最近暑くなってきましたね。個人的には寿司は夏のほうが美味しいと思っています。
ではどうぞ~
吉祥寺。
東京の中でも様々な価値観がごっちゃに存在している町だと俺は思う。大学が多数存在し、下北沢や御茶の水に並ぶ東京有数の学生の街。漫画家が多く住む町。演劇の町。ジャズ喫茶やライブハウスの町。そういったサブカルチャーにとんと興味のない俺でも、つい覗いてみたくなるような場所が沢山ある。
今日そんな町に来たのは、商談ではなく物件を見に来たからだ。以前汁無し坦々麺を食べた時に探していた事務所は既に他に売れてしまっている。趣味程度の店を1つくらいならば、と物件を見て回ったこともあるこの吉祥寺で事務所と店舗を兼ねる場所を探していたのだが……。
結論から言うと、また決められなかった。物件といい、飯といい、どうにも俺は優柔不断の気が多分にあるようだ。でもまあ、そんな自分が嫌いじゃないのだが。
輸入雑貨の貿易商を個人でやっている俺だが、自分の店は持っていない。結婚同様、店なんかヘタに持つと守るものが増えそうで人生が重たくなる。男は基本的に身体ひとつでいたい。……何か前にも似た様なことを言った気がするな、これ。
まあ、そんな思いが自分でも知らない間に決断にブレーキをかけているのかもしれない。以前探した時よりも値下がりしていた物件に気を取られ、次々と見て回った。そのままずるずると時間が過ぎ、昼飯を食い損ねて4時間。もう午後2時を過ぎている。
――俺は今、猛烈に腹が減っている。
さて何を食うか。決まり文句のように言ってしまったが、内心では既に文字通り俺の腹は決まっていた。ここまで似たような状況なんだ。食うものも同じといこうじゃないか。
あの時と同じように吉祥寺駅を南口から出る。そのまま三鷹方向へ右折。そのまま吉祥寺特有のごちゃごちゃとした歓楽街をのんびりと進む。確かに腹は減っているが、もう食うものが決まっているせいなのか、いつもなら速くなる足取りも穏やかだった。
雑貨、ファッション、飲食店。様々な店が軒を連ねる。あの時はガキ臭いと思っていたハンバーガーショップも、今では時流に合わせて改装されていた。160席だのなんだの書かれていた二階は、通りに面する部分は前面ガラスになっている。それに沿うようにカウンターがあるようだ。赤と黄色の基本カラーは変わっていないが、それ以外はこげ茶色を基調としたシックで落ち着いた色合い。今のスタンダードはこのタイプだそうで、確かにあちこちの駅前で似たような外観の店を良く見かける。
対してあまり変わっていないのが牛丼屋だ。いつもと変わらぬ佇まいでそこにいる。まあ、値段は少々変わったんだがこれは仕方ないだろう。別のチェーン店だったか、深夜の一人業務体制が話題となっていた。学生には死活問題なのかもしれないが、俺としては従業員に無理をさせてまで値段を抑える必要はないと思う。そんなことをしていては牛丼も美味しく食べられない。
そんなこと考えていると、いつの間にかお目当ての店があった。
天国寿司、吉祥寺店。
――久しぶりの回転寿司だ。
店はどんな風に変わっているのか、いないのか。とりあえずは入ってみてからだ。
席に座ってからおしぼりで手を拭き、お茶を汲み終わるとようやく人心地がつく。ここまでしてようやく準備完了といった感じだ。
――さて、何から食うか。
俺は別に食うネタの順番が決まっているわけじゃない。回らない寿司屋に行ったら基本はセットを頼むかお任せだ。さすがに回転寿司じゃそんなわけにはいかないから……。
――ここはやっぱりマグロからだろう。
迷ったら定番、王道で。何の世界でも共通の心理だ。というわけでいかにもな色のマグロをレーンから取る。備え付けの醤油をまわしかけてから一貫を一口で。うん。定番に美味い。
俺は回転寿司では醤油は上からかける派だ。手で食う寿司屋ならネタを指で押さえておけるが、箸で食うときは皿に入れた醤油をつける時にひっくり返ってネタが落ちてしまう。かといってシャリだけに醤油が染みるのは論外だ。
サーモン、ハマチ、ネギトロ、イカ。イカも最近は種類も増えてきた。定番の紋甲イカ、ヤリイカの姿にぎり、真イカの耳なんてものもある。
――白繋がりでエンガワいっとくか。
回転寿司の中では結構本格的な気分を味わえるエンガワ。実は結構お気に入りだ。淡白な白身とコリコリ感が俺みたいな中年にはたまらない。ついもう一皿食べてしまった。
――とりあえず、満足。
早く昼飯をよこせと今にも暴れだしそうだった腹はひとまずは落ち着いた。無駄なく食べたいものをぱっと食べられる回転寿司って、偉大だ。
さて、〆は何を行くか。前回は全部寿司だったから、今日は何か変化球を入れておきたい。最後にストレートど真ん中で三振を取る。完璧な配球。となると……これだろう。
「すいませーん!茶碗蒸しお願いします!」
回転寿司の茶碗蒸し
130円と侮るなかれ。鶏肉かまぼこ銀杏にもち。大満足の味とボリューム!
