遊戯王デュエルモンスターズWD―ワーストデュエリスト―   作:Rさん

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03話
未来への逃避行


 

「お姉ちゃんって、ちょっと変わったところがあるんですよ」

「と言うと?」

「なんというか、負けず嫌いの発展形みたいな人で、自分より少しでも優秀な人を見つけると、途端にライバル視する傾向があるんですよ。さすがに年上には対抗心を持たないので、そこが救いではあるますね」

「ふーん。そうなのか、それは変わってるね」

「そうなんですよ。それで、そのライバル視した相手を越えようと努力なさるわけです」

「ん? 確かに変わってる人だけど、でも、努力するのは偉いと思うよ」

「傍目から見ればそう思いますよね。ですがね、こんな負けず嫌いな姉を持つと、妹は苦労するんですよ」

「どうしてだい? 優秀な姉を持って鼻が高くならないの?」

「なりませんね。どうしてもなれませんね。だって、私の方がお姉ちゃんより優秀なんですもの」

「…………」

「お姉ちゃんの前では劣等性のフリをして、本当はやり終わっている宿題をあたかも出来ていないように振舞って、わざわざ教えてもってるんです。そうしないと、あの人機嫌が悪くなりますから」

「えっ? でも美也ちゃんは中学生じゃなかったっけ? だったらお姉さんより優秀とは言えないんじゃないのか」

「確かに私は中学生で、お姉ちゃんは高校生です。けれど、例えばお姉ちゃんが中学の問題集を解くとします」

「うん」

「いくら優秀な頭をもった姉であっても数秒間の思考時間は問題に挑むたびにかかります。そして仮に十分ですべての問題を解き終わったとします」

「ふむふむ」

「私なら三分で解けます」

「なるほどねぇ」

「……もっとリアクションがあってもいいと思うのですが?」

「ありえないね。あの生徒会長が十分もかかる中学の問題集なんて存在しない!」

「あっ、そこで引っかかってましたか……いいですよ、なんなら高校の問題集でも大学の問題集でも構いません。すべてにおいて私はお姉ちゃんの三倍のスピードで解けます」

「だから、きみ、中学生だろ? 大学の問題なんて解けるのかよ」

「解けますね。確かに今すぐに取り掛かれと言われたら尻尾を巻いて逃げるしかありませんが、それは環境の問題です。一週間の猶予をもらえれば、大学に入れるほどの学力は備えられます」

「どこまで信じていいのやら」

「信じてくださいよ。じゃあひとつだけ秘密を教えてあげます。いつもお姉ちゃんに勉強を見てもらうフリをしている私ですが、その実、私がお姉ちゃんに勉強を教えるコツをレクチャーしているのです」

「うそだあ」

「嘘ではありません。お姉ちゃん自身は私に勉強を教えてる気になってると思いますが、実際には私が勉強の教え方を擦り込んでいるのです。ステマの発展系みたいなものだと思ってください。あの人が勉強を教えるのが上手なのは、そうやって私がこっそりと教育しているからなのです」

「ふーん。仮にきみの話を信じるとしてさ。どうしてきみはお姉ちゃんの前で猫を被っているんだい?」

「どうしてって、最初に言ったじゃありませんか。ただでさえ、あの人は自分より優秀な人間に突っかかるんです。そんな人が、姉より優秀な妹の存在を受け入れるわけがありませんからね。私だって人間ですから、日常生活で常に睨まれていたくはありません。子供な姉に代わって私が大人な対応を見せてあげているというわけです」

「苦労するね、きみも」

「はい、苦労が耐えません。ここだけの話、姉が今の学校で名声を帯びているのは、実は私が姉を陰ながら教育しておいたからです。私が彼女に学習方法からなにから擦り込んでおきました。お姉ちゃん自身はやはりそのことにまったく気がついていないみたいですけどね」

「いいのかい。僕に姉の秘密をばらしちゃって?」

「いいのです。たまには誰かに話して日ごろのストレスを発散しておかないとやってられません。私だって人間なのですから」

「ホント、ご苦労さまです。そんな可愛そうな美也ちゃんにジュースかお菓子をご馳走してあげるよ、なにがいい?」

「いりませんよ。子供じゃないんですから。というか、あなたから施しを受けるつもりはありません」

「……きみって、なにげに酷いこと言うよね」

「酷くもなりますよ。姉の前ではずっと猫を被っているわけでからね。考えてみてください。自分が一番リラックスできるはずの自宅で、四六時中演技を強いられるんです。これじゃあ性格が歪んで当然です」

「あー、なんだかわかるよその気持ち。僕も自分の部屋を独占されたことがあったんだけど、息がつまりそうになったよ」

「あなたのような人に共感されたくはありませんでした……」

「過去形なんだね」

「はい、そうです。一秒前なんていうのは既に過去であるといえますから」

「そうだね、過去だね」

「なんですか、その態度は。適当に相槌を打つのはやめてください。子供扱いされているみたいで、とても不快です」

「ごめんよぉ」

「それよりも、どうしてあなたは夕暮れの公園でブランコに乗ってうなだれているんですか? 青春ごっこですか」

「そんなんじゃないよ。……最近さ、僕の回りの人たちに変な癖ができちゃったみたいでね。放課後になると僕が住んでいるアパートに集まるようになっちゃったんだ。そこまでは別に構わないんだけど、でも僕の部屋に集まってなにをするかっていうと、これが勉強だったりデュエルだったりするわけだよ。あっ、きみは知ってるかなデュエルモンスターズ」

「知ってるに決まってるじゃないですか。この世界に存在するんですかデュエルモンスターズを知らない人なんて」

「そこまで言っちゃうんだね。確かにデュエルしない人って僕の学校じゃあんまり見ないなぁ。きみの学校はどうだい?」

「もちろん大流行ですよ。放課後にデュエル大会が頻繁に開かれるぐらいですから。もはやデュエルモンスターズをやっていないとクラスで仲間はずれにされるレベルです」

「そっか。……なんだかここまで流行していると何かしらの組織が裏で手を回してるんじゃないかって勘ぐっちゃうよ」

「なんですか、デュエルを流行らせる組織って。そんな妄想話を軽々しく口にしないでください。こっちが恥ずかしくなります」

「いや、妄想話なんかじゃないかもしれないよ。何らかの組織が裏で手を回してデュエルモンスターズを流行させてるんだ。そして、そして……ごめん。妄想力が貧困だから続きが出てこないや」

「やっぱり妄想話じゃないですか! ていうか話がだいぶ脱線しています。話を戻しましょう」

「えっと。なんの話をしていたっけ」

「あれですよ。あなたがどうして夕暮れの公園でひとり、まるでリストラされたサラリーマンの如くブランコを揺らしているのかについてですよ」

「ひとりじゃないぞ、きみもいる」

「挙げ足を取らないでください。いちいち変なところに突っかかりますね」

「えっと、どこまで話したっけな。そう、放課後に僕の部屋を占拠して彼女たちがなにをするのかというと、これが勉強だったりデュエルだったりするわけだよ。でも、僕は勉強もデュエルもしたくないから、こうしてここで時間を潰して夜になるのを待っているわけさ」

「あなたはデュエルがお嫌いなんですか?」

「勉強じゃなくてデュエルに言及するのか、さすがデュエリストだ。僕は別にデュエルが心の底から嫌いってわけではない。そういう美也ちゃんはどうなんだよ」

「私? 私ですか? 私は大好きに決まっているじゃないですか。溜まったストレスをデュエルで発散させることができるんですから。……あー、でもお姉ちゃんとデュエルをするとわざと負けてあげないといけせんからね。それも自然な感じで」

「なるほど、勝っちゃうとお姉さんからライバル認定されちゃうわけか。きみも気苦労が耐えないね」

「わかってくれなくても結構ですよ」

「きみ……友達少ないんじゃないか?」

「そんなことはありません。普段は女子中学生らしい振る舞いをしていますからね。それにデュエルが強いと、周りがちやほやしてくれますから友達はむしろ多いほうです」

「つまり、きみはデュエルが強いと解釈しても問題がないわけだ」

「ええ。それで間違いはありません。お姉ちゃんをデュエリストとして育てたのが私ですから」

「それは凄いねえ」

「ちょっと、そんなにそっけない態度で褒めないでくださいよ。あなたみたいな人から褒められると寒気がします」

「ごめんよぉ。それにしてもきみたち姉妹は本当に似てるよね」

「嫌なことを言わないでください。私は姉のような負けず嫌いの発展形ではありません」

「それは失礼しました」

「わかってくれなくて結構ですよ」

「……きみ、そろそろ帰らなくて大丈夫なのか? もうすぐ日が沈みそうだけど。お家の人たちが心配するんじゃない?」

「お気遣いはいりません。どうせ家にはお姉ちゃんしかいませんから。あの人はダメな子ほど可愛がる傾向にありますので、むしろ夜遊びをするような妹は大歓迎でしょう。それにあたしには目下最重要な使命があるのです」

「ほう、偉いね。で、その使命とは?」

「不審者の監視です」

 

  *

 

 生徒会長の妹、木実近美也からのブラックジョークを華麗に受け流した僕は、ついでに彼女自身からも逃走をはかり、家路についたのだった。さすがは弱者救済の正義であるところの生徒会長の、その妹を名乗ることだけあり、ジョークであると言えど不信な人物を野放しにできないと息まいて必要以上の粘着力を発揮して追い回されたが、瞬着ボマーをサンダー・ブレイクで処理するかのように、僕は不恰好ながら逃げ切ったのである。

 電灯に照らされた街道を、疲れきった足を無理矢理動かして、踵を引きずるように、なんとか進行できているというのが現状での僕の有様だった。運動は苦手なわけではないけれど、得意というわけでもなかったし、また、追っ手が中学生離れした体力を持ち合わせていたということもあって、準備運動をさせてもらう暇もなく、僕は全力疾走をさせられしまい、持久力が底をついてしまったのだ。それでも、あの化け物みたいなスピードを有する妹ちゃんから逃げ切ることができたのはせめてもの救いだ。

