遊戯王デュエルモンスターズWD―ワーストデュエリスト―   作:Rさん

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05話
ロンリーデイズ 前編


 自覚している。僕は口だけだ。

 デュエルを卒業して真の青春探しをするとか大口を叩いておいて、その実、何一つ実行に移していない。最近は毎晩が勉強会のようになりつつあるけれど、それに精一杯取り組む気力がない。学校生活をバラ色にしようという野心も持ち合わせていない。バイト生活に飛び込むような時間がない。努力しない。頑張らない。成績が上がらない。仕送りが値上がらない。生活がままならない。

 ないないない、ないもの尽くしの毎日だ。

 このままでは周囲から何もしていないダメな人だと思われてしまうかもしれない。

 いや、何もしないダメな人間でおおよそ間違いではないけれど。

 このままではデュエルモンスターズをしないための口実が、まるで薄っぺらく見えてしまう。つまり、双橋に付け入る隙を与えてしまうことになる。『どうせすることがないのであれば、デュエルしませんか、御影さん』とか言われてしまったら、僕は口ごもることになるだろう。

 彼女からの勧誘が次第にエスカレートしてきている昨今、なんとかしてステルスマーケットの嵐を彼女が自ら自粛してくれるように仕向けなければならないのだ。

 だからだ。

 だから、僕はせめて形だけでも、上っ面だけでも何かを勤しんでいるように偽装する必要があった。『僕はこれこれしてますからデュエルをする暇がありません』と、そんな風に、口ではなく態度で主張するのだ。

 今までは勉強をすることによって、その偽装を実行していたのだけれど、ここのところ、双橋と生徒会長が僕の熱意のなさを感じているらしく、勉強を教える気構えが薄れてきたように思う。いや、思うじゃなくて実際にそうなりつつある。寝床がデュエル談義会場になりつつあるのが何よりの証拠だ。

 そりゃそうである。いつまで経っても芽がでない種に水をやり続けているようなもので、これでは包容力の強い彼女たちといえど、モチベーションの持続は難しいだろう。

 学生という身分だけが救いであるニートのような生活から脱出し、双橋がデュエル包囲網を展開し始める前に、早急に何かに熱心とならなければいけない。(勉強熱心になるのは無理だ!)

「……やっぱり口だけだなぁ」

 何かに熱心とならなくてはいけない――そんな自責の念に駆られて、僕は部活動を検討していた。昼休み、廊下に張り出されている部活紹介のポスター群と睨めっこである。

 しかし、どうも心に響く部活がない。

 別に全力で部活に勤しもうという覚悟があるわけでもないし、やりたいことや好きなことがあるわけでもないので、どうにもポスターの上で踊る文面に惹きつけられない。

 とにかく何かを始めてみることが今回の目標なので、形だけの入部でも問題はなく、適当に決めちゃえばいいのだけれど、やっぱりどうせ入るなら楽しめる部活のほうが好ましい。

 どうだろう、もう一度考えてみる。

 テニス部やバスケットボール部は万年帰宅部だった僕にはハードルが高いし、手芸部や軽音部が満足にこなせるほど器用な手先をしていない。文芸部やマンガ研究会に至っては本と親しんだ人生を送っていない身としては候補から率先して外すべきだろう。

「うーん」

 手詰まり感一杯だった。

 好きこそ物の上手なれという言葉には断固賛成できないが、やっぱり、なにかをするためにはそれなりに好きであることが絶対条件だった。

 やる気もないのに、ほいほいと入れらるほうが部員たちの迷惑になるかも知れないし、部活は諦めるのが無難だろうか――僕はそう結論付けて、踵を返すことにする。生徒会室、もとい生徒会長室で双橋たちとお弁当を広げる約束をしているのだ。

 と。

 勧誘ポスターで埋めつくされた掲示板から目を離したそのときだ。

 女子生徒に目を付けられた。

 彼女は無駄に高い声質を有していた。

「やっほー、そこの冴えない男子生徒くん! 部活を探しているのかなぁ、そうなのかなぁ、そうだよねえ! どうして考えてることがわかるのかって? その微妙な表情と死んだ魚のような目を見れば誰にだってわかるよん! んん、勉強生活に飽き飽きして、新鮮な息吹を体全身で感じたいんでしょ! 部活に入って青春をエンジョイしたいっていうその気持ちが魂の概念を飛び越して伝わってくるよ! だったらだったら、ちぃーちゃんと一緒に部活ライフをエンジョイしてみないかい? いまなら手数料無料、年会費無料、会員費無料、解約手数料無料、契約費無料、滞在費無料、チャージ料なし、延滞金なし、消費税込みで入れるよぉ! さらにさらに先着三名様にはドリンクとティッシュケースをお付けしちゃう! なんといっても美人な部長が一番の目玉だ! ただしボーイミーツガール的な展開は期待してはならない、ちぃーちゃんは皆のものだからね!……ってどこ行くんだい男子生徒くん!? ちぃーちゃんを無視したらダメだって法律で決まっているでしょうが! 破ったら罰金百万円か懲役十五年だよ!」

「…………」

 なんだか、とてつもなく面倒な人に捕まってしまったらしい。

 自称するだけのことはある美貌を備えた女性から話しかけられるという普段なら舞い上がって喜ぶシュチェーションではあったが、僕の中で眠っていた第六感が急に仕事をはじめて、嫌な予感へと変わり、緊急アラームを発令するに至り、益体のない法律を本気にできるわけもなく、僕は逃げるように立ち去ろうとした。しかし、それは叶わなかった。逃げるどころか、立ちどまるどころか、むしろ後方に下がることを余儀なくされてしまった。彼女が後ろから僕の襟首を掴んで思いっきり引っぱったのだ。

 一切の躊躇なく、気づかいの欠片も感じさせない力で、僕の体は後方に運ばれて、情けなく尻餅をつくことになった。

「無知な男子高校生よ、覚えておきなさい。廊下を走っちゃダメだし、ちぃーちゃんを無視しちゃダメ。これに懲りたら次からは気をつけるように。大丈夫、人間誰しも一度は失敗からはじまるものだよ。恥じるものじゃない」

「……それは、どうも」

 僕はつい口から出そうになった怒りの言葉をなんとか理性で封じ込めて、体を床から起こしてズボンを払った。滑るように転倒したことによって、幸いにも痛みは感じなかった。

「それで、それで、話の続きと洒落込もうじゃないか男子高校生よ。って、名前なんてーの? 自己紹介から始めようじゃないか男子高校生よ。ちぃーちゃんはちぃーちゃんだからね、覚えておいてね」

「ちぃーちゃん、ですか。僕は岬野御影です」

 怒りが一周して、逆に落ち着いてしまった僕は、冷静な頭で事態の把握に努めることにした。

 まず、彼女は誰だろうか? ちぃーちゃんと名乗るこの女子生徒にまるっきり見覚えがない。もっとも学校中の生徒全員を把握しているというわけではないけれど、こんなに騒がしい人がこの学校に在籍しているのなら自然と目が行ってしまいそうなものである。これだけ五月蝿い人物がいたのなら、新入生歓迎レクリエーション会において目立っていただろうし、自然と僕が彼女の存在を認識する機会となったはずだ。

