遊戯王デュエルモンスターズWD―ワーストデュエリスト― 作:Rさん
裁きの始まり
デュエルモンスターズを卒業することによって、僕は莫大なフリータイムを手にすることができた。
一日は二十四時で終わり、さらに一年は三百六十五日と短いものだ。ただでさえ人の一生は高速で消化されていくのだから、高校生活なんてあっと言う間に集結してしまうだろう。
そう、僕は現在高校生なのであって、その限られた青春をいかに有意義に過ごすのかを考える義務がある。
小学校時代と中学校時代前半はデュエルモンスターズのことしか頭になかった。カードの情報収集に時間をかけ、夜通しでデッキ構築をした。放課後は近所のカードショップでクラスメイトたちと楽しくデュエルに明け暮れる、そんな毎日だった。
学校生活の大半をデュエルに振り分けてしまったのだ。小中高を混合して考えると、実に人生の一番楽しい時間を半分以上浪費してしまったわけで、なんと愚かなことをしてしまったんだと現在進行形で後悔の真っ只中にいる。
青春とはデュエルディスクを構えることではないんだぞ!
お小遣いとはパックを買うためにあるわけじゃないんだぞ!
カードショップはデートスポットにはなり得ないんだぞ!
――だが、嘆くことはない。
今までの人生は、それはそれで楽しかったのだ。後悔しようとしてもできるものではなく、デュエルに費やした時間は幼少の頃の思い出として僕の心に刻まれているのだから。
思い出だ。
過去の話だ。
子供は愚かであるべきなのだ。
長い間お世話になったデュエルライフからさよならをした僕は、自由な人間となった。学生らしく勉学に励むのも青春と言えるだろうし、学生らしくバイトをするのも青春に違いないし、素敵な女性と手を繋いで花火を見に行くのは間違いなく青春だろう。
デュエルという人生の拘束から解き放たれた僕は真の青春の世界へと旅に出るのだ。
おあつらえ向けに本日はゴールデンウイーク初日である。
まさしく自由な時間をエンジョイするにふさわしい祝日だ。
友達を誘ってボーリングに出かけるのもいいし、彼女を誘って映画に行くのも選択肢としては大きい。
誰かと過ごさなくてもいいのが自由な時間の真骨頂でもある。デュエルはひとりではできないが、青春はひとりでもできるのが利点だ。趣向を変えて釣に出かけたり、サイクリングに挑戦してみたり、映画館を梯子してみたり、休日すべてを使って自分探しの一人旅をはじめてみたり、あるいは勉強や短期バイトをするのもベターだ。
デュエルという狭い部屋から飛び出してみれば、世界はこんなにも広いのだ。
無限の可能性に満ち溢れているのだ。
より良い未来へ向って行けるのだ。
これが青春ってやつなのだ。
「…………」
休日を使ってなにをするべきか、そんなことを考えている間に日が沈んでしまった。
僕は正座を崩した。
六畳一間の中で一日を使ってしまったらしい。フローリングの床やくすんだ天井を眺めることを青春とは言えない。
心の中に蓄積されていた燃料は、しかし、僕を動かしてはくれなかった。
デュエルという牢獄から解き放たれた僕は着地点を見失っていた。
正しい青春のあり方を経験したいと願っても、狭い世界で育ってきた僕にはその形がぼんやりとしか掴めないのだ。
突発的にやりたいことも沸かず、将来的に目指す夢も持ち合わせていない。
彼女なんて出来たことがなく、候補として上がる相手もなし。遊びに誘う友達もいなかった――昔からの友達と思っていたやつらは、なんてことはない、デュエル仲間でしかなかった。
思い返してみれば、当時の僕は、友達と遊びたいからデュエルをしていたんじゃなく、デュエルがしたいから友達付き合いをしていた。それは他のやつらの思想でもあるわけで――あったわけで、デュエルを卒業してからはそいつらと話をすることもなくなった。
新規の友達を作ろうにも、幼い頃からデュエルをコミュニケーションツールとして使っていたことがマイナスに働いて、関係性の繋げ方がわからなかった。唯一の趣味を自分から捨ててしまったのだから会話の種をなくして当然だ。
奥の手である独り青春作戦も実行に移せない。なぜなら趣味がないからだ。魚に興味があるわけでもないし自転車を持っているわけでもなく独り旅をするような費用もなかった。
自由だの青春だのと叫び散らした結果がこれだ。
デュエルという閉鎖された場所から飛び出してみれば、狭い空間に押し込められた。
「……腹減った」
考えのに必死になっていたからすっかり失念していたが、食事を取っていなかった。
そうだ、もしかしたら空腹のせいで頭が正常に働いていなかったのかもしれない。
お腹を満たせば青春への道が開けるかもしれない。
そうと決まれば膳は急げだ。非常食用のカップ麺は完備されているけれど、それでは栄養がちゃんと補給できない。僕は部屋着から着替えて、財布をポケットに押し込んだ。ケータイは置いて行っても問題ない。スーパーで食材を買ってくるだけなのだし、どうせ着信音は鳴らないことだろう。
僕の使っている財布は少々変わっていて、デュエリストだった頃に使っていた薄型のデッキケースを流用しているのだ。ステンレス製の特注品で、カードと一緒に処分してしまうには惜しい代物だったからだ。これが案外、使い勝手が良い。セパレーターで中を分けられるから、お札、硬貨、キャッシュカードと分けられて、おまけにキーケースにもなる。薄型だからすんなりとポケットに収まるのがうれしい。デュエルを卒業して一番よかったことを挙げるとするならば、この財布と出会えたことかもしれない。
「いってきます」
誰もいない部屋に挨拶をして、僕はアパートを出た。
――アパートを出ようとした。
僕は玄関から出そうになっていた足を引っ込めて、静かにドアを閉めた。
ごくりとの喉をならして、のぞき穴から外の様子を窺う。
「…………」
部屋の前で女の子が倒れていた。
鉄柵に寄り添うように仰向けで横たわっている。鳴り響く腹の音やまぶたの奥がぐるぐると回っていることから判断して、彼女はおそらく行き倒れだと思われた。どうして二階に位置している場所だというのにこんなところで行き倒れているのだろう。どうして僕の部屋の前で倒れているのだろう。
深呼吸をして冷静になった僕は、このまま玄関で硬直していても拉致があかないと判断して勇気を持って踏み出した。
近くで見ると、彼女が整った顔立ちをしていることの確信が持てた。顔つきや体格からして同い歳くらいの子だろう。奇麗な髪で作られたポニーテールが地べたに投げ出されていることが気にかかる。ノースリーブのジャージと太ももまで伸びたスパッツが目を引いた。ジョギングをしていたのだろうか?
