艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
それから二時間後、戦艦日向の写真暗室の漆黒の闇の中で、トビウメ提督と不知火は汗だくになりながら大判の銀塩写真フィルムと格闘していた。二人ともラフなシャツにエプロン姿となり、閉め切った暗室内で、手探りで大きな写真フィルムを専用の現像容器に押し込む作業に取り掛かっていた。
普段トビウメ提督が使っているカメラ用の一三五フィルムではなく、航空偵察機用のカメラフィルムは大判で、非常に重い金属製マガジンに格納されている。真っ暗闇の中でマガジンからフィルムを取り出し、それをステンレス製の専用現像タンクに移し替えるのだが、それは慣れていないと非常に手間取る作業だった。
「ぬいぬい、そっち押さえてて。今からマガジン開けるから」
「はい、こちら準備万端です」
提督は声を頼りに、専用のリールに巻いたフィルムを現像タンクに押し込む。ふたをしっかり閉めてから提督は不知火に電気をつけるように命じた。
「さて、一番大変なところは終わった……。さて薬液を作ろう」
明るい白熱電球の下、二人は汗をぬぐってから大量のお湯を沸かし、さらにオスタップ三つに三種類の粉末の薬剤を入れてからお湯に溶き、素早く撹拌する。現像室内に現像液の酸っぱい臭いが充満した。その後、オスタップを日向からもらった氷嚢で覆い冷やしていく。トビウメ提督は薬液にそれぞれアルコール温度計を差し、目盛りを睨んだ。フィルム現像のキモは薬液の温度管理だった。アルコールの高さが摂氏二十度近くまで下がってきたところで、トビウメ提督はようやく現像液を現像タンク一杯に流し込み、ストップウォッチを押した。秒針が数回回ったところで提督が合図すると不知火がうなずき、ふんっと声を上げて現像タンクを力一杯に揺すりはじめた。フィルムが通常より大きいため、現像タンクも大きい。なので現像液の撹拌は怪力を持つ艦娘の不知火が引き受けることにした。これで銀塩フィルムが薬液と反応して現像が始まる。
「はい、ストップ。一分間そのまま」
ストップウォッチを手にしたトビウメ提督が言うと、不知火は手を止めてタンクを置く。一分後、提督の合図とともに不知火は再びタンクをシェイクし始める。そんな作業を数回繰り返してから、トビウメ提督はタンクの排水口から現像液を捨てると、今度は急いでタンクに二番目の薬液となる停止液を注ぎ込む。これでフィルムが過剰に現像されるのを止めるのだ。提督は再びストップウォッチを押し、秒針の動きを凝視する。数分経ってから再び薬液を捨てて、今度は最後の薬液、定着液を注ぎ込んで再び時間を計る。現像作業は時間と温度との戦いだった。
「司令が時々、一人で現像作業をされているのは知っていましたが、こんなに大変とは思いませんでした」
顔をつたう汗をぬぐいながら不知火が言うと。トビウメ提督も笑ってうなずく。
「いつも使うフィルムの現像タンクは魔法瓶くらいの大きさだから、こんな大変じゃないよ。ただ失敗できない写真だから、今回は神経を使うね」
――それにしてもカメヤマ提督も、巻きフィルムから最初の数枚だけ適当に切り出してから試し現像をするなんて無茶やるなぁ……。ほかのフィルムが感光してダメになってなければいいけど……
そう思いながら秒針を見つめトビウメ提督は七分経ったところでストップウォッチを止め、定着液を捨ててから現像タンクを開けた。定着液に触れて、初めてフィルムは光に当てても感光しなくなるのだ。巻きフィルムがよく見るネガの状態となって入っていた。
「お疲れ様、これで前半は一段落」
二人は流水で入念にフィルムを洗い、薬液を慎重に落とした。ネガをしばらく水に浸けて洗浄してから、二人は大判のフィルムを数枚単位にハサミで切って、写真室のドアを開けた。
「日向さん、ネガを風通しの良いところで乾かしたいんですが? どこが良いでしょう」
士官室にいた日向にトビウメ提督が声をかけると、日向は心得たとばかりに二人を第五砲塔の裏にある後甲板に案内した。すでにそこには直射日光を遮る天幕と洗濯物を干すロープと洗濯ばさみが用意してあった。
