ちゃん」
「ただいま香織。身体の具合はどう?」
「まぁまぁ普通よ」
くんくん探偵の上映会が終了し、妹と挨拶を交わす。
「おかえりですぅ。どうですか翠星石のスコーンは?」
「美味しいわ。また腕をあげたわね」
にっこりと、年齢に削ぐわない落ち着きと気品を見せる琉希。すると亡霊が言う。
「ちょいと甘すぎる気はするがな」
「じゃあお前は食うなです」
「儂が食したのではない、琉希が食したのじゃ」
飄々と翠星石のスコーンを評価する主途蘭。主途蘭の五感は、今や琉希と同化している。翠星石に至っては、空っぽの器に主途蘭の魂の残りを任せているために魂レベルで同化しているのだが、そこは至高の人形同士、琉希とは異なり翠星石には外見や性格の変化は無い。
「あら、リリィさんがいるのね」
その姿が見えない妹は姉に尋ねる。
「ええ。ずっと一緒ね」
そう返す姉はどこか嬉しそうだが。
「それは……よかったわね」
一瞬見えた姉の狂気を垣間見て、妹はそれ以上の言及を伏せた。
「でも不思議ね。主途蘭と共生したのはいいけれど、それが原因で契約できなくなるなんて」
影の薄い金糸雀が言う。
卓越した暗殺技能、向上して人間離れした身体能力、変化していく容姿。なにもメリットだけではない。その変化は、アリスゲームにおけるデメリットをも齎した。
その一つが、琉希と翠星石の契約解除である。魂の性質が人間とは異なってしまったためか、今の琉希ではローゼンメイデンと契約することはできないのだ。
人間と契約しなければローゼンメイデンは活動できない。そのために新たなミーディアムが必要となる。それが、妹である香織だった。ゴスロリに身を包む少女の薬指には薔薇の指輪。契約の証。琉希はそれを見つめると、また正面に向き直って紅茶を啜った。
お父様であるローゼンがアリスゲームに口出しした事実は、すぐにローゼンメイデンとそのマスター達に広がった。俺は隆博と賢太、礼、そしてジュンくんをバイト先の喫茶店に呼びつけて認識の統一を図る。
それぞれの飲み物を堪能した後、俺は今回の集まりでの話題を出す。
「さてとマスター諸君。主途蘭の脅威は去ったが……人生そう甘くないな、今度はローゼンが出しゃばってきやがった」
ラプラスの魔。タキシードにシルクハットを被ったふざけた本格的♂うさぎがドールズの前にやってきて、今のお父様のお気持ち表明してきたやがったのだ。曰く、お前ら色々爛れてるからどうにかしろ(人任せ)、だそうだ。
「はぁ〜……あほくさ。何がお父様やねん」
うどん屋の看板みたいにどっさりと座る隆博。真面目な蒼星石は何やら思い詰めた表情で俯いている。どうやら愛しのお父様がお怒りであることをよく思っていないらしい。
そんなマジメちゃんに隆博はいつものトチ狂った様子で言う。
「こういうのはな、誰でもそうなるんやって。蒼星石、俺はお前がアリスになったとしても手放す気は無いからな。蒼星石は俺のお嫁さんになんねんな」
そう言って膝に座る彼女を抱き締める。こいつは生粋の淫夢厨だから語録でしか会話できないホモビデオで義務教育を終えたような奴だが、言っていることは本当だろう。蒼星石もそれがわかっていて、隆博の腕に頬を擦り付ける。
「僕は……お父様が大切。でも、隆博くんの方が今じゃ大切だよ。だからいくらお父様が悲しもうとも、僕は僕の道を往く」
王道を往く(幻聴)どうやらホモビで義務教育を終えたのは俺も同じらしい。
「ヒナも同じなの。ジュンが大切。真紅も大切、それを手離したくはないの……お父様には会いたいけれど、もうヒナは嫁いだの」
幼い口調ですらすらと女の子であることを証明する雛苺。