彼女が何かを抱きしめていることに気がついた。豊満な膨らみに押し付けるようにしているそれは、他ならないデュエルモンスターズのカード、それも恐らくはデッキだ。ケースにも入れず裸のままで持ち歩いてるらしい。それ以外に持ち物はなさそうだ、彼女が着ている服にポケットはついていないことからそう思えた。
「さて、どうするか、これ」
僕は決してお人良しな性格をしているわけではない。なるべくなら面倒なことには関わりたくないとさえ思っている。
しかし、行き倒れた人を放って置けるような薄情者であるかというと、そうでもない。
決して、
決して彼女のノースリーブによって外気にさらされている脇の下が目から離れないわけではない。
断じてない。
人助けだ。人名救助であって、欲望を満たすために救いの手を差し伸べるわけじゃない。
レスキューにかこつけて脇を眺めていたいわけじゃないのだ。
「大丈夫ですかー?」
僕はノースリーブジャージ娘の頬をつついて呼びかける。
「…………あ、あ」
女の子は反応をしめした。
虚ろな顔と目があった。
僕は言葉を繰り返す。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫に……見えるか?」
「見えなくもないですね」
「私、お金ないんだけど、無償の愛を発揮して……食べものを恵んでくれないかな?」
「断ると言ったら」
「困る」
ジョギングのしすぎでお腹を空かせて行き倒れたと思っていたが、どうやらお金がなくて食事ができなかったようだ。なんだか訳ありの匂いがする。少なくとも脇汗の匂いはしない。
よくわからない女の子に関わるとロクでもないことになると最近学んだばかりなので、できれば関わりになりたくない。けれど、家の前で昇天されてしまうのも嫌だ。部屋の前に花束とか置かれたくない。
「インスタントで良ければご馳走するけど?」
「……お願い。あとできれば起こしてくれると助かる。てか自力で立てない」
「よろこんで!」
僕は彼女を支えてあげる。
脇の下に手が回ったことはまったく意図したことではない。
*
「いやぁ、助かったよ少年! 危うく志半ばで昇天してしまうところだったよ」
完備していた非常食が奇麗サッパリなくなったところで、彼女はそう言った。
彼女が元気を取り戻すたびに僕は苦笑いになっていく。同い年くらいの人から少年と呼ばれたのは初めてのことだったので、なんだか変な気分にさせられたのだ。
「あなたのような美人さんを助けられてとても光栄です」
「なんだよ急に改まって? 私たちの仲だろうが、敬語なんてやぼったいのはなしにしよう」
皮肉が通用しなかった。
いつの間にか親友みたいに扱われてしまっている。ただインスタント麺を振舞っただけだというのに。食べものの恨みは恐ろしいというけれど、その逆に食べものの恩は凄まじいのかもしれない。
食事も済んだことだし、彼女が湯気のたつマグカップを傾け終わった頃を見計らって、僕は気になっていたことを解消することにした。
「どうしてあんなところで倒れてたんだ?」
「うーん。どうしてって言われてもなあ、行き倒れたとしか言いようがないね。あまりの空腹で意識が朦朧としてたからさ。気がついたらあそこで倒れてたって感じだよ」
「お金を持っていないって言ってたよな。無理にとは聞かないけど、家出とかそんな事情があるのか」
「ん? あーっと、うん。それだよそれ、家出家出。学校も行かないでぶらぶらしてたから親にぶちぎれられて追い出されちゃったってことにしてくれ」
「…………」
明らかに誤魔化されている。
まあ、どうでもいいことか。
「いやあ、どうにもここは息ぐるしいよねえ。何をするにしてもお金が必要なんだもん。まさか食事にお金を要求されるだなんて思ってもみなかったよ」
「あえ? ……まあ、確かに息苦しくはあるね」
食事をしてお金を要求されないところってどこだよ……。とんでもないお嬢様なのかそれとも相当な田舎娘なのかはわからないが、価値観がおかしな人ということはわかった。少なくとも僕ごときでは対応しきれない。
「こっちに来てからというもの、ひどい目にあってばかりなんだよなあ。めげるめげる。所持金はあっという間に食費と宿代で消えるし、金を稼ごうにも履歴書ってやつが必要らしくて八方塞。デュエルの大会でさくっと優勝して賞金を稼ごうともしたんだけど、景品が最新パックの詰め合わせとか舐めてるのかって話だよ」
「やっぱり、デュエリストだったんだな」
「うん。デュエリストだよ。バリバリの。もちろん少年もなんだろ、デッキケースそこにあるし」
テーブルの隅においてあった財布を指さした彼女は、にかっと表情を綻ばせた。
期待を裏切るようで申し訳ないが、僕はデュエルを卒業している身なのだ。
「いいや、違う。もとはデッキケースではあったけど、いまは財布にしてるんだよ。デュエルはやってない」
「なーんだ。そうなのか。食事のお礼に私のデュエルを披露してやろうと思ってたのに」
そんな鶴の恩返しがあってたまるか。
どうしてなんでもかんでもデュエルに結びつけるのだろうか、つくづくデュエリストとは謎な生き物だ。
引きつった頬を隠すように、僕は会話の舵を切った。
「デュエリストなのにデュエルディスクは持ってないんだな。デッキケースも使ってないみたいだし」
「そうなんだよ。デュエリストなのにディスクを持ってないんだよ。背に腹は変えられないってやつでさ、売っちゃったんだよねぇ、デッキケースも含めて」
「それはお気の毒に……」
「いやいや、いいんだよ別にディスクなんてどこにでも手に入るし。食のためならやむ終えませんってね。ただディスクがないと誰もデュエルしてくれねーってのが辛いけど!」
あははは、と彼女は明朗に笑った。
結構辛辣なことを語っているように思うのだけれど、そんな雰囲気を一切感じさせない明るさを彼女は有しているようだ。
ポジティブというかノー天気というか。
「そうだ。よかったら、これ貰ってくれないか」
僕はとっさの思いつきで、財布の中に入っていたものを全部取り出して――そして、財布として使っていたカードケースを彼女に差し出した。
別に彼女の境遇に同情したというわけではない。本来の用途で使われていない現状よりも、彼女のもとでカードの保全に勤めていたほうがデッキケースとして本望だろうと思ったからである。
彼女はあっけに取られたようにしばらく僕の手元を眺めていたが、やがて顔を上げて目を輝かせた。
「いいのか! こんな高そうなの貰っちゃっても。っていうか、食事までご馳走になってなってるのにこれ以上好意は受け取れないよ。受けとるけども」
「どっちだよ……」
僕の手からゆっくりとケースを受け取った彼女はしばらくステンレスの輝きをうれしそうに見つめていた。やがて、むき出しのまま置かれていた自らのデッキをケースに収納すると、頬擦りを始めた。
これほど気に入ってもらえたならプレゼントしたかいがあったというものだ。こんなことならデュエルディスクも処分せずに取っておけばよかった。
彼女がケースを一通り愛で終わると、僕の両手をがっちりと掴みブンブンと上下に振った。ずいぶんと過激な握手もあったものである。
「少年はいいやつだな! ありがとよ、このご恩はしばらく取っておくよ。気が向いたら返させてもらうからなあ!」
「……期待しないで待ってるよ」
腕が痛くなるまで散々僕の腕を振り回した後、彼女がデザートの要求をさりげなくしてきたので、僕は自然な動作でそれに従って、冷凍庫に入っていたカップアイスを差し出した。自分でもびっくりするくらい献身的な態度だった。なぜだか幸福感に満ちていることにも驚きを隠せない。
そういえば、おなかが減ったからスーパーに行って食材を調達してくるつもりだったのに、なんやかんやで忘れてしまっていた。非常食は彼女によって食べつくされてしまっているし、この時間ではスーパーも開いていないだろう。
まあ、僕の空腹状態はさほど重要事項ではない。
彼女の寝床をどうするのかが重要だ。
「なあ、良かったら今夜はここに泊まって行けよ。僕は床で寝るし、ベッド使ってくれて構わないよ」
献身的というか従順過ぎる。僕の中に奴隷精神が眠っていたらしい。
しかし、僕の欲望とは裏腹に彼女は首を横に振った。
「申し出はありがたいけど、そういうわけにはいかないさ。私にはやるべきことがあるし、少年に迷惑ばかりかけられないよ。今日のところは帰らせてもらう。しばらくはこの街に滞在するつもりだし、そのうちまた会うことだろう。そのとき恩を返すからさ」
「恩を返してくれるというのであれば、僕のために泊まっていってください」
「……少年よ、よからぬことを考えてないかい?」
「考えてません考えてません、脇のことなんか考えてません」
「わき?」
「いや、ていうか真面目な話、こんな時間に女の子が外をぶらついてたら危ない。だからせめて今夜だけでもここで朝が来るのを待つのはどうだろう」
「そうもいかないよ。一分一秒を無駄にはできないからさ」
彼女はそんな意味深なことを言った。
そこでようやく、僕は彼女の目の下にくまができていることに気がついた。行き倒れていたのは案外、空腹だけが原因ではないのかもしれない。
より彼女のことが心配になってきたけれど、さすがにこれ以上引き止めるのは迷惑と判断した僕は彼女を玄関まで見送ることにした。お土産として冷蔵庫にストックされていたペットボトルのウーロン茶を持たせた。
「そんじゃあ、今日はなにからなにまでありがとう少年よ」
「これぐらいのことで恩義に感じてもらわなくてもいい。むしろこっちがお礼をいいたいくらいだ」
「んん? おかしなことを言うね、少年。あっ、そうだ。お礼といったらなんだけどひとつだけ忠告しておいてあげる」
彼女は言った。
その瞬間だけは明るい笑顔をしていなかった。
「この街には『ファーストエンド』っていう悪の組織が潜んでいるんだ。私はそいつらと戦う正義のヒロインって立ち位置なんだけどさ。ってなんだその変なものを見る目は。……別に信じてくれなくてもいいけどね。ただ、半信半疑でもいいから記憶にとどめておいて。もし不信なやつを見かけたら注意することをお勧めする」
突拍子もないことを告げられてポカンとしていた僕に、彼女は疲れた笑顔を見せた。
*
脇出し中二病少女が来客した、その翌日。今日こそは青春のゴールデンウィークを過ごすぞと鼻息を荒くして、今朝は早起きをすることにした。
