艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
翌朝、マツエダ提督はホテルのレストランで高雄と向かい合って簡単な朝食をとっていた。
「提督、今日は○九○○より南側の大講堂で会議ですね。資料はこちらへまとめておきました」
「うん……。ありがとう」
提督はぼんやりとパンにバターを塗りながら答えた。
「提督? 昨夜はあまり眠れなかったのですか?」
「いやそんなことも、ないんだが……」
相変わらずマツエダ提督は眠そうな声でつぶやいた。
高雄は怪訝な顔で提督を見つめる。いつも、キリっとしていて、それでいて笑顔を絶やさない提督が今日に限って生気が抜けたような顔をしているので、高雄は少し心配になった。
「どこかお体の具合が悪いなんてこと、ないですか?」
高雄は手袋をとって提督の額にそっと振れる。
「いやいや、大丈夫。心配いらないよ」
さすがにマツエダ提督も恥ずかしくなり首を引っ込めると、高雄は今更ながらに顔を赤くして笑った。
「ごめんなさい。でも提督、無理はなさらないでくださいね」
食事を終えてホテルを出ると二人は南国の陽光に目を細めた。
「私は、会議まで総監部の資料室にいるから、高雄ちゃんは別命あるまで待機を」
「はい提督。あと、この時期はスコールが多いので、傘を忘れないでください」
高雄はそう言って折り畳み傘を差し出した。提督は礼を言って傘を受け取ると高雄と総監部の庁舎へと歩きだした。
朝一番ということもあり、職員に通された総監部庁舎の別棟に設けられた資料室はまるでサウナのような蒸し暑さだった。職員はすぐに冷房と扇風機のスイッチを入れてくれたが、涼しくなるには時間がかかりそうだった。マツエダ提督は上着を脱ぎ、シャツを腕まくりして書架に向き合った。
ここは南洋戦域随一の知識の宝庫であり、軍事戦略や技術に関することや、提督自身も知らないかつての太平洋戦争の資料、そしてマツエダが過ごした前世の時代からその後の時代の戦争の記録までもが、この不思議な資料室には納められている。そのため、勉強好きの艦娘のなかには、アスロック対潜弾やフェーズド・アレイ・レーダーといった、本当なら存在すら知らないはずの技術について知っている者もいた。
もっともマツエダ提督が今調べたかったのは太平洋戦争時代の記録と資料だった。目当ての資料はすぐに見つけることができた。
数冊の書籍や写真をおさめたファイルを捜し当てたマツエダ提督は机に本を積んで、ファイルを開いた。机の上に数枚のモノクロ写真がこぼれ落ちた。戦艦をスリムにしたような洗練されたシルエットを持つ妙高型重巡の写真である。前世、あの大戦のはじまる直前に撮られたものだった。
「重巡那智、一九二八年、呉造船所にて竣工。一九三二年、第一次上海事変へ警備出動。一九三七年、日華事変最中の上海上陸作戦に参加。一九四二年、太平洋戦争勃発によりジャワ島沖海戦、スラバヤ沖海戦にて英、蘭の東洋艦隊の撃破するも、敵主隊の補足に失敗する。翌一九四二年、第五艦隊旗艦となりアリューシャン戦線にてアッツ島守備隊増援のため、輸送船団護衛任務に従事。作戦中、アッツ島沖にて米艦隊と遭遇しアッツ島海戦となる。戦況優勢なるも、戦術上の不手際と、敵航空部隊への恐れから敵艦隊捕捉、撃滅及びアッツ島増援作戦も失敗となる。一九四四年、レイテ海戦に合流するため、台湾沖からフィリピンのスリガオ海峡へと突入するが、すでに先行した西村艦隊は壊滅し、炎上中の航空巡洋艦最上に衝突。戦果なくマニラへ避退。同年十月、米海軍第三八任務部隊の雷爆隊による波状攻撃を受けマニラ湾にて沈没、か……」
『最後まで用兵者と時運に恵まれず、姉妹艦のなかでも、もっとも不遇をかこった艦』
誰が書いたのか、末尾には手書きで一文添えられていた。
マツエダは昨夜のあの艦娘の悲しげな顔を思い出す。
「用兵と時運、か……」
マツエダ提督は自分の額に汗を拭うのも忘れて、つぶやいた。
○九○○時。大講堂へとマツエダ提督が駆け込んだのは、ちょうど司会者が開会の言葉を述べたときだった。大講堂には白い二種軍装やカーキ色の第三種軍装姿の提督、およそ二十余名が詰めていて屋外以上の熱気がマツエダ提督を襲う。
マツエダは室内の提督達を見回した。老いも若いも、少ないながら女性の提督もいた。みな日本人であるようだったが、前世に生きた時代はあの戦争以後の様々だ。左前方の席には、昨夜居酒屋鳳翔で見かけた物静かな中年の提督の姿もあった。
壇上では作戦参謀であり連合艦隊司令長官代理となったフルカワという男が、なんとも得意げに話し始めている。ブーメラン島沖での作戦失敗の経緯からその敗因についてが要旨だったようだが、不運とか天恵とか、必勝の決意などというキーワードが重ねて聞こえてきたため、マツエダ提督はそれ以上、耳を傾けるのをやめた。次に軍令部の作戦参謀が、話しはじめる。長官代理よりはだいぶ弁が立つようだったが、自己弁護と作戦指導の正当化に終始するので真面目に聞く価値はなさそうだった。
――このなかに、トビウメ提督という者もいるのだろうか?
