艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ   作:Piyodori

34 / 53
駆逐艦達の夜

 不知火は乗艦した早霜に冷えたラムネを渡し、煙突横にある対空機銃座の欄干に腰かけた。早霜は甲板の通風筒によりかかりラムネのビー玉を落とす。

「次の作戦、わたしは参加できないから、恩返しできないわね」

「そんなことは気にしなくいていいです。今は一日も早く修理と調整を考えて下さい。我々は慢性的な戦力不足です。遊んでいる暇はありませんよ」

不知火は素っ気なく言った。早霜はラムネ瓶を傾けながら、陸軍の輸送船団が接岸している商用桟橋を見つめる。

「不知火さん、あの兵隊さん達、何人くらいが戻ってくるかしら」

不知火も桟橋をぼんやりと見つめる。

「少なくとも、輸送船ごと海没する事がないよう、力を尽くすのが不知火達の役割です」

「そうね・・・・・・」

 陽が沈みはじめみるみる暗くなっていく。すると対岸の桟橋を賑わしていた陸兵達は蜘蛛の子を散らすように姿を消し、ひっそりと静まり返ってしまった。

――話に聞いていましたが、随分と規則正しいのね

不知火がふとそんなことを考えていると、早霜が顔を上げた。

「那智さんは元気かしら」

不知火は我に返って早霜を見下ろした。

「那智さんは気丈な方です。きっと新しい艦隊でも能力を発揮されると信じています」

「不知火さん、暗くなると、あの時のことを思い出してしまうわ。あれからまだ一ヶ月も経っていないのね」

そう言われ、不知火も確かにそうだと思った。いろいろなことがあり、ブ島沖の海戦など、はるか過去の出来事のように感じていたが、まだ一ヶ月も経っていない。

「確かに、そうですね」

二人の意識は、重油が海面を黒く染め、空には煙幕と火災の黒煙渦巻くあの戦場へ引き戻された。

 

 シューズ・ベラ島沖合。連合艦隊主隊は深海軍による包囲攻撃の末、敵味方入り乱れた乱戦状況に陥った。

 敵高速戦艦に魚雷命中させ、なんとか撃退に成功した駆逐艦不知火は旗艦の重巡那智、加古に続き西へ舵をとった。先頭を行く那智はすぐに煙幕の向こうに姿を消し、不知火も全速でスクリューを回す。

 周囲には敵味方の艦船が炎と煙を上げて沈み始めている。船体全体が破壊尽くされている艦もあれば、まだ生きている艦娘がマストにしがみついている艦もあった。艦娘の不知火は敢えて見ないように前だけを見つめた。たとえ誰であれ、必要とあらば見捨てる覚悟はできていた。仮にそれが陽炎型の姉妹艦であろうとも・・・・・・。ただそのとき、不知火の艦橋に据えられた70ミリ双眼望遠が、右舷方向の低く垂れ込めた黒煙の隙間に「モシヤハ」という白いペンキ塗りの表記を視界に捉えた。察知した不知火は反射的にその方向へ顔を向けたが、その船影はすぐに煙の向こうに隠れてしまった。不知火は戸惑いながら加古の船尾と、右舷方向を煙幕とを交互に見かえす。

 不知火は二秒の逡巡後、一階下の操舵室に取舵一杯を命じていた。

――那智さんと司令はきっと怒るでしょうね

不知火はそう思ったが、決然と機関を回した。もう迷いはない。離脱する僚艦を狙い敵艦が煙幕めがけ盲撃ちしてくるので、周囲に再び高い水柱が立ち、駆逐艦不知火の船体を翻弄する。しかし、不知火は気にもとめずに艦を走らせ、ようやく煙の向こうに今しがた見失った駆逐艦の船体を視認した。

 夕雲型駆逐艦十七番艦の早霜は、艦中央部の一番魚雷発射管と二番煙突周辺が滅茶苦茶に崩壊しているのを除けば、火災も浸水もないように見えた。不知火は衝突しないよう艦の速力を落とし、両艦の舳先同士が10メートルほどの距離まで来たところで停船させた。

「早霜! 早霜! 無事ですか?」

不知火は前甲板に降りてそう呼びかけるが、応答はない。艦娘がすでにやられていたら救う手立てはないが、不知火は前甲板機銃座によじ登ってみると、向こうの駆逐艦の前甲板で、艦橋構造物に寄りかかって座り込んでいる艦娘が見えた。黒くて長い髪が海風に吹かれるままに乱れ、呆然と海をみつめているが、死んでいるわけではないようだ。