「僕は二人のために戦います。そう、決めたんだ」
「私も同意見だわ。いくらお父様でも、邪魔はさせないのだわ」
「あら、言うようになったじゃない真紅ぅ?でもアリスになるのは私よ。そして礼のおよ、お、お嫁さんになって、その、あれよ。子供、作るのよ」
段々と言葉に覇気がなくなってくる水銀燈。恥ずかしがるなら最初から言うなよ。
雪華綺晶はいつもの微笑を絶やさずに、ぱっちりお目目を開きながら言う。
「そもそも、娘を放ってた戦わせる鬼畜な父親が他にいまして?ふふふ、今更お父様が何を言おうとも、私の意思は揺るぎませんわ。私はマスターと添い遂げるの……本物のアリスになって。人として生きていく。お父様が妨害しようものなら、許しません」
ヤンデレ筆頭のきらきーは本当可愛い天使。俺は彼女の頭に軽くキスした。賢太、嫉妬するなよ醜いぞ。
「これで俺たちドールLOVE勢の意思表示は終わったな。問題は、翠星石と金糸雀だ。ここにあいつらを呼んでないのはそれが原因なんだ」
呼べるはずがない。琉希ちゃんとは敵同士だし、そもそも金糸雀については情報がほとんどない。情報を掴もうにも、金糸雀はどういうわけかこちらの二手三手先を行って回避していくのだ。もしかすれば一番厄介かもしれない。
「もうぶっ殺しちまおうぜ。パパパっと殺して、終わり!って感じで」
神を真似てそう言う隆博。そう上手くいけばいいんだけどな。
「できれば翠星石とは戦いたくないけど……」
「でも、避けては通れないのだわ。そうしなければアリスにはなれない」
それは俺たちも同じだろう真紅?今はこうして作戦会議みたいな真似してるけど、いつかは殺しあうんだ。
不意に、静かだった礼が口を開く。
「兄貴、あんた翠星石のマスターについて何か知ってるだろ」
ぎくり。やっぱりこいつは勘付いてたか。
「雪華綺晶のボディ、そいつは間違いなく主途蘭の物だし、ローザミスティカの純度も高い。おい兄貴言えよ、お前翠星石と殺り合ったな?」
礼の言葉に一同驚愕、涙が止まらない。
冗談はさておき、これはいずれバレる事だった。俺はため息混じりに洗いざらい喋ることにする。本当なら今後のために切り札は取っておきたかったが。
「お前の言う通りだ礼、主途蘭を倒した直後に俺は琉希ちゃんと翠星石ペアに襲われたよ」
「それは本当か!?」
隆博が驚愕した先生のように言う。だが蒼星石はどこか諦観したように俯いている……流石に双子の妹を騙せないか。
「翠星石は倒した。琉希ちゃんも殺したと思ったんだが……どういうわけか二人とも生きてる」
「翠星石も?ローザミスティカを奪ったのに?」
真紅が尋ねてくる。
「私は確かに翠のお姉様を倒しましたわ。ローザミスティカも、ここに」
雪華綺晶は自身の胸に手を当ててエメラルドのローザミスティカを取り出す。一瞬水銀燈がそれを奪おうと動きかけたが、俺が一睨みするとやめた……こいつ見境ないな。
「おそらく主途蘭が何かしら手を打ったんだろう。元々ローゼンメイデンじゃないドールだ、魂の在り方も違うみたいだ」
「へぇ。それじゃあなんだ、主途蘭の怨念が二人を助けたって?美しい友情だねぇ。俺なら絶対お前助けねぇわバァカ」
「俺もじゃボケ」
いつものように隆博と罵倒し合う。事実、多分こいつは同じ状況下でも俺を助けないだろうし俺もしない。
「はっ、お前らほんとバカだな。主に兄貴がな」
唐突に礼が呆れたように言い出す。
「あの女復讐しに来るぞ。友達殺されて自分も翠星石もやられてやりかえさねぇわけねぇだろ。兄貴、お前何企んでんだ。それが分からねぇお前じゃねぇだろ」
強く俺を睨む礼。