目覚まし時計が枕元で小さく鳴いている。音量をちゃんと設定できていなかったらしい。いかに時間に追われた生活をしていなかったかが露見してしまった。
少量の音でも、僕の目を覚ますのには十分みたいだ。もともと寝起きがいいということもあって意識は良好だ。カーテンの隙間から入り込む光を浴びて、すっきりと体を伸ばす。
今日こそは必ず青春への入口を見つけてみせる。
そんな目標を胸に抱いて僕はベッドから飛び出し、六畳一間の部屋を見渡して、小さく頷いた。
「まずは腹ごしらえだな」
昨日からなにも食べていなかった。ノースリーブ娘からの忠告が頭の中をぐるぐるして、食欲が引っ込んだ……ということにする。ノースリーブのジャージから覗いていた魅惑の花園が思考回路を一晩中支配していたわけではない。
断じてない。
ともかく、
ともかくだ。一日放置してしまった胃袋を、早急に助けてやらねばならない。女の子を保護している場合ではなかった、僕のほうが行き倒れてもおかしくない状況に追い込まれてしまっている。
部屋の中で行き倒れるとか嫌だよ。
「…………」
とりあえず応急処置としてなんでもいいから胃袋に送り込もうと、食料のチェックをしてみたが、当然のごとく、ここにはなにもなかった。床下に備えてあった非常食は全部ひっくるめて栄養源となって脇の下に送られた。冷蔵庫の中に食料が入っていれば、そもそも苦労はしていない。
買出しに行くにも、スーパーが開店するのは数時間後だ。早起きをしたのが裏目に出た。残る選択肢としてはコンビニでお弁当を調達することだったが、悲しいことに住宅地の近くにコンビニエンスストアは置かれていない。駅前まで歩ける自信すら、今の僕にはなかった。
八方塞がりにもほどがある。
究極の奥の手は隣室の住人にエマージェンシーコールを送ることだ。人に迷惑をかけるのは気が進まないけど、そうしないと僕の生命が絶たれてしまう。背に腹は代えられないのである。
昨日のあの子はもしかしたら、こんな心境だったのかもしれない。彼女の境遇と僕の怠惰が招いた結果を一緒にするのは申し訳ないけど。
緊急事態に追い込まれていた僕だったが、しかし、幸運なことに隣人に迷惑をかける必要はなくなった――
呼び鈴が鳴った。
千鳥足で玄関に向かい、ドアの施錠を解除した。
覗き穴を使うことは頭になかった、僕の意識は散漫している。
「あ、おはよう岬野くん」
はたして、そこに立っていたのは、昨日に引き続きまたしても女の子だった。その長袖のワンピースやショルダーバッグには見覚えがある。
長い髪を耳にかけながら上品な笑顔で僕の苗字を呼んだのは生徒会長だった。
生徒会長――
成績優秀容姿端麗眉目秀麗、人に優しく自分に厳しくをモットーとして語り、尚且つ学業においても人並み外れた実力を発揮できる。そのステータスの高さや人柄を買われ、優秀な人物として生徒や教師たちから親しまれているとともに尊敬の眼差しを集めているのが彼女だ。一年生にして、面倒な雑務が多いと毛嫌いされている青峰高校の生徒会長に自ら利候補したりと武勇伝も数知れない。
そんな優等生の彼女はデュエルにおいても飛びぬけた実力を有していると聞いたことがある。実際に彼女のデュエルを目にしたことはないけれど、僕がデュエリストを卒業していなかったら、きっと彼女とは楽しいデュエルができていたことだろう。
いや――
そんなことより、
そんなことよりだ。
「んん? 岬野くん、どこか具合でも悪いの? なんだかすごく顔色がおかしいよ」
彼女が抱えている風呂敷包みに僕は希望の光を見た。
*
行き倒れを助けた翌日、行き倒れそうになっているところを助けられた。人生なにがあるかわかったものではない。昨日の他人は今日の我が身であると伝えたい。
生徒会長が抱えていた包みの中身は、僕の期待を裏切ることなく、ちゃんとお弁当だった。女の子らしい小さめのランチボックスの中に彩りを考慮したおかずたちが詰め込まれている。市販の商品と比べると形は多少劣るが、空腹は最高のスパイスという言い伝えを考慮せずとも味については文句なしに絶品だった。語彙が少ない僕ではこの気持ちを正確に表現しきれないのが悔やまれる。おいしい、絶品だ。そんな感じの当たり障りのないコメントを残すのが精一杯だった。というか食べることに必死になりすぎて、うまく頭が働かない。その証拠に、部屋に上がってもらった生徒会長にお茶すらも出せていない。
とにかく僕は生徒会長のナイスタイミングな差し入れによって窮地に一生を得た。これでようやく行き倒れ娘の気持ちが骨身に染みてわかったと胸を張って言える。
幸福感に包まれた朝食は、あっという間に過ぎていった。もともとお弁当箱が小さかったことを差し引いても早すぎる食事だった。一応育ち盛りの男子高校生である僕の胃袋は、女子高生のお弁当箱では完璧には埋めることができなかったが、それでも十分すぎる燃料の補給にはなった。一食とは満腹になるまで食べるものではなく、腹八分目まで食べられればそれでいいというのが僕の考えだ。
「ごちそうさま。ありがとう、すごく助かったよ」
「いえいえ、おそまつさまでした。ごめんね、妹のお弁当を作ったときに残った余りものばかりだったんだけど」
「上等だよ。余りもので一人の人間の命を救うことができたんだから、生徒会長はやっぱり凄いや」
「ちょっと、やめてよね。そうやって私を持ち上げるの。いつも何かある度におだてるんだから」
彼女は頬に膨らみを持たせると、いじけたように顔を逸らした。褒められるのが好きではないらしい。そりゃあ、僕のような取るに足らない格下から褒められるというは屈辱的なんだろう。ガイアナイトがゴヨウガーディアンをおだてているようなものである。
顔を逸らして彼女は、そのままゆっくりと大きな瞳を使い部屋を見渡して感嘆の声を漏らした。
「それにしても、いつ見ても凄い部屋だよね。こんな何もない殺風景な空間でよく正気で暮らせるものね、感心しちゃう。よかったらうちにある旧型のテレビあげようか?」
「お気遣いは結構。どうせテレビなんて置いてても見ることなんてないだろうし。それに慣れればそんなに悪くないものだよ」
なにもない部屋。
彼女がここを訪れたとき、決まってそう言う。
フローリングの床にはローテーブルとベッドが置かれていて、あとは冷蔵庫が鎮座しているくらいで、特質して目につくものは存在しない。殺風景な部屋と言われても否定はできない。
もっともクローゼットの中には数着の衣類や学生に必要なものが寂しく収納されているし、キッチンには食器乾燥機だってあり、その中には一人暮らし用の食器セットが収まっている。トイレやお風呂や洗面台にだってそれぞれ必要なものを完備していた。
けれど、彼女が言いたいのはそういうことではないのだろう。
確かにここには僕の証明となるようなものは何一つだって置いていない。
虚無空間と言ってもいい。
けれど、それは今の僕自身のことを表しているようで悪いものではない。自分を客観的に見ることができるのだから。
――実家に住んでいた頃はデュエルモンスターズで部屋中が埋めつくされていたっけ。
「なあ、生徒会長。なにか用事があって来たんだろ? まさか弁当を振舞うためだけってわけじゃないんだろうし」
冷蔵庫に残っていた最後のウーロン茶をローテーテーブルの前で正座をしている彼女に謙譲して、僕は訊いた。
生徒会長がここを訪れることは四月以降幾度となくあったことだけれど、こんな早朝に押しかけてきたことは一度だってなかった。優秀な彼女は、ちゃんと迷惑にならない時間帯をわきまえているはずだ。
わきまえている。
なんだか素敵な響きだなぁ。
「あ、そういえばごめんね。こんな時間におじゃましちゃって」
「それについてはむしろ僕は助かったわけだから問題ないよ」
「えっとね。ほら、いま連休期間中でしょ? だから岬野くんが怠惰な日々を過ごしていないのか確かめようと思ってね。昼間まで寝てるようならたたき起こしてあげようかなって。男の子の一人暮らしだから、ちゃんとしたご飯を食べてないだろうとも予想してたの。後半の心配は的中したみたいだけど、前半のは杞憂だったみたいだね」
「そうだよ。僕はいつだって早寝早起きしている。それはもはや習性になっていると言っても過言ではないね」
嘘をついた。
昨日は昼まで寝ていた。
昼間で寝て、そのあと食事も取らずにほぼ一日中冥想をして過ごしたことは絶対に秘密にしうようと思う。彼女の胃に負担をかけるわけにはいかない。
「そう、安心した。なら明日からもこの時間帯に来て大丈夫だよね」
「ん? それはどういう意味だ」
「ほら、ゴールデンウィークの宿題。出てるでしょ。岬野くんのことだからどうせ最終日に悲鳴をあげることになるんだろうと思って。だからそうならないように毎日見てあげることにしたんだ」
「その申し出はこっちとしてはありがたいけどさ、でも、生徒会長だって折角の連休なんだから自由に使いたいんじゃないのか?」
「心配にはおよばない、わたしだって、別に予定があるわけじゃないから」
「でも」
「大丈夫です。それよりほら、さっそく宿題始めようよ。わからないところがあったらバッチリ教えてあげるから。時間は有限だよ。もし早く終わったらそのぶん自由にできる時間が増えるんだからさ」
「…………」
彼女の笑顔が眩しかった。
眩しすぎて、目をあけていられない。
優しすぎる生徒会長はいつだって弱者の見方だ。困っている人がいれば率先して助けに駆けつけるし、間違ったことをする人を見つければ自ら前に出る。だからこそ学校中の人間から親しまれてる存在なのだ。彼女が僕に優しくするのも、その弱者救済の一端でしかない。ひとりで過ごすことが多い僕のことを、クラスメイトから仲間はずれにされていると彼女は勘違いしているようなのである。
別にクラスの人たちと折り合いが悪い訳ではない。ただ接点が生まれないだけだった。趣味のなくなった僕には誰かと共有できるような話題を持ち合わせていないのだ。
そんな僕の学校でのあり方を第三者である彼女に、うまく説明できなくて、もどかしく感じながらも、その優しさの恩恵を受けてきて現在に至る。
お弁当を持ってきてくれたり勉強を教えてもらえるのは正直助かっている。けれど、それと同時に、こんな僕のために良くしてくれている彼女への罪悪感が生まれているのも事実だ。人から貰ってばかりでなにかを返せないというのは窮屈なものなのだ。
思い返してみれば、昨日の行き倒れ娘もこんな心境だったのだろうか?
