艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ   作:Piyodori

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第二次ブーメラン島沖海戦 7/決死のASW

 正午前のタロタロ泊地。今日もよく晴れている。タグボートに曳かれて、戦艦山城は舳先を前にゆっくりと湾の奥にある大型艦ドックへと曳かれてゆく。駆逐艦不知火の後甲板に立ち尽くしていたトビウメ提督は生気のない青ざめた顔で、目の前の鉄の塊が海を上を滑っていくのを見つめていた。その背後には、艦尾を前にした戦艦扶桑が、山城よりも先にドック目指して曳航されていく。山城に比べ、扶桑は左舷にやや傾いた状態で引っ張られていく。扶桑は帰り道で、敵潜水艦による魚雷三発に耐えた。艦外から見れば水平を保っているように見える山城も左舷第五砲塔直下と二番砲塔直下あたりに魚雷二発を受け、浸水により傾斜三度まで傾いた。山城は一見、何ともないように見えるが、艦に乗ってみるといろいろなものがゆっくり転がりだすくらいには傾いている。艦に乗ったときに感じるのと、外から見るのでは大違いだ。

 とにかく、トビウメ提督は悪夢の一夜を終え、指揮下の艦を無事にタロタロ泊地まで帰還させることができた。

 呆然と戦艦を見つめる提督のそばへ、不知火がやってきた。

「司令、間もなく投錨します。もう大丈夫ですよ」

「うん……」

不知火は、力なくうなずく提督の顔を見上げた。目の下には紫色のクマが浮かび、頬はいつも以上にげっそりとこけて病人のようにすら見える。

「司令、何か食べてからお休みになったほうがよいでしょう。急いで何かご用意します」

提督はうんと返事した。

 トビウメ提督は背後へと顔を向ける。百メートルほど先には駆逐艦荒潮が停泊場所まで微速前進している。艦娘の荒潮は第一砲塔の砲身に腰掛けて、毛繕いでもするように、風に吹かれる長い髪の毛先をいじっている。その奥にはすでに錨をおろした駆逐艦朝風と初雪の姿も見えた。艦娘の初雪の姿は艦上には見えなかったが、朝風のほうは頭に白い三角巾をかぶり、タグボートの作業員に向かい何やら怒鳴っているのが見える。

――長い夜だった……

山城の戦闘艦橋で嘔吐したのがもう何日も前のような気がした。

 トビウメ提督は思わず目眩に襲われ、倒れかけたところを不知火に支えられて第二砲塔の日陰になるところまで連れてこられた。

「司令、しっかり! 今すぐ飲み物をお持ちします」

走っていく不知火を見送りながら、トビウメ提督は、まるで無限に続くかのように思われた長い一夜を思い返した。

 

 およそ十八時間前。空母鳳翔が派遣した複葉偵察機は日没になっても、しばらくは進路上の警戒を続けてくれた。ただ、空が完全に暗くなってしまうと哨戒どころか飛行さえおぼつかなくなってくるため、偵察機は西の空へ去っていった。

 日没後まもなく、周囲を警戒していた初雪が北西方向に複数の船影を確認したと発光信号を送ってきた。もしや敵艦か?とトビウメ提督と不知火は思わず身を固くしたが、幸いにもそれは第四分隊から置いてけぼりを食った陸軍部隊三千人を乗せた五隻の輸送船だった。

 輸送船だけで護衛もなく大海原に放り出された船団はこれ幸いと信号を送ってきた。稼働不能の戦艦とそれにつながれたタグボート代わりの駆逐艦ばかりだと彼らが理解してからはしばらく返答がなかったが、数分の間をあけタロタロ泊地まで同行するとの素っ気ない返事を送ってよこした。

――多分、こっちにもまともな護衛艦がいないってわかって失望したんだろうな……

トビウメ提督は近づいてくる輸送船を見ながら少し申し訳ない気持ちになった。

 ただ振り返ってみれば、ここで合流できたことは双方にとって幸運だった。日没により脅威は空から水の下へ移る。夜になると血の臭いをかぎつけた「狼達」がこちらを狙っているはずだった。

 深海棲艦の潜水艦部隊は、まるで狼の群が家畜の群を取り囲んで追いつめるように、複数の潜水艦からなる部隊が多方向から船団に襲いかかる「群狼作戦」またはウルフパックとも呼ばれる集団戦法を常套としていた。