「あのな、あの時はnのフィールド崩れかけてたしこっちも慌ててたの。それに致命傷与えたんだ、普通なら死んでると思うだろ。弾も切れてたし」
冷静に、あの時の情報を矛盾が発生しないように『都合良く』話す。これで満足するような礼じゃないのは知ってるが、証拠も無い以上もう突っ込んではこないだろう。そんなにバカじゃ無い。
礼はやはり何も言わず、あっそ、とだけ言うとまた黙り込んだ。こいつそろそろマジで口調注意しなきゃならないな。
と、そんな認識の統一という名の腹の探り合い兼作戦会議から一週間が過ぎた。12月に入れば世間はすっかり冬モードへと移行し、テレビではクリスマスソングが流れケーキやチキンの販売促進活動を目にするようになる。
去年まで何がクリスマスやねんと憤怒の炎に包まれていた俺も、今年ばかりは浮かれに浮かれていた。雪華綺晶という最愛の人と過ごせるのだから仕方ないだろう。俺だってクリスマスを堪能したいのだ。
今日は講義がフルで入っていたので、電車で地元に着く頃には日が暮れていた。今日の飯当番は雪華綺晶で、帰ってきたらすぐに夕飯にありつけるとのメールも来ている。イヤホンしながら通い慣れた道を自転車漕いで爆走し、今か今かと待つきらきーの元へと急ぐ。
だからだろうか、俺は必死になり過ぎて全然気がつかなかったのだ。
「うぉ!?」
急に自転車の前タイヤがパンクした。なんか釘でも踏んだかと停車させてタイヤを見てみる。どうやら何か鋭利なものを踏んだようだ……ついていない。
周りには薄暗い森と無人の役場があるくらいで、人はいない。家までの距離は1キロを切っていたから、しょうがないと俺は手で押して歩くことにした。
関東だから雪こそほとんど降らないが、それでも冬の夜風は寒いものだ。帰ったら真っ先に雪華綺晶に抱きついて暖を取ろう。そのままべろちゅーをしましょうアララギ君……そんな台詞あったっけ?
月明かりは雲に遮られ、明かりといえば街灯と自転車のライトのみ。半分ホラーみたいだが、今までの経験からか殺せるのであれば怖くもなんともなかった。
「サムゥイサムゥイ……」
元気なく呟く。もうちょっと厚着してくればよかったかなぁ、なんて考えていると、何か嫌な予感がした。俺は立ち止まって自転車のスタンドをかけ、ジーンズの内側に隠してある拳銃に手を添える。誰かに見られているような、そんな気がした。
周辺をくまなく観察するも、見えるのは街灯と闇。街灯の周辺も特に何もない……気のせいだろうか。
「……誰が殺した駒鳥さん」
カマをかけてみることにした。もし誰かに狙われているのであれば……それも俺が考えている相手であれば、この言葉に反応するはずだ。
そしてそれは正しかった。アリスゲームにより培われた危険察知の本能が、すぐに避けろと告げてきたのだ。俺は自転車を捨ててすぐにその場から前転して飛びのく。今さっきまで俺の頭があった場所に、ナイフが飛んできたのだ。
「おいおい、挨拶も無しにナイフはやり過ぎじゃねぇのか?」
拳銃を抜きつつも軽口を叩いて相手の反応を待つ。
「今のが挨拶ですわ」
背後の暗闇から声が響いた。コツコツと、わざとらしく足音が聞こえてきたと思えば、うっすらと少女のシルエットが見えてくる。やはりというべきか、琉希ちゃんがそこにいた。
闇に溶け込むような黒い迷彩……マルチカムブラックのドレスに身を包み、不自然に長くなったクリーム色の髪はツーサイドアップ。左右の腕には金属製の籠手が見える。腰には剣、右手には拳銃……これから何をするかは明白だった。
「物騒な格好してるな。その割にはちゃっかりドレスか、マルチカムのドレスなんて初めて見たぞ」