 そんなわけでボロボロになった生徒カバンを肩で揺らしながら、僕は我が家を目指すのだった。

 我が家を目指す――とは言うものの、現在自宅の冷蔵庫には食料が補給されておらず、過度な運動で減らされたお腹の機嫌を取ってやることができない。本当は今すぐベッドでバタンキューしたいところではあったけれど、空腹では寝つきは悪いだろう。だから、しかたなく、自宅付近のスーパーへと寄り道をすることにした。

 品揃えが悪い、鮮魚の質がいまいち、弁当が高いとか、そんな数々のヘイトを近隣住民から集めているスーパーは、今夜もパチパチと瞬く電球を取り替える様子がみられない。

 正直、僕もここのスーパーが気に入っているわけではないけれど、この住宅地に他に店がないのだ。もう少し足を伸ばせば、まともなスーパーまで行けるけど、今の僕の体力では選択肢にすら入らない。

 妥協に妥協を重ねて、僕はスーパーの自動ドア(センサーが壊れていて開けっ放しだ)から足を踏み込もうとした。

 そのときだ――

「おーい。そこの冴えない雰囲気をしたきみ」

「えっ、僕ですか?」

「あー、そうそう、きみきみ。ちょっとこっち来てくれねーかな」

 そうやって手招きしてくる人物は、僕の知り合いではない。

 見慣れないセーラー服に身を包み、活力のない瞳をしている彼女は、その長い髪を派手な色で染めていた。

 なんだか悪寒のようなものを感じながらも、呼ばれてしまったことで条件反射のように彼女へと寄っていく。そこは駐輪場の一端だった。

「これ、見てくんねーか?」

「なんですか、これ?」

 彼女が指をさすした物は、ごてごてとしたデザインのバイクだった。

 いや――バイクのような自転車だった。

 ママチャリに外装を付けて改造し、バイクのように偽装された珍品だ。

「見ての通り、デュエルバイクだ」

「はい?」

「デュエルバイクだ。すげーだろ」

「…………」

 当たり前みたいな態度で言ってくる彼女を見て僕は不覚にも情けない声をあげてしまった。

「でぇえるばいく、ですか」

「ああ、そうだ」

「なんですか、それ?」

「教えて欲しいか」

 彼女の調子は一定だった。常にめんどくさそうに喋り、表情に変化がない。

 正直、面倒な展開しかこの先に待っていない気がするので、関わり合いを持ちたくはなかった。けれど、教えて欲しいかと聞かれれば凄く教えて欲しいと答える。

 僕の中で好奇心と警戒心がせめぎ合っていたが、遂にその天秤は残念なことに好奇心へと傾いてしまったため、僕はぎこちなく頷いた。

「そうかそうか。そんなに知りたいか。だったら教えてやんよ」

「教えてください美人なお姉さん」

「あん? なんつった? ……まあ、どうでもいいか。あー、あれだよ。デュエルってさ。あれじゃん。地味だよな」

「そうですね。ずっと立ちっぱなしでプレイするわけですからね」

「そうなんだよ。いい加減普通のデュエルには飽きちまったわけだよ。そこでアタイは考えたんだ。頭使うのは面倒だけど考えたんだ。デュエルにアクション性を持たせたらどうかってさ」

「つまり?」

「そう、つまりだ。バイクに乗りながらデュエルをすれば、必然的に動きまわることになるだろ。つまり、アクション性が格段に増すわけさ。どうだ、凄い発想力だろ」

「…………」

 気の抜けたやる気のない口調を維持し続ける彼女が、冗談で言っているのか本気で言っているのか、その判断がつけられない。

 笑っていいものなのだろうか……。

 引きつった頬を無理矢理動かして、僕は無難な反応を示すことにした。

「わー、すごいですね。その発想力には脱帽します。まるで同じ人類じゃないみたいだぁ。ひょっとしてエジソンの生まれ変わりなんじゃないですかー」

「おお、そうか。そうか、そんなに褒めてくれるのか。大したもんだろアタイの発想力。でも惚れてはくれるなよ。アタイは一匹狼を公言してんだからさ」

「…………」

 彼女の反応から推測すると、どうやら本気で言っていることらしい。

 心の中だけで吐露させてもらうけど、バイクに乗ってデュエルするとかどんな奇行だよ。

 頭は大丈夫なのか。

「それで、僕をわざわざ引き止めてまで、どうしてこれを見せてくれたんですか?」

「いや、だから言ってるだろ。アタイは一匹狼を公言してんだから友達なんているわけがねえだろ。だから通行人を捕まえて感想を聞かせてもらってんだよ」

「そうだったんですか」

「褒めてくれたのはきみが最初だよ。どいつもこいつもゴミだのなんだの失礼なことを抜かすもんだから焼きいれてやったさ」

「焼きを入れるって、いったいなにを……」

「ああ、まずはデュエルで叩きのめして戦意喪失させんだろ。そのあと人けのないところに連れて行ってこいつでボコった」

 彼女が取り出したのは一本の木刀だった。どこから取り出した物なのかはわからないけれど、怪しげな染みの付いた一品を前にして、僕の思考回路には制限がかけられた。

 制限――彼女の機嫌を損ねてはいけない。

「さすが姉さんです! デュエルもケンカも凄くて、そして頭も良いなんて完璧じゃないですか!」

「はっはー。そうだろう、そうだろ。皆わかってくれないんじゃないかって心配になってたけど、生きてれば一人ぐらいはアタイの凄さに気がついてくれる人が現れるもんだな」

 喜んでくれたようでなによりだ。

 あなたは僕のようなゴミ虫が近づいていい存在ではありません。

 ですから、名残惜しいけれど、僕は自ら身を引きます。

 いや、ホント残念だなぁ。

「それじゃあ、僕は夕飯の買出しがあるので失礼します。本日は素敵な一品を見せてくださってありがとうございました」

「あん? 夕飯を調達するのか?」

「はい」

「あー、だったらやめとけ。ここのスーパーで食べものを調達することは寿命を減らすことと同義だ。アタイのママがここでバイトしってからいろいろヤバイ噂を知ってんだよ」

「はあ。ご忠告ありがとうございます。それで失礼します」

「だから、待てって言ってんだろ。飯が欲しいなら他のところにしろ。そうだ。ちょうどデュエルバイクの試運転もしておこうと思ってたところだから、ちょうど良い。乗れよ、隣町のスーパーまで連れてってやるからさ」

「はい?」

「んだよ、その顔はよお。アタイが乗せてってやるつってんだよ。不満でもあんのか?」

「いえ、滅相もございまさん! こんな光栄なお申し出をいただけるとは思っても見なかったものですから驚いてしまって」

「そうだろう、そうだろう。そんじゃ、さっそく行こうぜ、後ろ乗れよ」

「はい!」

 僕は言われるままに荷台に跨って、彼女のお腹に手を回した。

 夜風ともに流れてくる女の子の匂いが鼻腔を刺激する。普段なら飛び跳ねて喜ぶようなシュチュエーショんだったけれど、今回に限ってはなぜだか生きたここちがしなかった。

 こんなことなら素直にアパートで双橋たちと過ごせばよかった。

 僕の人生はいつだって、後悔が粘着してくるのである。

 

 

 

 

 

 スポーツバイクのような外装をしても、所詮はママチャリ、風を切って走るにはスペック不足だった。それは単に自転車本体がさび付いているのが大きいけれど、運転手が安全運転に勤めていることも関係している。

 試作品ということもあって、スピードを出して車道を走ると風圧で外装が外れる可能性があるらしく、ゆっくりとした速度で恐縮しながら歩道を走っているという状況だった。

 彼女がペダルを踏み込むたびに、夜の街道にぎこぎこと不恰好な音が響く。

 張りぼてだと思っていたヘッドライトに光が灯ったところを見ると、どうやら相当気合を入れて工作をなされたらしい。確かに外装だけを取り外して鑑定すれば見栄えのする一品ではある。彼女は見かけによらず器用なのだろう。その技術をもっと違う方面で使えばいいと思う。

「…………」

 それにしてもどうなのだろうか。

 自転車をふたり乗りしているという青春ぽいシュチュエーションなのに、全然まったくこれぽっちも雰囲気が出てこない。

 それは、男である僕が荷台に腰掛けて、女である彼女の胴体にしがみついているからに違いなかった。

 バイクの外装をした奇妙な自転車に乗っているだけでも十分人目につくのに、それに加えて運転しているのが女の子のほうで、男のほうがおどおどした調子で荷台に跨っているのだから、とても恥ずかしい。

 力を入れただけで折れてしまいそうな華奢なウエストに、恐る恐るしがみつきながら、いい加減、沈黙が辛かったので、僕は思いきって話しかけてみることにした。口は災いの元と言うし、黙っていたほうが懸命にも思えるけれど沈黙を保っているだけでは恐怖心が募っていくばかりなのだ。

「これ、どうして自転車を改造してまでバイクの形にする必要があったんですか。ぶっちゃけ、デュエルサイクルじゃダメなんですか?」

「あー。いや、だってあれだろ。自転車に乗ってデュエルするんじゃ格好がつかないじゃん。だから見た目だけバイクにしてみたわけ。アタイ、まだ二輪の免許取れないから」

「……なるほど」

 正直なところ、そもそも乗り物を使ってデュエルする必要があるのかも問いただしたいところではあったけれど、そこに触れてしまうと彼女の逆鱗に触れてしまう可能性があったので自粛した。骨盤とスカートのゴムの間で挟まれている木刀に目をやって、僕は静かに息を飲んだ。