「見張りは多い方がいいんだよね?」

「ええ、そうですが……」

トビウメ提督の問いに不知火がうなずくと、提督は意を決したように戦艦山城を指さした。

「山城の艦橋のほうが少し遠くまで見渡せる。僕もあっちで見張りに立った方がいいよ」

不知火は、制御不能の艦に提督を送り込む事に不安を感じたものの、トビウメ提督の案は合理的に思えたので承知した。

 十分後、不知火は内火艇に電話線ケーブルと電話機を乗せて、後ろに曳いている山城へ提督を送り出した。トビウメ提督は長い電話線ケーブルを伸ばしながら、電話機をかついで山城の夜戦艦橋まで上がってきた。夜間、高所は視界が悪くなるため、夜戦は通常、低層の艦橋から指揮することになっている。トビウメ提督も戦艦山城の羅針艦橋まで上がってきた。すぐに電話機を設置しハンドルを回した。

「もしもし?」

「無事につきましたね。司令、一つだけ約束してください。もし攻撃で山城が沈み始めたら、躊躇なく退艦してください。……戦艦の替えはあっても、司令の替えはありません」

不知火の押し殺した声を聞き、トビウメ提督は受話器を持ちながらうなずいた。

「……わかった、約束する」

「司令、艦が沈み始めたら必ず、傾いている側ではなく、せり上がっていく側から海へ飛び込んでください。そうすれば、渦に巻き込まれにくくなります。あとは不知火が助けます」

そう確認し二人は受話器を置いた。

 輸送船がいくら鈍足とはいえ、五ノットも出ないこちらに苛立ちを募らせているらしく、しきりに発光信号で「もっと速力は上げられないのか?」とせっついてくる。不知火は無線封鎖中なのがこれ幸いとばかりに黙殺することにした。

――事ここに至れば輸送船を魚雷の盾にするのも上策ね

考えるだけなら無罪とばかりに、残酷な想像を巡らせ、不知火はしばし心の平安を取り戻す。

 不意に直通黒電話が鳴った。トビウメ提督だった。

「不知火です」

『方位二六五あたり、距離不明、茶柱が見えた! 探照灯照射! 左舷に星弾を放て! それらしいものには手当たり次第に砲撃して! 茶柱を近づけるな!』

「了解!」

戦闘は急に始まった。不知火は返事をしながらすでに砲塔と後甲板の探照灯に指示を与え、暗い海面に光の輪を投げかけた。

 受話器の向こうのトビウメ提督は尚も叫ぶ。

『全艦、短距離無線電話を使用を許可。口頭で迅速な情報共有を!』

「了解! 全艦これより無線封鎖を解除。方位二六五に敵潜水艦らしき艦影を視認。各艦、周囲を警戒しつつ制圧射撃を。朝風、初雪、右舷の海面にも注意を。手段は問いません、なるべく広い視界を確保し、警戒を厳としてください」

『ちょっと、いきなりすぎんでしょ!』

『怖い……。帰りたい……』

朝風と初雪も各人らしい返事でそれぞれ応答する。一方、輸送船からは悲鳴や怒声が聞こえてきたが、もはやそんなものを相手にしている暇はない。

 すぐに不知火の三番砲塔が左舷の空へ照明弾、通称星弾(スターシェル)を打ち上げた。照明弾は高度五百メートルほどの高さに上がって炸裂し、マグネシウムが燃焼して白い光を放ちなが、落下傘に吊られてゆらゆらと落ち始めた。

 山城の羅針艦橋では、それまで漆黒の空だったところへ突然日が昇ったような明るさになったので、トビウメ提督が思わずまぶしさに目を覆う。目を細めながらも一心に双眼鏡をのぞくと、さっき見つけた茶柱のような潜望鏡が白い筋を引きながら海面に潜っていくのが見えた。またその奥にはすでに艦橋らしき黒い塊を海面からつき出してこちらを追ってくる潜水艦の影が見えた。

「左舷、潜水艦複数! 輸送船は衝突に注意しつつ魚雷回避行動を! 駆逐艦はあらゆる手段を使って敵潜水艦を近づけるな!」

トビウメ提督は受話器にそう叫ぶ。電話の向こうで不知火が全艦へ無線電話で呼びかける。

 トビウメ提督は歯ぎしりしながら左右の海面に目を走らせた。今このこの艦隊で自由に動き回って潜水艦を追い散らす事ができる艦はいない。一方で、駆逐艦が曳航索を切って対潜戦闘に向かえば山城も扶桑も、動かないただの的になってしまう。

 トビウメ提督が考えているうちに一発目の星弾がみるみるうちに燃えつき。海は再び漆黒に覆われる。駆逐艦不知火はすぐに二発目の星弾を撃ち視界を確保すると。高角機銃で左舷の海面をひたすら撃ち始めた。

「司令このままでは危険です!」

不知火が電話越しにそう言った直後、山城の右舷二キロを航行していた戦艦扶桑の右舷から、艦橋を飛び越すくらいの真っ白な水柱が立ちのぼった。

――やられた!

