艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ   作:Piyodori

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戦闘詳報 1

 トビウメ提督が憲兵隊から開放されて五時間後、まだ空が朝焼けに染まりだしたころ、タロタロ泊地の半月湾上空に、灰色の塗装に日の丸を描いた複葉水上機が姿を現した。島に設置した電探がはるか前にその接近を捉えていたため、すぐに迎撃の零戦が二機、スクランブルに上がってきたが、複葉機の日の丸を見てすぐに引き返していった。その複葉水上機、九四式水上偵察機は半月湾上空を一周してからエンジンの回転を落とし、ゆっくりと静かな海面に小さなウェーキを残して着水した。複葉機はゆっくりと内火艇用桟橋の近くまで航走して鉄製のポンツーンの先で止まるとエンジンを止める。プロペラが止まりきらないうちに基地の係員がもやい綱を持ってポンツーンの上を走ってきた。飛行帽と飛行眼鏡、革のフライトジャケットを着た色黒髭面の男がもがくように操縦席から這い出そうとしている。係員の鼻を強烈な香水、汗と体臭それに機械油の入り混じった臭いが突く。

「第六潜水艦隊司令のカメヤマだ。報告のため緊急で帰還した。戦艦日向座乗のナス提督の元まで連れて行ってほしい」

もやい綱を水上機の係員はそれを聞き、すかさず敬礼してうなずいた。

 カメヤマ提督は飛行眼鏡をおでこまで上げると、大きなズタ袋二つを後席から引っ張り出し、波に揺れる水上機の翼からタイミングをはかって桟橋の上に飛び降りた。

「機体は後で水上機用桟橋へ預けておいてほしい」

「承知いたしました」

カメヤマ提督は慌ててフライトジャケットを脱ぐ。上空では寒くて叶わなかったが、地上に降りれば高温多湿地獄だ。そのうえ九四式水上偵察機は零戦やその他の攻撃機と異なり、座席は露天の開放式なので横風や高空の冷気に直にさらされる。ジャンパーを着込んでいても五百キロを三時間半かけての夜間飛行は堪えるものだった。艦娘が管制する航空機は自分で操縦する必要がないので飛行中寝ていることも可能だが、吹きさらしの操縦席では寒さと強風でとても休めたものではない。

 カメヤマ提督とシオイがブーメラン島の上空で強行偵察を敢行し、唯一戻った晴嵐から写真機を回収後、二人は深海棲艦のパトロール艦隊による十四時間に及ぶ執拗な爆雷攻撃にさらされた。敵が攻撃をあきらめた頃、近海では連合艦隊と深海棲艦が激しい海戦を繰り広げており、洋上はひっきりなしに深海軍の艦隊が行き交い、伊四○一はしばらく、消耗したバッテリーを充電するために浮上することができなかった。さらに敵の警戒線を避けつつ、安全な海域にいる潜水母艦大鯨との合流海域に到着するまで丸四日かかってしまった。

 やっとのことで大鯨と合流したカメヤマ提督とシオイは、そこで初めて山城と扶桑が航行不能になり、その後あらゆる戦線で連合艦隊が敗退した顛末を大雑把ながらに知ることになった。そのため、カメヤマ提督は晴嵐から回収した写真機を手に、急ぎ単身でタロタロ泊地へ戻ることにしたのだった。

 内火艇で戦艦日向の停泊場所まで送り届けられたカメヤマ提督を、寝間着がわりの浴衣姿の日向と、遅れて私服に着替えて出てきたナス提督が迎えた。

「おはようございます。無事に帰還され何よりです」

「来る時間が悪かったようで……」

カメヤマ提督はばつの悪そうな顔で言った。

「日向、お風呂の支度を」

「ああ、いま始めた……。とりあえず朝食だな」

日向はそう言ってカメヤマ提督を下甲板へと招き入れた。

 カメヤマ提督は士官用浴室で戦場の垢を落とし、三十分後にはさっぱりした様子で士官食堂にもどってきた。

「日向ちゃん、お風呂ありがとう。夜間ぶっ通しで飛んできたから心底冷え切ってて、生き返ったよ……」

日向は士官室の白いクロスに覆われたテーブルの一角を指さして座るよう促した。そこにはコッペパンとバター、ゆで卵と緑茶がのったお盆が用意されていた。

「普通なら鳳翔を起こして用意させるんだが、今日だけはまだ休ませておいてやりたいので、すまないがこれで我慢してくれ。いま味噌汁をよそってくる」

「なんか申し訳ないな。ありがとうな、日向ちゃん」

カメヤマ提督が席につくと同時に第二種軍装に着替えたナス提督も食堂にやってきた。

「あ、君は朝餉はどうする?」

「私はもう少し後でいいよ」

日向にそう言ってナス提督はカメヤマ提督の正面の椅子に腰をおろした。ナス提督は紙ファイルの綴じられた書類を一束テーブルの上に置いた。

「帰還が今日で正解でしたね。昨日だったら合同葬儀に出なければならなかったでしょう。鳳翔さんも間宮さんも昨日は朝から遅くまで、葬儀と精進落しの会食の準備に駆り出されて大忙しでした」

