艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ   作:Piyodori

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切れた生命線

 喉の奥からせり上がってくる酸味。もう抵抗は無駄と観念し、トビウメ提督は思い切り口を開き目をつぶる。ついさっきまではおいしい「昼食」だったはずの物体をあらかた海面へ吐き出したトビウメ提督の背中をさすりながら、艦娘の不知火はため息をついた。

 

「大丈夫ですか? 司令」

 

駆逐艦不知火の後甲板から身を乗り出して胃を空っぽにしたトビウメ提督は苦しそうに起き上がった。

 

「今日は……揺れるね。ああ、頭痛い……」

「もう船酔いは克服されたと聞いていましたが……」

「ごめん……平気だと思ったんだけど」

 

提督はうなだれた。そんな二人の様子を後ろ八百メートルから見ていた駆逐艦荒潮からすぐにもカチカチと信号が届く。

 

『ヌイヌイノ操艦ハ乱暴スギナイカシラー?』

 

もちろん不知火はこんな通信をわざわざ提督へ通訳したりしない。提督に気づかれないよう、たった三文字だけ信号灯で応答した。

 

『シ・ズ・メ』

 

 ローリー泊地を発って十時間。臨時編成された駆逐隊は工作艦明石を伴って、白波たつ大平洋上にあった。

 

「了解、駆逐艦不知火、目標に対処する。送れ」

 

不知火は突然そうつぶやくと、甲板に座り込んだ提督を力強く引き起こした。

 

「方位三五○、距離六百の海面上に潜望鏡らしき影があるようです。不知火が攻撃します。また少し揺れますよ」

 

不知火が早口でそう言うと、提督は青い顔でうなずきよろよろと艦橋へと歩きだす。駆逐艦不知火が二十ノットに増速して面舵にきると艦はみるみる右へ傾斜する。

 

――うわ、気持ち悪い……

 

もう吐き出すものもなくなり、提督はやっとのことで羅針艦橋の後ろに位置する旗甲板へと這いあがった。

ポンッという破裂音とともに、仲間の駆逐艦からドラム缶のような爆雷が射出される。

 

「調定深度三○、てぇ!」

不知火のかけ声とともに、後甲板から乾いた発射音。投射器から打ち上げられた三式爆雷が右舷へ遠く放り出される。爆雷が沈んでしばらくしてから、海面が沸き立つとともに海面から空へ向けて滝が落ちるがごとく海水が吹きあがった。三つの爆発が収まったあとの海面には、爆発による水圧でのびた魚たちがプカプカ浮いていた。

 もっとも今日に限っては、おかずのために魚をすくおうとする艦はいなかった。工作艦明石をつけねらう潜水艦を撃退する。連合艦隊司令部から明石死守を厳命されていて、どの艦も対潜護衛に真剣だった。

 

「ただいまの目標は流木と確認。脅威にあらず」

 双眼鏡を覗いていたトビウメ提督は不知火に伝えると、旗甲板から羅針艦橋へ戻って椅子にぐったりと腰をおろした。

 

「爆雷、もつかな?」

「なんとかもたせます。少し曇っていて視程がやや短いので注意しませんと」

 

提督の問いに不知火はそう答え、艦隊の中央を航行している工作艦明石の方へ顔を向ける。

 

「でも、明石さんが一つ返事で引き受けてくれてよかった」

 

 トビウメ提督の要請を前に、予想通り司令部は判断を渋った。だが艦娘の明石はさも当然とばかりにあっさり承諾してくれたのだ。

 

「もちろん、いいですよ。戦闘以外ならこの明石にお任せください!」

 

あっけらかんとそう言って明石は笑った。

 トビウメ提督の上申など、もとから突っぱねる腹づもりだった司令部も、明石のこの態度を前に、しぶしぶ明石進出を許可したのだった。末端の提督のなかには仲間の艦娘を前線に残してきたままにしている者も多く、明石の派遣は多くの提督と艦娘の願いでもあり、戦艦供出令にいち早く応えて司令部へ恩を売っていた提督からの強い働きかけもあって、司令部はやむなく許可したと言われている。

 

「ああそうだ、この艦にも一応小さな冷凍庫があったよね? これ、入れといてくれる?」

 

 トビウメ提督は海図台の下に置いた鞄から何やらをごそごそと取り出した。

 

「し、司令、それは……パイン缶! よく手に入りましたね」

 