数十秒後に不知火から戦艦扶桑に魚雷命中の報告を受けるまでもなく、提督は事態を把握していた。

――クソッ、このままじゃただの的だ!

トビウメ提督は即座に不知火へ指示を出す。

「駆逐艦荒潮に命令、直ちに曳航索を切断し、対潜戦闘開始! また扶桑を曳航中の駆逐艦どちらかも索を切り離して対潜戦闘に」

艦娘にはそれぞれ前世の経験などによって戦闘にも得意不得意がある。今日初めて顔を合わせた朝風と初雪、どちらが対潜水艦戦闘(ASW)を得意としているかはわからなかった。

 受話器越しに不知火と駆逐艦がなにやら応酬を繰り広げているのが聞こえてきた。返事はすぐにきた。

「司令、朝風が対潜戦闘に移ります。なにかとかしましい艦ですが、一つ返事で買って出ました。荒潮は曳航索切断、直ちに敵潜水艦の攻撃に移ります」

トビウメ提督が双眼鏡を二時方向にいる駆逐艦荒潮に向けると、すでに艦尾からは白いウェーキが立ち、一気に速度を上げたことがわかった。

「司令、初雪より、戦艦扶桑、右舷に後方、今は逆さまですから船首側に魚雷一発被弾の模様、損害状況は不明なれど、現時点で目立った傾斜はなしとのことです。それから、悪い知らせですが、不知火の星弾は残り三発です」

トビウメ提督は思わず羅針艦橋の天井を見上げた。ただでさえ搭載弾薬に限りのある駆逐艦に、夜戦でそれも短時間でしか使わない星弾が大量に搭載されているわけがない。星弾の燃焼時間はもって三~四十秒。とても朝までもたないだろう。

 駆逐艦不知火の羅針艦橋では、不知火が艦隊の無線電話とトビウメ提督との直通電話の間で忙殺されつつ艦を制御していた。荒潮が抜けたことで山城を一隻で牽引することになり、行き足はますます遅くなった。それは右舷で扶桑を牽引している初雪も同様だ。それ以上に不知火を辟易させたのは陸軍部隊を乗せた船団からの無線通信だった。船員の悲鳴や恐怖に襲われて怒号をあげる陸軍の将校連中の無線電話がひっきりなしに飛び交う。不知火は必要な指示や警告を除き、一切無視を決め込んだ。ただ、この状況ではとうてい朝まで生き残るのは無理だという事もわかっていた。

『ぬいぬい! 左舷、方位二一〇から魚雷よ! 三発!』

荒潮が珍しく真剣な口調で無線電話をよこした。

不知火はすぐにその方向を見据えつつ、逆進をかけた。

――魚雷はどこ!

真っ黒な海面へ探照灯の光を走らせていると、光の円が海面下に三本の白い筋を捉えた。

 不知火はすぐに取舵にきってジリジリとななめ後方へ船体を向ける。主砲と機銃が一斉に魚雷のくる方向の海面を撃ち始める。

 受話器からは、ようやく魚雷に気付いたトビウメ提督から悲鳴のような警告がもたらされるが、それに答えている余裕はなかった。何とか前進が止まりじりじりと後進し始めたとき、最初の魚雷が駆逐艦不知火の艦首から三十メートル先を通り抜けた。続いて二発目が左舷ぎりぎりを通過、続いて三本目は右舷二十メートルを疾走していった。

不知火とトビウメ提督はほぼ同時にほっと胸をなで下ろす。

 のんびりはしていられない。後進をかけたことで牽引力を失い曳航索は海面に垂れ下がり、惰性で戦艦山城がゆっくりと不知火に突っ込んでくる。不知火は急ぎ全速前進を命じて再び山城を引っ張ろうとしたとき、戦艦山城の左舷から巨大な水柱があがった。

「司令!」

不知火は受話器に叫んだ。

 トビウメ提督が最初に感じたのは急な傾きだった。爆発音、水音とともに艦橋内が真横から押し倒されるようにぐらりと右に傾き、続いて揺り戻しが襲う。あわてて外へ目をやると、左舷後甲板あたりが一面が水柱の水をかぶっていた。