「早霜ー! 救援です! 至急、被害状況知らせ!」

その艦娘はかすかに顔をこちらに向けた。怪我をしているようには見えないが、慌てたり、急いだりする素振りもない。不知火はメガホンをとってさらに大声で呼びかけるとようやく艦娘の早霜は緩慢な動作で立ち上がり、艦首の方へ歩いてきた。

 不知火が舳先まで駆け寄り大声で叫ぶ。

「早霜、機関の状況は? 自走できますか?」

「不知火さん、こんな時に何をしているの」

早霜は感情のこもらない声で不知火にそう返事した。

 駆逐艦娘の早霜、不知火はこの世界で過去に一度だけ顔を会わせたことがあった。その時は前世の因縁もあり短い時間に挨拶だけすませたのだが、早霜は非常によそよそしく、またとにかく無愛想で辛気臭く、暗い艦娘で、名乗った不知火に対しても慇懃無礼に定型的な挨拶で応じると逃げるように去っていったのだった。

 周囲の砲声や砲弾の着水音で不知火には早霜の声がよく聞こえなかった。

「損害は!」

早霜は肩をすくめて艦首の錨甲板までやってくるとはっきりとした声で言う。

「機関室が四つとも水を被ってしまったわ。二ノットも出れば良いほうね。それより早く逃げないと間に合わないわ。早く行って」

不知火はうなずいて艦尾から曳航索につながったロープを持ってきた。

「不知火が曳航します。すぐにこれをつないでください」

不知火がそう促すが、早霜は動こうとしない。

「何の意味があるというの。早く逃げて。わたしはもたないわ」

「早くしてください! 追手が迫っています!」

不知火は顔に青筋を浮かせて怒鳴るが早霜は動こうとしない。

「前のようにはさせないわ。わたしはここで沈みます。あとは不知火さん次第よ……」

早霜はまるで死人のように真っ白な顔で、眉ひとつ動かさずそう告げた。静かながらも、冷たくて硬い、強い意志が感じられた。不知火は顔をゆがめて舌打ちすると、急いで艦橋構造物へ取って返した。

――ずいぶん扱いづらい艦娘になったものですね

不知火が自室にしまっておいた白兵戦用の艤装の主砲を手に戻ってきたとき、早霜はまだ艦首に呆然と立ち尽くしていた。

 不知火は、まるで自艦の主砲のミニチュアのような(でも実際には本物と同じくらい緻密に動作する)主砲艤装を右手にはめ、早霜の顔に狙いを定めた。ガチャリと砲弾を装填した音が響くが、それが早霜の耳に届いたどうかはわからない。

「なにか勘違いしているようね、早霜。前世で不知火に耐え難い悔恨を背負わせた貴女に、不知火の前で勝手に沈む自由など無いんですよ。もしその動く意志がないなら、不知火がいますぐ介錯して、前世の無念を濯いでから離脱するまでのこと」

不知火は夜叉のような顔でそう言い放ち、引き金に力を込めた。

 早霜は少し驚いたように、前髪に隠れていない左目を少し大きく見開いてからため息をついた。

「なら、どうしようもないわね……」

早霜はようやく体を動かして曳航の準備を始めた。不知火は手にした艤装を甲板に下ろし、太い曳航索に紐でつながったボールを早霜の甲板へ放り投げる。早霜はすぐにそのボールと紐を伝って伸びてくる頑丈なロープを甲板に拾い上げると、艦首フェアリーダー(ロープなどを通すための甲板の縁にあるガイド金具)にくぐらせて、あとは見えない妖精さんの力で前甲板のウインチへと結びつけた。早霜が動き出したのを見て、不知火は続けて電話線のケーブルを投げ渡す。これがあれば甲板から大声を張り上げたり、何かある度に面倒な発光信号を送らずに済むからだ。

「すぐに機関を回してください。索の長さは四十メートルで曳航します」

そう怒鳴ると不知火はすぐに曳航索を艦尾のリールで巻き取りながら、舵を面舵にきりつつ機関を回し始めた。

 駆逐艦早霜もプロペラをまわしはじめたらしく、少しずつ前へ進み始める。曳航索がピンと張り、駆逐艦早霜はぐっと前に引っ張られはじめた。煙幕と水柱をかいくぐり、二隻の駆逐艦はゆっくりと進み始める。速力は十ノットも出ればいいほうだ。

