艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ   作:Piyodori

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逢引き

 不安定な戦況に翻弄されることなく、タロタロ泊地、シューズ・ベラ泊地の運営を支える基地司令部の一般職員らは、連合艦隊司令部の混乱も後目に、粛々と自分の仕事に打ち込んでいた。

 多岐にわたる業務のなかの一つに、島と周囲海域の気象観測を担う気象部が置かれていた。気象観測は海上の軍事作戦の遂行に不可欠なものだった。戦局が風雲急を告げる中でも、両島の気象部はこれまでと変わらず、島内の測候所や近海に観測船を送り出し、周辺の気象状況の把握に務めていた。

 最前線の海上で、まともな武装もない、排水量が百トンにも満たない小型船が単独で行動するのはとても危険なことだったが、両島の気象部の担当部員らは日々、気象データの収集のため、沖へ出て観測気球をあげる作業を続けていた。

 シューズ・ベラ島基地気象部所属の気象観測船六二二号は、この日も夜明け前に泊地を出港し、島の東方百浬の海上で、気温、気圧、湿度を計測してその情報を電波で発信する観測機器ラジオゾンデを空中へ放出する業務に取り組んでいた。水素ガスで丸く膨らんだ直径二メートルの白いゴム気球の下にラジオゾンデをぶら下げ、観測船が決まった海域に到達すると技官が気球を空へ放つ。気球は風にあおられつつも小さな弁当箱のようなラジオゾンデをぶら下げたまま真っ青な空に吸い込まれていくように昇っていった。

 海はやや荒れはじめ、風は強く、気球はどんどん流されつつ上昇していき、とうとう見えなくなった。観測船の乗組員達はすぐに次の気球放出地点へ舵を切り、機関を回す。彼らは気象、海象が許す限り毎日、いつ深海棲艦の襲撃を受けるかもわからぬ海上でラジオゾンデ放出の業務を続けていた。そして、彼らの危険な業務により南大平洋の虚空に昇ったラジオゾンデは、シューズ・ベラ島の受信基地へ向けてその地点の高層気象情報を電波で発信し、各島の気象班はそれを元に周辺海域の大まかな天気図の作成に取り掛る。

 六二二号が放出したラジオゾンデの観測情報を受信したシューズ・ベラ島気象班の職員らは、そのデータをもとに作成した天気図を前に職員らは腕を組んで唸った。

「風がますます強くなりそうだな」

「観測船も、東南東15メートルの風を報告しています。島のはるか北東の海上に大きな低気圧が近づいていますね」

「いや、低気圧で済めばいいが、下手するとサイクロンになるかもしれんぞ」

一人がそう言ったので、他の職員らは顔を見合わせる。

「それは厄介だな……。観測船の連中には酷だが、こまめに気球をあげるようにしよう」

一同はそううなずいた。彼らがまとめた気象データはすぐにタロタロ島の連合艦隊司令部にも共有された。

 

 

 外南洋戦線の危急も未だ届かいない、メジロ島の朝。今日も基地は平常通り。マツエダ提督は日課の決裁書類を処理し万年筆で形式的な報告書を書き終えると、司令部の厨房へ足を向けた。

 マツエダ提督に今後の予定は入っていない。手鍋にタマゴを二つ入れてゆで始め、薄切りの食パンにハムやチーズ、レタスなどを適当にのせていく。卵が茹で上がるまでにツナ缶を開け十分にマヨネーズと混ぜてから手早く食パンにのせて、さらに上に食パンを敷いてから鍋の蓋で上から押しつぶすように圧をかけて挟み込んだ。

「し、司令官? どうされたんですか? 空腹でしたら、わたしが何かご用意しますよ?」

厨房に入ってきた春雨が、エプロン姿で調理台に向かっているマツエダ提督を見て、驚きの声を上げた。というのも、普段提督が厨房にやってくるのは、たいてい夜遅くに酒のつまみを都合しに来る時くらいだったからだ。

「ちょっとお弁当をね」

「て、手伝います」

春雨が慌てて手を洗い始めたので、マツエダ提督はそれを止めた。

「そっちは仕事中だからいいよ。私はこれからちょっと出かけてくるから、これはそのお弁当だよ」

「そ、そうですか……」

「えーと、今日の秘書艦当番は衣笠君だったね?」

「はい。今三日月ちゃんと菊月ちゃん、清霜ちゃんが哨戒に出発しました」

そう言っている間に、沸騰した鍋のなかで卵がごとごと音を立てながら踊り始めた。慌てて提督はコンロを止める。

「夕方までには戻るから、衣笠君にそう伝えておいて」

「はい、了解です! あと高雄さんにも伝えておきますね」

春雨はそう言って敬礼すると厨房を後にした。

 マツエダ提督は、自分が無意識に高雄の事を頭から締め出していたことに気が付いた。今、高雄は市街に買い物に出ていて留守で、そのことはマツエダ提督も早朝から知っていた。無意識に、高雄が留守中に基地から出かけたい気持ちがあったが、実はマツエダ提督は自覚的にそうしている気持ちはほとんどなかった。