びしょびしょのネガを抱えた二人は洗濯ばさみに帯状のネガフィルムを吊るしていき、丸まらないように下に重しとなる金属クリップを留める。干し終えると二人はスポンジで濡れているフィルムの水滴を吸い取るように優しく拭っていく。
「強くこすらないように、やさーしくね」
トビウメ提督の指示にうなずきながら、不知火は一心にスポンジでフィルムについている水滴を吸い取っていく。見ていた日向も軍刀を置いてスポンジを手に手伝い始めた。
しばらくして作業を終えた二人はさすがに疲れを感じ、日向が出してくれた折りたたみイスに身を預ける。
「結構時間がかかりましたね。もうお昼過ぎですよ」
不知火の言う通り、日が高く昇っている。
――今は天気がいいけど、乾く前にスコールが来なければいいな
二人がへたばっている前で、日向は干してある大判のネガを透かすように覗き込んでいる。
「うん、うまく現像できているようだな。上出来だ」
「それは良かった。あとは印画紙に焼き付けるだけなんで」
トビウメ提督は安堵したように言った。
「お疲れ様です、皆さん。お昼食におにぎりをお持ちしましたよ」
その声とともにやってきたのは空母艦娘の鳳翔だった。手したお盆にはお握りを盛った皿と冷茶を入れた湯呑茶碗がのっている。
トビウメ提督と不知火は急に空腹を覚え、お礼を言いつつ鳳翔が差し出すお盆に手を伸ばす。
トビウメ提督は塩味のきいたおにぎりを頬張りながら、同じくおかかのおにぎりを一心不乱に咀嚼している不知火の横顔を見て思い出した。
――こんな風にしているぬいぬいの写真も、もっと撮ってあげたいな……。今カメラを持ってきていないのが惜しかった……。
そんなことを思いつつ提督はふと加古との会話を思い出した。
「そういえば、ぬいぬいと荒潮は写真写りにすごく厳しいんだってね。自分を撮ろうものなら下手な写真は許さないって」
「ほへ?(はい?)」
口に米を頬張ったまま不知火は何のことだと言わんばかりに答える。
「聞いたよ? 僕が加古にあげた写真、二人から厳しくダメ出しされちゃったって。軍艦も含めて二人を撮ってあげるときは、気軽にシャッター切らないで、気合を入れてやらないといけないと思ってね」
不知火は何を言われているのか判らず、首を傾げた。別に自分も荒潮も写真にうるさいなんてことはない。不知火は、加古や長良のようにあからさまに喜ばないだけで、内心この世界で生きていた証ともいえる自分の写真は撮ってもらえれば普通に嬉しい。特にトビウメ提督からもらった写真ともなれば、宝物にするだろうし、事実、これまで撮ってもらった写真は大切にアルバムに納め、駆逐艦不知火の本棚に大切に保管している。本当はもっと撮ってほしいのだが、敢えて頼むのは気恥ずかしいだけのことだ。それが一体何故……。
そこまで思いを巡らしてから不知火は突然、先の海戦前に基地の食堂で加古から写真を自慢されたことを思い出した。とんでもない誤解と判り、不知火は思わず飲み込んだ米粒が気管に入りかけ、盛大にむせた。
「ぬ、ぬいぬい、ちょっと、どうしたの? 大丈夫?」
「大変! さぁ、早くお茶を飲んで」
トビウメ提督があわてて背中をさすり、驚いた鳳翔も麦茶を注いだコップを差し出す。不知火は盛大にせき込みながらコップを受け取り、グビグビ飲み干した。
「失礼しました……。ちょっとがっついてしまいました。不知火の落ち度です……」
しばらくせき込んでからそう言って、不知火は口元を拭った。
――あのボンクラ重巡め……。永遠に昼寝させてやるわ……
不知火は恥ずかしそうに居住まいを正しながら、心中で冷たい怒りの炎を燃やす。
そう昼食をとっていると、第二種軍装姿のナス提督が後甲板にやってきた。
「すいません、御馳走になっています」
「いえ、こちらこそ面倒な用事を頼んでしまって申し訳ないですね」
