艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ   作:Piyodori

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予定より2週間オーバーとなってしまいました。
今回はちょっと「汚い話」です。すみません。


第二次ブーメラン島沖海戦 2/天気晴朗なれど

 後に「第二次ブーメラン島沖海戦」と名付けられる、深海軍との一連の戦闘の結末は、大勢の者の予想を裏切るものとなった。それは当然連合艦隊司令部が予想した完全無欠の大勝利ではなく、一方一部の提督が憂慮していた、陸海軍双方が致命的な損害を被る大敗北でもなく、そしておそらく深海棲艦が想定していた結果でもなかっただろう。

 時間はブ島北方沖で第一分隊が火蓋を切る一時間前にさかのぼる。

 トビウメ提督が指揮する第三分隊はタロタロ島を出港の二時間後、速力二十一ノットでブーメラン島沖西方を目指していた。この日の周辺海域は天気晴朗なれども波高し。日本海海戦の故事に照らせば極めて幸先の良い天候ともいえたのだが……。

 戦艦山城、戦艦扶桑を中核とした単縦陣の前方に警戒隊として軽巡多摩を中心とした水雷戦隊が単横陣で展開、主隊の左右には戦艦二隻の直衛艦として左舷に駆逐艦不知火、右舷には駆逐艦荒潮が警戒についていた。

 駆逐艦不知火の羅針艦橋にいた艦娘の不知火は、艦橋の右舷の窓を覆う戦艦山城の影を見上げた。

――司令は大丈夫でしょうか?

不知火は山城の羅針艦橋へ目を懲らすが、遠くて中の様子はよくわからない。

――那智さん、不知火は那智さんに代わって命をかけて司令を守ります

不知火は今一度決意を堅くし、白い手袋に包まれた両手を握りしめた。

 一方、戦艦山城の羅針艦橋で海図台に向かっていたトビウメ提督の口元は緊張のあまり大きくゆがんでいた。さっきから五分おきに手元の腕時計へ目をやる。連合艦隊司令部から何らかの指示変更がないかと気を揉んでいるのだが、艦娘の山城が伝えたのは、シューズ・ベラ島から出撃した空母翔鶴がブ島沖合に展開する複数の敵艦隊へ航空攻撃を開始したという報告のみだった。

 敵主力艦隊との正面対決を期待されている第三分隊の陣容は超弩級戦艦二隻、重巡四隻、軽巡五隻、駆逐艦十三隻の計二十四隻からなる打撃艦隊だったが、最新の敵状報告によれば、ブ島西方の海域に展開する深海軍の艦隊は総勢三十隻以上の大艦隊で、戦艦、重巡などの高火力艦の総数でも完全に劣っていた。その知らせを受け取ったのは出港前の喧噪の真っ只中でのことだ。加古が自分の艦で長距離通信の暗号電文を受け取ったとトビウメ提督に知らせにきたのだ。

「あたしは詳しいことわかんないけど、敵の数こっちより多いよね? 大丈夫なの?」

「うーん……」

このままでは寡兵で敵の懐に飛び込むことになるが、トビウメ提督に加古の疑問にはっきり答えることができなかった。

「加古さん、戦は兵力差で決まるものではありません。戦闘の帰趨は練度と勝利への執念が決します。この前のように、戦闘時はきちんと目を開けておいてください。頼みましたよ?」

そばに控えていた不知火が提督に助け船を出すように加古に説教した。

「もう、分かってるてば……」

加古は口を尖らせてうなずいた。

 加古が去ってから不知火は表情を曇らせた。

「と、精神論を振りかざしたところで、勝利への道が開けるわけではありません。ここは四隊に分かれた兵力を結集するべきなのかもしれませんが……」

「わかってるけど……」

トビウメ提督にも打開策は思いつかない。

 そんなところへ追い打ちをかけるように起きたのが戦艦日向の火災事故だ。湾の中央に錨泊していた戦艦の煙突と昇降口、舷側窓から黒煙がちらちら漏れ出し、タグボートや作業員を乗せた内火艇が一斉に戦艦日向へ殺到、消火活動をはじめたため、出撃準備に忙殺されていた軍港内は一時騒然となった。

