艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ   作:Piyodori

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ナイトキャップ

 時化で横風が強く、軽巡鬼怒と指揮下の三隻の駆逐艦はローリングとピッチングに翻弄されつつ、単縦陣を組み速力二十七ノットで深海棲艦の水雷戦隊を追撃していた。

「目標、進路変えたぞ! 針路210へ転舵中だ」

前衛の駆逐艦菊月から分隊指揮官の鬼怒へ無線電話が入る。艦娘の鬼怒は艦橋の上から、北へ遁走をはかる敵の単縦陣へ目を凝らす。曇天のもと不気味な黄色い光を灯して逃げつつ、こちらへ反撃する機会をうかがっているようだ。鬼怒が自分の艦へ指示を出すと、前部マストにかけられた索に沿って信号旗がするすると昇っていく。

「次のタイミングで一気に速度上げるよー!」

「了解、まかせて!」

「はい、承知しました」

後ろに続く駆逐艦清霜と春雨から相次いで応答があった。

「菊月だ。最後尾の駆逐艦が単縦陣から外れたぞ!」

高速航行中に急に転針したため、陣形を維持できなくなった敵の駆逐艦が味方艦から針路を大きくはずれて回頭している。味方の援護のない独航艦は格好の標的なのだが、鬼怒は戦闘前の申し合わせ通り、敵本隊の追撃を優先させた。

 鬼怒が増速の指示を出すと各艦の煙突からぼっと黒煙が吹き出し、艦首波がいっそう激しく海面を割る。鬼怒たちはついに三十ノット以上の早さで敵艦隊を追跡し始めた。さすがにそれまで綺麗に一・五キロ間隔で組んでいた単縦陣が乱れるが、なんとか一列の陣形を維持できていた。

 その頃、はるか上空からは重巡那智から発艦した零式三座水偵が彼我の艦隊運動の動きを見守っていた。重巡那智と衣笠、そして駆逐艦三日月からなる第二分隊も戦闘海域に展開しているのだが、未だ接敵せず鬼怒達から西に九浬の離れた位置に占位し続けていた。

『水雷戦隊ハ、敵主隊ノ追撃ヲ継続スベシ』

自艦の砲戦指揮所に立った那智は水偵を介して鬼怒へそう無電を送り、自艦の前方を走る衣笠へ向け無線電話で呼びかけた。

「そろそろ頃合いだな」

『はーい、お任せ、お任せー』

受話器から元気のいい返事が届き、前方の重巡に新しい信号機が上がった。今回、この第二分隊の旗艦は衣笠が務めている。衣笠、那智、三日月の三艦は測距儀で独航艦となった敵駆逐艦の距離を測り、ちょうど二時方向に位置する敵駆逐艦へ向け砲塔を回す。

『全艦、交互射撃、撃ちー方はじめ!』

衣笠の号令とともに第二分隊の各艦は砲撃を開始した。

「第二分隊、砲戦開始」

那智は艦橋を襲う爆音と衝撃波のなか、遠方の敵を見据えながらつぶやいた。

 すぐに次の組の砲身が仰角をとって敵を追う。二撃目の発射とほとんど同時に敵の艦列の周囲に水柱が現れる。

 前方の衣笠は、すぐに修正した発射解を那智と三日月へ知らせつつ三撃目を準備し始める。今回新しく搭載した徹甲弾には艦ごとの弾着確認を容易にするため、着色剤が混ぜられており、衣笠は黄色、那智には青い着色弾が割り当てられていた。

 第一撃、二撃は目標の手前に落ちたようだ。水柱を見ながら那智は前世で自分が参加した海戦を思い出した。

 太平洋戦争劈頭、重巡那智が姉妹艦の羽黒らとともにスラバヤ沖で連合国軍の混成海軍を迎撃した際、昼戦では敵の反撃を恐れて遠距離砲戦、魚雷戦にこだわったため敵艦隊の殲滅まで多くの時間を浪費してしまったことがあった。結局、最前線で多くの戦果をあげたのは軽巡、駆逐艦ら水雷戦隊で、重巡部隊は敵に効果的な打撃を与えることができなかったのだ。