「バカみたい……」

数十メートル先で必死になって動けなくなった自分の艦を引っ張っていく駆逐艦不知火の艦尾をじっと見つめながら早霜は声にならない声でつぶやいた。それは無謀な振る舞いに出た不知火に対するものか、それとも前世と同じ道を辿ろうとしている自分へ向けたものだったのか……。

――これで二人共帰還できなかったら、不知火さんは犬死になってしまうわね……

早霜は心が凍るような思いに駆られ、甲板に膝をついて顔を覆った。

 その時、早霜の左舷双眼鏡が煙幕の向こうで赤い燐光を発する深海棲艦の影を捉えた。前を行く不知火は気づいていないようだった。早霜ははっと顔を上げる。駆逐艦不知火の兵装はどれも損傷を受け、すぐに対処できるとは思えない。

――的針〇二二、的速十八……。やはり接敵してしまうのね

早霜はすぐに、なんとか動く二番魚雷発射管と一番主砲を艦の左舷前方へ向けて旋回させた。魚雷戦方位盤がすぐに発射解をはじき出す。

 早霜は有線電話で不知火に伝えることなく、左舷へ回頭させた第二魚雷発射管から残っていた三本の酸素魚雷を全弾射出した。

 前方の不知火が煙幕を抜けたのはそれから十秒後のことだった。双方ともに意図していなかった遭遇というのは不思議な時間的空白を生み出す。駆逐艦不知火の左舷後方、距離三百メートルにヘ級軽巡洋艦が突然姿を現し、不知火ははっと後ろを振り返る。敵にとっても不意の会敵だったようで、どの砲塔も不知火とは全く違う方向を向いていた。一瞬の呆然状態の後、二艦は同時に相手へ向けて砲塔を回し始めた。駆逐艦不知火が満足に動かせる砲塔は二番砲塔の12.7センチ砲が二門のみ。ヘ級軽巡の艦前方に備えた15.7ミリ砲計6門の砲口も駆逐艦不知火を追い始めた。かなり分が悪いことを自覚しつつも不知火は射撃解の割り出しと砲塔操作につとめる。ヘ級の一番砲塔が止まるのと同時に、その右舷の海面が白く光った。すぐに海面から水柱が二つ、数秒間隔でその船体を左へ大きく揺さぶった。ヘ級軽巡の不格好な煙突から真っ赤な火柱が吹き出し、船体が文字通りへの字にねじ切れているのがわかった。すかさずトドメとばかりに12.7ミリ主砲の砲弾が敵軽巡の羅針艦橋を吹き飛ばした。それは駆逐艦早霜の前部砲塔による砲撃だった。

 突然の事に不知火は目を丸くして、すぐに駆逐艦早霜を見返した。

『フフフ・・・・・・油断大敵よ。でも・・・・・・これで、魚雷は使い切ってしまったわ・・・・・・』

早霜が有線電話で不知火にそう呼びかけた。不知火は緊張を解いて呼びかける。

「一応、礼を言っておきます。早霜も引き続き周囲警戒を。一気に抜けますよ」

不知火はそうぶっきらぼうに伝えると、機関全速で西へ向けて艦を進めた。

 駆逐艦早霜の前甲板に佇んでいた早霜は、声音には微塵も焦りの色を見せなかったが、内心では不知火以上に安堵していた。もし自分の酸素魚雷がはずれてしまったら、自分たち二艦合わせても敵軽巡との撃ち合いに競り勝つ火力残っていなかった。

――これで何分、生き長らえることになったのかしら

早霜は自艦の沈没が確実となったら、すぐにでも曳航索を切断してしまえるよう、第一砲塔の後ろに斧を準備していた。

 

 それから二時間、深海軍の組織的追撃もなく、二隻の駆逐艦は油の膜を曳きながら戦闘海域の離脱に成功した。自分たちの向かう西の空の太陽が低くなってきた。進みながらも不知火は自分の艦の空中線の復旧を進めていた。なんとか甲板にアンテナとなる臨時のワイヤーを張ると、タロタロ島に逃げた艦が敵潜水艦隊の待ち伏せを受けて大きな被害を出しているという複数の通信が舞い込んできた。

 不知火は早霜へ、タロタロ島からシューズ・ベラ島へ針路を変えると伝え、面舵に舵をきった。速力は十ノットに届くか届かないか……。応急処置は続けていたが、駆逐艦早霜の右舷機関室への浸水は止まらないままだった。