 トビウメ提督と不知火も岸壁から消火活動の一部始終を見守っていたが、火災は三十分とたたずに鎮火したようで、日向の甲板では大勢の作業員が右往左往して事故の収拾にあたっていた。

「戦艦日向は第四分隊の主力戦力です。出撃に影響がなければいいのですが……」

不知火の悪い予感は現実のものとなった。事故は四番機関室で重油の加熱系統が破断し火災に至ったもので、第四分隊の出撃予定時刻までに機関部の修理を終えることは困難との知らせがもたらされた。

 噂に聞いたところでは、フルカワ連合艦隊司令長官代理は出撃前の不始末に激怒したそうだが、戦艦日向の指揮官であるナス提督は動じることなく淡々と出撃見合わせを申し出たという。

「ナス提督、そんなことが通ると思うか! 戦艦日向には片肺でも出撃してもらうぞ!」

そう凄むフルカワに対し、ナス提督は涼しい顔で応じた。

「もともと日向は機関部を含めた大規模なオーバーホールを予定していたのですが、今回の反攻作戦のための戦艦供出令に応じて進出したため、このような事態は想定できなかったわけではありません。満足なスピードも出せない状態で無理に出港すれば外洋で他にどんな不具合が発生するか知れたものではありません」

「作戦を放り出すおつもりですか?」

そう食ってかかる参謀にナス提督は年齢特有の落ち着いた笑みを浮かべて応じた。

「作戦は大切です。我々は機関部の応急修理と臨時点検を済ませ次第、分隊の後を追います。第四分隊は定刻通り出撃を。自前の高速修復材も持ってきているので、大幅に遅れることは無いでしょう。それとも、修理完了まで待っていていただけるので? 皆さんは陸軍を乗せた鈍足の輸送船を伴っての航海です。日向の足でも会敵前に十分に追いつけます」

フルカワら司令部連中は不満ながらも納得するしかなかったという。

 トビウメ提督は海図を睨みながら、そんな出撃間際のゴタゴタを思い出した。トビウメ提督が出撃前に桟橋で、それらの顛末を山城と扶桑に語ると、二人は驚いたような困惑したような表情で顔を見合わせた。

「あの日向が、まさかそんなことに……。大丈夫かしら……」

「調子乗り屋の伊勢ならともかく、日向が……。で、でも姉様、良かったじゃないですか。扶桑型戦艦の頼もしさと強さを見せつける良い機会だわ!」

信じられないという表情でうつむく扶桑を山城がなんとか鼓舞した。

「そうだけど……」

扶桑の不安げな表情が晴れることはなかった。

 

 第三分隊は潜水艦の攻撃を避けるため時々之字運動をして各艦が一斉回頭し進路を変える。第三分隊にはトビウメ提督の他にも、他に三人の提督がそれぞれ自分の艦から指揮をとっている。人間の提督と同道するだけで変なプレッシャーを感じていたが、分隊の練度は高いようで、之字運動完了後も艦隊陣形は全く乱れずブーメラン島へ向けて進んでいた。

 実際、羅針艦橋で山城に之字運動の指示を出すと、艦娘の山城はてきぱきと旗旒信号と発光信号を僚艦へ送り、手際よく艦隊運動を制御して見せた。陸で話しているときには何とも漠然とした不安を感じさせる艦娘だったが、やはりレイテ沖海戦では西村艦隊の旗艦を務めただけあり、普段よりずっと頼もしく感じられた。

「山城さんはやっぱり、艦隊の旗艦をやるのには慣れてるの?」

「いいえ。わたし達はあの戦争でも、最後の海戦以外ではほとんど実戦に出ていないので、慣れてはいませんよ。ただ、日向が来られなくなった以上、姉様とわたしで敵を粉砕するしかありません。伊勢型に引けをとらないことを連合艦隊中に見せつけてやるわ……。フフ、フフフ……」

山城は不敵な笑みを浮かべて一人で笑いだした。

――やっぱり、この艦娘はとっつきづらいなぁ……

トビウメ提督は山城に気取られないよう、すぐに思考を切り替えた。

「戦艦日向か……」

トビウメ提督は出向前に見かけた伊勢型戦艦二番艦の艦娘の姿を思い出した。侍のような服装に軍刀を腰に下げた、ボブカットの髪型の無愛想な艦娘だった。遠目に一瞥しただけで直接会って話したわけではなかったが、火事を起こした後も、妙に落ち着きはらったその物腰が特に印象に残った。