 そんな記憶の「古傷」をさするような気持ちで那智は衣笠の命令を待った。

――まだ距離が遠いか。さて、衣笠はどうする……

那智がそう思ったところで無線電話のスピーカーから衣笠の声が響いた。

「那智さん、三日月ちゃん、このままじゃ当たらないから、一気に寄せるよ!」

衣笠は隊列維持のため発光信号で増速と転舵の方向を指示してきた。那智は衣笠の機敏で大胆な命令に那智は少し驚かされたが、にやりと笑った。

「承知!」

『三日月、了解です!』

重巡衣笠は白い波を曳きながら敵艦隊の左舷側から一気に間合いを詰めつつ敵の針路の前方を遮るように圧迫した。当然、敵は盛んに撃ち返すから敵の砲撃が艦の周りの海面を叩く。

 見ているうちに衣笠の艦橋構造物後部に爆煙が上がった。

「衣笠!」

『こっちは平気だよ! 一気に潰しちゃお!』

距離が詰まれば命中精度どんどん上がる。那智が標的に定めた駆逐艦には挟叉後立て続けに二発が命中、急激に速力を落とした。衣笠が狙っていた駆逐艦からもぱっとオレンジ色の花が咲いたように炎が上がり、みるみる炎上しはじめる。後続の駆逐艦三日月も敵を射程にとらえ、敵の駆逐艦に数発の命中弾を与え、敵は完全に戦闘能力を喪失したようだ

『こちら第一分隊、魚雷戦いきます!』

 末尾のはぐれ駆逐艦を片付けた時、敵を挟んで反対側に占位する鬼怒からの無線電話が届く。

『第二分隊、了解。分隊各艦、同士討ちに注意して』

 那智は了解と応答し、羅針儀に寄りかかりながら彼我の展開状況を観察した。ここまでくれば一方的な勝利はほぼ間違いない。敵艦隊の殲滅は間違いないだろう。那智は艦内の見張り台に周囲警戒を命じつつ艦を衣笠に追従させる。第一分隊の魚雷が敵艦の船底を粉砕したのはそれから六分後のことだった。

 

 三時間後、夕闇迫る頃、メジロ泊地に艦隊が戻ってきた。果たして海戦は、敵艦へ魚雷が命中後、衣笠率いる第二分隊による近接砲戦により敵艦隊を全滅、メジロ島巡航警備艦隊の完全勝利に終わった。

 タグボートの指示により泊地に錨を下ろした艦隊の艦娘たちは各自内火艇で桟橋におり立つと、出迎えたマツエダ提督と高雄の労いを受けた。

「お疲れさま、やったわね!」

「いい指揮だったね。こんなパーフェクト勝ちは久々じゃないか」

「うん、見事敵艦隊を完全撃破できたよ!」

「すごかったんだよ。火を吹いて敵の巡洋艦がくるんっと転覆した途端にボカーン!って、ものすごい迫力だったんだから!」

鬼怒と清霜が興奮気味に語る。

那智や衣笠も内火艇のもやい綱をかけて桟橋へ上がってきた。

「那智君、衣笠君もおかえりなさい。今日の殊勲賞は衣笠君達の第二分隊かな」

マツエダの言葉に他の艦娘達も大きくうなずく。

「はい、衣笠さん達が一気に距離を詰めたから砲撃で敵艦を一方的にやっつけられたんですよ」

と春雨が言った。

「そうだな、あんな大胆な手に打って出るとは思わなかったぞ。いい判断だった」

那智もその通りとばかりに衣笠をほめたので、当の衣笠は照れくさそうに視線を泳がせて頭をかく。

「わ、私はただ、いつも通りやっただけだよ」

「さすが、かつてサボ島沖で単艦敵に肉薄して仲間を救った艦だけあるな」

「もう那智さんまで、ちょっとおだてすぎだって!」

恥ずかしがる衣笠を前にみなが笑い声をあげる。

 マツエダ提督は那智に聞いた。

「初めてうちの実戦に参加してもらったけど、どうだった?」

「勇敢だし、練度も高く、恐れ入った。これなら群島の島民や付近を航行する民間船も安心だろう」

那智の言葉に艦娘達は照れ笑いを浮かべる。

「ただ……」

那智が一言添えたので、一同笑顔も引っ込み急に神妙な面もちとなった。

「第一分隊は敵艦を撃破後、轟沈する様子に目を奪われて周囲警戒も艦隊運動も完全にお留守になっていたな。特に旗艦の鬼怒と清霜は艦隊運動も忘れて行き足がかなり遅くなっていたぞ」

