艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ   作:Piyodori

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戦略偵察機

 山城牡蠣騒動の翌朝、トビウメ提督は戦艦日向を訪れた。昨日の憲兵隊との乱闘騒ぎ以来、不知火はずっと戦艦日向に匿われていたからだ。

 不知火もナス提督もすでに起床しており、板張り甲板でトビウメ提督を迎えた。

「おはようございます、司令。昨夜は良くお休みになれましたか?」

不知火はいつも通り、きりっとした敬礼を送ってから提督に尋ねる。

「うん、なんとかね……」

山城牡蠣の疑いこそ晴れたものの、心配事や憂鬱な思いが脳裏を駆け巡り、実のところトビウメ提督はほとんど眠れなかった。

 最大の心配事は、秘書艦不知火の現在の立場だった。昨日の大立ち回りにより不知火は完全に憲兵隊から指名手配犯扱いされており、今は上陸はおろか自分の艦に戻ることすらできなかった。

「憲兵隊の頭が冷えるまで、好きなだけ居てもらって構わないぞ」

日向は親切にそう言ってはくれたものの、トビウメ提督としては自分の忠実な秘書艦をいつまでも、そんなお尋ね者にしておくわけにもいかない。

 トビウメ提督はナス提督に、なんとか憲兵隊と話をつけて不知火を自由にしたい旨を相談すると、ナス提督と日向は顔を見合わせた。

 ナス提督は、「本当はもう少し時間を開けた方が良いのだが……」と前置きしたうえで、トビウメ提督にある助言を与えた。

 トビウメ提督と不知火はそれを聞き、なるほどとうなずき、二人に礼を言ってすぐに内火艇で重巡加古に戻った。トビウメ提督は財布にありったけの軍票を詰めると、すぐに給糧艦間宮へと向かった。

 トビウメ提督は応対に出た艦娘の間宮、伊良湖と、差し出した軍票の押し問答をしばし繰り返したのち、その一部を半ば無理やり間宮に握らせ、二時間後、不知火、それに護衛役として白兵戦用の艤装を身に着けた初風を連れて再び間宮へとやってきた。間宮は一同を笑顔で迎え、食料の配膳に使う軽合金製の大型のバットをトビウメ提督へ手渡した。

「急なお願いにも関わらずありがとうございます」

トビウメ提督が平べったい大きなバットを抱えながら頭を下げると、間宮は首を振って微笑む。

「お気になさらないで。不知火ちゃんの為ですもの、どんなことだってお力になりますわ」

バットはずっしりと重く、そして金属の持ち手はキンキンに冷えていた。

「さぁ暑いですから、冷たいうちにお早く」

間宮に促され、提督ら三人は深々と頭を下げて退艦すると、基地の内火艇桟橋を目指した。

 三人が急ぎ足で向かったのは司令部庁舎に隣接する憲兵隊分駐所だった。トビウメ提督にとってはまさに「敵地」も同然で、すでに緊張感と気おくれで胃がキリキリ痛み始めていた。だが、いち早く解決してしまわなければならない問題であり、丸腰の不知火、そして万が一にも状況が荒れた場合への備えとして、完全武装の初風を同伴してやってきたのだ。

 トビウメ提督に気付くなり、憲兵隊員らは下級兵から士官まで、敵意を隠さず二人の前に立ち塞がった。昨日、トビウメ提督の身柄を押さえに来た同僚隊員四人が不知火に完膚なきまでに叩きのめされたので、この出迎えは予想できたものだった。

