艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ   作:Piyodori

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第二次ブーメラン島沖海戦 1/ブ島上空強行偵察

 ブーメラン島の西二十浬。その日は晴れわたっていたが、真っ青な空にはいくつも綿菓子のような白い雲が幾重にも浮かんでいた。それらの雲は雨雲ではなかったが、斑点状に日光を遮って青黒い海面の至る所に明暗のコントラストを作っていた。快晴であれば東の水平線上にはうっすらとブーメラン島の島影が見える位置なのだが、今日はもやがかかりはっきりとは視認できなかった。平穏な海の筈だった。異形のごつごつしたシルエットを持つ暗色系に染められた三隻の深海棲艦の存在を除いては……。

 中央の赤い燐光を発するト級軽巡洋艦をロ級駆逐艦二隻が一・五キロ間隔で挟むように単横陣を組み、北西へ舳先を向け二十二ノットで航行していた。ブーメラン島沖を哨戒中のパトロール艦隊で、潜水艦の接近を警戒し各艦とも三十秒間隔で対潜捜索用の探信音を発していた。

 だが、いくら探信音を発しようと、大平洋の青黒い黒潮の下を航跡も残さず殺到しつつある六本の九五式酸素魚雷を察知することはできなかった。

 死は何の前触れもなく突然訪れた。まず陣形中央のト級軽巡の左舷の艦尾と艦橋直下の船底に四十九ノットの早さで魚雷がめりこみ重量約四百キロの炸薬が周囲五メートル以内のあらゆる物を粉微塵に粉砕、さらに広い範囲に猛烈な衝撃波による破壊をもたらした。ト級の姿が白い水柱に隠れ一瞬見えなくなったその刹那、単横陣の右端にいた駆逐艦の左舷中央部に立て続けに二発が命中し、猛烈な水しぶきとともにくの字に裂けた。唯一無事だった左側のロ級駆逐艦の艦底にも魚雷が飛び込み、砲塔直下の弾薬庫もろとも弾け飛んだ。

 三隻とも一体自分に何が起きたのかすら把握する前に急速に沈み始めた。そして、魚雷の爆発をまっていたかのように、群青色の海面下に黒い影が浮かび、パイプ状の棒が海面上に突き出したかと思うと、間もなく白波を立てながら黒い船体が突然姿をあらわした。全長はイ級駆逐艦をしのぐ百二十二メートル、全幅十二メートル、基準排水量三千五百三十トンの真っ黒に塗装された巨大な潜水艦、伊四〇一が急速浮上したのだ。船体や木製の上甲板から海水が流れ落ちるのを待つことなく、艦橋の昇降ハッチが勢いよく跳ね上げられるとともに、防暑衣に略帽姿の男とスクール水着姿の艦娘が飛び出してきた。

「やったね! 時間きっかり。たぶん緊急電を打つ暇は無かったんじゃない」

艦娘のシオイは炎と煙に包まれ、みるみる沈んでいく駆逐艦を眺めながら言った。ロ級駆逐艦は中央部が破断し艦首と艦尾がそれぞれジャックナイフのようにVの字となって沈んでいく。

 無精ひげの浮かぶ顔にニヤリと笑みを浮かべてカメヤマ提督は愛用の懐中時計で時間を計る。

「計算通りだな。シオイ、いつまでも眺めてないで逆探上げるぞ」

「はーい」

二人は艦橋の上でレーダー電波受信機、通称逆探のアンテナを引っ張り出して艦橋の竿の上に掲げる。それを三百六十度回してシオイはうなずいた。

「南南西から微弱な電波が来てるけど、かなり遠いし、それ以外は大丈夫そう」

「周囲警戒、他に敵艦はいないな」

二人とも双眼鏡で周囲の水平線に目を凝らす。ここは深海棲艦がブーメラン島の西方に展開した防衛線の内側に位置し、いつどこから敵艦があらわれてもおかしくない場所だった。

 連合艦隊より一足早くタロタロ泊地を出撃した伊四〇一は、騒音を立てないよう、低速でゆっくりとブーメラン島近海まで進出、敵の戦線の後方へ潜り込み、三隻で哨戒中だった敵のパトロール艦隊を奇襲したのだ。