 重油にも海水が混入しており早霜は、不安な様子で空を見上げた。日が暮れれば空襲の心配はなくなるが、海上を低速で進む自分達は潜水艦の格好の獲物になる。

 前方の不知火も早霜の水力が徐々に弱まっていくことに気づいていた。自分だけで引っ張ることもできるが、このままだと速力は格段に落ちるだろう。

 二人の予見は外れることなく、それから間もなく駆逐艦早霜の機関は停止した。罐まで水が入ってきたのだ。スクリュープロペラが完全に停止したため、不知火はすぐに早霜へ機関の再起を試みるよう伝えたので、早霜もそれにしたがって作業してみるが、遂に止まった機関が再び動き出すことはなかった。

「わかりました。ここからは不知火単独で曳航します。早霜は周囲の警戒を続けてください」早霜は返事をせず、第一砲塔の後ろの斧を見る。もう少し暗くなったらこれを使うことになるだろう。早霜は、煙突から黒煙を吐いて必死に機関を回す駆逐艦不知火を見つめた。

「ありがとう、不知火さん。ここまでやってくれれば、十分よ」

『早霜、一時方向に航空機! 対空戦闘用意!』

不知火の切羽詰った声がスピーカーから聞こえた。

――これまでのようね

斧を手にした早霜が空を見上げると、黒い豆粒が一つ、ゆっくりと高度を落としながらこちらへ近づいてくる。幸い編隊ではなく単機のようだ。

「いいわ、お相手します。爆弾でも魚雷でも存分にやるといいわ。わたしに爆弾を使い切れば、不知火さんは一人で逃げることができるわね」

早霜はその機影を睨むと、艦に残った全ての機銃座に指示を出し、一斉に一時方向へと銃口を向けた。

『早霜、射撃待て。あれは……、あれは友軍の水偵です』

不知火の声がそう制止した。語尾には少し嬉しそうな響きが電話越しにわかった。黒い豆粒は徐々にフロートを2つ下げた水上機のシルエットになって近づいてくる。すでに緑とグレーの塗り分けや白ふちの日の丸もはっきり見える。それは味方の零式三座水偵だった。

「あれは、那智さんの……」

 艦橋の天井に飛び乗った不知火は水偵を見上げてつぶやいた。水上機は二隻の駆逐艦の周りを低空で旋回しはじめ、無人のコクピットで何やら光が明滅しはじめた。

『シューズ・ベラ島へ針路ヲトレ。我、上空ヨリ針路上を哨戒ス。側方、後方の対戦警戒を厳トセヨ』

それは信号灯によるモールス信号で、不知火はそれを読み取ると、すぐに艦橋にある有線電話の受話器を手にした。

「早霜、あれは那智さんが送ってくれた水偵です。しばらく前方の針路を見張ってくれようですよ」

不知火は早霜に指示を伝えると思わず水偵に向かって手を振った。まだ無事に帰れる保証は無いが、不知火は数百倍の力を得たように勇気付けられた。

 また、早霜も自分の艦の前甲板から那智の偵察機を見上げていた。

「那智さん……。私なんかを、またも助けようとしてくれるのね」

偵察機は信号を送り終えると、二隻の進行方向を左右に横断するように哨戒活動をはじめた。 西陽で海面がオレンジ色に染まる海を二隻はゆっくりと進む。すでに速力は時速6ノットに落ちていた。

「不知火さん、貴女は指揮官の許可を得て、私の救援に来たの?」

早霜は那智の水偵を見ながら尋ねた。

『いいえ、そんな余裕はありませんでしたよ』

「これは命令違反だったのではなくて?」

『厳密に言えばそうなるでしょう……』

電話越しに少し不知火の声のトーンが落ちた。

『しかし、これは不知火の宿命です。仮に命令違反となろうとも、選択の余地はありません』不知火の決然とした声を聞き、早霜は受話器を耳に当てながら思った。

――もし無事に戻れたとして、不知火さんが上官から処分を受けてしまったら、わたしはまた罪作りなことをしてしまったのね

水偵のエンジン音がブーンと唸り声を上げて上空を通過した。

 駆逐艦早霜が外南洋戦域派遣の命を受けたのは、この作戦のはじまる二週間前のことだった。本土の鎮守府付きだった早霜に移転を命じたのはいくつもの駆逐隊を指揮する上級司令官だった。聞けば南方からの援軍要請に対し、数合わせのためにくじ引きで三隻の駆逐艦を送ることにし、その一隻が駆逐艦早霜だったという。はなむけの言葉も、見送りもなく三隻は外南洋の最前線へと送られた。駆逐艦にとっての新たな艦隊司令となったタロタロ島で出会った提督は、自分に送られた増援部隊が駆逐艦三隻だけだったことに対し、艦娘達の前で露骨に失望の色を見せた。それから一週間を経ずしてこの負け戦となったのだ。

