遊戯王デュエルモンスターズWD―ワーストデュエリスト― 作:Rさん
僕が意識を取り戻したとき、木実近恵美からは生徒会長という名の符号で装飾されていた頃の面影は微塵も残っていなかった。
いや、そんな生ぬるい表現では現状の彼女を三割程度すらも模写できていない――生徒会長どころか木実近恵美を飛び越えて人間であるかどうかも、正直怪しいところだった。
乱れた浴衣や髪に血走った眼。
歯茎が見えるほど、強く噛みしめた口元。
ふーふーと肩を上下にさせて、まるで獰猛な野生動物のようなその様子に、僕は自分の正気を疑わずにはいられなかった。これは第何形態なんだ。
そして、目を疑うと共に――耳も疑った。
一瞬、聴覚を失ったかと思ったのだ――鳴り始めたばかりだった花火の音は存在を主張することもなく、辺り一面が静まりかえっていた。両耳にドライバーでも突き刺されたのかとヒヤリとしたが、しかし、遅れて虫や風の音を認識できたおかげで、耳鼻科へ駆け込む必要がなくなって、ほっと一安心という場面だ。
いや、安心している場合では全くなかった。
むしろ、僕は今すぐにでも血相を変えてなりふり構わず逃げ出すべきだ。
「そんな怖い顔するなよ……」
かろうじて口を開くことはできたが、足は金縛りにあったかのように動かすことができない。まさしく蛇に睨まれた蛙に他ならない。頭のてっぺんから逃げろ逃げろとエマージェンシーコールが送られてくるにも関わらず、地球の反対側から見えない力で抑えつけられているかのように、足の裏がぴったりと地面から離れてくれない。
「たかが――」
と、彼女は言った。
それが言語だと認識することを僕の理性が拒んでいるような気がした。人間らしい発声方法を彼女が使えているようにはとても思えない。
まるで獣が威嚇するように、彼女は喉の奥から音を出す。
「たかが――十三連勝したぐらいで調子に乗らないでよ」
「…………」
何を言っているのか、まるでわからない。
眠りから覚めたような、いうならば寝ぼけているに等しい僕に対して、まるでそんなことは関係ないとばかりに、どこまでも容赦がない彼女だった。まあしかし、実際に僕がブラックアウトしていようがいまいが、まさしく彼女には全く関係のないことだった。
どのような言葉を使って事情を説明しようかと悩みながら、そもそも言葉が通じる状態にあるのかどうかを危惧しながら、回らない頭を使って必死に考えていると、彼女は自身の足下に転がっていた棒状の木片を拾い上げて、あろう事か、やり投げの要領で投擲したのだった。
さすがは優等生である。僕なんかでは真似できないような、さながらオリンピック選手を連想させるような綺麗なフォームをしていた。
などと――
などとなどと――
その動きを目で追って、あろうことか感心していたのだけれど、そのように呑気に構えていられたのは、動作の意味を脳が正確に理解してくれるまでにタイムラグ生じていたからだ。
遅れて額から汗が噴き出した。
何をやっているんだ。
何をやってんだ!
暴力に訴えかけるなんて、まるでキミのキャラじゃない。
これが――こんなのが木実近恵美の本当だったというのか。
失望とともに、何とも言えないゾクゾクとしたものを感じながら、なんとか火事場の馬鹿力を駆使して、脳天めがけて一直線に飛んできた木片を紙一重で、尻餅をつきながらも不格好に回避した僕は、しかし、次の行動を身体に命令することができないでいた。
どうしたらいい。
どうしたら逃げられる。
以前、これと似たように、呉羽に木刀を投げられたことが双橋にはあったのだけれど、やっぱり彼女は精神的にとても強かったらしい。少なくとも僕なんかよりもずっと強かったのだと遅蒔きながら気づかされて、思い知らされた。
なんとか意識は保っていられるだけ重畳だ。
足腰は震えて立たないし、呂律は回らないし、なにより思考回路がショート寸前だ。
現状の僕に、次ぎの攻撃を防ぐ手段がない。
煮るなり焼くなりされてしまったとしても反抗できない。
ふざけるなよ!
肉体的なバトル展開なんて誰が予想できるか!
バカやろうこのやろう!