 どうして、こんな危険物みたいな人と一緒に隣町のスーパーを目指すはめになったのだろう。

 確かに新鮮で安全な食料を調達できるのは、僕としては悪い話ではない。危険人物ではあるけれど、彼女は根が優しい人みたいだから危機感は最初に比べればだいぶ薄れている。しかし、潜在意識の中で芽生えてしまった恐怖心は払拭しようと思ってできるものではない。こうやってただ荷台に腰掛けて女の子のウエストい密着しているだけだというのに、心臓が普段の二倍は稼動している。

 バクダンを仕掛けられたバスに乗り合わせてしまった、みたいな心境だ。

 気が気ではない。

 心ここにあらずだ。

 ――だから、

 だからなのだ。

 心臓の高鳴りで体が固まってしまい、頭部が前方を向いたまま固定されてしまった。流れていく情景に目がいかない。どこを走っているのか、車が何台横切ったのか、通行人がどういう目で僕たちを見ているのか。そんなことは一切僕の知るところではない。

 僕の目線はある一定の位置にとどまることを強いられている。

 偶然、本当にたまたま、その位置には派手な色の髪の間から彼女の綺麗なうなじが覗いているけれど、それは決して意思を持って眺めているわけではないのだ。

 本当に偶然だ。

 運命のいたずらなのだ。

「どうしたんだ? 妙に鼻息が荒くなってるけど」

「いや、なんでもないです。後ろを向かないでください、うなじが見えなく……じゃなくて交通事故の危険性がありますので」

「おお、ごもっともだな」

 危ない危ない、と呟きながら彼女は半開きになっている眠そうな瞳を前方に戻した。

「なあ、きみ」

「なんですか?」

「そういえば名前、訊いてなかったよなぁ。アタイは、呉羽美香子(くれはみかこ)ってんだ」

「僕に名乗るような名前はありませんよ」

 クールに決めてみた。

 内心はおどおどだった。

 名前を押さえられると後でなにか酷いことが起こるんじゃないかと危惧した結果、クールに決めることにしたのだ。

「ああん? なんつった?」

岬野御影(みさきのみかげ)っていいますぅ」

「おう、御影な、御影。ばっちり覚えたぞ」

 未来への恐怖よりも現在の恐怖を回避する道を選んだ。この選択がより良い未来に繋がっていると信じている。

 生まれてこのかた擦り傷すら作ったことのない僕は、痛い話とか暴力沙汰にはめっぽう弱いのだ。

「えーと、御影。なんか悩みごとでもあるの?」

「突然どうしたんですか」

「いやさ。なんだかさっきから妙にそわそわしてるというか、心ここに在らずって感じだったから」

「…………」

 僕がびくびくした態度を保っているのは100パーセントあなたと一緒にいるからですよ!

 察しがいいのか察しが悪いのか、微妙なラインの人だった。

 心配そうにちらちらと僕の顔色を窺ってくる彼女に、まさか本当のことを話すわけにもいかないので、なんとか別の話に持っていくか、ごまかさなくてはいけない。

 ……ふむ。

 いや、しかし、これはいい機会なのかもしれない。現在の悩みごとの筆頭は危険物と乗り合わせてしまったことではあるけれど、それ以外に悩み事がないというわけでもない。

 美也ちゃんに習って、誰かに話を聞いてもらってストレスを発散させておくのもいいだろう。

「実は、ちょっと最近悩んでることがあるんです」

「やっぱりな。そんな気がしてたんだ。アタイはこう見えても、心理学を習おうと思ってた時期があるんだぜ。人の気持ちを察することなんて朝飯前さ」

 やけに嬉しそうなその声を聞いて、荷台に腰掛けているにも関わらずズッコケそうになってしまったが、何とか持ちこたえて、僕は話を続けた。

「……えっと、その悩みごとというのが友達のことなんです。と言っても友達という実感が僕のほうにはまったくないんですよ。そいつ、最近転校してきたんですけど、どうやら聞く話によると、昔に僕と面識があったらしいんです――」

「おい」

「はい?」

「お前いくつだよ」

「今年で十六になります」

「だったらアタイと同い年じゃんかよ。敬語はやめてくれ、聞いててこそばゆくなっちまう」

「……わかった」

 僕は上ずった声で返事を返した。

 人間、恐怖の対象と接するときはどうしても下手になってしまうものなのだ。けれど、それが逆効果を生むというのであれば、無意識的な下っ端精神を抑えることに勤めよう。

「話を戻す。最近知り合った転校生が、どうやら昔の知り合いらしいんだけど、僕はそいつのことをまったく覚えていなかったから、どう接していいのかがわからないんだ。相手は僕のこと色々知ってて親身に接してくるんだけど、僕は彼女のことをよく知らないから、何だか未知の生物と接触しているみたいに思えてきちゃって……」

「ようするに距離を図りかねているって感じか?」

「そう、まさにそんな感じ。こっちは受け入れ態勢が整っていないのに、あっちはずかずかと陣地に踏み込んでくるんだ」

「別にいいことじゃないかよ。そいつはお前と仲良くしたいってことだろう? だったら拒む必要性がない。まさかアタイみたいに一匹狼を気取ってるってわけでは、お前は、ないんだろ」

「確かにそれはそうなんだけど……。頭ではわかっていても理性が受け付けてくれない。ぶっちゃけ彼女の容姿は好みのタイプではあるし、勉強を見てくれようとしたり食事を用意してくれたりとか、色々とよくしてくれてるんだけど、なんだか裏がありそうに思えて仕方がないんだ。付け込んでくるというか、関係性を摺り込まれているみたいな」

「ふーん。てか、好みのタイプって、相手は女かよ。だったらお前が気にするような必要はどこにもないだろ。男が思っているほど女は複雑な生き物じゃねえさ。御影が鈍いってだけなんじゃねえのか」

「……鈍かったら楽なんですけどね。困ったことに僕は鋭いんですよ」

「はははは。すぐばれるような嘘をつくなよ。それとも鈍いやつは自分が鈍いことにも気が付かないのかもな」

 彼女は明朗に笑って、自転車を走らせ続ける。

 走るというより、動かしているというのが現状ではふさわしい表現だったかもしれない。

 この不恰好な自転車のように、ゆっくりでも前に進んでいればいつかは目的地にたどり着くことだろう。それがより良い未来に繋がっているのかはわからない。けれど、同じところ停滞したままよりは幾分かマシなはずだ。

「相手との距離感で悩んでるんだったら、デュエルをすればいいじゃないか」

「はい?」

 彼女の口からでた何気ない一言は、僕を呆気に取った。

「んん? だから相手のことがよくわからないから、お前は悩んでるんだろ。だったらデュエルをすれば一発解決だ。デュエルをするだけで相手がなにを考えているのか手を取るようにわかるだからさ」

「いや、そんなわけないよ……。カードゲームをするだけで以心伝心が図れるなら戦争だって起こらない平和な世界が生まれるって」

「ちょっと待て。お前は何を言ってるんだ? それでもデュエリストなのか」

「僕はデュエリストじゃないよ」

「……嘘だろ」

 彼女の驚愕の表情がこちらを向いたとき、車体のバランスが露骨に崩れた。僕が体を傾けてバランスを取らなかったら危うく転倒しているところだ。もとっも、低速なスピードを維持している車体が倒れたところでケガをするような事態には発展しないだろうけど。

「嘘だ、嘘だって! アタイ初めてみたぜ、同世代なのにデュエリストじゃないやつ。嘘だろ、嘘だと言ってくれよ。アタイの中の常識を返してくれ!」

 自転車の安全運転に勤めながら、彼女はわめき散らした。どうやら、彼女の通っている学校はデュエリストで蔓延しているらしい。

 デュエルモンスターズ――世間に知れ渡っている大人気コンテンツだけのことはある。周りの人間が全員漏れなくデュエリストだと思い込んでいる彼女のような人間が現れても、僕は不思議には思えない。

「お前はどうやって、いままで生きてきたんだ! まさか異世界から来た人間じゃないだろうな!?」

「デュエルをしてないだけでそこまで言われるのか! どんだけデュエル脳なんだよ、あんた!」

 僕の周りにはデュエルバカが多いけれど、その中でも彼女は飛びっきりの上物らしい。

 鮮魚コーナーでパック詰めされている切り身が、そのまま海で泳いでいると勘違いする子供が増えているらしいけれど、彼女もそれと似たような症状にかかっているらしい。そういう意味では世間に洗脳されていると言えなくもない。

 いや、僕は彼女のことを異常だと感じているが、これだけデュエルモンスターズが世間に浸透しているのだから、近い将来には僕のほうが異端として扱われる危険性もある。デュエルをしない人間は専門の施設に送られてデュエル脳に改造されるとか……それはないか。

 世代を問わずに大流行していると言っても所詮は娯楽である。ブームというものもあるし、きっとそのうちデュエルモンスターズも衰退していくことだろう。世間は移り変わっていくものなのだから。

 そんな未来のことを考えるのをやめて、とにかく、今は自転車を運転しながらブツブツと何かを叫んでいる彼女を諭すことに思考を使うことにしよう。

 優しくカウンセリングすること数分、ようやく彼女は聞く耳を持ってくれるようになった。

「いや、マジ衝撃的だったわ。まさかデュエルしない高校生がいるなんて想像したこともなかった。……いや、すまねえ取り乱して。そうだよなデュエルで飯が食えるってわけでもないんだし、流行に乗っからない人間だっているよな」

「わかってくれたようでなによりです」

「でも、だったら御影は苦労するんじゃねえか。だってデュエルモンスターズはコミュニケーションのツールとしても使われてるだろうに。デュエルなしで友達とか作れんのか?」

「……それは」

 僕には返す言葉がなかった。彼女の言う通り、これだけのデュエルブームの中で、それなしで友達を作ることは困難を極めた。現に僕はデュエルを引退してから新規の友達が作りにくくなったし、それどころか友達が減る有様である。

 うん。

 なんだかこうやって思い返してみれば、世間からデュエルリストになることを強要されているような気がしてくる。

「その距離感を測りかねている友達のことにしても、きっとそうだろ。デュエルというコミュニケーションを御影が持ってないから相手のことがうまく掴めないだけなんだって。……てか、そもそも御影の方はどうなんだ?」