 早霜は、自分の所属する寄せ集め部隊が海戦の序盤で総崩れになったことまでは覚えているが、その後の猛烈な砲撃のもと、明確な指示がないまま陣形は崩れ、僚艦は、行方知らずになるか、そばで火柱を上げて沈んでいくのみで、自分の隊の旗艦や司令官のその後の命運はまったくわからない。少なくとも早霜という艦がどうなったのか、気に留めている指揮官や僚艦など、いないことだけはわかっていた。

 一方、前を進む駆逐艦不知火にはその身を案じてくれる存在があることを、夕焼け空を飛ぶ偵察機が証明していた。

「ねぇ、不知火さん。那智さんは今でも旗艦かしら?」

早霜が尋ねると、不知火は肯定した。

『ええ、ヤムヤム島に赴任して以来、ずっとそうですよ』

「じゃあ、不知火さんの司令官も、那智さんに乗っているのね」

『ええ』

不知火がそう答えると、早霜が黙り込んだ。しばらく沈黙が続くので、不知火はそれが何か?と尋ねるが、早霜はなんでもないわと言って受話器を置いた。

 

 

 そこまで思い出話をしている頃には二人のラムネ便は空になっていた。

「わたし、あの水偵がいなかったら、きっとシューズ・ベラに辿り着けなかったような気がするわ」

不知火は軽くうなずいた。

「そうですね、結果はどうあれ、上空から見守ってくれたお蔭で、大変元気づけられたのは事実です。あれほど嬉しいことはそうあるもではありません。もう一本飲みますか?」

手を差し出す不知火に早霜は、いただくわと言って空き瓶を手渡す。ラムネ瓶は使い捨てではない。空き瓶を給料艦間宮へ返却すれば再びラムネを充填してくれるのだ。空き瓶の回収率の高い艦隊は優先的にラムネの配給を受けることもでき、各艦隊とも回収率向上に必死だった。

 不知火が再び冷えたラムネ瓶を二本持って来ると、二人は器用にビー玉を落とし、再び瓶を傾け始めた。

「わたし、那智さんにお礼ができないままになってしまったわ」

早霜の言葉によって二人は再び、あの夕暮れ時の海上へと引き戻された。

 

 

 二隻の駆逐艦は夕闇に包まれた海面をゆっくりと、まだ見えぬシューズ・ベラ島めがけ進んでいた。駆逐艦不知火の推進軸が次第に振動を始め、その不具合により速力は五ノットに落ちた。すでに太陽は水平線の下に姿を消し、空は紫色からすでに群青色へ明るさを失っていても、頭上の三座水偵はいまだ二隻を見守っていた。

 早霜は不知火へ不安そうに言った。

「不知火さん。那智さんの飛行機、少し長くないかしら? もう随分経つわ……」

 不知火も先程から気がかりになっていた。間もなく完全に夜になる。また、どの地点で那智から発艦したのかは判らないが、すぐにも帰還の為の燃料も足りなくなるはずだ。

――仕方ありません、帰還を促しましょう。

不知火が上空へ帰還するよう発光信号を送るが、水偵からの返事は「我、哨戒ヲ継続ス」という素っ気ないものだった。

『不知火さん、那智さんの水偵……』

「ええ、戻る気はないようです」

どうやら、燃料尽きるまで自分たちの護衛を務める決意のようだ。不知火は罪悪感に襲われた。自分の意地は那智に犠牲を強しることになってしまった。

 艦娘の操る艦載機にはパイロットこそ乗ってはいないが、その艦の艤装や船体と同様に、艦娘の精神、肉体と非常に強い結びつきを持った装備だ。それを失うことは艦娘にとって精神的苦痛を伴う。

――那智さん、すみません……

不知火は水偵を見上げながらわびた。

 不知火の行き足はさらに遅くなり、まだ島影も見えないうちに完全に日がくれた。日没から一時間半あまり、進路上をジグザグに飛行を続けていた三座水偵の発動機の音が不意に止まった。すでに低速で主翼のフラップを目一杯下げて滑空していた水偵は不知火ら二隻の右舷側に、並行するようにゆっくりと海面にフロートを付け着水、そのまま二隻を追い越して海上に止まる。燃料が尽きたのだ。不知火と早霜は甲板から波に揺られて漂う水上機を見つめた。