コッペパンをかじっていたカメヤマ提督の手が止まる。

「やはり損害は深刻ですか?」

「なんと言いましょうか……。正式な戦闘詳報はまだ発表されていませんが、おおまかな作戦の経過と損害の一覧は手に入れました」

ナス提督は書類をカメヤマ提督の方へ差し出した。

 日向がお椀に湯気の立つ味噌汁をもって戻り、テーブルに置くとナス提督の隣に座る。カメヤマ提督はパンを口に押し込みながら、真剣な表情で書類をめくり、目を走らせる。そして、すぐに安堵したようにため息をついた。

「想像していたよりだいぶ軽く済んだ……。これならなんとか……」

カメヤマ提督はふとそうこぼしてから、艦娘の日向がいることに思い至り、すぐに自分の発言の不用意さを恥じた。

「すまん日向ちゃん。そういう意味じゃないんだ。決して犠牲になった艦娘達を軽く考えているわけじゃない。つい……」

「ああ、わかっているさ」

日向はうなずいた。

「撤退戦の最中、大淀の司令部施設が直撃弾を受けて、司令部要員五名が戦死、うち三名は元提督だったので、司令部も大きな衝撃を受けたようです。昨日はその葬儀で一日大変でした」

「艦娘や他の人間がやられても、いつも平気な顔してるくせに、あいつら……」

カメヤマ提督自身、これまでの作戦では複数の部下の艦娘の未帰還を経験している。そんな時でも司令部はいつも冷淡な態度を隠さなかっただけに、いざ前の世界からの転生組となる自分たちが危険な状況に陥った時の狼狽ぶりを見るに、毎度苦々しい思いがこみ上げてくるのだ。

 カメヤマ提督は、朝食を平らげお盆をわきによせるとテーブルにファイルを広げて詳しく報告書を読み始めた。

「大鯨から、山城と扶桑の衝突事故の話を聞いて本当に驚いたんですが、あれで作戦がガタガタになったということですか?」

「今回の海戦は本当に予想外のことばかり起きました。ただ、結果的には我々が危惧していたよりも遥かに軽い損失で終えることができたのは確かです」

 その後しばらくして報告書を読み終えたカメヤマ提督はため息をついて椅子の背もたれに寄りかかった。

「冗談みたいな話ですね。船酔いで戦艦二隻が行動不能って……」

「信じがたいですが、どうも事実のようです。まぁ日向も他の艦娘も、我々ほどには驚いていないようですが……」

カメヤマ提督は日向に顔を向けた。

「人としての心を手に入れた今となっては、どんな弱点を抱えることになったのか、わたし達にも想像がつかない」

「へぇ~、日向ちゃんみたいな女丈夫にも、こんな弱点があるのかい?」

「さぁ、自分でも想像できない爆弾を抱えているやもしれんぞ」

日向はカメヤマ提督をからかうよう言うと少し笑った。

「それにしてもあれをまたやったんですか? 『魚雷にゴン』を」

ナス提督は誤魔化すように肩をすくめた。日向は当然だとばかりに腕を組む。

「他に扶桑へ向かう魚雷を防ぐ策が無かったのだ」

カメヤマ提督が言っているのは、戦艦日向が先の対潜護衛の際、自分の艦舷で敵の魚雷を弾きとばしたことだった。

「あれは戦艦でやっていい芸当じゃないでしょう? 小回りの利く駆逐艦、大きくてもせめて軽巡で慎重に操艦してやっとできる危ない技ですよ。他の艦娘が真似したらどうするんですか? それも戦艦でやっちゃうなんて……」

「日向の言うとおりで、策を選んでいられる状況ではなかったんですよ。その戦艦山城に乗っていた若い提督、元々対潜を専門とする部隊ではなかったようですが、衝突事故後の対応は概ね適切なものだったと思います。だから航行不能になりながらも二隻ともなんとか生還させられた。ただ気の毒なことに、図らずも作戦失敗の全責任を押し付けられることになりました」

ナス提督の言葉を聞き、カメヤマ提督は困ったように頭をかいた。

「ああ、あのお兄さん、特によく知ってるってわけじゃないんだが、前に一、二度話はしたことがある。大人しくて、ちょっと生真面目そうな若者だったな。なんというか、司令部の奴らみたいなのの相手をさせるにはちょっと気の毒になってしまうタイプに見えました」