「一体、何しに来た!」

「く、駆逐艦不知火がいたぞ! 身柄を押さえろ!」

「まさか、また『問答無用!』とか怒鳴るわけ?」

初風がめんどくさそうに艤装の砲身を持ち上げた。普通の人間が完全武装の艦娘にかなうわけもなく、憲兵隊員らは一瞬たじろぐ。

「貴様ら、何しに来たか!」

すぐに憲兵隊責任者の分隊長がやってきて大声で怒鳴る。トビウメ提督は顔をびくつかせながらも、『堂々と対応するように』というナス提督のアドバイスを胸に口を開いた。

「昨日の騒乱にあっては、お互いの対応の行き違いで、その……、誠に残念な仕儀に相成ってしまいました。ですが、トラブルの長期化は双方にとってよくありません。ぼ、僕としても、憲兵隊の今回の行動をことさら糾弾するつもりは無くてですね……。多数の重傷者を出したのは誠に残念なことですので、この不知火と責任者の自分とでまず、条件付きで『謝意』を表明しに来た次第で……」

「条件付きだと?」

「ええ、いきすぎた暴行に関してのみ、誠心誠意謝罪するので、この不知火への追及はこのあたりで手打ちにしてもらいたく」

「貴様、本気で言っているのか!」

「この艦娘のせいで、負傷者のうち二人はまだ満足にしゃべることもできんのだぞ!」

分隊長の脇にいた士官らが、ずっと黙して直立している不知火を指さしながらが口々に怒鳴る。

「そう気色張らないでください。お互い良いこと無いですよ……。もしまだ続けるというなら軍令部を通じて陸軍参謀本部へ報告せざるをえません。艦娘に手ひどく畳まれたって……。そんな無様なことが公になったら、そちらだって無傷じゃすまないですよね」

「ほざいたな!」

「ねぇ、さっきから犬みたいに吠えてばかりいないで、少しは冷静になりなさいよ……」

初風は呆れた表情で毒づいたので、憲兵隊員らはさらにヒートアップしそうになったが、トビウメ提督はようやく会話に慣れてきたのでやや落ち着いた口調で言い添えた。

「もちろんタダでとは言いません。もし今回の件で不知火を放免していただけるのなら、こちらを置いていきます」

提督はそう言って自分が抱えている持ち手付きのバットを分隊長へと差し出した。初風がバットの上にかけられた布巾を取り払う。、大ぶりのバットにはあずき色をしたゼラチン状の塊にぴっちりと満たされていた。憲兵隊員ら怪訝な表情を浮かべる。

「これが何か判らないのかしら? 間宮さん特性の『水羊羹』よ」

初風の言葉に、憲兵隊の顔色が一斉に変わった。

「おい、まじかよ……」

憲兵の一人がバットの中を凝視しながら唾を飲み込んだ。

 通常の羊羹と異なり、水羊羹は水分を多めに含むため、長期保存ができない。そのため、特に南方戦線では滅多に見る機会がない、極めて貴重な甘味だった。給糧艦間宮でも、平時は比較的日持ちのする普通の練羊羹やその他の菓子の製造を優先しているため、水羊羹の提供は極めて限定的だった。ましてや編成上は陸軍所属で、離島常駐の憲兵隊が口にできる機会はほとんどない。

 分隊長の顔が葛藤のために歪む。部下の隊員達も突然の突き出されたプラチナ・レアな甘味を前に毒気を抜かれて立ち尽くす。仮に分隊長が提案を蹴れば交渉は決裂、水羊羹が彼ら隊員の口に入る機会は永遠に失われる。憲兵隊の士気はすでに大幅に低下していた。

 結局分隊長も水羊羹の偉力を前に、トビウメ提督の提案を受け入れざるをえなかった。

「駆逐艦不知火、憲兵隊員に対し感情的に暴行をはたらいたことについて、心よりお詫びいたします」

 それまでじっと黙っていた不知火は、踵をカチリと音を立てて直立すると、腰を九十度に折って深々と頭を下げた。同時にトビウメ提督も頭を下げて水羊羹が張られたバットを憲兵隊員に手渡した。この瞬間、駆逐艦不知火への追及は事実上取りやめになった。

