艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ   作:Piyodori

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第二次ブーメラン島沖海戦 5/「敢闘精神」

 陸軍の輸送艦五隻を帯同した第四分隊の旗艦大淀の後部上部構造内に設けられた作戦室では、フルカワ司令長官代理を筆頭とした連合艦隊司令部の一団が苦い表情で海図を囲んでいた。

「第三分隊の戦艦は本作戦の要だ。何故こんなことに……」

 トビウメ提督からの一報は当然、司令部に大きな衝撃を与えた。

「手負いでも構わん。突入させる方策はないのか! 自力で動けなくとも、敵の真ん前まで引っ張っていけば、浮き砲台の役は果たせるだろう」

「状況はわかりませんが、そんなことが可能でしょうか?」

いらついてそう叫ぶフルカワに、艦娘の大淀が懸念の声を挟むが、その言葉に耳をかたむける者はいない。

「空母翔鶴から入電。第一次航空攻撃完了との報告! 間もなく第一分隊が突入します!」

連絡要員がそう大声で報告した。

「長官代理、時間がありません。方針だけでも決めませんと」

参謀の一人が言うので、別の参謀がいくつかの選択肢を上げた。

「第一は、ポート・フリスビー沖の敵艦隊撃滅を最優先に、全隊を至急ブ島北方へ展開させ第一、第二分隊を支援、陸軍部隊と船団を救出するものです。敵艦隊はいずれの方面でも当初の見立てよりも強大との報告があり、こちらの兵力集中には一定の合理性があります。ただこの場合、ヤシガニ海岸への逆上陸は不可能になります」

「では、今連れてる上陸部隊の船団はどうする?」

「上陸はできないのですぐにタロタロ泊地へ帰港させることになります」

フルカワはうーんと唸り渋い顔をした。

「第二案は、すぐに第一、第ニ分隊に接敵中止を命じ、ブ島西岸を南下させ、島の西方に展開中の敵艦隊を側面から突き、それに呼応し第三分隊の残りの艦隊と我が第四分隊で敵艦隊を撃滅、陸軍を計画通り逆上陸させるものです。当然、第一案とは逆にポート・フリスビーの封鎖解除と守備隊の救出はできなくなりますが、逆上陸してブ島の敵上陸部隊を撃滅、さらに洋上で敵艦隊を近海から一掃すれば、孤立していたブ島の守備隊自体も救うことになり、ブ島の占有権も失わずに済みます」

「え、それはちょっと……」

大淀は不安な面持ちで声を上げかけたが、それ以上の言葉を飲み込んだ。

「確かに積極的で魅力的な案だが……。ポート・フリスビー沖の敵をほったらかしというのはどうもな……。軍令部の目にはどう映るだろうか……」

フルカワは少し表情を和らげつつも首をかしげた。

「この案では、第一、第二分隊を今から南下させて再配置する必要がありますが、これには十数時間かかります。その間に敵情も変化する可能性があり、敵艦隊と陸上部隊の双方を撃滅できなかった場合、守備隊の救出は今まで以上に困難なものとなります」

参謀一同も弱りきったと様子で海図を見つめている。やりとりを聞いていた大淀は心中のもどかしさに耐えられなくなり、ついに勇気を出して胸につかえていた疑問を投げかけた。

「あの長官、守備隊の救出と新たな陸軍部隊の逆上陸、現時点でどちらを優先されますか?」

大淀の問いはその場の空気を一刀両断するだけの鋭さをもっていた。反発、もしくは困惑、さらには怒りの色が籠もった視線が一斉に大淀へ向けられた。ただ、それをあからさまに声に出すほど肝の据わった者もいない。結局、口を開いたのは最高責任者のフルカワ長官代理だった。

「無論、現時点でどちらもないがしろにはできないし、するべきでもない。こんな状況でも作戦完遂のため方策を立てるのが我々の責務だ。大淀、我々だけで少し込み入った議論をするから、しばらく席をはずしてくれ」

