遊戯王デュエルモンスターズWD―ワーストデュエリスト― 作:Rさん
神路明という存在が僕の中でどのような立ち位地だったかを説明するためには、時間軸を過去に立ち変えて話を進め直す必要がある。
もちろん、僕には未来人たちが現在進行形で行っているタイムスリップのような、時間的概念を覆す術を持ち合わせてはいないので、当然、過去の出来事を頭の中で思い起こすのが関の山だ。
所謂、回想。
思いで話に花を咲かせるような年齢ではまだないが。
馴れ初めというにはあまりにも美学が足りていないが。
原点回帰にもほど遠いことだが。
過去――数年前。
僕が肉体的にも精神的にも未熟だった頃の話を、嫌々ながらに始めよう。
未熟だった頃などと、まるで今の僕が完熟しているかのような印象を与えてしまうかもしれないので、一応訂正しておくが、現在進行系で僕は未熟であり未完である――過去と現在、共に未熟ではあるが、全く成長していないというわけではないので、未熟度合いには多少の変化が伴っているのだ。さながら間違い探しのような、違いがわかればアハ体験ができるレベルであり、「こんなの成長とは言わねえよふざけるな!」と訴えられれば、即刻有罪判決を下されるほどの微々たる変化に他なら無いのだけれど、それでも変化は変化だ。完熟と未熟の間に事細かに段階を追って熟度を言い表す言葉が存在してくれていれば的確に表現ができるのだろうけれど、悲しいから、落ちこぼれである僕の語彙力では端的に伝えることができない――などと、このまま永遠と完熟だの未熟だのの話を繰り広げ続けておきたいぐらいには、過去の出来事は回想であったとしても、本当のところは開示したくないのである。
神路明とのおもひでを紐解くことは、同時に僕の黒歴史を掘り起こすようなものなのだ。
ふたつでひとつ。
マンツーマン。
裏と表の関係。
ばら売り不可。
一心同体。
とはいえ、正直、今より未熟だった頃の僕にとって、神路明の存在はこれといって特別視の対象ではなかった。
例えるならば、路傍の石ころであり樹海の木。
特別仲が良かったというわけでもなく、同じ学校で同じクラスであるという共通点のもとで、他の友達と差異のない関係性を付かず離れずを保っていた――いやさ、付かず離れてを保っていた。
他校がどのような環境であったのか、それを知らない僕としてはどうにも正常な世界の定義は判断の難しいところではあるのだけれど、僕が当時通っていた小学校では異常とも呼べる世界が構築されていたのは確かだった。
進学校故のヒエラルキー。
劣等感の押し付け合い。
随所ライバル関係。
ギスギスした空間。
などと。
などとなどと。
あたかもクラスメイト全員の仲が悪かったかのように当時の僕は思っていたが――思い込みたかったが、それは落ちこぼれ故の主観であり、劣等感から沸いてくる幻覚だった――むしろ全員の仲がそれぞれ悪かったのならば、僕はそれほど悩まなかったことだろう。いっそのことギスギスしてくれていた方が僕としては良かった。なんなら殺し合いの殺伐バトルロイヤルでも始まってくれたならどれだけ救いがあっただろうか。
まるで平和。
和気藹々。
エリートくんの集まりではあったけれど、そこは子供だ。遊びたい年頃であり、人懐っこい性質があった。だから授業中こそ、彼ら彼女らは子供ながらにおとなしく授業に集中しているし放課後は習い事に熱中していたけれど、休み時間になると年相応にお遊びや雑談で盛り上がりをみせていて、どこまでもピュアな心で環境に合わせた最適な学校生活をエンジョイしていらっしゃった。
反面、そんな朗らかで清らかな学校生活は、やはり僕に取っては苦痛でしかない。
ヤンチャだった頃の僕。
未熟だった頃の僕。
存在そのものが愚か。
環境に交われない人間。
統一された世界に潜む一点の異物。
嫌いなものには手が着けられない体質。
困ったことに、クラスメイトたちが楽しそうに取り組んでいた休み時間の戯れというやつが結局は勉学に関係する事柄に絞られていたのだった――算盤で遊び、英語で雑談する優等生の集団。何を差し置いてでも学習関連の話題しか生まれない教室。ご両親の英才教育の賜物だろうか。たまたま僕の所属しているクラスが勉強狂いの勉強魔どもだっただけなのかもしれないと思いたいところだけれど、一年から六年になるまで終始一貫してそんな調子だったのだから粗探しは望めない。
