艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
タロタロ泊地の岸壁では第三分隊の戦艦が寄港したという知らせを受け、艦娘の初風が港の岸壁へ息を切らせて走ってきた。湾内には大きな戦艦が、タグボートで曳かれて行くのが見える。すでに岸壁には見物人が集まり始めていた。そんな中に早霜が一人、艶のある黒い髪をなびかせながら黙って戦艦を見つめていた。
「あっ早霜、司令官達も戻ってきたのかしら?」
早霜を見つけた初風が駆け寄って尋ねると、早霜は海を見たままうなずいた。
「そのようね。不知火さんや荒潮さんも一緒よ」
初風は目の前を通り過ぎる二隻の戦艦の破損状況を目の当たりにして思わず口に手をやる。
「何よあれ……。完全に追突して艦首も艦尾もつぶれちゃってるじゃない……」
信じられないとばかりに、初風は顔を青くして言う。
「ああ~、いたいた。提督たち戻ってきたって? みんな無事だった?」
長良も二人のところへ走ってきた。
「不知火さんと荒潮さんは無事みたい。加古さんは見えないわね」
早霜はそう答えながら港内を見回す。ドック近くで錨をおろしている工作艦明石の周囲にも内火艇が集まってきた。
留守の艦娘達に、作戦に大きな障害が発生したことが伝わり始めたのは昨日の午後のことだった。そして、火災事故を起こし、当初修理に数時間かかると見られていた戦艦日向が、急に出港準備をはじめて、駆潜艇を引き連れて港を出ていったのだ。
艦の修理が完了していないトビウメ艦隊の三人は無線通信を自分の艦で受信することができないため、戦況の把握は、通信機器が万全な艦の艦娘が拾った断片的な通信に関する噂話を頼るしかなかった。その噂話で伝えられる戦況は、どの方面も悪い知らせばかりだった。
三人が立っている岸壁の後ろをくろがねが二台、猛スピードで通り過ぎ、五十メートル先の内火艇用桟橋の前で止まった。カーキの陸軍軍服を着て腕に白地に「憲兵」と赤字が入った腕章をつけた将校風の男二人が、鉄帽をかぶり三八式小銃を構えた歩兵四人を引き連れ、くろがねから降りると慌ただしく内火艇へと乗り移る。兵士の持つ小銃の銃口には長い銃剣が付けられていた。内火艇は憲兵隊を乗せてすぐに湾内へと出ていった。早霜は目を細めて、その一隊を目で追う。
――不知火さん、なんだか良くないことが起きそうな気がするわ
早霜の予感通り、内火艇は小さなウェーキを引きながら駆逐艦不知火の停泊している方向へ走っていった。
時間は少し遡る。トビウメ提督や不知火たちが潜水艦相手に悪戦苦闘している時、ブーメラン島の北方では第一分隊旗艦の軽巡能代に座乗するシンドウ提督と指揮下の水雷戦隊が、空母翔鶴の航空攻撃に続いて封鎖艦隊へ攻撃をかけていたが、計画当初の想定を上回る敵戦力を前に、初戦から苦戦を強いられていた。計画では、第一分隊による第一波攻撃は威力偵察的な接敵に終止し、敵の戦力を見極め第二分隊のため、防衛線に間隙を作る役目を担っていたが、深海軍の重巡を中核にした封鎖艦隊はかなり遠距離から第一分隊の接近に勘付き、ポート・フリスビーの湾口のかなり北の海域でこれを迎え撃った。まだ日がある夕方の晴天、それも開けた海上での会敵と悪条件が重なり、得意とする近接魚雷戦は事実上封じられることになった。
一方、第一分隊に呼応して第二波攻撃をかける予定だった、軽巡名取に乗ったカキモト提督が率いる第二分隊は、作戦計画では手薄になった湾口の封鎖艦隊の残存部隊を駆逐し、閉じ込められていた味方を救出できるはずだった。だが、計画では手薄になっているはずの島の北方では、それまで東北東に位置していた未確認の敵増援部隊が新たな封鎖艦隊として第二分隊を迎撃した。第二分隊にとって不運だったのは、新手の封鎖艦隊には戦艦二隻と重巡四隻が含まれ、やはり天気の良い開けた海域で、序盤から遠距離砲戦を余儀なくされたことだった。
結果として専ら急襲と殴り込み、近距離魚雷戦を得意とする水雷戦隊の面々はなかなか敵の懐まで飛び込むことができず、損失が積み重なった。後の偵察機が撮影した写真の分析で、敵の主力はタ級高速戦艦を含む快速部隊だったと判明する。カキモト提督は日が傾き始めていたことを考慮し、日没後に夜戦を挑むつもりで一時撤退を決め海域からの離脱を命じた。ただ、この離脱は予想外の敵の行き足の速さにより困難なものになる。
「駆逐艦疾風、爆沈! 駆逐艦葵、火災炎上中、応答なし! 提督……」