 まあ、それはともかく。

 ウェーブがかった長い髪を振り乱しながら、人生エンジョイ真っ最中と顔が語っている女子生徒だった。その身長は双橋より頭ひとつ分ほど低く、上級生なのか同級生なのか、それすらも判断がつけられない。もしも上級生だったら、その幼い雰囲気は悩みの種になっているんだろうなぁ、とか同情心が芽生えそうになった。

 芽生えそうになったが、すぐにそれは刈り取られた。

「えっとね、ちぃーちゃんは一年生なのだよ、わかるかい岬野くんとやら? つまり岬野くんがもし上級生だったのならば、ちぃーちゃんは先輩にためぐちを利いちゃう礼儀知らずな後輩だと誤解される恐れがあるんだよ」

「だったら安心してくれ、僕も一年生だよ」

「そっかそっか、だったらためぐちでもオールオーケーだよね! 焦らせないでよ、もう。なんだか岬野くんの態度ってちょっぴり冷めた感じがするから年上かと思っちゃったじゃんかぁ。身分を偽ろうとするなよ、身の程をわきまえろ、ってね」

「…………」

 わきまえろ。

 その単語を口にすることによって僕の心を沈静化させようというのであれば、彼女の目論見は失敗に終わっている。

 博愛主義者として、あんまり人を悪く言いたくないのだけれど、今日だけは例外とさせてもらおう。きっと神さまだって、今日だけは、この瞬間だけは許してくれるに違いない。大丈夫だ、彼女を傷つけないように心の中だけに留めておくから。僕としてはそっちの方が罪悪感が沸くので、できれば声に出したいところだったけど妥協しよう。人生何事も妥協から始まるのだ。

 ――この子、うぜぇ。

「ん? なにか言ったかい岬野くん? 言いたいことがあるならなんでも言ってみ。ちぃーちゃんの包容力がそれを全て受け止めてあげるから。悩み事なら尚更ウェルカムだね、ちぃーちゃんの解決力がその悩みをパーっと払拭してあげるから。なーに、心配しなさんなって、お金は取らないさ。初回だけ無料サービスで聞いてあげるよ。どうよ?」

「どうよって言われても……大丈夫だ。別に言いたいことはないし、悩み事もないから」

 嘘だった。

 言いたいことは山のようにあるし、悩みごとなら目下加速中である。

「言いたいことがなく、悩み事もないと。うん。それは青春を謳歌する花の高校生としてはらしからぬことだね。ある意味病気ともいえるよ。これは大丈夫じゃない、重症の域を乗り越えちゃってるね。だが心配することはないよ岬野くんよ。その悩みがないという悩みをちぃーちゃんがズバッと解決してあげようとも! さあ、まずは悩み事を探すところからスタートだ。人生を本気で生きているのなら自然と悩み事が沸いてくるはずさ、だからまずは真剣に生きることからはじめよう。怠惰な毎日は健康によくないし、なにより七つの大罪のひとつだしね。では怠惰な毎日を卒業するためにはどうするか、そう、何かに一生懸命になることだよ! 勉強でもいいしスポーツでもいいし、もちろん遊びでもいい。遊びの最先端、デュエルモンスターズだったとしてもオールオーケーだ! というわけで岬野くんよ、我がデュエル部に入って、ちぃーちゃんと一緒に悩みの種を掘り起こそう!」

「……デュエル部って」

 またピンポイントで嫌なところからのお誘いが舞い込んできたものだ。

 デュエルから逃げるための口実として部活を探していたのだよ、僕は。それなのにデュエル部って、本末転倒にもほどがあるだろう。よりにもよってよりにもよってよりにもよってだ。どんな神さまのイタズラだ。僕は運命に嫌われているのか。

 荒ぶる心情を押し込んで、引きつった笑顔を作りながら、僕は丁重に辞退することにした。

「ごめんだけど、僕はデュエルをしないことに決めてるんだ。その不動の決意はテコでも動かない自信がある。というわけで、勧誘なら他を当たったほうが効率的だと思うよ」

「えっ! 岬野くんってデュエリストじゃないの!?」

「うん。違うよ」

「嘘だね! ちぃーちゃんの審美眼に間違いがあるわけないよ。岬野くんは絶対デュエリストだ! デュエルするために生まれてきたかのような匂いするもん」

「どんな匂いだよ……」

 ていうか目で判断してるのか嗅覚で判断してるのか、どっちなんだよ……。

 僕がデュエルをするためだけに生まれてきたというのであれば、彼女の審美眼だか嗅覚やらは十中八九当てにならないようだ。まあ、実際、勧誘するために口からでまかせを吐いたのだろうけど。

「んんん?」

 と、ふいに、彼女は僕に顔を近づけて上目使いで観察をはじめた。彼女が僕を観察するということは僕からも彼女の顔の造形がよく見えるということだった。体躯に似合った小さな輪郭に白い肌。堀の深い目元の奥にはふたつの目玉が輝いていた。近くで見ることによって気がついたが、どうやらその目玉、緑に近い色をしている。彼女には我が国以外の血液も混ざっているらしい。

「どっかで見たことあると思ったら、もしかしてもしかして、岬野くんってあれじゃない?」

「あれって、なんだよ?」

「ほら、四年前に開かれたデュエルモンスターズの世界大会、そのジュニア部門での優勝者! ちぃーちゃん会場にいたから知ってるもん、確かに見たもん、間違いないもん。そうだよね?」

「人違いじゃないですか。僕はデュエルなんてやったこともありませんよ」

「ええっ! んんん?……そうなの?」

 誤魔化した僕の言葉を受けて、彼女は納得していないように首を傾げ、眉をいびつな形状に変えた。

 まさか、四年前の大会を知っている人物がこの学校に居るとは思いもしなかった。あの経験は僕にとっての黒歴史であって、今後の人生においては絶対に触れられたくない話題だ。神路から言われるのは仕方がないとしても、他の生徒には決して知られたくない。

 というか掘り起こさないでくれ、記憶の埋葬は面倒なんだ。

「人違いかなぁ。似てるような気もするけど、目つきがちょっと違うかなぁ。うーん、しまった。こんなことなら優勝した子の名前を覚えておくんだった。物的証拠がないや」

「…………」

 凄い疑われているらしい。

 まあ、四年前と言えばそれほど昔ではないので、誤魔化すのには無理があるかもしれない。

「うん、まあいっか。それはいま重要じゃないしね。それより、どうだい岬野くん! デュエリストじゃないのであれば、これからデュエルをはじめてみないかい? ちぃーちゃんは初心者でも大歓迎だよん! いろいろとレクチャーしてあげるからさ! なんならデュエル以外のことも教えあげてもいいんだよ。デュエルの合間でよかったら勉強を教えてあげてもいいよ! あっ、でも、ちぃーちゃんは勉強苦手だからあんまりあてにしないでね!」

「間に合ってますので結構です」

「なによ、その新聞の勧誘を断るときみたいな冷たいあしらい方は! 知らないよ、知らないよ、あとから入部しますって言ってきても知らないよ! 聞き入れてあげないよ! タイムマシンでも開発しない限りデュエル部の門は潜れないと思ってくれたまえよ」

