艦隊これくしょん The Bridge 君でないとだめなんだ 作:Piyodori
「貴様、しっかりしろ! おい! おい! 目を開けろ!」
そんな那智の声にはっとしてトビウメ提督は目を開けた。うっすらと煙が立ちこめるなか、自分を助け起こそうとする那智の顔と、破断した伝声管や通信ケーブルが垂れ下がる指揮所の天井が見えた。険しかった那智の顔に安堵の笑みが広がった。
身を起こそうとしてあたりを見回し、まるで竜巻が通り過ぎたような惨状の主砲指揮所の真ん中に倒れている自分のことがようやく理解できた。
こんなことはしていられない。今は戦闘中だ。ようやく記憶と意識がそこまではっきりしたので跳び起きようとするのを那智が押しとどめた。
「よせ、まだだ! この指、一体何本に見える?」
那智はそう言って提督の目の前で人差し指を立てる。
「一本……」
「よし、耳も聞こえるようだな。わたしの顔がはっきり見えるか?」
改めて那智の顔をまじまじと見つめ、提督の表情が曇った。
破片で切ったのだろうか、那智の頬にできた一筋の裂傷から大きく血が垂れ、襟元までを赤く染めている。
「そっちこそ、怪我してるじゃないか!」
なんとも場違いなことだが、那智の端正な顔にそんな傷がついてしまったことに、提督はやるせなさと怒りが沸き起こって来るのを感じていた。もしも凛々しくも美しい那智が、大口ばかり叩くポンコツ軽巡みたいなキズモノになってしまったら、トビウメ提督には悔やんでも悔やみきれないことだ。
「これくらいの傷なんてことはない……。それより、もし貴様が目を覚まさなかったらと、こっちは生きた心地がしなかったぞ」
那智は自分の傷など気にする様子もなくそう言ったが、それでも提督の怒りと不快感は収まらない。
「大丈夫。どうやら爆風の衝撃で気絶しただけだよ。幸い、大きな怪我もなさそうだし……」
トビウメ提督はそう強がりを言って腕を振って見せた。体の節々が重く痛んだが、幸い破片にやられて血がドバドバ……という状況ではないようだ。だが那智は真剣な顔のまま、提督から視線を逸らした。
「馬鹿を言うな……。一見無傷でも、爆風でノビたまま二度と目を覚まさなかった者を私は大勢知っている」
「そ、そうなんだ……」
提督は言葉もなくうなずいた。
だが、今は海戦の真っ直中だったはずだ。床に座りこんでこんな悠長に話している場合ではない。提督は那智に助け起こされてようやく立ち上がると、窓ガラスが全て吹きとんだ主砲指揮場から外の状況を見回した。
当然、那智も戦闘継続中であることは心得ていて、提督が気を失っている間も艦の管制は怠っていなかった。
左舷を見ると、火災を起こしながらやや右に傾いたタ級戦艦が遠方へ避退行動中だった。
「あいつが逃げる。攻撃できない?」
そうはやる提督に、那智は無念そうにうなった。
「すまない……。奴は仕留め損ねた。後部砲塔は沈黙、魚雷発射管と方位盤も完全に破壊され、電気系統も手ひどくやられている」
その時、左後方から低くドドーンと爆発音が響いてきた。敵戦艦の二番艦からの爆発音で、こちらも大きく火災を起こし、弾薬庫の誘爆を起こしながら、一番艦と同じく避退しつつあった。そのすぐ近くには上部兵装を手ひどくやられて煙をあげる加古と、それに並走する駆逐艦不知火の艦影が見えた。
「あの二人に救われたな。加古達が二番艦を撃退してくれた」
提督がふと自分の大切なカメラのことを思い出し、顔面蒼白になって周りを見回すと、不思議なことに、指揮所全体があれだけ攻撃を受けたにもかかわらず、愛用のカメラはレンズが割れるどころか、ボディにすらキズ一つついた様子もなく、破片で穴だらけになった海図台の縁にスリング一本で引っかかっていた。
――驚いたな。これは幸運のカメラだ……
提督は安堵と驚きを感じながら巻き上げレバーをはじいてカメラを構え、使命を果たした仲間の艦影をフィルムに収めた。次に提督は徐々に遠ざかる、宿敵たるタ級戦艦二隻へ向けて一回ずつシャッターを押した。
そうしていると、大きな砲声が後方から響いてくる。指揮所の窓から頭を出して振り返ると、煙に覆われた金剛や扶桑、摩耶などの第一戦隊主力がまだ動く主砲を総動員して敵小型艦を追い払いながらこちらについてくる。
那智ら、遊撃水雷戦隊のカウンター・アンブッシュ戦法により敵の包囲網は完全に混乱していた。少数の敵小型艦がこちらに挑んでくるだけで、今のうちに北方へ逃げれば敵のを巻けるかもしれない。
「仕上げだ。なんとしても脱出させるぞ」
那智が再び表情を引き締めて言った。提督はしばらく無言で考え込んでから、空を見上げた。
「雲が低いね、風向きわかる?」
「東北東の風、やや弱く」
「よし、煙幕張ろう」
提督の指示に那智は深くうなずいた。
「長良は初風を伴ってして北東へ避退中。加古と不知火は上部兵装をほぼ喪失しているが、機関良好とある」