 マツエダ提督は時計を身ながら、器用にゆで卵の殻を割り、それをしゃもじでできるだけ細かく、そぼろ状になるまで砕くと、マヨネーズを加えてよく混ぜ合わせた。それにパセリをふってから二枚の食パンに挟んでいき、それも上から鍋のフタで押しつぶす。荒い出来ながらも、タマゴ、ツナ、ハムのサンドウィッチが完成した。マツエダ提督はそれをバスケットに詰めると、エプロンをとって執務室で私服に着替えた。

 マツエダ提督はカンカン帽とバスケットを手に艦娘用の宿舎にやってきた。これまではあまり入らないようにしていたが、どういう訳かここ最近はすっかり気後れしなくなってきた。

 向かったのは那智の個室の前だ。マツエダ提督は数日前から、那智が今日非番であることを把握していた。マツエダ提督は一回深呼吸した。

――怖気づくな。グイグイいけよ

そうして軽くノックすると、すぐにはい、と返事がありドアが開いた。那智はいつも通り、白ブラウスにタイトスカートという出で立ちだったが、髪型だけは、いつものサイドテールではなく、首の後ろで一束に結ったスタイルだった。

「マツエダ司令……。急にどうしたんだ?」

少し怪訝な表情ながら那智が尋ねる。普段とは少し変わった雰囲気の那智に見とれつつ、マツエダ提督は胸を張るように、やや強引な口調で言った。

「那智君は今日非番でしょ。わたしも暇なんだ。もし都合がつくなら、少しドライブしないか? いいよね?」

那智は少し驚いた様子で私服姿のマツエダ提督の様子を見る。

「お弁当も作ってきたんだ。だからちょっとつきあってほしい」

「ああ……、じゃあ、承知した。支度をする」

いつになく押し気味な提督の様子に驚きつつ、那智はそう答えた。

「そうだ、那智君。どうせなら、あのワンピースを着て来て欲しい」

「はぁ……」

那智は少し頬を赤くして困惑の声を上げる。マツエダ提督はようやくいたずらっぽい笑みを浮かべ、そう那智に追い打ちをかけた。

「これは命令だと思ってもらっていい。だから、ね?」

こんな馬鹿げた命令もあったものではないのだが、マツエダ提督は最近、那智がこういう言われ方に弱い事に気が付いた。

「貴官も時々、妙な事を言うな……。承知した、ちょっと待っていてほしい」

那智はちょっと呆れた顔を見せつつもそう言って、一度ドアを閉めた。

 那智がワンピースに着替えて司令部庁舎の前にやってくると、黄土色の国防色に塗装されたくろがね四起が停まっていて、運転席にはカンカン帽を被った提督が座っていた。マツエダ提督は改めてワンピース姿の那智をしみじみと眺めて言った。

「うん、良く似合ってる……」

「あまりからかわないでくれ……」

「からかってなんかいやしない。さぁ乗って」

那智は顔を赤くしてうつむく那智に、マツエダ提督はそう言ってイグニッションを回し、くろがねのエンジンが音を立てた。

「貴官は運転ができるのだな」

「もちろん。実はかなり久しぶりだけど、まぁ見ていてよ」

マツエダ提督は自信たっぷりにそう言うと、ギアをいれてアクセルを踏み込みながらクラッチペダルを上げるが……。あまりに勢いよくクラッチを上げすぎたせいで、くろがねはガタガタと大きく振動し、エンストしてしまった。