 カメヤマ提督はこの世界で潜水艦娘の指揮を預かるようになってから独学で潜水艦について学び、潜水艦による敵戦線後方への浸透と情報収集、奇襲、一撃離脱などによる敵後方線の攪乱などについてのまとめた戦術書『洋上ゲリラ線』を執筆、一部の提督や艦娘から多くの支持をえていた。

 今回の浸透作戦もまさにそれにのっとったもので、敵の拠点近くまで可能な限り潜航し、不意を突いて強烈な一撃を見舞うというセオリーにのっとったものだった。

 また敵に、自分達に何が起きたのか通報する暇を与えぬため、酸素魚雷が三隻にほぼ同時に命中するように周到に計算し、タイミングをはかって魚雷を発射したのだ。ただ、この手の芸当は失敗がつきものだ。一撃目で討ちもらした場合に備え、八本ある魚雷発射管のうち残り二本には海水を注入し、いつでも撃てる状態でスタンバイしていた。

「ねえ提督、残り二本、発射管から戻す?」

「いや、そのままだ。すぐに撃てるようスタンバっといてくれ。いつ敵があらわれるかもしれない」

シオイははーいと答えて、艦橋から梯子を伝って前甲板へ降り、艦橋構造物の前方にある大きな格納ハッチのハンドルに手を添える。艦内から見えない力によってロックが解除され、大きな円筒形状のトンネルが口を開けた。

 伊四〇〇型潜水艦が潜水空母とよばれる所以となっている、有名な攻撃機用格納庫が口を開けた。中には主翼を後方に折り畳み、プロペラとフロートを取り外した状態の特別水上攻撃機「晴嵐」が三機、ぎゅうぎゅうに格納されている。

 二人は手慣れた様子で攻撃機の組立てをはじめた。重い部品の取り付けは艦娘搭載艦特有の妖精による見えない力で進め、人力で可能な作業は提督とシオイが直接手伝った。台車により滑走カタパルトまで機体を引き出し、折り畳んでいた翼を展張した。二人はすぐに二機目の組立作業に移る。熱帯の海の上でわき目もふらずに作業する二人の顔から滝のように汗が流れ落ちはじめ、二人ともそろいのタオルを頭に巻いて作業を続ける。一機につきおよそ七分、晴嵐の一番機、二番機が発艦準備を終えた。

 カメヤマ提督は息も絶え絶えになってシオイに命じる。

「よし風上に進路をとれ、打ち出すぞ」

「了解、任せて」

「シオイ……。出発前から何度も話したが、今回は……」

カメヤマ提督がそう言い淀むと、シオイは晴嵐の方を向いて毅然とうなずいた。

「わかってる。大丈夫。これはみんなを守るため、大切な任務だからね」

 三機の晴嵐は、敵後方を攪乱するため胴体下に真っ黒な二百五十キロ爆弾を二発を懸架、後部座席には敵地を上空から写真撮影するための写真機がくくりつけられていた。また胴体内には無線電信機も備えてある。無論、パイロットも爆撃手もいない無人飛行のため人的損失の心配はないが、今回の敵中強行偵察飛行では、もとより艦載機の回収は想定しない作戦となった。潜水艦搭載機は展開時より、格納するときのほうが遙かに手間も時間もかかるため、敵の哨戒線内で活動する今回はのんびりと回収作業をする余裕はない。

 普段から、「晴嵐さんは友達」と公言している艦娘のシオイにはじめから艦載機の損失を前提とした作戦を命じたことに、カメヤマ提督はとてもすまなく思っていたが、最新の敵状を探るにはこれしか策が無かったのだ。艦載機は艦娘にとって、艦とともに自分の一部ともいえるものだ。それを失うことは大きな精神的負担となる。

「大丈夫だよ、提督。晴嵐さんはあの戦争で、搭乗員は収容しても機体の収容はあきらめることが前提でつくられてたし、最後の任務では特攻機として使われることになってたんだ」