不知火は、提督の取り出した三つの缶詰をまるで金塊の塊でも見るように目を丸めた。

 

「こっちはミカン。ローリー島の商店で偶然見つけたんだ。初風達へのお土産にいいかなと思って。遅くなっちゃったしね……」

 

甘いものはどこへ行ってもありがたがられる。特に、物資の乏しい南洋ではなおのこと。フルーツ缶は艦娘の間ではご馳走だった。

 不知火はトビウメ提督から受け取ったフルーツ缶を抱えてかすかに口元に笑みを浮かべる。

 

「確かに初風も喜ぶでしょうね。おや! 司令、寮艦白露より発光信号。包囲○一五、距離四五○○。海面下ニ艦影見ユ。敵潜水艦ノ模様。見ツケタノハ白露ガイチバーン」

 

不知火が右舷を航行する駆逐艦白露の発光信号を翻訳すると、提督はすぐに双眼鏡を手に窓際へと走り寄る。

 

「確かになんか見える」

「前衛の村雨より発光信号。ハイハイ、探信儀ニ感アリ。対潜戦闘スタンバイ、OKヨ。後方荒潮よりも信号、暴レマクルワヨ」

 

抑揚のない低い声で不知火はとつとつと読み上げる。トビウメ提督は双眼鏡の対物レンズを艦橋の窓に押しつけ、報告にあった物体にピントを合わせる。群青色の海面の一部分にうっすらと黒い影が沈んでいるようだ。サイズはかなり大きそうだった。もしも敵の潜水艦なら一早く攻撃しなければならない。ただ……。

 

――いや、あれは間違いない! ザトウクジラだ!

 

波間にかすかにのぞく光沢のある肌と尾ビレの影が見えた。

 

「前衛艦の村雨、夕立。攻撃にうつります。」

「いや、ちょっと攻撃待って! 駄目だよ! あれはクジラさんだよ!」

 

トビウメ提督はとっさに叫ぶ。

 

「え? クジラですか?」

 

不知火は狼狽した様子で提督を見る。

 

「攻撃やめて! ストーップ! ああ、そんな……」

 

前衛の駆逐艦から発砲炎が上がるのと、トビウメ提督の悲鳴があがるのはほぼ同時だった。

 数分後、トビウメ提督は脱力した表情で艦橋の魚雷戦方位盤にもたれかかった。

 

「大丈夫ですか? 司令」

「ああ、ちょっと焦ったね……」

 

トビウメ提督は弱々しい笑みを浮かべてため息をついた

 

『不知火ちゃんの提督さんのせいで、クジラの大和煮、食べ損ねたっぽい……』

『白露は鯨鍋がいっちばーん……だったのになぁー』

『そうだね……。ちょっと失望したね』

『あらあら、散々な言われ様ねー、でもー、私もー鯨の唐揚げ、食べたかったわー』

 

 僚艦は各々好き勝手に発光信号で愚痴をこぼすが、不知火は敢えてそれを提督には伝えないことにした。

 幸いなことに駆逐艦夕立の放った砲弾は、そのザトウクジラより離れた海面に二本の水柱を作っただけですみ、そこへ割って入った駆逐艦不知火がなんとか砲撃を止めさせたのだ。砲弾の炸裂はクジラくらい簡単に引き裂いてしまうほど強力なのだが、当のザトウクジラは我関せずといった様子で、平然と光沢のある黒い背中を見せて鼻から潮を吹いた。その後、クジラは大きく尾ビレを見せつけて青く深い海へと潜っていった。

 

「司令はクジラがお嫌いですか? その食べ物としての意味です……」

 

不知火は自分も内心では少しガッカリしていることを隠しつつたずねた。

 

「え? うん……。僕にっとては、あれは食べる動物じゃないかな……」

 

そう苦笑いを浮かべてトビウメ提督は双眼鏡を手にして立ち上がった。

 

「明石さんはどうしてるだろう? 大丈夫かな」

 

トビウメ提督と不知火は旗甲板へ出て、左舷後方を走る工作艦へと双眼鏡を向ける。

トビウメ提督が双眼鏡越しに、後甲板でなにやらスパナ片手に作業している明石を見つけた。

 

「あ、いた。なんかやってる」

双眼鏡の向こうの明石は、上機嫌に鼻歌でも歌っていそうな表情でのん気な様子だ。

 

「不安になっていないのは良いのですが、少々警戒心が薄すぎるようですね」

 