 余りにもコミカルすぎる展開に、助手席の那智は思わず吹き出してしまった。

「貴官、本当に運転できるのか?」

「ごめん那智君。実は嘘をついた。その、実は運転は苦手なんだ。でもできないわけじゃないから……」

マツエダ提督もつられて大笑いしながらそう弁解した。心なしか、二人の間の空気が打ち解けたものになった。

「わたしが代るか?」

「いやいやいや、大丈夫。誘ったのは私だ。すぐに勘を思い出すさ」

 そう言って、マツエダ提督は再びエンジンをかけてゆっくりクラッチを繋ぐと、くろがねはゆっくり動き出した。

「さぁ出発」

 ギアチェンジの衝撃はやや強めながらも、二人を乗せたくろがねは基地のゲートを抜け、メジロ島の環状道路を南に向けて走り出した。

 二人を乗せたくろがね四起は往来のない未舗装の砂利道を走っていく。左手には灌木かジャングルが続き、右手には小さい砂浜と真っ青な海が広がっている。マツエダ提督の運転は、途中しばらくは変速するたび大きなショックを伴ったが、段々慣れてきたようで二十分も走ったころにはスムーズに運転するようになった。

 助手席にいた那智は、ふとトビウメ提督にくろがね四起の運転を教えた時のことを思い出した。トビウメ提督は何度練習させても、なかなかスムーズに運転できず、結局運転が必要な時は那智がハンドルを握ることになった。それに比べれば、マツエダ提督は運転の素養があるようだ。

 那智はそれを思い返してフフっと笑う。マツエダ提督はハンドルを握りながら那智の横顔に視線を送り、笑う。

「何か面白い事でも?」

「いや、上達が早いと思って……」

「お褒めに預かり光栄だな」

 海に沿ってしばらく走ると、太陽の位置が先ほどとは真逆になってきた。メジロ泊地は島の北西部に位置し、車はその西端から反時計回りに島の南岸にやってきた事が分かった。

 小さな岩場とラグーンに挟まれた、砂浜の前にさしかかったところでマツエダ提督はくろがねを止めた。

「どう、綺麗なところでしょう? この島は南西から風と波が強くて南岸にはほとんど人家がないんだが、この一角はあの岩場が壁になってとても穏やかなんだ。鬼怒君は駆逐艦をつれて、ここまで釣りに来たりすることもあるらしい」

 二人はくろがねを降りてヤシの陰に腰を降ろした。ここも波と風の音だけがする静かな場所で、戦争も、司令部も、町も、様々なしがらみから隔絶されたと錯覚すらしそうな空間だった。

 二人はしばらく、黙ったまま、ラグーンをこえて穏やかになった波が浜辺に押し寄せて白い泡を立てる音に聞き入っていた。時折風がヤシの葉をカサカサと鳴らす。

 ふと那智は、今までこんなに戦況や日々の業務から離れて、周囲や自分を見つめなおす暇があったか思い返した。トビウメ提督が着任する前の提督が自分の元から去っていった時、しばしこんな時を持った記憶があったが、それを思い返すと心が鎖で締め付けられるような苦しさを感じた。考えてみれば、トビウメ提督が着任して以来のこの半年余り、そんなことを考える必要もないくらい、日々はせわしなく、それでいて奇妙な満足感に満たされた日々だった事を思い出した。だがそれも今や過去の事だった。

――わたしはこれから、ここで生きていく。もう二度とわたしを信じてくれる者の期待を裏切らないように……

 那智はラグーンに寄せる波の泡をも見つめながらそう自分に言い聞かせた。

「もうこんな時間か。ランチにしよう」

 マツエダ提督はふと腕時計を見て立ち上がると、くろがねから籐製のバスケットを持ってきた。

「お弁当にしよう那智君。味は保証しないがね」

マツエダ提督はそう言って那智にコップを渡し、バスケットを開く。そこには、マツエダ提督がつくったサンドウィッチが詰まっていた。

「まさか貴官がつくったのか?」

「だから味は保証しないって。遠慮はいらないよ」

提督は一つつまんで自分の口に押し込んだ。那智も遠慮がちにツナサンドを一切れ手に取りかじってみる。ツナとマヨネーズを混ぜた塩味が心地よく那智はすぐに二口目をかじり、あっという間に一切れ全部を口に押し込んだ。気を利かせて、提督が水筒からほうじ茶を錫性のコップに注いで那智に渡す。那智はサンドウィッチを飲み込んでから驚いたように言う。

「美味いぞ。驚いた、貴官にはこんな特技もあったのだな」

「褒めすぎだな。他のも食べてみて」

二人はしばらく、波の音を聞きながら、サンドウィッチを楽しんだ。

「タマゴも美味かった。それでも、わたしはツナが一番気に入ったぞ」

「本当? なら今度、夜に一杯やるときまたつくるよ」

 ランチを終えて二人は波打ち際までやってきた。

「貴官は着任以来、ずっとこの島にいるのか?」

「ああ、出張や作戦の都合で一、二度、北方戦線や本土に出たことはあるけど、この二年余りほとんどこの島で過ごしてきた。私は提督の中では、かなり運のいい部類みたいで、この世界に飛ばされる直前の災難はよく覚えてないんだ。旅行で友人と夜行バスに乗って寝入っていたら、いつの間にか常夏の砂浜に放り出されていてね。すぐに高雄ちゃんが飛んできて、朦朧としてる私をやさしく介抱してくれた。その後、先任の提督仲間らに色々聞き込んで判ったのは、夜行バスが大事故を起こしたらしくて、寝ていた私は体が急に宙に浮いたような感覚以外、真っ暗闇の中、痛みも恐怖も感じずにこの世界へ来ることができたんだ。そのことは、素直に感謝するべき事なのかもしれない」