「いや、わざわざ必死になって僕を勧誘しなくても、デュエル部なら黙ってっても自然と部員が集まると思うぞ?」

「あー、やっぱりそう思う? 思っちゃうの?」

 彼女は呟くように、あるいは嘆くように言って、露骨に肩を落とした。

 どうやら触れてはいけないところに触れてしまったらしい。

「そうなのよ。いまって空前のデュエルブームでしょ。だからこそ部員が集まらないんだよねぇ……。部活に入らなくともデュエル相手を探すのに困らないし、他の部に入ってもそこでデュエル仲間ができるわけなの。吹奏楽部みたいにコンクールがあるわけでもないし、野球部みたいに甲子園があるわけでもないから。ぶっちゃけデュエル部は部員が集まってデュエルするだけなの。つまり魅力が薄いんだよねぇ……」

 自虐的な風に嘆いて、彼女は疲れた笑顔を見せた。

 確かに、棒を投げればデュエリストに当たるようなご時世になりつつある現状、わざわざ専門の部活に入る必要はまったくもってないのかもしれない。

 けれど、デュエル部とやらに人が入らない原因は他にもあるように思える。

「なあ、デュエル部に人が集まらないのって、デュエルブームってのあるかもしれないけど、それ以外の問題として宣伝がウザ……じゃなかった。宣伝が薄いからじゃないのか?」

「えっ、そんなことないと思うよ。ちゃんと昼休みとか放課後にこうして勧誘活動しているよ。真っ最中だよ。ちぃーちゃん努力の子だから粘るよ。宣伝はむしろ濃いほうだと思う。これだけ濃い勧誘をしてるのに部員が集まらないなんてきっと裏で何かしらの陰謀が発動してるんだよ。何者の仕業かはわからないけど、ちぃーちゃんの敵になるなら容赦はしないよ。かかって来いって感じ」

「…………」

 言えない。

 宣伝がウザイから部員が確保できないのではないか、とか言えない。

 うん。

 なんとかして過剰宣伝攻撃から生徒たちを守らなければならない。

 僕は考えた。

「確かに口頭で勧誘するってのもいいかもしれないけど、それだとマンツーマンでしか勧誘できないだろ。だからさ、ポスターを作ってみてはどうだろう?」

「ポスター?」

「そう、ポスターだ。一人一人を口説いて回るよりも、多くの人の目に止まるポスターのほうが効率はいいと思うんだ。そのほうが、ちぃーちゃんだって楽でいいだろ?」

「あー、アドバイスありがと。でもポスターはダメかな。ってか絶対ダメ」

「どうしてだ? ポスターを張るスペースが確保できないとか、そんな理由なら生徒会長に相談すればなんとかなると思うぞ」

「ダメダメ、絶対だめ、絶対無理。というか、実はもうポスターの相談なら先生や生徒会長にしたんだよ。それで却下された」

「あれ? そうなのか……。おかしいな、ちぃーちゃんって成績悪いんだろ。だったら生徒会長は親身に接してくれるはずなんだけど……うーん。どうして却下されたんだ?」

「えっとね。まだ部活動として認められてないんだって。だからポスターを貼っちゃダメらしいの」

「……えっと。それってどういうことなんだ?」

「だからね。部活動として認められるには最低でも五人は部員となる人を確保しなくちゃいけないの。だからこうして地道に、ちぃーちゃんは汗水たらして勧誘活動に一生権命取り組んでいるわけ。わかる?」

「ん? つまりどういうことだ。えっと、デュエル部ってのは正式に設けられてるものじゃなくて、これから作ろうとしてるものなのか?」

「うん。そういうことだね」

「それはまた面倒なことを考えていらっしゃるようで……」

 遠い目をしているはずの僕の視界にちぃーちゃんは割り込んで、もじもじと、しおらしい態度を取り始めた。それは正直とても演技臭さかった。

「正直ねぇ。ちぃーちゃんだけで勧誘するのは疲れちゃったんだ。でもポスターを使って宣伝することもできないし。もし岬野くんが勧誘を手伝ってくれたらちぃーちゃん嬉しいんだけどなぁ。ついでに入部もしてくれたらハッピーマンデーなんだけどなぁ。どうかなぁ、どうかなぁ。か弱い乙女を助けてくれるヒーロー役をやってくれないかなぁ、やってくれたら喜んじゃうんだけどなぁ。むしろやってくれないと悲しんじゃうよぉ? わんわん泣いちゃうよぉ? 涙ちょちょぎれる乙女の姿とか見たいないでょ? 見たくないよね。だったら助けてくれてもいいんじゃないかなぁ。困ってる女の子を助けるなんて物語の主人公みたいで憧れるでょ? 憧れるよね。憧れないわけがないよね。男子高校生だもんね。だから人助けしようよ。一度思い切って勇気を持って助けてみよう。そしたら人生変わるよ? たぶんだけど」

「…………」

 なんだろう。どうやら、ちぃーちゃんは僕を頼っているらしい。よりにもよってどうして僕に頼るんだよ。他に立派な救済心を持った人間はいくらでもいるだろうが。なんなら生徒会長に頼めば助けてくれると思うよ? 弱者救済の正義を差し置いて僕に頼みごとをするなんて、ちぃーちゃんは本当に見る目がない。なにが審美眼だ。全然まったくこれっぽちも役にたたない目を持ってからに……。

 しばらく、脱力感にさいなまれた後、僕は言った。

「悪いけど、僕を頼りにするのはやめてくれ。僕は人脈が広いタイプじゃないし、熱血型でもない。だからきっと勧誘はうまくできない。それにさっきも言ったけど、僕はデュエルをしないと決めているからね。頭数に入ってあげることはできないよ」

「うーん。そうなのかー。それは残念だねぇ」

 意外なことに、ちぃーちゃんはあっさりと頷いてくれた。もっと粘られるかと思っていたけれど、そこまで強制するつもりはないらしい。

 まあ、それならそれでいい。僕のような人間を頼ってくれたのは実のところ少しばかり嬉しかったのだけど、それでも後々がっかりされるのは嫌だ。

「じゃあ、僕は行くよ。デュエル部、影ながら応援しているよ」

「うん。ありがと。残念だけど、しかたないよね。また校内で会ったら気楽に話しかけておくれよ」

 と、爽やかな別れを交わしたと思ったその瞬間、僕は見た――緑色の瞳が怪しく光った。

「ホント、残念だねぇ。デュエル部が発足された暁には、部員みんなでデュエルモンスターズのコスプレをしようと思ってたんだけど、それも叶わぬ夢となったかぁ」

 ぴくり、と僕の眉が自然と動いた。

 ――失敗した。

 ここで反応を示すべきではなかった。少しでも彼女に付け入る隙を与えるべきではなかった。

 いつの間にか、彼女が放つ見えない糸に、僕はしっかり絡め取られてしまったらしい。その糸は、手足を拘束するに飽き足らず、喉もとにまで食い込み、体全体を包み込む。精神的ながんじがらめだ。

 遅かった。遅すぎた。こんなことなら全力疾走をしてでも彼女から逃亡を図るべきだったのだ。爽やかな別れに浸っている場合ではなかった。いや、そもそも彼女と出会った時点で全力で逃げるべきだった。逃げ切るべきだったのだ。