 バットは主計課に返しておいてくださいと言い添えて、トビウメ提督指揮下の艦娘二人と詰所を後にした。

 三人はしばらく無言で内火艇に向かって歩いていた。不知火の足の運びが遅くなり、提督と初風が振り返る。不知火は珍しく肩を落として足を止めた。

「司令、申し訳ありません……。不知火の落ち度により、司令達に大変ご迷惑をおかけしました……」

トビウメ提督は首を振った。

「そんなことないよ、ぬいぬい。あの時助けてくれてありがとう。あんな奴らに頭を下げさせるなんて屈辱的なことさせて悪かった……。でも、いつまでも、ぬいぬいをお尋ね者にしておくわけにはいかないから」

トビウメ提督はそう言って不知火の肩にやさしく手を置く。

「実はさ……。ぬいぬいがあいつらをギッタギッタにしてくれて、内心とても嬉しかったんだ」

不知火ははっと顔を上げ、トビウメ提督の顔を見上げる。

「司令……」

不知火は自分の目頭が熱くなってくるのを感じた。

「ゴホン……。姉妹艦と提督の不始末のために、完全武装で護衛に来てあげたこの初風のこと、忘れてんじゃないでしょうね?」

トビウメ提督と不知火が二人の世界に入りかかったので、初風が遠慮がちながらも不満を口にした。提督と不知火は我に返り、慌てて初風の頭をなではじめる。

「も、もちろん忘れてないよ。い、一緒に来てくれて本当に助かったよ。初風は本当にいい子だね」

「初風、姉妹艦として心より礼を言います。何回でもなでなでしますよ」

急に髪の毛をがしゃがしゃ撫でられはじめたので、初風は顔を赤くして身をよじる。

「べ、別に、そ、そんなこと催促したわけじゃないわよ! ちょっ、二人ともいい加減止めなさいよ、他の艦に見られたらどうすんのよ!」

結局、二人とも初風に本気で怒られるまで、初風の頭を撫で尽くした。

 

 

 

 そんな三人の頭上一千メートル上空を異形の双発機が二機、着陸のため旋回していた。二機は薄くガスがかかった島の上空を一周してから順番に、島の西にある高台に開設された滑走路へ順番に降り立った。二機の飛行機は着陸後、トタン張りのハンガー前までタキシングしてエンジンを切る。すぐに白い半ズボンにシャツ姿の整備員らが駆けよってきた。

 横倒しにガラスの風防が開き、それぞれの機体から空中勤務者(陸軍では航空機のパイロットらを「搭乗員」とは呼ばず、そう呼ぶ)が二人ずつ降りてきた。

「司令部に報告後、二時間仮眠をとって上がります。それまでに給油を頼みます」

パイロットの一人がそう言うと、後の三人の同僚を従えてはタロタロ島の航空隊指揮所の小屋へ向けて歩いていった。

 残った整備兵らは皆、興味津々といった面持ちで二機の双発機を取り囲んだ。

「これが陸軍の最新鋭偵察機か……」

「2型とはえらく違うな。こんな未来的な形の飛行機は見たことない」

整備員らが口々に言うのも無理はなかった。その機体は陸軍所属で、緑とライトグレーの機体塗装も、上面は海軍機の緑味の強いカラーに比べ茶色に近い深緑、下面のライトグレーもやや緑っぽいグレーで塗装されていた。機体は機首からコクピットを覆う風防まで、一切の段差をなくした細身の流線形にデザインされ、まるで太い高級万年筆からエンジン付きの主翼が生えたように見える。両翼には高主力の水噴射装置付き金星改発動機を備え、胴体下部には写真撮影用の窓があけられている。日本陸軍が誇る戦術偵察機、通称百式司偵こと百式司令部偵察機、その最新型となる3型だった。連合艦隊司令部の要請により、ニューガリアのエラ基地から一晩かけて夜間飛行で飛んできたものだった。同偵察機の2型は以前も何度か飛来したことはあったが、最新鋭の3型を目にするのは誰もが初めてだった。戦略偵察という概念では、海軍より陸軍のほうが先進的な取り組みを進めていた。