『司令! 司令! 大丈夫ですか! 司令、応答を!』

「僕は大丈夫。一発やられたみたいだ」

受話器ごしに叫ぶ不知火をなだめるように、トビウメ提督は言った。

――あと一発くらいはもつかもしれない。でも元々艦尾から浸水中の艦だから、三発以上は危険だ

トビウメ提督は窓の上にある艦の傾斜計を見ながら思った。今、針は左舷三度を指している。

 左舷の遠方では駆逐艦荒潮が爆雷投射器で爆雷を打ち出し、潜水艦への攻撃を始めている。爆雷を落としてしばらくすると漆黒の海面が一瞬白く光り、一拍おいて水柱が立ち上る。潜水艦から10メートル以内で爆発させれば、耐圧殻を引き裂き、一発で潜水艦を海の藻屑にすることができる。近くにいた潜水艦は一斉に場所を変えてより深い場所まで潜航せざるを得ない。浮上や潜望鏡を上げさせなければ敵潜水艦は魚雷を撃つことができないので、ASWにおいて威嚇という行為は非常に有効だった。

『朝風より連絡です。複数方向よりスクリュー音。敵潜多数。あまり高速で動き回ると、海中のスクリュー音が聞き取りにくくなるので注意するようにとのことです』

 不知火からの電話を受け、トビウメ提督はすぐに左舷側で爆雷をばらまきながら走り回っている駆逐艦荒潮へ双眼鏡を向ける。星弾が輝いているわずかな間だけ。艦首から艦尾の後ろ長く伸びる海面のウエーキが見える。かなり高速を出しているようだ。あちらこちらに爆雷を撒かなければならないし、のんびりしていると逆に自分が雷撃の的になってしまう。潜水艦を攻撃できる能力を持っている駆逐艦を先に始末してしまえば、残りは推進力のない戦艦と鈍足の輸送船だけだ。それは海の上に浮かぶただの的にすぎない。

「ぬいぬい、朝風のアドバイスと一緒に、潜水艦からの反撃に十分注意するように伝えて。敵は真っ先に護衛艦を狙ってくる可能性もある」

 だが、十分後には状況はさらに悪くなっていた。

『不知火の星弾、残り一。朝風、残弾ゼロ。荒潮、残弾三。初雪、残弾五。作戦を変えませんと、夜を越すのは困難です』

トビウメ提督は唇を噛んで腕時計を見る。二〇一三時。幼稚園児だってまだ寝ない時間だ。日の出まで、まだ九時間以上ある。今ある星弾だけではとてもしのげない。

――完全に詰んだか……

 突如、艦隊前方の空に、新しい照明弾の光がともったのはその時だ。艦隊からはやや遠い位置に光の花を咲かせ、ゆっくりと落ちてくる。

「あれは……」

さらにもう一発がやや艦隊よりの空の上で光り、艦隊全体を照らし出した。トビウメ提督は艦橋から右舷のウイングに飛び出し、真っ黒な空を見上げると、高空にチラリと水上機らしき一対のフロートを履いた航空機の腹が見えた。かすかにエンジンの爆音も聞こえる。ただ敵か味方かは分からない。提督はすぐに艦橋にもどり受話器に告げる。

「ぬいぬい、今上空に飛行機がいる。敵機じゃなきゃいいけど……」

駆逐艦不知火の探照灯が上空へ向けられ、飛来した飛行機を探し始めた。 一方、闇夜を飛ぶ飛行機からはか細い光が断続的に明滅し、赤と青の翼端灯が点灯した。どう考えても敵機の挙動ではない。トビウメ提督はほっとして肩の力を抜いた。すぐに受話器越しに不知火の声が言う。

『何型かはわかりませんが、味方の水上機に間違いありません。ありがたいですね』

声に少し安堵の色が感じられたつかの間、突然曳航弾の筋が空の闇を切り裂いた。トビウメ提督と不知火はほぼ同時にえっと驚愕の声をあげる。別の曳航弾の筋も異なる角度で空に定規で線を引いたように飛び交う。狙いは味方の水上機だ。何拍か置いて複数の機関砲の発砲音が山城の航海艦橋まで聞こえてくる。

「誰? まさか敵の潜水艦が……」

トビウメ提督が曳航弾の発射元をたどると、それは右舷四時方向を航行中の陸軍の輸送船だった。輸送船は船体こそ民間の貨客船と大差ないが、自衛のため、急拵えで口径の小さい単装砲や機関砲を載せていた。海戦に不慣れな輸送船の乗組員らが、どうやら飛来した水上機を敵機だと思いこんだようだ。

「まずい、ぬいぬい、すぐ止めさせて! これじゃ同士討ちになっちゃう!」

『はい、直ちに!』

 不知火は受話器を戻すとすぐに無線電話で艦隊中に呼びかけた。

「駆逐艦不知火より全艦。上空の航空機は敵機に非ず。発砲を止め。繰り返す! 上空の航空機は敵機に非ず!」

不知火は必死に呼びかけるが、輸送船上では軽いパニックが起きているのか、無線越しにはよく分からない叫び声や怒号、言い争う声が聞こえてくる。どうやら一部の輸送船では、航行を担う船員と陸軍の将校連中の間で言い争いが起きているようだった。

――いきり立った陸軍ども、血迷ったのかしら?