軽巡洋艦艦娘の名取が泣きそうな顔で提督に報告する。艦橋横の見張所に飛び出して後ろを振り返ると、指揮下の駆逐艦がオレンジ色の炎に覆われ弾け飛ぶのが見えた。報告を受けるまでもなく状況は深刻だ。
その時、艦の隊列右舷後方にいた駆逐艦初霜の甲高い声が無線電話越しに響く。
『敵艦隊の北方、方位一〇一から味方艦隊が接近! 側方から砲戦を仕掛けています!』
初霜の声にカキモト提督と名取は顔を見合わせて、慌てて後方の視界が開ける艦橋の天井に上がった。双眼鏡を覗くと軽巡能代を先頭にした単縦陣がこちらに向かいつつ、左舷側の敵艦隊に攻撃を仕掛けているところだった。
「提督、能代さんとシンドウ提督です!」
この攻撃で、敵追撃部隊の足並みが乱れた。
「名取、全艦に命令! 合図とともに一斉に方位ニ〇〇へ一斉回頭。あるだけの魚雷を一斉発射後、進路ニ七〇へ全速離脱。シンドウさんにもそう伝えろ!」
「了解です」
混乱に乗じて第ニ分隊の残存艦は後方へ魚雷を一斉射後離脱し、追手を振り切り救援に駆けつけた第一分隊も混乱に乗じてブーメラン島北方海域から離脱しつつあった。それでも敵艦隊は追撃を続け、味方も機関故障や損傷により速力が低下し離脱は難しくなってきた。
水雷戦隊の最後の危機を救ったのは、第二次航空攻撃の命を受けて雷撃機と爆撃機を送り込んだ空母翔鶴だった。最後まで追撃してきた重巡洋艦と軽巡、駆逐艦で構成する敵艦隊へ、雷撃機が低空飛行で一斉に襲いかかった。夕暮れ間際の薄暮攻撃、それも数を分散しての少数攻撃のため、戦果は軽巡洋艦と駆逐艦を各一隻撃沈、重巡に中破相当のダメージを与えただけだったが、その果敢な攻撃により第一、第二分隊は辛くも戦場からの離脱に成功した。
そして第三、四分隊の残存部隊の危機を救ったのも空母翔鶴の艦載機の捨て身の攻撃だった。
第一、第ニ分隊が追撃部隊を振り切るのに必死になっている頃、フルカワ連合艦隊司令長官代理が旗艦大淀から直接指揮する第四分隊はトビウメ提督から指揮権を譲られた重巡三隈に乗艦するアリスガワ提督率いる第三分隊と合流し、ブ島西方の敵パトロール艦隊と接敵した。前衛の駆逐艦同士の小競り合いの後、敵は一時撤退し、連合艦隊は敵を深追いせずに悠々とブ島を目指した。
「もう間もなく敵の本隊の前衛と接触する頃です」
水上偵察機からの最新情報をもとに参謀が告げる。
「どうも敵の抵抗は弱い。前回のように誘い込まれないように注意しろ」
司令部施設内でフルカワはそう指示した。
「報告します、第二分隊より入電、『敵封鎖艦隊、敵兵力、想定より大にして、撃滅困難なり。一時ブ島西方へ避退後、再度突入の機会をうかがわんとす』以上です!」
司令部要員の報告を聞いてフルカワは舌打ちした。
「あっちは失敗だな……」
すぐに大淀が司令部の会議室に入ってきた。
「先程の入電はもう読まれましたか? 第一、第二分隊は現在離脱中とのことです。こちらから何らかの支援はなされますか?」
「いや、我々はこのまま進める。陸軍部隊救助が不首尾に終わった以上、ブ島西岸の制海権確保が今や最重要目標だ」
フルカワはそう作戦の継続を命じた。ただ、フルカワには司令部の参謀共々、この作戦の成功の見込みがないことも判っていた。作戦を畳むには『きれいなオチ』が必要だった。
「リスクヘッジのため、艦隊を二手に分けましょう。高速戦艦、重巡と水雷戦隊の一部を囮として先行させ、敵の出方をうかがい、それに応じて我々本隊が呼応して敵の急所を叩くというのはどうでしょう?」
作戦参謀の進言にフルカワ一つ返事で同意した。
「戦艦比叡に乗っている司令部要員の指揮下に重巡古鷹、摩耶、足柄とアリスガワ提督の第三分隊を編入し、先行して敵部隊を叩かせよう」
こうして先方の攻撃部隊に指名された艦は、ブ島西方沖の敵主力と正面からぶつかり合うことになった。敵はすでに空母翔鶴からの報告で戦艦三隻、重巡五隻を含む総数三十隻以上の規模と判明していたので、比叡に分乗していた司令部はかなり慎重に敵艦隊へ接近した。夕焼けを背後から受けつつ進む艦隊が南方に敵艦隊の艦影を捕捉したのは艦隊の分割から二時間後のことだった。
後から考えてみると、この時の深海軍の対応はやや慎重さに欠けるものに思えた。当初の想定通り、戦艦比叡を中核にした主力は戦闘序盤から苦戦を強いられることになったが、ぶつかってきた敵の兵力規模は最新の偵察情報を元にした想定よりも小さいものだった。
「ああ~もう! どこも敵ばっかじゃないですか~! 金剛お姉さまの仇、この私がみんな吹っ飛ばしてやるー!」