虐げられるようなことを何もしていないにも関わらず、まるで異世界へ追放されたような感覚に陥っていた。
授業にだって置いて行かれている身なのに、そんな優等生どもの檻に放り込まれた劣等生が、ならば溶け込めるはずはないだろう。
それでも無理をして彼らの興味が引けそうな話題を出してみたことが何度かあるのだけれど、「『固い』と『軽い』では意味がまるで違うのに『口が』を付けると対義語になるよね。ふしぎだよね」と言ったら変なものを見る目をされてしまった。
どうにも馬が合わないというか、宇宙人と会話させられているような気になってしまう。彼らからすると、逆に僕のことが気の合わない奴だったのだろうけれど。
フォーマットの違いというか、世界観の違いが露骨に露わになっていた。別にいじめられているわけではなかったし、どちらかと言うと仲良しクラスな部類に入る平和な教室ではあったのだけれど、『なんか違うぞ』という感覚が僕だけに居心地の悪さを強いていた。
いっそのこと邪険に扱ってくれた方が楽だったのに。
つまるところ、完成された世界へ、出来損ないの僕が飛び込んでいけるはずがなかったということで、いわゆるボッチの立ち位置を甘んじて受け入れて、誰とも相容れないまま日々の生活を消化していたのである。
これでも一応、机と向かい合う努力はしていたし、塾にだって通っていたのだ。
それでも結果は伴わない。
溝が縮まるどころか、より深くなっていくような感覚。トゲの付いた壁が刻一刻と迫ってくるかのような、焦りとか不安とかがデフォルトで搭載されたままこの世に生を受けてしまったらしい。
そんな人生。
そんな生き方。
親からの期待、周囲の目線、自分自身への苛立ち。
そんなこんなでヤンチャで遊び盛りだった僕は、世界観に合わせて生きることがどうしてもできなかったので、逃避して脇道を探したのである――見いだしたのは幼稚な悪戯だった。
テスト前にクラスメイトのシャー芯をこっそり拝借したり、授業を妨げてやろうと机の螺子を緩めたり教科書のページをのり付けしたり、下駄箱の中をシャッフルして習い事を遅刻へと追い込んでやったこともあった。さすがに画鋲を仕込んだり、リコーダーを入れ替えるような真似はしなかったのは我ながら自粛できていたと思う。
しかし滑稽。
そうやって少しでも彼らの気を逸らしてやるぐらいしか僕にできることはなかったのだ。僕から彼らの世界へは飛び込めそうになかったから、一時の憂さ晴らしにしかならないけれど、彼らの世界をほんの一瞬でも乱してやれればそれで満足だった。
成績から見れば頭の回転が弱い部類に入るのだけれど、悪知恵だけは働いていたので、そのときはまだ教師陣も含めて誰も犯人の特定には至らなかったのだ。次第に、しょうもない悪戯の数々は雪だるま方式で肥大化してしまい、お化けだの悪霊だのと飛躍して、オカルト恐怖症の校長が霊能力者を呼び出して校舎のお祓いを決行したこともあった。
くすくすと。
小さいながらにも、自分の行動によって誰かの世界を騒がせてやれることに喜びを感じてしまった僕がいた。
勉強をしていても自分の世界が変わらないからと、八つ当たりのように他人の世界へ介入していたのである。
楽しいことだ。
愉快なことだ。
まぁ結局のところ、方向性を失った僕の益体な悪足掻きは、ある男の手によって終焉を迎えた。
その男こそ、他ならない神路明だったのである。
「バラされたくなかったら、俺の遊び相手になってくれよ」
彼は言った。
それは脅しに他ならない。
しぶしぶ、デュエルを始めた。
だんだん、デュエルに焦がれた。
双橋は僕のことを師匠と思っているらしいが、もとを辿れば、僕にデュエルを教えてくれたのが他なら無い神路明だったのである。それを思うと、あの屋上での出来事は神路にとってはさぞかし面白おかしいことだっただろう。
そういえば、状景まで酷似していたような気がする。神路が手紙で僕を屋上へ呼び出して、詰め寄られたものだ。
始まりは最悪の形ではあったけれど、目的を失ってさ迷っていた僕にとって、デュエルという刺激はとても良い薬になってくれた。有り体に言って、水を得た魚だ。
お年頃だというのに、規格というか話が合わずに友達を作れず、またテレビも漫画も教育上で禁止されていたから、ソリッドビジョンを使ったデュエルモンスターズというコンテンツは大変魅力的に思えたのだ。