「ええ、ええ。相変わらず無駄口が多いのね貴方は」
彼女が拳銃をゆっくりと構える。俺もそれに合わせて拳銃を構えた。距離はおよそ10メートルで、拳銃と言えどもこの距離なら外さないだろう。お互い様だが。
「そりゃ失礼、喋らなきゃ死んじゃう病気なんだ」
「なら、死ねばもうその声を聞かなくて済むのですね」
前とは違い余裕のある声が聞こえたと思いきや、真上から気配がした。同時に俺は全力で道路から外れて茂みの中に突っ込む。振り返ってみれば、翠星石が俺の頭を如雨露でかち割ろうとしていたのだ。
「逃げるなですぅ!」
性悪人形を無視して森の中を突き進む。見える限りで追ってきているのは翠星石だけのようだが、こりゃ琉希ちゃんもこっそり追ってきてるに違いない。
とにかく俺は走る。走って、翠星石の姿が見えなくなってから茂みに隠れた。
「琉希、逃げられたですぅ!」
翠星石があの子を呼ぶ。指輪で会話しているのだろう。俺は真横の木に腕を委託して慎重に翠星石を狙う。30メートルはあるが、これだけブレなければ当たるかもしれない。
ゆっくりと引き金に力を込めていくと……
バイオリンの音が森に響き渡った。俺は指を止めて咄嗟に周辺を確認するが。
「ぐっ!?」
バイオリンの音色がいつのまにかけたたましい騒音に変わる。まるで音が敵意を持っているように、俺の身体を震わせたのだ。どうやら三半規管に働きかけているようで、ぐるぐると目が回っていく。すぐに俺はバイオリンの音色がする方向へと数発射撃した。
「ぎゃー!危ないかしら!」
バイオリンの音色が止まったと思いきや、数メートル先の木の上から黄色いドレスに身を包んだドールが出てきた。あれが金糸雀か。やはり琉希ちゃんと結託してやがった。
そのまま白餅をついた彼女を狙おうとしたが、不意に近くに気配を感じて急いで移動した。どうやら位置がバレたようだ。必死に森を駆け抜けるが、気配は遠まるどころか近づいてくる。異常に早いのだ。
意を決して振り返り、銃を構える。もちろん木に隠れながら。
「マジかよっ!?」
目の前に琉希ちゃんがいた。全力で、低姿勢で、手には拳銃とカランビット。人間業とは思えない速さだった。
彼女は即座にナイフを振るう。速すぎて避けるという考えが出来ずに俺は腕でガードしたが、やはりというべきか鋭い痛みが左手を襲った。彼女の刃が俺の左前腕を切り裂いたのだ。
リアクションもせずに俺は彼女の腹をを蹴りつけるも、手で受け流される。それでも拳銃を構えもせずに撃ち込んだ。
この子はブースターでもついてるのか?そう言わずにいられないほどのスピードで横にスライドした琉希ちゃんは、至近距離の弾丸を全て回避してみせた。
「こんの!」
スタコラサッサと後退しながら片手で彼女に撃ち込む。だがまるで弾丸の軌道が分かっているのかそれらを必要最低限の動きでかわしていく。こりゃちょっと本気にならないとヤバイなぁ。
そんなことを考えていると、琉希ちゃんではない何かの気配を感じた。俺は転がるようにその場から移動すると、やはり翠星石が如雨露の水で攻撃してきていた。
「ええいちょこまかと!」
無言の琉希ちゃんと違っていちいちリアクションを見せる翠星石は絶妙なコンビネーションで俺を攻撃してくる。今の間にも、琉希ちゃんはこちらに銃を向けていた。
身体の奥底が熱くなる。アドレナリンがドバドバ湧き出る。身体が温まってきたからか、ようやく俺も調子が出てきた。まるで時間が遅くなったような錯覚に陥ると、琉希ちゃんから放たれる銃弾を回避した。
そして今度は俺から彼女に向かって突っ込む。Center Axis Relockの構えで彼女と対峙する。もう腕の傷は塞がっていたから痛みもほとんどない。