「戦艦一隻分……。その穴は僕たちで埋めないと……。そういえば、山城さん達は、あの戦艦の日向さんとは親しいの? ……え?」

そう言いかけてトビウメ提督は言葉を呑む。山城は急に虫を見るような眼差しでトビウメ提督を睨んだ。

「まさか……。伊勢型なんかと親しい訳無いじゃないですか。特に日向なんて、いつも済まし顔で何考えているかわからない女ですよ。まったく……武装も艦型もほとんどわたし達と同じようなものなのに……あの人達はいつもなんであんなお気楽そうに……そうよ、やっぱりおかしいのよ……」

山城は独り言をブツブツ言い出す始末で、トビウメ提督は軽はずみに話を振ったことを心底後悔した。

「や、山城さん。そろそろ戦闘艦橋に上がろうか。上で作戦内容をもう一度読み込んでおくよ」

トビウメ提督が慌てて言うので、山城はようやく我に返る。

「ずいぶん早いですね。まぁいいですけど……」

山城が承知したので、トビウメ提督は我先にと上階へ通じるラッタルを登りはじめた。

 息をきらしてなんとか五階上の戦闘艦橋に登ったトビウメ提督はノートや双眼鏡、カメラ、海図などを海図台の上にひろげ、壁に立て掛けてあった折りたたみ椅子を展開しようやく身を落ち着けた。

「あ、しまった。お弁当を下に置いてきちゃったか……」

食事は作戦前に終えておくのがいつもの習慣だった。とはいえ、予想会敵時刻まで八時間近くある。山城の言う通り、ここへ来るのはまだ早すぎるのだ。

 提督は双眼鏡を手に窓際から海を見渡す。戦艦山城を囲む味方の陣形が一望できる。海面は波が高いのか、波頭が白く浮き立っているが、乗り慣れた重巡那智よりはるかに巨大な戦艦はトビウメ提督が想像していた以上に揺れが少なかった。特に船体の前後方向の揺れとなるピッチングは、艦の中央付近にある艦橋では比較的大きな波を超えたときでもあまり負担に感じない程度の揺れにおさまっている。左右の傾きとなるローリングも船体が大きいだけあって、重巡よりゆっくりしており、安定感は駆逐艦不知火に乗った時とは雲泥の差があった。

――揺れだけを考えれば、戦艦も悪くないかもね

トビウメ提督は少し安心しつつ、そう思った。というのも、出発時の火事に伴うゴタゴタのせいで軍医に処方してもらった酔い止め薬を受け取るのを忘れたのだ。出港後にそれに気付き不安に駆られたものの、今の時点で三半規管に異常をきたす心配はなさそうだった。

――あとで洗面器を艦内のどっかから探してこないと……

 そう思いながら、トビウメ提督は左舷方向の窓際から外を覗くと、ダークグレーの船体に「シラヌヒ」と白ペンキで艦名を記入した直衛の駆逐艦不知火が並走している。艦橋の天井には艦娘の不知火が短いポニーテイルを風になびかせながら立っていた。不知火がこちらを見上げたのでトビウメ提督が手を振ると、不知火も手を振り返した。

 天気晴朗なれども波高し。そんなありふれた気象・海象が第三分隊の進撃に大きな影を投げかけつつあったことに気づいている者はいなかった。

 すでに陸軍や高速戦艦比叡を従えた軽巡大淀を旗艦とする第四分隊もタロタロ泊地を出港し、あと三十分足らずで先行した第一分隊が最初の威力偵察行動を開始する時刻が迫ってきた。

 トビウメ提督が最初に感じた不調は軽い後頭部の頭痛だった。軽い船酔いの症状が出てきたのだが、那智に乗っていた時も荒天時には良くあることだったので、トビウメ提督は無意識にその症状を無視した。