 機体に群らがる作業員ら混じって、一人だけセミロングの髪を帽子にたくし込んでカメラを抱えた者がいた。整備員と同じ白い半袖作業着に白い作業帽を被っていたが周囲の者よりやや背が低く、そして目深に帽子を被っている。

「これが噂の百式3型なのね! こんな美しいフォルムの飛行機初めて見たわ~」

その小柄な整備員は機首の美しい曲線を撫でながらうっとりとした口調で言った。

――ああそうだ、写真を撮っておかないと

その整備員は機体から少し離れてカメラを向けると、それを見とがめた別の整備員が慌てて制止した。

「おいダメだ、ダメだ。最新鋭機だぞ、写真は禁止だ」

「ええ~、そうなの~? 部外に持ち出さないからいいでしょう?」

その小柄な整備員はそう言って抗議するが、周囲の整備員らは一斉に驚きの声をあげた。

「お、お前……、か、艦娘じゃないか!」

「おい、艦娘がいるぞ!」

「ああ、本当だ……。なんでこんなところに?」

周囲の整備員らが騒ぎ出し、集まってくる。

整備員らに囲まれ、その艦娘は誤魔化し笑いを浮かべて頭をかく。

「えへ、もうバレっちゃたかぁ~」

そう言って帽子をとると、たくし込んでいた髪がバサッとおりた。それは整備員に変装した軽巡洋艦娘の夕張だった。

「夕張型軽巡の夕張です。最新型の偵察機が来るって聞いたから、どんな機体かどうしても気になっちゃって。本当は明石と来るはずが、明石がお腹壊しちゃったから、わたしが代表して来たんだけど、見学しちゃダメかしら?」

整備員に変装していた夕張がしどろもどろにそう弁解するも、周囲の者らは夕張のつま先から頭のてっぺんまで無遠慮に眺め回す。

「こんなかわいい子が、あの艦娘って本当ですか?」

「バカ、艦娘はみんなかわいいんだよ」

「こんなとこまで、まさか艦娘が来てくれるとは思わなかったなぁ」

整備員らが口々にそう言い、夕張はどうしていいかわからず周囲を見回していると、一群の外から野太い声が響いた。

「おい、お前ら、何やってる! さっさっと整備にかかれ!」

一同ははっとしたものの、一人が声の主に向かって言った。

「班長、ここに艦娘が紛れ込んでいました」

「何? 艦娘?」

班長と呼ばれた、いがぐり頭に手拭いを巻いた太りじしの中年の男が近づいてきた。夕張は、とりあえず同じ説明を整備班長に繰り返すと、班長は腕組みしたまま少し考え込むような顔をした。

「艦娘の嬢ちゃん、とにかく写真は許可が出てないからまだダメだ。あと整備や離陸の様子が見たいと言ったな。こっちの出す条件を呑んだら、考えてやらんこともない」

夕張は困惑した表情を浮かべ、うなる。

「え? 本当? うーん……。いいわ、この際受けて立つわ。で、条件は?」

すると整備班長は咳ばらいをしてから重々しく言う。

「新型機を触らせてやるかわりに、俺達整備班と一緒に昼飯を食ってもらおう。どうだ?」

そして整備班長はにやっと笑った。周囲の整備員らも班長の意を悟り、笑いだす。

「え? それだけ?」

夕張は戸惑ったまま聞き返した。

「無論だ。不満か?」

最新鋭機の整備を間近で見学した上に、昼食までご馳走になれるとあれば、夕張にそれを断る理由はない。

 その後二時間ばかり、夕張は百式司偵3型の、カウリングを外してのエンジン整備や偵察機に搭載する1号自動航空写真機のフィルム装填作業、燃料補給などを手伝いつつ見学した。

 作業着と顔をすっかり油汚れで染め上げ、夕張と整備員らはいずれも満足気な表情で作業を終えた。結局、写真撮影の許可は下りなかったが、その間夕張は、カウルを外したエンジンや機体構造のスケッチをすることを許された。