 不知火はすぐにも、ワイヤーで自艦にくくりつけ、早霜共々シューズ・ベラ島まで曳航していこうと思い立ったが、不意に水底はフロートからずぶずぶと海面下に沈み始めた。

「あっ……」

不知火と早霜は同時に声を出していた。どうやら那智は最初からその機の処し方を決めていたようだ。きっと手負いの自分たちが無理に回収しようとしないよう取り計らったのだろう。人が乗っていないだけ良いものの、不知火の胸は傷んだ。二人の艦娘は右舷甲板で直立不動の姿勢をとって敬礼した。そんな二人に見守られながら、那智の三番偵察機は真っ暗な海面にゆっくりと姿を消した。

 二人がそれを見届けると、早霜はふと甲板に置いた斧に目をやり、再び海面に目を戻す。

「ここまでさせてしまって……。どうやら、本当に生きて戻って、直接お礼を言わなくてはならなくなったわね」

早霜は水上機が沈んでいった海面をそうつぶやいた。

 すっかり夜になり、いつどこから潜水艦の奇襲を受けるかわからない状況になった。駆逐艦早霜から不知火の姿がほとんど見えないくらい暗くなっている。二隻とも、敵に見つからないよう航行灯を含む一切の灯りを消して進んでいた。

 はっきりと分かるのは、駆逐艦不知火によって作られる航跡を彩る、青白い夜光虫の光のみだ。早霜は艦橋に上がって受話器を取った。

「不知火さん、わたし……、ひとつ気掛かりなことが。偵察機を失ったことで、那智さんが司令官から責められないか心配だわ」

 資材や装備を管理する立場の提督のなかには航空機損耗を異常に嫌う者も多い。早霜の心配ももっともな事だった。

 不知火は周囲の海面に注意をしつつ、早霜の懸念を自分で考えてみた。水偵が帰還しないと判ったとき、不知火の脳裏でも一瞬そんな心配が浮かび上がったが、その後、すぐに忘れてしまっていたのだ。その実、不知火は自分が、那智が提督から叱責される心配などしていないことに今更ながらに気がついた。確証は無いのだが、そんな心配は取り越し苦労に思えたのだ。

「どうでしょう、その心配はしなくてもいいと思います」

そう答え、不知火はちょっと前のことを思いだした。

「以前、こんなことがありました。まだ司令が着任して間もない頃のことです。那智さんや司令と哨戒任務に出ていた姉妹艦の初風が潜水艦の雷撃で被雷し、航行不能に陥ったことがありました。その時、不知火は母港にいて、知らせを受けて救援体制を整えていたのですが、司令と那智さんが桟橋へ初風を曳航してきたとき、司令はやたら取り乱していて、まったくみっともない様子でした」

思い出を語りながら、不知火はそこで人知れずクスリと笑う。

「まったく戦争ごとには向かない軟弱な方ですが、慌てふためきながらもその司令が、負傷した初風を背負って病院に一番に運び込んでくれました。その時は姉妹艦として、ありがたいような……なんというか、少し嬉しかったです」

――文句ばかり言いつつも、初風が司令に懐き始めたのはあの頃からかもしれませんね

「不知火の司令はそういう人です。だから早霜はそんなことは心配せず、今は潜水艦に注意を向けてください」

「そう……」

不安そうに早霜は受話器を置いた。

 二隻の駆逐艦の視程に薄っすらとシューズ・ベラの島影が浮かんできたのはそれから二十分後のことだった。不知火は自分たちの位置を確認後、早霜に航行灯をつけるよう指示し、潜水艦待ち伏せに注意するよう伝えた。

 灯火管制でほとんどの灯りが消されたシューズ・ベラの港の湾内で不知火はようやく機関を止めた。

「早霜もう安心です。すぐに救援が来ますよ」

不知火は艦の錨を下ろしてから、湾内を眺め渡す。那智や加古達の艦影を探すが、真っ暗でどこにいるかわからない。すぐにも提督と那智へもとへ出頭しなければと気がはやった。すると、さっそく救援隊と思しき内火艇が近寄ってくる。

――あの人達に聞けばわかるかしら

不知火が艦橋から見下ろすと、内火艇の操舵室に見紛う事なき人影が二つ並んで立っていた。シルエットを見るに、幸い大きな怪我はしていないようだ。不知火は大きく息を吐いた。早霜を連れ帰えることができ、那智も提督も生還できた。これ以上何を望むことがあるだろう。

