艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
一七三〇時。昼間の焼けつくような太陽がオレンジ色に変わり、水平線へ沈もうとする時刻。日が沈んでもうだるような蒸し暑さが続くヤムヤム島とは異なり、ここは夕方以降、急にさわやかな風が島を吹き抜けてゆく。
泊地の港湾施設の一角に設けられた木造の白い洋館にタロタロ島の基地司令部は置かれていた。トビウメ提督が時間通りにこの洋館の応接室兼会議室へと通されると、既に数人の艦隊司令や参謀と思われる人々が席に着いていた。皆、自分と同じく昔の記録写真に出てくるような白い軍服に身にまとっている。皆、自分と同じく何らかの災難に出くわした直後に飛ばされてきた仏さん達だ。
トビウメ提督は敢えて後ろの隅の空席に腰をおろした。窓の鎧戸は開け放たれており、涼しい夜風が吹き込んでくる。その後、さらに数人の提督らがやってきて、室内には十余名の男が席に着いた。
最後の一人は他の提督とは異なり、詰襟の上着を着ずに、略装の白いシャツ姿に濃い色眼鏡をかけたまま部屋に現れた。その上、その男から立ち上る強い香水の臭いがトビウメ提督の鼻をついた。周囲の提督たちも少し顔をしかめて鼻に手をやるが、そのシャツ姿の提督は気にする様子も無く、トビウメ提督の斜め前の空席に席をおろした。
――こんな香水つけすぎで、一体どこの司令官だ?
トビウメ提督はしばし口で息をしながら香水の悪臭を我慢していると、入口から制服に金モールを付けた二人の太った年配の男達がやってきて皆の前に立った。
「遠路はるばるご苦労だった。この度、連合艦隊司令長官を拝命することとなったモトヤマである。字が逆であれば尚よかったのだが、まぁこればかりは勘弁してもらう」
一部の提督連中が控え目に笑い声を上げる。トビウメ提督には、特に面白い冗談とも思えなかったのでそのまま口を閉じていた。香水臭い斜め前の提督も同様に口を一文字に曲げたまま反応を見せなかった。
「そして、こちらが軍令部から進出してきたフルカワ作戦参謀だ」
「紹介に預かったフルカワだ。応召に感謝する。諸君らの戦歴は聞いている。今回、軍令部は苦心の末、必勝の作戦計画を練り上げた。諸君の助力により、是非、暁の水平線に勝利を刻んでもらいたい。金剛、例のものを」
「イエース!」
作戦参謀が手を叩くと、場違いな黄色い声がドアの外から発せられ、一人の艦娘が書類の束を抱えて入ってきた。巫女装束のような上着に黒いスカート。白い肌にブラウンのロングヘアが魅力的な美しくもかわいらしい艦娘だった。
金剛が入ってくると提督達は色めきたった。
「おい、あれが第三戦隊から今回引き抜いたという金剛か?」
「あの有名な高速戦艦姉妹の長女だぞ。評判以上の美人だな」
「うーん、やはり戦艦娘はいいな」
金剛は提督一人一人に作戦計画書を配って歩いた。
「ヘイ! エブリワン。よーくリーディングして、頭にいれてよネー」
――戦艦娘ってほとんど関わったことなかったけど、なんというか華やかさが違うな……
トビウメ提督も金剛から書類を受け取りながら、妙高型とは違った魅力を持つ艦娘を前につい鼻の下が伸びてしまう自分に気付きちょっと恥ずかしくなった。書類を皆に配り終えた金剛は次に氷の浮かぶアイスティーを配り始めた。
「さて作戦図Aを見てもらいたい。承知の通り、目下ブーメラン島より撤退準備中の輸送船団がポート・フリスビーにて包囲攻撃を受けている状況である。深海軍の陸戦隊はさほど強力ではないが、我が方は補給線を断たれており、長期戦となった場合は危機的な状況となることは間違いない。現在、深海棲艦のは軽空母4隻を含む包囲艦隊をブーメラン島北方に展開し、ポート・フリスビーを完全に封鎖している。敵艦隊は空母を擁してはいるが、幸い敵の航空攻撃は小規模で、被害は軽微である。そこで、敵が本格的な攻勢に出る前に、我が方の強力な打撃艦隊により敵包囲艦隊を撃滅し、輸送船団を救出することが本作戦の目的である」
フルカワ作戦参謀はホワイトボードを引っ張ってきてブーメラン島のポート・フリスビーと深海軍の位置をマーカーで色付けする。