提督と並んで双眼鏡をのぞき込んでいた不知火は少しイラっとした様子でつぶやいた。

 まぁいいじゃないかとトビウメ提督が笑ってなだめるが、一瞬後、不知火はものすごいきつい眼差しで北東の空を一瞥、そして自分の艦の後部マストへと視線を走らせた。そこには修理の際に新しくつけなおした十三号対空電探の空中線がある。同じ頃、トビウメ提督と不知火の立っている艦橋後部の旗甲板の真下にある電探室に据えられたオシロスコープのような画面は複数の波形が表示していた。

 

「司令、電探に感あり。方位○三○。距離三十八浬。目標は複数。高度はおよそ二百から三百。敵機の可能性があります」

 

同じく電探で異変を察知したらしい仲間の護衛艦も一斉に発光信号と信号旗を上げて航空機探知を告げる。

 

「ぜ、全艦、対空戦闘よーい!」

 

各艦のブザーが鳴動。トビウメ提督の号令一下、駆逐艦不知火も艦内ブザーを鳴らし、常設、特設を含む艦の全ての機銃座が一斉に予備動作に入る。

 

「密集隊形の輪型陣をとります」

 

トビウメ提督が明石の様子をうかがうと、さすがに不安になってきたようで明石も心配そうに周囲を見回しながら艦橋へと走っていくところだった。

 

「なんとしても逃げきらないと……。防ぎきれるかな……」

 

不知火は厳しい表情でつぶやいた。

 

「今の護衛艦の数では、厳しいでしょうね……」

 

 不知火は電探室から自分の脳裏に届く敵機編隊の反射する電波像を感じて唇をかんだ。

 

――敵機は小型機。数は十機余り……。那智さん、もしも明石を守りきれなくなった場合、せめて司令だけでもなんとかお助けしたいのですが……那智さんならこんな時どうされるのでしょうか?

 

不知火は、明石の身を案じている自分の提督を見ながら思った。

 そうする間にも護衛の各艦は対空用三式弾を各砲塔へ揚弾。起爆信管調整後、装薬とともに一斉に薬室へと装填する。

 トビウメ提督と不知火は艦橋の天井によじ登り、東の空を見上げた。薄曇りの空に黒い点がいくつか浮かび上がってきた。最初に見えたのは雲の直下に数機、しばらくして低空域にも航空機の影が見えはじめた。すでに虫のような巡航形態ではなく、その影は攻撃準備を整えた航空機の形をしていた。

 

「一番砲塔追尾開始。各艦射程に入り次第、撃ちー方はじめ」

「了解……」

 

トビウメ提督は双眼鏡をのぞいたまま不知火に命じた。不知火の応答とともに、艦橋のすぐ前にある一番主砲がゆっくりと敵機めがけて旋回をはじめる。ババババッとものすごい破裂音とともに、各部の機銃が順番に作動確認のため数連射発砲し、曳光弾のすじが短く空へ吸い込まれた。

 

――二十機近く……。防ぎきれるのか?

 

トビウメ提督は再び明石の方を振り返った。駆逐艦不知火は最高三十五ノットまで出すことができるが、護衛すべき工作艦明石の最高速力は十九ノットなので、それに合わせて艦を走らせるほかなかった。当然速度が落ちれば的になりやすくなる。

 提督は、明石から自分のかたわらで厳しい表情で空を見据える少女へと視線を戻した。ふとこちらを見た不知火と視線が合った。

 

「司令、ご心配なく。司令と明石はこの不知火が必ず守り抜きます。だから司令は不知火のそばを決して離れないようにしてください」

「う、うん、もちろん大丈夫だよ」

 

顔を見れば全然大丈夫じゃないことがはっきりわかる。嘘はつけないタイプだ。不知火の口元には少しだけ笑みが浮かんだ。

 敵機の群れはまっすぐ向かってこないで、はるか遠方で左右に広がってこちらを遠巻きに囲みはじめた。

 通信機がツーツーと電信を受電したのはそんな時だった。

 

『我、シューズ・ベラ基地航空隊。タロタロ泊地マデ貴艦隊を先導、直掩ス』

 

双眼鏡を覗いていたトビウメ提督が、敵機と思っていた機体の翼や胴体に大きな赤丸を認めたのも同時だった。

 

