艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
『撤退可能ナ艦船ハ、一時ローリー島泊地ヘ転進セヨ』
軍令部より『全軍一斉転進』という名の後退命令が届いたのはその夜中のことだった。
ブーメラン島沖海戦の完敗は軍令部にとっても衝撃だったようで、連合艦隊の再編成のため、南洋戦域で最大拠点であるローリー島へ艦隊集結を命じたのだった。
ローリー泊地には大型ドックを含む大規模な船舶の整備施設があり、さらに損傷艦の修理支援のため工作艦の明石が進出してくるという話だった。
翌朝、その事を知らされたトビウメ提督は、一人浮かない顔で岸壁に座り込んでいた。ローリー諸島はこのタロタロ島のはる北西に位置する拠点だった。おのずと今の最前線であるシューズ・ベラ島からも遠くなる。提督は損傷のために残してきた長良と初風の事が気がかりだった。シューズ・ベラ島には基地所属のわずかな駆逐艦以外は、まともに航行できない損傷艦ばかりが残されている。ここからシューズ・ベラまでは一日足らずの距離だが、ローリー泊地からは丸三日かかるほど離れている。残されることをあれだけ嫌がった初風の様子が思い出された。取り残されるという事自体が不安だったのだろう。かつて太平洋で、大勢の取り残されたまま最後まで帰ってこられなかった人々のことが記憶にあったのだろうか。
提督はそんなことを想像しながら、半月湾で出港準備のために煙を吐き始めた船々をボンヤリ眺めていると、近づいてくる足音があった。
「てーとく、そろそろ出港準備が終わるってさー。支度しなくていいの?」
振り返ると加古があくびをしながら催促した。
「現像に出した写真ができあがったから取りに行っていたんだ」
「そっか。たしか準備出来しだい後退していいんでしょ? まぁ、あたしはゆっくりのほうがいいいんだけどさー」
トビウメ提督の顔が曇る。普段ならこういう連絡は真っ先に那智がしてくれるのはずだった。
「那智さんは?」
「もう艦じゃない? さっき内火艇を引き上げてたよ」
提督は内心驚いて沖合の湾の奥に停泊している重巡那智を見た。煙突からは煙が上がっている。機関の蒸気圧をあげる為に準備してるのだろう。
――いつもは那智さんの内火艇で乗艦するのにな……
結局、提督は加古の内火艇で重巡那智の舷梯へと送ってもらうことになり、提督が重巡那智の上甲板へと登ると、血相かいた那智が艦橋の窓から顔を出した。
「すまない! 損傷箇所の確認と考えごとに気を取られて貴様のことをすっかり失念していた。許せ!」
うなずきながら提督が羅針艦橋に上がると、再び那智が頭を下げた。
「雑事に追われ、私自身が少したるんでいるようだ。気をつける」
「そんな……。大したことじゃないよ」
詫びる那智にトビウメ提督は笑って返すが、那智はさらに気落ちしたようで、その後も那智はいつになく無口だった。
トビウメ艦隊は夕刻に抜錨。ほかの艦隊と前後してタロタロ島の半月湾を後にした。あちこち壊れたままだが足柄は元気な様子で汽笛を盛大にならしてこっちへ合図を送ると、一足早く外洋へと出て行った。機関と船体の応急修理のみで依然ボロボロのまま、それぞれの艦隊は外洋で散開しつつローリー島へと舳先を向けた。
夜間の出港は敵潜水艦による攻撃が心配されたが、未だ無傷の敵空母3隻の動向が不明であり、今日の昼に初めてタロタロ島にまで敵艦載偵察機の飛来が確認されたため、提督同士の協議で夜のうちにタロタロ島を出て、味方の勢力圏まで逃げ込むことに決まったのだ。これは事実上の撤退。いうなれば敗走であった。
「あの人達には島から逃げる術はあるのかな?」
那智は必要な報告以外では口を開かず、何か考え込んでいる様子だったが、ふと提督がタロタロ島の島民や港の職員達についてそう口にしたときだけは、厳しい眼差しで提督を見据えてこう言った。
「そんなものがあると思うか? そういうことを含めて考えるのが戦争というものだ。そそくさと出航する私たちを見送るあの者達の顔を見たか?」
那智は絞り出すようにそう言ってから、我に返ったように顔をうつむけた。
「悪かった。別に、貴様を責めるつもりはないんだ……。本当に」
そう言ったきり、那智は再びふさぎこんでしまった。
しかし、トビウメ提督にはこの一言が大きく響いた。
――確かに僕は艦隊の仲間のことばかりしか考えてなかったな……
各地の島や陸地の住民。それに港の作業員達は皆、提督とは異なり、この不思議な世界で生を受けた存在だった。ある者は商店主、またある者は農家など、この世界でそれぞれ何らかの役割を担い、使命を自覚して生活しているようだった。トビウメ提督には、この世界の住人達がどのような理由でこの世界に生まれてきたのか想像すらつかなかったが、それでも、一つだけ確信できていることは、艦娘と同じくその住人達の生活も深海棲艦の脅威に脅かされており、その脅威から住人を守ることが艦娘と提督の明らかな使命であるということだった。
――あの人たちは、きっと僕らに見捨てられたと思っているはずだ……