「ん? なにがですか」

「だから、その女の子は御影のことを知っていて、それでお前に詰め寄ってきてるんだろ。逆に、御影は彼女のことを知りたいとは思わないのか? 相手のことを知れば悩みの種であるところの距離感の齟齬がなくなるわけなんだし、好みの女だってんなら尚更知りたいと思うはずだろう」

「…………」

 言われてみれば、そうだった。

 彼女から詰め寄られることは幾度となくあったけど、僕は彼女のことを知りたいと思ったことがなかった。 

 嘆く癖に、自分から状況を打破しようとしたことがない。

 現状の維持。

 ――僕は、停滞したままだった。

「おっと。お悩み相談の途中で悪いけど、目的地に到着しちまったみたいだぜ。この話は帰り道に持ち越すとして、まずは用事を済ませちまいな」 

 自転車が止まったのは、僕が想定していたスーパーマーケットの駐輪場ではなかった。市内で唯一の大型ショッピングモールに連行されてしまったらしい。

 残念なことに食欲は失せていた。

 

 

  *

 

 

「おっ、なんだ食べないのか? 食が細いやつだなぁ。残すのも勿体ないし、アタイがもらってやるよ」

 そう言って、呉羽は僕の前においてあるどんぶり鉢をひったくると、ものすごい勢いで胃袋に麺を押しこんでいく。僕は言葉を返す間も与えられず、ただただ彼女の食いっぷりに圧倒されるだけだった。

「あのさ?」

「ん? なんだよ」

 レディの食事中に話かけるのはマナーにかける行いではあったけれど、手持ちぶさたになった僕の口からは自然と言葉が漏れてしまった。呉羽はラーメンから離れられない呪いにでもかけられたかのようにズルズルと麺をすすりながら、僕の呼びかけに答えてくれた。箸を止める気は微塵もないらしい。

 女性に対して幻想を抱く傾向にある僕にとって、その品性の欠片も感じられない応答はじゃっかん不服ではあったけれど、それは食事中に話かけた僕の方に問題があるので飲み下すことにした。手を止めることまでは強要できそうにない。

「当初の予定ではスーパーで食料の買い出しをするはずだったよね」

「ああ、そんなことも言ってたな」

「どうしてフードコートで食事をすることになってるんだ?」

「いやね、自転車に乗ってたらお腹空いてきちゃったんだよ。そこで思い出したんだけど、アタイもまだ夕食を食べてなかったわけだ。だからどうせならスーパーじゃなくてショッピングモールのフードコートで食事でもしようっかなって。どっちみち胃袋になにか入れとかないと帰り道がままならなくなるからよ」

「…………」

 それならそれで別にいいのだけれど、相談のひとつぐらいあっても良かったのではないでしょうか。ビックリ仰天ですよ。輸送される側に自由はないだろうか。

 まあ、連れてきてもらった側であることはどうしたって拭えないから、どっちにしても運転手に逆らうことはできなかっただろうし、これ以上の明白な文句は控えることにする。

 何かに取り憑かれたように一心不乱にスープを跳ねさせながら、口いっぱいに麺を頬張る彼女の顔をこれ以上直視したくなかったので、僕は顔を背けて辺りを見回した。

 平日の夜ということもあって、お客さんはまばらだった。ドーナッツをかじる老人やら子供連れの夫婦、学校帰りの女子高生などが数組いるだけなので、各お店の店員さんも暇そうにしている。

 僕はあくびをした。美也ちゃんとした鬼ごっこの影響が色濃く現れはじめている。帰って寝たい。

 夕食を取るという本元の目的は思わぬ形で達成してしまったが、しかし、せっかくここまで連れてきてもらったのだから後で食料品売り場で買い物をするとしよう。あまり多くの買い物をしてしまうと自転車の運転手である呉羽に文字通り重荷を背負わせることになってしまうので、なるべく少量の食料で済ませることを心がけなくてはいけない。

 そんな段取りを考えているうちに呉羽がどんぶり鉢から顔を離した。スープも含めて奇麗に食べきったようだ。

「あー、美味かった。ラーメンはとんこつ以外に認めないつもりだったけど、食わず嫌いはいけないな。今度からは醤油もレパートリーに入れさせてもらうぜ」

 眠そうな瞳を三日月に変化させて大きく伸びをして、セーラー服に包まれた細い体を張った。

 彼女の腰の辺りでは電球の光がニスに反射して木刀がきらめいていた。こんな公共の場なのに、誰一人として彼女の凶器について注意を促す人は現れなかった。すれ違うお客さんや、ラーメン屋の店主の目を引きつけてはいたけど、みんな苦笑いを浮かべて見なかったことにしたらしい。触らぬ神に祟りなし。このことわざが、広く浸透しているようでなによりだ。

 そう言えば、不思議なことに、彼女に抱いていた恐怖心がいつのまにか払拭されていた。ため口を始めたことが直接の原因かもしれない。

 僕と目が合った呉羽はにかっと笑って、爪楊枝を噛み締め、歯茎を覗かせた。

「そんじゃ、腹ごなしも済んだことだし、デュエルをしようぜ。ここ、カードショップも出店してるんだ。アタイが丁重にルールを教えてやるからさ」

「え? いや、どうしてデュエルをはじめる段取りになってるんだ」

「だから、御影のお悩み相談の続きだよ。ようはお前がデュエルをはじめて、距離感であぐねいているというその女と対戦すればいいんだ。そうすればお互いの気持ちが伝わって万事解決するだろ」

「…………」

 やはり、とんでもないデュエル脳だった。デュエルで何でも解決できれば警察はいらないんだぜ。

 どうやら彼女、僕がデュエルリストを卒業したのではなく、デュエル未経験者だと勘違いしているらしい。確かに経験があるとは告げていなかったので、そう思われても無理はなかった。

「僕はデュエルを――」

 引退したんだと告げようとしたとき、僕の言葉は乱入者によって打ち消された。

 彼女はショートカットの髪を振り乱しながら、大きな声で迫ってきた。

「ようやく、見つけましたよ御影さん!」

 双橋遊奈のご登場である。

 学校の制服を着たままで、肩を上下させながら息を整えているところから考えると、どうやら学校帰りにそのまま隣町に位置するここまでやってきたらしい。

「双橋じゃないか。どうしたんだこんなところで、奇遇だな」

「奇遇だな、じゃないですよ。御影さんがいつまで経ってもアパートに帰ってこないから、心配して探してたんですからね!」

「はあ!? お前……マジかよ。まさか放課後から今までずっと僕を探してたのか」

 冗談であって欲しかったが、双橋が神妙な表情で頷いたことで僕の願望は砕かれた。

 どんなガッツだよ。

 男子高校生を心配してその行方を捜索するのにもびっくりだけど、隣街まで足を運ぶなんて根気がありすぎるだろ。町内を散策し尽くしてからここまで足を伸ばしたのかと思うと、凄い罪悪感になるんですけど……。

 なんかごめん。

「おい、なんなんだこいつ」

 乱入者に目を丸くしていた呉羽だったけれど、すぐにいつのように眠そうな目つきに変わって、双橋を指さして首を傾げた。双橋に謝罪しようとしていた僕は彼女のその動作でタイミングを逃してしまった。

 対する双橋の方も僕とテーブルを囲っている相手にようやく気が付いたみたいで、きょとんとした顔になっていた。

「そいつは、双橋遊奈だ。僕のクラスメイト」

「んーと。もしかして、こいつがさっき話してた転校生ってやつか?」

 僕はゆっくりと頷いた。

「ふーん」

 呉羽は目を鋭くして、双橋のことを値踏みするかのように見回した。

「あの、なんですかあなたは?」

「アタイか。アタイは呉羽美香子ってんだ。よろしく頼むぜ、双橋さんよ」

「あ、はい。よろしくお願いします。えっと、御影さんと呉羽さんはどのようなご関係なのでしょうか? あたしたちの学校の制服ではないみたいですし、他の学校のご友人でしょうか」

「いんや。違うよ。アタイと御影は友人関係なんかんじゃない」

「では、どのようなご関係でしょうか?」

 こわごわと疑問符を口にする双橋に、呉羽は答える。

 野生の獣のような表情を持ってして放たれたその一言は、僕にとっても予想外のものだった。

「アタイは御影を誘拐した」

 ――いわば誘拐犯と被害者の関係さ。

 そのブラックジョークに、双橋の表情が異様なまでに凍りついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一触即発の雰囲気は、ショッピングモールを離れ、近くにある広場に移行されていた。

 呉羽が双橋を挑発したことによって、ある種自然な流れでふたりのデュエルに発展したのだが、いくらデュエルバカな彼女たちであっても、さすがにショッピングモール内でソリットビジョンを作動させるわけもなく、近所の広場に戦場を移したのだ。

 広場は時間が時間だけあって、静寂に包まれていた。頼りない電灯が芝生の地面を照らしている。

「なあ呉羽、どうしてあんなことを口にしたんだ?」

「いやぁ。あれだよ、デュエリスじゃない御影の代わりに、あいつとデュエルして、その本性を見極めてやろうと思ったんだ。さっきのジョークはデュエルをするための口実をおもしろく作ってやろうとしただけなんだけど。まさか、本気にされてるわけじゃないよな?」

 僕と呉羽は双橋から少し距離を取ってそこでお互いの顔を近づけて内緒話に興じていた。

 双橋はそんな僕たちのことを――呉羽のことを露骨に警戒しているみたいだった。フードコートで呉羽から冗談を言われてから妙に彼女の様子がおかしい。

 デュエルバカな双橋ではあるけれど、一般的な常識はわきまえているはずなのだ。ましてや、あの後、僕はフードコートでデザート用にドーナッツを購入しているわけで、そんな自由を許してくれる誘拐犯がこの時代に存在するはずはないのに、双橋は冷や汗を額に溜めながら、呉羽からの言いつけを守ってずっと一定の距離を開けて僕たちの様子を窺っている。そして呉羽の悪ノリから出た小悪党のような口調での、『岬野御影に話しかけるな』という命令を、双橋は従順に守っていた。