あまりものを深く考えない比叡が旗艦だったことは、彼女ら艦娘たちには幸運だったかもしれない。比叡は圧倒的戦力差の前にも普段の能天気さを失わず、薄暮の海戦に臨んだ。幸い見通しの良い晴天と逆光を利用し、接近しつつある敵駆逐艦と軽巡を一方的にアウトレンジで撃破しつつ艦隊は進んだ。ただ、戦闘開始から三十分程経過すると、未確認の敵から一方的に砲撃を受け始め、周囲には巨大な水柱が立ち上り始めた。
「ど、どこですか? どっから撃たれてます?」
比叡が叫ぶが、答えられる者はいない。
『足柄より比叡。方位〇四〇方面に新たな敵影。ル級戦艦! それも二隻!』
「ど、ど、ど、どうしましょう? やりますか? やるなら徹底的に戦いますよ!」
元気な比叡よりも、むしろ躊躇っていたのは司令部要員達のほうだ。もともと本土の軍令部付きの者達なので、フルカワがどういうつもりで自分たちを送り込んだのかはだいたいわかっている。
「比叡、前回の海戦を覚えているだろう。敵にありったけ撃ち込んで一時離脱だ。攻勢は本隊と一緒の時に実施すべきだ」
戦艦比叡の戦闘艦橋に詰めていた作戦参謀の一人が言う。
「ええ~、もう逃げるんですか?」
比叡は急な方針転換に戸惑うが、もう一人の参謀もうなずく。
「扶桑も山城もいない以上、致し方あるまい。誠に残念でならない。さぁ命令を伝え、敵を一撃して本隊に戻るぞ!」
「はぁ……」
比叡は拍子抜けしつつも命令を艦隊に伝える。
「はぁ? 離脱ってどういうことよ! まだ敵の先鋒とちょっと撃ち合っただけじゃない!」
重巡足柄の主砲指揮所で艦娘の足柄は驚きの声をあげる。一方、一緒に乗り合わせていた提督はうんうんとうなずいた。
「き、きっと、これは司令部なりの敵を誘い出す作戦ですよ。敵をやっつけるのは最適な海域に誘い込んでからなんですよ」
「そんな説明まったく聞いていないわ? 司令部はどういうつもりなのかしら……うにゃあ!」
猛烈な衝撃が重巡足柄を襲い、二人は戦闘艦橋の床に盛大に転ぶ。
「いっつぅ……。被弾したわ。後部艦載機格納庫に一発。火災発生、これより消火にかかる。艦載機が使えなくなったわね」
足柄はぶつけた肘をさすりながらすぐに各砲塔に反撃を命じる。一方、提督はガタガタ震えだして叫ぶ。
「反撃なんていいから、早く逃げましょう! こんな所にいたら死んじゃいますよ!」
そう言っている間に左舷を航行中の摩耶の後部甲板も爆煙に覆われ四番砲塔が吹き飛ぶのが見えた。
「敵戦艦の砲撃だわ! クッソ~!」
足柄は、自艦の向けられる砲塔全部で、敵の戦艦めがけて反撃するが、この状況では踏み止まる事もできず、日が沈みつつある西へ艦首を向けて脱出を初めた。艦隊は西へ向け、算を乱し無秩序に逃げ始めた。
これは後の分析で分かったことだが。第一次ブ島沖海戦に参加した艦船に比べ彼らが幸運だったのは、敵深海棲艦が包囲網を構築する前に味方が脱出を開始したこと、そして、深海軍も前回に比べ、あまり本気で連合艦隊を追い詰める意欲が感じられない対応を続けたことだった。
比叡や足柄達は自慢の快速航行で、比較的容易く敵戦艦を振り切り脱出したが、敵の軽巡や駆逐艦から執拗な追撃には苦しめられた。徐々に小型艦の落伍が相次ぐなか、最後に彼らを救ったのは、空母翔鶴から飛来した雷撃部隊と急降下爆撃隊だった。追撃してきた深海軍の駆逐艦や軽巡洋艦は、空からの薄暮攻撃により一斉に回避運動と対空射撃に忙しくなり、全力で離脱する敵の追撃どころではなくなった。それはまるでかつてサマール沖で栗田艦隊の攻撃に立ち向かうタフィ3の空母艦載機の奮闘を彷彿とさせるものだった。それ後、第三分隊は駆逐艦を中心に分隊の四分の一の艦船を喪失しつつも夜中までに危険海域からの離脱に成功した。
最後に敵の脅威にさらされたのは軽巡大淀が旗艦となっている第四分隊だった。重巡加古と複数の軽巡、駆逐艦が残った本隊は戦艦比叡から離脱の報告を受けてタロタロ島への撤退を決定した。
大淀はその命令を受けて、違和感を抱きながらも少しほっとした。
――作戦の失敗は残念だけど、前回のような大敗にならなかっただけ良かったのかもしれないわ
一方、司令部要員たちの間には、大淀とは全く違った理由による安堵感が広がっていた。
「なんとか、うまく作戦を収めましたね」
司令部会議室で作戦参謀がフルカワに言った。フルカワも当初の目論見通り、少ない被害でなんとか作戦を一段落できる目処が付き安堵の色を隠さない。
「一時はどうなることかと思ったが、これで軍令部への顔も立つ」