「来なさい」
自信たっぷりに彼女はそう言うと、俺と対峙する。手始めに俺は狙わずに拳銃を撃つ。3メートルほどの距離だ、狙わなくても当たる。
琉希ちゃんが初弾を回避すると、俺はそれを予測してあえてズれた場所へと撃ち込んだ。琉希ちゃんが回避した先だ。
「!」
少し驚いて彼女は腕の籠手で銃弾を弾く。マジかよ、ホローポイントで貫通力が多少減るとはいえ、車の鉄板くらいなら余裕で穴を開けるんだぞ?いったい何でできてんだあの籠手は。
彼女が怯んだ隙に俺は回し蹴りで彼女の銃を弾く。そのまま振り返りざまに引き金を引いた。
「あれはカナにはキツイかしら〜……」
その激戦の様子を、金糸雀は一歩引いた場所で眺めていた。彼女のバイオリンは個人に対してだけに効果がある訳ではない。その音が向けられた一帯に対して攻撃を行うので、あれだけ二人が近付いては手が出せないのだ。格闘戦で加勢しても、近距離戦が苦手な彼女では邪魔になるだけ。
「翠星石ってあんなに好戦的だったかしら」
いつのまにか翠星石まで彼らの戦いに加わっている。出る言葉も物騒なものばかりだ。
「どうしたんですか?時間を止めれば勝てますよ」
殴り合い撃ち合い斬り合い、その中でも余裕を持って煽ってくる。俺は無視して彼女の剣を避け、時には腕を犠牲にして受け止めて対処していた。
正直痛いしキツイし喋っている余裕なんてない。
「死ねですぅ!」
後ろに回り込んだ翠星石が如雨露で殴りつけてくる。背中にモロに金属の如雨露がぶつかればさすがにヨロけた。これ幸いと、琉希ちゃんが一気に距離を詰めてくる。そして俺に飛びかかった。
俺はその勢いを利用し、彼女を後ろに投げ飛ばす、が。器用にも空中で回転して彼女は着地してみせた。特に驚かないで俺は琉希ちゃんの背中に銃弾を撃ち込む。
「させねぇです!」
翠星石が太い蔦をシールドがわりに召喚して弾を防ぐ。こんなんズルイだろ。
「クソがっ」
悪態混じりに逃走し、リロードする。残りの弾倉が2個で30発、正直乗り切れるとは思えなかった。
追ってくる二人を背に全力疾走するも、それなりに鍛えている俺よりも琉希ちゃんの方が足が速い。あっという間にまた距離が詰められる。
振り向こうとして、彼女が地面を強く蹴った音が真後ろでした。振り返った時にはもう遅い、彼女は今度こそ俺に飛びかかってマウントをとってみせたのだ。
「ぐぅっ!?」
仰向けに倒れこみ、マウントを取る琉希ちゃんが右手で俺の首を押さえ左腕を振り上げる。腕の籠手からは主途蘭の短剣……アサシンブレードが。
それを振りかぶる。反射的に俺の右腕が動いた。彼女のブレードを防いだのだ。おかげで串刺しにされて銃を落としたが。
「痛いんだよォ!!!!!!」
ひで並みに叫んで彼女の顔面を左手で殴りつけようとするも、サッとそれをかわして逆に殴られる。意識が飛びかけた、それほどまでに重いパンチ。こいつ、主途蘭と同化したとはいえ身体能力上がりすぎだろ。
「リリィさんのために」
冷酷に呟く彼女が右腕の籠手からもブレードを出す。今度こそヤバかった。脳震盪起こしかけてる俺が避けられるはずもない。
振りかぶってくる右手が遅く感じる。脳内麻薬がドバーッと出て、死ぬまでの感覚までもが遅くなっているようだった。
「おやおやこれは。またしてもゲームにそぐわない展開だ」
声が聞こえた。渋い男の声が。
身体を浮遊感が包む。同時に、琉希ちゃんが驚いたような顔をみせて俺から離れた。どうやら浮いているようだった。
しばらくしてから地面に身体が叩きつけられる。咳き込みながらも立ち上がり、周辺を見てみればそこは森ではない。