「あの飛行機、日の丸がある。仲間だよ! 全艦撃ち方やめ!」

「司令、通信受電しました。シューズ・ベラ島から飛んできた護衛機です」

 

不知火は少し安堵したような声で言った。

 戦闘態勢を解いて合図を送ると、比較的低空にいた編隊がそばへとやってきた。それは上半分は濃い緑色、下半分はグレーに塗装された九七式艦上攻撃機だった。

 

「胴体に白帯が一本、第五航空戦隊の翔鶴航空隊所属機ですね。艦載機を臨時編成して基地航空隊にしたようです」

 

と不知火が言った。

 シューズ・ベラ島から飛んできたと聞き、トビウメ提督は思わず空の飛行機へ手を振った。もっとも航空機のコクピットに誰も座っていないことはトビウメ提督も知っていた。シューズ・ベラ島にいる艦娘の思念によって操られ、ここまで出迎えに来てくれたのだ。その同じ島に初風や長良がいると思うとトビウメ提督は自然と手を振らざるをえなかった。すると、一番近くを飛んでいた艦攻が大きくバンクしてそれに応えた。

 

――一航戦の機体は手を振っても見向きもしないと聞いていましたが、五航戦はそうでもないようですね

 

機体の腹には黒い250キロ対潜爆弾が二発取り付けられていた。少し高い高度にはグレー一色に塗装された戦闘機の編隊もいる。

 

「見てぬいぬい、あれゼロ戦だよ」

トビウメ提督が嬉しそうに言うので、不知火はうなずいた。

 

「ええ、そのようです。気を抜きすぎてはいけませんが、潜水艦も敵機もそうやすやすとは近づけないでしょう」

 

不知火は上空の直掩機を見上げながらそううなずいた。

 シューズ・ベラ島からやってきた艦載機は、艦隊がタロタロ島の半月湾へ入港するまで、入れ替わり立ち替わり、つきっきりで護衛してくれたのだった。

 

 

 

 タロタロ島の軍港がある半月湾にトビウメ提督達が到着したのは夜になってからだった。設備も整っている島なので、残されていた艦の修理も少しずつ進んでいた。湾には着底している艦がまだ多く放置されていたが、先日ここを発った時より混乱は緩和されていて、座礁した船はクレーンで引き起こされ修理を待っていた。

 工作艦明石は湾の中央に錨をおろすや、すぐにも損傷している艦を両舷に横付けさせて修理をはじめた。

 燃料補給の算段をつけるために基地の司令部へ行っていたトビウメ提督はそこで、意識不明だった金剛が三日前から意識を取り戻し、順調に回復しつつあるという話を聞いた。艦の修理がほぼ完了して、戦艦扶桑と並んでバースに係留されている。

 少し足取り軽く不知火と荒潮の待つ桟橋へ戻ってきたのはもう夜も更けたころだった。

 

「艦娘と基地の人達が、明石を連れてきてくれたからって、ささやかな歓迎会を開いてくれるって。僕たちは明朝出発だから長くは楽しめないけど、ちょっと行って何か食べて来たら?」

「あらー素敵、せっかくだから行きましょーよ?」

 

荒潮が嬉しそうに声をあげて不知火を誘う。

 

「うん、そうしておいで。明石さんもちょっとだけ顔出すってさ。白露型の子達はもう来てたよ」

「司令はいかがされるのですか?」

「僕は行かないよ。そういうの苦手だし……。それにシューズ・ベラ島に運ぶ貨物の積み込みがあるから、それを見届けたら少し寝ようかな」

 

 工作艦明石はしばらく、タロタロ島にとどまっていた艦の修理を終えてからシューズ・ベラ島へ進出することになっていたので、トビウメ艦隊は一足先にシューズ・ベラ島へ行く許可をもらっていた。先の海戦で敗れて以来、輸送船の往来も危険と判断され、シューズ・ベラ島との定期連絡船も運休している状態だったので、いち早く誰かが物資をもって救援する必要があったのだ。トビウメ提督はすぐにその任務を希望したのだった。

 

「そうですか、では不知火もご一緒します」

 

 不知火はそう言って、埠頭の岸壁から動こうとしなかった。

「あらー、二人ともノリ悪いのねー」

「気にせず行ってきてください」

「そう、食べるのも戦のうちだよ」

 