カメヤマ提督もそれは十分に承知していたので、無言でうなずいた。

「実際、作戦決行前に戦争が終わって、特攻しなくて済んだけどね……。だから、他の艦の子よりもショック受けたりしないから大丈夫。わたしは一応潜水空母なんだよ」

「すまない。苦労をかける……」

「平気だよ。これはわたししかできない任務でしょ? 今日はわたしも晴嵐さんも本気出していくよ」

シオイが笑ってそう言うと、ぐらりと潜水艦が南西へ向きを変えた。船体を安定させるため、シオイは五ノットで前進をかける。舳先が波を越える度に大きく上下にふれた。

 シオイは晴嵐一番機のエンジンカウルに愛おしそうにそっと手を添えた。

――晴嵐さん、今日はよろしくね

「発動機始動!」

提督の号令一下、シオイが念じると晴嵐のアツタV型十二気筒発動機がうなり声をあげて燃料を燃やし始めた。

「発動始動、よし!」

プロペラが回り始めると、後方へのものすごい風が押し出され。甲板に立っていたカメヤマ提督の頭のタオルが吹き飛ばされた。あらかじめ温めてあった潤滑油、エンジンオイルを充填したので暖気運転の時間をとらなくともすぐに離陸できる。

「発艦準備よろし」

「よし、いつでもいいぞ!」

シオイは、カメヤマ提督の指示にうなずくと舳先のうねりに意識を集中した。舳先が下を向いたときに発艦してしまうと海面に突っ込んでしまうからだ。ここが、シオイの腕の見せ所だ。荒波のなか、しばらくタイミングをはかる。一つ大きなうねりを越え舳先が大きく下がり、再び上がりだした。

「発進!」

シオイのかけ声とともに、圧搾空気が甲高い音を上げてカタパルト上の台車ごと晴嵐一番機を舳先へ押し出した。急加速した機体は舳先で台車から前方へ放り出されるとともに、フワリと空中に浮かび、しばらく直進してから大空へと舞い上がった。一番機は安定した速度を得ると、伊四〇一の周囲を大きく一回りし、高度を上げてブーメラン島の方へ飛んでいった。

 シオイとカメヤマ提督は大きく手を振って一番機を見送ると、すぐに二番機のエンジンを始動させ、同じ手順で発艦準備にかかる。そして二番機は、一番機に遅れること六分、母艦を飛び立ち、ブーメラン島北方へと飛び去った。

 二人は余韻に浸る間もなく残った三番機の準備にとりかかる。格納筒の一番奥にしまい込まれている三番機は、一、二番機が発艦後でないと組立て準備にとりかかれないので、二人は大急ぎで作業し、なんとか開始六分で格納筒から引っ張り出すことができた。さすがのシオイも感慨深い発艦見送りに心を配る余裕もなく、いつあらわれるか知れない深海軍の警備艦隊の心配をしながら、ようやく三機目を大空へ無事に打ち出した。