三人はしばし押し黙った。

「いずれにせよ私達は、陸軍の壊滅と連合艦隊艦船の致命的な損耗、それに付随した外南洋の島々の島民の差し迫った危険からは逃れることができました。実際、カメヤマ提督からの偵察結果の無電を受信したときは、私も日向も間宮さんもみんな絶望していましたから」

ナス提督の言葉を聞き、カメヤマ提督は思い出したように自分の手提げかばんから茶封筒を取り出した。

「そうだ、これを写真に焼き付けてもらいたいんです。とりあえず二枚だけ潜水艦で現像したんだが。ちゃんと撮れてればいいんだけど」

カメヤマ提督は茶封筒から大判のフィルムネガを二枚取り出して差し出した。ナス提督はそれを天井の照明にかざしてみてから日向にわたす。日向はそれを受け取ると丸い舷窓の近くまで行って窓蓋を開けて外の日の光にネガフィルムをかざした。いずれも海と砂浜を空から撮ったモノクロ写真で、地形の様子は辛うじて想像できるものの、ピントがボケているのか像がはっきりしない。

「残念だが、かなり不鮮明だ。写真は二枚だけなのか?」

「やっぱりそうか……。試しに潜水艦で二枚だけやってみたが、フィルムの現像作業っていうのはいまいち勝手が分からんから、二枚でやめといて正解でした。残りのフィルムは現像していません。うちのシオイにかなり無理させて、やっと撮ったブーメラン島の敵上陸地点の航空写真です」

カメヤマ提督は自分の後頭部を叩きながら言った。

「すぐに情報部に現像させましょう。日向、朝一番でこれを写真班へ」

「じゃあ頼んます」

カメヤマ提督が差し出す茶封筒を日向が受け取った。

「自分も実際にこの目で見たわけじゃありませんが、深海軍がブーメラン島に大部隊を上陸させたことは確かみたいです。ことによると島の守備隊、長くはもたないかもしれん……」

 ナス提督と日向は押し黙り、それに答えることはなかった。二人とも自分達が何を最優先にするのか明確にして行動してきた。それは島々にいる一般島民の安全確保と守備隊の命運を冷徹に天秤にかけどちらを助けるか、態度と行動を明確にすることを意味していた。二人は今が、その結果と責任に向き合い、目を逸らさず耐える時だと理解していた。

 

 

 メジロ泊地。午前。同じ外南洋でも戦線に隣接した島々と、はるか後方に位置する島々とでは、戦いの切迫感も全く別物だ。時折、警戒線を突破してくる深海棲艦が出没する危険性は高いものの、島の人々も艦娘もかなりリラックスして生活していることは否めない。

 今日も泊地は晴天におおわれ、マツエダ提督は海と砂浜が見渡せる司令部のテラスでリゾートチェアに座りながら、強い日差しの下でも気にせず砂浜で遊んでいる清霜と菊月を眺めていた。

 幸いにして、マツエダ提督は今回も前回もブ島沖海戦に参加せずに済んでおり、内心でそのことをありがたく感じていたが、海戦の経過や結末には立場以上に関心を持っている自分に気がついていた。

 今朝から知り合いの提督数人に電話をかけ海戦の経過や今回の作戦についての意見を聞いて回ったが、直接作戦に参加した提督はおらず、連合艦隊司令部による今回の作戦行動に対する評価も、人により完全に意見が分かれることになった。

 マツエダ提督自身も作戦の詳細には人並みならぬ関心を寄せていた。それは、自分が送り出した戦艦山城の様子が気になるという外向きの理由だけではなく、那智の元の指揮官であるトビウメ提督の立場に大きな関心があった。そしてそれ以上に、那智が今何を考えているのか、正直なところ気が気でなかった……。

 マツエダ提督はリゾートチェアから身を起こすと、執務室へ戻ることにした。執務室には誰もいない。腕時計を確認すると、時差を勘案しても相手も活動を開始している頃合いだった。提督は執務机の黒電話の受話器を取り、交換所を呼び出す。

「メジロ泊地のマツエダです。ローリー泊地の戦域作戦本部の第二参謀室のクスミ室長へ繋いでください」

交換所は了解し、しばらくして中年らしき男の声が電話に出た。

「お久しぶりです。マツエダです」

『おうヒロ、ご無沙汰じゃないか。元気か?』

「ええ、クスミさんもお変わりないようで……」

クスミという男は、マツエダ提督の先輩に当たる元提督で、今は現場仕事から離れローリー島の戦域本部に詰めている。この世界では、マツエダ提督のことをファーストネームの愛称で呼ぶ数少ない一人だ。クスミと二言三言、挨拶の応酬を終えてからマツエダ提督は本題に切り出した。