「定番のブラックマジシャンガールやガガガガールのとかぁ、四霊使いも外せないなぁ、古株だけどデーモンテイマーとか雷電娘々もいいかもね。そうなると新しいのも必要になってくるか、エフェクトヴェーラー、シャイニートマジシャン、マドルチェ、ジュノン、アルケミックマジシャン、ダウナードマジシャン、マジマジマジシャンギャル、、カズーラ、トリオン、アトラ、エルフェリア、アビスリンデ、アビスヒルデ、アビスディーネ――」

 彼女は続ける。

 モンスターの名前を呪文でも唱えるかのように並び立てる。

 僕はそれを耳に入れないように、必死で他のことを考えた。夕飯のこととか、次回のテストのこととか、夏休みはどうしようかなあ、とか。そんな他愛もないことを思い浮かべ、思考する。

 しかし、どれだけ僕が抗ったところで、人の声というものは意識していなくとも自然と耳に入るものだし、また意識の中に入れないようにと思えば思うほど逆に聞き入ってしまうものである。自分に向けられた声であるならば尚更だ。

 モンスターの名前がひとつ宣言されるごとに、見えない糸はその本数を増していく。テリトリーに迂闊にも脚を踏み入れてしまった僕は、どうやら後戻りができないらしい。

 それでも。

 不可視の糸で視界が塞がれてしまった僕でも、頑張れば抵抗できるはずだ。

 頑張れ僕。

 負けるな僕。

 いま踏ん張らないでどこで踏ん張るっていうんだ。このままじゃ一生何にもできないままで人生を終えることになるぞ、それでいいのか? いいわけないよな!

 ガガガクラークが三回、ハーピィダンサーが二回、ウィンダが四回、重複して唱えられた辺りで、僕は遂に口を開いた。

「あのさ、ちぃーちゃん」

 自らの顎の力で奥歯を砕きそうになりながらも、僕は言葉を出す。それはあるいは喉から血を出すほうが遥かに楽なのではないかと思われるような痛みを伴う発声だった。

「僕はそういうのに――興味ないから」

 頑張った。

 絡みつく不可視の糸を振り切った。自分を自分で褒めてやりたい気持ちで一杯になり、よくわからないけれど勇気が底なしに沸いてくる。いまの僕ならどんな言葉だって口にできるだろう。

「コスプレしたら、ふともも、見えるかもよ」

 と――彼女が言った。

 僕は平静を装って応える。

「それがどうした」

「さこつ」

「…………」

「くるぶし」

「…………」

「みみたぶ」

「…………」

「ひじ」

「…………」

「おへそ」

「…………」

「にのうで」

「…………」

「くびすじ」

「…………」

「つむじ」

「…………っ!」

「うなじ」

「……くっ!」

「わき」

「くっそおおおおおおお!」

 それは反則だった。

 サッカーでいえばレッドカードだ。

 とんだ卑怯な手を使ってきやがった。僕に対する最終兵器をこうも易々と導き出すとは、恐るべき相手だぜ、ちぃーちゃん。その名を永延に僕の歴史に刻んでやってもいい。いや、本名じゃないよな『ちぃーちゃん』って。まあ、どうでもいい。名前なんて小さいものはどうでもいい。

 とにかく、これは、僕の負けだった。敗北だった。そのフレーズを使うということは僕の息の根を止めたに等しい。

 僕は死んだ。

 享年十六歳だった。

 生まれ変わったらまた会いましょう。

「僕はデュエルをしない――僕はデュエルをするつもりはないけれど、人助けをするのは本望だ。漫画の主人公みたく困っている乙女を助けることこそ、僕の幼い頃からの夢だったんだ。だから、ちぃーちゃんよ。安心してくれたまえ。困っているきみは僕が助けてみせる。一日で部員を集め切ってやるぜ!」

 思っていたのとは全然違う形ではあるけれど――

 何かに熱中することはできたんじゃないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 ちぃーちゃんと手分けして部員を集める段取りとなり、放課後に落ち合って戦果の報告をする約束を交わした。

 僕は取り合えず当初の予定通り、生徒会室、もとい生徒会長室に向うことにした。ちぃーちゃんと絡んでいたせいで昼休みの時間を大きく使ってしまったので、今頃は双橋と生徒会長がお弁当を食べ終えていることだろう。いや、双橋の性格からして僕の到着を待っていてくれているかもしれない。もしお預けを強いているなら申し訳ない。

 そんな自責の念に駆られて、気持ち急ぎ足で廊下を進む。

 足を動かしながら考える。

 デュエル部発足の最低条件は部員を五人確保することだ。枠のひとつは部長となる彼女本人が埋めるとして残り四人の人材が必要となってくる――僕を頭数に入れない方針とする。やはり、デュエルしないのにデュエル部に入るのは変だ。もっとも、枠の最後がどうしても埋まらなかった場合は不本意ながらピースとなってやることもやぶさかではない。あくまでも僕の目的は野望を叶えることであってデュエル部に入ることではない。

 大丈夫、既に契約は取り付けてある。入部しなくとも、部員さえ集めれば『例の件』を見学させてくれるという契約だ。彼女の目的は部員の確保であり、僕はそれさえ拝めればそれでいい。つまりお互いにとってメリットのある非常に良好なフェア関係が築けたというわけだ。

「うーん、と」

 指折り数えて勧誘しやすそうな人物をカウントする。廊下ですれ違う生徒が僕を見るなり苦そうに顔をしかめるけれど、それはいま悩むことではない。欲望を前にして表情の制御がなにぶん不十分なっているから仕方がないのだ。

 親指、まずは双橋遊奈だ。

 彼女は元々デュエルが好きな人間だし、僕の口からデュエル部なんて言葉が飛び出したとあれば、クリスマス早朝の子供みたいな顔をすることだろう。

 しかし、問題は彼女に頼みごとをする立場に僕がないことだ。双橋の願いを叶えてやるつもりが微塵もない僕が、どの面下げて己が欲望のために頭を下げられるというのか。

 双橋をデュエル部に迎え入れるための絶対条件は僕もデュエル部に入ることだ。僕がデュエル部に入れば、必ず双橋はカルガモの親子よろしく後を着いてくる。そうすれば僕が直接彼女に頼んだことにはならないので、双橋に対して罪悪感を抱くことはない。……まあ、僕がデュエル部に入部するつもりがない現段階では実効できない案だけど。それでも最後の手段として二人分の枠を確保できていると思えば気持ちが楽になる。

 人差し指、生徒会長。

 彼女の場合は難しいかもしれない。本来は『生徒会』に回るはずの仕事を一身に引き受けていている彼女は、基本的に忙しい。昼間は生徒会室、もとい生徒会長室にこもって先生から渡された面倒な雑務をこなす日々を送っている。加えて放課後からは出来の悪い生徒、つまり僕の勉強を見る仕事が始まる。一日中忙しくしている彼女にこれ以上何かを頼むのは難しいかもしれないけれど、それでも彼女の特性である『弱者救済』をうまく利用すれば引き受けてくれないことはないだろう。というか別にデュエル部に入ったからといって足しげく通ってもらう必要性はなく、幽霊部員として名前だけ借りることがばできれば問題ないのだから、多忙な彼女であっても入部してもらえる可能性が十分にある。

 しかし、部活の掛け持ちは校則で禁止されていることを鑑みると、生徒会に属している彼女がクラブ活動に加わることができるのかどうかは定かではない。その辺りのルールを調べてみる必要がある。