不知火と提督がそう言うので、荒潮はなんかモヤモヤするわーと言いつつ基地司令部の方へと歩いていった。

 提督と不知火が内火艇で艦に戻ると、港の倉庫の方から積み荷をのせたバージ(はしけ)を曳いてタグボートがやってきた。灯火管制下、限られた照明のもとで作業をしなければならないので、不知火と提督が心配そうに見守る中、バージに装備されたデリックがシューズ・ベラ島へ届ける貨物をモッコごとで吊り上げ、駆逐艦不知火の後甲板へとおろしはじめた。

 不知火が甲板へ飛び降りて、港の作業員達へ荷物の置き場を細かく指示する。しばらくすると砲や機銃の邪魔にならないスペースは袋や網でまとめられた物資で一杯になった。

 駆逐艦不知火への荷役が終わると、タグボートとバージは隣に錨泊している駆逐艦荒潮に横付けした。艦の主がいないので、トビウメ提督が荷役に立ち会うことにした。作業員達の手際はとても良かったが、バージ二つ半を二隻の駆逐艦の駆逐艦に積み込んだときにはもう夜も遅くなっていた。

 自分の艦で休んでいればよいのに、艦娘の不知火は荒潮への荷役が完了するまで、ずっと提督のとなりで荷物の配置や固定を監督していた。

 タグボートとバージが去り、駆逐艦不知火艦上は再び提督と不知火二人だけになった。

 

「ああー、疲れた! なんか食べて寝よう」

 

トビウメ提督はくたびれた様子で艦橋前の甲板にデッキチェアを引っ張りだした。

 不知火は調理室で急ぎうどんを茹でて、どんぶりを両手に甲板に戻ってきた。乾燥麺を茹でた掛けうどんに、薬味にフリーズドライのネギを出汁でふやかしただけの簡単な夕食だ。

 

「やけにうまいね」

 

トビウメ提督がしみじみと言った。

 

「空腹がそう感じさせているだけでしょう。ほんとうならもっとマシなものを作るのですが、あいにく時間がありません」

 

不知火は通風筒の上に座ってどんぶりの麺を手繰る。

 

「いやいや、今はこれで十分」

 

そう行ってがっついて麺をすするトビウメ提督を前に不知火はかすかに微笑んだ。

 

「あー、お腹も膨れたし、僕はここで休むよ。陸地に戻るのも面倒だし、停泊中の艦内は暑いでしょ? 風があるから少しは眠れるかな」

 

 トビウメ提督は食べ終えたどんぶりを置くとデッキチェアの上に寝そべって両手足を大きく伸ばした。

 

「どうせなら艦長室に寝台がありますので、そちらで休まれたら? 窓を開ければそれなりに涼しいですよ」

「いいよ、いいよ、気にしないで。ほら、天の川があんなにくっきりと。この世界にも天の川があるんだね」

 

不知火が空を仰ぐと夕方まで曇っていたはずの空は満天の星空だった。

 

「そうですね。この世界も前の世界と同じくらい自然は美しいと思います」

 

不知火はそうつぶやいてデッキチェアへ目を向けると、トビウメ提督はもう目を閉じて寝息を立てていた。

 

「こんなところで寝てしまって、マラリアにかかっても知りませんよ……。それに荒潮が見たら何と言うでしょう……」

 

不知火は困ったように言うと、どんぶりを片づけてから毛布もってきて提督にかけ、艦橋と第一砲塔の間に手早く天幕を張った。このあたりは夜だけは涼しい。それに南洋の天気は変わりやすく、いつスコールに見舞われるかわからない。

 

――さて、不知火も少し休息しましょう

 

普段なら士官室か艦長室で休むのだが、少し悩んでから不知火は艦内からデッキチェアをもう一つ引っ張りだしてトビウメ提督の隣へと広げる。そして毛布をかぶって自分もそこに横になった。

 

「おやすみなさい、司令」

 

そう声をかけ目を閉じると不知火は、あっという間に眠りに落ちた。

 荒潮が自分の内火艇で艦へ戻ってきたのはそれから二十分後のことだった。

 

「すっかり遅くなってしまったわー。司令官達はどうしたかしらー」

 

 自分の艦への荷役が終わっている様子を見て荒潮は駆逐艦不知火の舷梯へと内火艇を寄せた。

 

――せめてお礼くらい言わないといけないわねぇ

 

艦はすっかり静まり返っている。

 

「あらあら、なんか大変なことになってるわぁ……」

 