先ほどから発光信号を受けていた那智は提督にそう報告した。
「加古、不知火に伝達。針路057。東南東へ向けて緩い梯形陣で各艦、煙幕展張用意! 回頭と同時に全力で吐き出す」
「承知した」
那智はすかさず、右舷でかろうじてまだ稼働する信号灯で加古達へ発光信号を送る。
「煙突をやられて、排気が悪い。この海域を抜けるころには15ノットも出ればいい方だ」
那智は少し心配そうに背後を振り返った。
「とりあえず急場をしのげれば二重丸だよ」
そう言っている間にも加古と不知火は那智を追い越して針路057に舳先を向けると、各々の煙突から、吸い込んだらひときわ体に悪そうな黒い煙を噴きだしはじめた。加古と不知火は、それぞれの缶に適正量の三割から五割り増しの重油を注ぎ、あえて燃料を不完全燃焼させて黒煙を煙突から吐き出し始めた。風上へ向かって進む二隻の後ろにはまるで黒いカーテンか屏風のように煙が海上に壁を作る。重巡那智は後ろに続く金剛へ、煙のカーテンを突っ切って脱出するよう発光信号を送り、煙幕を補強するように自らも針路を東南東へ向け、ひしゃげた煙突から黒煙を吹き上げた。
深海棲艦の流れ弾が散発的に飛んできたが、もはや組織だった攻撃ではなかった。金剛と摩耶率いる第一、第二戦隊の残存艦が辛くも煙幕の陰へ身を隠し、あらん限りの速力で北方へと離脱しつつあった。
トビウメ提督の白い上着を脱がせ、シャツの腕をまくって包帯を巻く那智に提督が言った。
「大活躍した加古とぬいぬいにはなにかご褒美をやらないとね」
「ああ、それがいい……」
「加古には、内地から低反発枕を取り寄せようか」
「ああ、ぴったりだな」
これまでずっと緊張した面持ちだった那智はようやく、クスリと笑った。
「ぬいぬいには……。どうしよう、新型爆雷とかあげると喜ぶのかな?」
「そうだな……。不知火には……そうだ。貴様が頭でも撫でてやれば喜ぶんじゃないか? ……ただし、誰も見ていないところでするんだぞ」
今度笑うのは提督の方だった。
「ははは、そんな真似したらトビウメ提督はおしまいだね」
那智は笑わず、包帯を巻き終えて端を結ぶと、その傷を包帯の上からピシャリと叩いた。
「ほら、傷は浅いぞ。ふん、判っていないのは貴様の方だ」
那智は提督の腰と羅針盤を結んでいたロープをナイフで切り落として立ち上がった。
「さぁ、我々も避退するぞ」
「う、うん」
提督は釈然としない表情で立ち上がった。
窓のなくなった主砲指揮所にも僚艦の吐き出した煙が吹き込んできた。口元をハンカチで覆いながらトビウメ提督は周囲の海を望むと、右舷側には数えるだけで十隻近い艦が炎と煙を上げて沈みかかっているのが見えた。その半数以上が味方の艦船だった。
先の冗談話でせっかく解かれたばかりの緊張が再びトビウメ提督の心中に冷たく入り込んできた。
「那智さん、あれ……」
トビウメ提督が指さす先には、中央部から真っ二つに折れた駆逐艦がまさに沈みゆこうとしていた。艦首部の錨甲板には、旗竿につかまって呆然とこちらを見つめる制服姿の少女の影が見えた。遠くて顔も艦名も知る術はなかったが、提督は凍り付いたようにその少女を見つめた。
何も判らない頃ならば、すぐにも内火艇を走らせて助けるように那智や仲間に命じたはずだった。
沈む艦の艦娘だけを決して助けてはいけない。それがこの不思議な世界の決して破ってはならない掟の一つだった。艦船そのものは艦娘の半身のようなもの、切っても切り離せない存在である。聞くところによれば、これまでも沈みゆく艦から艦娘だけを助け出してしまった提督は何人もいたそうだが、結果的に助けられた艦娘の末路はどれも良いものではなかったという。
人間に換算すれば小学校の高学年、もしくは中学生くらいになるのだろうか。その駆逐艦の艦娘は沈みゆく艦首の先につかまり、じっと重巡那智の方を見つめている。トビウメ提督はストレスのためにモゴモゴと無意識に歯ぎしりしながらその少女をみつめていたが、ふと、これは写真として記録に残すべき状況なのではという思いに駆られ、手元のカメラを見下ろした。だが、一瞬そう思ってもその腕を持ち上げてカメラを構えることはトビウメ提督にはできなかった。
少女は不意に傾く甲板に直立し、こちらへ敬礼した。
「クソッ……。これが掟か?」
不条理とやるせなさのあまり、呪うようにトビウメ提督がうなった。
「ああ、そうだ。こればかりは貴様にもわたしにも、どうにもできない……」
那智は苦しそうにそうつぶやくと、その艦娘へ答礼した。あくまで軍人のようなことをしているだけで、決して軍人になったわけではないこの世界の提督が、実際に敬礼をする機会は少ない。訓練を受けたわけでもない自分が答礼することに一瞬躊躇いを感じたものの、提督は自分で正せる限り姿勢を正し、那智に倣って答礼した。
――いかれてる。この世界もやっぱりいかれている。この世界は……この世界は天国なんかじゃない!