「がんばってー! よろしくねー」

晴嵐三番機は一度大きくバンク(翼を左右に振ること)して、島の北方へ飛び去った。

 一仕事終えた二人は木製の甲板にへたりこんだ。カメヤマ提督は艦内に下りると、ラムネ瓶を二つ手にして甲板に戻ってきた。

「お疲れさん、三機いっぺんに発艦っていうのは大変だったな……」

「そうだね。今日は大変だったけど、でも提督、ありがとう。あたしの活躍できる作戦を考えてくれて」

「そいつは無事に帰ってからな」

二人はラムネ瓶を打ち合わせて乾杯し、一息ついた。

「逆探の反応は大丈夫か?」

「うん。さっきから弱い電波がチラチラ入るだけ」

 ラムネを飲み干すとシオイはすくっと立ち上がり、ノースリーブのセーラー服を脱ぎ捨てた。

「さて、暑いからどぼーんしちゃっていい? 晴嵐さん達が目的地につくまではまだちょっと時間あるし」

「おい、ここは敵地だぞ。大丈夫か?」

「見張りにも気を配ってるから大丈夫、大丈夫」

そう言ってシオイはセーラー服とスクール水着を脱ぎはじめる。

「ああー、だから泳ぐときは服着て泳げっていってんだろ!」

カメヤマ提督はあわてて違う方向へ顔を背けて叫び、後甲板の方へ逃げ出す。

「へへっ、誰もいないから大丈夫だよ」

「俺がいんだろ!」

シオイは無頓着にそう言うと甲板から豪快に海へ飛び込んだ。シオイは小さい水しぶきとともに海面下に姿を消すと、まるでイルカのように器用に泳ぎ回る。

 その方が開放感があるとかなんとか言って、シオイにはトップレスで泳ぐ妙な癖があり、一緒に船出する度にカメヤマ提督を困らせていた。

「あーあ、ほんとロリコンじゃなくて助かったぜ……」

もし妙な奴が潜水艦隊の司令にでもなったら、取り返しのつかない間違いが起きるかも知れないと思うと、カメヤマ提督は自身の責任の重さを痛感するのだった。

 シオイが遊んでいる間、カメヤマ提督は双眼鏡で周囲の水平線へ目を凝らす。単発の水上機が姿を見せたと知ったら、深海軍は慌てて偵察機を周囲の海域に放つはずだ。そうでなくとも、敵は潜水艦による触接でこちらの反攻作戦のタイミングを察知しているはずだ。偵察機から情報を得たらすぐに無線でタロタロ泊地や連合艦隊へ無電を打って脱出しなければならない。

「提督も泳げば気持ちいいのにって、みんな言ってるよー」

海面に顔を出したシオイがそう呼びかけた。

「だから、俺は泳げないの!」

「いつもそう言うけどさぁ、昔の水兵さん達にも、最初けっこう泳げなかった人多かったんだけど、練習してみんな何とかなったから、提督も試してみればいいのに」

「いずれゆっくりできたときにな……」

そうは言ってみたものの、この剣呑な世界で果たしてそんな余裕のある日々が来るのかはカメヤマ提督にもわからない。

 四~五分してシオイが潜水艦の甲板に上がってきた。いそいそと水着を着たシオイは、髪留めをはずして海水に濡れた髪をタオルでふきながら、艦橋の上に駆け上がってきた。

「逆探に感あり。島南南東から。あと、晴嵐さん、ブ島の上空に着いたよ」

飛び立った晴嵐を管制する不思議な念力のような何かを感じ取ったシオイが真剣な眼差しで提督を見る。

「よーし頼んだぞ」

二人は遠くうっすらと見えるブ島の島影に目を凝らした。

 晴嵐三番機はブーメラン島の北端の港湾、ポートフリスビー上空から陸軍部隊や輸送船、そして湾外を十重二十重に囲む深海軍の封鎖艦隊の姿を上空四千メートルの高さから捉えていた。

「三番機から無電、港内の味方船団は無事。敵封鎖艦隊、湾口の北七浬に展開、重巡三、軽巡六、駆逐十以上、西北西に遊弋中。さらに東北東に複数の艦影認む。我、敵の対空砲火を受けつつあり。通信終了」

 艦載機からのモールス信号を受信したシオイがそう翻訳した。カメヤマ提督急いで報告内容をメモし、タロタロ島への報告文を書き始める。

「今のとこ、戦艦はいないか……」

「あ、ヤシガニ海岸の二番機から入電! 海岸沖十五浬に戦艦三、重巡五、軽巡その他二十余りの敵艦隊。我、敵機の追跡を受く。ああ、だめ……やられちゃった!」

「クソっ!」

島の南西に位置するヤシガニ海岸は陸軍部隊の上陸予定地点だったが、どうやら深海軍はそれを見越して北端の封鎖艦隊よりも強力な艦隊を展開していた。

――やっぱり敵の潜水艦に全部気取られてたってことだな

 こうなった以上、ブ島奪還どころの話ではない。実際、北の封鎖艦隊に全軍でぶつかってみて、幸運なら敵陣に穴を空けて船団を助けられるかどうかという所までオッズは悪くなっているのだ。

「シオイ、三番機は?」

「ああ~、三番機の通信も途絶えちゃった。敵巡洋艦に急降下爆撃を仕掛けたところでやられちゃったみたい」

「こっちは超弩級戦艦が三隻、高速戦艦が一隻。兵力を分散して戦える状況じゃねーな」

 

 その頃、一番遠距離の偵察を任された晴嵐一番機は島の南南東の端に位置するクラゲ海岸の上空に達してした。眼下には白い砂浜とエメラルドブルーの珊瑚礁が広がっているはずなのだが、海面はまるで赤潮が発生したかのように赤く濁り、白い砂浜には深海軍の上陸部隊がまるで獲物に群がる黒アリの大群のごとくうごめいていた。海上にはワ級輸送艦十隻以上が黒い船体を並べて停泊しており、その護衛の駆逐艦、巡洋艦も総勢三十隻近い陣容で赤く変色した海をおおっていた。沖の輸送艦と海岸の間には、灰色のシャコのような姿の上陸用舟艇が無数に往来し、上陸部隊をピストン輸送している。