そう言って、マツエダ提督は胸ポケットに挿していた黒い万年筆を手に取った。クリップの金メッキはほとんど剥げかけ、エボナイト製のペン軸は良く使い込まれているせいか、うっすらと艶が出ている。

「私は前の世界では、万年筆を集めるのが好きだったが、結局、こっちの世界へ一緒に持ってきたのはこれだけだった。大学に上がった折に、両親からプレゼントされた物で、確かに一番大切な一本をこっちへ持って来られたのは良かった。ただ今でも遺してきた両親の事を考えると、時々辛くなる……」

マツエダ提督は掌の万年筆を見下ろしながら言った。

 那智は黙したままその万年筆を見つめた。こちらの世界に来る提督は、何故か一つだけ、前世から愛用品を携えて着任する。持ってくる物は提督ごとに様々だが、それについて以前に姉の妙高が興味深いこと言っていたのを、那智は思い出した。

『ご自身の愛用の品を大切にされている提督に悪い提督はいないわ。かつて「物」であったわたくし達には、その理由が解るでしょう?』

それを聞いたとき、那智は今一つその言葉の意味を深く理解はしなかったのだが、今になってみると、妙高の言葉の正しさがよく解る。

 戦場の指揮官としてのマツエダ提督の能力について、那智はまだ正確に評価することはできなかったが、無意識にこの提督が自分の前任の提督と同様に、信じるに足る人物と認識しつつあった。

 さざ波がやさしく打ち寄せては引いていく音、そしてヤシの林を風が吹き抜ける音だけが耳に聞こえてくる。マツエダ提督はここへ来ると、いつも世界に存在するのが自分達だけになったような感覚になる。今世界には自分と那智しかいない。ふと、基地も海軍も深海棲艦も提督という責務も、すべて無くなって、自分と那智だけがここに居られればいいなという思いに囚われた。自分が今愛している艦娘は、そんなマツエダ提督の夢想も知らず、そばにしゃがんで波が打ち寄せるたび、まるで液体のようになる砂に手を浸して海の水を感じていた。

 しばらく続いた沈黙を破ったのは那智の方だった。

「貴官は……、貴官は何故、戦艦山城を手放してまで、わたしを迎えたんだ?」

那智は顔を上げず、さざ波が作る泡ができては消える様を見つめながら不意に尋ねた。そりゃあ……と、マツエダ提督は言いかけて一度言葉を呑んだ。少し迷った様子を見せながら続ける。

「もちろん、第一次ブーメラン島沖海戦の最高の武勲艦を艦隊に迎えたかったから……というのは、半分嘘だ。君は最高の巡洋艦。私の艦隊にいる限りそうなんだ。重巡としての誇りに疑問を感じさせるようなことは、ここにいる限り絶対にさせない……」

言ったマツエダ提督自身も、ずいぶん勢い重視のキザな台詞だと思わなくもなかったが、その言葉に嘘はなく、敢えて攻めることにした。那智は少し驚いた表情で提督の顔を見上げた。

「しかし……、わたしに、わたしに戦艦は倒せない……。戦艦の相手は務まらないんだ」

「はて、本当にそうだろうか? 私は恥ずかしながら、戦艦とさしでやり合ったことはないが、是非那智君に乗って一緒に戦艦を沈めてみたい。勝機は十二分にあると思っている」

那智は驚きのあまり押し黙った。正直、そんな事が出来ようとは思っていないが、マツエダ提督の言葉にはその疑問を許さない自信があった。

――那智君、君への信頼は決してトビウメ君の専売特許じゃないんだ

マツエダ提督はそう思いながら、那智に微笑んだ。

 