フルカワはそう柔らかい口調で言うと、大淀に退室を促す。無論、大淀はそれに抗うことなどできず、はいとうなずいて会議室から出ていった。

 ドアが閉まりしばらくしてから、フルカワは手にしていた鉛筆を海図台に放り投げた。

「クソッ、あの役立たずのトビウメめ! 前回、それなりに成果を上げたっていうんで、いざ会ってみれば、いまいちパッとしない奴だったから気に入らなかったんだが……。まったく」

「あまり覇気を感じない人物でしたが、そもそもなぜ彼に第三分隊司令などという重役を任せたんですか?」

あまり軍令部の事情に明るくない外南洋戦線付きの参謀がフルカワに尋ねると、フルカワは椅子の背もたれに深くもたれかかってため息をついた。

「軍令部から、作戦に貢献した人物を重用しろという通達が来ていたし、広報部も常に、絵になる成功、勝利の物語を演出できる題材を欲しがっていてな……。今回なんか先の負け戦を挽回し完全勝利を遂げるのに最高の舞台だった。考えてもみたまえ。前回は孤立した陸軍部隊と船団を助け出すだけの、戦略全体で考えればただの負け戦の後始末としか評価されない消極的なものだった。一方、今回は救出だけでなく、深海軍に奪われかかっているブ島を完全奪還するという極めて積極的な作戦だ。だから陸軍も本来ニューガリア戦線の増援として送られるはずだった部隊をこっちに回してきたんだ。前回、一番の手柄を立てた男を切り込み隊長にして作戦大成功となれば、軍令部としても大いにポイントを稼げるからな。それが全くこんなことに……」

フルカワは肩を落としてそう吐き捨てた。

 別の作戦参謀は真剣な表情で口を開いた。

「問題はこれからどうするかです。今すぐ決めなければなりません。大淀の言うように、最低限の勝利を得るためには目的を絞る必要があります」

すぐに返事は出なかった。室内はしばし沈黙した。口を開いたのはフルカワの腹心の司令部要員だった。

「いや、むしろ選ばないほうが良いのではないでしょうか? 我々にとっていちばん重要なのは、実は結果でなく過程ではありませんか? 軍令部は常に我々の積極性や意欲、過程に評価の重きを置いているように思われます。無論、島の奪還や陸軍部隊の救出ができたなら、それに越したことはありませんが、今回このようなトラブルが起きてしまった以上、我々が今回のトラブルをどう乗り越え、意欲的に取り組んだかが評価されます」

一瞬、場が静かになった。

「確かに『敢闘精神』は重要です。困難を前にしても目標を下げずに向き合ったという実績は重要ですね」

別の一人の言葉にフルカワも大きくうなずいた。誰も口にこそ出さないが、この瞬間から連合艦隊司令部の最重要目標はブ島の陸軍救出でもなく、逆上陸の達成でもなくなった。司令部要員達の腹は、この行き詰まった事態にどう見てくれの良い結末をつけるかに決まった。

「私も賛成だ。目標は常に高く、ポジティブにこの難局に向き合うことが重要だ。そのためには作戦の中止はありえない。問題は、現状でどうベストを尽くせるか、だ」

全員が深くうなずいた。非常に薄っぺらいが、不用意に人間を悪ノリさせる嫌な高揚感と一体感が司令室を支配した。

「そこで第三の案です。やはり、第一、第二分隊にはポート・フリスビー沖合への断続的な攻撃を継続すべきです。一方、我々は陸軍の船団を分離し、第三分隊の残存部隊と合流、統合した戦力でブ島西方沖の敵艦隊主力の撃滅を図るべきです。とにかく試してみることです。力が及ばなかったらそれはそれです」

「島の北方でも、西方でも『我が方は戦力の限り敢闘した』と報告できますね」

参謀が口々に言った。

 フルカワ連合艦隊司令長官代理は自分で放り投げた鉛筆を拾って海図を叩く。

「よし、ではどこで第三分隊と合流し、最新の敵情を踏まえて、艦隊決戦を仕掛けるポイントを詰めるとしよう」

 

