艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
「ザーザー……。ザーザー……」
食堂のテーブルに頬をつけたまま荒潮は外の雨を眺めていた。はす向かいのテーブルでは不知火が黙々と昼食のサンドウィッチをかじっている。
「那智さんが本当にいなくなるなんて、言葉って、怖いわねぇ……。なんだか、罪な感じがしてきたわー」
荒潮がそう口にしても、不知火はなにも言わない。皿の上のサンドウィッチをすべて食べ尽くすと、じっと虚空を見つめている。
「ねー、ぬいぬいはどう思って……」
「不知火は……。不知火はとても……とても残念に思っています。それに、戦艦と比べられてなどという理由で、那智さんが不憫でなりません」
不知火はそうつぶやくと肩を落とした。
どんな小さな艦隊であれ、そこで旗艦になるということは名誉なことであり、秘書官となって提督と良好な信頼関係を築くことは艦娘として幸いなことだった。自分もそうなりたいと願うことは、軍艦の精として当たり前のことなのだが、それでも不知火は罪悪感にとらわれていた。
――旗艦や秘書艦になりたいなんて願った事自体が不知火の落ち度です
バツの悪い思いをしているのは荒潮も同じようだった。
「わたしだって、別に那智さんの更迭を願っていたわけじゃないのよー」
「よしましょう、荒潮。もう決まってしまった事です。那智さんを万事怠りなく送り出し、万全の体制で新しい戦艦を迎えることだけを考えましょう」
――戦艦が来る以上、私たちは旗艦にも秘書艦にもなれないのですから……
不知火は自分に言い聞かせるように言って立ち上がった。
「私たち、これからは戦艦の護衛艦になるのねー」
「戦艦のおもりも駆逐艦の重要な仕事です」
駆逐艦不知火、荒潮ともに、かつて帝国海軍最強といわれた第二水雷戦隊に籍を置いていた経験を持つ艦だった。自分たちの本分は近接水雷戦闘をもって敵を撃滅することという自負を持っている。不知火はそんな雑念を振り払うように言った。
「戦争にロマンは不要です」
不知火は荒潮の機先を制するように言った。
不知火も荒潮も、戦争や作戦立案にロマンティシズムや非合理的な願望を持ち込むとどのような悲劇にみまわれるのか、前世の経験からよくわかっていた。
不知火は突っ伏したまま動かない荒潮を残して、下膳カウンターへ盆を戻しに向かった。
不知火は艦隊にやってくるであろう戦艦山城の事を考えた。前世の艦歴はなんとなくは知っているものの、この世界へ生まれ変わってからの経歴は不知火もあまり知らなかった。艦娘として顔を合わせた経験もほとんどない。
――戦艦山城……。那智さんの代わりとなる良い艦だといいのですが
不知火は旧知の駆逐艦達に、今度やってくる戦艦山城について尋ねてみようと思い食堂を後にした。
ローリー泊地のマラカイ島の保養所へ呼び出された翌日。トビウメ提督が旗艦交代命令を受けいれる旨を、GF司令長官代理へ伝えると、艦隊再編のための事務手続きはたった二日間で片づいてしまった。
同じくして、重巡那智の修理用装備、資材を積んだ貨物船がやっと到着し、艦の修理が急ピッチで進むことになった。
自分がいることで何か役に立つわけではないが、トビウメ提督はその期間中、重巡那智の修理にずっと立ち会い、島の作業員達と自分の目には見えない「妖精」達の不思議な力によって艦や装備が徐々に修繕されていく様を見守った。修理期間中は艦娘の那智もドックにずっと詰めていたが、トビウメ提督と那智は修理に関すること以外ほとんど言葉を交わすことはなかった。
艦隊再編の日は突然前倒しされることになった。相手方のマツエダ艦隊が予定より早く自分達の泊地へ撤退することになり、重巡那智の引き渡しだけが前倒しされることになったのだ。というのも、長らくメジロ泊地に錨泊していた戦艦山城の機関に不調がみつかり、急ぎ修理をしてから前線へ向け出港することになった。この修理対応のため、マツエダ提督は急に母港へ戻ることになったのだ。そのため那智の引き渡しは戦艦山城の到着を待たずに行われることになった。