甲板に仲良くデッキチェアを並べて寝ている二人を見つけて荒潮は思わずそう口にしたが、二人とも起きる様子はない。

 

――このまま自分の艦に戻るのも、ちょっと嫌よねー

 

荒潮は艦内を物色して毛布とハンモックを見つけてくると、二人に並ぶようにそれを吊し、横になった。荒潮も一度、色っぽくあくびをすると間もなく寝付いてしまった。

 波の音とジャングルの虫の音が遠く響いている。南洋の夜は静かに更けてゆく。

 そして、翌朝目を覚ました不知火と荒潮の間で一悶着あったのはまた別の話である。

 

 

 

 一方、タロタロ島の北東にあるシューズ・ベラ島では眠れぬ夜を過ごしている艦娘がいた。トビウメ艦隊の駆逐艦娘初風だ。

 体が回復してからというもの、艦娘たちと島民有志はジャングルを開墾して畑をつくる作業に追われていた。連合艦隊がこの海域から撤退し、タロタロ島からの連絡船も途絶えてから島民達の対応は早かった。長期戦に備えて食料自給の準備がはじまったのだ。

 

「なによ、いくら船が来ないからって、ちょっと慌てすぎじゃない。連絡船が来なくなってまだ一週間よ……」

 

 麦わら帽子に作業着という姿で土を掘り返していた初風は小さく愚痴をこぼす。なるべく肌の露出を減らして、強い日差しと蚊の襲来を防ぐのだ。

 

「ねーちゃん、腹減りすぎて互いガリガリかじり合うようになっちまう前にイモつくっとかねーと、手遅れだかんな。ささ、手ぇ動かす、動かす」

 

となりで木の根を引っこぬいていたおじさんが言った。初風はため息をついて作業にもどる。

 

「フフフ、言い込められてしまったわね……」

 

麦わら帽子にサングラス、さらに顔には手ぬぐいが巻かれ一見誰だか判らない姿で土を耕している早霜が静かに笑う。初風はほっといてよと言って作業にもどると、突然、島中の拡声器からサイレンの音が鳴り出した。

 

「いっけね、空襲警報だ! 皆ジャングルに隠れろ! 早く!」

 

島民も艦娘も一斉に走り出して、林冠に覆われた茂みのなかへと身を潜める。飛行場のほうからはエンジンを唸り声があがり、ゼロ戦数機が空へあがっていくのだけが見えた。じっとジャングルの中で身構えていると、港の方から高射砲の砲声が断続的に鳴った。上空を何かが飛んでいる音かかすかに聞こる。森の中にいると空で何が起きているのかまったく分からない。何かで地面のそこを叩くような揺れがおきてから、飛行場や町の方からものすごい爆発音が数回聞こえてきた。その後も高射砲が何発も撃ちまくっていたが、しばらくして突然静かになった。

 

――ど、どうなったのかしら? 町や港は大丈夫かな……

 

 しばらくして、警報解除ー!という声が聞こえてきてみな安心したように立ち上がり作業へと戻った。

 

「翔鶴ちゃんの飛行機が全機撃ち落としてくれたみたいだぞ。飛行機が飛べるうちはこの島も大丈夫だろう」

 

一輪車で土を運びながら島民の一人が教えてくれた。

 空襲が一段落すれば、再び気になってくるのは猛烈な湿気と暑さ、まとわりつく蠅と蚊の襲来だ。初風がだらだらと汗を流しながら黙って土壌を掘り返していると、突然隣にいた早霜が手にしていたクワを落っことし棒のように倒れた。

 

「ちょ、ちょっと早霜! 大丈夫!」

 

初風は慌てて駆け寄る。

 

「あっちゃー、また熱射病か。おーい誰か、病院つれてってやれ」

 

隣にいたおじさんがため息をついて、倒れた早霜を抱き起こす。一緒に作業していた数人が早霜に肩を貸して病院のある方へ連れていった。早霜はなにも答えず微動だにしない。まるで死んでいるみたいだった……。

 初風は首に巻いたタオルで顔中の汗を拭いながらつぶやいた。

 

「この暑さじゃ無理ないわね……」

 

 日が傾き、作業が終わると次の受難が初風を襲う。いつも元気いっぱいの長良先輩だ。

 

「やっぱり畑仕事も海戦も体力勝負だよ、初風ちゃん、少し涼しくなってきたし暗くなる前にジョギングに行こうよ!」

 