「敵は大きく分けて三つの群れに別れて展開している。まず島の北西には戦艦二隻を含む強力な艦隊が展開しているうえ、島にもっと近い港の北方には重巡と水雷戦隊を主力としたグループがパトロールしている。最後のグループはシューズ・ベラ島に最も近い島北西に展開している部隊でこのグループは空母4隻含む機動部隊と思われる」
「空母が先に出てきてるのか。こちらの空襲を警戒しているのか……」
隣に座っていた提督がそう独り言を言った。
「艦隊編成を発表する。第一戦隊、第二戦隊は戦艦を基軸とした打撃艦隊およびその護衛部隊として北方より包囲網の中央に突入する。巡洋艦と駆逐を主軸にした第三戦隊は島を南から迂回し、敵戦艦部隊に接近、これと接触の後、東方へ避退。敵艦隊を島の近海よりおびきだしてもらう。第四戦隊は空母とその護衛の駆逐艦より編成し、島の西方に展開している敵機動部隊を北方より叩く。詳細は作戦図Bから作戦図Fを参照されたい」
トビウメ提督が書類に記された編成表を確認すると、予想に反して自分達は第二戦隊に組み込まれていた。第二戦隊の役割は主力部隊の護衛として戦艦とともに島の北からポート・フリスビーへ突入する役割だった。
――うちは完全な遊軍だから、てっきり第三戦隊だと思ってたんだけどな……
トビウメ提督が自分の役割を正しく理解するため、第二戦隊の編成表にじっくり目を通していると、目の前の香水のきつい提督が突然舌を鳴らして立ちあがった。
「気に入らないな。先遣隊、つまりうちの第八艦隊の配置命令。これは一体何だ? この海域には敵が強力な対潜網を引いているから潜水艦での接近は危険だと今朝はっきりと報告した筈だ。それにも関わらず、潜水艦による散開線警備をその真上に配置しているところを見ると、深海棲艦の対潜能力をナメているとしか思えない。はっきり、言って、敵の対潜哨戒能力は我々よりも高い。それ以上に信じられないのは、敵の布陣が五日前にこのおれが報告した時点からまったく更新されていない点だ。参考にする情報が少し古すぎやしないか?」
五日前と聞いて提督達はどよめいた。作戦は早くとも明後日以降となる。一週間前の情報を元に作戦を実行するのはあまりに無謀に思えた。
第八艦隊と聞いて、トビウメ提督にもこの香水臭い提督の正体がやっと判った。目の前に座っている男は近辺の鎮守府ではその辣腕ぶりで有名な第一潜水戦隊司令官だった。トビウメ提督は本の名前こそ忘れてしまったが、この世界にとばされてから素人だてらに海上なんとか論をとかいう戦術理論書を書いた男らしい。
「カメヤマ提督、皆を不安がらせるのはやめてもらおう。敵艦隊の動向は基地より毎日、偵察機を飛ばせて報告させている。それを踏まえての作戦立案だ」
作戦参謀が苛立ちもあらわに反論した。
「そうか。ならば今日正午、ブーメラン島南方120浬の地点を深海群の艦隊が北北東へ進行していたことをご存じか? 島南方で哨戒中の伊401が三十分前に、うちの大鯨に打電してきた。それによれば敵艦隊、およそ20ノットで北上中。戦艦タ級一、重巡五、駆逐艦多数を含む艦隊だ。幸い、空母はないらしい」
「む、無論、敵の増援も、け、計算に入れての作戦だ。大きな変更は必要ない」
トビウメ提督には、狼狽する様子を見せた作戦参謀もGF長官も敵の増援の件を計算に入れていなかったように思えた。不安の色が一挙に室内を覆った。カメヤマ提督は諦めたように溜息をつき、声のトーンを落として言った。
「悪いことは言わない。南方から回り込む第三戦隊にも複数の重巡を加えて、敵の強力な艦隊が援護に出てくることに備えるべきだ。さらに言えば、フリスビー島の南方には深海棲艦の湧出ポイントがある。そこからの補給線を断ってから艦隊決戦を挑んでも遅くない」
参謀と司令長官はそろって首を振った。
「馬鹿な……。今は急を要する。それに、せっかくの正面戦力を分散することになる。第一、第二戦隊の兵力をよそにまわす余裕はないぞ」
「そうだ。そもそも高火力艦の集中運用こそ、本作戦の重要な鍵だ。軍令部もそう指示してきている」
「そうか、ならば軍令部の言うとおりにすればいい。ただし、この機械的な潜水艦配置だけはのめない。二十浬の均等散開線配置なんて、二隻以上でも敵に探知されれば芋ずる式に次々と探知されて全滅する可能性もある。お互い、前の世界では縁もなかった軍人の真似事をしてるんだから、少しは勉強する事だな」