ナス提督は静かな口調でそう言って、干してある日向の方を向くと、日向は問題ないとばかりに深くうなずいた。ナス提督は無言で干してあるネガに顔を近づけ、何が写っているか覗き込んでいる。トビウメ提督と不知火は口をもぐもぐ動かしながら、その様子をじっと観察した。自分の作品を品評されているかのような心持ちとなり緊張して見ていると、ナス提督は満足そうにうなずいた。
「はっきり写っている。さすがプロですね」
トビウメ提督と不知火は安堵しお互いの顔を見合わせて笑みを浮かべた。
それからナス提督は日向に向かって小声で言った。
「日向、先ほど夕張と島風が入港した。予備の修復材なども持ってきている」
「そうか、後ほど確認しておく」
日向は静かにうなずいた。
フィルムを入念に乾燥させるため、十分に昼休憩をとってから、トビウメ提督と不知火はネガフィルムとともに再び蒸し暑い写真室へと戻った。
トビウメ提督はネガフィルムを一枚単位にハサミで切ると、ネガを一枚一枚照明にかざす。鮮明な像を写しているネガは三十枚ほどだった。提督は不知火に指示してトレイ上の大きなバットを三つ用意させ、フィルムの現像時と同様、専用の粉末薬剤を水で解いて薬液を三つ用意した。それはフィルムの像を印画紙に焼き付けてから現像する際に使う専用の現像液、停止液、定着液だった。
「じゃあ始めよう」
提督が言うと不知火は写真暗室の照明を赤色灯に変えた。室内がまるで映画に出てくる潜水艦の艦内のように、赤と黒の世界に変わった。トビウメ提督はOHPプロジェクターのような形の引き伸ばし機に大判の印画紙とフィルムをセットすると、ストップウォッチを手に引き伸ばし機のライトのスイッチを入れネガの像を印画紙に焼き付ける。ストップウォッチで数十秒計りライトを止めるとすぐに不知火へ印画紙を渡す。ナス提督とカメヤマ提督から、ネガの写真を二セット作るよう依頼されていたため、二人は約六十枚近い現像作業をする必要があった。お互い流れる汗をふきつつ、閉め切った赤い室内で二人は時間と光と格闘しつつ印画紙にネガを透過した光を当てて像を焼き付けていく。
一通りの作業を終えると、二人はテーブルに用意したバットの現像液に最初の印画紙を一枚沈め、竹とゴムでできた専用トングでまんべんなく薬液に印画紙を浸す。再びストップウォッチで時間を計りつつ印画紙を凝視していると、それまで真っ白だった印画紙にみるみる灰色と黒の世界が浮き上がり焼き付けられた何かが姿を現してきた。像が明確になってきたところで、提督がトングで印画紙をつまみ、隣の停止液の満たされたバットにフニャフニャになった印画紙を浸ける。ビチャビチャと薬液につけながら三十秒、さらに隣の定着液のバットに写して再び三十秒、真っ白だった印画紙は立派なB4版の写真に変身した。二人はお互いの顔を見合わせて無言で笑う。最後に印画紙の薬液を洗い流すため、水を張ったバットで印画紙を十分に洗ってから、暗室内に張った物干しロープに洗濯物のように印画紙をクリップで吊るした。
「よし成功だね」
「はい、司令。これは気球ですね。向こうが海で、上から深海軍の輸送艦ですね」
トビウメ提督は出来上がったばかりの写真を覗き込む。どうやら海岸線を斜め上の上空から撮った写真で、複数の白い気球がたくさん浮かび、その下でエビともカニともつかないグロテスクな黒い物体が整然と波打ち際から浜辺に揚がってきている様子が写っていた。すぐ沖にはトビウメ提督も知っている深海軍の輸送艦が複数隻写っていた。
「これは……、ブ島南岸の偵察写真かな?」
「ええ、おそらく……」
二人とも神妙な面持ちで、グロテスクな敵の上陸部隊の姿に見入った。
「確かにこれは大切な写真だ。よし、次の作業にかかろう」
「はい!」
ルーティーンを確認し、二人は残りのネガの焼き付け作業にとりかかった。トビウメ提督が引き伸ばし機と現像を担当し、不知火が停止、定着、洗浄、乾燥を流れ作業でやることにした。
「停止液、定着液はそれぞれ三十秒。もし像がイマイチなのがあったら教えて。やり直すから」
「了解です」
二人は赤色灯の下ひたすら作業に没頭した。
