艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
明〇五〇〇。ヤムヤム泊地。
「みんな~、行ってらっしゃ~い。お土産は無理しなくて大丈夫よ~」
明け方、東の海上にオレンジ色の太陽がかすかに顔を出しはじめていた。桟橋では留守番を命じられた駆逐艦娘の荒潮が両手を振っていた。
旗艦の重巡那智の羅針艦橋から荒潮へ敬礼してトビウメ提督はつぶやいた。
「あの様子じゃ、逆に何か買ってきてあげないと後が怖いね」
「座布団の下に画鋲を仕込むくらいじゃ済まないかもな」
隣に立った那智が笑いながら言った。
「タロタロ島に駆逐艦娘の喜びそうなお土産なんてあるかな? まぁ、それはともかく、出発の時間だ。微速前進」
「よし、那智戦隊、出撃するぞ!」
那智が無線電話で命じ、艦隊はゆっくりとヤムヤム島泊地から外洋へと漕ぎ出た。今回は奇襲作戦であることもあってラッパも汽笛もない静かな出港だった。
旗艦の那智を先頭に古鷹型重巡の加古、長良型軽巡の長良、陽炎型駆逐艦の不知火と初風が短従陣を組み、泊地ある入り江から外洋へ出ると艦隊は速度を上げて進路を北にとった。
「進路010、よーそろ」
那智が告げると提督は双眼鏡を抱えたままうなずいた。
「いいか、加古。居眠りして列を乱すなよ。ふらつけばすぐわかるからね」
提督は無線電話の受話器を握りながら言うと、ざらついた雑音混じりの加古の声がスピーカーから返ってきた。
「だ、大丈夫だって。ちゃんと昨日は早く寝たんだから」
「だといいけど」
提督は苦笑いしながらマイクを無線機に戻した。いくら寝ても寝足りないのが加古の悪い癖だ。
「島から遠くなってきた。そろそろ無線の使用を控えた方がいい」
羅針盤に寄りかかりながら水平線を見つめていた那智がそう助言した。
「そうだね。後続艦へ信号。ただ今より目的地到着まで無線封鎖」
「了解した」
那智がそううなずくだけで、左舷旗甲板のあたりで小さな物音がして探照灯がひとりでに動き、チカチカとモールスの発光信号を後続艦へ送りはじめる。後ろを走る加古からすぐに応答の合図があり、後続の不知火へ……。発光信号の伝号ゲームはゆっくりと末尾の初風まで伝えられた。
外洋に出ると船はピッチングとロールリング、すなわち波頭を乗り越えるかすかな横揺れと縦揺れを断続的に繰り返しながら速力を上げた。
足と腰だけでバランスをとりながらピッチとロールをやりすごしていると、こちらを見ていた那智がくすりと微笑む。普段はわりと険しい表情でいることも多いので、トビウメ提督は怪訝に思い顔をしかめた。
「何? なんかおかしい?」
「いや……。ただ、いつの間にかあれが要らなくなったなと思ってな」
那智は笑いながら海図台の下に置かれた洗面器を指さした。トビウメ提督は思わず舌打ちする。
「思い出させないでよ……」
「ははは、最初の貴様ときたら、それは酷いものだったからな」
那智は大声で笑い出す。提督はげんなりしてまだ着任したばかりの頃を思い出していた。
最初に彼を襲った試練は船酔いだった。いくら基準排水料量一万三千トンを誇る重巡洋艦とはいえ、大海原に漕ぎ出れば当然のごとく右へ左へと大波に翻弄される。その揺れは元の世界にいた頃からは船に乗りなれていない提督の三半規管を狂わすには十分すぎた。外洋に出て三十分で提督は艦橋にその日の朝食を「リバース」する破目になったのだ。それも、最初の航海の際には下手に我慢してしまったため、こともあろうにこの艦橋の床に、那智のいる前でやらかしてしまったのだった。
「お、思い出すと……。なんかまた気持ち悪くなってきた……。ううっ」
提督は青ざめながら口元を押さえる。
「ははは、洗面器を持って、せいぜい私の見てないところでやってくれ」
まさか死んだ後も船酔いに悩まされるとは思ってもいなかった提督だったが、一つだけ感心させられていることがある。それは、初めて床に吐いたときも、その後の航海で何度も船酔いに苦しめられ洗面器を抱えてトイレへ駆け込んだ時も、ひきつった表情こそ浮かべていたが、この那智は一度も自分を叱責したことはなかった。