それまで、ゲームセンターや買い食いとも縁がなく、ろくな遊びを知らなかったので数年間分のおこずかいやお年玉は、たんまりと貯まっており、それらを解禁して全てデュエルモンスターズにつぎ込んだ。もっとも、それでも当時のデュエルディスクには手が届かなかったので、学習書を集めるためという名目で渡されていたものを注ぎ足して何とか調達できた。
そこからはデュエル三昧の日々だ。
休み時間に屋上でデュエル。
放課後は塾をサボって公園でデュエル。
休日も朝早くから出かけて夜遅くまでデュエル。
パソコンと睨めっこして勉強する振りを装いながら、カードのことを調べた。
学校の成績をリリースしてデュエルの時間を充実させていったのだ。
それは初恋――初めて好きだと言えるものを僕は見つけた。
ようやく世界が変わったのだと思った。
その段階ではまだ、対戦相手は神路明だけだったけれど、それでもデッキを何個も作ってローテーションしてデュエルしていたので飽きることはなかった。もっとも同じデッキを永遠に使い続けていたとしても新鮮味が失われることはなかっただろう。
神路神路などと、今でこそ彼のことを神路明と呼称しているけれど、当時の僕は、彼の苗字や顔よりも先に『《サイバー・ドラゴン》を好んで使う奴』という情報がインプットされていた。
それほどまでに、僕の脳はカードによって満たされていたのだ。
いつぞや、双橋がアパートの一室をデュエルモンスターズのカラーコピーで埋め尽くしたことがあったが、幼少の頃の僕の脳内はまさしくあのように悲惨な状態だったといえよう。
人と遊ぶためにカードを使っていたのではなく、カードで遊ぶために人と集まった。カードの効果は一度読めば憶えることができたのに、人の名前を憶えるのに苦労したのは不思議な経験だ。だから、僕が神路明を神路明と認識するまでには実のところ相当な時間を要した。それまでは二人称単数で呼んでいたような気がする。お前とか。てめぇとか。
デュエルに浸っている時間はとても充実していると実感した。このままデュエルだけをして生きていけたらなと願った。
しかし、それはそれだ。
いくらデュエルに生きる意味を見いだせたところで――世界観が変化したところで、それで世界が変わるわけではなかった。
ふつふつとした違和感。
おやおや、どうしたのだろう。成績表が一段階下がってしまったではないか。テストの点数が半分になってしまったよ? 僕としてはそんなのは疑問でもなんでもなく、デュエルに時間を持って行かれたのだから、むしろ当然だろうと気にもしていなかったことではあるのだけれど、それは視点を変えればおかしなことになる。親の目からすれば、僕は参考書を催促して夜通しでパソコンと向かい合い、放課後と休みの日は家の外で問題集と戦っているということになっているのだから。
頑張っても報われない奴――そんな認定をされた。
その頃からだろう、溜息が耳に入りやすくなったのは。
おはようからおやすみまで落胆した態度が透けて見えていた。食事中にまで露骨な態度されてしまってはこちらとしても居たたまれない。
また『何か違う』感覚が僕の中で渦を巻く。
所詮、どれだけ水を得たところで環境が金魚鉢であっては思うように身動きが取れないのだ。
窮屈な感じ。
世界との食い違い。
そこで、僕は次のストレス発散の手だてを探す。
ひらめいたのは勧誘活動。
デュエルを同級生に普及させて、仲間を増やすのである。
みんなで渡れば怖くないの理論では、しかし、ない。
デュエルを復興することによって、僕の世界観をみんなに共有してもらいたかったのだ。自分が相手の世界に合わせられないのであれば、他者をこちらの世界へ引きずり込んでやるのである。
デュエルに熱中する仲間が増えれば、それだけ平均の成績は下がるわけで、つまり相対的に僕はダメな奴からましな奴に僅かだけどランクアップを果たせるのである。
意外なほど、デュエルを広めるのに骨は折れなかった。
ソリットビジョンを使用したデュエルモンスターズというコンテンツは、勉強狂いの彼らの目にも魅力的に映ったのだろう。今で言うインスタ映えのする代物だから。
学校中とまではさすがに蔓延しなかったが、生徒の一部では一大デュエルブームを巻き起こした。
休み時間に算盤の音が薄くなった代わりに、グラウンドではソリットビジョンによる爆発音が響くようになった。最初は教師陣からお叱りがあったのだけれど、次第にその声もなくなった。休み時間ぐらい好きなことをしていてもいいと認定されたものだとそのときは思っていたのだけれど、その意味をもう少し僕は考えておくべきだった。