 敵はすぐに三番機を発見し激しい対空砲火を浴びせ、晴嵐の周囲は高角砲弾の炸裂で瞬時に真っ黒な綿菓子のような煙におおわれる。

 

 無電でおおよその状況を受け取った伊四〇一では、カメヤマ提督がすぐに晴嵐へ帰還を命じた。

「こっちから電波を発したら猶予はないぞ」

「オッケイ、大丈夫。晴嵐さんに爆弾を捨てさせてすぐに戻すから」

カメヤマ提督は急いで甲板に下り、水密扉から引っ張り出したオレンジ色のゴムボートを甲板に広げ、ふいごで空気を入れ始めた。一方、シオイは晴嵐へ帰還するよう無電を打ち、それは直ちにクラゲ海岸上空の晴嵐へと伝わった。

 

 飛行中の晴嵐は、周囲で無数に炸裂する砲弾の破片により機体の至る所に穴があいていたが、突然、敵の虚を突くように急降下をきめて、砂浜を埋め尽くす深海軍の上陸部隊めがけダイブをかけた。一番機は機首を起こせるギリギリのタイミングまで降下し、二百五十キロ爆弾二発を敵の集積物資所とハゼのような形の陸上兵器の列にの真ん中へ放り込んだ。爆弾はほぼ垂直に落下し、砂浜の弾薬集積所とワタリガニのような深海戦車を木っ端微塵にした。晴嵐は機体の追ってくる曳光弾から逃げるため機敏なロールをかけ逃げはじめ、その後部座席の写真機はひたすらシャッターを切りつづけた。

 

「今戻らせた。逆探に反応あった。包囲〇三〇、〇七〇、一六七、二四八。四方向から。結構強いよ」

「すぐにドボーンできるようにしとけ! 魚雷も忘れるな」

カメヤマ提督はそう叫び、パンパンに膨らんだゴムボートを海面に投げ落とす。晴嵐が島に飛来し、さらに伊四〇一が電波を発したことで敵が急遽警戒レベルを高めたのだ。

「晴嵐さん、かなり撃たれちゃってまずいね。翼に穴が空いたからフロートを切り離すよ。着水はかなり荒くなるし、あっという間に沈み始めるから気をつけてね」

カメヤマ提督はうなずいてボートに木製のオールとロープ、それに手斧を放り込んだ。

「敵の艦上偵察機につけられてないな?」

「今のところ大丈夫」

カメヤマ提督は島の南東部へと目を向けた。まだ何も見えない。本来なら無人の航空機を放棄してすぐに離脱するところだが、唯一生き残った晴嵐が撮影した写真機のフィルムだけはどうしても持ち帰りたかったのだ。

 

 十分後、南東の上空に黒い点が浮かび、すぐに煙を曳いた飛行機とわかった。

「提督、来たよ! 戻ってきた!」

「よしきた!」

カメヤマ提督はカポックを縫い込んだ救命胴衣を着込むとゴムボートに飛び乗って海に漕ぎ出す。たちまちうねりに翻弄され、ボートがクルクル回り出した。

――くそっ、ボートの漕ぎ方くらいもっと練習しておくべきだったな

カメヤマ提督は心中で悪態をつきながら必死にオールを手繰る。

 そうしているうちに、晴嵐一番機はヨロヨロと左右に不安定に傾きながらやっと空に浮かんでいるという様子で、エンジンからは真っ白な煙の筋を曳き、主翼も水平尾翼も穴だらけで、主翼の右翼端は対空砲の爆風を受けて日の丸の識別マークの半分くらいまで欠けていた。