提督は人々のそんな思いを想像し、眼前の那智の無念そうな表情の意味がわかった。
どうやら今夜は、いつものように那智と和気藹々と話をするべき時ではないようだ。
提督はこれまで無意識に避けてきた、自分がなぜこの世界にとばされてきたのかという意味を今一度真剣に考えてみようと思った。
提督は甲板で涼しい夜風に当たるため、そっと静かに艦橋をあとにした。
ローリー島泊地。大小六つの島とその内側のラグーンである宝石湾、そして最大の島であるアズライ島につくられた軍港からなり、複数の大型艦修理ドックと三つの飛行場を備える南洋戦域最大の拠点だった。
トビウメ艦隊は一昼夜かけて無事ローリー諸島へとたどりついた。敵潜水艦の攻撃が心配されたが、タロタロ島以西はなんとか海軍の制空権が確保されていたので、敵潜水艦の活動もあまり活発ではなかったようだ。
那智は航海の間、ほとんど艦橋を離れることはなく、その口は重かった。提督自身も居心地の悪さと気まずさもあって、艦橋と甲板と士官室を行ったり来たりして過ごしていた。
ローリー泊地の宝石湾に入港したのは真夜中の事だった。空爆の脅威も少ないのか、港も街も停泊中の船舶も、にぎやかに明かりを灯している。
タグボートに誘導され荒潮以外の損傷艦は宝石湾の奥へと案内されて錨を下ろした。
内火艇で仲間を拾って桟橋まで向かう途中、加古はもうすでに眠りこけ、荒潮はあくびをしながら疲れたわーとこぼす。不知火だけはじっと操舵輪を握る提督と、無言で考えごとをしている那智の様子を見ていた。
「頼みます。寝床だけでもいいので、どこかないんですか? あの子達みんな疲れているんです」
夜勤の基地職員にトビウメ提督が粘り強く食い下がり、ようやく一同が案内されたのは基地内にある体育館だった。
「みんな艦で寝た方が快適だったかもしれないわねー」
仮宿舎が体育館とわかり、荒潮が不満そうにつぶやくと、すかさず不知火が応酬した。
「荒潮は無傷ですから、不満ならご自分の艦に戻ったらいかがでしょう? 不知火は布団で寝られるだけで満足です」
「あらー、ずいぶんといけずな口きくのねー」
慌てて提督は二人をなだめる。
「まぁまぁ二人とも。司令部のおじさんが布団もってきてくれるから、届いたら並べて敷いて」
体育館は冷房も扇風機もない建物だったが、畳張りの柔道場に布団と蚊帳を持ち込んでなんとか臨時の宿とすることができた。
「ドアを開けておいた方が涼しいと思うよ」
蚊帳を吊るのを手伝いながら提督は言った。
なんとか布団と蚊帳も整った。加古が真っ先に真ん中の布団にダイビングするとゴロゴロと気持ちよさそうに転げ回った。
「ああ~、やっぱりハンモックより布団だよね」
遊んでいる加古をよそに、那智がたずねた。
「貴様はどこで寝るつもりだ? 布団は四組しかないが……」
「いくらなんでもここで寝るわけにはいかないよ。司令部に長椅子かソファーがあったはずだから。そこで休むよ」
「いいのか?」
那智は心配そうに言うが、提督は笑ってうなずいた。
「司令官~、わたし、艦に抱き枕を忘れて来ちゃったわ。代わりに司令官が抱き枕になってくれてもいいわー」
荒潮が歳不相応に色香のある眼差しでトビウメ提督に言う。零コンマ五秒間だけ不知火が殺意みなぎる視線で横の荒潮を睨みつけたが、それに気付いた者はいない。普段そういうことに目端の利く那智はうつむいたまま、一心に布団のシーツを伸ばしているし、加古はすでにいびきをかいていた……。
「おじさんは汗でベトベトだぞ~」
提督は両手を広げ抱きつくポーズをとって、ガラにもなくふざけてみせた。トビウメ提督も長旅と寝不足で疲れていたのだろう。こういうときだけはなぜか変なノリと高揚感で冗談のキレがよくなる。加古が起きていればケラケラ笑ったに違いない。でも、荒潮だけは不満だったようだ。
「司令官のそういうところ、きら~い」
荒潮は膨れ面でそっぽを向いた。一方、なぜか隣の不知火は薄笑いを浮かべてキラキラしていた……。
――さすがですね、それでこそ不知火の司令です
慣れない悪ふざけをやって場を和ませようとしたものの、提督も急に疲労を感じはじめた。それにいつまでも艦娘の寝所にいるわけにもいかないので、提督は自分の寝床をさがしにゆくことにした。
「じゃあおやすみ。ね、那智さん」
改めて那智に声をかけると、ぼんやりしていた那智ははっとしたように顔を上げ、伏し目がちに返す。
「ああ、貴様もゆっくり休むんだぞ」
そう言って、那智は寝る支度に戻る。提督は一人、体育館を後にした。
荒潮ちゃんとしては、提督が本気で襲いかかるか、逆にドギマギ狼狽してくれれば満足だったんだでしょう……。
遅くなってしまいましたがなんとか更新できました。忙しくてサンマはほとんど集めてないです。
それにしても前話はイワシにして良かったです……。ほんと、イワシでよかった……。
きっと訓練中の話でしょうが、爆雷でおいしい魚をたくさん獲ったという故事は、結構あったようですね。
気弱な提督と那智のグズグズしたやりとりはあとちょっと続きます。