二人が乗艦してきたので不知火も出迎えと報告のため下へ降りて二人を迎えた。

 真っ暗で二人の影しか見えないが、事情を知っている那智は多くを語らず、早霜の様子を見に内火艇へ戻って行った。一方、トビウメ提督は、那智が去るといつもよりも抑揚のない、聞き慣れない押し殺した声でいう。

「どれだけ心配したと思っているんだ……。まったく勝手なことばかりして……」

本気で怒っているのだろう、それも当然だと不知火は思った。

「罰を受けてもらう……一回で済むから……」

不知火は鉄拳制裁に備え奥歯を噛み締めた。不知火はじっと目を閉じ提督の制裁を待った。

 

 

「あの後、シューズ・ベラ島にいる初風さんを見ていて、よく判ったわ。それに、あの夜、真っ暗な港で救助を待っている時にとても安堵したの。わたし……、不知火さんが制裁を受けなくて、本当に良かったと思っているわ」

 もう真っ暗になった駆逐艦不知火の甲板で早霜が言った

「はい……。え?」

不知火は急に引っかかるものを感じ、戸惑いの声をあげる。

――不知火は、一応司令からきつく『お叱り』を受けて許されたことになっているはずで……。何故……もしやあの時!

耳まで赤くなって狼狽し始めた不知火を他所に、早霜はすくっと立ち上がると不知火に妖しげな笑みを向けた。

「不知火さん、今夜はもう行くわ。ラムネご馳走様でした。フフッ、フフフ……」

早霜は、冷や汗をかき始めた不知火を残し、内火艇へと乗り込むと、低い笑い声を残して去っていった。

 

 

 

 同じ頃、夜の帳が落ちた湾の中央に停泊中の給料艦間宮に内火艇一艘が接舷し、制服姿の提督と艦娘が間宮の舷梯に飛び移った。甲板で作業していた主計科の職員たちが手を止めて敬礼するので、その提督は気にしないで作業を続けるように促して艦橋へ続く階段へと向かう。その提督には、どうもこの軍隊じみた挨拶の習慣が面倒でならなかった。

「あら、ナス提督! それに日向さんも! お待ちしてました。さぁ上がってください」

艦娘の間宮が艦橋横のウイングから顔をのぞかせ、嬉しそうに二人を呼んだ。三人は先日会議を開いた間宮の通信室に腰を落ち着けた。

「今日は随分と遅かったんですね」

間宮の問いにナス提督は渋面でうなずいた。

「陸軍部隊の司令部との合同戦勝祈願パーティをやっとの事で抜けてきたところです。戦いがこれからという時に……」

日向もまったくだという表情でうなずいた。

「陸軍の師団長は、まだ作戦も始まっていないというに、酔いにまかせてブーメラン島奪還の次はクナイ諸島も我が師団で占領して良いか?なんてうそぶく始末だ」

「まぁ……」

間宮も驚いたように口を抑える。

 クナイ諸島は、ブーメラン島の南約百浬に位置する群島で、一年ほど前に深海軍の奇襲により守備隊、住民全員が犠牲になるという惨劇の舞台となった。それ以降は深海軍の進出拠点の一つとなっている。

「海軍の司令部連中もそれを諌めるどころか、『次はクナイ奪還だ!』と呼応する有様でね」

日向は呆れ果てた表情で首を振る。

「それはそうと、間宮さん。その後どうです?」

ナス提督は自分の耳を指しながら尋ねた。間宮は真剣な表情になってうなずき、ノートを開く。

「ええ、一日最大三回程度だった深海棲艦の短波通信が今日未明から頻繁に傍受されるようになりました。現時刻までにすでに二十二回、遠距離の長波通信も十一回。昨日は短波通信がたったの五回だったのに……」

間宮が不安そうにうつむく。

「今日入港した陸軍の船団を追っていると見るのが自然だな……」

日向が腕を組みながらつぶやく。

「間宮さん、連合艦隊司令部に至急扱いで報告を上げてください」

そう言うナス提督に、間宮ははいとうなずいた。

「どうせ聞く耳を持たんだろうがね……。ただ、敵は私たちがどれほどの規模で上陸作戦を展開するか、ある程度知っているということになるな」

日向の言葉により、無線室に沈黙がおとずれた。

「そういえば、カメヤマ提督からはまだ連絡来てないですよね」

「ええ、つい心配になってしまいますね」

間宮が不安そうに言った。

「まだしばらくかかるでしょう。きっと敵にギリギリまで接近して情報を送ってくるつもりなのでしょう。引き続き、傍受をお願いします」

間宮はうなずいた。

「それにしても、作戦は大丈夫なのでしょうか?」

「司令部はどうしようもないだろう」

日向がそう言って首を振る。間宮はやるせない表情でうつむく。

「ただ、各戦隊長は司令部よりずっと真剣です。個別に詳細な情報を伝えてあげれば、まだ望みはあります。臨機応変に状況に対応してくれることを期待しましょう」

各提督の性格頼みでなんとも心もとない話だが、今はそう願うしか無い。ナス提督の言葉に艦娘二人がうなずいた。

 