焼き付け作業がフィルムの半分以上を終えた頃だった。トビウメ提督はネガが投影する画像に不可解なものを見つけた。とにかく印画紙二枚に像を焼き付けてから現像液に浸す。
「ん? これ、なんだろう? 人?」
赤い照明の色に染まった現像液の底に、砂浜と風景と思われる像が浮かび上がってきた。かなり低空で撮ったものらしく、深海軍の戦車や装甲車がかなり大きく映っているが、トビウメ提督の注意を引いたのは四分の一ほどが写真の右端に見切れている異形の人影だった。両腕の肘から先がまるで巨人の腕のように異様に大きく、右腕は片手でドラム缶を軽々と握った、モンスターのような女だった。モノクロなので肌の色こそ判然としないが、周囲との明度の差を考えると異様に色白の肌、そして色素自体がないような白髪であるに違いない。そして白い大きな三つ編みを首に巻き、頭はカメラの方を向きながら何やら怒鳴っているのか、口を大きく開けている。そして像が不鮮明ながら眼鏡らしきものや耳当てのようなものを身に着けていた。トビウメ提督はふと第一次ブ島沖海戦の最中、那智艦橋上で対峙したタ級戦艦の艦橋にいた人型の中枢ユニットの姿を思い出した。
トビウメ提督の声に、不知火も作業の手を止めてバットを覗き込む。トビウメ提督は時間が経ったので写真をすぐ停止液と定着液に浸ける。
――知らない型ですが、これは間違いなく『姫』……
不知火は写真を凝視しながらすぐに思い至った。
「……おそらく深海棲艦の上級個体でしょう。やはり上陸を始めていましたか」
不知火が目の奥に憎悪の炎を隠しながら言った。
「このこともちゃんとカメヤマ提督たちに伝えないと」
トビウメ提督はそう言って、残りのフィルムの焼き付け作業に戻った。
三時間後、二人はようやく六十余枚の写真の現像を終えた。
「なんとか終わったね。ありがとうぬいぬい。一人じゃとても終わらなかったよ……」
「いえ、秘書艦として当然のことです」
そう言いつつも二人は脱力して肩を寄せ合って椅子にへたり込んだ。トビウメ提督が腕時計を覗くと、すでに十七時を回っていた。
二人が現像液などを片付け、掃除を終えて後にしたのは十八時前だった。すでに夕焼けは西の水平線に名残を残すのみで一帯は薄暗くなり始めていた。
日向とナス提督が二人を労った。明るい士官室の、白いテーブルクロスの上に、トビウメ提督は仕上がったばかりのA4版の写真を一枚一枚、ナス提督と日向に披露した。
「本当に良く現像できていますね。無理を言ってお願いした甲斐がありました」
ナス提督はいつもより感情をあらわにして言い、微かに笑みを浮かべたものの、それはぎごちないものだった。写真が進むにつれて、日向とナス提督はある種の緊張感や張り詰めた雰囲気を発し、それはテーブルを挟んだトビウメ提督と不知火にも伝わってきた。そして、あの白い「人型」の写真まできたところで、その緊張感は最も高くなった。写真を目の当たりにした瞬間、ナス提督と日向の表情が同時に険しく歪んだ。
「……日向、すぐにカメヤマ提督をここに。あとGFの情報部にも伝えないと」
「ああ、わかっている……」
そのやり取りを見ていたトビウメ提督は意を決して尋ねた。
「砂浜にいるこれは一体何でしょう? いえ、別に無理に知りたいというわけじゃなくて、その、機密なら聞きませんけど……」
慌ててそう言い添えるトビウメ提督に、ナス提督はうなずいて口を開いた。
「ちゃんと説明するべきでしたね」
そう前置きして、ナス提督はこの偵察写真が第二次ブ島沖海戦の初日にブ島南岸で撮影したものであること、この規模の深海軍の上陸部隊が本格的な攻勢に出たら、陸軍の守備隊は二日ともたず全滅することなどを説明し、先ほどの白い人影の写真を示した。
「これは深海軍の強力な兵装の一つ、おそらく『集積地棲姫』でしょう」
士官室にナス提督の沈鬱な声が響いた。
「しゅうせきちせいき?」
「深海軍の強力な陸上型の上級個体だ。わたし達もこいつがいることは想定していなかった。もう手遅れかもしれないな……」
日向は腕を組んだまま、そうつぶやいた。
「うわぁ~、衣サクサクだよ!」
「大きいね! 中トロトロだよ」