「実は折り入って伺いたいことがあって。先のブーメラン島の海戦ですが、そちらに詳しい経過は伝わってきてますか?」

遠距離電話故の一拍のタイムラグを挟んでクスミが返す。

『あー、あれかー。いやまだ詳細な報告は届いてない。あの件はこっちでも大騒ぎだ。作戦の結末はそっちにも届いているだろうが、完全な大失敗に終わった。ただ理由は戦艦の衝突事故以外、ほとんど伝わってきていないから、いろんな噂が飛び交ってるよ』

――やはりまだ駄目か……

マツエダ提督は心中でがっかりしながらも尚も尋ねる。

「GFから戦闘詳報はまだ届いていないということですか?」

『ああ、まだだ。こっちも何が起きたのか実はほとんど知らされていないんだ。みんな何があったのか知りたがってる。ヒロも気になんのか?』

「ええ、まぁ……。実は戦艦山城は、GFの司令部による戦艦供出令に応えてうちから出したんです」

マツエダ提督の言葉にクスミは合点がいったとばかりに大きな声で言った。

『ああ、そういや山城はヒロのとこの艦だったな! 思い出したぞ。古今、軍艦同士の衝突事故っていうのは珍しくないが、そういうのはだいたい高速航行する軽巡や駆逐がやらかすものだとばかり思ってたから、みんな驚いてるぞ。どんな子なんだ? 山城っていうのは』

「ちょっと難しい子ではありましたが……」

マツエダ提督はそう言葉を濁した。

『いずれにしろ詳報の写しが届くのは一番早くても次の連絡機が来る明後日以降だ。他の泊地や基地に写しを配れるのはかなり後になるな』

「それはやむをえないですね……」

『戦艦をGFなんかに渡しちまって、そっちの戦力は大丈夫か?』

「ええ、こちらは戦線の後方ですから。それに、代わりに非常に優秀な重巡をうちにまわしてもらいました」

少しばかり語意に自信がこもる。

『へぇ……、相変わらずの好き者だな。前もあったよな、相手に頼み込んで融通してもらった重巡のガサ…ええと、なんつったっけ?』

艦名を忘れているらしいクスミの言葉に、マツエダ提督は受話器を握りながら思わず笑う。

「衣笠君です」

『ああそうだ、衣笠だ。あの時もGFを経由して相手に無理言って配属してもらったの覚えてるよ。ヒロの巡洋艦好きは筋金入りだからな』

「純粋に能力を買っただけですよ」

マツエダ提督はそう言って笑ってごまかした。確かに衣笠は優秀な重巡だったが、それに加えて快活な性格に魅力を感じ、相手方の艦隊に強く転入を掛け合うことにしたのだった。実際、衣笠がこの泊地へやってきたことで、高雄、山城、三日月など、比較的物静かな性格艦娘が多いこの艦隊の雰囲気はかなり明るいものになった。衣笠の編入のことが話題に出るたび、高雄はいつも「提督のおっしゃった通り、衣笠さんが来てくれて本当に良かったと思います」と言っている。

 その後、クスミとちょっとした世間話をしてからマツエダ提督は受話器を置いた。

「収穫はなしか……」

 マツエダ提督は今日の当番表を見る。那智は非番だった。マツエダ提督は自分に急ぎの用務がないことを確認し、秘書艦の呼び出しブザーを押すと、すぐに三日月が入ってきた。

「はい、御用ですか? 司令官」

高雄は衣笠、春雨を連れて基地の外へ買い物に出ていたので今は三日月が秘書艦当番だ。

「私も少し出かけてくる。一三〇〇までには戻るよ」

「はい、行ってらっしゃい、司令官」

 マツエダ提督はそう言うと制服から麻の短パンに白シャツ、日除けにカンカン帽子という私服に着替えて庁舎を出た。

 

 メジロ泊地の艦娘用の宿舎は、司令部庁舎から渡り廊下でつながった、レンガ積みの二階建ての建物だった。別に男子禁制という規則はなく、廊下を出歩くときはまともな格好をするよう高雄が厳しく言いつけてあるため、決して提督が立ち入って不都合なことがあるわけではないのだが、泊地の中でもここだけはほぼ完全な「女の園」状態なので、マツエダ提督もどうしても必要な時以外はなるべく立ち入らないようにしていた。そして、止む無く入る場合も、かなりの気後れを感じる場所だった。普段着姿のマツエダ提督は開け放った宿舎の昇降口で足を止める。

――やはり、止めておいたほうがいいだろうか?