最初はデュエルを広めて相対的にみんなの成績を引きずりおろしてやろう作戦として始めた勧誘活動が、ようやく世界観の共有をもたらしてくれたのだ。
ずれている感覚がなくなって、居場所を見つけたように思えた。
デュエルモンスターズを介して友達作りが以前より容易になったことで、神路に頼り切りにならなくてもデュエルをすることができるようになり、段々と神路の印象は僕の中で薄くなっていく。そんなただのデュエル友達だった彼の存在を特別視し始めたのは、デュエルモンスターズの大会に参加していたときのことだった。
予防線という意味ではないが、大会といっても今ほど大きな規模のものではない。
当時はカードゲームというコンテンツ自体があまり世間には浸透しておらず、ジュニア枠で絞られた上に、参加条件である高価なデュエルディスクを所持していたのは、ちょっと良いところの学校へ通っているちょっぴりリッチな子供だけだった。
参加者の約六割が同じ学校の生徒で、それも顔見知りがほとんどだったということもあり、特に緊張をすることもなく、いつも通りにデュエルを楽しんでいるうちに順位が伴っていき、ふと気がつけば決勝戦まで上り詰めていた。
相手は神路明だった。
神路明神路明、誰だったかな。
あっ、お前か。
みたいな感じだった。
対戦相手が誰であるかはこの場合関係がなくて、僕が優勝できるかどうかが肝要だった――スポーツなどと違い、客観的に観れば小規模な大会だったのだけれど、クラスの中ではもちろんのこと、学校中でも学業に置いてはワーストに近い存在だった僕が、こともあろうに決勝戦という大舞台に進めたことが人生の中で一番神経を刺激された瞬間なのだ。
あのときのことを思い出す度に、僕の指先は微かに振動を伴うくらいだ。
ただし、デュエルモンスターズで結果を残せたことに感動したからではない。
――怖かったのだ。
それまで『遊び』と認識していた事柄が、その瞬間に勝負事として腹の底にすとんと確かな感覚で落ちていった。
始めて人の上に立った瞬間。
何かを成せるかもしれない実感。
世間から認められるか否かの瀬戸際。
そんな期待と不安の渦に巻き込まれている最中、事は起こった。
決勝戦を前にして会場は停電というトラブルを迎えたのだ。少しばかり復旧には時間がかかるとのことだった。
インターバルと捉えてリラックスできるような精神状態に、しかし、僕はなかった。
例えるならば、生殺しにされたような感覚。
どうのような結末を迎えようとも、極度の緊張状態から解放されるのであれば、なるたけ早くことを終わらせて欲しかった。
僕は会場のトイレで嘔吐を続けて、神路は呑気に外へ軽食を取りに行く。
彼が腹を満たして、僕が腹を空にした。
やがて会場の設備は復活し、幾分かのときが流れる。
神路明は帰ってこなかった。
妥協案で、優勝者は僕になった。
不戦勝。
あれだけ緊張して苦悩してた割に、終わりはあっけないものだ。実感が伴わない勝利に嘆くよりも、どういう経緯があったにしても人に自慢できるネタを初めて手にすることができたことに喜びを抱いた。
その瞬間では、神路明はあれでいて結構察しが良い奴なので、僕が体調を崩したことに感づいて優勝を譲ってくれたのではないかと思った。呑気なものだった。
もちろん、僕は彼に何もしていない。
本当だ。
デュエルとも、僕とも何の関係もないところで、神路明は世界から退場を強いられたのである。
交通事故と聞いている。
さよならは言えなかった。
僕は泣かなかったと思う。普段一緒に過ごしていたやつが、急に姿を見せなくなったというのに、違和感を感じられなかった。幼かったが故に実感が沸かなかったのだろう。
呆気ない幕引き。
コメントに困る状況。
しかしまあ、彼が世界から居なくなっても、僕の世界は変わらずにそこにあった。
変わらないことは時としては有益なことなのかもしれないけれど、僕にとって変わらないことは苦痛でしかなかった。
デュエルで――好きなことで結果を残せても、僕の世界は何一つ変わってはくれなかった。
何も変わらない。
変わらずにどん底だ。
やっぱり僕はどうあがいても世界と馴染めないらしい。