「やはり2型とは違う」

「高速を追求して、機銃もとっぱらってるぞ……」

「極限まで燃料タンクを増設しているようだ。撃たれたらひとたまりもないな……」

「まさか、撃たれる前に高速でぶっちぎるんだよ」

整備員らは口々に言いながら長距離偵察前の点検・整備を進めた。

「これって水噴射装置じゃない? 確か2型には無かったわね。緊急時はきっとこれで急加速ができるのねぇ……。どれくらいの早くなるのかしら」

夕張が、まるで前衛芸術のオブジェのような、複雑な構造の発動機を眺めながら感心したように言う。夕張のおよそ艦娘らしからぬ航空機技術への造詣の深さに、整備員らは驚いて顔を見合わせた。

 整備を終え、飛行場の整備班は夕張を伴ってハンガーの隣にある整備員詰所で昼食を共にすることになった。

「え? 夕張ちゃんって鳳翔さんと同じ艦隊なの?」

昼食に出された天ぷらそばをすすりながら、夕張は自分がサンダーランド泊地のナス艦隊所属だと自己紹介すると整備班一同はそう色めき立った。

「それを早く言えよ。おい、こんな天ぷらそばだけじゃダメだ。牛缶開けろ。あと搭乗員用の巻き寿司があったな。余りを全部こっちにもってこい。それと酒もだ」

班長がそう言い、班員数人がすっとんでいった。

「え、そんな、わたしはこれでも十分ありがたくて……」

夕張は行き過ぎた歓待に困った顔で言うが、班長は首を振った。

「あの鳳翔さんと同じ艦隊なんだろ。手ぶらで帰せるかって」

「鳳翔さんは艦載機の整備の度、わざわざお弁当屋やお菓子なんかの付け届けを、いつもご本人が直接届けてくれるんだ。艦娘がそこまでしなくてもいいのに、ありがたくて、ありがたくて……」

「そんな鳳翔さんの仲間を手ぶらで帰したら罰が当たっちまう。写真だけはどうにもならんが、それ以外は好きなだけ見て行ってくれ」

「え、ええ……」

そうこうするうちに班員らが牛肉の大和煮の缶詰や、輪切りにした太い巻きずしがが乗った大皿、それに一升瓶の日本酒などを抱えて詰所へ戻ってきた。

「さぁ好きなだけ食べてくれ」

夕張は困惑しながらも勧められるまま御馳走を存分に食べ、艦娘に興味津々な整備員らと他愛もないおしゃべりに興じた。

「高速とは聞いているけどどれくらい早いのかしら?」

「仕様書によれば、敵機の『ヤマネコ』、『性悪女』なんかは楽にぶっちぎれるし、『海賊』、『じゃじゃ馬』なんかも距離があれば逃げ切れるらしい」

これらはいずれも深海棲艦の戦闘機で、海軍では種類ごとに独特の隠語で呼ばれていた。

「ええ~、想像以上の速さね。ああ~今度一回乗ってみたいなぁ」

 食後、夕張は偵察機を思う存分にスケッチし、出撃準備のためエンジン始動から暖気までを手伝い、最後は仮眠を終えた陸軍の空中勤務者らが愛機に搭乗し、ブ島上空の強行偵察のため離陸していく様を整備員らと並んで帽振れで見送った。

「くれぐれも鳳翔殿によろしく伝えてくれ」

 整備班長はそう言ってお土産にフルーツや赤飯の缶詰などを詰めた重い紙袋を夕張に手渡した。夕張はを引きずりながら昼下がりの砂利道を港へ向けて歩きつつ、やたら充実した半日を思い返した。

――いや、むしろわたしが鳳翔さんにお礼言わないといけないわね……

夕張はそう思いながら偵察機が飛び去った東の空を見上げた。

 

 