「輸送船団は大丈夫でしょうか?」
「今すぐ取って返せば、夜中のうちには合流できるだろう。陸軍の連中は、本来行くはずだったニューガリア戦線まで送り届けてやれば文句も言うまい」
そこへ司令部要員の一人が書類を持って会議室へやってきた。
「現時点で集計した我軍の損失状況です。駆逐艦・軽巡を中心に喪失は最大でも二十隻に届かないかと……」
「『尊い犠牲』としては十分だ。我々が十分に戦った証だ」
フルカワは声を潜めてそう答えた。
そんな彼らが本当の恐怖を感じるのは日没後のことだった。分隊は潜水艦を警戒し、複縦陣で之字運動をしつつタロタロ泊地を目指していた。そこへ闇夜のなか、突如南方から砲撃を受け始めた。巨大な水柱が軽巡大淀の右舷前方百メートルに突然吹き出し、艦がぐらりと揺れる。水柱は立て続けに艦隊の周囲を打ちすえ、第四分隊、特に人間が多く乗っていた大淀の艦内は恐慌に陥った。
「ど、どこだ! どっから来た!」
「わかりません。見張りは!」
その時、左舷方向にいた随伴の駆逐艦一隻が突然火の玉になって吹き飛び、燃える鉄くずになってあっという間に海面下に姿を消した。
海面で漏れ出した重油が巨大なキャンプファイヤーのように燃え上がる様子を目の当たりにし、大淀とフルカワらはしばらく甲板で声を出すこともなく戦慄していた。
「各艦、周囲警戒を! 敵の位置を知らせてください!」
大淀は我に返って無線電話で呼びかけるが艦隊は大混乱に陥っていた。
波間に浮かぶ駆逐艦の燃える残骸を見ながら大淀は確信した。
――この砲撃! きっと戦艦だわ
大淀には心当たりがあった。翔鶴からの連絡で、当初ブ島西方には三隻の戦艦の存在が確認されていた。ただ、先に第三分隊からの報告では接敵した戦艦は二隻のみ。残り一隻はこの第四分隊を捕捉するため全力で西進していたのだ。大淀は絶望感に襲われつつ唇を噛んだ。
「きっと潜水艦の触接を受けていたんだわ……」
『こちら朝霜! 八時方向に発砲炎が見えたぞ! 敵はあそこだ!』
駆逐艦朝霜からの無線通信が大淀に届く。
一部の艦は、闇夜の海上で敵を探そうと勝手に探照灯を点灯し、かえって集中砲火を浴びて爆沈する。また統制を失って各艦バラバラに主砲を撃ち返すが、発砲の閃光目掛けて撃ち返され、いたずらに被害を拡大することになった。
「各艦、全速力で西方へ退避! 反撃よりもまず距離をとって!」
大淀は無線電話でそう叫ぶが、僚艦は次々に餌食になっていく。
大淀は司令部施設横の甲板から艦橋へ走り出した。戦闘中、艦娘はできるだけ艦橋にいるべきだ。それにつられてフルカワ司令長官代理も艦橋へ向かった時、敵の砲弾が一発、浅い角度で大淀の司令部施設がある後部上部構造物の左舷外板を突き破って炸裂した。
後の調査で、巡洋艦クラスの中・小口径弾が水平に命中したものと推定されたが、上部構造物の天井が爆発によってめくり上がり、司令部施設内は炎と煙に覆われた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
フルカワはつい一分前まで自分がいたところへ敵の砲弾が命中したため、恐怖の叫び声を上げて甲板に膝をついた。取り巻きの参謀らも同じく驚愕の表情のまま固まってしまった。
「被害状況確認! 緊急消火!」
大淀は自分の艦に命じつつ司令部施設へ取って返すが、上構のハッチを開けると、黒煙がもうもうと吹き出し、煤と血にまみれた参謀や司令部要員数名が外甲板へ転がり出てくると、ばったりと倒れて動かなくなる。ゲホゲホと咳込みながもがいている者を除き、身動きしない者はすでに息が止まっていた。施設内では大淀の指示で放水が始まり、その後も負傷者が施設からよろよろと這い出してくる。
「皆さん! 手を貸してください!」
大淀が負傷者の搬出しながら、腰を抜かして動けない参謀連中へ叫ぶ。なかには泣き出したり失禁したりする者もいるなか、幸運にも無傷だった要員のうち二~三人がようやく我に返って大淀を手伝い始めた。
大淀は救助、消火活動に取り掛かりながらも艦を全速で航行させつつ艦隊の離脱を指揮する。
――明石、今回はわたしも帰れないかもしれない……
ガスマスクを装着し、負傷者を外へ運び出している間にも敵の攻撃は続く。大淀はふとそんな弱気の虫に襲われた。
敵の攻撃から三十分、ようやく最初の虚脱状態から脱した司令部要員達が負傷者の救助を手伝い始めた頃、敵の攻撃が突然止んだ。洋上には被弾してチラチラとオレンジ色の炎を上げつつ懸命にスクリューを回す味方の艦が見えるだけ。海は突然、穏やかさを取り戻した。