 会議室から退出を命じられた大淀は司令部施設の入っている後部上部構造物から出て甲板へと降りた。大淀は退出を命じられる前から会議室の空気に不安を抱き始めていた。脳裏には作戦会議後のカメヤマ提督との会話を思い出していた。

――『大淀ちゃんには体張って止めてもらわないと』

大淀は大勢いる個性豊かな艦娘のなかでも素直な性格の艦娘だ。軍令部や連合艦隊司令部にも深い信頼を寄せているのだが、今回の作戦指導には兵棋演習の時から不安を抱くようになっていた。

――不合理なことや無茶なこと命じられたら、ちゃんと意見具申しないと。あの戦争の時のような事を繰り返すわけにはいかないんだから……

 大淀はそう考え、気合を入れるために自分の頬を両手でぱんぱんと叩いた。

「わたしが旗艦なんだからしっかりしないと」

大淀はそう言って、艦橋構造物へ向けて歩き出した。

 軽巡大淀はその構造上、司令部施設から艦橋へ向かうには、一度露天甲板へ出る必要があった。甲板から見上げる空は薄曇りだ。生暖かい海風が大淀の長い黒髪を撫でた。海風に当たるのは嫌いではないのだが、今日は何故か不快に感じた。自分でも分からない妙な焦りと苛立ちが募る。

 前の世界でのあの戦争では常に、「必勝」の期待感、高揚感に駆られて進軍し、決定的な大敗を喫してきた。大淀が戦闘詳報を読んだ限り、先の第一次ブ島沖海戦も同じ道をたどってしまった良い例に思えた。一方、今回はどうだろうか。カメヤマ提督が座乗する伊四〇一からの偵察情報によれば、どうやら敵は、こちらが当初想定していた兵力より一・五倍もしくは二倍近い戦力を擁していることが確認され、さらに頼みの綱だった主力戦艦二隻が戦闘開始前にすでに行動不能に陥っていた。この作戦は非常に危うい水域に入りつつあるのだ。

 艦橋構造物の後部のバルコニーのようになっている旗甲板に登ったところで、大淀は陣形を組む僚艦がしきりに発光信号をよりにわかに騒ぎ出した事に気がついた。先の第三分隊の事故の報に接した艦が不安に駆られて騒ぎ出したのだ。

 緊急電以外の無線は原則封鎖中なので電話は使えないなか、不自由な発光信号が乱舞し、その多くは旗艦である軽巡大淀向けにチカチカと殺到する。事務処理能力に長けた大淀も、一斉に浴びせられる信号には閉口した。

『大淀発全艦(段落)各位冷静ニ(段落)司令部ハ(段落)対応策ヲ(段落)検討中ナリ(段落)指示ヲ待テ』

 大淀は信号灯でそう返信しつつ羅針艦橋内に戻ったところで、大淀宛に新たな長距離無電が届いた。第三分隊の重巡加古からトビウメ提督が発した、最新の状況報告だった。

『戦艦山城、並ビニ扶桑ハ、自力航行困難ナリ。駆逐艦四隻ヲ以テ曳航シ、速ヤカニ、タロタロ泊地ヘ避退セントス。亦、小生ハ第三分隊司令ノ職ヲ辞シ、戦艦二隻ノ安全ナ回航ニ尽力セン。連合艦隊司令部ニオイテハ、作戦ヲ再考ノ上、至急新タナ指示ヲ発令サレタシ』

 大淀は暗号電文を急ぎ翻訳し、電文用紙に鉛筆で書き留めるとため息をついた。いくら作戦は提督頼みとはいえ、これで味方の状況がかなり悪くなったことは大淀にも十分理解できる。友軍の救出は最重要目標故に島の奪還の方はあきらめざるをえないだろう。