人からのご好意というのはときには大きなプレッシャーになる。僕はそのことをしっていたのに、彼女に尽くそうとしてしまった。心の隅で彼女のことを同情してしまっていたかもしれない。
きっと生徒会長も昨日の僕と同じ原動力で動いているのだろう。
「ほら、なにボーっとしているの。早く教材を出して」
生徒会長に急かされて、僕は慌てて我に返り、クローゼットから学生カバンを出た。そして、勉強道具一式をローテーブルに並べる。筆箱は使っていない。シャープペンシルと消しゴムはカバンのサイドポケットに収納されている。
朝っぱらから勉強をするのは気が進まなかったが、僕は教えてもらう側なので拒否権はない。
それに優等生から教えてもらいながらの勉強は一人で悩みながら学習するよりも何倍も捗るものだ。結果として時間の節約になり、ゴールデンウィークの目標である青春探しに当たられる一日の割合が増えるのである。あきらかにデメリットよりメリットの方が多い。いつやるの。いまでしょって感じ。
そうして、ローテーブルを挟んで、彼女と向かい合った。優秀な生徒と周知されることもあって、生徒会長は宿題を前日に終わらせていたらしい。彼女はノートと筆記用具だけを用意し、視線をずっと僕の手元に送っていた。問題に詰まると、自らのノートに分かりやすい解説を書いてレクチャーしてくれる。さすがに成績優秀というだけのことはあって、彼女は勉強を教えるのがとても上手だった。さっぱりわからなかったはずの問題が彼女のその解説を見聞きするだけで正解までたどり着けるようになった。
そうして宿題に集中して取り掛かっていると、いつの間にか向いあっていた位置関係が変わっていた。肩を並べての勉強会がフローリングの床の上で繰り広げられている。
そうして、彼女の優秀さに改めて感心しつつ、彼女の美貌に見蕩れていると、不意に宿題とは関係のない話が始まっていた。
「ねえ、岬野くん」
「ん? どうしたんだ」
「あのさ、最近気になってたんだけど、あなた、あの子と仲が良いの?」
「あの子って?」
「ほら、転校生の。双橋遊奈ちゃんだっけ」
「……どうだろうな」
生徒会長の歯切れの悪さや、「だっけ」という彼女らしからぬ言い方が引っかかる。
なんだか彼女の口調に棘のようなものを感じた僕は、額に冷や汗を浮かべながら平静な態度で言葉を続けた。
「どうやら双橋と僕は面識があったみたいなんだ。けど、僕のほうは彼女のことをまったく覚えていなかったから、なんていうか距離感が測り難いってところはあるかな、こっちとしてはだけど。だから仲が良いと聞かれると微妙だとしか答えられない」
「ふーん。そうなんだ。でも結構一緒にいること多くない? 休み時間とか、下校するときとか」
「それは、他のクラスメイトと行動をともにすることがないから、相対的に双橋と一緒にいることが多く見えるだけじゃないかな。あいつだって、転校してきたばっかりだし、見知っている相手に寄ってきてるだけなんだろうぜ」
「うん。それもそうか」
呟いた言葉の内容と表情が一致していない。どこか納得しきれていないみたいだ。
ちょうどそのとき、玄関のチャイムがなった。訪問者が現れたらしい。
嫌な空気が場を満たしていたから、このタイミングはナイスだった。宅配か集金かは知らないが良くやったと褒めてやりたい。
英雄の訪問に応じるべく、僕は逃げるように席を立って玄関へと飛んでいった。
「あ、御影さん。おはようございます」
噂をすればなんとやら。
来訪者は双橋遊奈だった。
僕は無言で扉を閉めた。
003
張りつめた空気の中、僕は部屋の隅で小さく座禅していた。
――察しの悪かった双橋は、僕が無碍に扱っても帰ってくれる気配をみせなかった。それどころか玄関前で騒ぎ続けたので、仕方なく部屋に入ってもらうことになった。そんな転校生の訪問に、生徒会長は困惑した様子を見せた。それもそのはずである。つい先ほど、彼女とは親密ではないと宣言したばかりなのだから。仲が良くなかったら、休日の朝っぱらから部屋を訪問するはずがない。
「ふーん。そうなんだ。双橋さんは岬野くんをデュエリストに戻すためにいろいろと頑張ってるのね」
「そうなんですよ。でも御影さんは全然その気になってくれなくて、困ってるんです。この間なんか、デュエルモンズターズに少しでも興味が移ってもらえるようにと思ってガガガガールのコスプレまでしたのに、デュエルじゃなくて脇の下に興味がいっちゃったみたいで……」
「えっ、そんなことまでしたの? そこまでさせてその気にならないなんてひどいね」
「わかってもらえますか、この苦労が!」
「うん、痛いほどよくわかるよ。わたしも岬野くんをクラスに溶け込めるようにいろいろ手を回しているんだけど、成果がからっきしでね。もう、彼の協調性のなさにはほとほとがっかりしているの」
生徒会長は持ち前の性質を利用して、僕のときもそうだったように、双橋に対しても分け隔てなく打ち解けていた。双橋のほうも人見知りをする性格ではなかったので、ふたりはあっという間に話しを盛り上げていく――
そして僕は部屋の隅に追いやられた。
正確には自ら逃げた。
「…………」
僕には、
僕には分かるのだ。
きゃっきゃうふふとトークを繰り広げている彼女たちではあるが、その裏では、壮絶な闇がうごめいている。
双橋の方はいつもと変わらない。邪念を知らない子供のように心から会話を楽しでいる様子が見て取れる。
問題は生徒会長の方にあった。
笑顔だ。間違いなく笑顔だ。それも彼女と知り合ってからおよそ見たことのない全力の笑みだ。口元が裂けるのではないかと心配になってくるほどだ。
けれど、しかし、だけども、だが、生徒会長が笑顔を保てているのは顔の半分だけで、残り半分は死神のようだ。瞳孔が開ききっていてハイライトが消えている。前髪から覗く額の辺りだけ、墨で塗りつぶしたかのような漆黒に染まっている。
こんなにドスグロイ顔を、僕は生まれてこのかた見たことがない。十六歳にしてはじめてトラウマが芽生えそうだ。
あんなに恐ろしいことになっているのに、その相手をしている方は、その異変に気がついていないらしい。鈍いところのある双橋は生徒会長から発せられている負のオーラが見えていないのだろう。
全身から溢れ出る狂気のオーラに当てられて、僕は部屋の片隅でがたがたと震え、息をすることもままならない。
顔を伏せるようにして彼女のことをなるべく見ないようにしているのに、なぜか剣のような視線が突き刺さるのが感じられる。会話のところどころで、生徒会長が僕のほうに視線を流しているらしい。
乾ききった喉が痛くなってきた。こんなことならもっとウーロン茶を買いだめしておくんだった。
とにかく、そんなわけで、六畳一間のフローリングは天空の聖域からアンデットワールドに張り替えられたかのごとく、薄暗いフィールドに変貌していた。
「いやあ、それにしても生徒会長さんとこんなに仲良くできるなんて思ってなかったですよ。お互いに御影さんのことで苦労するかもするかもしれませんが、どうぞよろしくです」
「うん。こちらこそよろしくね。ところで殺気から……じゃなくて、さっきから岬野くんのことを下の名前で呼んでるみたいだけど、彼と仲がいいの?」
「はい。とっても仲良しですよ。毎日一緒にお弁当食べたり、放課後に寄り道したりしてます」
「へえ、一緒にいるところが多いって聞いてたけど、そこまで仲がよかったんだねぇ」
剣の視線が頬をかすめた。
全身から嫌な汗が溢れ出す。
生徒会長はいつも事務仕事に追われていて、休み時間も放課後も教室にいることが少ない。だから人伝いに僕と双橋のことを聞いていたのだろう。その、霞がかかっていた二人の関係性が、ここで本人と直接話すことによって段々と具体的な骨格となって、真実が露見した。