不知火は険しい表情で輸送船を睨みつけた。最後尾の輸送船は発砲を止めたようだが先頭の二隻はまだ発砲を続けている。不知火は一度咳払いしてから無線電話のマイクをふたたび握る。

「駆逐艦不知火より輸送船団。直ちにあらゆる発砲を止めよ。十秒以内に命令に従わない場合、直ちに魚雷をもって撃沈処分を下す。……これは脅しではない」

一つ前の通信とは打って変わり、慌てや焦燥などの感情のこもらない、ドスの利いた低い声だった。すぐに艦橋の時計を見上げる秒針が無情に時を刻む。間もなく輸送船の二番艦が機関砲の射撃を停止した。ただ、陸軍の師団長一行が便乗している先頭の輸送船は未だ対空機銃を滅多やたらに打ち上げている。

――一番魚雷発射管、方位○一一。

駆逐艦不知火の前部魚雷発射管がゆっくりと旋回しはじめた。

「四、三、二……」

不意に射撃が止まり、海域一帯がすぐに静かになった。双眼鏡で輸送船上を覗いてみると、船橋上にもうけられた特設機銃台で、陸軍の制服と思しきカーキ色の服を着た数人のグループが、白い上下に白い帽子を被った船員達に殴り倒される様子が見えた。

「チッ」

不知火は舌打ちしてから無線電話のマイクを握る。

「駆逐艦不知火より輸送船団。ご協力に感謝します」

慇懃無礼にそう伝えて不知火は無線電話を一方的に切った。すぐに黒電話ジリジリ鳴る。

『ぬいぬい、良かった。止まったね』

トビウメ提督のほっとしたような声に、不知火はようやく表情を少し和らげた。

「皆さん、大変協力的で助かります」

不知火はそう言って再び艦橋の天井へと上って空を見る。飛行機の爆音はまだ聞こえる。味方の誤射を受けつつも幸い無事だったようだ。先ほどの対空砲騒ぎで途中で途切れてしまった発光信号の続きが再び水上機のコクピットらしきあたりで明滅した。

『センカンヒウカ、クセンテイ、タグボート、シンシュツチュウ。シンロ二〇〇ニトレ』

不知火はその信号を解読すると、すぐに了解の旨信号灯で応答し艦橋へ飛び降りた。

「司令、上空の水上機より連絡。戦艦日向指揮下、駆潜艇とタグボートを引き連れて味方が救援に来てくれているようです。進路二二〇で進むよう求めています」

『本当! よし! 全艦に連絡して、進路二二〇に! もう一踏ん張り……』

不意に言葉が切れた。

『ぬいぬい、大変!』

代わりに聞こえてきたのは荒潮の悲鳴だった。

 不知火が背後の戦艦山城を振り返ると、またも水柱が山城の左舷第二砲塔直下あたりから吹き上がり、巨大な艦橋が大きく真横に揺れるのが見えた。

――しまった!

敵潜水艦による魚雷攻撃、二度目の命中だった。

「司令、ご無事ですか! 司令!」

『……丈夫、ちょっと転ん……だけ』

「もう猶予はありません。司令は一度退艦を!」

 戦艦山城の夜戦艦橋でトビウメ提督は艦の傾斜計を見上げた。左舷に一・五度傾いている。今浸水を止める術はないため、傾斜は刻々と大きくなるに違いない。それに駆逐艦一隻の牽引力では、潜水艦の攻撃をかわすことはほぼ不可能だとわかった。

――救援を信じるしかない

トビウメ提督は受話器越しに叫ぶ不知火に落ち着いた声で言った。

「駆逐艦不知火と初雪、それに輸送船団に連絡。不知火と初風は直ちに曳航索を切断し戦艦を中心に円陣を組みつつ、荒潮、朝風に合流して潜水艦を牽制、輸送船団も円陣内を移動しつつ警戒態勢をとるよう伝達。救援到着までの時間を稼ぐ。星弾もあるだけ使って潜水艦可能な限り追い散らすよ」

不知火からは、了解との返答後、命令は艦隊中に伝達された。

『司令、通信手段が無くなります。ご自身もこちらに戻られて対潜戦の指揮を執られては』

不知火がそう進言した。

 確かに、係船索と一緒に電話線も切断すれば、山城は通信能力を完全に失うことになる。完全に人事不省に陥った艦娘の山城一人をターゲットになっている艦に残して行くのには気がとがめたが、ここは不知火の進言通りに再び駆逐艦に移乗する他ない。