一瞬逡巡したが、出入り口あたりには誰もいる気配がないので、マツエダ提督しばし迷った後、意を決して宿舎へと足を踏み入れた。部屋の割当表を確認して一階の一番奥の個室へ足を向ける。宿舎内は恐ろしく静かだった。

――もしかしたら、艦の方にいるかな?

マツエダ提督は少し緊張しつつも那智の個室の前に立った。

「当たって砕けろだな……」

そう呟いてから、合板のドアをニ度ノックした。

「那智くん、いるかい?」

ドアはすぐに空いた。那智は少し驚いた様子でマツエダ提督を見つめる。酒は飲んでいないようだった。相変わらず化粧化がうすくても美しい顔だったが、どことなく血色の悪そうな青白い顔に見えた。そして非番であるのに、いつもの制服と同様、タイトスカートにブラウスという服装だった。

「提督か。一体、何用でわざわざ……」

「いや、その……。もし急ぎの用事が無いなら、一緒に街へ出ないか?」

那智は少し迷った表情を見せたが、すぐに承知した。

 那智はその格好のままマツエダ提督と共に宿舎を出た。

「街にはよく出かけてる?」

「いや、まだ一、ニ度だな。なかなか機会がなくて……」

「ならちょうど良かった」

二人は基地のゲートを出て、赤土の道を並んで歩き出した。基地からメジロ島の市街地まで歩いて十分ほどの距離だ。

「ヤムヤム島にも住民はいるだろう? 街はどんな感じ?」

「ああ、もちろんあるにはあるが、ここよりもずっと小さい。ここはずっと賑やかで、店も多いな」

 すぐにスコールがやってくる心配はなさそうなのでマツエダ提督は途中、小高い丘に通じる横道のほうへ案内した。ヤシやシダに囲まれた小道をしばらく登っていくと、少し平らになったところで視界が開け、小さな、塗装の色褪せた木製の鳥居と小さな祠が建っていた。

「こんな所にも社があるとはな……」

二人は祠を前にしばし、手を合わせた。那智はしばらく手を合わせたまま動かなかった。

「何をお祈りしたの?」

「え? いや、たいしたことではない。この艦隊の無事や、連合艦隊の次の作戦での勝利などだ」

マツエダ提督は無言でうなずき、祠から反対側に位置する港町を見下ろした。

「ここは良い眺めだろ? 散歩の時なんかによく来るんだ。今日は良い天気になりそうだ。これからますます暑くなるだろう」

そう言ってカンカン帽のつばに手をやり、空を見上げた。那智は提督と並んで丘から港と街を展望した。青い空と群青色の海、そして眼下にはニッパハウスやトタン屋根の住居、コンクリ造りの小規模な低層ビルなどからなるメジロ島の街が一望できた。足元の泊地には黒光りして見える自分達の軍艦が錨をおろして浮かんでいる。

「降りたら喫茶店で何か冷たいものでも飲もう」

 マツエダ提督はそう言い、来た小道を再び本道へ向けて降り始めた。マツエダ提督は歩きながら、先程ローリー泊地の知人から得た、わずかばかりの情報を那智に話して聞かせた。話題がそのことになると、那智が一瞬息を飲んだのがマツエダ提督にもはっきりとわかった。

――気になるのは仕方のないことだ

提督はそう自分に言い聞かせた。

 那智はマツエダ提督とともに、ゆっくりと街の目抜き通りを歩きながら尋ねる。

「戦闘詳報が読めるまでどれくらいかかりそうなんだ?」

「前線で、まだまとめている最中らしくてね。ローリー島にすらまだ届いていないようだ。衝突事故の状況も何も判っていない」

しばらく歩くと、道路に面した側に丸太でテラス席をこしらえた南国調のカフェが見えてきた。

「あそこに入ろう」

マツエダ提督と那智は店に入って街路に面する席についた。

「あら提督、いらっしゃいませ。こちらはもしかして、新しい艦娘さんかしら?」

店主とおぼしきおばさんがお冷をもって二人の元へやってきた。

「ああ、うちの新人、重巡洋艦の那智君」

「重巡那智、よろしく頼む」

提督が紹介し、那智は軽く会釈した。

「あら、やっぱり。山城ちゃんが出発してからしばらくして、湾に見慣れない艦が来ているって噂になっているから、どんな新人さんかしらと思っていたら、これまた綺麗な艦娘さんね」

那智は恐縮して顔をうつむけるが、マツエダ提督はそうでしょう?と言って笑った。

「そういえば山城ちゃん、一人でよく来てくれてたんだけど、出発前にわざわざ挨拶にきたのよ。転属になったからって。いつも元気ない様子だったけど、その時だけはとても嬉しそうで、これからお姉さんと一緒に戦えるから楽しみだって言ってたわ」