 大淀は急ぎ足で後部艦上構造物へ戻り、司令部会議室のドアをノックした。

「大淀です。入電です」

入れとの返事があり、大淀は扉を開けて踵をそろえる。

「第三分隊のトビウメ司令より緊急電!」

そう言って大淀は電文を読み上げてからフルカワに電文用紙を渡した。

 フルカワは電文を一瞥し、少しだけ不機嫌そうな顔でフンっと鼻で笑う。

「往生際だけは良いやつだ。どちらにせよトビウメは更迭だ。現時点をもって第三分隊の指揮権を剥奪し、そうだな、交代には……誰がいいか?」

「重巡三隈に乗艦しているアリスガワ提督はどうでしょう? 経験も豊かですし、軍令部の意向にもよく通じています」

行政参謀の一人がフルカワの言葉を受けて推挙した。フルカワはうなずいて、大淀に告げる。

「今後、第三分隊の指揮はアリスガワ提督に任せる。それと、山城と扶桑の曳航に駆逐艦四隻は多すぎる。その分戦力が減るからな。各艦に一隻で計二隻まで認めると伝えろ」

「お待ちください長官。扶桑も山城も排水量約四万トンの大型戦艦です。駆逐艦一隻では牽引力が足らず、無事に基地まで曳航できません」

さすがに面食らった大淀が異議を唱えた。

「駆逐艦一隻では厳しいと思われます。戦艦二隻の保全のためにも、やむをえんでしょう」

幸い司令部付きの企画参謀が大淀に同調したので、フルカワは舌打ちして言った

「くそ……。仕方あるまい。ただし護衛はつけられんぞ」

「はい、了解しました……」

航行できない戦艦とそれを曳航中の駆逐艦など、潜水艦の格好の餌食になってしまう。大淀はなんとか護衛をつけてほしいと思ったが、やむなく承知した。

「それから、各分隊および我が分隊各艦に伝達。『戦力損耗せるも必勝の信念の元、当初の戦略目標を達成せんとするため、第三分隊残存兵力は当第四分隊と洋上にて合流し、速やかにブ島西方沖へ突入、艦隊決戦の後、ブ島西岸に殺到し敵上陸部隊を艦砲射撃により撃滅せんとす。第一、第二分隊は引き続き航空支援のもと北方の封鎖艦隊に攻撃を続行し、味方船団を救出せよ』。以上だ」

フルカワはそう宣言し、大淀に命令伝達を命じた。さすがに従順な大淀もこれには食い下がった。

「お待ちください、長官。それでは作戦にほとんど変更がみられません。それに、当第四分隊は低速の輸送船を抱えています。敵に素早く接近するのは困難です」

「我々は作戦の達成目標を下げるような真似はしない。力の限り、ブ島奪還と友軍救援を完遂するつもりだ。無論、陸軍の輸送船を抱えての艦隊決戦など無理だ。輸送船は分隊から分離し、我々は速力を上げて第三分隊と合流のうえ、敵の主力艦隊を全力で叩く。我々にはまだ戦艦比叡がいるし、北方の第一、第二分隊と呼応し同時に襲撃すれば、敵は兵力の分散を余儀なくされる。勝機は十分にある」

大淀は目を丸くして口をあけた。驚きの余り、すぐに言葉が出てこなかった。

「ま、待ってください! 兵員を満載した丸腰の輸送船を、敵艦隊が近くにいるのに海上に放置して進撃するというのですか? そんなことをしては深海軍のかっこうの標的になってしまいます! それにこの海域には多数の敵潜水艦の存在が確認されています。危険すぎます!」

声を大きくしてそう訴える大淀をフルカワは落ち着いた口調でなだめる。

「そう興奮するな。無論ただで置いていくわけじゃない。すぐにタロタロ泊地に連絡し港湾防衛用の駆潜艇を派遣させる。戦艦日向もおっとり出港するし、扶桑と山城を送り届けた駆逐艦を全力で急行させれば、無防備でいる時間はそう長くはない。大淀、これには友軍の命がかかっているんだ。定石通り作戦では到底敵を打ち破ることはできんぞ。危ないのはみんな一緒なんだ。わかるね? 」