「了解、すぐそっちに戻る」

そう言ってトビウメ提督は受話器を置くと、一度山城がいるであろう戦闘艦橋へ続く真っ暗なラッタルを見上げてから、急いで下甲板へ続くラッタルを駆け下りた。

 不知火はすぐに係船索と電話線のケーブルを切断し、探照灯の光を海面に走らせつつ、山城の近くへ舷側を寄せる。艦の舷梯にくくりつけていた内灯艇は先の被雷により粉砕されていて跡形もない。不知火はすぐにロープを左舷におろして舷梯から飛び移る提督を支援する。

「海面が臭い。だいぶ油が漏れているな」

やっとのことで甲板に這い上がったトビウメ提督は肩で息をしながら言った。夜中の海面は真っ黒で様子はわからないが、確かに鼻をつく刺激臭がする。

 提督を甲板に引っ張り上げると、不知火は艦をすぐに速力十八ノットへ増速し聴音機の音に耳を済ませた。

『ぬいぬい、方位二二五、山城から距離約一千三百、潜望鏡よー!』

荒潮からの無線電話だった。

「不知火より荒潮。了解。すぐに攻撃する」

 二人が駆逐艦不知火の艦橋に上がるまでに、不知火は一番主砲をその方角へ向けていた。敵潜水艦は不知火から見て方位〇二〇の位置でこちらに近づきつつあった。荒潮の探照灯が側面から強烈な光で、海面を白い筋を立てて進むマッチ棒のような影を照らしていた。

「全火砲使用自由! 撃ちー方、はじめー!」

不知火の二連装の一番主砲が火を吹く。すぐに水柱が敵潜水艦の潜望鏡近くに吹き上がる。その間にすぐに第二射の準備をすすめ、第一射から三十秒後にはすぐに二回目の砲撃を加える。おそらく敵潜水艦は微妙なバラストコントロールを誤ったのだろう。真っ黒な岩礁のような艦橋構造物がわずかばかり波間に姿をあらわした。それはすぐに海面下に隠れたがその瞬間、オレンジ色の小さい爆炎が海面に一瞬立ち上り煙が上がる。茶柱のような潜望鏡も一瞬で吹き飛び姿が見えなくなる。

「当たりました。手応えありです!」

「これで沈めた?」

「いえ、おそらくはまだ……。ただ、これでもう潜航はできないはずです」

そういう不知火の言葉通り、ギラッと黒光りする魚の背のような物体が海面を割って姿を表した。一見、クジラの背のようにも見えるが、フジツボだらけの艦載砲や、サンゴ礁のようなひしゃげた艦橋構造物を背負っているのでまともな生き物ではないことは明らかだった。

「攻撃を継続します!」

不知火は高速航行で敵に腹を見せるような進路にとりつつ全砲塔を右舷へ向け一斉に浮上した深海棲艦の潜水艦へ向けて斉射をはじめる。艦の機銃も一斉に火を吹き、潜水艦は至近弾の水柱に覆われ、二射目の砲撃から数秒後、船体先程よりもはるかに大きい爆炎を上げて燃え上がった。

 艦橋にいた不知火とトビウメ提督は一瞬の眩しい炎に目を覆ったが、再び海面に目を戻すと、すでに海面には小さな破片や燃えカスが浮遊しているのみで、不気味な黒い船体は影も形もなかった。

『やったわ!スクリュー音一つ消えたわ。船体が割れる音を捉えました~!』

荒潮がいつもの調子をとりもどした口調でそう通信した。

「やったよ、ぬいぬい!」

トビウメ提督が不知火の肩を軽くたたく。不知火も少し誇らしそうな笑顔を浮かべた。

 ただ、勝利の喜びは十秒ももたなかった。無線電話越しの初雪の悲鳴とともに戦艦扶桑の右舷後部から巨大な水柱が吹き上がっていた。

『ふ、扶桑さんに、また魚雷が……。爆雷を散々落としても、もう、きりがないって……』

初雪が泣きそうな声で通信をよこした。すぐに朝風の声が割って入る。

『星弾、いま初雪が撃ったので最後よ! もう防ぎきれないわ!』

「円陣を組んで警戒を続けて。とにかく、そばに寄らせないように!」

トビウメ提督はマイクにそう叫ぶが、完全に漂流している船を守り切るのはもう困難になってきた。それに戦艦だけでなく三千人の兵士を乗せた輸送船も守りきらなくてはならないのだ。「司令、嫌がられるのは承知で、敢えて申し上げます。無傷の輸送船を守るためにも、その……そろそろ、厳しい決断を下さねばならないかもしれません」