「あの山城君がわざわざ……。それは知りませんでした」

「海軍のことはあんまり聞いちゃいけないのかもしれないけど、山城ちゃんは元気にやってる?」

マツエダ提督と那智は顔を見合わせたが、マツエダ提督は大きくうなずいて笑顔で言った。

「ええ、もちろん。遠方に配属になったので細かいことはわかりませんが、元気でやっていると聞いています」

「そう、なら安心したわ。そういえばご注文は何にされます?」

提督がアイスコーヒーを二つ頼むとおばさんは伝票ホルダーを手に店内へ下がっていった。

 二人はしばし無言で街路の往来を眺めていた。

「山城君がここへ通っていたとは知らなかった。お姉さんと一緒になって、ここよりも良い状況で戦えると思ったんだが……」

那智は無言でうなずいた。

「実は明日、定期連絡の飛行艇が来る予定だから、それでローリー泊地まで行こうと思ってる。戦域司令本部のあるローリーまで行けば、戦闘詳報も早く届くし、海戦の状況ももっと判るだろう」

那智はグラスにささったストローから手を離す。

「まさかとは思うが、わたしのことで……」

そう言いかけた那智を制して、マツエダ提督はつづける。

「もちろん、那智君のためという理由もあるが、それ以上に我々には山城君を送り出した責任がある。何が原因で事故が起きたのか、知っておく必要がある。あまり考えたくはないが、ここの泊地での訓練や習慣の積み重ねが事故の原因になった可能性もゼロではないし、もしそうならうちでも対策が必要だ。とにかくいち早く事情を知っておきたいんだ」

那智は神妙な顔でうなずいた。

――また那智君が沈んだ顔をしてしまった……

マツエダ提督は一瞬ためらったが、テーブルの上の那智の手の甲から自分の手をかぶせて優しく握った。今日の那智は、いつもしている白手袋を付けておらず。提督も普段着なので手袋はしていない。素肌がはじめて触れ合った。那智は驚いて一瞬手を引きそうになったが、決して嫌悪感が沸き起こったわけでもなく、どうしてよいかわからず、戸惑いながら提督の顔を見上げた。

「またそんな顔をして……。那智君にはもっと元気になってもらわないと。もう大切なうちの一員なんだから」

マツエダ提督は内心非常に緊張していたのだが、さも当然のことをしてるとばかりに那智の手の甲をやさしくたたいた。那智は恐縮しつつもうなずいた。

「す、すまない、わかっている。ここは本当に良い艦隊だと思っている。本当に……」

那智は自分の口から自然とそんな言葉が出たことに、言い終わってから少し驚いた。それは決してお世辞などではなく、自分がかすかにこの泊地に居心地の良さを感じ始めていることに気がついた。

「少しでも慣れてもらえれば、嬉しい」

マツエダ提督はそう言って笑いかけ、手を引っこめた。那智は少し頬を赤らめて無言でうなずく。

 アイスコーヒーを飲み干してしまってから、マツエダ提督は無遠慮に那智の足元から顔までをながめてから、真面目な表情で言った。

「君、今日は非番だったね。そのブラウスもスカートもいつもの制服の予備だろう? 普段着はないのかい?」

「ああ、何分急な転属だったからな……。今は艦にある持ち合わせだけだ」

那智は少し気まずそうに言った。

「それは言ってもらわないと。艦娘の福利も提督の責任だよ。せめて高雄ちゃんに相談してくれれば……。よし、ちょうどいい。買い物に行こう」

マツエダ提督はそう言って、那智を立たせた。

 会計を済ませて喫茶店を出た二人は、日に照らされた目抜き通りを連れ立って歩いて行く。

「ここも南海の孤島であることには変わらないから、決して品数は多くないけど、間に合せに必要なものを買っていこう」

那智は提督に連れられ、三ブロックほど街路を進んだところにあるこじんまりしたニッパ屋根に丸太づくりの洋品店の前にやってきた。出入り口横には一応ショーウィンドウもあり、その中には南国柄のワンピースを着たトルソーが置かれている。