大淀はガスマスクをはずして死傷者が横たわる甲板に呆然と立ち尽くす。敵の砲弾は居住区を直撃したのみで、航海には何の支障もなかった。すでに火災は鎮火し、司令部構造物のハッチや破損部位からは白い煙が闇夜の空に流れて霧消する。
大淀は、目を閉じて叫び出したい衝動をこらえ、気丈に第四分隊の僚艦へ改めて周囲警戒と襲撃への備えを命じた。
完全に戦意を喪失したフルカワ司令長官代理を含む生き残りの司令部要員に代わり、大淀はなんとか連合艦隊全艦への指示を継続し、タロタロ泊地もしくはシューズ・ベラ島への帰還命令を発信した。大淀は再度の深海軍による追撃を警戒していたが、幸いそれは杞憂に終わり、関わったすべての者に苦い記憶を刻みつけて、第二次ブーメラン島沖海戦の幕は閉じた。
ブーメラン島・ポート・フリスビー。すっかり日が落ちた港内では輸送船と輸送艦に陸軍兵士が行列を作って乗船橋を渡り、小隊ごとに船倉へと降りていく。撤退準備はまさにクライマックスを迎えていた。少し離れた桟橋では駆逐艦白雪、弥生、卯月がすでに機関の暖機を完了し、主砲や対空機銃のカバーもすべて取り去り、戦闘準備を整えていた。
卯月は艦橋の窓に寄りかかり、照明に照らされた岸壁で列を作っている兵士たちの様子を眺めていた。陸軍の兵隊達は、前線から遠い配置にあった部隊から順番にポート・フリスビーへ集結し、中隊ごとに火器や背嚢、鉄帽を手放して一箇所に集積し、身一つで輸送船へと乗り込みはじめ、すでに部隊約四千人のうち半数以上の二千七百人が乗船を完了していた。投棄した武器や背嚢は出港直前に爆薬やガソリンで処分し離脱する手はずになっており、司令部付きの兵士らがガソリンタンクや爆薬の準備を進めていた。岸壁には、これまで数ヶ月間兵士一人一人の命を支えてきた背嚢や小銃の山ができている。
「もう少しで帰れるぴょん……」
卯月は、艦橋でそう独り言をこぼしたが、夕方まで沖合から盛んに聞こえていた砲声がすっかり止んでいた。最後の無電では、次回の襲撃と呼応して脱出するとの連絡が届いていたが、それがいつになるのか具体的な指示はないままだった。
急に港の輸送船の方から笛の音がいくつも響き、行列を作っていた兵隊が回れ右をして反対方向へ順番に走り出した。どの船からも慌ただしい声が聞こえ始める。
「各小隊、自分の小銃、背嚢、鉄帽を回収後、速やかに原配置へ復帰せよ! 繰り返す……」
「ど、どうしたぴょん?」
卯月は異変を感じ甲板へと降りた。弥生も同様に桟橋へと降りている。責任者の白雪も不安そうに岸壁の端から陸軍部隊の様子を見守っている。そこへ、あきつ丸が桟橋のある方へ叫びながら走ってきた。
「中止ー! 中止であります! 撤退作戦は中止となりました! 艦娘の皆さんも出撃体制を解除し、敵との白兵戦に備えてください!」
すでに陸にいた白雪があきつ丸をむかえる。
「中止って、作戦は一体どうなったんですか?」
「誠に残念でありますが……。連合艦隊は封鎖艦隊の撃滅に失敗。すでに撤退したそうであります……」
あきつ丸は遠慮と失望の入り混じった感情を隠そうとしながら言いにくそうに言った。
「そんな……。今回も駄目だったの……」
「撤退準備のため戦線の防備が手薄になっており大変危険な状況のため、皆さんも陸戦の準備を頼みます。深海軍がこの機に乗じて陸からの攻勢を強めるかもしれません」
あきつ丸の言う通り、ブ島中部のクロコダイル・クリーク付近には、決死の殿部隊だけで戦線に支えている状況で、他の兵力はみな北端のポート・フリスビーに集まっている。今は一刻も早く通常の守備体制に復帰させないと、一気に港まで攻め込まれるかもしれない。あきつ丸は桟橋に上がった駆逐艦娘三人にそう伝えると、再び陸軍のいる岸壁へと走っていった。
「第六小隊整列! 総員点呼ー!……よし! 第二陣地まで総員駆け足、はじめ!」
号令が至るところから聞こえる。兵士たちは次々に下船すると自分たちが置いた背嚢と小銃を手に駆け足で街へ、そしてその向こうの守備陣地へ向かっていく。
「こ、こんなのあんまりぴょん……」
卯月は、先程まで生還への期待に表情をほころばせていた兵士たちの心中を思い、目尻に涙がたまってきた。隣の弥生もグスッっと鼻をすすった。
「弥生、こんな島でやられてしまうなんて、いやだよ……」
「だめだぴょん! うーちゃん達が泣いちゃだめ! まだ何も決まっていないぴょん!」
卯月は鼻声になって弥生の肩をゆする。