 中指、御厨夏目。

「……あいつは却下だ」

 無意識に否定の言葉が口を出た。

 いや、だって、あいつは確かに女みたいな顔をしているが、あくまでも女みたいな顔なのであって決して女性ではない。これはとても重要なことだ。もしも彼の内面が女々しいものだったら考慮に入れてやってもいいけれど、あいつは女の皮を被った男でしかない――絶対に無駄毛の処理とかしていない。だから例の件には参加させられないし、参加してもらいたくない。仮に、不慮の事故で彼が例の件に参加するようなことがあったならば、僕はそれを見学できない。したくない。彼の見た目が女だったところで中身が男である事実は揺るがない。

 女性に対して強い幻想を抱いている僕としては何が何でも絶対に御厨を候補から外さなければならないのだ。

 続く薬指、まがらない。

 僕が持っている友人関係ネットワークを総動員した結果、三本の指しか埋まらないことが判明してしまった。

「……おぉ、ジーザス」

 わかっていたことであっても、改めて認識させられると落胆してしまう。

 こんなにも希薄な友人関係の中で僕は今まで高校生活を過ごしてきたのか、と――そんな後悔が津波のように押し寄せてきた。高校に入ってから三ヶ月も経っているというのに、まるで高校生らしい生き方ができていない。『高校生らしい生き方ってなんだろう?』とかそんな難しい考察に思考回路を割いている場合では、いまは、ない。すぐにでも行動を開始して、この未曾有のピンチから脱却することを最優先事項とするべきだ。

 今こそ、面識のない相手に話しかけて友好関係ネットワークの拡大を狙うのだ。これまでは話しかけるための、きっかけとなる話題を僕が有していなかったため実行できなかったことだけれど、今なら『デュエル部の勧誘』という立派な話題を手にしている。部員集めのついでに、友達作りにも期待ということだ。一石二鳥のビューティフルな展開である。 

 昼食の約束を反故にすることになるけれど、生徒会室に向っている場合ではなくなった。一刻も早く部員探しと、ついでに友人の輪を広める必要が生まれた。

 善は急げの精神で、僕は生徒会室を華麗にスルーして教室へ向う。と言っても、それは僕の所属しているクラスの教室ではなく、その隣室が目的地だ。

 自分のクラスメイトのことは良く知っている、双橋と生徒会長を除いて、クラスの連中は余すことなくどこかのクラブに所属していたはずだ。他のクラブから部員を引き抜ける強みをデュエル部が握っていない以上、無所属の生徒を狙うほうが効率的である。

 自分のクラス以外なら上級生を対象にしても良かったが、先輩を勧誘する勇気が僕にはない。だから、隣のクラスへ向うのだ。

 廊下を怒られないぎりぎりの速度で歩きながら、僕は階段を一段、あるいは二段飛ばしで駆け上がり、目的の教室にたどり着いた。

「うむ」

 やはり昼食は終えているらしく、ここも、我がクラスと同じようにデュエルの話で溢れていた。半数以上の生徒が不在の状況であり、散漫としか生徒が存在していないにも関わらず、教室一杯にデュエルモンスターズに関する話題が響いている。

 不在の生徒たちもおそらくはグラウンドでデュエルに興じていることだろう。

 この異常なデュエルブームを今更驚いてなんかいられない。僕には大切な目的があるのだから。

 教室内を廊下から見渡して、目星をつける。なるべく独りでいる子のほうが話し掛けやすいし、クラブ活動をしていない無所属な生徒である可能性が高い。

 うん。

 ターゲットロック。

 教室の隅で独り、ぼーっと頬杖をつきながらスマートフォンを眺めている女子生徒が目に入った。

 というか、目に張りついた感じ。

 なんと言うか、モデル雑誌から召喚されたような子だった。手入れの行き届いているショートボブの髪に、薄い化粧の張った小さな顔、スラリと伸びた足を机の下で組んでいるその姿からは風格のようなものが放たれている。

 彼女の瞳には冷気があるように思われた。つり上がった目がそう感じさせるのかもしれないし、退屈そうに目を細めているのが原因かもしれない。それはともかくとして、その瞳を見ているだけで、なんだか僕の中に眠っている奴隷精神が走り出しそうで怖い。

 女王様のような雰囲気を醸し出している彼女は、なるほど、確かに近づきがたくある。

「……よし」

 僕は勇気を持って、教室内に踏み出した。デュエルの雑談に夢中になっている教室の生徒たちは異物の混入にはまるで気がついていないようだ。決して僕の存在感が薄いわけではないと信じたい。

 ぎこちない足取りでターゲットに接近した僕は、近くで見る彼女の雰囲気に、より一層の圧迫感を感じて尻込みしそうになったけれど、例の件達成のために己を奮い立たせ、闘志を燃やすことによって、なんとか女王様の冷風から覚悟を守ることができた。

「どうも、はじめまして」

 僕は無難な距離感を意識して挨拶を飛ばしてみた。その声によって、彼女は僕の存在に気がついたらしく、スマートフォンから視線を変えた。

 冷え切った瞳が、僕を睨んでいる。目を合わせているだけだというのに体の心まで凍ってしまいそうな錯覚に陥った。

 薄いピンク色に整えられた唇は、動く気配がない。

「…………」

「…………」

 そうして無言のときを過ごしたあと、彼女はなにを思ったのか胸ポケットから小さな包みを取り出し、それを僕に向けた。

「これは、なにかな?」

「あげる」

 短い返事だった。重さを感じさせない透き通ったその声は、僕の鼓膜をすり抜けて、五臓六腑にまで浸透していく。

 くらくらする脳を無理矢理動かして、僕は腕に命令を送り、彼女の整った指先に見蕩れながら、包みを受けとった。

 それは飴玉だった。

「……えっと、ありがとう」

「ん」

 単音の返事を返した彼女は、それで用が済んだとばかりに、スマートフォンのディスプレイに氷点下の視線を戻した。

「…………」

 困ったなぁ。

 雲と会話しているかの如く、まるでペースが掴めない。

 このままでは部員勧誘の話を持ちかけられないので、彼女には取り合えずスマートフォンから意識を離していただきたい。

 離してもらいたいのだけれど、僕にはそれを命令する権利がない。どうにか遠まわしに彼女の意識する先を変える方法はないものか、頭を使うことにしよう。

 このタイミングでデュエル部の話を切り出すのは唐突過ぎる。そもそも彼女は、デュエル談義をしているクラスの連中に混ざろうとしていないところを見ると、どうやらデュエリストではないのかもしれないし。

 ならばデュエルの話は後回しにして、切り出しは無難な話題に限るだろう。幸いなことに話の種は向こうから提供してくれている。

 僕は梱包をほどいて、ルビーのような輝きを宿している飴玉を口に運んだ。

「こういうの持ち歩いてるってことは、お菓子とか好きなのかい?」

「ん」

 彼女は小さく頷くだけだった。こちらに顔を向けることすらしてくれない。

 なんとなく、彼女が独りで教室の片隅にいる理由がわかった気がする。これだけ人に感心を示さないとあれば猫も寄って来ないだろう。

 しかし、一度そっけない態度を取られたからといって、簡単にサレンダーする僕ではない。

 次なる話題を求めるため、飴玉のパッケージに注目する。

「へぇー。見たことのない商品だね。きみってマイナーなお菓子が好みなのかな。それにしても『爆裂ハバネロシュレディンガースペシャル』だなんて変わったネーミングだね……ぇ……ええええええっ!?」