 夕食に間に合う時間に合わせ、那智とマツエダ提督を乗せたくろがねが基地へと戻ってきた。司令部庁舎の正面玄関前にマツエダ提督がスムーズにくろがねを停車させた。

 エンジン音を聞きつけ、すでに町から戻ってきていた高雄が玄関から顔を出した。

「提督、お帰りなさ……」

高雄はそこまで言いかけ、口ごもる。高雄は普段通りのやさしい笑顔で出てきたのだが、その表情は一瞬で凍り付き、堅いものになった。

「ああ、ただいま。高雄ちゃんも戻っていたんだね。那智君に南のラグーンを案内して来たよ」

マツエダ提督は、高雄の様子を気にする様子もなく、そう言ってくろがねから先に降りると、降車する那智をエスコートしようと手を差し出した。

 那智は高雄の一瞬の変化を見逃さなかった。わずかな瞬間だけ、高雄の顔は驚愕、疑問、拒絶などの感情がない混ぜになった、とても恐ろしい表情になったが、一瞬後には、弱々しい、ぎごちない笑顔を浮かべていた。

――やはり、高雄から見ると、そうか……

那智は困惑し、何とか高雄の誤解を解かねばと思い巡らすが、今日のドライブを経て、単純に誤解と片づけられないと思い至った。もしこれが高雄の早とちりなら、那智にとって大した問題にはならない。ただ、今日のドライブで、那智はマツエダ提督との距離が確実に近くなったことを意識していた。那智の抱く感情は、きっと高雄が提督に抱いている感情とは究極的に異なるものだと思っているが、そのことを高雄は理解してくれるだろうか。それに、マツエダ提督は高雄にいったいどういう感情で向きあっているのだろう。

「今日の夕飯は何かな?」

那智の疑問もよそに、マツエダ提督は気楽な様子で聞いた。

「え? ええと、ちょっと厨房に聞いてきますね」

提督に問いに、高雄はすぐに背中を向けて逃げるように庁舎の玄関口へ戻っていく。

――私自身が、自分のことをはっきりさせておかないと、この艦隊に迷惑をかけることになるかもしれない。ただ……

ただ、艦娘の性がその警戒心の邪魔をした。真正面から重巡洋艦として必要とされ、存在を求められること、それは那智の心を癒し、またとても甘い誘惑となって心中を浸食しつつあった。那智は楽しい一日を過ごした高揚感と言葉にできない居心地の悪さという、相反する気持ちを抱えつつ、二人の背中を見送った。

 

 

 はるか東の海の果て、ブーメラン島の南部、通称六〇台地と呼ばれる平坦な高台では、甲殻類のような形のブルドーザーがエンジンのうなり声を上げて赤土の泥を圧迫して整地し、すでに一部では丸い排水穴の開いた鉄板の敷設が始まっていた。そんななか、地面に突き刺さったビーチパラソルの日陰から、深海棲艦の上級指揮ユニットの一体、集積地棲姫は照りつける太陽を忌々しそうに見上げた。

 集積地棲姫は地区の戦略司令部から、一刻も早くブ島に滑走路を建設するよう命じられていた。基地の施設建設が整い次第、飛行場姫が上陸しシューズ・ベラ、タロタロをはじめとする周辺の島々へ本格的な航空攻撃を開始する手筈になっている。

 集積地棲姫は気だるそうな表情で、黒縁眼鏡のレンズにつたった汗をふき取った。クラゲ海岸での大規模な味方上陸軍と物資の迎い入れと、飛行場の建設をたった一人で監督するのは、深海棲艦の彼女にとっても非常に難しく、多忙を極める作業だった。

 もう一つ、彼女を苛立たせたのは、ここ二~三日、毎日飛来する敵の高速偵察機だった。その後には大規模な空爆を仕掛けてくる可能性が高いと踏み、集積地棲姫は地域司令部に飛行場の建設現場を守る防空兵器を要求した。司令部の対応は早く、昨日の午後にはすでに湧出海域から口径40ミリの対空機関砲や90ミリの高射砲を積載したワ級輸送艦がクラゲ海岸沖に到着し、集積地棲姫は翌朝までに工事現場を囲むように地対空防衛陣地を構築することができた。

 防空レーダーサイトが北方の海上から迫りつつある機影を探知したのはその日の午後遅くだった。集積地棲姫はすぐに空襲警報を鳴らすとともに広大なグラウンドのようになった台地の上に散らばる建機に、ジャングルへ退避するよう指示を出し、敵の襲来に備えた。

 十数分後、はるか上空にキラリと光を反射する物が見えたかと思うと、ライトグレーの九九式艦爆が一斉に飛行場や建設中の工事現場、退避が間に合わなかった工作機械めがけて真っ逆さまに降ってきた。