「うぐっ……そ、それは……」

 敵艦隊を全滅した後、第一分隊は炎上しながら沈みつつある敵を間近で眺めていたため、周囲の見張りや対潜警戒が完全におろそかになっていたのだ。その間、那智達の第二分隊が周囲で円陣を組んで警戒にあたっていた。

 第一分隊の面々はしゅんとして肩を落とした。

「その昔、あの戦争で轟沈する敵艦に見とれて万歳三唱なぞにふけっていて、肝心な敵の残存艦を取り逃がすという大マヌケを演じた艦隊がある。この艦隊では、くれぐれもそんな事がないようにな」

「ご免なさい……」

「こ、これから気を付けます……」

清霜と鬼怒がしょげて頭を下げる。那智は澄ました顔で説教を垂れた後、くすりと笑って、さらに続けた。

「まぁ、その大マヌケのやった艦というのは、他でもないこのわたしなんだがな。だからみんなはそうならないよう気をつけてくれ」

那智がそう言って笑うと、一同もつられて笑い出す。

 ひとしきり笑ってから高雄が号令した。

「さぁみんな、早くお風呂に入って夕飯にしましょう。今日は戦勝を祝ってちょっとしたご馳走よ」

一同が歓声を上げる。

「提督、那智さんがだいぶ打ち解けてくれて、良かったですね」

嬉しそうに言う高雄の言葉に、マツエダ提督もうなずいた。

「ああ、急なことだったから心配していたけど、うまくやってくれそうだ」

マツエダ提督から見ても、那智は想像していた以上にメジロ泊地の艦娘達に慣れてきているように見えた。それに那智の転属が他の艦娘にも良い刺激となっているように見えた。

 艦娘達がにぎやかに宿舎の方へ歩いていく中、マツエダ提督は桟橋に最後まで残っていた那智の労をねぎらった。

「お疲れさま。うちの子達、那智君から見てどうだった?」

「ああ、想像していた以上に練度も士気も高く、戦闘中も安心して戦うことができた。特に衣笠は判断も的確で戦意も旺盛だ。頼もしいな」

自分が直接ほめられたわけではないが、マツエダ提督ははにかんだように照れ笑いを浮かべた。

「彼女は前世で姉妹艦を含む艦隊が窮地に陥ったとき、単艦で殿について敵を叩き、味方の脱出を助けた。この前の那智君達と一緒さ。それに第一次ソロモン海戦も経験している。あまり昔のことは口にしないタイプだけど、高雄と同じくらい頼りにしているよ」

「そうか、心強いな……」

 二人は宿舎へと歩き出した。

「今日は大勝だ。もしよければ夕飯後、少し飲まないか。明日は出撃もないし」

マツエダ提督がグラスを傾ける仕草をしながら言った。那智は一瞬、虚を突かれたような顔で提督を見つめる。一瞬ためらいも感じたが、今日の酒は美味い酒になりそうな気がした。那智はうなずいた。

「そうだな、今夜ばかりは飲ませてもらおう」

那智はそう言ってマツエダ提督へ微笑んだ。

 

 夕食後しばらくして那智がマツエダ提督の執務室をたずねると、マツエダ提督は第二種軍装の上着を脱ぎワイシャツ姿で何やら作業をしていた。

「少し早かったか?」

「いいや、もう仕事は済んでるから。今日の日報も終わったところだよ」

マツエダ提督は机の上に広げていたバインダーを閉じ、万年筆のキャップを閉めてから立ち上がった。

 那智は改めて執務室を見回した。提督の執務机の斜め前には秘書艦用の机があり机上のタイプライターにはすでに埃除けの布カバーが被せてある。部屋はヤムヤム泊地の執務知るより広々としており、右手の壁には本や書類がぎっしり納められた本棚に覆われている。ヤムヤム島の執務室はここより手狭でやや雑然としており、職住一致的な、居間と兼用しているような気安い雰囲気だった。一方、この部屋は瀟洒で落ち着いた雰囲気でいながらあくまで仕事場としての緊張感を漂わせている。部屋の一角にはソファーとローテーブルがしつらえてある。