「そうですよ。……わたし達は前の世界でもっと酷い状況だって知ってるんですから、そんな……、泣いてはいけません」
白雪は声を詰まらせながら、仲間の駆逐艦二人を抱き寄せて必死に涙をこらえた。
再び、タロタロ泊地昼下がり。戦艦扶桑と山城を海軍工廠へ引き渡したトビウメ提督は不知火にラムネ瓶を返し、周囲を見回した。
湾内の駆潜艇や海防艦では、いずれも出港に向けた準備が進んでいる。帰還し一安心したものの、まだ海戦は終わっていない事を思い知らされる。まだ洋上には撤退中の味方艦隊が大勢残っている。
すぐに内火艇が駆逐艦不知火の右舷に近づいてきた。それに気付いた不知火がすぐに上甲板へ上がってきた。内火艇には江戸時代の渡世人のような服装の艦娘と第二種軍装を着込んだ年輩の痩身の物静かそうな提督が乗り、トビウメ提督と不知火の方を見上げた。その年輩の提督が軽く会釈したので、トビウメ提督と不知火も慌てて頭を下げる。
不知火が艦の舷梯を下げると、提督と艦娘は甲板へと上がってきた。
「サンダーランド泊地の第十混成艦隊の提督をやっているナスです。こっちは私の秘書艦で、伊勢型の日向」
ナス提督は二人にそう挨拶した。トビウメ提督と不知火は不意の来訪者に驚きつつも、自分達を救ってくれた提督と艦娘へすぐに頭を下げてお礼を伝える。ナス提督はそれには軽くうなずいて応えるのみで、すぐに来訪の目的を伝えた。
「味方の艦隊の多くが未だ撤退の途上です。一方、護衛艦の数がとても足りない。撤退支援のためにトビウメ提督指揮下の駆逐艦四隻にも是非、協力をお願いしたい」
トビウメ提督と不知火はすぐに緊張した表情で顔を見合わせ、うなずきあった。
「もちろん協力します。ただ、どの艦も爆雷を使い果たしています。それがないと有効な対潜護衛にはなりませんが、どうしましょうか?」
任侠者のような艦娘の日向が仏頂面で腕を組んだ。
「爆雷が不足している。一隻あたり十発も配分できればいいだろう。ただ見張りも火力も多い方がいい」
「そういうわけです。我々もすぐに出るので、一緒に来てくれればありがたい」
ナス提督の言葉を受けトビウメ提督はうなずく。
「わかりました。爆雷を積んだらすぐに抜錨します。大丈夫だね?」
「はい司令」
そう問われ不知火もうなずいた。
ナス提督と日向が舷梯を下りるため足をかけたとき、もう一艘の内火艇が近づいてきた。カーキ色の軍服を着た陸軍の将校と兵士がこっちを見上げている。不知火は険しい表情で新たな来訪者を見据えた。すぐに兵士の抱える小銃と銃剣、将校の腕章に書かれた「憲兵」の文字に気付き、事態の悪化を想定した。
「トビウメ提督! 乗艦を求める!」
将校の一人が大声で叫ぶ。高圧的な物言いだった。不知火の脳裏で最初の警告灯が灯る。その一隊は不知火が許可する前に舷梯に内火艇を寄せると、将校を先頭に乗り移りはじめた。
――チッ! 無粋な奴等……
不知火はわき上がる殺意を押さえて、すぐに白兵戦用の艤装の保管場所まで何分でたどり着けるか計算し始めた。一方、ナス提督と日向は顔を見合わせる。
憲兵隊は無遠慮に甲板へ上がってくると、トビウメ提督を囲んだ。正面に将校二人、四方には銃を持った兵士四人が立つ。銃にはいずれも負い紐で肩に掛けられていたが、いずれの銃口にも銃剣がつけられており、こちらを威圧する意図は明白だ。
「ヤムヤム島泊地のトビウメ提督ですね。連合艦隊司令部の命により、ご同行を願います」
トビウメ提督は狼狽しつつもうなずく。
「報告には行かないといけないとは思っていますが、たった今、艦隊の撤退支援の要請を受けました。その後に出頭するのはだめですか?」
「申し訳ありませんが、緊急の出頭をお願いしたい」
憲兵隊の責任者は傲慢そうに顎を傾けてトビウメ提督の言葉を遮った。
隣に立っていた不知火はわき上がる殺意を押さえ、その脳裏では次にとるべき行動を高速で計算していた。もし憲兵どもが汚い手で司令に触れようものなら、まず左にいる兵隊の右膝を一蹴りで粉砕し、肩の小銃の銃身を掴んで右の兵士の喉笛を抜き身の銃剣で一突き。しょせん相手は前線から遠い、修羅場を知らない内勤の兵士ゆえに突然赤い噴水を浴びれば度肝を抜くはずだ。将校二人は腰のホルスターに拳銃小を吊っているから、すぐにそれに手をやるだろうが抜かせはしない。手刀で手前の将校の鳩尾を心臓ごと押しつぶし、開いたホルスターから南部十年式拳銃を奪って、持ち主の将校に銃口を押しつけ、後ろの将校と兵士へ弾倉一杯、貫通弾をお見舞いしてやればいい。最後に片脚がつぶれて泣きわめく兵士の頸をねじ切ればそれで済む。仮に誰か取り逃がしても、憲兵どもが内火艇へ逃げ出せば好都合だ。そうすれば内火艇が煙突横の三連装25ミリ対空機銃の射界に入る。むしろそのほうが甲板も汚れず簡単に済む。