大淀はぐっと言葉をこらえた。こういう言われ方をすると素直で真面目な大淀は弱い。フルカワが屁理屈をこねているのは本能的には判っているものの、上官に抵抗し言い負かすだけの胆力は持っていない。

――きっと明石が見ていたら『ちょろすぎる』って怒るかしら……

大淀は観念してうなずいた。

「承知しました。すぐに全隊へ連絡します……」

 間もなく軽巡大淀から各艦、各分隊へ長距離通信で命令が発せられ、その二十分後、第四分隊は陸軍の輸送船五隻をその場に残し、速力二十ノットに増速し第三分隊の後を追った。

 

 同じ頃、第三分隊のトビウメ提督と不知火は重巡加古の前部甲板で、同じ分隊として同行していた提督らが内火艇から舷梯子を登ってくるのを出迎えた。提督一同はいずれも困惑の表情を浮かべている。

 一方出迎えたトビウメ提督は、スラックスの両膝にはラッタルにぶつけたときの出血で赤い染みが浮かび、白いシャツも茶色や黒のオイル染みで汚れ、文字通りズタボロだった。そしてなにより、提督も不知火も頭からオイルと海水をかぶってずぶ濡れだった。

 事故後の三十分間、トビウメ提督と不知火は地獄のような忙しさと混乱に襲われた。二人は分隊の僚艦に事故を伝えるとともに、艦の存続のためまさに人力で最低限の応急対策に奔走させられた。

 山城の後部は扶桑の船首に切り裂かれるように潰れ、そこから猛烈な浸水が起こっていた。幸い戦闘態勢にあったため主要な防水隔壁は事前に閉めてあったのだが、本来なら使えるはずの排水ポンプや見えない妖精さんによる浸水区画の閉鎖作業のなどは、山城が正気を失ったため一切働かなくなり、トビウメ提督と不知火は下甲板で押し寄せる海水に抗して閉められるだけの防水扉を閉めて回ったのだ。

 当然、提督も不知火も、他人の艦であるこの戦艦の内部事情に詳しいわけではないうえ、本来千人以上の水兵が乗務する艦のダメージコントロールを素人同然の二人やりとげるのはそもそも無理な相談だった。実際、艦娘が管制能力を失ってしまった状態の艦をまともに動かすのは、熟練水兵が定員乗り込んで対応しても無理と言われていた。

 ただ幸運だったのは、深刻な浸水は後部にとどまっており、それより前の区画への浸水はスピードが遅く、現状のままならば短時間に急な転覆や沈没はしそうもないと言うのが不知火の艦娘としての見立てだった。

 山城と扶桑が漂流状態にあるなか、随伴艦は不規則な円陣を組んで潜水艦やその他の脅威に備える必要があった。不知火の練度は高かったので自分が乗艦せずとも駆逐艦不知火を戦艦の周囲で周回させておくことはできたが、注意も見張りもおろそかになるので、作業中に不安がなかったと言えば嘘になる。

 トビウメ提督と不知火は山城での作業を終えると、内火艇ですぐに扶桑に乗り移り、羅針艦橋上の艦娘の扶桑の様子を確認に行った。艦橋にいた扶桑は衝突の際に頭を羅針儀にぶつけたようで、額から一筋赤い血を流しながら、籐を編んだ敷物の上に仰向けに倒れていた。二人が慌てて駆け寄ってみると、扶桑は穏やかな表情で天井を見上げながらぶつぶつうわ言を言っている。

「山城……。急ブレーキは危ないわ……。後続車に知らせながら三回に分けてゆっくり踏むのよ……」

不知火はげんなりした表情で舌打ちしようと思ったがなんとか我慢した。一方で、額から血を流しながら天井に儚げに微笑む姿は、場違いな麗しさも醸し出していた。不知火はこんな緊急事態にそんな醒めた事を考えている自分の頭も少しおかしくなったのではと心配になった。