「高雄は? もう下がったのか?」

「ああ。さぁソファーにかけてて」

提督は机の引き出しからサントリーオールドの丸い瓶を取り出した。

 ソファーの正面の壁には畳一畳くらい額縁に納められた重巡高雄の油絵が飾られていた。晴天のなか白波を立てながら優雅に進む姿が、きめ細かいタッチで描かれていた。ローテーブルにダルマの瓶を置いたマツエダ提督は那智とともにその絵を見上げた。

「素敵だろう? 食堂に飾ってある方には気づいたかい? 向こうには衣笠のが飾ってある」

那智はうなずいた。食堂の壁に飾られた絵画は、夜間荒々しく砲戦を繰り広げる重巡衣笠の姿を荒々しいタッチで描いた勇ましいものだった。

「ああ、どちらも素晴らしいな。もともとここにあった備品なのか?」

「いいや、陽炎型の末っ子に絵が上手な子がいてね。これは特別に頼んで描いてもらったんだ」

名前こそすぐに出てこなかったものの、那智は噂で聞いた覚えがあった。なんでも、仲間の艦娘をモデルに猥褻な劇画を描く駆逐艦娘がいるらしいというものだ。

 マツエダ提督は那智の困った表情を読みとり、苦笑いを浮かべる。

「確かに、ちょっと困ったところがある子なのは本当みたいだけど、腕は確かだね。まぁ安くはなかった。これだけのものを作ってもらうには、それなりの軍票をはたく必要があったけど、悪くない買い物だと思ってる」

「そうだな」

那智がうなずくと提督は良いことを思いついたとばかりに掌を叩く。

「もしよければ那智君も描いてもらってはどうだろう? 次は鬼怒君の番って決まってるから、その次ということになるんだけど。そうだな……、軽巡鬼怒は玄関に飾るから、那智君はこっちのあいている壁に飾ろうか。妙高型と高雄型、きっと壮観だ」

「おいおい、そんな性急に決めることでもないだろう……」

一人嬉しそうに語る提督を前に、那智はあきれ半分に笑う。

「それもそうだが……。そういえば、君はチーズ好き? 本土にフランスの軍艦が来たときにたまたま出張していた鬼怒君がお裾分けでもらって来たんだが、私以外はあまり食べなくてね」

「ああ、嫌いではない」

「よかった」

 マツエダ提督は銀紙に包まれた半円形のチーズと氷の入ったグラス、それに薄く切った食パンを盆にのせてもどってきた。

「さすがにこの島ではフランスパンは手に入らないから」

「これだけあればご馳走じゃないか」

那智は自分のグラスに琥珀色のウィスキーを注ぐ。グラスの中で氷が回ってカランンと心地よい音が鳴った。那智がマツエダ提督のグラスにも注ごうとしたが、提督は別のボトルネックの長い黒い洋酒の瓶から酒を注ぐ。

「それは?」

「私はブランデー派なんだ」

その言葉を裏付けるように、那智の鼻孔をウィスキーとは異なる芳香がくすぐった。

「さて、今日の勝利に乾杯だ」

「ああ、乾杯」

二人はグラスを軽く打ち合わせてからグラスをあおった。

「うまい……。海戦の後、特に勝利の後の一杯は最高だな」

マツエダ提督はつまみのブルーチーズを薄切りにした食パンにのせて食べ始めた。

「他の艦娘は、酒は飲まないのか?」

那智の問いにマツエダ提督は軽くうなずいた。

「高雄ちゃんはお酒がだめな質だし、衣笠君も鬼怒君もお酒好きというわけではないから、これまでは一人でちびちびやってたんだ」

那智は無言でうなずき、その言葉を噛みしめた。姉妹艦の足柄以外とここまでリラックスして酒を酌み交わすのは久しぶりのことだった。僚艦の加古は酒好きだったが、野放図にガブガブ飲んですぐ寝てしまい、ふと起きてはまたグビグビ飲んで寝てしまうという、滅茶苦茶な飲み方を朝まで繰り返すタイプで、とてもその時間を共に楽しむ相手ではなかった。またトビウメ提督は飲酒の習慣がなく、そもそもアルコール嫌いとあって、泊地で那智はいつも一人で酒を飲んでいた。トビウメ提督がこんなふうに夜の一時につき合ってくれたらさぞや楽しかっただろうにと、那智はふと夢想したが、この期に及んでそんなことを考えても仕方がないとその思いを振り捨てた。実際、那智は今この場が心地よかったのだ。