「ん」

 彼女はペットボトルのお茶を差し出してきた。見たところ開封済みのもののようだけれど、今の僕には気にしている暇なんてどこにもなかった。徐々に燃え盛る大地みたいになってきた口内を救急救命してやる必要があるのだ。

 ロマンチストとして親族との間接キスすらも回避してきたのに、その十六年間積み上げてきた努力が今日この瞬間をもって霧散した。

 まあ、後悔はしていない。する暇がない。

 ペットボトルの中身を全て口内の鎮火に使って、しばらく放心状態になったあと、僕は彼女を問い詰めることにした。決して取り乱しているわけではない。

「なんてことするんだ! なんて酷いことするんだ! なんてもの渡してくれちゃってんだよ! きみは僕になんの恨みがあるんだ! 僕はきみの両親を手にかけた覚えはないし、その他もろもろの迷惑をかけた覚えはないぞ! なのになんでこんなことをするんだ! 人に優しく地球に優しく動物に優しくをモットーに、健全で真面目な日々を過ごしてきたんだ、罰を当てられる覚えは皆無だぞ! なんだなんなんだなんなんだよ!」

 どうせここでも短い返事で浅くあしらわれることになるんだろうなと、身構えた僕だったけど、そんなことはなかった。

「うん、ごめん。それ、間違えて買っちゃたんだけど、私、辛いの苦手だったから処理に困ってたんだ。捨てるのも勿体ないしね。でも、悪気があったわけじゃないから。まさかパッケージも確認しないで食べるとは思わなかった」

「人のことを一般常識の欠けてる奴みたいに言うな。パッケージを確認しなかったことに関しては、きみも同じだろう」

「違う」

「えっ、間違えて買ったって言ったじゃないか?」

「気を間違えたの」

「きみは大丈夫なのか!?」

 スマートフォンに目を向けながらであるけれど、はじめて彼女と会話らしい会話が成立した気がする。このチャンスを逃すまいと僕は畳み掛けるように会話のチェーンを繋げる。

「とにかく、ちょっとでも口内を労わる気持ちがあるのなら僕のお願いを聞いてくれないか?」

「ん。いいよ」

 いいのかよ……。

 半分冗談で言ってみただけなのに。

 どうやら本当に飴玉(危険物取締法違反に触れる恐れのある物)を食べさせてしまったことを後悔しているらしい。いや、もしかしたら五月蠅い僕を煙たく思ったから適当に対応してくれただけかもしれない。

 とにかく、話はスムーズに進みそうでなによりだ。

 僕は改まって、彼女に言った。

「きみってお菓子が好きなんだよな?」

「ん」

「だったら、お願いです。甘いもを恵んでください」

「……ん?」

「甘いものを」

 いや、仕方がないのだ。

 僕だって途中まではデュエル部に入ってもらえるようにお願いするつもりでいたのだけれど、あまりにも口内があんまりなのだ。飲み物によって鎮火には成功しているけれど、焼け野原からの普及ができていなかった。つまり、お口直しが欲しい。

 僕のすっとんきょな要求にクールな彼女もさすがに驚いたようで、スマートフォンから顔を離して鋭い目を丸くした。

「欲しいの、甘いの?」

「うん。切実に恵んで欲しい」

「そんなお願いをされたのは高校生になってから初めて」

「そうなのか? まあ、お菓子をわざわざ要求するような高校生は滅多にいないだろうけど」

 ……自分のことなのであまり掘り下げたくはないけれど、お菓子を要求する高校生ってやはり凄く幼稚臭くないだろうか。いまどき小学生でも始めて会った相手にお菓子を要求したりしないもんなぁ。非常識だもの。

 不意に自分の精神年齢に疑問を感じ始めた十六の春だった。

「いいよ。あげる」

 彼女は言うと、机のフックにかけてあった学生カバンからひとつの紙袋を取り出して、中身を物色し始めた。

 駄菓子屋さんロゴが入ったその紙袋の大きさから察するに、よほど彼女はお菓子を愛しているらしい。もしかすると昼食にもお菓子を食べている可能性があり、そんな偏った食生活を送っているのであれば、気を間違えてしまうのも頷ける。

 ガサゴソと物色を繰り返して、ようやく現れたのはカラフルな印刷が施された紙箱だった。

「ん」

「……なんだこれは」

「甘いやつ」

 彼女から受け取った代物を見て、僕は驚かされた。

 目を擦って確かめてみても、そのパケージに変化はない――

 デュエルモンスターズチョコスティック。

 クリボーやスケープゴートが散りばめられた紙箱には、その商品名がデカデカと表記されている。『カード一枚付き』というテロップがひときわ目立った箇所に配置されているあたり商魂を感じさせる。

「えっと、きみ、デュエル好きなの?」

「べつに」

 デュエル部に誘う絶好の口実が出来たと思って、内心そわそわし始めた瞬間、その幻想はあっけなく打ち砕かれた。

 彼女はつまらないさそうに息を吐き、視線の照準を僕でもなくスマートフォンでもなく、窓の外に広がっている青空へと向けた。

「私、べつにデュエルが好きってわけじゃない」

「でも、これデュエルモンスターズのお菓子だろ。好きじゃないならわざわざ買ったりしないんじゃないのか? それともこれも飴玉みたいに、気の間違いで買っちゃったとか」

「違う。デュエルは好きじゃない。でもデュエルモンスーズは嫌いじゃない。言ってることわかるかな?」

「えっと、つまり、きみはデュエルモンスターズのカードが好きなのであって、対戦するのは好きじゃないってことなのか?」

「ん」

 ショートボブの髪が寂しそうに揺れた。

 確かにデュエルモンスターズはトレーディングカードゲームの一種であり、カードを集めているからといって、絶対にカードゲームという側面に目を当てなければならないというわけではなく、トレーディングカードという側面だけに注目しても問題にはないわけだ。

 なるほど。

 教室で繰り広げられているデュエル談義に彼女が加わろとしない理由はそこにあるようだ。デュエルモンスターズは対戦派の人口が圧倒的に多いから、彼女のようにカードを集めるだけの小数派は話に入っていけないということなのだろう。

 僕としては非常にコメントが難しい場面だった。

 間に困った僕は、取り合えず貰ったお菓子に手をつけた。ちゃっかり付属のカードが抜き取られているあたり、彼女に抜かりはない。

「それ、おいしい?」

 租借する音を聞いたのか、彼女が視線を窓の外に固定したまま訊いた。

「うん。結構おいしい」

「私もそう思ってた頃があったよ。でも最近飽きちゃったんだ。おまけのカード目当てで定期的に買ってるけど、そろそろ食べるのも辛くなってきちゃったかな」

「そうなのか。カードが目当てだったら、わざわざ自分でお菓子を食べなくとも、現状みたく誰かにあげればいいんじゃないか?」

「それもそうなんだけど。それやっちゃうと、友達作りたいからお菓子を配ってるみたいに思われるじゃん」

「まあ確かに、お近づきになりたいから餌付けしてるみたいな構図になっちゃうよな」

「でしょ。だから処理に困ってるんだ。捨てるの、もったいないし」

「べつに知らない人に渡さなくてもいいんじゃないか? きみの友達に渡せ……ば……」

 言いながら、遅かれ僕は間違えたことに気がついた。口から出た言葉は、聞き取られてしまった言葉は――どうしたって無かったことにはできないのに。

 そうだ。僕は何をバカなことを言ってしまったんだろう。

 僕と彼女は同じ境遇だ。デュエルをしていないから、周りの人たちと会話が付いていけなくなって、クラスの中で孤立する。それは現状を見れば明らかだ。彼女の気持ちに一番気づいてやらなくちゃいけないのが僕だったのに、どうしてこうも迂闊な発言をのうのうとしてしまえるのだろう。