艦娘はその艦と一心同体の存在だといわれている。その船の中で粗相をするというのは、艦娘とってもすこぶる不快なことに違いない。訓練や作戦等、こと仕事のことでは鬼のように怒ることもある那智だが、このことでは自分を一度も怒らなかったその自制心に提督は内心とても敬服していた。
体というのは不思議なもので、航海も数を重ねるうちいつしか船酔いに悩まされることはなくなっていた。少なくともこの重巡那智に乗っている時に限っては。
日が昇り、空は快晴。生前の世界の太平洋の黒潮のように濃く蒼く、海は穏やかだった。
特に異常がない場合は階下の艦長室や甲板下の士官室でくつろいでもいいのだが、那智と一緒だと、なぜか艦橋に入り浸ってしまうことが多かった。
「さてと、あとはお任せしてちょっと外へ出てくるか」
トビウメ提督は双眼鏡と前の世界から携えてきた愛用のカメラを首に下げて立ち上がった。
「ちょっと写真を撮ってくるよ」
「相変わらず好きだな」
那智は笑う。
「これが唯一の趣味みたいなものだからね」
「好きにしろ。だが、このあたりは敵潜も多い。適宜、之字運動をするべきだが」
「ああ、そうだな。そのあたりは任せるよ。何かあったらすぐ呼んで」
トビウメ提督は薄暗い艦内から艦橋の後ろにある旗甲板へ出ると、南海の強烈な日差しが目を焼いた。黒い煙を吐く太い二本の煙突越しに、白波を立ててついてくる重巡加古の姿が見える。双眼鏡で加古にピントをあわせてみる。前甲板、艦橋と観察し、艦橋構造物左の見張り所で加古を見つけた。
どうやらまだ昼寝をするつもりはないようで、こちらに気づき、セーラー服の裾をはためかせながら大きく手を振ってきた。提督も手を振り返して自艦の煙突越しに重巡加古の艦影を正面からカメラのファインダーにおさめてシャッターを切った。
旗甲板を右舷の方へ歩いていくと、遙か遠くの洋上に、船と平行するようにキラキラと海面から飛び上がる無数の光が見えた。再び双眼鏡を目に押しあててピントを合わせると、思ったとおりそれは海面上を飛ぶトビウオの群だった。こちらの世界にも同じように魚や海鳥がいることに驚いたものだが、いつか艦橋右舷側の見張り所で備え付けの70ミリ双眼鏡を覗くのに夢中になっていたときの事を思い出した。
それはまだ着任して間もない頃、対潜哨戒訓練のため那智と初風、荒潮を伴い練習航海に出たことがあった。訓練中、ウミウの群が魚を追い回す様を双眼鏡で眺めていたときのことだ。提督はふとそのはるか後方に奇妙なものが浮かんでいる事に気がついた。見れば、海面から黒くて細い物干し竿のようなものが一本直立している。
不思議に思って双眼鏡のピントを合わせると、それは動いているらしく、白いウェーキを引きながらこちらへ向かって進んでいるように見えた。
「あのさ、那智さん。海から茶柱みたいなのが立ってるんだけど、あれ何かな?」
「なに!? どれだ!」
那智は珍しく取り乱して、提督が指さす方角へ身をのりだした。
「馬鹿! あれは潜水か……」
潜水艦だぞと言い終える前に海面下に白い筋が四本、猛スピードでこちらに向かってきたのだ。
「くそ、魚雷だ!」
那智は即座に艦に回避運動をとらせつつ、無線電話で僚艦に魚雷接近の警告を発した。白い筋はみるみる近づいてくる。
「転舵、転舵、取舵一杯だ」
艦内にけたたましいブザーが鳴り響き、艦首がゆっくりと左に向き始めた。ゆっくりとしたシーソーのように船体が左に傾く。
「逸れてくれよ! 逸れてくれよ!」
提督も半ばパニックになりながら四本の迫りくる白い筋を見据えた。真っ青な海面のすぐ下を、ジェットバスの泡のようなものを曳きながら二本の魚雷が重巡那智に接近する。欄干にしがみつきながら提督はじーっと魚雷を見据えた。左へと進路を変えつつあるこちらの艦首付近に白い筋が突っ込んでくる。
「ああ、もう少し、もう少し……」
祈らんばかりの提督をよそに、二本の雷跡は左舷の第三砲塔下のわずか十メートルばかり右を、ウェーキを残して舳先の方角へ通り抜けていった。
「よし、逸れた」
「た、助かった……」
艦橋横の見張り所で安心のあまり脱力した二人だったが、那智はすぐに次の危機に気づいた。
「まずい初風が!」
那智はすかさず左舷側の見張り所へと走る。提督も那智を追って艦橋から飛び出したとき、ちょうど後続を走っていた初風の舳先から真っ白な水柱が吹きあがった。
「しまった!」
那智と同じように取舵で魚雷を回避しようとしていたが、間に合わなかったようだ。