「…………」
「…………」
八つ当たりの心境で、ワクワクハラハラと自暴自棄になっていたが、幸いなのか残念なのか、彼女は攻撃の手を続けては来なかった。
ただじっと、親の敵を見るように僕を睨みつける。
そして、そのあと、足はもちろんのこと、乱れた浴衣をも引きずるようにして、彼女はガサガサと音をたてながら茂みの中へと消えて行った。
しかしその茂みの陰に消える直前、彼女は振り返って口を開いた。音は――もとい声は聞こえなかったのだが、口の動きだけで言わんとすることは、たぶんではあるのだけれど伝わったと思う。
――絶対に許さない。
そう言ったと、僕は受け取った。
許されない。
確かにその通りだ。
「……死ぬかと思った」
彼女が立ち去ったことで、緊張状態にあった身体がぐっと緩んで全身から汗が噴き出した。緩んだ身体に空気が入ることで、そこでようやく自分が呼吸をしていなかったことに思い至る。
虫だとか服が汚れるなどと気にする余裕はもはやなく、僕は芝生の上で大の字を作った。
本当にしんどい。
改めて思い知らされる。
人との別れはどのようなシュチュエーションであったとしても疲れるものなのだ。
心の痛みは覚悟していたが、まさか肉体的なダメージを負いそうになるとは夢にまで思っていなかったけど。
それにしても――
それにしても、この状況はいったいどういうことなんだ。
彼女の発言を鵜呑みにするのならば、僕はどうやら彼女とのデュエルで十三回連続で勝利を納めたということらしい。それはつまり十三回連続で彼女とデュエルしたということなのだけれど、僕にはそのときの記憶がまるっきり存在していない。
実は二重人格を患っていて、デュエルするときだけ人格が入れ替わっていた――なんてそんな荒唐無稽な仮定を除外視するとすれば、意識を失う前に見たあの黒い靄が状況に関与していると考えても及第点はもらえるだろう。
それはそれで荒唐無稽に他ならないのだれど。
黒い靄に操られていた――
身体を乗っ取られていた――
そんな非現実な事実と直面して、すっかり滅入た気持ちになりながら、仰向けの状態で、ぽつぽつと点在した夏の星を数えつつ、大きな深呼吸を繰り返していると、頭や身体の機能が、普段通りとまではいかないけれど、立ち上がれそうな程度には回復できた。
手を地に付けて上体を起こすと、ちょうどタイミングを見計らったように彼女は現れた。
一瞬、木実近恵美が舞い戻ったのかと思って脈が早くなったが、姿を見せたには別の奴だった。
漆黒のツーサイドアップとアシンメトリーの前髪を揺らしながら、悟ったような瞳をしている彼女。
例によって、黒い靄のようなものが彼女の周囲を取り巻いていた。それが錯覚や幻覚によるものでないことを僕は知っている。
「これでひとつの柵から解放されたわね。おめでとう、遊凪御影」
「…………」
がさがさ。
ぱちぱち。
などと、茂みから姿を表した明日宮雅が澄ました顔をして嘲るように手を叩いていた。
「……これは、お前の仕業なのか」
取りあえず、リアクションの取り方に迷った僕は、開口一番、率直に疑問をぶつけておくことにした。
疑問というか、それはクレームの枕詞に近いものだった。
「お前だなんて随分失礼な口の効き方ね」
彼女は腕を組んで仁王立。
僕は立ち上がってズボンに付いた埃を払う。
「はぐらかすな」
「そんなに凄まなくていいじゃない。それとも、あなたは私に怯えているのかしら?」
クスクスと自分だけで小さく盛り上がる彼女だった。
「大丈夫よ。何も支障はないんだから、予定は順調に消化されているわ。何の問題も現状では起こっていない。いえ、むしろ問題が起こる前に解決してあげたのだから、感謝してしなさい」
「意識を失う前に黒い靄をみた。お前が今現在も纏っているそれと同じやつだ。無関係なんてことはないんだよな」
「さっきから関係があると自白しているつもりだったのだけれど。まあいいわ。ちゃんとあなたの気が済むように受け答えしてあげる。もちろん無関係なわけがないじゃない」
「どんなトリックを使ったんだ。催眠術とか、危ない薬品の類なのか?」
「そんな現実的なものではないわ。オカルト的な産物ね。これは、私自身とでも言っておこうかしら。あなたへ渡した物に私が――私を仕込んでおいたのよ」
仕込んでおいたということは、前もってこの状況が訪れることを予期していたということだ。いや、予期していたどころの話ではない。さんざんと僕を焚きつけていたのが彼女であり、このセンスがないTシャツを僕に寄越したのが彼女である以上、つまりそれは彼女がこの状況を作ったと解釈するのが本当だ。
予知ではなく――予定調和だった。