「来イ、全部叩キ落トシテヤル!」

六〇台地に航空機の発動機と急降下爆撃機の風切り音が響く、爆弾の着弾と共に大地が震えた。それを追うように、周辺のジャングルに隠蔽した防空陣地が火を噴いた。

 あっという間に空に黒い綿菓子状の爆炎いくつも咲き、直撃を食らった艦爆が真っ赤な炎と煙を曳きながら螺旋状にのたくって墜ちてくる。

 退避が遅れた貴重な工作機器や建機の一部が爆弾で吹き飛ばされ、集積地棲姫は顔をしかめたが、低空まで飛来して爆弾を投弾しようとする艦爆は、次々に炎を吹きながら墜ちていく。

 すでに対空レーダーは第二波が西方から島に接近して来るのを探知しており、集積地棲姫は歯ぎしりしながら弾薬の供給を命じた。

「イマイマシイ艦娘ドモ……」

敵の攻撃は心配していたような大規模なものではなく、第二波の撃退は難しくないだろう。ただ、爆撃によってせっかく整地した地面には大穴があき、建機に被害出れば作業能率が低下するため、工期の遅れを気にしている彼女はいっそうイライラさせられた。

――シカシ、司令部ハ一体、何ヲ考エテイルンダ……

ブーメラン島の北半分に立てこもっている敵戦力は、現状いつでもひねりつぶせる状況だったが、なぜか地域司令部は敵を陸海の両面で包囲後、いたずらに侵攻ペースを遅らせるよう命じてきた。彼女としては、早く攻め込んで陸軍部隊をことごとく喰い尽した後、この戦線を飛行場棲姫に引継ぎ、早く静かで平穏な海の底に戻りたくてしかたがなかった。深海棲姫はその苛立ちを、襲来する敵航空部隊にぶつけるかのように、全防空陣地に発砲開始を命じた。

 

 

 ブーメラン島の遥か北西の海上。将来への不安要素を多く抱えながらも親密さ深めることになった那智とマツエダ提督の「逢引き」とは対照的に、空母翔鶴の羅針艦橋で艦娘の翔鶴は、微塵も楽しくない「逢引き」を強いられていた。飛行艇で突如派遣されてきた連合艦隊司令部付の航空参謀が、作戦行動や戦いぶりを監視、指導する、いわゆる「督戦」するために乗り込んできて、護衛の駆逐艦四隻とともに緊急出撃することになったのだ。翔鶴自身も現在の戦況の厳しさはよく理解していたので、第二次ブ島沖海戦で喪失した航空機の補充を待たずに、指示通り再びブーメラン島沖まで進出し、手持ちの稼働雷爆機二十三機をかき集めて発艦させた。

「参謀、第一派艦爆隊、攻撃を開始しました。続けて第二波の艦攻隊も水平爆撃に入ります」

翔鶴が艦橋で、艦載機からの電信連絡を受信しつつ、折りたたみイスにすわった航空参謀に報告した。

「うむ、とにかく滑走路にできるだけ穴をあけろ。それからできるだけ建設機械を破壊しろ」

航空参謀は軍刀を体の前で抱えつつ、威圧的にそう命じた。この参謀は、密室となった艦上で艦娘へセクハラ行為に及ぶ様な不届き者ではなかったが、目下と判断した相手の前では自分の苛立ちを遠慮なく放出するタイプの男だった。

「はい!」

翔鶴は真剣な表情で即答し、指揮下の艦載機に目標攻撃を命じた。

 しばらくすると、参謀は神経質そうに両ひざを小刻みに貧乏ゆすりさせながら翔鶴に詰問した。

「戦果は? 戦果はどうなんだ?」

翔鶴は遥か南東の戦線に展開している航空隊の管制に意識を注ぎながら、お待ちくださいと応じる。翔鶴は艦載機の動きや反応を感じとり、奥歯を噛みしめた。すでに敵の防空砲火により大きな損害が出ており、管制できる機体がみるみる減少していくのが判った。攻撃を終えた艦載機から簡潔な状況報告が無電で届く。翔鶴はその報告を脳内で翻訳しつつ言った。