 一方そんな余裕など持ち合わせていないトビウメ提督は血相欠いて扶桑の肩をゆすって起こそうとした。

「扶桑さん、しっかりしてください。助けにきましたよ!」

「司令、いけません! 今はそっとしておいた方がいいでしょう。見てください。頭に付いている艦橋の艤装もひん曲がっているので、おそらく無理かと……」

「そんな……」

艦娘の扶桑も人事不省になったということは、この艦も管制・航行能力を完全に失っているということだ。不知火は旗甲板へ出て後部の二基の煙突を見上げた。細々とした煙がちょろちょろ立ち上っているだけだ。

 艦橋に戻ってきた不知火は首を振った。

「機関も止まっています。ダメですね」

トビウメ提督は絶望感に満ちたため息をつくと、不知火とともに艦首のある前部区画へと下りていく。

 扶桑の艦首はぐしゃりと潰れていたが、幸いなことに浸水は山城に比べ遥かに軽微で、浸水している区画も狭い範囲で済み、なんとか防水扉を閉鎖して応急処置を終えた。二人はふらふらになりながら、内火艇に乗って艦隊のなかで、戦艦に次いで長距離通信能力に優れている重巡の加古へとやってきたのだ。

 トビウメ提督は、加古に命じて事故の第一報を連合艦隊司令部へ打電し、同じ分隊で同行している提督達を呼び寄せ、事故に至るまでの経緯と現在の厳しい状況をとつとつと、でも精一杯わかりやすく説明した。また自分は分隊の指揮権を返上し、山城と扶桑を何とか帰還させる作業にはいりたいと希望を伝えた。

 提督連中はあまりにもくだらない事故原因に驚くとともに、落胆や失望の色を露わにしたが、トビウメ提督の進言を受け入れるしかなかった。

 後任の分隊司令は、艦隊指揮経験が豊かで連合艦隊司令部の事情にも通じている、重巡三隈に乗艦しているアリスガワ提督が務めることになった。

 アリスガワ提督は、染み一つない第二種軍装をまとい、精悍な面もちの提督で、学業にも運動にも秀でていそうな男で、人のあしらい方もトビウメ提督よりはるかに上手に見えた。

 そんなアリスガワ提督が一点だけ難色を示したのが、航行不能の戦艦二隻をどの艦が曳航していくかという問題だった。

 トビウメ提督が、駆逐艦不知火と荒潮で山城を、重巡加古で扶桑を曳航していくと伝えると、アリスガワ提督は首を傾げて言った。

「分隊からそんなに戦力が流出してしまうのはどうでしょう? 特に重巡がいなくなるのはきつい。それでなくても戦艦がまとめて脱落するので、少しでも火力の高い艦を残さないといけませんよ。戦艦一隻の牽引に駆逐艦一隻ずつでは足りませんか?」

トビウメ提督は不知火に顔を向ける。

「原理的には不可能ではありません。ただ、実質五ノットも出ないので、護衛がいない状況下では、ほぼ確実に潜水艦の襲撃を受けると思われます」

トビウメ提督はうなずいて、他の提督たちへ向かってはっきりとした口調で言った。

「とにかく、扶桑、山城の喪失を防ぐことを最優先に考えるべきではないでしょうか。それには最低でも自分のところの艦のほか、最低でも重巡1隻、もしくは軽巡か駆逐艦二隻が必要です」