不知火はトビウメ提督から顔を背けて早口に言った。

「えっ?」

トビウメ提督は不意打ちを食らったような声を出した。

「戦艦と輸送艦、どちらかを選択しなければならない事態になりつつあります。それを決めることができるのは、艦娘ではなく司令だけです……」

不知火は背中を向けたまま言った。不知火には、トビウメ提督がこの上なく狼狽することはわかっていたが、早い段階で覚悟だけはして貰う必要を感じていた。その代わり、それがどんな指示であっても、トビウメ提督の命令に従うつもりだった。その選択の結果が自身の沈没であっても……。

 トビウメ提督は双眼鏡で扶桑と山城を後方から見回した。山城に一見、傾きは見られないが、扶桑は右舷にやや傾きはじめているのが外見でもわかった。一方、五隻の輸送船は扶桑と山城を盾にするように、両艦の間で不規則にぐるぐる回っている。トビウメ提督はふと大きなサメの腹に張り付いて身を守るコバンザメを思い出した。

――きっと、那智さんがここにいたら同じことを言っただろうな……

トビウメ提督は深呼吸した。

「わかった。その時は迅速に決断する。だから、まだ少し頑張ろう! それがどれくらいになるかわからないけど。戦艦のどちらかが曳航不能状態になったら、すぐに輸送船と離脱する。だからもう少し……」

不知火はトビウメ提督に向き合って深くうなずいた。

「了解しました、司令」

円陣の反対側では朝風と初雪が探照灯の光線を振り回しながら時折、機関砲や主砲を乱射している。

 再び飛行機のエンジン音が聞こえてきた。艦橋の窓から頭を出して二人が空を見上げると、星明かりの下、複数の発動機が回る音が聞こえる。二~三機の飛行機が来ているようだ。

突然、空に照明弾の光が光った。いくつもの順番に等間隔に照明弾を投下したらしく、空に一列、四つの照明弾の明かりが咲き、海面を照らした。すると後続の機が海に何かを続けざまに落としていく。しばらくすると落ちた海面から真っ白な水柱が上がり、一瞬だけ水の壁ができたように海面が沸き立った。救援隊の対潜航空支援だった。

『やった……。聴音機で艦体破壊音が聞こえた……』

相変わらずぼそぼそとした話し方だったが初雪が無線電話でそう伝えてきた。。

潜水艦が海中で損傷、沈没するときには金属が潰れたりが軋んだりする独特の騒音が発生する。一番近くにいた初雪がその音を捉えたのだった。

「今夜は月明かりも少ないのに、あの飛行機、真っ暗な海面で良く潜水艦を見つけられたね」

感心して言うトビウメ提督の疑問に不知火もうなずく。

「あの水上機、電探を積んでいたのかもしれません。練度が高ければ、至近距離で露頂状態にある潜水艦でもはっきり捉えることができるそうです」

 その時、荒潮の声が艦橋に響く。

『荒潮より不知火。方位二五五、接近中の艦船を発見よ~! 味方の救援みたいね!』

戦艦の周りをぐるぐる回りながら、駆逐艦不知火が艦体の西側へやってくると、遠くに一際大きい戦艦らしきシルエットと、その周囲を囲む六~七隻の囲む小型の船舶が発光信号を贈りながら近づいてくるのが見えた。

「戦艦日向です」

「厳しい決断は、少し先延ばしして大丈夫かな?」

「ええ、一先ずは保留でも良いと思われます」

二人は安堵のため息をつきながら、高速で近づいてくる救世主を見つめた。

 

 トビウメ提督は、昨夜の長い夜を思い出しながら不知火に問われた「厳しい決断」を下さずに済んだ幸運を改めて噛み締めた。首を転じると後方には陸軍の輸送船五隻が桟橋順番に係留作業に入っている。五隻は一発の被雷も至近弾もなく、無傷だった。

「お待たせしました司令」

不知火が冷えたラムネの瓶を手に戻ってきて、ビー玉落としで栓を開けてから提督に手渡した。トビウメ提督はお礼を言って瓶を取り、後方を航行中の戦艦日向の堂々たる艦橋を振り返った。