この島に来て益々健康的に日焼けした長良が微塵の悪気もなく言った。その誘いを断る元気は初風には残っていなかった。

 島を一周するコースで一緒に走り出したはいいが、長良に大差を付けられ、初風がふらふらになって港に戻ってきた頃には空は暗くなっていた。

 

――わたしも熱射病になってしまえばいいのに。荒潮や不知火達はどうしてるかな……

 

ふと仲間のことを考え出すと、急に涙がこぼれてくる。誰かに見られては恥ずかしいので、初風は手ぬぐいで目元を拭うと、とぼとぼと港へ戻ってきた。

 

「あら、初風ちゃん。今日も大変だったわね」

 

声をかけたのはナース服を着た翔鶴だった。

 

「さっきから探してたのよ。実はね、今日艦載機の子達に周辺の哨戒をさせていたらローリー島からタロタロ島へ工作艦の明石がやってきたの。その護衛には駆逐艦の不知火と荒潮もいて、明日この島まで生活物資を持って来てくださるんですって! よかったわね」

 

そう言って翔鶴は驚いて言葉もでない初風の頭をやさしくなでた。

 

「不知火と荒潮が来る……」

「ええ、初風ちゃん達の提督さんも一緒よ。艦載機の子達にもずいぶん手を振ってくれたみたい」

「そう、そうなんだ……。翔鶴さんありがとう!」

 

 初風はそう言って頭を下げると、スキップするように自分の宿舎へと戻ってきた。部屋にはひょうんなことからルームメイトになってしまった早霜がベッドに横になっていた。

 

「お帰りなさい……。昼間はごめんなさいね……」

 

「生きていたみたいで安心したわ」

 

初風はそう憎まれ口をきいて笑った。

 

「何か良いことでもあったのかしら?」

 

初風はボンっと自分のベッドに飛び乗るとうれしそうに笑った。

 

「明日、不知火と荒潮がここへ来るの。もうタロタロ島まで来てるんですって。司令官も一緒に……」

 

目元だけ掛け布団の上に出していた早霜の目が一瞬驚きで大きくなってから、その眼差しはとてもやさしいものに変わった。

 

「そう……それはよかったわ。早く明日になるといいわね……」

「そうね、ああ~早く明日にならないかなぁ」

 

初風はそう言ったが、心が躍るあまり初風は夜が更けてもベッドのなかでなかなか寝付くことができなかった。




ここ2~3か月実生活で創作活動に打ち込む余力がなく、久々の投稿となってしまいました。また少しずつシフトアップしていきたいです。

書いててふと思ったのが、次回トビウメ一行が到着する直前に初風が空襲とかで死んじゃったらエライ展開になるな、と……。このタイミングでやらかしたら晴れて「泣ける艦これ」の仲間入りじゃん!と……。

那智に続いて初風まで失ったら、トビウメのメンタルじゃとても耐えられないでしょうね。
まぁそんな展開にしたところで人気が出るわけじゃなし、自分が読んでみたいという展開を丁寧に作っていくスタンスでやっていくので、初風はとりあえず大丈夫です。あ、でも首チョンパネタはどこかでやってみたいかも……


2016/11/25追記
 親切な友人から「鯨のところは反感来るかもよ」と指摘がありました。なるほど、私の筆力では確かに伝わりにくいと思い、ちょっと捕捉を。
 なぜ鯨肉のネタを思いついたのかというと、これほどジェネレーションギャップを表現できる食べ物もそうないだろうと思ったからです。あとは有名どころの「すいとん」でしょうか? あれを美味しいというと、困ったように顔をしかめる戦中派が多いと聞きますw
 そもそも、平成生まれ平成育ち(と思われる)で、動物やイルカ、海鳥なんかを写真に撮るのが大好きなトビウメのような男が自分からクジラやイルカを食べようとは思わないでしょう。
一方、戦前、戦中を知っている不知火たちにとって、鯨肉は牛やマグロよりもずっと身近な「肉」であり「魚」であったようです。
 今では小学生すら振り向かない明治屋のフルーツ缶に不知火が目を輝かせるのも、あの時代の南洋でのささやかな贅沢を思ってのこと。
 また戦後の一時は、食糧不足もあって、豚や牛の代わりに鯨が出回っていて、しばらくは給食にすら出ていたというから驚きです。
 食通でも好事家でもない私にとって、鯨肉は松坂牛やトリフよりもずっと遠い存在です。
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