 そういえば、僕がアパートに帰らなかっただけで必死に捜索をしていたみたいだし、彼女は心配性なのかもしれない。

 男で、それも少年の部類にぎりぎり入るだろう僕では共感しがたいことだけれど、母親は我子の身を必要以上に案じてしまう傾向にあるらしいので、もしかすると、双橋にはそのような心理状況の麻痺が起こっているのかもしれない。

 あるいは、僕の捜索に体力を使って疲れて思考が鈍っているだけという可能性もあり、また呉羽の冗談に双橋が悪ノリをしているとも取れる。

 うーん。

 やっぱり、双橋の考えてることはよくわからない。

「まあ、いいか」

 呉羽はいつものように面倒ごとを嘆くような口調でそう呟くと、その場で双橋の方に体を向けてデュエルディスクを構えた。

 彼女のデュエルディスクは、バイクモドキに外装の一部として取り付けられていたものだ。デュエルバイクというだけのことはあって、デュエルディスクだってちゃんと実装されていたらしい。あまりにも自然な感じでバイクモドキの外装と同化していたので、彼女がそれを取り外すまで僕は気が付かなかった。

 外装にデュエルディスクをつけてどうやってデュエルをするつもりだったのかという突っ込みは、製作者の沸点に関わるので敢えて自粛した。

 まあ、とにかく、彼女のデュエルディスクはバイクの外装のようなデザインをしているということだ。

「待たせたな、双橋さんよぉ。おいおい、そんな怖い顔しないでくれよ。せっかくの美人が台無しだぜ」

「あたしが勝ったら、御影さんを解放してもらえるんですね?」

 おどける呉羽に対して、双橋はどこまでも真剣な顔をしている。まるで本当の誘拐犯と交渉する特殊部隊のようだった。

「わかってるって。デュエリストに、二言はねえよ」

「信用させてもらいます」

 双橋は慎重にデュエルディスクを構えた。

 僕は向かい合うふたりのデュエリストをバイクモドキのサドルに跨ったまま観賞させてもらうことにした。紙袋からドーナッツを取り出して、缶ジュースのプルタブを引っぱる。これで、デュエルを見守る準備はできた。

 ドーナッツを片手にデュエル観賞をする被害者の図である。

 こんなに自由が与えられる誘拐事件は他に類を見ないことだろう。

 緩いなぁ。

「デュエル!」

 ふたりの掛け声が夜風に乗って広場に響く。

 呉羽の先攻をデュエルディスクが告げた。

「アタイの先攻! さくっと行くぜ、手札から《ブリキンギョ》を召喚!」

 デュエルがはじまると、呉羽は眠そうな目をしていなかった。長い冬眠から目覚めた野生児のようにぎらぎらと目を輝かせて、活力に満ちた動作でカードを操る。デュエルをするときだけ別人のようになるらしい。さすが上物のデュエル脳だけはある。

 呉羽のフィールドに出現したのはキンギョの形をしたおもちゃのようなモンスターだった。

「召喚された《ブリキンギョ》のモンスター効果で、手札からレベル4のモンスターを特殊召喚できる。アタイがこの効果で選ぶのは《グリーン・ガジェット》だ」

 続いて現れたのはその名の通り、緑色のボディをした歯車式のロボットだ。このカードはデュエルを卒業した僕の知識にもあった。

 あのカードは場に出たときに効果が発動するタイプのカードだ。そのモンスター効果で、別の色の《ガジェット》を手札に持ってくることができるのだ。緑、赤、黄色の三色のガジェットがそれぞれ対応したガジェットを呼び、手札とフィールドでサイクルすることになる。低レベルで能力値も高くはないガジェットたちではあるけれど、侮ってはいけない。召喚するたびに別のガジェットを手札に加えるということは、常に手札にモンスターカードを握っていられるということなのだから。

 手札が重要な要素を担っているデュエルモンスターズにおいて、手札を切らさないでモンスターを展開できるのは強みになるのだ。

「特殊召喚された《グリーン・ガジェット》のモンスター効果で、アタイはデッキから《レッド・ガジェット》を手札に加えるぜ」

「《ガジョット》デッキですか。少し厄介ですね」

 双橋が苦しそうに目を細めた。

 《F・A》デッキは持久力のあるデッキではなく、また彼女のエースモンスターは相手の大型モンスターを倒すことで真価を発揮できるものなので、小型モンスターを場に揃えて常にアドバンテージを稼ぐ呉羽のデッキとは相性が悪いのかもしれない。

「おいおい、この程度で歯噛みしててどうすんだ双橋さんよ。アタイのデッキの真価はこれからさ!」

「…………」

 呉羽の挑発に対して双橋は無言だった。デュエルを卒業した僕ではわからないことも、双橋にはわかるのかもしれない。相手のカードを見るだけでこの先の展開を把握できるのだろう。

 実際、次の呉羽のアクションを前にしても双橋は僕と違って驚いた様子を見せなかった。

「フィールドに揃った、レベル4のモンスター、《グリーン・ガジェット》と《ブリキンギョ》でオーバーレイ! エクシーズ召喚! ランク4、《キングレムリン》!」

 二体のモンスターを使って呼び出されたのは、人型の大きな爬虫類だった。ギロリとした鋭い眼光が獲物を追い求めるかのように辺りに撒き散らされる。

 デュエルから退いていた僕が、エクシーズモンスターを見るのはこれが始めてのことだった。もっとも、いくらデュエルをしていなかったからと言って、クラスメイトたちはデュエルモンスターズの話を狭い教室内でしているので、エクシーズモンスターなるカードの存在は必然的に耳に入ってはいたし、カードショップに連行されたときにも何度か実物のカードは見ている。けれど、それが実際に召喚された様子を目にしたことはなかったのだ。

 確か、エクシーズモンスターは、同じレベルのカードをオーバーレイユニットとの素材とすることで、素材にしたモンスターのレベルの数と同じ数のランクを持つエクシーズモンスターを特殊召喚できるものだ。そしてオーバーレイユニットを消費することで、モンスター効果が発動できるという。

 なるほど、エクシーズモンスターは同じレベルのカードを素材として要求するから、レベル4で統一され、尚且つデッキから他の色を呼び出せる《ガジェット》たちとは相性がいいわけだ。常に尽きることのない素材を確保できるし、《ガジェット》の短所である攻撃力の低さをカバーできる。

 僕の知識にある《ガジェット》デッキから大幅に強化されているということか。

 呉羽の場に現れた巨大な爬虫類の攻撃力が2300ポイントであることをテロップが知らせてくれた。見た目の迫力よりは攻撃力が低いみたいだ。まあ、ランク4のモンスターなら中型モンスタークラスの攻撃力が適任ではあるだろう。

「そして、アタイは《キングレムリン》のオーバーレイユニットをひとつ消費して、効果を使うぜ! デッキから爬虫類族のカード1枚を手札に加える!」

「そ、そんな効果まであるのか!?」

 僕はビックリしてバイクから身を乗り出してしまった。

 呉羽はそんな僕のリアクションを無視してデュエルの進行を進める。デッキから『カゲトカゲ』を手札に加えたことを対戦相手に告げて、さらにカードを2枚セットしてターンエンドを宣言した。

「おら、次はあんたのターンだぜ! すべてをさらけ出すつもりで全力でかかってきやがれ! アタイがバッチリ受け止めてやるからよぉ!」

「言われなくとも全力で挑みます。あたしのターン、ドロー!」

 双橋はデッキからカードを手札に加えると、すぐに行動することなく、目前の爬虫類と2枚のカードを見やった。

 いつもと違って慎重に事を運ぼうとしていることが窺える。やはり、俺が本当に誘拐されているとでも思っているのだろうか? いや、さすがにそれはないか、僕はバイクモドキに腰を下ろしながらドーナッツをかじっているわけだし。

「手札から魔法カード《増援》を発動、デッキからレベル4以下の戦士族を手札に加えます。あたしはデッキから、《F・Aコンパクト・リング》を手札に入れて、このカードをそのまま召喚です」

「ああん? 《F・A》だぁ? なんだそのカード」

 双橋のフィールドに出現した腕輪を強調した未来のエージェントを前にして、呉羽は意表を突かれたらしい。

 あのカードの認知度の低さは、生徒会長の知識になかったことで裏づけが取れている。生徒会長でも知らないカードを他のデュエリストが知っているほうがおかしいという認識に僕はなっているから、あのカードを熟知している人物が現れたら逆にびっくりしてしまうことだろう。

「まあ、いいか。なんでも。どんなデッキで責めてこようと叩きのめすだけだ」

 呉羽は未知のカードをあっさりと受け入れたらしい。それだけデュエルに対して自信があるということなのかもしれない。生徒会長の場合は賭けの対象があったから未知のカードと対峙したとき焦りを見せていたが、呉羽には負けても失うものがなにもないから冷静でいられるのだろう。

「《F・Aコンパクト・リング》は召喚に成功したとき、フィールド上の魔法・罠カード1枚をゲームから除外します。そして除外されたカードは次のあなたのバトルフェフェイズで戻ってきます」

 なるほど、双橋が長考していたのは《増援》の効果でどのモンスターを手札に加えるのか、だったのかもしれない。その結論として《F・Aコンパクト・リング》で相手フィールドのリバースカードを除去する道を選んだのだ。

「あたしは、《コンパクト・リング》の効果で、あなたから見て左側のリバースカードを選びます」

「うっせえ! 罠カード発動、《奈落の落とし穴》!」

 選ばれたカードは、残念なことに、オープンされてその効果を発揮した。攻撃力1500以上のモンスターを破壊してゲームから除外するその穴は、攻撃力1600の《F・Aコンパクト・リング》をあっさりと飲み込んだ。