 他の提督たちは顔を見合わせる。言葉にこそ出さないが、暗に「俺の艦隊からは嫌だよ」と言っているのだ。

 しばらく沈黙が続いた。業を煮やしたのか、軽巡多摩に乗っている第三種軍装を着た肩幅の広い大柄な提督があきらめたように言った。

「しょーがないから、うちから一隻出そう。もう一隻は別の人に頼みたいな」

「攻撃力の高いた新鋭艦以外から頼みますよ」

アリスガワ提督の言葉に第三種軍装の提督がうなずく

「分かってる。主力オブ主力以外からな……。そうだな……、うちからは朝風を出そう。とにかくこうるさい艦だけど、役には立つから我慢してくれ」

アリスガワ提督は他の提督へ顔を向けるが残りの提督らは視線を逸らして知らんぷりを決め込む。埒があかないのでアリスガワ提督が観念してため息をついた。

「仕方ないので、うちから一隻出します。特型の初雪をつけます」

トビウメ提督は二人に深々と頭を下げて礼を言った。だがトビウメ提督と不知火の本当の苦労はこれからだった……。

「ちょっと! 艦娘が機能しないとか、どういうこと! 信じられないんだけど!」

「帰りたい……」

 トビウメ提督と四人の駆逐艦娘、それに手伝いを買って出た加古を待っていたのは、マンパワーだけで曳航索で戦艦としっかりつなぐという重労働だった。曳航索は、重量数万トンの巨大な船を引っ張れるだけの強度が必要なので、直径が二~三十センチ近い太さがあり、相当な重さがある。怪力の持ち主である艦娘にも、艦の妖精に頼らずにそれを船にしっかり固定するのは楽な作業ではなかった。

 とにかく管制能力を失った二隻の戦艦に、それぞれ駆逐艦からのばしてきた索を所定のフェアリーダー(甲板の端についている、ロープを通す金具)をくぐらせてから甲板中央にある一対の金具、センターボラードに正しく巻き付けなければいけない。

「艦娘が前後不覚とか意味わかんない! なんでわたしがこんな作業しなくちゃいけないのよ! あ~イライラする!」

 駆逐艦娘の朝風は忌々しそうに愚痴りながら重い索を引っ張る。和服に袴姿の朝風はわざわざたすきをかけて着物の袖をつめ、袴の裾を帯で巻いてもんぺのようにして作業にあたっている。テキパキ動くものの、朝風の文句は周囲を辟易させた。

「もう疲れた……。帰りたい……」

一方の初雪は口数こそ少ないものの、動きはだらだらしていてまったく作業がはかどらない。

「何が、帰りたい、よ! これから帰るんだから、文句言ってんじゃないの! さっさと手を動かしなさいよ!」

「ううぅ~。朝風、怖い……」

誰が意図した結果でもないが、相性は最悪な組み合わせだった。

「ねぇ~、わたし神戸生まれだから、こういう荒っぽい作業は苦手なんだけど~」

荒潮も重いロープを引っ張りながら不平を漏らすが、すかさず不知火が言い返す。

「そうですか。でしたら加古さんと交代して、お一人で分隊についていかれたらいかがでしょう。加古さんも神戸生まれですが、どこぞの朝潮型よりは寝坊助のほうがましというもの」