加古と長良が大ぶりのカキフライに舌鼓を打つ。戦艦日向の士官室に招かれたトビウメ提督とその指揮下の艦娘に早霜を加えた艦娘達の前には、間宮と鳳翔が艦内の厨房で腕によりをかけた牡蠣をはじめとする多くの貝料理が並んでいた。
「沢山ありますから、遠慮しないで食べてください。大ぶりの身はカキフライに、小さいものは鳳翔さんがかきめしにしてくれました」
エプロン姿の間宮はお盆からかきめしが盛られた茶碗をトビウメ艦隊の面々に給仕していく。
「あ、そうでした! トビウメ提督の御所望だった牡蠣とムール貝の酒蒸しですよ」
間宮が大皿に乗った貝の酒蒸しをテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます。これはまず、ぬいぬいに」
加熱した貝独特の芳香が不知火の鼻孔をくすぐり、生唾を飲み込む。
「司令、覚えていてくれたのですね……」
「今日は手伝ってくれたからね。さぁ食べよう」
トビウメ提督はそう言って不知火に箸と取り皿をまわす。
現像作業を終えた二人は薬液で汚れ、酸っぱい臭いが染みついた服を着替えるため、一度自分達の艦に戻り着替えてから、艦隊の皆を内火艇で戦艦日向訪れた。
「間宮さん達にお礼をしたつもりが、またもご馳走になってしまい、なんだか申し訳ないような気がします」
「そんなこと気にしないでください。お礼をいうのは私たちの方ですよ、トビウメ提督」
間宮はそう優しく笑った。慈愛に満ちたその笑顔に図らずもトビウメ提督もおもわず見とれてしまった。横にいたナス提督も間宮の言葉にうなずいた。
「写真の現像は本当に助かりました。急を要することでしたので。疲れたでしょう? そもそもトビウメ提督の貝です。沢山食べて行ってください」
そう言って通された士官室には日向のほか、カメヤマ提督やその指揮下の大鯨、さらに今はシャツを着ているショートカットの小柄の潜水艦娘と思われる艦娘が隅のテーブルに着いていたほか、隣のテーブルにはセーラー服姿の艦娘とそれよりやや小柄でうさ耳型のヘアバンドをつけた艦娘が座っている。
「間宮さ~ん、料理おっそーいよ。あたしもうお腹ぺこぺこー」
「ちょっと島風、お行儀悪いでしょ! そんな急かすんじゃないの」
ぶーたれる島風を向かいに座った夕張がたしなめる。二人ともナス提督の指揮下の艦娘で、今日入港したという。
「お兄さん、今日はありがとな。ナスさん、ビールか日本酒あるでしょ? こちらのお兄さんに」
トビウメ提督が席に着くなり、カメヤマ提督が新しいコップを手に寄ってきた。
「いや、僕はその、酒はダメなんで、できればラムネかコーラでも」
「なんだそうか……。日向ちゃん、ラムネだって」
すると酒好きの加古がすかさず手を挙げてアピールする。
「待って、待って! あたしは日本酒がいい!」
「おし、今注いでやる」
酒瓶を手にカメヤマ提督が加古のわきへ行き、コップに清酒を注ぐ。
「加古、あまり飲みすぎないでね」
心配そうにトビウメ提督が声をかけると、加古は大丈夫、大丈夫と笑って一息にコップを空にした。
「いい飲みっぷりじゃん。さぁもう一献……」
カメヤマ提督と加古は、日本酒を注ぎ合いながら楽しく飲み始めた。
その横では初風がかきめしを口に運びながら長良に言った。
「定期点検でドック入りしても、こんなに大きい貝なんてそうそう採れたことないのに。戦艦だとそんなに違うのかしら?」
「うーん、この大きさまで育つのは、かなりの期間、動かないでドック入りもしてなかったからじゃないかなぁ……。でもこのカキフライ本当に大きいし美味しいよ! 山城さんもこの際、戦艦を辞めて牡蠣の養殖屋さんやったら儲かったりして」
「いや、ちょっと長良さん、それはちょっと酷すぎ……」
初風は呆れつつ、コップに注がれたラガービールをちびりちびりとすすった。冷えたビールを胃に流し込んでから、初風は明るい白熱電球に照らされた士官室を見回した。
「あの隅のテーブルにいるの、確か島風よね? 隣の人は、知ってる? 巡洋艦娘の人みたいだけど」