「…………」

 その一連の流れを受けて、双橋の表情がより強ばったものになった。青ざめていて、とてもまともな状態であるとは思えない。

 なぜだか、今すぐにでも彼女に駆け寄って抱きしめてあげたくなった僕だったけど、口に含んだドーナッツをジュースで流し込み、一息つくことでその欲求を我慢した。たかがデュエルをしているだけなのだから、ここで僕がちょっかいを出す必要はどこにもない。

 まさか、これが誘拐事件だと彼女が本気にしているわけでもあるまいし。

「あたしは、カードを一枚伏せてターンエンドです」

 カードをデュエルディスクにセットする彼女の声色に、いつもの元気がなかった。召喚したモンスターがあっさりとやられたのだから気落ちしているのかもしれない。

「コラァ、双橋! おまえ真面目にかかって来いよ! 低級モンスターを除去されたくらいで絶望したような顔すんな! ていうか、アタイを失望させんな!」

 意気消沈している対戦相手に、激励の言葉を呉羽は送った。

 対戦を楽しみたいがために出た言葉なのだろうけれど、それなら普通に対戦を申し込めばよかったではないだろうか。わざわざ誘拐事件を含めてしまったせいで、それを真に受けているかどうかは別として、とにかく双橋は不安定になってしまったのだ。

「くそっ、これじゃあ、あいつの気持ちが伝わってこないじゃんか……」

 無言のまま次のターンを待つ双橋を睨みつけて、呉羽は小さな声で呟いた。

 どうやら本気のデュエルでないと、得意のカウンセリングがうまく機能さないらしい。

「全力でかかって来ないってんなら、しゃあねえ、アタイがやる気にさせてやるよ! アタイのターン、ドロー!」

 鼻息を荒くした呉羽は、ドローの次に即座にモンスターカードを場に繰り出す。《グリーン・ガジェット》の効果で手札に加えられていた《レッド・ガジェット》だ。

 緑は赤を呼び込み、そして黄色に繋げる。これで、三種類の《ガジェット》が呉羽の手札でサイクルした。デッキは順調に回っているらしい。

「召喚に成功した《レッド・ガジェット》の効果で手札に《イエロー・ガジェット》を加えるけどさ、その前に手札の《カゲトカゲ》のモンスター効果を使わせてもらうぜ。このカードは自分がモンスターの通常召喚に成功したとき、手札から特殊召喚できる」

 赤色の歯車式のロボットの影から真っ黒の爬虫類が姿を現した。遅れてレベルを現すテロップが表示されたことで、レベル4のモンスターが2体揃ったことがわかった。

 呉羽は手札に《イエロー・ガジェット》を加えると、大仰な動作と活力に満ちた声を使って次の行動に移る。

「もっかい行くぜ! レベル4の《カゲトカゲ》と《レッド・ガジェット》でオーバーレイ! エクシーズ召喚! 並びやがれ! 『キングレムリン』!」

 2体目の《キングレムリン》がフィールドに影を作る。

 2300ポイントの攻撃力を持つモンスターは、きっと、双橋の胃に負担を強いているはずだ。

 エクシーズモンスターはオーバーレイユニットとなったモンスターを消費することで、その効果を発動できるのを特徴としたモンスターだ。フィールドに残っていた《キングレムリン》は素材を1枚残しているからこのターンもサーチ効果が使える。つまり、2体の《キングレムリン》はデッキからそれぞれ爬虫類を呼び出すということだ。

 ――手札の枚数は、勝敗を左右する重要な要素。

「2体の《キングレムリン》の効果を発動! デッキから2枚の《カゲトカゲ》を手札に加える! これで、アタイの手札は5枚に戻った。おまえの本気をいくらでも受け止められる準備は出来てるんだから、このターンで終わってくれるなよ」

 そして、呉羽のバトルフェイズが始まった。

「バトルフェイズだ。《キングレムリン》でダイレクトアタック!」

 2体の《キングレムリン》が強靭な爪と牙を持って双橋に襲い掛かる。

「罠カード発動、《未来改変》! 手札の《F・A》を墓地に送り、《未来改変》をゲームから取り除くことで、バトルフェイズを強制的に終了させます!」

 オープンされた罠カードから、夜の広場を昼間のように変える光が一瞬放たれ、その眩い光によって《キングレムリン》たちが動きを止めた。

「おまえ、やるじゃねえか! ここでゲームセットになってたらどうしようかなってドキドキしてたんだぜ、アタイ。いやあ、良かった良かった」

「あたしだって、本気です。御影さんを助けなくてはなりませんからね」

「だったら、それを態度で示せよ。アタイはこのままターンエンドだ」

 不安な心境が体中から溢れ出ている双橋ではあるけれど、彼女はすでに反撃の狼煙を放っている。

 あのカードは双橋の窮地を何度も救ってくれたカードだ。

「《未来改変》のもうひとつの効果がこのタイミングで発動されます。相手フィールド上のモンスターの数だけ、自分の墓地から《F・A》が特殊召喚されます。あたしの墓地には先ほど手札から捨てた《F・A》があります。それしか特殊召喚できませんが、1体でも出せれば十分です。《F・Aダブル・バギー》を墓地から特殊――」

「黙りやがれ! 永続罠発動、《虚無空間》!」

 特殊召喚と言おうとしたのだろうその言葉の先を呉羽が怒号によって遮った。

「このカードがフィールドに存在する限り、お互いにモンスターの特殊召喚は行えなくなる。つまり、あんたの《未来改変》の効果は不発に終わるわけだ!」

「…………」

 双橋がその場で膝をついた。

 そして、「もうダメだ」とか何とか自分を責めるように呟いている。

 やはり、何かがおかしかった。

 いつもは自信過剰なはずの双橋が今日はえらく脆い。十八番としているカードを無力化されたのだからショックを受ける気持ちもわからなくはないけれど、それでデュエルの決着がついたというわけではないのだ。まだ手札だって残っているし、ライフポイントだって削られていないのだから、チャンスはまだある。

 それとも、《虚無空間》によって特殊召喚が封じられている現状では逆転のチャンスは残っていないとでも言うのだろうか。確かに双橋のデッキはエクストラデッキから戦闘用の《F・A》が特殊召喚できるかにすべてがかかっている。でも、双橋だってデュエル経験は長いはずで、もちろんメタカードに対抗するための手段だって考えているはずなのだ。

 ピンチをチャンスに変えることを得意とする双橋なのに。

 どうして、そんな諦めたような顔をするんだ。

 まさか――

 まさか、本当にこれが誘拐事件だと思っているのだろうか。

 自分が負けたら、僕が連れ去られてしまうと思い込んで、それがプレッシャーとなって双橋に襲い掛かっているとでもいうのか。

「……ダメです。あたしはこれ以上デュエルはできません。こんなの、こんな重いデュエルは続行できません」

 彼女は――泣いていた。

 顔を真っ赤にして、嗚咽を堪えようともせず、涙を流していた。

 湿気はカードの天敵だというのに。

「…………」

 彼女はいったい何を考えて、何を思って涙をこぼしたのだろう。その思考回路がわからない。

 何を考えて。

 何を思って。

 何を企んでいるのか。

 僕にはさぱっりわからない。

 ――わかってあげられない。

 ――わかってあげようとしない。 

 僕は彼女から逃げていた。

「デュエリストがよぉ」

 双橋が子供のように泣きじゃくり――

 僕の手元からアルミ缶が落ちていき――

 呉羽が怒号を持って牙をむいた。

「泣き言ってんじゃねえよ!」

 その叫びに乗るようにして、くるくると何かが双橋に目掛けて投擲された。

 それは無駄な軌道を描くことをせずに、まっすぐと目標に向ってひた走る。

 見れば――呉羽の腰元を見れば、スカートと腰の間で挟まれていた得物が消えていた。

 つまり、双橋に向って投げられたのは――木刀だということだ。

「きゃああああああああああああ!」

 野太い音と共に双橋が悲鳴をあげた。

 驚きと恐怖のあまり、目をむいて、涙が引っ込んでしまったらしい。

 木刀は意図的にかどうかはわからないけれど、双橋を直撃することはなく、その近くにあった電灯を直撃した。そして強度で負けた木刀が腹の辺りから真っ二つになったのだった。

「な、な、なんてことするんですか! 当たってたら頭が吹っ飛んでるところでしたよ!」

「うっせえ! なにデュエルの最中に弱音吐いてんだこのアマ!」

「あ、あまって……」

「勝てないかもしれないだとか、そんな後ろ向きなこと考えながらデュエルしてたら対戦相手に失礼だろうが。つまり、アタイに失礼じゃねえか!」

「…………」

 呉羽の説教は、なんとなく、僕にも響いた。

 僕が双橋のことを知ろうとしていなかったのは、彼女が僕から離れて行く未来を考えてしまっていたからだ。

 必死になって、僕をデュエリストに戻そうと努力している彼女ではあるけれど、そんな彼女が知ってしまったらどうなるのだろう――僕がデュエリストに戻るつもりがないと知ってしまったらどうなるのだろう、と。