この日、これまでは半袖の防暑服や作業衣ですごしていたトビウメ提督も海戦以来、久しぶりに正装である白い麻の第二種軍装を身につけることになった。この日の昼までには、マツエダ艦隊へ修理の終わった那智を引き渡すことになっていた。
ホテルの一室でマツエダ提督が詰め襟の制服のカラーを止めていると、ドアをノックするする音が聞こえた。どうぞと返答するとドアが開く。入ってきたのは勝手知ったる秘書艦の那智だった。
「那智さん……」
「準備は済んだか?」
トビウメ提督は驚いたが、那智はニッと笑ってみせた。トビウメ提督が久しく見たいと願っていた笑顔だった。それだけにトビウメ提督は戸惑った。そんな提督にかまわず那智は提督の足下から頭まで眺め回してうなずいた。
「新調した制服か……。やっぱり糊のきいた新しい制服はいいな」
これまでの制服はこの前の海戦でボロボロになり、今着ているのは新しく支給された制服だった。
「那智さんはもう準備できてるの」
「ああ、貴様のほうはどうだ?」
提督は浮かない顔で大丈夫と答えた。
「修理に付いていたてくれたこと、感謝するぞ。もう万全だ」
「いや……。僕は何もしてないから……」
提督はもごもごとつぶやいた。
「そういえば、島においてきた私物とかどうする? 送らせようか?」
「まぁ大したものはないから戦況が落ち着いたら取りに行くさ。貴様こそ艦に忘れ物などしないようにな。ああ、しまった、開けたばかりのだるまを戸棚に忘れてきたな……。ええい、仕方ない。貴様が飲んでいいぞ。執務室の棚の二段目に置いてある」
提督は無言でうなずいた。もっともトビウメ提督が酒を飲まないことは那智も知っている。
「今度来てくれる時の為にとっておくよ」
提督は無理に笑って見せた。那智はわざと眉間に皺を作って見せた。
「まったく覇気のない顔だな……。最後くらいちゃんと送り出してもらわないとわたしが恥ずかしいからな。こっちもその後が気が気じゃないぞ。そうだ、貴様に一つ教えていなかったことがあった。最後に海軍式の別れの挨拶を教えてやろう」
那智は笑いながら言って、姿見の前へ提督を立たせるとその背中を軽く小突く。
「ほらシャンと背筋を伸ばせ。そして右手で制帽のツバを持ち、こうやって高く上げろ」
那智は後ろからトビウメ提督の肩と右腕に手をやり、帽ふれの姿勢をとらせた。
「こうやて右手を上げたらゆっくりと円を描くように回すんだ。下士官や整備兵なんかは勢いよく左右に振って見せたりするが、貴様は一応司令官だから少し落ち着いて振るといいだろう……そう、こうやって……」
提督の手をとって那智は鏡の前で帽ふれの姿勢をとらせる。トビウメ提督は鏡に向かって那智の言うとおり帽子を高く掲げて腕をふる。鏡越しに自分をみつめる那智と視線が交錯した。
「そう、こうやって……」
その姿勢のままお互い無言でしばらく鏡越しに向かい合った。先ほどの笑顔もどこえやら、鏡に映った那智とトビウメ提督の顔は、何かを必死にこらえているようにくしゃくしゃになっている。トビウメ提督が右に顔を向けると、肩ごしに那智もこちらを見つめている。
「仲間の修理も終わった……。いちはやく長良と初風を迎えに行ってやれ。昨日、シューズ・ベラに敵の重爆が飛来したと連絡があった。錨泊中の艦船にも被害が出たという。あまり時間がない……」
トビウメ提督の背中に体をつけたまま、那智は低い声で言った。
「うん、僕達は明日ここを発って工作艦明石を護衛しながらタロタロ島とシューズベラ島へ順次展開することになってる」
那智ははかない笑みを浮かべて提督から体を離した。
「それは結構。半年か……長いようであっという間だったな。貴様とはなかなか楽しくやらせてもらった。改めて礼をいうぞ」
