艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
二三○○時、タロタロ島西方海上
戦艦金剛を旗艦とする連合艦隊は時速17ノットで進路を東北東にとって進んでいた。空には満天の星が広がり、波は穏やかだ。無線封鎖中なので、連絡はもっぱら信号灯によるもので、重巡那智は第二戦隊旗艦の重巡摩耶の後方一キロを航行していた。潜水艦の攻撃を警戒しているようで、時折旗艦より之字運動準備の指示が前方よりチカチカと送られてきた。信号の度、ジグザグに回頭する必要があり、回頭するたび、艦はゆっくり左右に傾く。
「まだ先は長い。ここは私が受け持つから、公室で少し休んでいてもいいぞ」
艦橋の羅針盤の前で腕を組んでいた那智が言った。
「いいよ、なんか悪いし……」
提督は海図台の横に座ったままあくびをかみ殺した。
「肝心なときに眠っていられたらこっちが困る。休めるときに休むのも戦いのうちだ」
「いや、確かに眠いことは眠いんだけど……。なんか緊張しているせいか、寝付けそうになくてね」
それを聞いて那智は笑った。
「ハハハ、つくづく肝っ玉の小さい男だな、貴様は。私の知っていた日本男児はもっと剛胆だったぞ」
「時代が変わるっていうのはそういうことなんだよ」
――そもそも、軍隊経験もない人間が昔の軍人と同じようにいくはずがないさ
トビウメ提督は欠伸をしながらそう言い返し、左腕に巻いた革バンド付きの防水時計をのぞくと、蛍光塗料の文字盤はもう日付が変わろうとしていることを告げていた。
艦隊はこのあと大きく北へ進路を取り、北方から島へ突入する予定となっている。突撃予定は明一二三○だった。那智の言うとおり、明日こそ長い一日になりそうだ。
「やっぱり、お言葉に甘えて少し休ませてもらおうかな」
「ああ、それがいい」
「じゃあ、士官室にいるから。何かあったらすぐ呼んで」
トビウメ提督は那智に艦橋を託すと、階段を降りて士官室への廊下をよろよろと歩いていった。
艦内は廊下の照明以外は灯火管制で消され、ただ機関のうなる重低音が響くだけだ。
軍艦らしからぬマホガニー調の瀟洒な内装に白いクロスのかけられた長いソファーやテーブルがいくつも並んだ士官室はまるで高級ホテルのレストランのような雰囲気の部屋だった。かつては士官の食堂としても使われていたという。
蒸し暑いので扇風機のスイッチをいれてソファーに寝ころぶと、トビウメ提督は巨大なこの艦のなかで、今いるのは提督と艦娘の那智の二人だけだということに今更ながら思い出す。提督の乗っていない他の僚艦はみな艦娘一人が艦橋に佇み、休む間もなく艦の制御を行っている。前の世界で起きたようにいざ沈んでしまうときには大勢の人命が犠牲にならなくてよいが、艦娘というのはこのうえなく孤独な仕事なのだと提督は思った。
疲れていたのか、いつの間にか眠ってしまったようで、トビウメ提督が突然のブザーで目を覚ましたのは、深夜二時過ぎのことだった。
「貴様、起きているか? 艦橋に来てほしい」
飛び起きた提督が帽子をかぶって艦橋へあがると、那智は難しい顔で電文用紙を一枚差し出した。
「ちょうど八分前に受信した」
『第四戦隊旗艦空母翔鶴、敵潜水艦の雷撃ヲ受ク。機関部浸水ノ為、合流困難ト認メ、シューズ・ベラ島へ緊急避退ス』
「空母が来ないのか……」
提督は顔をしかめた。
「今、旗艦金剛の艦隊指令と各戦隊長の間で作戦継続の是非を検討中だ」
「航空戦力の援護が無くなったか……」
提督は夜行虫のLEDのような光を引きながら左前の洋上を進む戦艦金剛の黒い影を見つめた。
十分後、旗艦金剛の艦橋から発光信号。作成続行の指示が下る。各艦、速力を20ノットに増速の上、予定時刻を繰り上げてブーメラン島突入が決定した。
作戦に変更無いことを指揮下の艦に伝えて提督は海図台の上をのぞき込む。
「飛行機の援護なしで白昼の突撃か。長官達は自信あるのかな?」
「敵は先の西方海戦で多くの空母や航空機を失ったと聞いている。この海域まで大規模な航空兵力を裂く余裕はないという分析があるのだろう。仲間が待ってるからな。遅れは許されない」
――その通りだといいが……
やられたのが空母随一の不幸艦だからだと言い聞かせつつも、不安が増した。
その後、トビウメ提督は眠気覚ましのコーヒーを片手にずっと艦橋を留まっていた。
0535時。空が紫色に明るくなってきた頃、各艦に一斉にブザーが響いた。相互に発光信号が交錯し、旗艦に信号機が掲揚される。
『全艦、対空戦闘用意』
「敵機だ!」
那智と提督は慌てて立ち上がると羅針艦橋の二階上にある防空指揮所へと駆けあがった。そこは艦橋構造物のてっぺんにある露天の展望台で、大型の双眼鏡がいくつも据え付けられている。
「どこ? 見える?」
トビウメ提督が双眼鏡をつかんだまま空を仰ぐ。薄雲が低く、敵の位置がわからない。すぐに左隣を航行している第一戦隊の軽巡五十鈴が空へ主砲を発砲して煙が上がる。
「九時の方角だ」
那智が北の空を指さした。見れば、明るくなりつつある雲の隙間から黒い甲虫のような形の機体が、艦隊と進行方向を同じくして飛んでいる。遠方のため、はっきりと形を判別できるわけではないが、その豆粒大に見える飛行物体は間違いなく深海軍の航空機に違いない。
艦隊の主砲や高角砲がそれを追うが、放たれた砲弾は敵機からかなり後方で破裂して小さい黒煙となった。さらに黒い煙の塊がいくつかが敵機を追って空に浮かぶが、なかなか当たる様子はない。次第に敵機は高度を上げ、黎明の空に姿を消してしまった。
「敵機の触接……。もはや奇襲殴り込みはできなくなったな」
「うん……」
提督はオレンジ色に明るい雲の隙間を見ながらうなずいた。