 ドアを開け放した入り口から遠慮なく入る提督の後を那智は気の進まない様子で続いた。

「提督さん、いらっしゃい。あれ? ツケまだ残ってたかしら?」

洋品店の店主とおぼしきおばさんが尋ねると、提督は笑って首を振った。

「そうじゃなくて、今日は彼女用にいくつか洋服を……。トップスでもワンピースでも、何着か見繕ってほしいんですが」

「あら新しい、艦娘さん? わかりました」

おばさんはカウンターを回り込んで二人のそばまでやってきた。

「ここは、高雄ちゃんや衣笠君、鬼怒君がよくお世話になっててね。必需品は艦隊の予算から出せるから、遠慮なく選んでほしい」

提督は那智にそう言った。

「あらまぁ、モデルさんみたいな艦娘さんね。かわいらしいのより、ちょっとシックな感じのほうが良いかしら?」

遠慮がちに那智が挨拶すると、おばさんは那智の足元から頭までを観察しながら言った。

「その辺は女性同士、よく相談して」

マツエダ提督はそう言ってふらっと店の外へと出てきた。この手の買い物は時間がかかるのが常だ。

 通りに面したテラスにもハンガーラックが出され、そこに多くの洋服が掛けられていた。マツエダ提督は退屈まぎれに洋服を数枚か手にしてみる。そのラックにはワンピースが多くかかっていたが、ランやヒマワリなどの柄があしらわれ、肩が大きく露出したリゾート地で着るような派手な物が多く、あまり那智に似合いそうなものではなかった。そんな中、ラックの一番端にかかっていた薄水色のワンピースがマツエダ提督の目に止まった。露出が高いわけでもなく、ラフすぎず、堅すぎずで、涼しげな印象を与える、那智に似合いそうな落ち着いたデザインのワンピースだった。マツエダ提督はおもむろにハンガーごとそれを手に取り、店内に戻る。

 店内では二人が鏡を前に、何着か候補の服を選び出していた。

「那智君、これなんかどうだろう?」

提督は那智の胸元にハンガーにかかったままのワンピースを掲げてみせた。

「あら、提督もなかなかいいセンスじゃないですか。きっと似合うと思うわ」

「どうだろう……」

那智は困惑して首をかしげる。

「さぁ那智ちゃん、試着室があるから、こちらで試しに袖をとおしてみたら?」

「ああ、それがいい。是非是非!」

おばさんの言葉を受け、マツエダ提督もやや強引にそう勧めた。

 

 

「ねえ高雄さん、もう買い忘れた忘れ物は無い?」

「ええ、提督の好きなココナッツケーキも買ったし、大丈夫ね」

 市街の通りで高雄、衣笠、春雨の三人はフルーツや雑貨、おやつ、スイカなどを詰め込んだ買い物かごをぶらさげて基地の方へ足を向けた。

「帰ったら、ちょうどお昼ね。今日はお蕎麦でも茹でようかしら? 提督もお腹をすかしているかもしれないわ」

「じゃあ、春雨もお手伝いします。一緒にかぼちゃとサツマイモの天ぷらでも揚げましょう」

「あら、いい考えね」

高雄は嬉しそうに笑い、二人を先導して歩き出した。三人はちょうど街の目抜き通りに通りかかった。衣笠は二人について歩きながら通りに並ぶ店々を眺めていた。

――そーだ、今度新しいTシャツでも買おうかなぁ。次に本土から連絡船が来た時に来てみよ

衣笠はそんなことを思いながら歩いていると、道を隔てた前方の洋品店の入り口で、カンカン帽にシャツ姿のマツエダ提督がしきりにハンガーラックにかかったワンピースを物色しているのを見つけた。普段着だったため一瞬見間違いかと思ったが、提督のいつもの外出スタイルなので間違いない。

「え、何やってるんだろ?」

衣笠は思わず声に出した。言い終わらないうちに店からおばさんに促されて、鮮やかなワンピースを着た那智がおずおずと出てきた。提督はそんな那智にハンガーにかかった別のワンピースを試すようにハンガーを首にあてがって似合うかどうか品定めしはじめた。

「ねぇ、あれ提督と那智さんじゃん。二人も買い物に来てたんだね」

衣笠の声に、前を歩く高雄と春雨も、洋品店の店先にいる二人に気づいた。

「あ、本当です。那智さんのお洋服を選んでるんですね。那智さん、あれもお似合いですね」

春雨もそう言って笑う。

――そっか、那智さんも日用品まだ揃ってなかったんだね

衣笠はすぐ合点した。

――一緒に提督に何かおねだりしたら、衣笠さんもなにか買ってもらえたりして?

 遠くから見る二人は楽しそうに見えた。那智は遠慮と照れで、ぎごちなさが目立ったものの、提督が勧めたワンピースのいくつかが気に入ったようで自分の体に当てて姿見を見ている。一方、提督の方は別の候補をさがすのに忙しく、二人共、通りにいる三人には気付かないようだった。

 高雄はしばし無言で、ショッピングに我を忘れている二人を見つめていた。

「あはは、夢中で気づかないみたい。声かけてみよ?」

「帰りましょ……」

衣笠が言い終わらないうちに高雄が低い声で言った。その声音には、微笑ましい場にそぐわない、なにかを両断するような鋭さがあった。そのため春雨も衣笠も一瞬虚を突かれた顔で高雄を見た。前を歩く高雄の表情が見えなかったので二人は一瞬驚いたが、振り返った高雄はいつもと変わらぬ朗らかな高雄の顔だった。