 ――油断していた。

 双橋や生徒会長と行動を共にすることが多くなってきた僕は、独りでなくなったから、だから油断が生まれて、デュエルしなくても友達ができるんだって思い込んでいた。

 そんなわけないのに。

 世間の風潮はデュエルをしない者に厳しいのに。

……ん? 改めて思ったけど、なんだその嫌な風潮は。

「ねえ、きみの名前は?」

 気を取り直して、僕は言った。

「私のこと?」

「きみ以外に誰がいるんだ」

涼城評華(すずしろひょうか)

「涼城さんだね。僕の名前は――」

「いや、べつに興味ない」

「…………」

 なんだろう。

 この子が孤立してる原因は、やはり、デュエル以外にもこういうところが関係しているようだ。自称一匹狼であるところの呉羽なんかよりもずっと一匹狼らしく思えてしまう。本物というか、血統書つきというか。彼女が独りでいるのも、もしかしたら本望によるものなのだろう。

 ――でも、残念だったな、涼城さん。

 その程度の荒んだ扱いで僕はくじけたりしないのさ。

 むしろ望むところだ。

「僕は岬野御影だ、よろしく!」

「間に合ってますから結構です」

「…………」

 今後の人生において、そのフレーズだけは何があっても使わないことにしよう。

 そんな決意を固めた瞬間だった。

 

 

  *

 友達申請を断られたのに部活の勧誘なんてできるわけもなく、逃げるかのように教室の敷居を跨いで廊下に出た。

 むざむざと負け戦を繰り広げてしまったが、それでも僅かばかりの戦果はあった。負け犬のように尻尾を巻いた僕に、彼女は言ってくれたのだ。

 ――また、来て、お菓子あげるから。

 彼女はどうやら本当にカード目的でお菓子を買っていたようだ。つまり僕は余ったお菓子の処理係に任命されたということである。餌付けされているような気もするけれど、僕としてもそれは本望だし、何より最近は食費のせいで趣向品にまで財布の中身が回っていなかったので、どんな形であれ糖分を恵んでくれるというのであれば、彼女の提案を呑まないわけにはいかなかった。

 彼女は余ったお菓子を処理したくて、甘党の僕はお菓子が欲しい。

 まさしくフェアな関係である。

「……しかし、どうしたものか」

 廊下に出た僕はそこで首を傾けた。

 よく考えてみれば、どこのクラブにも入ってない無所属な人間は極少数なのではないだろうか。僕のクラスで、三人しか該当する生徒がいないことからもそれは裏付けられているような気がする。勧誘する時期も間違っている。四月ならまだしも今は六月の後半である。そんな今現在で、どこのクラブにも所属していない生徒がいるのであれば、その生徒はそもそも部活動に入るつもりがないはずだ。

 うーん。

 想像していたよりも難しいミッションだった。そりゃあ、ちぃーちゃんが四苦八苦するのも当然というものだ。

「うん。まあ、頑張ろう」

 嘆いていても仕方がないので、僕は次の候補を絞り込むために、廊下を行き交う生徒に注意を向けた。ほとんどの生徒が友達と一緒に談笑しながら歩いている。

 教科書やノートを抱えた生徒も見受けられる。五時限が移動教室の人たちなのだろう――そこで気がついた。もう少しで休み時間が終わってしまう。困ったものだ。このままでは本日中に、ちぃーちゃんへ朗報をプレゼントしてあげられない。

 まあ、ぶっちゃけ急ぐ必要性があるのかと問われれば、答えはノーなのだろうし、別に明日以降にでも勧誘できればそれで問題はない。

 ――しかし、急ぐ。

 我侭で急ぐ。

 例の件を見学したい衝動に駆られているから、一刻も早く部員を集めたいのだ。集められなかったとしても努力はしておきたい。それだけ僕にとって例の件は大事であり、僕が生きるための原材料となっている。

 大丈夫だ。タイムミットは近づいているが、あと一回くらいなら勧誘フェイズは続行できそうだ。

 不思議なテンションに突き動かされ、僕は息巻いて、次のターゲットに狙いを定めた。

 廊下の端にある非難用の階段。その非常口前で佇んでいる生徒に、僕は近づいて声をかける。

「どうも、こんにちは」

「……あなた」

「はい?」

「よくないものに取り憑かれていますね」

 ――失敗したと思った。

 僕はここでようやく冷静な判断力を回復させて、雲っていた目を再度見開いた。

 暗闇を背景にしたような女子生徒の姿がそこにはあった。細身の体系と高校生にしては小さめの身長。背は低いが、彼女の顔つきは幼さを感じさせない。もっともその顔は半分ほどしか見えない。左側の前髪だけ伸ばして顔の半分を隠しているからだ。

 こういうのは何と言うんだっけ?

 そうだアシメだ。

 ふとももまで伸びた漆黒の長髪を、後方はツーサイドアップに、前方はアシンメトリーにしている。

 まあ、少し変わった髪形ではあったけれど、特質して取り立てる箇所ではないか。

 注目すべきは、彼女の服装だった。

 服装――制服。

 デザインから判断して確かに青峰高校のもので間違いないはずなのに、彼女が身にしている制服は、なぜか他のに比べて黒ずんで見えてしまう。もちろん彼女がわざわざ制服を染めているというわけではないだろうし、仮に染めているとするならば既に先生に見つかって注意されているはずなので、僕の気のせいなのかもしれない。光の当たる角度で色合いが変わって見えているとか、あるいは彼女の内気そうな雰囲気からそう錯覚してしまうだけかもしれない。

 気を取り直す。

 僕はなるべく笑顔を意識して、言った。

「えっと、きみは何を言っているのかな?」

「茶番は結構です。心当たりは、もちろんあるでしょ」

 返ってきたその声は、彼女の内気そうな雰囲気を裏切るものだった。はきはきしていて、淀みがない。刃物のように鋭くハンマーのように重たい声が、耳から入ってタイムラグなしで全身に回ってくる。その感覚に、僕は身震いした。

「ごめんだけど。心当たりはないよ」

「つまらない虚言はいらないわ」

「いや、ごめん。本当に嘘じゃないんだ」

「……まあ、いいでしょう。無知を決め込みたいなら好きにしていただいてかまいません」

 見限るように嘆息した彼女は、それから、右目を強くして僕を睨んだ。

 ぞくりと、背中に悪寒が走った。

 涼城が氷点下の視線を有しているならば、彼女の視線は死神のようなそれだった。

「あなた、虚無の人なのね」

「虚無?」

「これも、自分自身でわかってることでしょ。わざわざ疑問符を使う必要なんてないわ」

「…………」

「知らないふりをしたところで――あなたが逃げたところで、それはなんの解決にもならないわよ。……いえ、わざわざ忠告する必要は無かったわ。あなたはちゃんと自覚していますものね」