「この泊地は戦線のやや後方に位置するから、最前線のような激しい戦いはそんなに起きないけど、戦線の内側に浸透を図る深海軍の撃退や群島部周辺海域の安全維持は最前線の戦闘と同じくらい重要だ。そんな時、もっとも頼りになるのは駆逐艦や巡洋艦だ。かつてあの大戦争の際も敵と最も激しく砲火を交えたのは中・小型艦艇だった。おそらくこの世界でも、それは変わらないとだろう」

那智はそう真剣に語るマツエダ提督を黙って見つめていた。おそらくそうなのだろう。確かについこの前までそう信じていた。今もそう信じたい……。那智は不意に辛くなって口元を押さえた。

「那智君、大丈夫?」

「す、すまない、ちょっと酒が回った」

マツエダはラボール泊地の居酒屋鳳飛で出会った時を思い出した。今の那智の顔はその時と同じものだった。

「貴官の言うことはきっと正しい。ただ、わたしはこの前、自分を信じてくれた者の期待を裏切り、恥をかかせた。わたしでは戦艦を倒せない。訓練や戦術ではどうにもならない、もって生まれた火力の差だ。あいつだけがわたしを信じてくれたのに、あんな目にあわせて……」

那智は急に俯いてむせび泣きはじめた。

「な、那智君、それは違うだろうに……」

慌ててマツエダ提督は那智の横へ来てその両肩をつかんだ。精神が不安定な状態にある人間にとってウィスキーなどのある種の蒸留酒が悪く作用することはマツエダ提督も知っていた。マツエダ提督は自分の考えが浅かったことを自覚した。

「あの日の戦闘詳報は読んだよ。あの戦況で、タ級戦艦二隻を足止めできたからこそ、多くの艦が生還できたんじゃないか。君とトビウメ提督が引け目を感じることなど何もないはずだよ。あの戦いでは二人とも、任務を十二分以上に果たしたじゃないか。君たちはそのことを誇りに思うべきだ」

正直なところ、マツエダ提督はトビウメ提督の名を出して讃えるのに若干の心理的な抵抗を感じたのだが、そのことに言及しないのは不誠実に思えた。

 その時、戸口で物音がしたのでマツエダ提督が顔を上げると、お盆に麦茶のポットをのせた高雄がうろたえた表情で立っていた。

「あの……その、ご、ごめんなさい。まだお休みされてないようだったので、その、お茶を……」

気まずそうに顔を背けて言う高雄をマツエダ提督が招き寄せた。

「ああよかった高雄ちゃん、那智君ちょっと麦茶を飲んで。今日は疲れたろうから、そろそろ休んだほうがいいね」

グラスを置いて両手に顔をうずめる那智の肩を抱きながらマツエダ提督は高雄から麦茶が注がれたコップを受け取り、那智に手渡した。

「高雄ちゃん、那智君を部屋までお願いしていい? こっちの片しは私がやるから」

「急に取り乱してすまない……」

麦茶を飲み干した那智は絞り出すように言った。

「明日の朝はゆっくりで大丈夫だから」

「じゃあ那智さん、行きましょう?」

高雄に肩を借りて那智ながら、二人は執務室から出て行った。

 残されたマツエダ提督は残った皿やグラスを給湯室へ片づけると、テーブルに残った食べ残しのブルーチーズとパン、ブランデーの瓶を執務机に持ってきて一人でナイトキャップの続きをはじめた。

 程なく高雄が執務室に戻ってきた。

「那智君、大丈夫そうだった?」

「ええ、そんなに酔っている訳ではなかったみたいですが、あの……一体どうされたんですか?」

高雄は遠慮がちにおずおずとした口調で尋ねた。マツエダ提督は手元のブランデーグラスを曇らすアルコールの湯気に視線を落とす。

「この前の海戦のこと、特にGF司令部の連中からの評価を引きずっているみたいだ……。変なこと聞くけど、高雄ちゃんは『戦艦になりたい』とか『空母に生まれれば良かった』って思ったことあるかい?」

「ええっ、わたしがですか? そんな清霜ちゃんみたいな……。うーん、戦艦の方達は素敵だなと思ったことはありますよ。でも、わたしは高雄型があの戦争で重巡の中核を担ったことを誇りに思っています」