受験シーズンになって、ようやくその異変に気が付いた。いや、本当はとっくの昔から気が付いていたのかもしれない。
積み重ねていたことが無駄になったと言えたなら少しは胸を張ることできたのかもしれないけど、悲しいかな、積み重ねていなかったことが浮き彫りになったのだ。
僕が停滞している間も、地球は一定の速度で周り続ける。
そして勉強をサボっていたことや、参考書の代金を猫ばばしていたことが親にバレてしまったタイミングで、僕が唯一誇れるものを突きつけた。切り札だ――大会の優勝証書だ。どーだ、すごいだろと鼻を明かしてやりたかった。
泣かれてしまった。
やるべき事から逃避して、遊びにふけっていたのだから失望されて当然かもしれない。
いっそのこと怒って欲しかった。
双橋にはカッコつけてカードは処分したなどと言ってしまったが、なんてことはない正確にはカードは処分されたのだ。唯一の誇りだった優勝トロフィーも粗大ゴミに混じっていることだろう。
大惨事の中で、救いだったことを強いて挙げるとするならば、優勝商品のカードセットだけは処分を免れたことだった。あれは神路と折半するつもりだったので、未開封のまま学校のロッカーに隠してあったのだ――彼がいなくなったと知ってどう扱っていいのかわからないくなったけれど。
期待を全面的に裏切るような子供でも、子供は子供から逃れられないらしく、親たちは一応ちゃんと食事の用意などはしてくれていた。勉強しろは言われなくなったが、それはそれで気が楽だ。
共働きのエリートつがいは忙しいご身分故に帰りが遅くなることが希にあった。そんなときは自炊をしていたものだ。もっとも包丁やらを使った料理はできなかったし、そこまでモチベーションはなかったので、作れたのは粉を溶かしただけのカレーやら、麺をソースで炒めただけの具なし焼きそばだった。
おいしかった。
注釈として、両親が用意する料理が破滅ってな不味さであったという意味ではない――ひとりで食べる食事が舌にあっていただけなのだ。
余計な物は必要ないのかもしれないと、僕は思った。
家庭内でのズレは大きくなって、学校生活でも『何か違う』という感覚は蘇った。
デュエルで優勝した当初は浮き足だっていた僕だったけれど、テストの成績がクラスメイトとかけ離れてしまったことから、自らの愚かしさを遅れて知ることになった。
なんてことはない。デュエルディスクを手に入れられるような奴らは、お金持ちのボンボンで、つまりはエリートだったので、親がちょっと良い職業に付いているだけが取り柄の落ちこぼれでは端っから釣り合わなかったのである。
僕が人生から逃避してデュエルに全力で浸っている間、彼らは勉強やらスポーツやらに打ち込んむ片手間でデュエルを齧っていただけに過ぎなかったのだ。
本気でないやつらを相手取って死に物狂いの全力で挑んでいたのだから勝ち上がれて当然だ。片手相手に両手で腕相撲を挑んでいたようなものである。自慢げにしていたことが恥ずかしい。
土台、僕などでは他者の世界を変えてやることなどできなかったのだ。自分の世界も変えられないのだから。
デュエルは所詮遊びでしかないのだと思い知った。
人生にほんの少し付け加えられる差し色。
疲れたときの休憩所。
娯楽の正しいありかた。
どう考えても彼らが異質だったのではなく、どう見繕っても僕が愚かだったのだ。当時の僕にとって、デュエルは人生だったけど、世界はデュエルを主軸として回っていなかった。それだけの話。
結論付けたところで、事実が伴っていて笑いがこみ上げてきた。大会の決勝に残ったのが、僕と神路のバカコンビだったのだから。
もしも彼が隣にいたのなら腹を抱えて笑い飛ばすことができたのに。
僕が受け止められるのは精々虚しい気持ちだけだった――そこでようやく大切なものを失ったと気が付いた。
人生と世界がどこまでも噛み合わない。
現実と理想の狭間で押し問答で空回りを続けるだけの存在と化した僕の前に、そいつは再び現れたのだった。
まるで道ばたで偶然知人と出会ったかのような気安さで、彼は片手を振って陽気に挨拶をしてきた。
最初は戸惑ったものだが、次第に僕は彼に慣れた。
彼が現れた意味も、彼が去る条件も何となくわかっていた。
いっそのこと、うらめしやとでも言ってくれていたら楽だったのに。
「デュエルは好きか?」彼が問いかける。
「好きだよ」僕は即答する。
「デュエルしようぜ」彼が言う。
「ご冗談を」僕はデュエルを辞めた。