「島風ちゃんの前衛的なユニフォームは見間違えないわね~。確か~向かいに座っているのは軽巡の夕張さんだったと思うわ~」
早くも焼き牡蠣三つをぺろりと平らげた荒潮が隣から割って入った。
「あの夕張ちゃんかぁー。そういえば、二人とも一人っ子艦娘だね」
長良が思い出したように言う。確かに夕張も島風も同型姉妹艦がいない。
「思い出した~、確か姉妹艦のいない特殊艦の子ばかりが集まった『変態艦隊』があるって聞いたことがあったわ~。それって~ナス艦隊のことだったのね~」
荒潮の酷い言い草に長良と初風は思わず吹き出した。
「あはははは、荒潮ちゃん、変態は酷すぎるよー」
「はははははは、こんなにお世話になってるのに、そんなこと言ったら殴られるわよ」
「あらやだ、お食事中に殴るなんて物騒ね。乱暴はダメですよ。はい、牡蠣のお味噌汁をお持ちしましたよ」
タスキがけにエプロン姿の和服の艦娘、鳳翔がお盆にいくつもお椀を載せてテーブルにやってきた。一同の顔が凍る。
「あはははは、こ、こんな御馳走食べたって他の姉妹艦に知られたら、きっと殴られちゃうなって、はははは……」
咄嗟に長良が苦しい言い訳で誤魔化す。普段は人を食ったような態度を崩さない荒潮も、笑みを浮かべつつも青い顔をしている。
――そいえば、鳳翔さんだって『一人っ子』じゃない……。みんなが尊敬している鳳翔さんを変態呼ばわりしたら、他の空母艦娘に殺されかねないわね……
初風は引きつった愛想笑いでやりすごしつつ、そう思った。
またその後ろのテーブルには、山城と扶桑の衝突後、トビウメ艦隊と共に一晩にわたり戦艦と輸送船を敵潜水艦から守り抜いた駆逐艦娘の朝風と初雪が、トビウメ提督から内密に招待を受けてこの日の晩餐に参加していた。
「まさか……、こんなところで、ご馳走が食べられるとは思ってなかった……」
初雪はそう呟きながら牡蠣汁をすする。その隣では朝風が焼き牡蠣の殻から箸で器用に身を剥がしつつ、遠くのテーブルに座るナス提督の方へ顔を向けると、間宮がそばに寄り提督らに焼き牡蠣が乗った皿を給仕しているのが見えた」
朝風とナス提督は顔見知りだ。日頃、表情が硬いナス提督も、間宮にはいつになく朗らかな表情を向けている・
――やっぱり?ナス提督と間宮さんって噂って本当みたい……。神風姉がいないのが幸いだったわね……
朝風は焼き牡蠣を食べながら、楽し気に言葉を交わす提督と給糧艦娘の姿を見ていた。
「そういえば初雪、あんた、来れないかもしれないって言ってたけど、結局大丈夫だったわね」
朝風にそう言われ、初雪は牡蠣汁のお椀を持ったままうなだれた。
「うちの提督、絶対行っちゃだめって言うに決まってるから……。だから非番の時間を調整して内緒で来た……」
朝風は少し驚いた。
「へぇ……、そっちのアリスガワ提督って穏やかそうな顔してるのに結構面倒なのね~。うちの提督なんか『働いた分、大いに食わせてもらって来い』って、わざわざ哨戒当番を交代させてくれたわ」
「へぇ~、いいなぁ……」
「あら? だったら転属してくる? そのかわり、うちの水雷戦隊は対空も、対潜も何でもやる汎用部隊だから、あんたみたいなノンビリ屋は休んでる暇ないわよ」
朝風がいたずらっぽく脅すと、初風はすぐにたじろぐ。
「ううぅ~、やっぱり聞かなかったことにして……」
「アハハハ、冗談よ。もっと食べましょ!」
朝風はそう言って笑った。
トビウメ提督は不知火の向かいに座り、小ぶりのカキフライを一、二個自分の皿に置きつつ静かに士官室を見回していた。この賑やかな空間にやや居心地の悪さを感じていたことに加え、未だ山城の船体から採れた牡蠣を遠慮なく口にすることに抵抗があった。当の本人が病院に入院中だというのに、勝手に牡蠣パーティーで飲み食いしていて良いのだろうかという気遅れを感じていた。
――もし正気だった、山城さんも扶桑さんと一緒に、この牡蠣食べたかっただろうな……
とはいえ、昨日閉鎖病棟で会った山城の恐ろしい錯乱ぶりを思い返すに、牡蠣をもって再びお見舞いに行く気にもなれない。一つ試しに食べたカキフライは絶品だった。前の世界でもここまで衣がカリカリ、中がジューシーな完璧なカキフライは食べたことがない。それだけに、もやもやは一層募る。