「あら~、ぬいぬい~、今日は随分と、言・う・じゃ・な・い・?」

お互い気が立っているのか、目尻を吊り上げてにらみ合う。

「二人ともそこまで! 無事に帰えれたら、四人にアイスおごるから今は作業。とにかく作業……。もちろん加古にも、作戦が終わったらね。そのためにも早く帰らないと」

提督があわててなだめ、海水を吸って重くなったロープを必死で引っ張った。

 その後、四苦八苦しつつも艦娘と提督の六人は一時間かけて戦艦二隻に曳航索を結びつけて、帰港への準備をなんとか完了した。

 いよいよ別れ際となったとき、アリスガワ提督が連合艦隊司令部からの受信した電文をトビウメ提督に伝えた。

「ええ~、作戦続行! そんな無理だよ……」

自分が分隊司令を更迭されることは予想済みで、何ら驚くことはなかったが、司令部が現有戦力でまだ敵中に突入しようとしていることには驚愕した。

「あの、アリスガワ提督はこの判断が正しいとお思いですか?」

「返答する立場にありません。司令部なりに熟慮した結果でしょう。それに、嫌な言い方になりますが、もはやトビウメ提督が憂慮することではないかと……」

アリスガワ提督は木で鼻をくくったように返答するのみだ。トビウメ提督は、相手が司令部のメンバーとも近しいベテラン提督であることを思い出し、口をつぐんだ。

――そう。僕にはもう、何も言う資格はない

 トビウメ提督は最後に、自分の艦隊から唯一作戦を続行する加古に声をかけた。

「こんなことになっちゃってごめん。作戦がどうなるかわからないけど、なんとしても無事に帰ってきてよ」

「うん、あたしは大丈夫。ちゃんと両目バッチシ開けて戦うから、提督も無事に山城達を連れ帰ってね。そんな顔しないで、いざとなったら逃げるから大丈夫だって」

加古は冗談めかして言うと提督の肩をたたく。

 ようやく駆逐艦不知火と荒潮が戦艦山城を、また朝風と初雪が戦艦扶桑をそれぞれV字に曳航索を張って牽引し始めた。巨大戦艦を駆逐艦二隻で曳いても速力は五ノットをちょっと上回る程度しかでない。

「各艦、対潜警戒を厳重に。潜望鏡の露頂に注意して」

駆逐艦不知火の羅針艦橋でトビウメ提督が言った言葉を不知火は残りの三隻に発光信号で伝えてタロタロ島へと帰還をはじめた。

 一方、それまで戦艦の周囲をぐるぐる回って警戒していた第三分隊の僚艦たちは陣形を組み直し、第四分隊との合流地点を目指して高速でその海域を後にした。

 トビウメ提督は油と海水で汚れた第二種軍装から開襟シャツの防暑衣に着替え、双眼鏡を手に艦橋の天井にあがって周囲の海面に目を走らせた。とにかく、今は潜水艦の襲撃だけが心配だった。第三分隊の方角を振り返ると、すでに艦隊の影は見えなくなっていた。右舷すぐ近くでは駆逐艦荒潮も同じ速度で戦艦山城を引っ張っており、山城は右後ろに見える。またずっと後方には朝風の艦影が見えたが、並んで走る初雪の姿は、山城の陰に隠れて見えなかった。

 戦艦山城の損傷箇所は艦尾だったため、その場所に水圧の負担がかかって浸水が加速しないよう、通常通り艦首を前に曳航しているが、扶桑は艦首が潰れているため曳航索を艦尾にくくりつけ、後ろ向きに引っ張ることになった。当然抵抗も増えるので、速力も落ちる。トビウメ提督達は後方のスピードにあわせさらにてゆっくり進む必要があった。

 不知火が天井に上がってきた。

「暗くなる前に帰れるかな?」

風音に負けないよう提督が大声で聞く。不知火は首を振った。

「無理でしょう。この調子では明日の未明になりそうです」

「もっと近づけば基地から駆潜艇とタグボートが応援にくる。それまで守り抜かないと」

そのとき、不知火が上空を指さした。薄雲の向こうに米粒のような飛行機の影が見える。

 まさか敵機襲来とばかりにトビウメ提督は双眼鏡越しに見上げるが、それは日の丸をつけた複葉機だった。

「味方の偵察機ですね。対潜爆弾を積んでいるようです」

「よかった、これで明るいうちは少し安心できるね」

トビウメ提督は双眼鏡をおろしながらつぶやいた。

――起こってしまったことは仕方ない。これ以上損害を広げないようにしないと。

長い夜になりそうだった。




 昔から、魅力的な悪役とか、その世界で明らかに馬鹿な判断をするキャラの造形が苦手です。
 一応、悪役や馬鹿なやつにも、そう行動するだけの説得力が必要なわけで、そこがいい加減だとちょっとちぐはぐな話になってしまうので、結構苦手です。
 司令部連中がなぜかくも無能もしくは無茶ばかりやるのかというのは、彼ら独特の世界認識と思考回路があるという裏設定があるのですが、そのあたりはのちほど、少しだけ掘り下げて説明する機会をつくりたいですね。

長い海戦は読み手にも退屈な場面なので、今回で終わりにする予定でしたが、分量がかさんでしまったので次回に持ち越し。
一応、16日くらいまでにUpしたいですね。
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