「ほ、ほら、あの様子だとまだちょっと時間かかりそうじゃない? それに……、そう、この暑さでせっかく買った食べ物も傷んでしまうかもしれないから。先に戻ってご飯を作って待っていてあげましょう?」

高雄はいつもの明るく笑顔と優しい声で言って先に歩き出した。

「はい、そうですね!」

春雨は納得したようで、笑って高雄についていく。衣笠だけが戸惑った表情で高雄の背中と遠くの那智とマツエダ提督を見比べた。

 重巡艦娘・衣笠。あるときは『海軍の影の情報部員』またあるときは『連合艦隊の覗き魔』などと妙な通り名の付いた重巡艦娘・青葉の妹である衣笠もまた、優れた状況把握能力や観察眼を備えた艦娘だった。また普段はふざけたり、おちゃらけたりして鬼怒と揃って基地内のムードメーカーになっているが、その実、周囲に対する気遣いや注意を忘れない、思慮深い艦娘だった。そんな衣笠だけは、今の高雄の反応に驚きと困惑を隠せないでいた。

「え? え? 何? そうなの?」

歩いて行く高雄と、那智と提督を交互に見ながら衣笠は思わずつぶやく。このメジロ泊地でこれまで経験したことがない、そしておそらく当事者達すらすらまだ気付いていない厄介な事態が生じつつあることに最初に勘付いたのが衣笠だった。

 

 一時間半後、大きな紙包みをいくつか抱えてマツエダ提督と那智が司令部へと帰ってきた。

「ああ高雄ちゃん、先に戻ってたか。実は那智くんの日用品の買い出しに出ていたんだ」

マツエダ提督は昼食のざる蕎麦が並んだ食堂やってきて屈託なくそう言った。

「あら、そうだったんですね? 那智さん良かったですね! わたしがもっと早く気付いて差し上げるべきだったわ」

高雄がいつもどおりの明るい声で言った。

「すまない……。提督が全部経費で支払うと言って聞かなかったんだ。私物の支払いは後で請求してくれ」

那智はまだ遠慮がちにそう言ってテーブルについた。

「必要なものは経費でやってるから、そんなことを気にしたらだめですよ、那智さん」

高雄はそう言って皆に座るよう促す。

「実は、街でお二人を見かけたんですよ」

春雨が屈託なく言った。提督と那智は驚いて高雄や衣笠を見る。衣笠の顔から一瞬血の気が引いた。

「なんだ、なら声をかけてくれればいいのに。那智くんに似合う服を探してたんだ。男の私よりみんなの方がいいアドバイスができたのに……」

提督は不思議そうな顔をする。春雨は、そうでしたねと笑い、高雄は困ったような表情を浮かべた。一方、衣笠だけは、生きた心地がしないまま、静かに蕎麦をすする。

「そうだ、実はね、明日の連絡機でローリー島の戦域司令部へ行ってくる。いち早く戦闘詳報を確認したいんだ」

一同が驚いた顔をした。

「ずいぶん急ですね。どうしてまた……」

高雄が驚きと怪訝な表情で言った。

「山城君のことが気になってね」

マツエダ提督は高雄らに、先程街のカフェで那智に伝えた理由を言った。

 一同は納得し、もちろん異論を挟む者はいなかった。衣笠自身、提督の決定に反対ではなったのだが、どうしても妙な疑念が脳裏から離れない。

――提督は本当に、山城さんのことだけが理由でローリーへ行くのかなぁ?

衣笠の気苦労は始まったばかりだった。

 

 翌日午前、ほぼ定刻にメジロ泊地へ飛来した九七式飛行艇が湾内の着水し、飛行艇用桟橋に接岸すると、マツエダ提督はカーキ色のネクタイにジャケットからなる第三種軍装姿で革の手提げ鞄を手に司令部庁舎を出た。見送りに高雄と那智が桟橋までついてきた。

「三~四日のうちには戻るから。二人共留守をよろしく」

「はい提督、どうかお気をつけて」

「泊地は全力で守る。心配しないでくれ」

高雄と那智はそう言って、提督を見送る。燃料補給を終えた飛行艇はすぐに離岸、白波を駆って離陸すると東北東にあるローリー島の方へ飛び去った。

 




 今更ながらですが、艦これのアニメ、那智も足柄も大活躍で満足でした。
それにしても山城の性格があんな尖った描写だったことには驚きました。拙作の山城の性格、ちょっとやりすぎたかなと心配だったんですが、公式があそこまでの地雷系だったので、怒られる心配はなさそうです。
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