 タロタロ島を離陸した百式司偵二機は西へ機首を向け、高度六千メートルで一路ブーメラン島へ向かった。ブーメラン島の西十浬上空で二機は編隊を解き、一番機は南東へ、二番機は北東へ進路を変えた。

 一番機は南部のヤシガニ海岸を北から横切るかたちで深海棲艦制圧下のブ島上空に侵入した。

「そろそろ撮影を始めるぞ」

「了解」

機長の指示で偵察員が写真撮影の準備に入る。操縦席と後方偵察席の間に設置された大型の一号自動航空写真機が稼働をはじめ、胴体の下に開けられた写真機用観測窓から地上を睨む写真機のレンズが撮影をはじめる。偵察機は敵上空の高度五千メートルを時速六百メートルで一気に島を横断するように飛んだ。写真機は設定した間隔を開けて自動でシャッターを切り、フィルムは自動で巻き取られていく。砂浜を越えてしばらくはほとんど緑の絨毯を敷いたような密林だったが、奥まで分け入った台地のてっぺんだけは木々が伐採され、赤土がむき出しになり、平坦な広場のようになっていた。偵察員は手持ちの補助写真機をしっかりと構えて窓越しに追加の写真を撮影していく。地表の大地には黒いエビのようなものがうろうろしている。

 操縦桿を握りながら機長は舌打ちした。

「話にゃ聞いてたが、やっぱりか……。上空に敵機がいないか警戒しろ」

機長は偵察員に電話越しに指示した。

 突然、眼下に黒い雲の花が咲き、機体を微かに衝撃が襲った。それは敵の高射砲による射撃だった。

「やっぱり見つかってたか。速度上げるぞ」

偵察員は了解し、自動写真機の撮影間隔の設定をさらに短くした。陸地の対空砲火は決して激しいものではなかったが、砲弾の炸裂は徐々に機体に近づいてくるので、機長は進路を変えて敵の見越し射撃を避けつつ台地の撮影を終え、速度を上げて深海軍の上陸拠点であるクラゲ海岸へ機首を向けた。その間も写真機は刻々と下界の状況を銀塩フィルムに焼き付けてゆく。

 一番機は時速六百キロで一気にブ島を横断しクラゲ海岸の上空までやってきた。機長と偵察は下界を見下ろし、思わず言葉を呑んだ。

「こいつは、想像より酷い……」

「はい……。でも写真に写るかどうかわかりませんよ……」

「口頭で報告すりゃいい。よく見とけよ。これより帰投する」

機長はそう言って敵艦隊や密集する船団の上を飛び越すと、操縦輪を回して一路西へ反転し帰路に就いた。

 

 ブ島北方を偵察した二番機は一六時を回ったころ、タロタロ島へ戻り、一番機はそれに遅れること一時間後に無事タロタロ島の上空へ帰投し、無事に草原の滑走路にふんわりと着陸した。偵察機が帰投するや、すぐに整備員らが集まってくる。空中勤務者の二人はキャノピーを開けると整備員らに写真機からフィルムネガを納めたマガジンを取り外すように指示して地面に降りた。

「二番機は無事に帰ってるか?」

機長の問いに整備員に一人がうなずく。

「ええ、一時間前に」

「なら一安心だ」

すでにくつろいでいた二番機の乗員二人も基地の連絡将校と共に二人を出迎えに歩いてきた。

「おう、なんか見えたか?」

一番機の機長が二番機の同僚に問うと、二人は首を振った。

「話に聞いていた通りで、特に目新しい物はなにも……。そちらは?」

一番機の二人は渋い顔を見合わせてため息をついた。

「やばいぞ……。クラゲ海岸以南の海面は血で染まったみたいに真っ赤になってやがる」

海面の色は深海棲艦の勢力を示す指標になるとも言われていた。それを聞いた一同は愕然とした表情をみせた。

「それ以上にやばいものも写ってる。さぁ早く持ってってくれ」

偵察写真のマガジンを指さしながら、機長は連絡将校に言った。

 

 