「敵は、最新の偵察情報には無い強力な防空陣地を構築したようです。対空砲火は熾烈で、攻撃隊に大きな損害が出ています」

「くそっ、ではまず敵の防空陣地を叩かせろ! 滑走路や敵の建設機器を叩くのはそれからだ!」

参謀は顔をしかめながら怒鳴る。

「参謀、残念ながら攻撃目標を分散できるほどの攻撃力はありません。第二次攻撃の可否もわからない状況です」

「なら戦闘機隊はどうだ。小型の爆弾や機銃掃射でも、少しは敵に打撃を与えられるだろう」

「命令書には、戦闘機の損失だけは厳に慎むようにと強く指示されています。戦闘機隊を攻撃に投入すれば、制空権の確保も危うくなります」

「くそ、そういえば、そうだったな……」

参謀は翔鶴の言葉により、夜中の作戦会議のことを思い出した。

「攻撃隊、攻撃を完了。全機帰投させます。第一波攻撃隊の損失七機、第二波攻撃隊損失四機……」

翔鶴が辛そうな表情で報告した。参謀はそれを聞いて一瞬言葉を失う。

「損失十一機……、戦力半減ではないか!」

「はい、とにかく全機帰還させて第二次攻撃に移り……」

 翔鶴がそう言いかけたとき、直衛として右舷七百メートルを航行中の駆逐艦秋月から発光信号が届いた。

――方位一一〇より魚雷!

一瞬後、秋月が発した警笛が翔鶴にも届く。

翔鶴はすぐに艦橋から旗甲板に飛び出し、後方の海面を凝視する。今日はうねりが強く、青黒い海面に白い波頭が目立ち、まだ魚雷の航跡は見えない。

すぐに自艦に機関全速、取舵一杯を指示してした。

「参謀、魚雷が来ます。何かに掴まってください!」

厳しい表情に一変した翔鶴は、動揺する参謀にそう伝えて、脳内で艦全ての見張り所からの情報を集約した。

――敵の潜水艦がいるわ。それも複数……。敵は味方よりも遥かに先を読んで攻めてくる……。瑞鶴、提督、この戦線、支えきれないかもしれません

翔鶴は毅然とした表情の裏で、そんな弱気の虫に襲われ始めていた。

 

 

 夕刻、タロタロ泊地。昨夜から、提督や軍の上層部を覆う緊張感もまだ艦娘や一般の社会には届いておらず、その日、艦娘の足柄は工廠部で艦のメンテナンスの計画など打ち合わせを済ませただけで、暇を持て余しながら過ごしていた。先の海戦で一緒に戦った提督も、何やら忙しそうで顔を合わせることもなく、足柄はどことなく満たされない心持ちで過ごした。もっともそんな理由のない不満や鬱屈感の原因だけははっきり判っていた。姉を辱めただけでは飽き足らず、実に下らない不始末のせいで先の作戦全体をオシャカにしたあの男の存在だ。もし顔を合わせるようなことがあれば、恨み言や嫌味の一つでも言ってやるところだが、ここ数日まったく姿を見なかった。それもそのはずで、トビウメ提督は完全に世間をはかなんで、重巡加古の士官室に引き籠り、提督としての義務以外のことでは、かたくなに上陸を拒んでいた。

 足柄は再びトビウメ提督ことが頭に浮かびイライラしてきた。

「ああ、まったくムシャクシャするわ……」

足柄は内火艇で湾の中央で錨泊している自分の艦に戻ることにした。今日は風が強くなり、足柄の髪が大きく風になびき、湾内でもうねりで内火艇が大きく上下に揺れた。

 足柄が自分の艦の係船丈に内火艇を繋ぎ甲板に上がると、舷梯近くの甲板に軍用郵便の郵袋が置かれていた。留守中に郵便の配達があったようだ。

――郵便が来ていたのね

足柄は郵袋を拾いあげて自室として使っている艦長室に上がった。書類や本、化粧品や衣服、ダルマの空き瓶などで乱雑に散らかった室内で唯一スペースが開けているベッドの上に中身をぶちまけると、足柄宛の封書やハガキが散らばった。

 足柄は大切なものとそうでないものを適当により分けた。ほとんどは仕事上のつまらない通知や本土の化粧品店や洋品店からのダイレクトメール、また以前どこかで会ったが、今では顔すらよく思い出せない提督達からのラブレターなどだった。足柄はつまらそうにそれを拾って確認していくと、なかに姉の妙高からの封書があった。他の手紙に比べ、それだけずっしりと重い。足柄は嫌な予感がしつつも封筒を破って三つ折りになった便せん四枚分の手紙を広げる。便せんには、妙高らしいやわらかい筆致ながらも、びっしりと隙間なく文がしたためられていた。