「少し喉が乾いた。お茶かラムネでも飲もうかな」

「それでは、わたしが取ってきます」

山城がそう言うので提督は礼を言ってお願いすることにした。その後、すぐに生あくびが出た。良くない兆候だった。

「そんなに揺れてないよな?」

 戦艦山城は確かに、駆逐艦不知火はおろか重巡那智よりはるかに揺れにくい船だった。少なくとも艦橋や煙突付近の第一甲板付近ではピッチングもローリングも小型の艦より遥かに少なかったのだが、艦の重心から高さのある位置では状況が異なっていた。トビウメ提督は気づいていなかったが、高さのある艦橋構造物は特に横方向の左右の揺れの影響を他の場所より顕著に受ける場所だった。船は波に翻弄されると重心を中心に左右に揺れる。それはメトロノームの振り子と同じで、左右に揺れる振り子は上の部分ほど、速くそして大きく揺れる。戦艦の艦橋も同じだった。重巡那智より遥かに高い艦橋構造物の上方に位置する戦闘艦橋の揺れ幅は大きく、シーソーのように左右に連続して揺れており、自覚がないままトビウメ提督の自律神経と三半規管を蝕みつつあった。また作戦前の緊張感で気が立ってしまい、昨夜ほとんど寝られなかったことも船酔いを加速させていた。

 麦茶を煎れたヤカンを手にラッタルを上ってきた山城はトビウメ提督の顔を見て怪訝な顔をした。

「なんか顔真っ青ですよ。大丈夫ですか?」

「うんちょっとお茶もらう」

トビウメ提督は山城から湯呑みを受け取り、麦茶を注いでもらった。常温で煎れたもので冷たい爽快感はなかったが、胃にはやさしいはずだったが、結果的にはその一杯が引き金になってしまった。

 トビウメ提督は麦茶をゴクゴクと飲み干したが、その刺激がいけなかったのか急に口の中に胃酸の不快な味が広がり強烈なむかつきに襲われた。

「ちょ、ちょっとどうしたんですか?」

山城がよろけるトビウメ提督を案じ、支えようと手を出したが、トビウメ提督はそれを制して必死になって言う。

「山城さん、お手洗いは……」

「ええ~、艦橋にはありませんよ。下甲板ですが」

通称パゴダマストと呼ばれる、いわゆる神社の仏塔のような構造となっている戦艦の艦橋構造物に水道やトイレを設置するのは難しいのだ。

――とても間に合わない!

「じゃあ、オスタップか洗面器を……」

山城は呆れた表情で首を振る。

「そんなもの、ここにあるわけないじゃないですか……」

山城が言い終わる前に、トビウメ提督の胃が最後の逆蠕動運動をはじめた。山城から離れながら一生懸命に口を手で塞ぎ吐瀉物の逆流を押し留めようとしたことがトビウメ提督の最後の抵抗となった。

 朝食をとってから少し時間が経っていたため、吐瀉物の多くは胃液だったが勢いよく吐き出されたそれはトビウメ提督の抵抗虚しく、戦闘艦橋のリノリウム張りの床に派手に撒き散らされた。

――た、大変だ!

「ゴホ、ゴホッ、や、山城さん、これは、す、すぐ掃除するから」

そう必死で呻くトビウメ提督の声も遠く、山城は手にしていたアルマイトのヤカンを落とし、ガシャンと大きな音を立てて麦茶がこぼれた。

「……た。提督が……いた。私の艦橋で、提督が……」

山城がわなわなと口元を引きつらせて呪文のようにつぶやく。まずいことになりトビウメ提督もすっかり冷静さを失った。山城をなだめようと自分の制服と両手が汚れたままであることを忘れて今にも気絶しそうな山城に近づいた。

「や、山城さん、落ち着いて! すぐ、すぐに片すから。だから……」

トビウメ提督が、わなわなと震えだす山城に一歩近づくと、ついに山城が痴漢にでもあったような特大の悲鳴をあげた。

「お願い、落ち着いて! 今は作戦中だから」

「こ、来ないでください!」

自制心を失った山城が手を振り回し、艦娘の怪力に突き飛ばされトビウメ提督はまっすぐ三メートル吹き飛ばされて海図台に背中と後頭部から激しく激突した。トビウメ提督はそのまま視野が真っ白になって瞬く間に意識を失った。

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