 百式司偵二機が撮影した航空写真のフィルムはすぐに、くろがねで港の司令部庁舎まで運ばれ、すでに準備していた司令部の担当者らが現像作業にとりかかった。

 最終的に偵察写真は夜更けまでに現像を終え、順次焼き付けが完了したものから分析のため連合艦隊司令部の情報部へと送られていく。

 最終的に意思決定者であるフルカワ司令長官代理ら司令部に届けられたのは日付の変わる頃だった。その後まもなく、島内の全提督に緊急召集がかかった。

 

 〇一〇〇時、司令部庁舎の大会議室に提督が集まった。夜中とあって、すでに寝ていた者、寝ようとしていた者が呼び集められたため、さすがに寝間着姿の者はいないが、多くの者がアロハシャツだったり防暑衣であったりと、ばらばらな平服で出席していた。

 トビウメ提督も重巡加古の士官室ですっかり寝入っていたが、不知火に起こされ、慌てて防暑衣に着替えて上陸した。トビウメ提督と不知火が会議室に入ると、すでに来ていたカメヤマ提督が軽く手を挙げて挨拶した。その隣にはナス提督と秘書艦の日向の姿もあった。

「一体何事ですか?」

トビウメ提督が聞く。

「そういや、お兄さんは知らなかったか。今日、陸軍の高速偵察機がブ島を強行偵察したんだ。きっとその結果についてだな」

カメヤマ提督は夜中に呼び出されたためか、Tシャツに短パン姿で、深夜とあって色眼鏡はかけていなかった。提督らは一様にラフな服装で集まっていたが、室内の空気はいつも以上にピリピリとしたものが感じられ、周囲の提督らは話し合いながらも声を潜めてひそひそ囁きあっていた。

「あまり良い報告ではないようですね」

「うん……」

小声でそう言う不知火に、トビウメ提督も静かにうなずいた。

 そしてフルカワ司令長官代理が部下の参謀連中を引きつれ入ってきた。室内は静かになる。一同が椅子に座るとフルカワは話し出した。

「深夜帯の召集、あいすまない。ただ急を要する事態となった。先日の会議で話したように、ブ島南部で敵に気になる動きが現れたため、昨日陸軍の戦術偵察機の協力のもと、強行偵察を実施した。その結果について急ぎ情報を周知したく集まってもらった」

フルカワはそう言って部下の情報参謀へ引き継ぐ。

情報参謀が立ち上がり、司令部要員らとともに数枚の大判の写真を会議室前の黒板に貼り付ける。

「これは昨日午後、ブ島南部、深海軍の勢力圏となっている通称六〇台地と呼ばれる地点の空撮写真です」

それは密林が広く伐採され、薄い色の地肌を見せているモノクロの航空写真だった。

「見ての通り、木々が伐採され、台地は平坦にならされ広大なグランドのようになっています。敵はここに航空基地の建設を進めていることが確認されました」

室内がどよめいた。

「敵は現在、駐機場と長さ約二キロの滑走路を造成中で、土木機器により急ピッチで工事を進め、このまま進めば早くとも一週間、遅くとも二週間以内に単発機はもとより、中型、大型の爆撃機も発着が可能となる状態まで整備が進むと思われます」

 会議室は一瞬静まり返ったが、その後提督らは一斉に声をあげはじめた。

「阻止する方法はないんですか? 爆撃とか、艦砲射撃とか、やれることはあるはずだ!」

「姫は? 飛行場姫の上陸は確認されているのですか?」

「ブ島の守備隊によって建設を阻止することは可能でしょうか?」

提督らが一斉に言い出し、収集がつかなくなりかけたので、両手を何度も叩きながらフルカワが立ち上がり静かにするよう言った。

「諸君らの驚きももっともだが、まずは落ち着いてほしい。当然我々としても敵の飛行場建設を阻止するつもりで、即時対応策を練る。それから、現時点で集積地棲姫以外の姫の上陸は確認されていないので、その点は安心してほしい」