「そんな……。こっちこそ……」
トビウメ提督は歯切れ悪く口を動かした。
「トビウメ司令。ブーメラン島の仲間を必ず救い出せ。必ず……。では、わたしは先に桟橋へ行っている。これにて失礼する」
那智は真剣な表情になってそういうと両の踵を打ち合わせて敬礼するとそのまま回れ右をして退室した。トビウメ提督は制帽を握りしめたまま部屋のドアを見つめていた。
昼過ぎ。空には若干の薄雲がかかっていて、コンクリートの桟橋の照り返しはさほど厳しくはなかった。トビウメ艦隊とマツエダ艦隊の艦娘一同は埠頭の桟橋の前で向かい合って整列した。
「那智さん。こんなことになって、とても残念です……」
不知火は那智の前で顔をうつむけて言った。
「不知火、あいつのこと頼むぞ」
那智はそっと不知火の肩に手を置く。
「はい。那智さんもどうかお元気で……」
不知火は毅然とした表情で強くうなずいた。
「ねえ那智、急すぎてなんて言っていいかわからないよ……」
「初風ちゃんや長良さんもきっと寂しがるわねぇ……」
加古と荒潮も沈んだ表情で那智との別れを惜しんだ。向かいの列にはマツエダ艦隊の秘書艦の高雄と護衛の駆逐艦娘の菊月、春雨の三人が少し戸惑った表情を浮かべて自分達の提督を待っていた。彼女たちにとっても那智の転属は寝耳に水だったのだ。
トビウメ提督とマツエダ提督の二人は司令部庁舎のほうから歩いてきた
。
「さて、転属の書類上の手続きはこれで完了ですね」
「はい……。重巡那智の修理と整備は全て完了し、いつでも出港できます」
沖合に浮かぶ重巡那智を眺めながら笑顔で言うマツエダ提督とは対照的に、トビウメ提督は無表情でうなずいた。
二人の提督は指揮下の艦娘達の前で整列して向かい合った。
「現時刻をもって、重巡那智のヤムヤム島泊地、遊撃打撃艦隊旗艦の任を解き、メジロ島泊地巡航警備艦隊付きを命ず」
那智は峻厳な面もちでトビウメ提督の読み上げる辞令を聞いていた。
「それで結構です、戦艦山城は機関の修理が終わったらすぐにこちらへ向かわせます。何とか次の作戦までには間に合わせますので。そろそろ……」
「ちょと、あんた!」
いよいよ別れの時というところを、突然そんな怒鳴り声が割って入った。
「姉さんを放り出して戦艦に鞍替えってどういうつもりなの!」
厳粛だった場に割って入ってきたのは艦娘の足柄だった。
「あ、足柄さん……うぐっ」
戸惑う一同をものともせず、足柄はトビウメ提督の制服の襟元に掴みかかった。
「あんた、わかってんの? 姉さんがあんたの為に、どれだけ……。なんで姉さんを捨てるような真似……」
足柄はもの凄い剣幕でトビウメ提督に詰め寄ったが、目尻には涙がたまっていた。トビウメ提督は喉元を絞め上げられてもがくだけで、足柄の問いに答えられるだけの言葉もなかった。
「こんな理由で放り出される姉さんの気持ち、ちょっとでも考えてみたの?」
その一瞬後、眼前で起こったことは不知火の脳裏に鮮明に刻みつけられることになる。
「この馬鹿! ちょっと来い!」
那智は一挙動で、トビウメ提督に掴みかかる足柄の両腕を素早く捻り上げると、後ろ手に押さえつけた。
――み、見事な業前です
呆気にとられている一同と、一人感心した表情で見守る不知火の前で、那智は足柄を拘束したまま倉庫の方へと連れてゆく。
「ちょっと姉さん痛い、痛いってば。どうして! ちょっと、離してよ!」
そうわめく足柄の声もだんんだん遠く聞こえなくなり、埠頭に聞こえるのは窒息寸前となったトビウメ提督のゲホゲホとせきこむ音だけとなった。
「あ、あの提督。そろそろ出発の準備もありますし……」
呆然とする一同の中で、一番最初に我に返った高雄が口を開いた。
「ああ、そうだね。こちらも出港の準備がありますので、それではこれにて」
「は、はい……では」
厳粛な別れの儀式を予感していた一同は、足柄の乱入によるドタバタ劇で調子を狂わされ、なんとも締まりのないかたちで解散することになった。