 

 

 翌朝、不知火がフラフラと食堂にやってきて、お盆に朝食の膳をのせて席に着く。目の下にはうっすらとクマができていた。

 結局、トビウメ提督の下らなくも切実な相談と早霜の不可解な一言により昨日は真夜中まで寝付けなかったのだ。

「あ! ぬいぬ……じゃなくて不知火、おはよう」

「おはようございます……司令」

ここ数日間では珍しく元気がいいトビウメ提督が食堂に現れた。急いで自分の朝食をカウンターから持ってくると、提督は不知火の隣に座った。

「昨日はありがとう! おかげで少し気が晴れてね。久々によく寝られたよ」

そして小声で、もうあんなことは気にしない、大丈夫とささやいた。

「そ、それは、大変喜ばしい事です」

まるで伝染病のように悩み事をうつされたような心持ちの不知火は、笑顔を引きつらせてそう答えた。

「あら~、今日もおそろいね~」

ひらひらとどこからともなく現れた荒潮が二人に声をかける。

「荒潮、おはよう!」

「……おはようございます」

挨拶を終えた荒潮を顎に指を当てて周囲を見回した。

「なんか、今朝は提督の数が少ないわね~」

そう言われ、二人も広い食堂を見回す。艦娘はそこそこいるものの、言われてみれば提督はトビウメ提督を除けば三~四人くらいしか見当たらない。総員起こし後のこの時間にしては、かなり少ないほうだ。

「そういえば、昨日は陸軍の司令部の歓迎の宴席が設けられたそうですが、そういえば司令は行かなくてもよかったのですか?」

トビウメ提督は沈鬱な表情で不知火を見返す。

――ああ、そうでした。司令はそういうのが死ぬほどお嫌いでした……

「あらあら、出撃前から二日酔いだなんて。次の作戦はなんだか随分、余裕がありそうね~」荒潮も半ば呆れた様子で言った。

「皆さん、おはようございます」

 わきから挨拶の声がして、三人の元へ早霜がやってきた。

「おはよう、早霜さん」

いつものように突然現れる早霜にトビウメ提督が返す。

「ああ早霜ですか。おはようございゴフっ……」

不知火はそう言いかけて、思わず胃が逆流しそうな衝撃を受けた。

「ぬいぬい、大丈夫かい?」

提督があわてて不知火の背中をさする。不知火は血の気の引いた顔で早霜を見上げた。

「な……、どうして……」

早霜は不敵に微笑むのみだ。

「あら~、今朝はストッキングをはいてないのね~」

荒潮が目ざとく早霜の膝を見下ろしながら言った。

 トビウメ提督も今になって気づいたようで、早霜の白くて細い生足を見てうなずいた。

「ほんとだ、こういう暑いところだと、その格好も涼し気だね」

昨夕、那智の写真のご利益により解脱状態になったトビウメ提督は、細くしなやかな早霜の脚線美を見ても全く取り乱す様子はなく言った。不知火からしたら、どの口が言っているんですかと文句の一つも言いたいところだか、当の不知火はそれどころではなかった。

「御免なさいね……。ついさっき伝染してしまいました。フフ、フフフフフフ」

早霜はそう言って艶っぽく笑う。

「わたしも非番の時はスカートだけでいようかしら」

「この暑さだからねー、それもいいんじゃない? ねぇ、ぬいぬい? あれ、どうしたの? 具合でも悪いの!」

そう気遣う提督の横で不知火は頭を抱えてうつむく。

――どうして? なぜ? し、不知火は昨夜、誰にもそんな話はしていないのに……早霜はどうして……

口頭で問いただすこともできず懊悩する不知火の心中を知ってか知らずか、早霜は妖艶に微笑み続けた。




うまく書けず3回書き直してやっと書けました……。すいません、いろいろあってやっと投稿です。

なかなかうまく書けず、もう閑話扱いで先進もうかとも思ったのですが、結局こちらに投稿することにしました。
出来はともかく、この辺の二人のやり取りはちゃんと書いておきたかっので。


次は那智サイド、そして作戦は始まるが……来月の盆までには投稿します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。