――ふふ、完璧ね……
憲兵隊を始末したら泊地の司令部施設と通信所、憲兵隊詰め所を主砲で破壊し、邪魔する警備艇も魚雷で黙らせて、ヤムヤム島まで司令を乗せてトンズラするのだ。荒潮は……好きにするだろうが、多分ついてきてくれるだろうという予感があった。
「連合艦隊司令長官代理からの命令です。その身柄を預かります」
憲兵の言葉とともに両側の兵士がトビウメ提督の両腕につかみかかろうとし、不知火が兵士の膝頭を見据えながら左足を持ち上げた。破局の寸前、その場にいた者すべてを救ったのはナス提督だった。
「ちょっとお持ちを。憲兵隊は彼に何の嫌疑があって身柄拘束するのか説明を。我々提督を拘束するには、明確な法令違反の疑いがあるということだ。嫌疑は何ですか?」
ナス提督が憲兵とトビウメ提督の間に割って入った。戦艦娘の日向も銃を持った兵士を牽制するようにトビウメ提督の脇をガードする。憲兵隊を殲滅するつもりだった不知火は毒気を抜かれて様子を見守るしかない。
憲兵の二人は顔を見合わせて困惑顔を浮かべる。というのも、海軍と名乗っていても、この世界にとばされてきた提督はいずれも軍人ではない。軍紀も一般社会並みの常識的なもので、提督に関わる海軍の軍法も、重い罰則が設けてあるのは殺人や盗み、艦娘への狼藉、深海軍との通謀、破壊工作を防止するための条項ばかりで、明確な理由もないのに憲兵隊に逮捕されたり処罰されたりすることは本来あり得ない。今回の憲兵隊の動きは明らかに越権行為だった。
「いえ、自分らはただ連合艦隊司令部から、トビウメ提督を当泊地に留め置くよう命じられただけで……」
憲兵隊の将校は急に狼狽しだした。
「GFの司令部が、ね……。今、その命令を出した連中が、未帰還になるかどうかの瀬戸際なんだがな……」
日向も自分の腰に差した軍刀の柄をこれ見よがしに撫でながら言う。
「残存艦隊の無事の帰還のためにも、トビウメ提督にも出撃を依頼したところです。命令を出した司令部が全員帰ってこなかったとしたら、今回の越権行為の責任はすべて貴官らの責任となりますね」
畳みかけるように言うナス提督と日向を前に、兵士達は困惑顔に、そして将校らの顔は窮地に立たされ青ざめてきた。
トビウメ提督と不知火は安堵と驚きの様子で、ナス提督と日向が眼前で憲兵隊をやり込める様を見ていた。情勢有利と見た不知火は、甲板に設置してある一番近い対空機銃をゆっくりと旋回させながら、丁寧な口調で憲兵隊に下船を促す。
「憲兵隊にあられては、十秒以内に艦から退去されることを、強くお勧めいたします。そうでない場合、作戦行動に対する障害として、御身の安全は保証いたしかねます」
不知火は押し殺していた殺意を今や全身から発散させて、最凶の笑みを浮かべた。今まで自分達が死の縁いた事にすら気付かなかった憲兵隊も、ようやく自身の危険を自覚するに至った。
「ほ、本日はこれにて失礼する!」
憲兵達は将校を先頭に、我先に滑り落ちように駆け下り内火艇に飛び乗ると、急いでもやい綱を解こうとするが、慌てているせいでなかなかほどけないようだ。不知火はこれ見よがしに対空機銃の照準を内火艇にあわせて、直径二十五ミリの弾薬を装填する、ガチャリという金属音を鳴らして見せた。
憲兵達は、早くしろとか、絡まってますとか叫びながら悪戦苦闘し、とうとう銃剣でもやい綱を切り落として桟橋へ遁走した。不知火は機銃弾で内火艇を粉砕する誘惑をなんとか振り払った。
「ふん、十二秒もかかって、時間切れでしたよ」
不知火はよたよたと去っていく内火艇の艇尾を睨みなが言った。
トビウメ提督は居合わせたナス提督と日向に改めて頭を下げて、お礼を言うと、ナス提督は軽くうなずき、日向に爆雷の手配を命じた。
「GFの者達は油断していると平気で勝手をやるので、地方にいる我々は注意しておかないといけませんよ。では、すぐに兵器廠から各駆逐艦にバージで爆雷を届けさせます。積み込み次第出港するので、引き続き道中の対潜哨戒をよろしく」
「はい、わかりました」
トビウメ提督は再び真剣な表情に戻ってそうなずいた。
「それはいいとして……。忠義心に篤すぎるのもちょっと考えものだぞ、不知火」
去り際に、日向が苦笑いを噛み殺してそう言うので、トビウメ提督は意味が分からず、日向と不知火の顔を驚いた様子で何度も見返す。