これまで、那智や指揮下の艦娘に囲まれ、慣れないながらも「提督稼業」をそれなりに満喫してきたトビウメ提督にとって、この死後の世界は天国のようなものなのかもしれないと思うことも度々あった。だが、今回の徹底的な敗北と眼前の不条理な現実をつきつけられ、トビウメ提督はそれが大きな思い違いであることをはっきりと悟った。
提督と那智は、その駆逐艦の艦首が煙幕の向こうに見えなくなるまで最後の時まで、敬礼した姿勢を崩さなかった。
重苦しい空気を引きずったまま、提督と那智は主砲指揮所から一階下の羅針艦橋へと移った。主砲指揮所ほどではないものの、ここも酷い壊されかたをしていて、左舷から艦橋中央までの窓はすべて吹き飛び、左舷側は火災のため、黒く煤けている。
敗残の艦隊は一路北進したのち、西のタロタロ泊地へ撤退しつつあり、艦隊陣型もあったものではなく、各艦出せるだけの速力でひたすら泊地を目指して機関を回して逃げ帰ろうとしていた。当然、機関系や操舵系を損傷している艦は次々落後し、五ノット以下でよろよろと走る艦もあった。
「マズいな……。これじゃあ格好の狩り場だぞ」
那智が渋い顔で避退しつつある残存艦を見回した。
「空からかな? それとも下から?」
「空から来られたら全滅だ。 空母の位置が気になるが、もはや知る術がない」
「僕は下が気になる。翔鶴はポートヴィラ沖合すぐで潜水艦にやられた」
那智はそうだなとうなずきながら頭を抱えた。煙幕展張を終え、殿をつとめていた加古が那智の右後方に艦影を見せたはそんな時だった。
「加古のやつ無事でよかった。ぬいぬいは一緒じゃないのかな?」
提督双眼鏡をのぞきながらそう言った。加古も兵装をこっぴどくやられていたが、機関は重巡那智より元気らしく、高速でみるみる近づいてくる。那智は先ほどから損傷で切れたワイヤーアンテナの復旧を試みているがまだ応急アンテナの敷設も済んでおらず無線は使えなかった。加古のズタボロの艦橋から発光信号があったのはその時だった。
「あの馬鹿が!」
モールス信号を解さない提督にはさっぱりな光の応酬の途中で那智が口元を歪めてそう呪い文句を吐いた。
「な、なに? どうしたの?」
狼狽して尋ねる提督をよそに、しばらく加古と発光信号をやりとりしたのち、那智は観念したように息を吐いた。
「早霜か……。しかたないな」
「ねぇ、どういうこと! 何、はやしもって。何があった?」
「煙幕を張った直後、不知火は損傷して動けなくなった僚艦を見つけ、その救援のために引き返したそうだ」
提督の顔が青くなった。
「そんな無茶な……。あんな中へ引き返すなんて……。それに駆逐艦一隻でどうしようっていうんだ!」
取り乱してまくし立てる提督の腕を那智は強く掴んだ。
「落ち着け! 貴様が心配するのも無理ないが、よく聞け。確かに不合理な事だ。だが……。私たち軍艦は前の世界でそれぞれやり残した使命や未練を抱えてこの世界に生まれてきた。貴様にだったら判るだろう?」
提督ははっとして真剣な顔で自分に説く那智の目を見返した。
「今は不知火が戻ってくるのを信じて待つしかない……。水偵がまだ一機上空に残っている。避退する航路の安全を確認した後、燃料の続く限り不知火の捜索にまわす」
提督は不安に顔を歪めたまま深くうなずいた。
長かった戦闘シーンもここら一段落です。
読んでくださった方、お疲れさまでした。
余談。もしも那智が、○龍やキャプテンみたいなスカーフェイスor眼帯キャラになってしまったら、発狂する自信があります!