 一番機はふらつきながら何度が機首を上げ下げし、エンジンをきって海面に腹から落ちると左翼がもげて、海面に円を描くようにして止まった。あの様子としては見事な着水といってよかった。伊四〇一の左舷から百メートル程のところに晴嵐は機首を海面に突っ込んで漂っていた。エンジンの重みでどんどん沈んでいく。カメヤマ提督は必死しオールを漕いでうねる海面を進み、なんとかコクピットが水没する前に晴嵐にたどり着くことができた。ロープをひかけて、辛うじて機体とつながっている折れた主翼の縁に乗っかると、独りでに後部風防ガラスが開いた。何か意志のような見えない力を感じた。斧で風防をたたき壊さずに済んだので、すぐに後部銃座に上半身を突っ込み、留め金のねじをゆるめて銃座にくくりつけられた大判の写真機を取り外す。写真機を海に落っことさないようずた袋に写真機を放り込と。カメヤマ提督はサングラスをとり一度、アクリルの風防ガラスをなでる。

「世話になったな。ご苦労さん……」

無人のコクピットにそう労いの言葉をかけると、再びゴムボートに飛び乗って母艦へ向けて再びがむしゃらにオールを漕ぎ始めた。

「提督ー! 急いでー! 逆探の感度強くなった!」

「今やってるよ!」

カメヤマ提督がそう怒鳴り返して、肩越しに背後を見ると、役目を終えた晴嵐が静かに機首から沈み、最後は水平尾翼を見せながら海面下に姿を消した。

 シオイは何か殺気を感じて西方の海上へ目を移すと、測距儀が何かを捉えた。遥か洋上にうっすらと黒い艦影が浮かんできた。

「敵艦発見! 急いで」

シオイがもどかしそうに叫ぶ。本当なら伊四○一の方からボートに近づいてもいいのだが、潜水艦はあまりに巨大なため、下手に波を立てると小さなゴムボートが転覆する恐れがあり、うかつに動けないのだ。カメヤマ提督は肩で荒く息をしながらやっとのことで伊四○一の船体にとりつくと、すかさずシオイがロープを投げ渡す。カメヤマ提督はそれを伝ってもがくように甲板に這い上がると写真機をシオイに押しつけて倒れこんだ。

「ああー、もう手が動かない……」

「機関始動、全速前進!」

シオイの号令とともに全長百二十メートルの巨大な船体がゆっくりと進みはじめ、艦尾の排気口から黒い排ガスが吹き上がった。

 耳をつんざく風切り音がしたのはその時だった。右舷二百メートルほどの海面に白い水しぶきが上がるとともに爆発音が二人を襲う。何秒もしてから遠くから砲声が届いた。敵の砲撃だった。

「来やがった。シオイ、さっき渡した文面でタロタロ泊地と連合艦隊司令部に緊急打電だ」

シオイはすぐに長距離通信用の長波無線でブーメラン島の敵状をモールス信号で送信しはじめた。

 その間、カメヤマ提督は南部十四年式拳銃の遊底を引いて弾丸を装填するとゴムボートに四~五発打ち込んで処分し、甲板にあった荷物を慌てて乗降ハッチの中に放り込む。すぐに二発目の砲撃が艦をゆすぶった。さっきよりずっと近い。三発目はさらに補正されて近くに落ちるはずだった。床に伏せて衝撃に耐えてから急いで艦橋に駆け上がった。

「敵イ級駆逐艦、方位二二四! 距離一万六千! 急速に接近中! ……通信終わったよ!」

艦橋の一・五メートル測距儀を覗いていたシオイが叫ぶ。

「よし通信桁格納、全ハッチ閉鎖確認。クラッシュダイブだ!」

シオイが測距儀を潜航状態に戻すとカメヤマ提督はシオイに続いて司令塔内のハッチに飛び込み、乱暴にハッチを閉じる。ハンドル状のロックを締めるとカメヤマ提督はすぐに潜望鏡を伸ばし周囲を観察する。

 

「うわ、来てる、来てる。後方にもう一隻駆逐艦が来たな。よし潜るぞ! ダーイブ! ダーイブ!」

艦内に耳をつんざくブザーが二回鳴るとともに潜水艦伊四○一はバラストタンクに海水の注入をはじめ、砲撃を受けつつも一分余りでその巨体を黒潮の下に完全に隠した。

 薄暗い発令所で息を潜めながら、二人は敵駆逐艦が発する対潜捜索用の探信音に耳をすませていた。

 偵察は終わったが、たった今から生きて帰るための長い戦いがはじまった。

「ねえ提督。あの無線、ちゃんとタロタロ泊地と連合艦隊に届いたかな?」

シオイが心配そうにたずねるので、カメヤマ提督はシオイの髪の毛をクチャクチャとなでながらうなずいた。

「大丈夫だよ。タロタロ島には間宮さんも戦艦の日向さんもいるから、ナス提督にはちゃんと伝わってるよ。それに連合艦隊にも、あの真面目な大淀ちゃんがついてるから、きっと電波を受信してるはずだ」