カメヤマ提督はそう言うと形式的にだらしない敬礼だけを残して応接室から出ていった。そんなカメヤマ提督の後を、それまでドアの外で待っていた、勾玉を首にかけたエプロン姿の少女が心配そうに追いかけていった。
「おいおい、大丈夫なのか?」
「俺のところの第三戦隊はヤバいぞ…」
急に室内は騒がしくなる。
「静粛に、静粛に。作戦に大幅な変更はない。まず第三戦隊、明一八○○出航。第一、第二戦隊は明二二○○に出航する。なお、敵の増援や空母機動部隊の動きに備え、空母翔鶴を加えて第四戦隊を編成し、正面部隊に随行させることにする。これより後は予め任命した各戦隊長の指示に従うように。以上」
作戦参謀はそう声を張り上げ、半ば強引に作戦会議はお開きとなった。
軍港内の艦娘用宿舎は先についた艦娘達によって満室となっていたため、トビウメ提督と指揮下の艦娘達はタロタロ島の市街地にある唯一のホテルに宿泊することになった。
「はーい、みんなゆっくり休んでね。解散」
「あー、フカフカのベッドの上で寝られるー。ヤッター!」
「不知火、先にシャワー浴びるわ。提督が部屋に押し入って来ないように見張っててよね」
「そうですね。注意するわ」
フロントから階段を上ってゆく艦娘達を見送りながら提督はうんざりして肩を落とした。
「覗くだけの気力なんかもうないよ……。あ、長良ちゃん、整理運動をするなら迷惑になるからロビーじゃなくて外でやったほうがいいよ」
「はーい」
「あんまり、無理しないで早く寝るんだよ」
外へ駆け出す長良の背中にそう声を掛けてトビウメ提督はフロント前のソファーにどっかりと腰をおろした。
「どうした、なにか悩み事か?」
向かいに腰かけた那智が気遣うように言うので提督は溜息をついて首を振って、作戦指令書を那智に手渡した。
「これが作戦計画。ただし敵状は五日前のものだって」
那智は顔をしかめて書類をめくった。
「戦艦のお守りか……。作戦はともかく、この西の沖合に散らばっている四隻の空母が気になるな」
「そう? ああ、そういえば飛行機、嫌いだったよね」
「それもそうだが……。軽空母ばかりの機動部隊にしては一隻一隻が散らばりすぎだ。うーむ」
「僕にはよくわからんよ……。ただ、なんか不安でね」
そう言って提督はソファーに深くもたれかかった。
「貴様がそんなザマで私達はどうすればいいんだ? もっとしっかりしてくれ」
「そうだね。よし明日に備えて寝よう!」
そう言って二人が立ち上がると、偶然階段を下りてきた二人組とはち合わせた。嗅いだ覚えのある独特な臭いが鼻をついたが、トビウメ提督と那智はすかさず敬礼する。相手は香水のきついあのカメヤマ提督と勾玉を下げたおっとりとしたエプロン姿の少女だった。少女の手提げ袋には、キャベツやらジャガイモやらの野菜や果物がはちきれんばかりに詰め込まれている。
「おお? お疲れ。おたく、何戦隊だ?」
答礼しながらカメヤマ提督は尋ねる。
「我々は第二戦隊です。通常はヤムヤム島の遊撃打撃艦隊にいます」
「そうか……。つまらん説教だが、空中線の手入れだけは怠るな。たとえ戦闘中でもだ。切れたらすぐ補修しろよ。情報さえ入手できれば生き残れる可能性が高まるからな」
「はい、ありがとうございます。もしかして、これから出発ですか?」
トビウメ提督は相手が手に持った大きな旅行鞄を見て尋ねた。
「ああ、すぐに哨戒任務に就く。お互いもし生きて会えればまた会おう。では失礼する」
そう言ってカメヤマ提督は色付き眼鏡をはずして笑顔を見せると足早にホテルを出ていった。付き添いの勾玉少女も深く一礼すると急ぎ足で自分の上官の後を追っていく。カメヤマ提督の色付き眼鏡の向こうの素顔は、トビウメ提督がイメージしていたよりもはるかに優しげな眼差しの男だった。
「連れの彼女は潜水艦娘かな?」
「いや、 あれは第八艦隊旗艦の潜水母艦、大鯨だ」
階段の踊り場から提督と那智は誰もいなくなったホテルのロビーを見下ろしていた。
「もし生きていれば、か……。一回死んだ人間と一回沈んだ船……。なんか不思議なものだね」
「そうだな……」
トビウメ提督は何か言葉にできない重苦しい気分を抱きながら那智を伴って自室へと向かった。