そんな折、士官室の入口にエプロン姿の間宮がお盆をもって他のテーブルに料理を運んできた。トビウメ提督は間宮が給仕を終えるのを待ってから、立ち上がり、士官室のすみで声をかけ改めてお礼の気持ちを伝えた。
「艦娘達にはほんと良かったです。ただ、本当は主計課の方たちや間宮さんにお礼がしたくて持ってきたのに良かったのですか?」
間宮は微笑みを絶やさず首を振った。
「大丈夫ですよ。艦には伊良湖ちゃんがいるので、主計課の皆さんの分は伊良湖ちゃんがちゃんと美味しいく料理して今頃楽しんでいるはずです。わたしも一段落したら鳳翔さんと一緒に頂きますから。トビウメ提督は、今は少しでもくつろいでください」
そう言って微笑む間宮につられてトビウメ提督もぎごちなく笑った。
――本当に、この人は艦隊の誰もを元気付けるアイドルなんだな……
トビウメ提督は改めてそう思った。
トビウメ提督が座席に戻ると、話し込んでいた不知火と早霜の二人が、提督の分のかきめしのお代わりを茶碗によそってくれていた。
「山城が怖いのは解りますが、今はつまらないことは忘れて召し上がられることをお勧めします」
「そうですよ司令官……。お腹に入ってしまった物は誰にも元に戻すことはできませんからね……。 フフ、フフフ、フフフフフ」
ウィスキーの水割りグラスを手にした早霜が不敵に笑う。
――この子、もう酔っぱらってるのかなぁ……
トビウメ提督は戸惑いつつも差し出されたかきめしに箸をつける。だしのきいたご飯と程よい硬さに煮込んだ牡蠣の身が口の中でまろやかに調和した。とにかく絶品だった。
かきめしの味を堪能しつつ、トビウメ提督は無言で再び室内を見回す。加古はすでにウイスキーグラスを握りしめたままうたた寝をはじめている。これはいつものことだ。加古の相手をしていたカメヤマ提督は、テーブル座席から離れた、ソファーとサイドテーブルが置かれた区画で、食事もそこそこに、ナス提督それに艦娘の日向と写真を並べながら話し込んでいた。トビウメ提督の視線に気付いた不知火もじっと三人の様子を見ていた。
「きっと、あの写真のことだね」
「ええ、恐らく……」
――ブ島の人達は今どうしているのだろう?
はるか南東の島の様子に思いを馳せながら、トビウメ提督は黙々とかきめしを咀嚼した。
ソファーに腰掛けたカメヤマ提督は、サイドテーブル上の焼き付けを終えた写真を見下ろしながら深くため息を吐いて色眼鏡をはずした。
「こんな大規模な増援部隊が上がってたか……。こうと判ってれば、情報部なんかじゃなくてあの、最初からあのお兄さんに頼むべきだったぜ……」
カメヤマ提督は悔しそうに唸る。
「これはもう一週間以上前の写真だ。続けて最新の状況を把握しておく必要がある」
「シオイはラボールで修理中。それに今晴嵐の予備は本土にしかない」
そう言うカメヤマ提督にナス提督はうなずいて言った。
「わかっています。こうなれば、ラボール泊地から偵察機の彩雲、もしくは陸軍から百式司偵を借りて飛ばす必要があります。それがだめなら中攻でも構わないので強行偵察をやらないと」
「GFの情報部の奴らにこの写真をすぐに叩きつけてやろう」
日向は深くうなずいた。
「わたしがすぐに持っていく」
「あ~あ、せっかく飲んでも、酔いが醒めちまった。しっかし、まさか『姫』が来るとはなぁ」
カメヤマ提督は頭を抱える。
「確かに姫も予想外だったが……」
そう言葉を切って日向は、砂浜に上陸した深海軍の兵器の列を真上から撮った写真を見せた。そこには、ヤドカリにもロブスターにも見えるユニットがいくつも列をなしている。
「これは奴らのブルドーザーだ。もしこんな所に滑走路でも造られたら、シューズ・ベラ島どころか、この島だって敵機の攻撃圏内に入る」
日向の言葉に、カメヤマ提督とナス提督は血の気の引いた顔を見合わせた。
「翔鶴の航空隊や泊地の防空隊だけじゃいずれ制空権は持たなくなる」