「初風ぇぇぇぇ!」
約一キロ後方を走る初風に届くわけもないのに、提督は絶叫した。
那智が無線電話のマイクを握って叫ぶ。
「荒潮、対潜戦闘だ。敵潜水艦を攻撃しろ。本艦は初風救助に向かう!」
「やっぱり、これ潜水艦の攻撃よね? 荒潮、華麗に撃沈よ~」
何とも緊迫感のない応答とともに、殿にいた荒潮が速度をあげて前へでた。荒潮の前部主砲からポツポツと茶色い煙が吐き出されてから、一拍おいて砲声が那智艦上の提督達に届く。すぐに提督の言う『茶柱』の周囲に小さい水柱がニ本立ち上った。形勢不利と見たのか、その『茶柱』が遠方へと避退を始めた。
「逃がさないって言ったでしょう?」
ご丁寧に無線電話越しに呼びかけながら、荒潮は敵潜水艦の潜望鏡を砲撃しつつ追いかけていった。
一方の駆逐艦初風は、艦首の正面を大きな金槌で叩き潰したように大きくひしゃげていた。
『被害状況ヲ報告セヨ』
無線電話に応答がないので、発光信号を送るとすぐに初風の艦橋横から応答の信号があった。
「何て言っている? 初風は大丈夫か? ねぇ?」
チカチカ光るモールス信号が理解できない提督は慌てて那智に尋ねる。那智は少し安心したように肩を落とした。
「自力航行は厳しいが、すぐに沈む心配はないそうだ。急いで救助するぞ」
その後も激戦や危険な状況はあったものの、思い返せばあれほど慌てさせられたことはなかった。
「あの時は参ったなぁ……」
トビウメ提督は独りそうつぶやき、苦笑いを浮かべた。あのあと深海軍の潜水艦は何とか荒潮が追い払い、艦首を吹き飛ばされて中破した初風を無事にヤムヤム島の港まで曳航してくることができた。だが、すっかり腹を立てた艦娘の初風は艦が入渠しているその後一週間、一切口をきいてくれなかったのだった。
――今回もなんとか無事に済めばいいが
提督はひとりそう思いめぐらしながら、前マストを見上げると、之字運動開始を命じる信号旗がゆっくり信号桁を昇ってゆくところだった。
タロタロ島泊地、地域標準時一五一〇時。太陽がかなり西に動きややオレンジ色を帯はじめた。之字運動を繰り返しながらの航海だったため、やや時間がかかったものの、トビウメ提督指揮下の艦隊は敵の触接を受けることなく、無事タロタロ島東側に開けた泊地である半月湾に到着しつつあった。
タロタロ島には、今回の作戦の為に連合艦隊の臨時司令部が置かれていて、湾内にはすでに大小多くの艦船が錨を下ろしていた。
「へー、あれは金剛型だな。二隻も来ている。その向こうには扶桑型もあるよ」
双眼鏡を覗きながらトビウメ提督は少し興奮気味に言った。
「敵の包囲艦隊は強力な部隊らしいからな。軍令部もそれなりに本気なのだろう。向こうには潜水艦がある。第八艦隊も来ているようだ。ん、あれは……足柄も来ているようだな……」
那智は湾内の桟橋に係留されている重巡洋艦を目に留めてつぶやいた。
那智はタグボートの誘導に従い所定の位置に停船させると、船は艦首と艦尾から一本づつ投錨した。後続の加古や不知火、初風が停泊の準備を終えるのを見届けると提督は書類鞄を持って艦橋を後にした。那智が前甲板右舷側の折り畳み式舷梯を展開させ、後甲板から内火艇をクレーンで海面へと下ろした。甲板から舷梯を下って那智と一緒に内火艇に飛び乗ると、指揮下の艦のそれぞれの舷梯へ艦娘を拾いにボートの舳先を向ける。
「いや~眠かったなぁ~。でも寝てないからね! ホントだよ、ホントだよ!」
桟橋に向かう船内で加古が一生懸命に弁明する。
「えぇ~? マジで? 本当かな~? ぬいぬい、後ろから見ててどうだった?」
内火艇の操舵輪を握りながら提督は意地悪く笑った。
「進路のふらつきや之字運動に乱れは認められませんでした。恐らく加古さんは無罪と思われます。ただ……」
「ただ?」
「きっと起きているので精一杯だったでしょうから、加古さんの分まで対潜警戒に気を配るのが大変でした」
「ぬいぬい、そりゃ酷いよ~」
加古が叫び、艇内の一同がどっと笑う。
「指令官こそ、どうせ仕事サボって写真ばかり撮っていたんじゃない? 那智さん、どうだった?」
初風が風でくしゃくしゃになる髪を必死で押さえながら言った。
「いや、その、僕は……」
狼狽をする提督を見て那智はニヤニヤ笑う。