 いまはまだ大丈夫だけど、いつまでも双橋が僕を慕ってくれるわけがないと、心のどこかでわかっていたんだ。

 だから僕の方から歩み寄らないようにしてたんだ――親くならないように努力してたんだ。

 負けるかもしれないって。

 失敗するかもしれないって。

 嫌われるかもしれないって。

 そんなことを考えながら、双橋と接していた。

 それはとても失礼な行為だ。

「呉羽……さん……」

 双橋が目を見開きながら、対戦相手のことを眺めていた。

 やがて、はっとしたような表情になり、ゆっくりと立ち上がってデュエルディスクを構えなおす。

 充血はしているけれど、その瞳はいつものように未来を見据えるような輝きに満ちていた。

 彼女も彼女なりに思いつめていたのかもしれない。そして、僕と同じように呉羽の言葉によって何かに気づいたのだろう。

「そうですね。負ける未来を考えながらデュエルをすることは、呉羽さんに失礼な行為でした」

「わかればよろしい」

「ここからは全力で行かせてもらいますよ。あたしが勝っちゃいますけど、後悔しませんね?」

「アタイは最初から言ってんだろ、全力でかかってこいってさ!」

 なんだかんだでデュエルが再開された。

 双橋は無言でカードをドローすると、すぐさま行動を開始した。いつものように自信に満ちた動作で。

「手札から魔法カード《戦士の生還》を発動、墓地から戦士族カードを手札に加えます。あたしは《F・Aダブル・バギー》を手札に加え、続けて召喚!」

 手札に加えられたカードはすぐさまデュエルディスクに出された。《F・Aダブル・バギー》は、2台の全地形対応車をその両足で乗りこなしていた。本来は腰をおろす場所に足の裏を乗せ、長く伸びたハンドルを両の手で操る。そのシルエットはさながら竹馬のようである。

「ほお、四輪バギーに乗ったモンスターか! なかなかユニークじゃねえか」

 呉羽のテンションが上がった。デュエルバイクを考案するだけのことはあって、その手の乗り物が好きなのだろう。

「さらに、《ダブル・バギー》に装備魔法《フューチャー・ウエポン 時断ちの太刀》を装備します。このカードは装備モンスターの攻撃力を800ポイント上昇させる」

 両手をハンドルに独占されている《ダブル・バギー》は、脇を使って太刀の柄を挟み込んでいた。神聖なる領域を変なことに使うなと叫びだかったけれど、そんなことをすると僕の秘密が露見してしまうので固く口を閉ざした。

 攻撃力1700ポイントを示していたテロップは変動して2500ポイントの数値を表した。これで、特殊召喚せずに《キングレムリン》を突破できるモンスターを双橋は用意できたわけだ。

 しかし、残念なのは、《時断ちの太刀》の効果はエクシーズモンスターが相手では適応されないことだ。《時断ちの太刀》は戦闘で破壊したモンスターのレベルによって追加効果を発揮するカードであり、レベルではなくランクを持っているエクシーズモンスターを撃破したところで意味がない。

 それでも、《キングレムリン》を倒せるだけで十分な戦果である。

「バトルです! 《F・Aダブル・バギー》で、《キングレムリン》を攻撃!」

 もちろん、双橋が攻撃対象に選んだのは、2体目の《キングレムリン》だ。1体目の方はエクシーズ素材を使い切っているので優先度は必然的に下がる。

 突撃する全地形対応車は、巨大な人型爬虫類と衝突して打ち倒した。僕が見た限りにおいて、太刀は振るわれていない……。

 ここでようやく戦闘ダメージが発生する。2500ポイントと2300ポイントの戦いなので、呉羽に与えられるダメージはたったの200ポイントだったけど、停滞しているよりは少しでも前進したほうがいいのだ。

「そして、あなたのフィールドのカードが墓地に送られたことにより、《虚無空間》は自壊します」

「っち。やっぱり知ってたか」

 セリフのわりに、爽やかに呉羽は笑って、《虚無空間》を墓地に送った。

 そして、双橋はリバースカードを1枚セットする。これで手札は残り1枚となった。

 主力モンスターを撃破したくらいで、状況は急激な変化を見せてはくれない。呉羽の手札アドバンテージは双橋とは段違いなのである。

「あたしはこれでターンを終了です」

「ありがとよ、《虚無空間》を破壊してくれて。あのカードがあったんじゃアタイも特殊召喚ができなかったんだからよ」

 呉羽は言って、カードをドローした。

「アタイは《グリーン・ガジェット》を召喚、そして《カゲトカゲ》のモンスター効果を使う!」

 2度目の《グリーン・ガジェット》と《カゲトカゲ》がワンセットでフィールドに現れ、《グリーン・ガジェット》の効果で《レッド・ガジェット》が手札に加えられた。これでまたレベル4のモンスターがフィールドに揃ったわけだ。呉羽がデッキに入れているエクシーズモンスターは《キングレムリン》だけではないはずだ。

「レベル4、《グリーン・ガジェット》と《カゲトカゲ》でオーバーレイ! エクシーズ召喚! 飛びやがれ! ランク4、《鳥銃士カステル》!」

 そのモンススターは上空から飛来した。ウエスタンな風貌をした鳥人が大型のライフルを担いで得意顔をしている。

 テロップに表示されたのが2000ポイントだったのが驚いた。《キングレムリン》よりも攻撃力の低いカードを出したところで、《F・Aダブル・バギー》を突破できないだろうに。

 それは、つまり、《鳥銃士カステル》は現状を打破できる特殊効果を秘めているということを意味していた。

「《鳥銃士カステル》のモンスター効果発動! オーバーレイユニットを2つ取り除くことで、フィールド上で表側表示になっているカードをデッキに戻す。アタイが選ぶのはもちろん《F・Aダブル・バギー》だ!」

 命令と共に夜の空に舞い上がった得意顔の主は、大型のライフルを使って、《F・Aダブル・バギー》を打ち抜いた。そのときの衝撃波が、双橋の髪を揺らした。

「やっぱり、手ごわいですね」

 まだ、勝負を諦めていないらしい。それどころか不利な状況を喜ぶように、双橋は堂々とそこに立っていた。

 謙遜ではない心からの賞賛の言葉を対戦相手に送ることができるのが彼女だ。

 それでこそ、彼女だ。

「……ああ、そうか」

 僕は彼女をことを何一つ知らないわけじゃなかった。

 知っている。

 僕は知っている。

 彼女が、双橋遊奈が、どうしようもなくデュエル好きだということを僕は知っている。

「《F・A》モンスターがフィールドを離れたとき、あたしのリバースカードが発動します」

「おお、来い!」

「罠カード、《フューチャー・バトン》! フィールドから離れた《F・A》モンスターの攻撃力分、相手フィールドのモンスター1体の攻撃力を下げる。そしてエンドフェイ時にデッキから《F・A》モンスターを特殊召喚できます」

 攻撃力が下がったのは《キングレムリン》だった。2300もの攻撃力は、《F・Aダブル・バギー》の攻撃力分減らされて600ポイントまで落ちた。

 あのカードを発動させていなかったら、2000ポイントと2300ポイントのダイレクトアタックで双橋のライフは底を尽きていたことだろう。

 そして、エンドフェイズになればデッキから《F・A》がやってきて双橋のターンでフューチャーカウンターを受けとることができる。

 まさに未来に繋げるためのバトンというわけか。

「粘ってくれるじゃねえか、ナイスガッツだ! そうこなくっちゃやってられないってね。アタイは、2体のモンスターでダイレクトアタック!」

 ライフルによる射撃と爬虫類男の鋭い爪が双橋を襲った。

 これで双橋は2600ポイントのライフを失って、残り1400ポイントの崖っぷちになった。

「アタイはこれで、ターンを終了だ。ここであんたのデッキから《F・A》がやってくるんだろ?」

「ええ。あたしは《フューチャー・バトン》の効果でデッキから《F・Aダブル・バギー》を特殊召喚します!」

「おおっと、帰ってきやがった」

 再びフィールドに、2台の全地形対応車を乗りこなした未来の特殊部隊が現れた。ご機嫌に乗りこなすその姿は夜の広場においてはとても怪しく映っている。

 ターンが変わった、双橋はカードをドローして、スタンバイフェイズに突入する。

「あたしのスタンバイフェイズ、フィールドに生き残っている《F・A》に勲章が贈られます。通常はひとりのエージェントにはひとつの勲章が授与されます。ですが、《F・Aダブル・バギー》はその特殊効果によって2つの勲章を得ることができるのです!」

 2台の全地形対応車にそれぞれ光が集まって、その光は数字の1を模る。

 なるほど、未来のアイテムにフューチャーカウンターが溜まるのだから2台の全地形対応車を持つ《ダブル・バギー》には2つ溜まるというわけだ。

 エクストラデッキから戦闘用の《F・A》を呼び出すための条件は、フューチャーカウンターと2体の《F・A》の存在が不可欠である。現状では条件不足だったが、双橋がこのターンドローしたカードをフィールドに出すことによって、それも解消された。

 召喚されたのは安っぽい羽を持つ未来の特殊部隊、《F・Aプラスチック・ウイング》だった。攻撃力の低いモンスターではあるけれど、その数値は勝敗を左右する要素に含まれていない。

「あたしは、フィールドのフューチャーカウンターを2つを取り除き、2体の《F・A》を墓地に送ります!」

「な、なにをしようってのさ!?」

 ここで初めて呉羽が狼狽した。

 その問いかけに双橋は答えない。ゲームを進めれば、おのずと答えが露見するからだ。

 1の形を作っていた2つの光が瞬きながら、《F・A》たちを取り囲む。

「ふたつの過去が、より良い未来を作り出す! その燃え盛る兵器で仇なすものを焼き払え! 特殊召喚! 現れろ、《F・Aガントレット・バーナー》!」

 赤いマントをなびかせながら、スタイリッシュに光の中から現れたのは、メタリックな手袋状の防具をその右腕に装着したモンスターだった。

 バーナーと言うものだから、てっきり炎に関連した武器を持っていると思ってしまったが、その防具は銀色に輝くばかりだった。

「はあ! 攻撃力2100ポイントだって!」

 テロップを見て、呉羽が思わずといった感じで声を荒らげた。自分だって攻撃力2000のエクシーズモンスターを召喚しておいて、酷い言い草である。

 モンスターの元々の攻撃力はデュエルモンスターズにおいては重要ではない。

「《F・Aガントレット・バーナー》は、過去になった仲間たちの意思を継いで、その兵器に怒りの炎を灯します。あたしの墓地に眠る《F・A》一体につき、その攻撃力を300ポイントアップさせるのです。墓地にあるのは《F・Aダブル・バギー》と《F・Aプラスチック・ウイング》の2体、よって攻撃力は600ポイントアップします!」

