艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
さっき機長から、緊急着陸を試みる旨のアナウウンスがあった時から、これは助からないかもれないと青年は思っていた。汗ばんだ手で、長年愛用してきたカメラを握りしめた。もう少しで着陸すると思われたその時、機体がストンと落ちるような落下感とともに自分の腹の中で内蔵が少し浮いた。きつく目を閉じ、自分の体が生卵のように潰れる感覚を想像しながら、来るべき衝撃を待った。
そんなぞっとする刹那の余韻が消えないうちに、耳には波音が響き、顔面に妙に暖かい風を感じ始めた。恐る恐る目を見開いてみて、青年は呆気にとられた。小さい頃から人間は死ねば天国へ行くかもしれないと聞いてはきたが、ここもある意味では天国かもしれない。
熱い陽光。それを反射して真っ白に輝く砂浜。その向こうには透き通るようなエメラルド色の海。まるでビーチリゾートのポスターのような光景が青年の目を焼いた。
気づけば自分は大きな南洋独特のヤシの木陰に寄りかかっている。酷く蒸し暑い。着た覚えもない真っ白なスラックスに真っ白な上着、おまけに白い手袋……。噴きだした汗ですぐにも肌着やズボンが体に張り付いた。いつ着たのかもわからないが、これでは暑いはずだ……。
――これがいわゆる死装束ってものだろうか?
事情がわからず茫然自失の青年の手が傍らに置かれたあるものに触れた。感触に覚えのあるもの。それもそのはずだった。今さっきの事故の時も握りしめていた古いフィルム式一眼レフカメラだった。
「貴様が指令官か?」
不意に声をかけられ、カメラをてにしたまま驚いて振り返ると。焼け付く太陽の下、スタイルのいい黒髪の若い女がこちらをみつめている。サイドテールにした黒髪は女の足下に届くくらい長く、黒髪の下の顔は非常に端正だったが、その眼差しは鋭かった。
「へ? しれーかん?」
相手の言葉の意味が理解できない様子の青年を、その女は値踏みするように見つめながら言った。
「私は那智。よろしくお願いする」
「僕はトビウメ アツオです。よろしく……」
これが妙高級重巡洋艦、二番艦「那智」との出会いだった。
『提督が泊地に着任しました。これより艦隊の指揮をとります』
『戦艦及ビ巡洋艦ヲ基幹トシタ打撃艦隊ヲ以テ、ブーメラン島、ポート・フリスビーヲ封鎖中ノ敵艦隊ノ包囲網ヲ突破シ、撤退準備中ノ味方輸送船団ヲ救出セヨ』
どこぞ大洋の西の果てにあるという『本土の軍令部』からの電文を受け取ったのは、この南海のヤムヤム島泊地付きの司令官となって半年を経た頃だった。
白い詰め襟の制服に白いアドミラルキャップという、なんとも堅苦しい服装にもやっと慣れ、何度か大がかりな作戦にも参加し、トビウメ提督は艦娘やこの世界のことにもようやく理解が及ぶようになってきた。
深海棲艦とよばれる謎の生体兵器の侵攻を退けるための軍艦。そして、その軍艦の挙動の一切を預かる人型インターフェースともよべる「艦娘」。その艦と艦娘の指揮監督が自分に科せられた使命であることを理解するのに青年は随分と時間を必要とした。
その間、自分の秘書であり補佐役であり、そして配下の艦隊の旗艦でもある艦娘の那智は、ややきつい言動ながらも根気よく自分の立場や役割を教えてくれた。
――訳の分からない世界だが、死後の地獄にしちゃ悪くないか……
軍令部からの緊急電が届いたのは、この半年を思い返しながら司令官公室の窓から港に停泊している重巡洋艦を眺めていた時のだった。
「行くのか?」
漢字とカタカナのタイプされた紙面を前にしばらく顔をしかめていると那智はそう尋ねた。
深海軍の攻勢が激しくなりブーメラン島の守備隊を撤退させるために輸送船団を送り込んだタイミングで周辺海域に無数の深海棲艦が湧出し、複数の戦艦を含む強力な深海艦隊によって島は完全に包囲されてしまったという。輸送船団側には護衛の駆逐艦が三隻随伴しているだけで、深海艦隊の包囲網を突破する事は不可能とのことだった。実際、一番近い島の基地から軽巡と駆逐艦を主体とする高速水雷戦隊が救助に向かったが、待ち伏せしていた敵艦隊の厚い砲火の前に、大損害を出して撤退したとの連絡が四日前に入ったばかりだ。