いやいや、勘違いしないで欲しい。
確かに双橋とは学校生活において、それなりに関わりを持ってはいるが、彼女は自分の主観を話に大きく取り入れる傾向にあるから、実際には彼女と僕はそれほど仲の良い関係を築けていない。だから僕は嘘をついていない。生徒会長に嘘なんてついていない。
双橋が僕とお弁当を一緒に食べるのは、昼食をともにする友達が他にいないからなのである。というのも、彼女、どうも新規の友達を作る気がないらしい。
学校生活において他者とコミュニティを築くのはひとつの醍醐味であるはずなのに、彼女はまるっきりそのことに興味を示さない。休み時間にクラスメイトたちがデュエルをしているのに、それがまったく眼中に入っていないようなのである。デュエルデュエルとバカのひとつ覚えみたいに普段から騒ぎ立てているくせに、肝心のデュエルをほったらかしにしている。
思い返せば、彼女がデュエルディスクを構えているところを見たのは夕焼けに染まった屋上が最初で最後だ。
肝心のデュエルを蔑ろにして、終始、僕をデュエリストへ戻すことに固執している。確かに彼女は以前、他の誰かとではなく、僕とデュエルすることだけが目的だと語っていた。それはどうやら本心だったらしい。
腰ぎんちゃくみたいに付きまとう彼女は、放課後にカードショップへと僕を連行することが多い。宝石みたいに展示されているカードを見れば、きっとデュエリストだった頃のことを思いだして戻ってきてくれると考えているらしいのだ。
確かに売り出されているカードを眺めることはそれなりに心躍るものではあった。けれど、それは思い出の欠片を眺めて、あんな時代もあったなぁと懐かしんでいるだけなのだ。もはやデュエルは僕にとっては過去の思い出でしかなくなっている。だから双橋の努力はまったくの無駄なのだ。いつか分かってくれる日が来ると心から願う。
「岬野くん」
「は、はい!」
突然の生徒会長からの呼び声に、僕は条件反射のように返事を返す。
まともに視界に入った彼女の表情は完璧に覇王の風格を帯びておいた。
自然に奥歯ががたがたと揺れ動く。
「どうして、岬野くんは双橋さんとデュエルしてあげないの?」
「えっ、いや、それにはいろいろと事情がありまして……」
「いいじゃない、一回ぐらい相手してあげてよ。このままじゃ彼女がかわいそうよ」
「それは、そうかもしれないけど」
双橋は、僕を攻め立てる生徒会長のガヤとなることで加戦した。
二対一の状況は圧倒的に不利である。ここはなんとか話を逸らさなければ。
「そう、あれだ。僕は親友のためにデュエリストをやめたんだぁ! 僕がデュエルをすることでそいつの生命が絶たれる危険性がある。だから簡単に申し出は受けられない。そういうことで納得してくれよ」
「岬野くん」
「はい」
「もっとマシな嘘はつけないの? 何よその抽象的であやふやな理由は。真実味に欠けてるよ。そもそも岬野くんに親友なんているのかしら」
「…………」
親友の有無についてまで疑われていた。
否定できない自分が悲しい。
幼い頃からデュエルありきの関係でしか友人を作ったことがなかったから、デュエリストを卒業したことによって友人関係は次第に薄れていったのだ。
だからつまり、僕に親友はいない。
そもそも友達がいない。
怖い目をした生徒会長の追撃から僕を助けてくれたのは、以外なことに双橋だった。ローテーブルの上に広がったままになっている教材を見て、ぽつりと呟いた。
「ん? あっ、そういえば御影さんたち、お勉強会をしていたんですね。すみません、そうとは知らずにお邪魔してしまって」
生徒会長は、その一言を聞いて、何かを思いついた顔になって、明るい声色に変わった。
「大丈夫よ、気にしないで。どうせ勉強が終わったらふたりでゆっくり遊ぶ予定だったし、すこし順序が入れ替わるだけだから。でも午後になったら双橋さんは席を外してもらっても構わない? 岬野くんは集中力にかけているところがあるから、ふたりっきりになったほうが効率が上がると思うの」
ひっくり返ったかのように明るい雰囲気になって、ピカピカに輝く瞳を振りまきながら、生徒会長は演技がかった口調を披露した。彼女と出会ってからまだ一ヶ月程度しか経っていなかったが、こんなにコロコロと振る舞いが変わる人なのだと今知った。
光と影は表裏一体というけれど、それは、彼女にこそ相応しい言葉なのかもしれない。
「それもそうですね、御影さんはすぐ他のことに走ってしまいますものね。わかりました。ふたりっきりの方がいいというのであれば、そうしましょう」
「ごめんねぇ。悪いわねぇ」
「ですが、生徒会長ばかりに苦労はかけられません。御影さんのために一肌脱ぐのは弟子の務め、だから午後からはあたしが勉強を見てあげることにします」
「…………はぁ?」
「大丈夫です、心配しないでください。こう見えても勉強はとっても得意なのです」
「…………」
クルリと生徒会長の表情が一変していた。本当にくるくるコロコロ変わる表情をお持ちらしい。
彼女は目尻を小刻みに揺らしながら、楽しそうにしている双橋を睨んでいる。大丈夫だろうか、一応あとで夜道には気をつけるように言っておこう。
「宿題だけと言わず、なんなら高校三年間の勉強だって見てあげますよ。そうです、そうしましょうか。勉強面での心配がなくなれば、人生に余裕が出来き、デュエルに復帰してくれるようになるかもしれませんし」
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!」
「はい?」
「岬野くんの勉強は先にわたしが見てあげてたんです。だから今更それをあなたに任せるわけにはいきません」
「どうしてです?」
「それは……あれよ、あれ! わたしが困るのよ。一度はじめた仕事を途中で投げ出すわけにはいかないわ、それはわたしの主義に反することだもの」
「だったら尚更あたしが引き継ぐべきです。あたしなら御影さんの面倒を見ることを仕事だとは思いません。そのほうが御影さんの気も楽になることでしょうし」
「ぐっ……」
生徒会長は裏でも表でもない素の表情で狼狽した。
双橋の言うとおり、確かに誰かに苦労をかけていると思うと、施される側としては窮屈なものだ。そのことは生徒会長にも理解できたのだろう。口をもごもごを動かすだけで、反撃の言葉が出てこない。
「えっと、じゃあ、さっそく御影さんの学習状況を調べさせてもらいますね」
双橋はそう言って、ローテーブルの上にあるプリントを一枚手に取った。まだ生徒会長に採点してもらっていないプリントだった。
始めはにこにこしていた双橋だったが、プリントをスクロールしていくうちに曇りがさしてきた。
「……これは、ちょっと、どうしたものでしょう」
「やめろ、双橋! そんな目で僕を見るな! これは確かにデュエルなんてやってる場合じゃねえだろみたいな顔をするな!」
「でも、これはさすがにどうでしょうか……。だってこれ、中学の復習じゃないですか。それをこれだけ盛大に間違えてるだなんて……」
「悪かったな、勉強できなくて。ああ、そうですよ、現在僕が高校生をやれているのは奇跡みたいなものですよ!」
そうなのだ。
僕は成績がすこぶるわるかった。
幼い頃はデュエルに明け暮れるだけの日々を送っていたのだから、そりゃあ成績が良くなるわけがない。青峰高校に合格したのはたまたま山勘が当たっただけなのだ(定員割れしてたのは秘密)。
得意課目はない、そう胸を張って言えるだけのステータスを僕は持っている!