「いただきます」
スプーンを一気に下まで差し込んで、根こそぎ掻き揚げるように掬う。うまい具合に銀杏が取れた。
軽く息を吹きかけてから一口で。口の中でとろとろと流れ出す出汁がたまらない。そして感じる銀杏の食感と苦味。茶碗蒸し、大正解。外角低めのスライダーで空振り尻餅間違いなしですよ、これ。
かまぼこが茶碗蒸しに入っているの、初めてかもしれない。まあ、茶碗蒸し自体をそんなに食べないから、実は当たり前なのかもしれないが。美味いから問題なし。
鶏肉をまるごとスプーンの上に載せて、茶碗を傾けてから出汁と一緒にかっ込む。肉汁、最高。
一度持ち上げた茶碗は、空になるまで下ろさなかった。
ここまで一気に食べ進めたせいでちょっと疲れた。お茶で一息ついて、ガリをつまんでいると……空席をひとつ挟んだ隣の客が皿をレーンに戻そうとするのが見えた。
おいおい。何やってるんだ。さすがに止めるべきかと声を上げようとしたところで、その動きがピタッと止まる。そして皿を持った手が引っ込んだ。
「忘れてません。忘れてませんよ」
還暦を過ぎてそうな見た目の男だった。忘れていないとは、皿をレーンに戻してはいけないのを忘れていないということか。その割には、結構危なかったが。
「その割には、かなりぎりぎりのようでしたがねえ。
本当は忘れていたのではないのですか?」
うん。俺もそう思う。
「そんなに責めなくてもいいじゃない。
忘れるというのは、神が人間に与えたもうた大切な能力のひとつですよ。世の中には、忘れたほうが良いことだって沢山あるの」
「それと同じくらい、決して忘れてはならないこともあると思いますよ?
たとえば、食べた後の皿をレーンに戻してはいけいない、など」
……あれ、なんだかこの声と口調、聞いたことがあるような気がする。
「相変わらず細かいねえ、杉下」
杉下。
そうだ。杉下右京だ。
少しだけ身を乗り出して男の向こうを覗き込む。すると、そこにはロンドンで会ったままの杉下さんがいた。同時に相手もこちらに気づいたらしい。
「おや。こんな所で会うとは奇遇ですね。
ロンドンでの商談はどうでしたか?」
完璧な紳士スマイル。この人、やっぱりすごい。
「ええ、おかげさまで」
まあ、あの人、貴方のおかげで逮捕されちゃったけど。
「何?知り合い?」
老齢の男が杉下さんに聞く。話を聴いていると結構親しい感じだったから、元上司とかそんなところだろうか。
「ええ。以前ロンドンでお会いした輸入雑貨商の方です。
……もしかしたら、彼ならばこの写真の品についてもご存知かもしれません。官房長、お見せしてもよろしいですか?」
「杉下が見せたいならいいんじゃない?警察だってことは話してあるんでしょ?」
おい。なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。俺は飯を食いに来ただけなんだが。
その後、殺人事件の現場に残されていたというイタリア製のグラス――の贋作だと俺は判断した――つくりや意匠から、大きな贋作売買組織が摘発されたと聞いたのは、また別の話だ。
如何でしたでしょうか?
今回はドラマ『相棒』から杉下右京と小野田官房長です。
右京さんをロンドンで登場させた時から二人で寿司を食ってるシーンはずっとやりたいと思ってました。笑
感想お待ちしております。