「何のことでしょうか?」
不知火はぷいと不機嫌そうに顔を背ける。
「くれぐれも冷静にな」
日向とナス提督は少し困ったような笑顔を残し舷梯を降りていき、甲板には、しらばっくれる不知火と、困惑顔のトビウメ提督が残された。
入れ違いにクレーンを備えたバージが駆逐艦不知火はじめ指揮下の四隻に横付けされ、ドラン缶のような形の爆雷を積み込み始めた。そして戦艦日向や駆潜艇、タグボートとともに三十分後には錨を上げて再び外洋へとスクリューを回し始めた。
さらに時間は遡り、トビウメ提督や不知火が夜中にASWに忙殺され、連合艦隊が手近な泊地への帰還に必死になっている頃、はるか西方で戦況を注視してきたメジロ泊地も、第二次ブ島沖海戦の帰趨が明らかになったことで重苦しい空気に包まれていた。
すでに日も沈み、司令部庁舎はすっかり静かになっていた。提督執務室でマツエダ提督はブランデーグラスに琥珀色のブランデーを四分の一ほど注いでからソファーの背もたれに大きく寄りかかった。ブ島海戦にはほとんど関与していない立場だが、自分も直接の当事者だったかのような疲労感に襲われていた。
通信を断片的に拾っているだけで正確な損害の全容はわからないが、陸軍部隊救出も逆上陸も失敗し、敵に効果的な打撃を与えた確証もないまま作戦は終了した。失敗の主要な原因になった戦艦の衝突事故の当事者が旧知の山城だったことも、マツエダ提督はじめ高雄や衣笠ら元同僚ともいえる艦娘の心中にも暗い影を落としていた。同時にマツエダ提督は、那智のことが心配になっていた。那智が作戦前から、トビウメ提督やヤムヤム泊地の原隊のことを気にしていることは明らかだった。本人は努めてそれを隠そうとしていたが、表情や行動の端々を見るに、それははなから無理な試みだった。マツエダ提督としては複雑な思いにならなかったわけではないが、那智の心配は人としては当然のことに思えたので、極力その気持ちに寄り添うことにした。そして作戦では、トビウメ提督と山城がこのような大失態を演じてしまい、那智の心中は察するに余りある状況になってしまい、マツエダ提督そして高雄も、那智にどう接するべきか考え込んでしまった。
執務室のドアがノックされ、高雄が入ってくる。
「提督、那智さんは今入浴を終えて自分の部屋に戻りました」
「そうか。ありがとう」
マツエダ提督はうなずいてため息をついた。今頃、自室で酒をあおっているのだろうか?と想像した。一緒につきやってあげたい気分だが、那智からすれば余計なお世話になってしまうだろう。
「仕事の時間以外はずっと通信室に詰めたきりでしたから、きっと疲れているはずです。わたし、なかなか掛ける言葉がみつかりません」
高雄がいたたまれないという表情で言った。
「私もそうさ……」
「提督、あの件、那智さんにはどうしましょう?」
高雄の質問することはわかっていた。ソファー前のテーブルに置かれた最新の受信電文だ。それは四十分前、那智が交代で通信室を出た直後に受信したもので、ブ島西方から撤退する連合艦隊の軽巡大淀からフルカワ連合艦隊司令長官代理名義で、タロタロ島憲兵隊へ発信された命令文だった。
『タロタロ島駐留憲兵隊ハ、駆逐艦不知火ガタロタロ泊地ニ帰港シダイ速ヤカニ、トビウメアツオ提督ノ身柄ヲ拘束シ、連合艦隊司令部ガ帰還スルマデ基地内ニ留置セヨ』
「司令部も完全に頭に血が上ってる証拠だ。軍人の真似事も行き過ぎだ。こんな乱暴な命令見たことがない……」
マツエダ提督はテーブルの電文用紙を摘むとそうウンザリしたように言って再びテーブルの上に放った。用紙は風を受けて不規則に回って絨毯の上に落ちる。高雄は律儀に用紙を拾い上げる。
「これ、どうされますか?」
「こんなのとても見せられない。処分しちゃって……。くれぐれもこの件は彼女には内密にね。通信室の担当者にも口止めを」
高雄は深くうなずいた。
「ええ、判っていますわ」
マツエダ提督はブランデーを口に含みながら、宿舎の個室に下がった那智のことを想った。
――恐らく今夜は眠れまい……。きっとトビウメ君もな……
そういうマツエダ提督自身が様々な想いにさいなまれ、眠れぬ夜になりそうだった。
あけましておめでとうございます。
1ヶ月あまりの更新予定遅れになってしまいました。申し訳ありません。
力量が足りず消化試合みたい場面を、簡潔にスルーする描写技術がなく、どうも長々とした戦いになってしまいました。
次回は那智サイドの話となる予定で、月内の更新を目指します。