そういう勉強が出来ないところもまた、生徒会長の弱者救済システムの発動条件を担っていると思うと申し訳がない。
「そう、そうなのよ!」
フリーズしていた生徒会長が復活した。
「岬野くんは学習面で、常人と比べて段違い劣っているの。その出来の悪さは担任だって目を回すほどよ。つまり普通の人間では救済してあげるのは難しいわけ。あなたのようなちょとだけ成績の良い生徒には、彼の頭……じゃなかった成績はどうにもできないわ。でも、わたしなら彼の成績をよくしてあげられるのよ。勉強は人並み外れて得意だし、昔から妹の勉強を見てきたから人に物事を教えるのには慣れているもの」
なんだかとっても必死な彼女だった。
ぶっちゃけると僕はどちらに勉強を見てもらうのでも構わない、だからあんまり不毛な争いは続けて欲しくない。
というか、それ以上現実を突きつけないでください。
自分の出来の悪さを改めて言葉にされてしまうとなんだか凄く悲しくなるので。
しょんぼりするので。
「だ、大丈夫です! たとえ御影さんの成績がどん底であろうと、あたしがなんとかします。より良い未来へと導いてみせます。だから生徒会長のお手を煩わせるわけにはいきません。いえ、むしろこれは使命です。天があたしに与えた使命なのです!」
「そんな勝手なことを言わないで頂戴! 岬野くんの将来を良い方向に導くのはわたしの仕事なのよ。成績を跳ね上げて、有名な大学に通わせて、一流の企業に就職して、大出世して。最終的に世間で活躍する凄い人なってもらうの。そんな彼を影で支えるのはいつだってわたしでなくちゃいけないの。彼をより良い家庭へ導くのがわたしの使命なのよ。それを邪魔しようっていうなら、誰であっても許さない」
両者の間に明確な敵意が芽生えはじめていた。
何もないはずの空間は足の踏み場がないくらい殺伐としたく空気で満たされていた。
普通の人ならば、ここでよりどちらが勉強を教えるのが上手なのかを証明するために学力勝負でも始めることだろう。けれど彼女たちはデュエリストだ。揉め事が起こったとき、それを決着へと導くのはいつだってカードたちなのだった。
「こうなったらデュエルで決着です! あたしが勝ったら御影さんの将来は譲ってもらいますからね!」
「望むところよ! 岬野くんをより良い未来に導くのがどちらなのか白黒つけましょう!」
戦線布告を終わらせると、彼女たちはそれぞれ自分のカバンからデュエルディスクを取り出し、競走するかのように玄関へ向っていった。通路を鳴らす足音は次第に階段を下っていって、裏庭の駐輪場前で止まった。あそこならデュエルをするのに耐えうるだけのスペースはあるだろう。
残された僕はふたりのデュエリストを追いかけるかどうか悩んで、結局は留守番することを選んだ。
なぜなら、ベランダから裏庭が一望できるからだ。わざわざ戦地に足を踏み入れることはあるまい。
「平和な青春が欲しい」
僕は力なく呟いて、斜め上から彼女たちのつむじを見守ることにする。
そういえば、ゴールデンウィークになってから外出していない気がするけれど、それはまあ、考えないようにしよう。
*
「おっす、御影」
ベランダの手すりに寄りかかって裏庭を眺めていると、いつのまにか隣に男が立っていた。神路明である。ワックス特盛りのヘアースタイルが風に吹かれて奇妙な揺れ方をしている。
僕は当たり前のように返事をした。神路が突然現れるのはいつものことだ。その脈略のない神出鬼没さに、今ではすっかりなれてしまった。
「しばらく顔を見せないから心配したぞ。よっぽど双橋に負けたことがショックだったのか?」
「いんや。お譲ちゃんに負けたことは確かに悔しかったけど、それ以上に時代の流れに置いてけぼりにされてることを実感しちまったのが響いたな。今はまだギリギリなんとかなっているけど、そのうち俺のデッキが環境から相手にされなくなるかと思うとナイーブになっちまう」
「変えないのか、デッキ」
「よく言うぜ。俺がデッキを組み変えられないの知ってるくせにさ。容姿や頭はちゃんと成長してるのに、デッキとデュエルディスクだけは昔のままさ。どうかしてるよな」
「まあ、気にするなよ。お前は拘り過ぎなんだよ。デュエルをしなくなれば、そんな悩みは無用になる」
神路は小さく笑った。
他の人の前ではおどけた態度を取る彼ではあるけれど、僕とふたりきりのときは比較的おとなしい雰囲気をしている。
「御影みたいに簡単には割り切れないさ。拘るのをやめろって言うなら、一回でいいからデュエルしてくれよ。そしたら俺は嫌でもデュエルから解放される。お前としても、それは本望じゃないのか? こうやってデュエルしろデュエルしろって付きまとわれることがなくなるんだからよ」
「あいにくだけど、求めれるのは嫌いじゃないんだ」
「ホント、御影は嘘つきだよな。その見せ掛けだけの優しさは、物事を悪い方へ向わせてる。それを自覚するべきだ」
「…………」
会話はそこで途絶えた。
午後を控えた青い空はどこまでも果てしなく続いていて、今日も太陽は僕らを照らしてくれている。きっと、明日も明後日も、たとえ僕が地球上から消えてなくなっても人類はずっと見守られて生きていくことになるのだろう。
デュエルモンスターズも同じだ。僕が引退したあとも歴史は途絶えることなく築かれて、新しいカードはどんどん量産されていく。
今日もデュエリストは僕と関係のないところで新しいカードと出会って、僕と関係のないところでデュエルディスクを構え、僕と関係のないところで勝敗を分かち合っている。
――それを寂しいと思えない自分が嫌だ。
「それじゃあ、おジャマ虫は消えるよ。お譲ちゃんたちとよろしくやってろよ」
「見て行かないのか、あいつらのデュエル」
「観戦は趣味じゃない。自分が関われない勝負を見てても面白くもなんともない。悲しくなってくるだけなんだよ」
おどけた風に言って、神路は背中を向けた。
僕は少しだけ考えて、そして、声をかける。
「なあ、神路。もしもさ、あのとき僕とお前がデュエルしていたら、勝敗はどうなってたんだろうな」
「さあな。そればっかりはわかんねえ。てか、それをはっきりさせるためにデュエルしろつってんだよ。……そうやって時折エサを撒くのはやめろ。変な期待をしちまうだろうが。希望を見せびらかすだけってのは、相手を生殺しにしてるようなもんなんだぞ。お譲ちゃんの件に関しても同じだ」
「…………」
「俺には拘るな拘るなって言うけどさ、なにかに拘ってるのはお前の方だろ」
そんな一言を残して、僕の返事を聞くこともなく、神路の姿は視界から消えていた。
代わりにローテーブルの上にペットボトルのウーロン茶が置いてあった。
「見せ掛けだけ優しいのはどっちだよ」
おかしくなって苦笑した。狭い室内に僕の声は虚しく反響する。
乾いた喉を潤しながら、ベランダに戻ってふたりのデュエリストに視線を戻した。
デュエルがようやく始まるところだった。裏庭に出てから数分間の間、彼女たちは、どちらがより僕の面倒を見るのに適しているのか言い争いをしていたらしい。
ペットのような扱いをされているのは気にかかる。だけれど、はっきりと拒絶できない僕がいる。
*
「あたしのターンから行きます!」
先攻は双橋に回った。
ターンの順番は基本的にデュエルディスクがランダムで決めてくれる。そんな機能をわざわざつけなくても、じゃんけんで先攻と後攻を決めればいいのではないだろうかと、僕がデュエリストだった頃はいつも思っていた。
「手札から、《
「んん? なによ、そのモンスター!」
フィールドに召喚された、安っぽい翼を持った戦士を前にして、生徒会長は露骨に反応を示した。
神路はともかくとして勉強熱心であるはずの彼女に知らないカードがあるとは意外だった。よっぽど双橋の使うカードは認知度が低いらしい。
そういうことなら、双橋が《F・A》を使う理由が読めてくる。あまり一般向けでなく、注目を浴びていないカードを使って情報アドバンテージを得ることが戦術の一端を担っているのだろう。自分は相手の使うカードをある程度知っているのに、逆に相手はどんなカードが飛び出してくるのかわからない恐怖に脅えることになる。
そうだ。
双橋はデュエルだけでなく、現実でも情報アドバンテージを駆使している。
彼女の方は僕のことを知っているのに、僕の方は彼女のことについて、正直なにもわかっていない。それが意図したものなのか、それとも単なる偶然で生まれた構図なのかはわからないけれど、少しだけ注意するべきなのかもしれない。
「なんですか生徒会長さん、あなたにも知らないことがあるんですね。そんなので御影さんのお世話をしようだなんて、とんだ役不足ですよ」
役不足の使い方をどうやら双橋は誤解しているらしい。
これでは彼女の成績がほんとうに良好なのか疑わしくなってくる。
てっきり、生徒会長はそんな双橋の言葉の誤用を攻め立てるだろうと思ったいたけれど、そんなことはなかった。見たこともないカードに驚いているらしい。それとも自分の知識にないカードを双橋が持っていたことが悔しいのだろうか。
「ふ、ふん。そんなマイナーなカードを召喚したくらいで良い顔をしないでもらいたいわ。情報が出回っていないカードってことは、それだけ誰も使わない弱いカードってことじゃない!」
「弱いだなんて失礼な! いいです、あたしが勝ってその実力を証明してあげます。カードを場に伏せて、ターンエンド」
《プラスチック・ウイング》は攻撃力800ポイントのモンスターだった。昨今では戦闘力ではなく、特殊効果が重要視されている傾向にあるとは言え、攻撃力の低いカードをわざわざフィールドに立たせておく必要性がわからない。
そこから予測を立てるとすると、あのモンスターには表側で召喚しなければならない何らかの理由があるのか、または相手の戦闘を誘って、リバースカードで迎撃するのが目的なのだろう。
「たった、それだけでターンエンド? デッキがちゃんと回ってないのかしら。それとも動きが鈍いだけかしらねえ」