昨夜出会った重巡那智の司令官が一体どんな人物なのか、マツエダ提督には会議よりもそっちのうほうが気になっていた。
「以上のように、勝利の鍵は砲口の直径と砲門の数である。大口径火力で敵艦隊を圧倒できてこそ我々はブーメラン島の友軍を助け出しえるのだ。しかるに、我が連合艦隊は目下、深刻な火力不足。すなわち戦艦の隻数不足に直面している。現状の兵力では敵艦隊撃滅は困難をきわめるだろう。そこで本土軍令部の許可を得てこの各艦隊の指令諸君に、戦艦の供出を強く要請するもである」
――まるでドレッドノート時代の発想だ……
マツエダ提督自身、先の海戦の経緯についてまだ詳しい検証を行っていたわけではないが、作戦指導に大きな問題があったという噂はどうやら本当らしいと合点した。
「先のトビウメ艦隊の活躍も……」
フルカワ作戦参謀からトビウメという名前が出たのでマツエダ提督は会議へと意識を戻す。
「戦艦があれば、より大きな戦果を上げられたことは疑いない」
フルカワの言葉とともに提督達の視線が一人の若者へと注がれた。会議室の反対側に座っている、やせた若者が居心地悪そうに体を動かした。昨夜会った那智のするどい眼差しやキリっとした雰囲気から、その指揮官にはもっと剛毅なタイプの提督を想像していたが、意外にもそれは内気そうな優男であった。マツエダ提督は眼鏡の奥から冷ややかな目でトビウメ提督を見据えた。
マツエダ提督の目には、トビウメという男はなんとも取るに立らない人物に見えた。同時に、昨夜の那智の物悲しげな顔が思い出され、軽い嫌悪感すら沸き上がってきた。普段はわりと立ち止まってものを考えるマツエダだったが、今日ばかりはなぜか理性より妙な感情が先をいった。その感情が、風采の上がらないこの若い提督への嫉妬だとマツエダ自身が気づくのはだいぶ後になってからのことである。
「よって、南方戦域の諸提督に強く要請する。目下、ブーメラン島の友軍救出と敵包囲艦隊撃滅の為、連合艦隊の再編、強化は急務である。その為、戦艦を保有する艦隊にはぜひ、連合艦隊への派遣を強くお願いしたい」
室内が少し騒がしくなった。
「諸君らの動揺はもっともだ。深海軍の侵攻は外縁部のみならず、南洋全海域で活発化している。それぞれの戦艦が各戦線を維持する要となっていることは十分に理解しているつもりだ。だが、今は緊急事態である。一ミリでも大きく、一門でも多い砲火のみが絶望の淵にいる味方を救い得るのだ」
フルカワ作戦参謀の言葉に、室内は少し静かになりつつあった。納得したように無言でうなずいている提督も何人かいた。
――この男、言ってることは無茶苦茶だけど、どうやら口は達者だな……
マツエダ提督は黙って周囲を観察していた。フルカワの言葉に感心する提督がいる一方、戦艦を持っている提督たちは明らかに戸惑っていた。戦艦がそこの泊地の屋台骨となっている所もあれば、戦艦艦娘と強い信頼関係で結ばれている提督もいることだろう。どちらにせよ、フルカワの発した『要請』という名の戦艦供出令は提督たちに衝撃を与えた。
だが、母港メジロ島に戦艦山城を抱えているマツエダ提督の一切の関心はトビウメ提督の様子に注がれていた。周囲の者とヒソヒソと相談しあう提督連中のなかで、トビウメ提督だけは生気のない顔で一人考え事をするようにうつむいたままだった。
――あの提督と艦娘の間になにがあったのだろうか……
マツエダ提督はそう想像を巡らしている間に会議は幕となった。
提督達が一斉にがやがやと会議室を後にするなか、トビウメ提督は一人ぼんやりと席についたままだった。
そんなトビウメ提督を後目にマツエダ提督が会議室を出て、司令部のロビーにやってくると、例によって艦娘の高雄がマツエダ提督を持っていた。
「お疲れさまでした、提督。会議はいかがでしたか?」
「ああ、たいした議題じゃなかったよ。艦隊再編に関わる本質的な議論は次回だろう。そっちは特に問題ない?」
「駆逐艦の子達は特に問題ありません。ただ、また基地の衣笠さんから連絡があって……。山城さんがまだ艦から出てこないそうなんです」
「あ、衣笠君に連絡するのを忘れていた。そうか、山城君か……」
マツエダ提督は思い出したように山城の名前を口にした。
「提督?」
「あ、いや、いいんだ。わかった、とりあえず昼食としよう」
そう答えてマツエダは高雄を伴って歩きだした。
先ほど会議室で配られた連合艦隊の編成表には、山城の姉である戦艦扶桑の名前があったことをマツエダ提督は思い出した。
姉恋しさに引きこもってばかりいる戦艦。功のあった重巡を軽んじ戦艦ばかりを欲しがっている艦隊司令部と提督。そして、重巡主体の高速艦隊をもっと強化しようと思っている自分。そして昨夜会ったあの艦娘……。
――誰にとっても悪い話じゃないな
マツエダ提督は自分の心が踊るのを感じていた。
「提督、なんだか嬉しそうですね? なにかいいこと、ありましたか?」
高雄が不思議そうな面持ちで尋ねる。提督は眼鏡をかけなおして笑った。
「高雄ちゃん、もしもだが、新しい重巡がうちの艦隊に加わるとしたらどう思う」
「ええと、えーと、それは良いこと何じゃないでしょうか?」
突然の質問に高雄は驚きながらも笑顔で言った。
「そうか。良かった」
マツエダ提督何度か頷くと、足取り軽く港へと歩き出した。
次回は再び、トビウメ艦隊の話に戻ります。次回は来月上旬更新予定です。
霞改二が話題になっていますが、コミケで初出撃した霞本は全く売れませんでした(苦笑)。
ビジネスはシビアですが、自分で書いたものがきちんと冊子に製本されるというのは、なかなかうれしいものですね。