那智から教わった帽ふれの儀式もなく、なんともいい加減な別れ方となってしまったが、湿っぽい別れのやりとりをせずに済み、トビウメ提督には救いでもあった。
「トビウメ提督。那智さんが一日もこちらの艦隊に慣れてくれるよう、私たちもがんばりますからどうか心配なさらないでくださいね」
別れ際に高雄はそうやさしくトビウメ提督へ声をかけ、マツエダ提督に付き従って歩いて行った。
マツエダ提督とその艦娘達が去り、トビウメ提督も自分の艦隊に解散を命じてから岸壁に腰をおろした。新調した制服の詰襟のカラーは足柄に掴まれたせいででしわくちゃになってしまっていた。
ただ一人そばに控えていた不知火が表情のない顔で言った。
「司令、実は不知火も気持ちは足柄さんと同じです。このようなこと、賛成できません」
「ああ、そうだね……」
「それから、今度この艦隊に来ることになった戦艦山城ですが、その性格面、艦の性能面ともにあまり評判が芳しくありません。そもそも、転属してきたばかりの艦にすぐに艦隊の旗艦、秘書官を任せるのには大いに不安が残ります」
「うん、それはわかってるよ」
トビウメ提督はうなずいた。
「だから当面は、秘書官だけはぬいぬいに頼みたいんだ」
トビウメ提督は岸壁に座りながら不知火を見上げた。不知火は一瞬目を丸くした。目深にかぶった制帽下からギロリとした視線が不知火を見つめている。真剣なときトビウメ提督がそういう目つきになることを不知火は知っていた。冗談や悪ふざけではないようだ。
――まぁ司令は普段から、あまり冗談を言うような方ではありませんが……
不知火は一度深呼吸してから努めて冷静に言った。
「そんなに急いで決めてしまってよいのですか? 一応序列や艦種の問題もありますし……」
トビウメ提督はブンブンと首を振る。
「真面目に考えたら、他にいないよぉ……。加古? うーん、無理なんじゃないかな」
提督は困りきったように気弱な声を出す。加古さんのパーソナリティを考えればそうれはそうでしょうねと、内心では不知火もそう合点したのだが、あまり無体に扱いすぎても加古が気の毒だ。
「加古さんはどう思うでしょう?」
提督はため息をついた。
「ちゃんと加古には相談したんだ。そうしたら、なんでも言うこと聞くから秘書艦だけは勘弁してーだって……」
不知火はトビウメ提督から視線を逸らして言った。
「そう、ですか。だったら、仕方、ないですね……」
「負担かけてごめん」
トビウメ提督は立ち上がってズボンのお尻をパンパンと払うと居住まいを正した。
「明一一○○、駆逐艦不知火と荒潮はその他の護衛艦とともに出港し、工作艦明石を護衛しつつタロタロ島そしてシューズ・ベラ島へ進出する。急ぎ出撃の準備を。初風と長良ちゃんを迎えに行こう。現時点では大型艦の加古は別命あるまでこの場で待機。反攻作戦の準備だよ」
「それは良かったです。承知しました、司令。荒潮にも伝えすぐに支度にかかります。しばらくは艦にいますので、なりかありましたら……」
そう言って敬礼すると不知火は急ぎ足で去っていった。
――この不知火が秘書艦、この不知火が秘書艦、この不知火が秘書艦……
不知火の脳裏をそんな言葉が無限ループしたが、不知火は自分の高揚感を必死で押しとどめつつ出撃準備の段取りを考え始めた。
埠頭に一人だけになったトビウメ提督は湾内に浮かぶ重巡那智の艦影を改めて目に焼き付けた。
――三ヶ月……。三ヶ月以内には必ず
トビウメ提督は一人、そう心に念じた。
その午後、連合艦隊司令部はブーメラン島の陸軍部隊救出のための再度の反攻作戦準備令を発令した。
本編の補完、楽屋ネタ、自己満足他……のため短編集を設けてみました。
まずは、那智と不知火と提督のある夜の語らい。「CA戦術 ゼロ・アワー」を掲載してみました。もし関心を持っていただけた方は是非そちらも読んでみていただけたら幸いです。