nのフィールド。第42951の世界。
ここはどこでもない、雪華綺晶の世界だった。
琉希ちゃんはこちらに追撃はせず、ただ一点を睨んでいる。そちらに目をやれば、タキシードにシルクハットを被ったウサギが飄々と水晶の上に立っていた。
「ラプラスの魔。何の真似ですか?」
琉希ちゃんが問えば、ラプラスの魔はその読めない表情で口を開く。
「あのさぁ……それはこっちの台詞だって一番言われてるから」
まさかの淫夢語録。夢を見ているようだった。現実感がまるでない。
「ねね、脱落してるのにアリスゲーム参加するの楽しい?お前らローザミスティカ奪われてんのにアリスゲームもどきしちゃって恥ずかしくないの?(棒読み)」
SNJとNSOKの語録で煽る。
「確かに我々は雪華綺晶とその男に一度は敗れました……ですが、翠星石は動いて、私も生きている。なら奪い返せばいい。それだけでは?」
「こっちの事情も考えてよ(棒読み)困るんだよなぁ〜、所詮翠星石は先の戦いの敗北者じゃけぇ」
敗北者語録まで使うのか(困惑)
「おい白いの、お前そもそもローゼンメイデンじゃないんだよなぁ……その魂で翠星石が動いてたら、もうローゼンメイデンじゃないんじゃないですかね……?」
「あくまで私達の邪魔をするなら、あなたもここで殺しますよ」
ラプラスの魔はヒェッとわざとらしく言うと、
「メンヘラ百合おばさん怖いな〜とずまりすとこ」
更に煽った。琉希ちゃんは無言でラプラスの魔にナイフを投げつける。見事な投擲が彼の頭に刺さった。
「あー痛い痛い!ねーもうほんと……」
「言ったでしょう、邪魔をするなら殺すと」
傷は治っている。そしてここはnのフィールドで、雪華綺晶の世界。ならばあれが使える。
俺は身体のだるさを感じつつも集中した。
「だから痛いって言ってんじゃねーかよ(棒読み)いいんですよぉ〜?ローゼンに言って翠星石を破門してやっても」
森に置き去りにされたから翠星石はいないが、いたらまたうるさかっただろう。だが、時間は稼げた。あの変態糞うさぎには感謝しなければ。
「なにを……ッ!?」
ようやく琉希ちゃんがこちらの意図に気づく。立ち上がり、いつのまにか傷を癒した俺は彼女が動く前にやってやった。
時が止まる。
驚いたまま動かない琉希ちゃん。対照的に、あのうさぎは普通に動いていた。鼻をほじりながらキョロキョロ見回す。
「はえ〜すっごい……」
世界繋がりで遠野語録を選んだのだろうか。まぁどうでもいい。俺は琉希ちゃんに近寄り、剣をパクって斬りつけようとした……が。
「くッ!」
時間が動き出した。そのせいで彼女は籠手でなんとかガードしてみせる。そのまま彼女は後ろへ下がると、もう攻撃はしてこなかった。
両腕のブレードを収めると、ため息混じりに言う。
「その力、厄介ですね。ですが、条件はわかりましたよ」
「帰って、どうぞ」
ラプラスの魔のせいで俺まで語録を使ってしまった。彼女はくるりと反転すると、そのまま出口に向かって歩きだす。
「今度は殺しますから」
「(毎度の強がりに)笑っちゃうんすよね」
ニコッと笑って言えば、今度こそ彼女は消える。心底疲れた俺はその場に座り込み、剣を離した。
「ぬわぁあぁああああん疲れたもぉおおおおん」
「チカレタ……」
便乗してくるラプラスの魔。しかし参ったな、nのフィールドから出るにはローゼンメイデンの協力が必要だ。
「あのさ、雪華綺晶呼んできて!ハイヨロシクゥ!」
「しょうがねぇなぁ〜」
淫夢厨同士だからかやけに素直なラプラスの魔(初対面)
結局俺が脱出した頃には料理は冷え冷え、雪華綺晶おこおこで夜は股関痛い痛いなのだった。