「戦艦日向、すごかったね……」

不知火も隣に腰をおろしてうなずいた。

「ええ、正直、あのような操艦は初めて見ました」

 昨夜、救援が到着して安堵するも、苦難は続いた。戦艦日向が引き連れてきた、高い牽引力を持つタグボート四隻が戦艦を曳航する作業に入っている間も、敵潜水艦は繰り返し、魚雷攻撃のため近づいてきた。トビウメ提督指揮下の駆逐艦四隻と、救援部隊としてやってきた沿岸防御用の駆潜艇六隻が、周囲の海中に耳を済まし、砲撃や爆雷攻撃で敵を退けている間にも、数回に渡って魚雷が扶桑や山城、時には護衛の駆逐艦に向かってきた。急速転舵や海面射撃など、手段を尽くして魚雷を回避してきたが、曳航開始間際の扶桑を確実に命中コースに捉えた魚雷二発が駆逐艦や駆潜艇の警戒を突破して突入してきた。トビウメ提督や不知火をはじめ、誰もが、もはや避けられないと観念したとき、円陣の内側で照明弾の打ち上げをしていた戦艦日向が魚雷と扶桑の間に割って入ったのだ。誰もが扶桑をかばってのことと覚悟を決めたが、一同を本当に驚かせたのはその後だった。戦艦日向は魚雷の命中コース上で急速転舵し、魚雷とほぼ平行になるような進路で魚雷に突っ込んだ。トビウメ提督は魚雷が命中する瞬間悲鳴を上げたが、予想に反し日向の船体を白い水柱が襲うことはなかった。魚雷は爆発しなかったのだ。

「不発? すごい幸運だ……」

提督と不知火はそう驚いていると、しばらくして朝風が、そんな事もわからないのかという自慢げな口調で言った。

『まさかみんな、運が良かったなんて思ってんの? 勘違いしちゃダメよ。あれはわざと魚雷に浅い角度でぶつけて弾き飛ばしたの。深海軍の魚雷は精度がイマイチなことを逆手に取った、ある意味究極の対魚雷戦法ね』

朝風のその声音には、まるで自分のことのように自慢し得意がる調子があった。

『何それ……。カッコ良すぎじゃん……』

初雪がそう応じ、不知火とトビウメ提督も驚いて顔を見合わせる。すると戦艦日向から無線電話越しに落ち着いた女性の声が響く。

『戦艦日向より朝風。余計なこと言うんじゃない。また艦体全艦へ。今のは運任せの非常手段だ。決して真似などしないようにな』

 戦艦日向に乗っているナス提督による、駆潜艇や駆逐艦に対する対潜戦闘の指揮は、その分野に詳しいわけではないトビウメ提督から見ても、的確で無駄のないものだった。一同はその後間もなく戦艦の曳航しつつタロタロ島へ帰還を再開した。聴音機からは依然、接近しつつある敵潜水艦のスクリュー音が聞こえており、余談を許さない状況が続いたが、しばらくすると、東の空が赤らみはじめ、しだいに周囲が明るくなりはじめた。しばらくすると翼に日の丸のラウンデルを塗装した複葉偵察機が何機も艦隊の周囲を飛び回り始め、艦隊は悪夢のような潜水艦の魔の手から逃れることができたのだった。

 不知火はふと、以前に姉妹艦の陽炎から聞いた噂話を思い出した。それは艦隊随一のアイドルとされている給料艦間宮に関する艶聞で、間宮には特別な関係にある提督がいるというものだった。数年前、間宮の動静を把握した深海軍の潜水艦部隊が南洋海域に進出した間宮を執拗につけ狙った事があり、対潜機や駆逐艦、海防艦などあらゆる手段を駆使して航行中の間宮を猛攻から守りきったこと、間宮がすっかりその提督に惚れ込んでしまったという噂だった。不知火は、あまりこの手の噂話に関心を払うタイプではないのだが、どの艦隊にも所属せず、専属の提督もいない、私生活がわりと謎に包まれている間宮に関するものだったので、たまたま覚えていたのだ。陽炎の話によれば、その間宮の想い人というのは伊勢型戦艦に指揮官だったので不知火はもしやと思いつつ日向の方を見上げた。

「ナス提督という方はどういう方ですか?」

不知火の問いにトビウメ提督は首を振った。

「話したのは昨夜の無線電話越しが初めてだよ。出撃前に会議かなんかで何度か顔をあわせてはいたみたいだけど、あまり印象にないなぁ。見た感じでは、結構歳いってる感じだったけどな……」

「そうですか……」

「お礼を言いに行かないとね」

「そうですね」

不知火と提督はしばし無言で港内をぼんやりと眺めていた。自分たちは辛くも誰も失わずに戻って来られたが、第一、ニ分隊と司令部を伴った第四分隊はそうはいかなかった。




まとまりなく、長くなりすぎちゃいましたね。
次話は今月中にUp予定です。
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