会食の楽しげな喧噪も遠く、『戦線崩壊』という恐ろしい四文字が三人の脳裏に冷たく浮かび上がってきた。
同じ頃、工廠の大ドック建屋の中でも別の饗宴が始まっていた。その日の作業を終えた明石がつなぎ姿でドックへやってくると、すでに工廠の空地のいたるところで、作業を終えた作業員らが七輪や日本酒の瓶などを囲んで床に車座になっている。
めいめい、カゴに押し込んだ殻付きの牡蠣を七輪で焼いたり、鍋にしたりして宴会を始め、すでに建屋内には炭と牡蠣の焼ける良い匂いが立ち込め始めていた。
「おーい、あがしぢゃん、ごっちだ!」
ダミ声に呼ばれて顔を向けると、工廠長らの一団がビールケースを椅子がわりに七輪やビール瓶などを持ち寄って牡蠣パーティーをはじめていた。
「ああ、皆さん始めていますね?」
明石も嬉しそうにとんでいくと、すぐに作業員がコップを渡しビールを注いだ。
「さぁ、明石ちゃんが来たから乾杯しなおすぞ」
工廠の作業員にとってのアイドルは、間違いなく共に働く工作艦娘の明石だった。乾杯を終えて、作業員は再び大ぶりの牡蠣を七輪にのせていく。
「わたしにも一個焼いてください」
「おうよ、ちょっと待ってろ」
そう言ってる隣で作業員の一人は、まだバケツの海水に浸かっている牡蠣を手に取ると、マイナスドライバーで器用に殻をこじ開け、貝柱を剥がすや、そのまま口元に持っていき、するっと身だけ吸い込んだ。
「うあ~たまんねぇ~」
「ええ~? 生で食べちゃったんですか?」
明石は驚いたが、工廠長をはじめ、周囲の作業員らは気ままに殻から生で身を吸っている者が大勢いた。
「大丈夫だって。酒をぐい飲みして消毒すれば大丈夫さ」
「ええ~?」
明石は心配そうな顔をするが、作業員らは気にしていない。
「明石ちゃんも一個どうだ? ちょっとだけなら大丈夫さ。それに今日はとっておきの、キリリと辛口なフランス産白葡萄酒も用意してあるぞ」
工廠長がそう言って指さす先には、床に氷を張ったオスタップが置かれ、そこには葡萄酒特有の緑色の瓶が数本差さっていた。
「ええ~フランス産なんて、こんな所で良く手に入りましたね!」
ラガービールや日本酒、一部のウィスキーは配給として定期的に島にも入ってくるが、舶来品のワインやブランデーは、南方ではなかなか手にできない貴重品だった。工廠部に手に入らねぇ物はねえよと工廠長は不敵に笑って明石に牡蠣殻を手渡す。そこには工廠の水銀灯の光を反射して乳白色に輝く大ぶりの牡蠣の身が乗っていた。明石が牡蠣を手にすると、隣の作業員がすかさず四つ切りにしたレモンの切り身を絞ってくれた。思わず明石は生唾を飲み込む。
「まぁ一個ぐらいなら大丈夫ですよね?」
そう言って明石は一思いに牡蠣を吸い込んだ。ぷりぷりの食感と独特のこくとかすかな苦みが口内に広がる。
「ほら、白葡萄酒だ。ぐぐっといけ」
明石はコップを受け取り、キンキンに冷えた白葡萄酒を口に流し込むと、牡蠣の味と硬質な酒の味が融合して牡蠣の身が溶けたような新たな旨味に変わる。
「最高ですね~!」
生牡蠣を堪能した明石は余韻を楽しみながら言った。
「明石ちゃん、まだいっぱいあるぞ、早い者勝ちだぜ」
作業員の一人が言った。食欲と白葡萄酒が明石の理性を押し流した。
大ドックでの饗宴は夜更けまで続き、牡蠣を食べつくしてお開きになるまで、明石は最終的に大ぶりの生牡蠣を6個も平らげることになった。
今ではすっかりデジタルカメラに取って代わられちゃいましたが、以前は写真といえばフィルムカメラでした。
高校時代、部活でモノクロ銀塩フィルムを一から手作業で現像、プリントする作業をしたことがあります。信じられないくらい手間がかかって大変な作業でしたが、とても貴重な体験でした。
当時の日本海軍の写真現像については判らないことが多く、部分的に自分の体験と今残ってる当時の撮影機器を勘案して描きました。
戦時中の日本ニュース(ニュースフィルム)では一式陸攻による南方戦線の航空偵察写真の長いフィルムを現像後、ヤシの木の下で干すシーンが映っており、Youtubeで見ることができます。