「ふふふ、そうだな。確かにこいつは潜水艦より海鳥の姿に夢中になっていたな」
「やっぱり思ったとおりね」
「落ち度だらけですね。司令」
「司令官、ずるいよ~」
「司令にも甲板でトレーニングすることを勧めるわ」
「あーそこまで! 接岸するから各自、上陸の準備用意!」
一番の悪者にされた提督は、大声でそう号令して内火艇を桟橋に横付けした。
「各自補給と給油を終えたら休息時間とする。市街地へ出るのもいいけど、全員2100までには宿舎へ戻るように。以上解散」
提督はそう命令して内火艇のもやい綱を桟橋に結びつけた。
「やったー! これで昼寝ができるよ……」
「不知火、町へ出て何か食べない」
「いいわね。ご一緒します」
「夕方のジョギングに行くかな」
加古や長良、駆逐艦達がそれぞれ桟橋へあがってゆくので提督は一人残った那智へ振り返った。
「あれ、行かないの?」
「貴様はこれから作戦会議だろう? 私がいなくて大丈夫なのか」
――どうしようかな? 一緒に来てもらえば心強いけど……
そうこう考えていると、桟橋からロングヘアのスタイル良い女性が内火艇の脇へとやってきた。
「姉さん、久しぶりね。調子はどう?」
「ああ、足柄か」
妙高型重巡、三番艦の足柄だった。
「岸壁から姉さん達の姿が見えたから」
足柄はそう言って微笑んだ。
「やぁ足柄さん。こんにちは」
提督は鞄を抱えながら桟橋へ飛び移ると声をかけた。那智の妹であるこの足柄とは以前遠征の際に顔を合わせたことがある。
それにしても、妙高型の艦娘姉妹はつくづく美しい艦娘だとトビウメ提督は思った。那智といい足柄といい、生前の世界でもそうそうお目にかかれない美人だ。特に一見物腰の柔らかい足柄など、街中で見かければ自分でも思わず振り返ってしまうかもしれないくらいだ。だが実のところ、那智にしろ足柄にしろ、その内面はかなりの武闘派で鳴らす艦娘であり、足柄に至っては無類の海戦狂だった。足柄は特に提督連中からデートの誘いも多いそうだが、本人の関心は一にも二にも砲雷撃戦であり、そのギャップについてゆけない多くの提督が涙を飲んだという。
「トビウメ提督、ご無沙汰しております」
足柄は踵を打ち合わせて姿勢を正すと、提督へ儀礼上の敬礼した。提督が答礼すると足柄は姿勢をくずして微笑んだ。
「姉さん。その後提督とはうまくやってる?」
「フン! ぎりぎり及第点といったところだ。それに私はなにせ忍耐強い方だからな」
「何それ? 那智さん、それ聞き捨てならないんだけど」
「まぁまぁ、でも姉さんも提督も楽しそうで良かったわ」
さりげなくボロクソに言われた提督がつっかかると、すかさず足柄が場を取りなした。
「足柄、お前も今回のブーメラン島作戦に参加するのか?」
「ええ、昨日到着したわ。戦場がわたしを呼んでいるわ! それはそうと、久しぶりだし今夜一緒に一杯やらない」
足柄はお猪口を傾ける仕草をしながら那智を誘う。
「いや、それは……。今夜はどうなのだろう」
歯切れ悪く那智は遠慮がちに提督の方を見る。
「別に今日は何もないよ。どーぞ、どーぞ」
――こういうことには急にしおらしくなるんだからな
「ほら、トビウメ提督もああ言ってるんだし、行きましょーよ、姉さん」
「いいか。わたしは、作戦前は飲まない」
「はいはい、じゃあ提督、姉さんを借りますね」
「そ、その言い方はなんだ? それではまるで……」
那智がなぜか狼狽したように顔を赤くした。
「いいよ、いいよ。いっそもう帰ってこなくてもいいよ」
先ほどの意趣返しとばかりにトビウメ提督は笑って言ってやった。
「貴様よくも……。ああ~もう、行くぞ足柄!」
怒りのためか那智は顔を真っ赤にして、足早に桟橋を歩いていった。
妙高型姉妹を見送り、提督は桟橋に一人になった。
「さてと……」
おのずと表情が硬くなってくる。連合艦隊が編成されるため、これから別の泊地や鎮守府の提督達と顔を合わせることになる。
自分以外の提督と相対するとき、最も「生前」のことを強く意識させられる。艦娘はいくら人の姿形をしていても船の精たる艦娘であり、他方、提督は人間である。正確に言えば「元人間」である。そして、これから作戦会議が開かれる。すなわち人間同士の仕事がはじまる。前の世界の時から、人間とやり合うことはトビウメ提督にとって苦痛を伴う作業だった。