「ご心配なく、回らないようなデッキ構築をしていませんから。エージェントに無駄な動きは必要ないのです」
「あっそ。あなたが弱そうで助かったわ。普段なら拍子抜けするところだけれど、今回は負けるわけにはいかないものね」
「負けるつもりはありませんよ」
「その自信、このターンで打ち砕いてあげる――」
生徒会長はデッキに手をかけて、おなじみの掛け声でカードを引いた。
僕が慣れ親しんできた彼女の雰囲気はそこになかった。それは神路のように、特定の相手といるときだけ感じが変わるというものなのかもしれない。双橋と一緒にいるときの彼女はどこまでも気が強かった。
「わたしはデッキの上からカードを三枚墓地に送って、魔法カード、《光の援軍》を発動! レベル4以下の《ライトロード》モンスターをデッキから手札に加える」
生徒会長は《ライトロード》デッキを使うみたいだ。弱者を光の道へと先導する彼女にはお似合いのデッキなのかもしれない。
《光の援軍》の効果で手札に加えられたのは、《ライトロード・サモナー ルミナス》だった。手札をコストに墓地の《ライトロード》を復活させることのできるカードである。
ただデッキからカードをサーチしただけでは、生徒会長は終わらない。成績優秀だけでは飽き足らないらず、強い運までも彼女は有しているらしい。
「《光の援軍》のコストで墓地に送られたカードの中に《ライトロード・ビースト ウォルフ》が入っていたわ。このカードはデッキから墓地に送られたとき、フィールドに特殊召喚される!」
屈強そうな獣人が場に出現した。レベル4の癖に2100ポイントもの攻撃力を持っている。代わりに、通常召喚ができないというデメリットを背負っているカードだ。
これだけでも十分に双橋にダメージを与えられるが、そこは向上心の強いお人。まだまだターンエンドへは程遠い。
「続けて、《ソーラー・エクスチェンジ》を発動、手札から《ライトロード》モンスターを捨て、デッキから二枚のカードをドロー。その後、デッキの上からカードを二枚墓地に送る」
手札から捨てられたカードは《ライトロード・マジシャン ライラ》だ。
同じ視点の時なら見えないようなことも、斜め上からなら視界に入る。快適な観覧場所だった。これでポップコーンでも片手にあれば休日の午後が最高の状態となっただろう。
デッキから墓地に送られたカードを見て、生徒会長は不適な笑みを浮かべた。よっぽど思い通りにことが運んでいるらしい。
「墓地に送られた、《ライトロード・メイデン ミネルバ》の効果発動。デッキの上からカードを一枚墓地に送る。この効果で墓地送りになったのは《ライトロード・アーチャー フェリス》! そのモンスター効果で自身を特殊召喚!」
弓を構えた獣人娘の脇に、僕は自然と反応してしまった。引退している間に《ライトロード》には新参者が増えていたらしい。
それにしても《フェリス》は、ポニーテールの髪型といい、脇出しルックといい、どことなく行き倒れ娘とシルエットが似ている。
ふむ。
今度カードショップに連れていかれたとき、一枚ぐらい手に入れるとしよう。
「やりますね。そこまで運が強いなんて」
「褒めないで! 何様のつもりなのよ!」
感心した様子だった双橋は面食らったように目をみひらいた。
生徒会長が褒められるのが嫌いなのは今にはじまったことではないけれど、今回ほど露骨に牙を剥いたのは初めてだった。それは相手が双橋だったからなのか、それとも溜まっていた鬱憤がここで弾けただけなのかはわからない。
とにかく、僕は今後一切、彼女を褒めないようにしようと心に誓った。
「あの、あたしはただ素直に感心しただけで」
「うるさい! すぐにその口が開けなくなるようにしてあげるから覚悟しなさい」
生徒会長のフィールドには既に攻撃力2100のモンスターと1100のモンスターが並んでいる。けれど、それらのカードは特殊召喚によって場にだされているので、まだ通常召喚の権利が残っている。
「わたしは手札から『ライトロード・サモナー ルミナス』を召喚、そしてそのモンスター効果で手札をコストにして、墓地から『ラロード・マジシャン ライラ』を復活させる」
気が強そうなお姉さんが、包容力のありそうなお姉さんを呼び出した。『ルミナス』は脇を出したスタイルだが、このカードの存在は兼ねてから知っていたので、それほど興味をそそられなかった。ありていに言って、見飽きた。
状況は圧倒的に生徒会長が有利だった。フィールドには攻撃力1000と1700のモンスターが追加されている。しかもこれだけの物量を展開しておいて、いまだに手札は四枚もある。このターンだけで、デッキから合計六枚のカードがコストとして墓地に送られているけれど、それは考慮するに値しない。六枚の内、二枚はフィールドに戻っているのだし。
「このまま、総攻撃をしたいところだけれど、そのリバースカードに迎撃されるかもしれないのよね。だったら安全に責めるために妥協して状況を整えるとしましょう。『ライトロード・マジシャン ライラ』の効果を発動。このカードの表示形式を変更することを条件に、あなたのリバースカードを破壊するわ」
「くっ、やってくれますね」
破壊されたカードを名残惜しそうに見つめていた双橋は気を取り直して生徒会長へと視線を戻す。
伏せていたカードは無駄になったが、それでもまだリカバリーができる状況ではある。攻撃力が800ポイントしかない『プラスチック・ウイング』でも、戦闘ダメージの軽減にならなってくれる。1700の『ライラ』が守備表示になったことで生徒会長のモンスターが総攻撃をかけても、双橋のライフは600ポイント残る。勝負を諦めるには早すぎるだろう。
「バトルフェイズに入るわ。まずは『ライトロード・ビースト ウォルフ』で『F・Aプラスチック・ウイング』を攻撃!」
「そうは行きません。『F・Aプラスチック・ウイング』のモンスター効果を発動です! このカードが攻撃対象に選ばれたとき、このカードと相手モンスターをゲームから除外します!」
獣人の攻撃を回避するように『プラスチック・ウイング』が安っぽい翼で飛翔して、そして後ろに回りこんで相手を羽交い絞めにする。次の瞬間、空間に謎の穴が開き、二体のモンスターは消えうせた。
「『F・Aプラスチック・ウイング』に託されているのは未来に向けて羽ばたくための翼。空間に時空の穴を穿ち、ターン終了まで時を跳び越える」
「さすが双橋さん。ずいぶんと姑息な手を使うじゃない」
「いえ、それほどでも」
「褒めてるわけじゃないわよ。まあ、いいか。『ウォルフ』がいなくなったところで、バトルフェイズが終了するわけじゃないみたいだし、残りのモンスターでダイレクトアタックをさせてもらうわ」
二体のモンスターが双橋を襲った。
1000ポイントのダメージと1100ポイントのダメージを受けて、残りのライフは半分を切った。状況として不利なことには変わりないけれど、それでもダメージを最小限に抑えることができたのだから行幸と言えるだろう。
「わたしはこれで、ターンエンド。《ライトロード》たちの効果で合計六枚のカードをデッキから墓地に送るわ。ここで、時空の狭間に消えたモンスターたちが帰ってくるのよね?」
「ええ。エンドフェイズになったことで、過去から《プラスチック・ウイング》とあなたのモンスターはフィールドに戻ります」
先ほどの時空の亀裂が再び生じて、そこから二体のモンスターは帰還した。
「あたしのターン、ドロー! スタンバイフェイズに入ったことで《F・A》の共通効果が発動、フィーチャーカウンターが《プラスチック・ウイング》に送られます」
光の勲章であるフューチャーカウンターが安っぽい羽に灯り、数字を形成した。
あのカウンターを消費することで、《F・A》は強力なモンスターへと繋げることができる。《プラスチック・ウイング》の効果はそれを補助するのに適切な効果を持っているといえるだろう。
「手札から《F・Aラバー・ガール》を攻撃表示で召喚!」
双橋が呼び出したのは、いままでの《F・A》とは毛色の違うモンスターだった。ごつごつとした機械を思わせる鎧を身にしておらず、しなやかなで豊満な肉体をその名の通りラバースーツで包んでいる。その素顔は妖艶な大人の魅力を放っていた。
好戦的な目つきをしているわりに攻撃力が300ポイントしかないのは、やはりスーツが戦闘用ではないからなのだろう。
「行きますよ。フィールドのフューチャーカウンターをひとつ取り除き、《F・A》モンスターを二体を墓地に送ることで、エクストラデッキから戦闘要員の《F・A》を特殊召喚します!」
安っぽい羽の上で、1の形を作っていた光が大きくなって、二体のモンスターを包み込む。
その光の繭が消失したとき、一体の《F・A》がフィールドに現れることだろう。
「ひとつの過去が、より良い未来を作り出す! その鋭い兵器で、立ちふさがる障害を切り裂け! 特殊召喚、《F・Aスラッシュ・ジャイロ》!」
オートジャイロの回転翼を武器として携えたモンスターが双橋のセリフと共に姿を見せた。
……若干セリフと登場のタイミングがずれていた気もするけれど、大した問題ではない。
双橋の頬が赤くなっているのも問題ではない。
「さ、さらに、手札から装備魔法カード、《フューチャー・ウェポン 時断ちの太刀》を《スラッシュ・ジャイロ》を対象として発動させます」
2500ポイントの《スラッシュ・ジャイロ》が回転翼と太刀の二刀流になって攻撃力が上昇した。
「《時断ちの太刀》は装備したモンスターの攻撃力を800ポイントアップさせます。これで《スラッシュ・ジャイロ》の攻撃力の数値は3300ポイントになりました」
「ふん、たかが攻撃力が上がっただけでそんな得意顔をしないでちょうだい」
「攻撃力を上昇させるだけが、この装備魔法の利点ではありません。《フューチャー・ウェポン 時断ちの太刀》を装備したモンスターが、レベル4以下のモンスターを破壊したときは、次の相手のバトルフェイズをスキップします」
生徒会長のフィールドにはレベル4以下のモンスターしか存在しない。双橋の戦闘が成功すれば、次のターン、生徒会長は攻めることができなくなるわけだ。