『足柄へ

 元気にしていますか? 外南洋の戦局の慌ただしさはこちらにも届いていて、日々心配していますが、貴女が無事に帰還できとても安堵しています。今回文を送ったのは、貴女の行動でどうしても看過できない振る舞いがあったと伝え聞いてしまったからです。聞くところによると。貴女は事もあろうに、他所の艦隊の指揮官に詰め寄って乱暴狼藉を働いたというではないですか。それも相手は那智の元指揮官にあたる方だったと聞いています。以前から、貴女は日頃の言動に慎重さを欠き、感情的に過ぎるきらいがあったため、以前から大変心配していましたが、まさか、またこのような不品行な行いに走ってしまったと知り、姉として恥じ入るばかりです。

 本来ならば直接タロタロ島まで赴き、直接貴女に非を改めさせるべきところですが、目下の戦況でそれもままならないため、止むを得ず、この文にて貴女に……』

 

 足柄はそこまで読んで、げんなりした表情で便せんを放り出した。続く便せん三枚半にわたり説教の文句が延々と続いている。とても今すぐに全部を読む気にはなれず、また何を書いてあるかは、読まずともほとんど想像できてしまった。

「どうしてあんなことまで、妙高姉さんが知ってんのよ……」

封書の消印を見ると三週間前の日付だった。いつも大海原のどこかの島々を移動している艦娘向けの軍用郵便としては早く到着した部類だ。封書はまだある。足柄がいくつかそれらを改めると、別の姉妹艦からの封書もあった。

「あら、那智姉さんからも来てるわ。何かしら」

那智からの封書は一週間前と妙高からの手紙よりかなり早く到着したようだ。足柄は封筒を破いて便せんを取り出す。手紙は便せん二枚に、那智らしいかっちりした筆跡で簡潔な言葉でしたためられていた。

 足柄はしばらく黙って手紙に目を走らせていたが、しだいに手を震わせ表情を険しくし、途中で便せんを床に放り捨てた。

「はぁ? 何考えてるのよ! なんであんな奴のこと!」

二枚の便せんはひらひら舞いながらリノリウムの床にゆっくり落ちる。しばらく足柄は肩をいからせ、ベッドに乱暴に腰を降ろし、この苛立ちをどうしてくれようかと唸っていたが、最も親しい姉からの文をそのままにしておくこともできず、便せんを拾いあげた。

 

『我が妹、足柄へ

 先の海戦の帰趨はこちらでも把握している。結果は誠に残念に思うが、これに気落ちすることなく、次の海戦では十二分に任務を完遂できることを祈っている。

 幸いわたしは新しい泊地で、これまでと同じくらい良い提督と良い仲間に恵まれ、日々充実して過ごさせてもらっている。今回の急な転属はあくまで戦略上の要請から起きたことで、わたしも十二分に納得し受け入れてのことだ。だから決して前任の指揮官であるトビウメ司令を責める筋の話ではないことを、重ねて念押ししておく。

 今回文をしたためたのは他でもない、そのトビウメ司令のことだ。貴女はきっと、これからわたしが頼むことに強く反発するかもしれない。だが、わたしが今頼みにできるのは、もっとも気心の知れた妹の貴女しかおらず、無理を承知で敢えて頼むしだいだ。もし、トビウメ司令が今困っていたり、頼る者がない立場に陥っていたら、是非貴女が助けて、その力になってやってほしい。トビウメ司令の元には今、不知火がいるので、きっと精一杯補佐しているだろうし危険な目に遭わずには済むとは思っている。それでも精神的な支えや不測の事態へ柔軟な対処が必要な場面となると、不知火一人では支えきれないことも起こるかもしれない。あの者が、もしそんな状況に陥った際には、わたしに代わって貴女が手を差し伸べてやってほしい。きっと頑固な貴女はこの手紙を読むのを途中で止めて引きちぎるかもしれない。だが思い出して欲しい。初めて我々三人が顔を合わせて作戦に参加した時のこと、敗走する敵艦隊を貴女が深追いしすぎ、作戦後に艦隊司令からけん責のために貴女に出頭命令が出た時、わたしと一緒にトビウメ司令も謝りについてきてくれたこと、貴女も決して忘れてはいないと思う。

 あの者は絶望的な戦いのなか、最後までわたしを信じてくれた、ただ一人の指揮官だった。どうか貴女がこの姉の意を汲んでくれることを切に願う。那智』

 

足柄は手紙を持つ手を力なく降ろした。いつの間にか日も沈み、すでに艦長室内は薄暗くなっていた。

「姉さん、やっぱり馬鹿よ……」

足柄はそう、肩を落としてつぶやいた。




 やっと更新できました。恋愛の描写って本当に難しいですね……。
登場人物の心情をどこまで描写して、どこまで匂わせにとどめるかのさじ加減が全然わかりません。きっと読書が足りていないんでしょうね……。
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