 次の瞬間、手袋状の防具に炎が灯り、《F・Aガントレット・バーナー》の右腕が夜の公園を明るく照らした。

 つまり、《ガントレット・バーナー》の攻撃力は600ポイントアップして2700まで上昇する。これなら《キングレムリン》も攻撃対象に入る。

「ほお、攻撃力アップのモンスター効果を持ってやがったか。だけど、それだけじゃ、アタイに決定的なダメージを与えることはできないぜ。《キングレムリン》が破壊されたところで、アタイの手札にはまだモンスターが控えている。次のターンになれば、別のエクシーズモンスターがあんたの《ガントレット・バーナー》を飲み込んじまうぞ」

「ご心配なく。このカードの召喚が妨害されなかった時点で、未来への道筋は整っていますから」

「おっしゃ! じゃあ見せてくれよ、その道筋ってやつをよぉ」

 双橋は口元を緩ませて、小さく微笑んだ。そして、デュエルディスクを操作する。モンスター効果を発動させるつもりらしい。

「《F・Aガントレット・バーナー》は過去になってしまった仲間たちを弔うと共に、仇なすものを焼き払う業火を放つことができます。このカードの攻撃力以下の相手フィールドのモンスターをすべて破壊し、その後、墓地の《F・A》をすべてゲームから除外するのです」

「おおっ! すげぇ!」

 甲冑に灯った炎が勢いよく瞬いて、火炎放射のように呉羽のフィールドのエクシーズモンスターたちを焼き払う。そして、恨みの炎が鎮火して、ガントレットはただの銀色に輝く甲冑に戻った。

 墓地のモンススターがいなくなったことで、《ガントレット・バーナー》の攻撃力はもとの2100ポイントの数値に戻る。

 攻撃力は低下してしまったけれど、これで呉羽を守るモンスターは全滅したわけだ。

「バトルです。《F・Aガントレット・バーナー》で呉羽さんにダイレクトアタック!」

 ガントレットによる物理攻撃に、さすがの呉羽も顔をしかめて短い悲鳴をあげた。

「……やってくれるじゃねえか。だけど、アタイにターンが回ってくれば手札の素材を使って強力なエクシーズモンスターを展開できるんだ。2100ポイントぽっちのモンスターを立たせたくらいで勝った気になるなよ」

「だから、ご心配なく。あなたがどんなカードを使ってこようと、未来への道筋は決して揺らぎません。カードを1枚セットしてターンを終了です」

「言ってくれるじゃねえか! やっぱりそれぐらいの態度でぶつかってくれなきゃ、アタイがつまんねーぜ。アタイのターン、ドロー!」

 手札から例によって《ガジェット》と《カゲトカゲ》が展開される。《ガジェット》は他の色を呼び、そして2体のレベル4モンスターはひとつになる。

 ――はずだった。

「アタイは、レベル4の《レッド・ガジェット》と《カゲトカゲ》でオーバーレイネットワークを構築! エクシーズ召喚――」

「ちょっとストップです!」

「あん!?」

 決めポーズを披露しようとしていた呉羽は、双橋の声によって引きとめられた。とても不服そうな顔になっている。

「あなたが、レベル4のモンスターたちを場に出した瞬間、あたしはリバースカードを発動させました。速攻魔法、《異次元からの埋葬》です。このカードの効果で、ゲームから除外されたモンスターを3体まで墓地に戻せます。つまりゲームから除外されている《F・A》たちが墓地に戻ったことによって、再び《ガントレット・バーナー》は怒りの炎を灯すのです」

 自分で墓地に送っているのに、怒りが現れるなんて、理不尽極まれりだった。

 それはともかくとして、ゲームから除外されていた《F・A》は、《ガントレット・バーナー》の効果で除外された《F・Aダブル・バギー》と《F・Aプラスチック・ウイング》、そして《奈落の落とし穴》に引っかかった《F・Aコンパクト・リング》の3体だ。

 よって、《F・Aガントレット・バーナー》の攻撃力は900ポイント上昇して、3000ポイントの大台に乗ったことになる。

「だから、なんだってんだよ。攻撃力を上げれば、アタイのエクシーズモンスターから逃れられると思ってるのか?」

「いいえ。あなたの手の内にどのようなエクシーズモンスターが控えているのかは知りませんが、攻撃力を上げるだけでそれを防げるなんて思っていませんよ」

「だったら!」

「残念なことに、あなたのエクシーズモンスターと正面から張り合うのは現状では難しそうです。だから仕方がないので、エクシーズ召喚を阻止するルートを選びました」

「……ああん?」

「《F・Aガントレット・バーナー》がその能力を発揮できるのは、なにもあたしのターンだけではありません。いついかなるときでも怒りは発散したいものですからね。それは相手ターンであっても例外ではありません」

「おまっ! ちょっと待てよ! そんな姑息な手段で勝とうってのか!?」

「切り札の召喚を妨害するのもデュエルの戦術のひとつです。……っていうか、あなただって散々妨害してきたじゃないですか」

「…………」

 怒りの炎が理不尽にも、呉羽のレベル4モンスターたちを焼き払った。

 いくら手札にカードを残していたとしても、通常召喚の機会を使ってしまっては動くこともままならない。

「アタイは、カードを1枚セット。んで、ターンエンドだ」

「どんなカードを伏せても無駄ですよ。未来への道筋は完成していますから」

「へっ、ほざいてろ」

「あたしのターン、ドロー!」

 引き当てたカードを見て、双橋は得意顔を作った。

「手札から速攻魔法、《サイクロン》を発動です。フィールドの魔法・罠カード1枚を破壊します」

「はあっ! ナイスタイミングでなんちゅーカード引いてんだよ!」

 取り乱す呉羽に対して、双橋は余裕の表情を崩さない。《サイクロン》はデュエルディスクに読み込まれ、呉羽のリバースカード《聖なるバリアミラーフォース》を消し去った。これで呉羽のフィールドにはカードが存在せず、1700ポイントのライフでは2100ポイントの《F・Aガントレット・バーナー》の攻撃には耐えられない。

「言いましたよね。未来への道筋は完成してるって。自信を持って突き進めばデッキは必ず補助してくれるんです」

 鉄製の甲冑を右手に宿した戦士が、無駄にアクロバティックなアクションで呉羽に襲いかかった。

 

 

  *

 

「誘拐事件のことですか? ああ、あれなら最初は信じていましたよ。このまま負けちゃったら御影さんが連れていかれるんじゃないかって、気が気でなかったです。でも途中で気がつきました。呉羽さんのような、まっすぐなデュエルをする人が誘拐事件なんて起こすわけがないって」

 まっすぐなデュエルだったかはともかくとして、デュエルをすれば本当に相手のことがわかるらしい。

「ましてや呉羽さんが敵対派閥だなんて考えられません」

「ん? 何か言ったか?」

「いえいえ、何も言ってませんよ!」

「……そうか」

 僕と双橋は並びあいながら、夜の街道を歩いていた。

 デュエルを終えた呉羽は明朗に笑って、双橋の勝利をたたえると、デュエルバイクに乗って去っていった。僕たちを送り届けてくれる気でいたみたいだけど、ふたりも荷台に乗せられないということもあって、僕と双橋は徒歩で帰ることにしたのだ。

『大丈夫だ。御影。彼女に裏なんてない、アタイが保証する。心からデュエルを楽しめる人間に、悪いやつはいない。ちゃんとしっかり、あいつはお前をより良い未来へ連れってくれるだろうさ』

 別れ際、呉羽が僕に耳打ちした言葉を頭の中でリピートさせながら、その際に耳に当たった彼女の息づかいを思い起こして堪能する。うっかりしていたけれど、呉羽とは連絡先を交換していなかった。惜しいことをした……。

 ともかく。

 ともかくである。

 僕が兼ねてから抱いていた彼女への疑念はすっかりなくなっていた。これはデュエルとは関係なく、ただ単に彼女が僕を心配して走りまわってくれたことが響いたのだ。

「ねえ、御影さん。その紙袋は何ですか?」

「ん。これはドーナッツだよ。今回のお詫びも兼ねて双橋にあげようと思って、余分に買っておいたんだ」

「えっ、くれるんですか?」

「ああ、帰ったら食べるといいよ」

「ありがとうございます! あたし、一度でいいからこの世界のドーナッツを食べてみたかったんですよ」

「んん? この世界って?」

「おっと、言い間違いです。このお店のドーナッツを一度食べてみたかったんですよ」

「そうか。……言い間違いが多いみたいだから気をつけたほうがいいぞ」

 僕のその忠告は、しかし、ドーナッツの入った紙袋を抱きかかえることに夢中になっている双橋には届かなかった。

 本当に嬉しそうな顔をしてくれるもんだ。

「あっ、そうだ」

「どうかしましたか、御影さん。やっぱり返してくれなんていっても返しませんからね。半分だけなら考えなくもないですが」

「いや、ドーナッツの件じゃない。えっと、双橋」

「はい?」

「携帯電話の番号を交換しないか。今回みたいに連絡が取れなくなったとき大騒ぎするだろ、おまえ」

「それはナイスな名案です! 気が変わらない内に早速交換しましょう」

 紙袋を放りなげそうな勢いで、リュックに手をまわした双橋は、サイドポケットから携帯電話を取り出しにかかった。

 そんな彼女の姿を眺めながら、僕は感慨にふける――

 双橋が離れて行ってしまうことを懸念していた僕は、自ら彼女との間に壁を持つことで現状維持を保っていた。

 それはどうしようもなく停滞を促す行為であり、より良い未来へ向っているとは思えない愚かな所業だった。

 だから、ちょっとだけ歩み寄ろうと思う。

 例え、どのような結果がその先に待ち受けていようとも構わない。

 彼女のことを知りたいと思ってしまう僕のこの気持ちは、もはや、止められないのだから。

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