僕の持っている知識だけを使って考えると、この状況で破壊するべきなのは《ライトロード・サモナー ルミナス》だろう。あのカードがフィールドに存在する限り、手札1枚と引き換えに毎ターン墓地からモンスターを復活させられるのだ。
「バトルフェイズに入ります! 《F・Aスラッシュ・ジャイロ》で《ライトロード・サモナー ルミナス》に攻撃!」
担いでいた回転翼をブーメランのようにして勢いよく飛ばし、続けて太刀を振りかざして自らも突撃をはじめる。宙を舞った回転翼は無駄な軌道を描き、《ルミナス》の後方に回った。太刀と回転翼による挟み撃ちが展開されている。
「甘いわね! そんな装備カードを付けたところで、戦闘を満足におこなえなければ意味を成さないわ。わたしは墓地から《超電磁タートル》を除外して、バトルフェイズを強制終了させる」
「あっ……」
双橋は墓地からの戦闘妨害で意表を付かれたらしい。
突如現れた同じ電極の磁石が対立する二体のモンスターにくっついて、反発しあって距離を開けた。空中を回っていた回転翼は《スラッシュ・ジャイロ》に付いている磁石に吸い寄せられるように軌道を変えた。
「これで、あなたの装備カードはその効果を発揮できないわ」
「……ターンエンドです」
表情を曇らせた双橋は、《フェリス》のことを睨むようにしていた。あのカードをなぜか警戒しているらしい。
「わたしのターン、ドロー! フィールドの《ライトロード・アーチャー フェリス》の効果発動、このカードをリリースすることによって、相手フィールドのモンスターを破壊する!」
おお、《フェリス》はそのような効果を備えていたのか。ただ特殊召喚効果を持っているだけだと思っていたけれど、これはなかなか強力な一枚だ。それを知っていた双橋は、だから警戒していたのだろう。
墓地に送られた《フェリス》は自身の肉体を光の矢に変えて、それを《スラッシュ・ジャイロ》にぶつけた。双橋のエースモンスターがあっけなく除去された瞬間だった。
これで状況はおよそ最悪なものになった。双橋のライフは残り半分で、フィールドにカードが存在しない。向かい合っている生徒会長の手駒は2100ポイントの攻撃力を持つ《ライトロード・ビースト ウォルフ》、墓地からモンスターを呼び出せる《ライトロード・サモナー ルミナス》、守備表示の壁ではあるが《ライトロード・マジシャン ライラ》も控えている。
もしも《時断ちの太刀》を装備した《スラッシュ・ジャイロ》の攻撃が通っていれば、このターンのバトルフェイズを無視できた。けれど、その目論見は妨害された。
デュエルの展開としては神路戦と酷似している。あのときだって絶望的な状況を逆転できたのだから、今回もきっと何とかなるだろう。
あのときはドキドキさせられたが、今回の僕は至って冷静だった。
双橋を窮地から救うカードが、彼女の墓地で眠っていることを知っているからだ。
「あら、もうゲームセットみたいね。やっぱり岬野くんの人生をより良い方向に導けるのはわたしだけなのよ。このターンでそのことが証明されたわね」
「いいえ。御影さんのより良い未来に導くのはあたしの役目です」
「なら証拠を見せてみなさいよ。もっともあなたのフィールドには、それを示せるカードは残ってないみたいだけどね」
「…………」
「わたしの手札はまだ五枚もあるけれど、これらを使う必要はないみたい。まだ切り札だって出せてないけど、それはお互いの実力が段違いであるということの証明だもの、仕方がない」
酔いしれるように言葉を送っていた生徒会長だったが、双橋はそれに反応しなくなった。
そっと吐いた溜息は生徒会長が双橋に対して拍子抜けしたことを表している。
そして、バトルフェイズが始まった。
「バトルよ! 《ライトロード・ビースト ウォルフ》でダイレクトアタック!」
「この瞬間、墓地から罠カードを発動させます!」
「え?」
「あなたの《超電磁タートル》のお返しです。罠カード、《未来改変》! あたしのライフポイントの数値より高い攻撃力のモンスター、《ライトロード・ビースト ウォルフ》が存在するので発動が可能になりました。手札の《F・A》を捨てて、このカードをゲームから除外し、このターンのバトルフェイズをスキップします」
双橋の十八番を前にして、生徒会長は戦慄していた。
勝ちを確信した攻撃が、次の瞬間には華麗に回避されたのだから気落ちするのも無理はない。
「で、でも、そんなのただの防御手段でしかないわ。あなたの手札は残りわずかなのだし、わたしのライフポイントはまだ削られていない。それにわたしの手札にはまだ切り札が控えているわ」
あのカードはその場しのぎなどではない。
それを僕は知っている。
双橋にとって、あのカードは――反撃の狼煙だ。
「大丈夫です。次のターンには状況をひっくり返して見せますから。《未来改変》の第二の効果によって、このターンのエンドフェイズ時に、相手フィールドに存在するモンスターの数まで、墓地から《F・A》が特殊召喚されます」
「そ、そんな効果が!? ……だったら、わたしはメインフェイズ2に移行して、手札から《
デッキの目玉カードを生徒会長は召喚した。《裁きの龍》は自分の墓地に《ライトロード》モンスターが四種類以上存在する場合にのみ特殊召喚ができるカードだ。さんざんデッキから墓地にカードを送っている生徒会長はその条件を満たしているのだろう。
「《裁きの龍》は1000ポイントのライフと引き換えに、このカード以外のフィールドのカードをすべて破壊する。こうすれば、あなたが特殊召喚できるのは一体だけになるわ。そして、わたしのフィールドには攻撃力3000のドラゴンが残るし、手札だって潤っているわ。この状況から逆転できるものならしてみなさい」
天空から飛来した大型のドラゴンがアパートの裏庭に影を作った。
確かに生徒会長の行動は一見すると正しい。《裁きの龍》の効果によって自分のモンスターは全滅させることになるが、そうすることによって双橋が反撃できる可能性を大幅に削ることができる。モンスターを自壊させると言っても、生徒会長の場に揃っているのはどうせレベルの低いモンスターたちだ。それらを失ったところで不利になることはないだろう。加えて大型モンスターがフィールドに残る。
それは、聡明な生徒会長らしい選択だった。
だけど――間違いだった。
「ええ、逆転させてもらいます。生徒会長さんが保身に走ってくれたおかげで、未来への道筋が整いました」
「どういうことなの?」
「あたしが復活させるモンスターは始めから1体でも十分だったんですよ。しかも生徒会長さんがわざわざ状況を整えてくれたおかげで次のターンを待たずして勝敗をつけることができます」
生徒会長は情報アドバンテージにおいて、圧倒的に不利な状況だった。
未知なるカードに対抗する術を、彼女は知らない。
「エンドフェイズ時、墓地からあたしがフィールドに戻すモンスターは《F・Aスラッシュ・ジャイロ》です。そして、このカードはエンドフェイズにその効果を発揮します。相手フィールドのモンスターを一体破壊し、その攻撃力分のダメージを相手のライフポイントに与えるのです」
生徒会長は肩の力をなくし、ただ茫然と自分のモンスターが回転翼に撃破されるのを眺めていた。
未知なる恐怖に脅えていた彼女はただ闇雲に動いてしまった。
それはある種人間として正しいことなのだろう。自分の知らない『何か』と直面したとき、人は取り乱すものなのだ。
「やりました! これで御影さんの未来は安泰です!」
無邪気に笑う双橋遊奈の姿を眺めながら、ふと考えた。
僕は彼女のことを、やはり、よく知らない。
*
オチは、最悪の形でバッチリと決まった。
勝負の結果、僕の勉強を見る役目についた双橋だったが、残念なことに、彼女は人に物事を教える才能を決定的に欠いでいた。
「えっとだからですね、ここはこんな感じです。そこはその漢字じゃないです。あっ、違いますそこはもっとスマートにできますよ、うにょうにょってやってください。ちょっと御影さん、そこでそれをするとあとで大変なことになるので、そこではあれをしてください!」
彼女はノートや筆記用具を使わず、抽象的なニュアンスのみを駆使して、僕に勉強をレクチャーしようとするのだ。
そんな人物を先生につけて、まともな学習ができるわけもなく、仕方がないので再び勉強を教えてくれるよう生徒会長に頼みこむ。そして、双橋にも頭を下げて役を降りてもらうことにした。
勝負のあと、ずっと魂が抜けたようになっていた生徒会長は僕のお願いを耳にした途端、元気一杯に復活を果たし、双橋も以外なことにすんなりと申し出を飲み込んでくれた。
あんなに必死になっていたのに、どうしてあっさりと聞き入れてくれたのだろうと不思議に思った僕は、それとなく彼女に訊いてみた。
曰く――
「やってみて気が付いたんですけど、師匠に物事を教えるのは弟子の役目ではありませんね」
まあ、
そんな感じだった。
一見落着のように思えた今回の結末は、しかし、そこで終わりではなかった。
勝手に盛りあがった彼女たちは、宿題を片付けるだけに飽き足らず、僕の学力向上を名目とした学習会の開催を宣言したのだ。それはゴールデンウィークをフルに使っておこなわれた。
主に、生徒会長が僕の勉強をサポートして双橋が食事などの生活面をサポートするという役割分担がなされ、朝早くに僕の部屋に集まり夜遅くに解散という生活パターンが連休を支配した。
つまり、僕はこのゴールデンウィーク中、青春を探すどころか、一歩も部屋からでないままに過ごしてしまったということだ。
いろいろ不満があるといえば不満があったが、楽しそうにしているふたりのデュエリストを見ていると、とても文句の言葉なんて口に出来そうもなかった。
僕がこのゴールデンウィークで学んだことは、数知れない数式や英単語だったり素晴らしき古典文学だったりといろいろあれど、一番記憶に残ったのは――
今日のライバルは明日の友ということだった。