場はなんとか落ち着きを取り戻した。再び情報参謀が話し出した。

「御存知の通り、ブ島に敵航空基地が建設されることになれば、シューズ・ベラ島はもとより、ここタロタロを含む外南洋辺縁部全域が敵の航空攻撃の範囲内となる恐れがあり、その建設は断固阻止せねばなりません」

再びフルカワがそれを受けて口を開いた。

「とにかく建設を少しでも遅らせるため、初動として明朝に航空参謀以下司令部要員数名をシューズ・ベラへ緊急派遣し、速やかに空母翔鶴による敵滑走路への航空攻撃を実施することを決定した」

 それを聞いていたカメヤマ提督は隣にいたナス提督に小声で囁いた。

「今回はいつになく対応が早いっすね……」

今回ばかりはGF司令部も事態の深刻さ理解しているようだった。

室内がざわつくなか、ナス提督がまっすぐ手をあげ、発言を求めた。

「司令部による即時の航空攻撃の判断は、現状では最も早く且つ効果が望める対応かと思い、その判断を支持します。ただ、現時点でブ島上空からシューズ・ベラからタロタロの上空まで、制空権を辛うじて維持できているのは、各島の防空隊のほか空母翔鶴搭載の戦闘機隊によるところが大きい状況です。航空攻撃は必要な措置ですが、戦闘機戦力の温存と翔鶴の安全確保には十二分の留意をお願いしたい。そのどちらか一方でも失われる状況となれば、シューズ・ベラ、タロタロにとどまらず外南洋の戦線全体が崩壊する危険もあります」

普段ならすぐに反発をあらわにする司令部も今回はそれにうなずいた。

「ナス提督の言うことは、十分承知している。持続的に飛行場を攻撃するためにも、戦闘機はもちろん、艦爆、艦攻もいたずらに損害を増やさぬよう、直々に航空参謀を派遣し直接翔鶴を督戦するつもりだ」

フルカワ長官代理はナス提督にそう応えた。

「航空攻撃はあくまで初動対応の一つにすぎず、それに加えて継続的に当地の制空権を維持できるよう、速やかに第二、第三の対応策を策定する。故に、各提督にあっては、迅速に作戦行動に移れるよう、指揮下艦隊の即応体制を高めよう求める」

フルカワ長官代理がそう檄をとばし、会議は解散となった。

 黙って聞いていたトビウメ提督は、生気のない濁った目で黒板に貼られた写真を見つめた。

「もし僕が酔い止めの薬をもらい忘れてなかったら、こんなことにはならなかったのかな……」

――司令、いけません! あんなメンヘラ戦艦のことなど忘れて、これからの事を考えていただかなくては!

不知火は提督を励ます言葉を探して脳がフル回転状態となったが、表情には微塵もそんな気持ちを表さず、余所行きの仏頂面で答えた。

「仮にあの場ではああならなくても、山城なんかに乗っていれば遅かれ早かれ、同じ状況に陥っていたでしょう。せめて海戦中にああならなかっただけ、幸運だったと思うべきです」

一応、不知火なりに精一杯慰めているつもりなのだが、トビウメ提督を憂鬱の淵から引き上げるには至らなかった。

「司令、今はとにかく司令部の次の方針を待ちましょう。それまで、わたし達は艦娘の体調管理や保守などで即応体制の維持することが大切かと……」

「了解、そうだね……」

トビウメ提督は納得し、秘書艦とともに会議室を後にした。

 

 同じ頃、情報部では司令部要員らが、現像した偵察写真のネガを使い、軍令部への報告用に偵察写真を焼き増しする作業に追われていた。印画紙に焼き付けを終えた写真はすぐに乾燥作業に入り、厳重に封筒に納められると、翌朝、日の出前に飛行艇桟橋に準備した特別連絡機となる九七式飛行艇に乗せられ一路、本土の軍令部へ向けて飛び立った。

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