「化け物か」
「人間よ。いえ、たぶんと付け加えておいた方が、この場合、フェアなのかもしれないわね」
「お前は何者なんだよ」
本当のところは、何様だと、罵りながら問答無用で一発ぐらい蹴りをいれてやりたいところなのだけれど、僕は理性をぎりぎりのところで保ちながら、目の前の同級生を一別した。
「何者か、ね。私の正体は既に明かしていたと思うのだけれど、それも、ほんの少し前のことよ。結構印象に残る自己紹介になっていたと自負していたのに、あなたの記憶には残らなかったのかしら」
なんだか悲しいわ――なんて、そんな風に浴衣の袖で顔を覆って泣き真似をする彼女だったけれど、その調子は普段と変わらないものだった――人を逆なでするような口調。
出会った当初と比べると、どことなく彼女と少しづつだが打ち解けているような気もするのだけれど、親睦を深めているという感覚は、僕の方にはないので、泣き真似――おどけた態度を取られたところで、全く気を緩めるための引き金にはならない。むしろ逆効果で、僕の頬は自分でもびっくりするくらいに堅くなった。
「キミが何者かはこの前聞いたさ。もっとも今でもそれは半信半疑なんだけどな。仮にキミの自己紹介とやらが偽りでなかったとして、この状況には繋がらないはずだ。キミの目的は別のところにあったんじゃないのかよ」
「ええ、その通りよ。『あれ』を除霊することが私の目下最大のお仕事」
表情を覆っていた袖を降ろして、案の定ケロッとした顔を晒す彼女だった。
「でもそれは私に取ってのメインディッシュね。『あれ』をどうにかすることが私に取っての本筋であり、木実近恵美とのデュエルに割って入ったのは、おまけというか、サービスね」
「サービスだって? 違うだろ。あれは勝負に水を差す行為だ」
「そう受け取って貰っても別に構わないわ。水を差すでも意味は合ってるもの。あら? そんなに怖い顔をしないで頂戴。私は悪戯であなたたちの間に割って入ったわけではないわ。物事を円滑に進めるために仕方なくやったことなのよ。よく考えてみなさい。あなたたちの間に入ったところで私にとってはなんのメリットもないわ。タダ働きもいいところよ」
「確かに。キミがあそこで手を出してくる理由は現状では理解できないよ。けれど、キミは何のメリットもないことをするやつじゃないだろ」
「意味のあることばかりで生きていけたらいいのだけれど、残念ながら、世界の大半は無で構築されているのよ。生きている限り無意味や無価値と無関係ではいられないわ。遊凪御影風に言うならば、デュエルに干渉したのは私に取っての脇道というやつかしらね」
ふふふ、と意味ありげに微笑む彼女。
「脇道を辿ればいつかは本道に戻れるわ。私がしたのはつまりはそういうことなのよ。木実近恵美とあなたのデュエルに介入しないことには私が世界の本筋に絡めなかった。だからまるっきりメリットがなかったわけではないのよね。もっとも世界の本筋に絡むこと自体にメリットがないのだけれど」
なにがおかしいのか、どうしてそんなに楽しそうな顔をするのか僕には到底理解が及ばないところではだった。
もう少し明確に話を進めてもらいたいと怒りが沸いてくる反面、これが彼女のスタンスなんだなと諦めも付いていた。根気強く付きやっていくことを決意しながら、僕は先を急ぐ。
「世界の本筋って、つまりは何なんだ?」
何となく察しがついていることではあったのだけれど、事実確認というか現実を再認識するという意味を込めての問いかけだった。
「ファーストエンド」
彼女は短く答えた。
これ以上言わなくてもわかるでしょ――と、そう顔に出ていた。
「詳しく説明してあげても別に構わないのだけれど、そうね、ここから先の話は、私より彼女から聞いた方が早いわ」
そう言って、明日宮は視線を遠くへ向けた。僕も追いかけるように振り向いた――
暗がりからゆっくりと、ポニーテールの髪を揺らしながら現れた人物に、僕は見覚えがあった。
派手な装飾が入ったランニングシューズ。
太ももまで伸びたホットパンツ。
そして人類の最高傑作と評しても文句の声があがらないような芸術的な腋――それを強調するのに一役かっているノースリーブのジャージ。
ジョギングをしているときのようなその服装は出会った当初よりも今の時期の方が適切ではないかと思えた。
「おっす、久しぶりだな少年よ!」
天真爛漫を絵に描いたような、場面に不釣り合いな満面の笑みを浮かべながら、大仰な動作で彼女は手を振った。
出会ったのはこれで二回目だというのに、自己紹介はこれが初めてで、名乗らない方がまだ親しみ易かったのではないかと思えるような――そんな自己紹介だった。
「私は