翌日は朝から、燃料、弾薬の補給、第二戦隊の戦隊長や他の提督等との打ち合わせに追われ、気づけばもう夕方となっていた。
トビウメ提督が停泊中の重巡那智へ戻ったのは夕方遅くになってからだった。中甲板にある士官会議室には仲間の艦娘達が全員そろっていた。
「さすがに暑いね。加古、そっちの窓開けて」
そう言いながら提督は自分に近い方の丸窓を開けた。潮の香りが室内に入ってくる。
「司令、遅いわ。最低限時間くらい守りなさいよ」
遅れて来た提督にさっそく初風が手厳い一言をくらわせる。
「お、お兄さん、これでも忙しかったんだよ……」
「わかったから貴様も早く席につけ」
ヘトヘトになっているため、泣きそうな顔で言い訳する提督を那智が制して、作戦説明をはじめた。
那智が予定されている艦隊行動を一通り説明し終えると、不知火が手を上げた。
「司令、やはり敵艦隊の情報が不足しているようですが、大丈夫でしょうか?」
「うん、長官達は、ブーメラン島の近海で適宜、水偵をつかって情報を把握する予定らしい。ただこちらも自主的に偵察機で周囲を警戒する必要があるだろうね」
「はーい、いいですか?」
次は長良だ。
「翔鶴さんが合流するってお話ですけど、どこかで合流するんですか?」
この泊地にまだ翔鶴は着いていなかった。
「空母翔鶴は現在、シューズ・ベラ島で待機中。島の沖合で合流予定だって」
「洋上で落ち合うのですか? あまりよい判断とは思えませんね」
「え? そうなの?」
不知火は珍しく表情を曇らせたので提督は思わず聞き返えした。
「他方面から出発した艦隊が洋上で待ち合わせるのは、実際は図上演習のように簡単ではありません」
「そうだな。その昔、わたしたちはその失敗を何度もしてきた」
不知火の言葉を後押しするように那智も腕を組んでうなずいた。
「困ったな……。長官からの指示だからな」
「それはやむをえないだろう。とにかく最善を尽くすのみだ」
那智のフォローで一同は納得したようだった。
「さて緊急時の連絡方法の確認だけど、いつもどおり原則は発光信号により。状況が許せば無線電話と両用でよろしく。あと那智さんと加古にお願いだけど、戦闘中はいろいろと忙しいと思うけど、空中線の保護と補修に気を配ってくれ。うちの艦隊で一番マストが高い二人が通信の命綱だから」
那智は昨夜のカメヤマ提督の一言を思い出したのか、無言でうなずいた。
「えー、そんなの戻ってから泊地で直せばいいと思うけど。戦闘中は忙しすぎるよー」
案の定、加古がブツブツ不平を言うが、提督も那智も取り合わないので、加古は渋々承諾した。
「とりあえず軍令部よりの指示は以上。もう間もなく出航だ。みんなよろしく」
そう言って提督は解散を命じて舷窓を閉じた。
一八〇〇。一斉に汽笛の音が鳴り響くととともに目の前数百メートル先を重巡がゆっくりと湾外へ向かって進みだした。妙高型三番艦の足柄だった。周囲の駆逐艦もそれを追うようにゆっくりと走り出す。
トビウメ提督は重巡那智の上甲板にある通風筒に腰掛け、ラムネ瓶片手に第三戦隊の勇姿を眺めていた。昇降口から甲板へ上がってきた那智がふと足を止めて第三戦隊の船出を見送る。提督が双眼鏡で重巡足柄を観察すると、夕陽の逆光になってよくわからなかったが、艦橋の窓越しに手を振っている女性の影が見えた。那智も軽く手を振り返した。足柄から太い汽笛が響いた。
どうやら昨夜のカメヤマ提督の警告が気になったとみえて、モトヤマとフルカワは急遽、第二戦隊に配属予定だった重巡足柄を第三戦隊の旗艦に任命したのだった。
あまりに付け焼き刃な司令部の対応にトビウメ提督は呆れたたものの、第三戦隊の提督たちは新戦力の追加を歓迎しており、那智によれば別動隊の指揮艦に命じられた当の足柄自身も大喜びだったという。
「心配かい?」
出航しつつある妹の艦影を黙って見つめる那智へトビウメ提督が尋ねると、那智は外洋の方へ顔を背けて言った。
「そう思う時期は、とうの昔に過ぎたさ……」
「そう……」
提督は結露で汗をかいたラムネの空瓶を手に立ち上がった。
「今回の目的は敵の撃滅じゃない。ポート・フリスビーで待っている仲間の救出だ。必ず成功させたいね」
提督の言葉に那智は黙ってうなずいた。
提督は夕焼けに向かってたたずむ那智の横顔へさりげなくカメラを向けそっとシャッターボタンを押した。