提督はうんうんとうなずいた。マツエダ提督も今那智を悩ませているものが、清霜がいつも願っているような子供らしい憧れとは違うことをわかっていた。

「寝る前に悪かった。高雄ちゃんはもう休んで」

「はい……。あの、提督は?」

「わたしはもう少ししたら寝るよ」

高雄ははいとうなずくと部屋を後にしたが、マツエダ提督の思考はすぐに悲しみに歪む那智の表情のことで一杯になり、退出する高雄の表情がすぐれなかったことに気付くことはなかった。

 執務机の上に広げられた戦闘詳報を仕舞いながらブランデーを一口あおう。濃厚な香りとともに酒が舌を焼く。

「なんだよ。思った以上に愛されてるじゃないか、トビウメ君……」

マツエダ提督は空になったブランデーグラスを握りしめながら一人つぶやいた。

 この夜、メジロ那智泊地の那智、高雄、マツエダの三人はそれぞれの理由で眠れる夜をすごすことになった。

 

 翌朝、睡眠不足を自覚しつつもマツエダ提督は防暑衣に着替えて食堂へ出向いた。海戦の翌日とあって駆逐艦もまだ起き出してないようだった。

――昨夜の様子じゃ、那智君もまだだろうな

そう合点して、給仕カウンターのおばさんに朝食を注文しようとすると、きちんと制服を着込んだ那智が食堂へ現れた。

「あ、那智君、おはよう! まだ七時だよ。ゆっくりしていてよかったのに」

那智はバツが悪そうな顔でマツエダ提督に頭を下げた。

「さ、昨夜は見苦しい真似をして、す、すまなかった! それに、せっかくの時間も台無しにしてしまって……。それに高雄にも謝らなければならない」

マツエダ提督は那智の表情を見据え、そこにいつもの溌剌さが戻っていることを確認した。

「いや、そんな。それより、まさか那智君が泣き上戸だとは思ってもみなかった。大発見だ。皆に教えてあげないと」

意地悪そうに言うと、急に那智の顔が赤くなる。

「わ、わたしは、決して、そ、そんなことは……」

うろたえる那智の顔を見てマツエダ提督は少し安心した。

「ははは、冗談。もちろんわかってる。また週末の夜にでもつき合ってくれるとありがたい」

那智もぎごちないながらも、つられて笑顔になった

「ああ、そうだな。是非に」

「さて一緒に朝飯といこう」

 そんな二人の打ち解けた様子を高雄は食堂に入り口から見つめていた。高雄は、那智が艦隊に来て以来、理由のわからない不安にさいなまれるようになっていた。

 中小型艦艇を編成に腐心しているマツエダ提督が他の艦隊から巡洋艦娘や駆逐艦娘をスカウトしてくることはこれまでにも何度かあった。衣笠もその一人だし、新しいメンバーを提督と高雄はいつも、できる限りのことをして歓迎してきた。那智の編入も同じことのはずなのだが、高雄はなぜか不安とともに心に痛みが走るのを感じるようになってきた。それは那智に何らかの原因があるわけではないはずなのだが、不安は徐々に大きくなって来る一方だ。それに那智を見るマツエダの眼差しも高雄を理由もなく苦しくさせた、その証拠に、今なぜか二人が膳を並べている食堂に入ることができなかったのだ。

「あ、高雄さん、聞いて。とうとう始まったって!」

 Tシャツにハーフパンツという部屋着姿で食堂前の廊下にやってきた衣笠が長距離通信用の電文用紙を手に高雄に声をかけた。高雄はそれを受け取り目を走らせると、すぐに普段の有能な秘書艦の顔にもどり、食堂の提督の元へ足早に駆け寄る。

「提督、おはようございます。緊急電文です」

那智とテーブルで朝食をとっていたマツエダ提督が電文を読むと那智へ顔を向けた。

「那智君、連合艦隊、未明にタロタロから出発したそうだ」

那智も真剣な表情でうなずいた。

 それはブーメラン島奪還作戦、後に第二次ブ島沖海戦とよばれる一連の作戦行動の開始を告げる電文だった。




かれこれ数ヶ月ぶりの更新となりました。
方向性に迷いなども感じつつ、なんとか更新できました。
次回、「第二次ブ島沖海戦」です。

更新情報やその他の裏話は今後、新たに開設したツイッターで告知します。
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