「行くしかないでしょ。明後日までに近隣の艦隊はタロタロ島の半月湾に集結。連合艦隊を編成して総力を挙げて敵艦隊を叩くことになる」
トビウメ提督は二枚目の電文をつまみながら言った。
「明〇五〇〇までに主力艦隊に出航準備。工廠で念入りに整備をしてもらって」
「承知した」
姿勢を正して黙礼するや、那智はきびすを返して執務室をあとにした。
しばらくすると、工廠の方からクレーンの動く音がして、整備の喧噪が聞こえてきた。不思議なもので、本来ならば多くの作業員の姿が見えてしかるべきなのだが、まるでオートメーション化の進んだ工場のロボットのように、無人のはずのドックでひとりでにクレーンが資材をつり上げ、至る所で溶接機が動き出して火花を散らしている。
思えば提督がこの不可思議な「妖精さん」という現象を理解するまでずいぶんと時間がかかったものだ。それは艦娘を乗せた軍艦そのものにもいえることだった。
本来は数百人、場合によっては一千人を越える乗組員を要するはずの軍艦の操作も全て、艦娘一人が乗船すれば自ずと機械が勝手に動き出し、繰艦も火器の制御も自動で行ってくれるのだった。艦内から見るそれはさしずめ、家具や食器が勝手に動き回るというポルターガイスト現象に似ていて、着任当初は機関がひとりでに回りはじめたり、突然ガチャガチャと動き出す無人の対空砲座などを見る度にびっくりしたものだ。
執務室のドアがコツコツとノックさっれたので、入室を許可すると、きりっとした眼光鋭い小柄な少女が踵を合わせて敬礼した。
「失礼します。司令、出撃命令が出たようですね」
陽炎型駆逐艦の艦娘、不知火だった。
「ぬいぬいか。うん、目的地はポート・フリスビー。一度タロタロ泊地にて連合艦隊を編成してから攻め込む」
「船団救出作戦ですね。かしこまりました。腕が鳴ります」
トビウメ提督は執務机に腰掛け、腕を組んだ。
「おそらく総力戦となるからこちらも相当な支援をする事になると思うけど、この島の近海の警備も必要だ。誰かを留守番させないとな」
不知火は目を細めた。こういう時、この駆逐艦娘はとても恐ろしい表情を見せる。
「司令、まさか不知火を留守番させるおつもりではないでしょうね?」
提督はぶんぶんと手を振った。
「いやいや、今回ももちろん出てもらうよ。艦隊規模から考えてうちは主力艦隊ではなく遊撃部隊に組み込まれるだろうし。留守番は一人か二人だな」
「そうですね。最近、この近海でも敵潜の目撃情報がありますから」
不知火と出発について話していると、開いたままのドアの前を少女が一人通り過ぎた。少女は廊下を小走りにドアまで戻ってくると、執務室前でランニングしながら二人に声をかける。
「司令、明日出撃だって? ブーメラン島まで人助けにでしょ? 私も頑張っちゃうよ。港をもう一周走り込んでくるね」
健康的に日焼けした溌剌としたその艦娘、軽巡洋艦長良はその場で足を休ませずにステップを踏みながら提督に言った。
「長良もぬいぬいも、明日は朝早いから早めに準備をして、今夜はゆっくり休むように」
「はーい!」
長良はそう言うなりジョギングの続きに戻っていった。
「では、不知火もこれにて準備にかかります」
「はい、お疲れさま」
ドアを閉めようとして、不知火は一度こちらを振り返った。目つきには冷ややかな怒気が込められているが、頬はかすかに赤い。
「司令……。以前も申し上げましたが、くれぐれも他人がいるところでぬいぬいとはお呼びにならないでください」
「ご、ごめん……。つい……」
「では、失礼します」
不知火が退出し、椅子に座ってから提督はふと思い出す。
「でも、うちでは那智さんと初風以外、みんなぬいぬいって呼んでないかな?」
と提督は一人つぶやいた。
※異世界が舞台なので登場する地名はすべてオリジナルのものです。