「そっか……。これがみんなの役に立ったなら、あたしも晴嵐さんも満足だよ」

「もちろんだ。お前達のおかげで、大勢の命が救われることになるんだ」

半分はカメヤマ提督の願望だった。今伝えた情報を連合艦隊司令部が有効に活用し作戦を修正できるのか、カメヤマ提督にはそれがほぼ無理であることが分かっていた。あの手の人間達は信じたい情報にしか注意を払わない。カメヤマ提督には生前からわかっていたことだ。だが人間側の馬鹿げた実状を今、死地にあるシオイに伝えることははばかられた。

 ただ一つ確信を持てるのは、連合艦隊司令部が当初の作戦通りに事を進めようとすれば、今ブ島にいる孤立部隊どころか、逆上陸をはかる陸軍一個師団全て、そして連合艦隊の過半数がブ島沖もしくはブ島のどこかで死ぬことになるということだった。

 

 

 同じ頃、タロタロ泊地では連合艦隊第四分隊の出港を四時間後に控え、港内は慌ただしい雰囲気に包まれていた。そんな港内の騒ぎもよそに、給糧艦間宮に近づく内火艇には戦艦娘の日向とその上官のナス提督の姿があった。係船桁に日向が内火艇のもやいをつなぐ前に、ナス提督は縄ばしごを器用に上っていそいそと甲板へとあがっていった。すると艦娘の間宮がすぐに駆け寄って出迎える。

「ナス提督、日向さん! 受信されましたか?」

「はい、確かに……」

 三人は給糧艦間宮の食堂室のテーブルについた。

「やはり敵は陸軍の上陸を予期していましたね。詳細は不明ながら、敵は相当数の陸上部隊を増派し、籠城中の守備隊だけでなく、逆上陸部隊も撃滅するつもりです。陸軍が下手に上陸したら大変なことになる」

「ええ、せめて上陸作戦だけでも取り止めになってくれれば……」

――望み薄だな……

口にこそ出さないが、ナス提督も日向もそうは成らないことを確信していた。そして、ナス提督は心配すでに陸軍の命運から別のことに移っていた。

「今回の作戦で、連合艦隊がどれだけの艦を失うかによって、外南洋の島々の命運も変わってきます。この一戦によって、シューズ・ベラ島、タロタロ島、そしてさらに内側の外南洋諸島の島々を放棄しなければいけなくなるかもしれません。遅すぎますが、島民達をどうするか考えなければいけません」

カメヤマ提督の言葉に、間宮の顔から血の気が引いた。

「そ、そんな……。わ、わたくしたちにはもう何もできないのですか?」

間宮は泣きそうな顔でうなだれる。カメヤマ提督は手元にある、間宮が出してくれた麦茶の注がれたガラスコップを見つめながら言った。すでに結露でコップは汗をかき、純白のテーブルクロスに染みを作っている。

「私たちは最悪を想定し、島民達のことを第一に考えて動きます。だから日向……」

カメヤマ提督はそういって隣の秘書艦を見る。

「ああ、心得ているさ……」

日向は無表情でうなずいた。

 一時間後、タロタロ泊地に停泊中だった戦艦日向の四番機関室で、燃料系統の不具合に起因する火災が発生し、湾内は騒然となった。ポートフリスビーに第一分隊が威力偵察行動に移る五時間前の出来事だった。




 次回予告。
 戦艦山城にに乗艦しブ島沖の艦隊決戦に赴く。一方、メジロ泊地の那智は戦況を把握するため、泊地の長距離無線室に何度も足を運んでいた。第一戦隊が交戦開始の報を受け、緊張感を高めるトビウメ提督だったが……。
「第二次ブーメラン島沖海戦 2・凶運」7月掲載を予定。
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