「ごめん。本当にきみはなにを言っているのかな? わかるように噛み砕いてくれたら、僕はとっても嬉しいんだけど」

「ホント、ピエロみたいな面の皮してる。……まあ、いいでしょう。そうやってあなたは逃げればいいわ。口実を作って虚実を作って裏道を作って感情を作って逃げて逃げて逃げ惑って、そして虚無の人生を過ごせばいいわ。最初の終わりが訪れるその日までね」

「…………」

 どうやら彼女、特殊な属性を持っている人のようだ。一般的な思考回路から脱出できない僕ではとても対応できそうにない。

 考えてみれば、涼城にしてもそうだけど、独りでいる人には独りでいるなりの理由があるのだろう。僕ごときがその理由に易々と踏み込んではいけなかったらしい。

 ここは撤退するのが正解だ。

 僕は痙攣しそうな笑顔を保ったまま、

「おっと、もう少しで休み時間が終わっちゃうね。教室に戻って次の授業の準備をしなくちゃ。急に離しかけてごめん、用件はまた後日改めて話させてもらうよ」

 と踵を返した。

 後日というのがいつになるのかもわからないし、一生その機会は訪れないかもしれないけれど、約束が必ず守られるような世の中ではないのだ。

 冷や汗を拭って、教室へ向けて右足を踏み出したそのとき、僕の裾が引っぱられた。

 振り返って、彼女が僕を引き留めていることに気がついた。

「……えっと、なにかな?」

「それは私のセリフです。あなたが持っているそれはなにかしら?」

 僕は自らの手元に視線を移した。

 涼城から貰った『デュエルモンスターズチョコスティック』だった。双橋たちにわけてあげようと思って残しておいたものだ。

 彼女の右目は、派手な色合いのパッケージに釘付けとなっていた。

「……ゴクリ」

 何かをアピールするように喉を鳴らす始末である。

 ここまで露骨な仕草をされれば、さすがの僕にも察しはついてしまう。

「これ、食べるか?」

「……いいのかしらゴクリ」

「喋りながら喉を鳴らすな。いいよ、あげる。と言っても、残り数本しか入ってないけどね」

「それでも構わない」

「じゃあ、はい」

 ――礼を言うわ、と。

 菓子箱を受け取った彼女はその表情を、しかし変化させることもなく、平坦な口調で頭を下げた。

 おかしな属性を持っている彼女ではあるが、きちんとまともなコミュニケーションも取れるようだ。

 だったら、デュエル部の交渉をしてみる価値はあるのかもしれない。

「きみは部活に入ってるかい?」

「いいえ、入っていないわ」

「デュエルモンスターズを知ってる?」

「知っているに決まっているでしょ。私をバカにしているのかしら」

 死神の視線が僕の喉もとに張りついた。

 猫も杓子もデュエルデュエルな昨今において、確かに僕がした質問は、おちょくっていると捉えられても無理はない。だけど、そこまで強く睨むことはないと思う。おかげで僕はすっかりぞくぞくしちゃってるじゃないか。

「ご、ごめん。べつにバカにしたわけじゃないんだ。話の前フリというやつで……だからそんなに怖い顔しないでくれよ」

「怖い顔って。私の顔がおぞましいとでも言いたいの?」

「そんなつもりで言ったんじゃない。きみはむしろ素敵な造形をしているよ。せっかくの整った顔なんだから眉間にシワを作らないで欲しいな、なんて。つまりは怒らないで欲しいと伝えたかったんだ」

「それはつまり、私が怒っていると勘違いしているのかしら。だったらお生憎さま、あなたみたいなちっぽけな人間に向けるような感情を、私は持ち合わせていないわ。私が怒っているように見えるのなら、それはあなたの自意識からくる幻覚よ」

「…………」

 とっつき憎いというか、ケンカ越しというか……。

 お菓子をあげたからといって、それを恩義に感じてもらう必要はまったくないが、少しぐらいはやわらかい対応をしてくれても罰は当たらないと思う。なんだかちょっぴり、御厨が生徒会長を恐れる気持ちが体験できた気がする。こんな強風みたいな態度で接されたら、並みの人間ではトラウマになっても無理はない。

 にやつきそうになった頬を気合で押さえて、僕は会話を続けた。 

「きみ、もしデュエルモンスターズが好きだったら、デュエル部に入ってもらえないかな」

「…………」

「えっと、きみはデュエルは知ってるけどデュエリストじゃないってパターンの子かな? もしそうでも大丈夫。デュエル初心者でも大歓迎だよ」

「私はデュエリストよ」

「そうなのか。それは失礼した。じゃあ、よかったらデュエル部に入ってくれないか? もちろん無理にとは言わないよ」

「…………」

「迷ってるのかな? なんだったら返事は後日でも構わないよ」

「気に入らないわね」

「え?」

「ちょっと恩を売ったからって、それに漬け込もうとしないで。私には遊んでいるような時間がないの。だから勧誘なら他を当たって頂戴。有象無象がこんなにも溢れ返っているというのに、よりにもよって私に声をかけるだなんて、あなた余程鈍いわね。いえ、ここは素直に、鋭いと評価するべきなのかもしれないわ」

 そう一方的に吐き捨てると、彼女は背中を向けた。しっかりとした足取りで、長い髪を揺らしながら教室の方へ去った。

 声をかける暇もなく、また彼女にかける言葉が思いつかなかった。残された僕はどう反応していいのかわからないまま、その場で立ち尽くしていた。

 廊下に響き渡っている生徒たちの話声の、その輪郭すら現状の思考回路では把握できない。

「困難な道のりだな、まったく」

 早くも挫折しそうな僕だった。

 ――と。

 そこで一区切りをつけた気になっていた僕だったが、しかし、状況は延長戦に突入することとなる。

「…………」

 通路の陰から、ふたつの見知った顔がちらりと覗いていた。

 双橋と生徒会長が、汚いものを見る目で僕を睨んでいる。どうやら隠れて僕のことを見張っていたらしい。距離からして音声までは拾えていないと思うけど、それは逆に拾っておいて欲しかった。一体いつから見張られていたのだろう。涼城さんとの接触まで見られていたら嫌だなぁ。

 さて。

 本日の昼休みを通して、すっかり冷え切った視線になれてしまった僕は、このあと彼女たちからどのような罵倒が飛び出すのかを想像して、にやりと、溜まっていた笑みが爆発してしまったのだった。

 自暴自棄の心境に、それは近かった。

 

 

 

 

 決定的場面を彼女たちに目撃されてしまった僕は、しかしその場で咎められることはなかった。

 通路の陰に隠れて無言で僕を睨んでいた彼女たちは、チャイムが鳴ると共に何事もなかったかのように教室へ戻っていった。僕もそのあとを追いかけた。その間、無言である。彼女たちはお互いに目を合わせることもせず、また、僕に対してなんらかのアクションを取ることもなかった。ただ彼女たちの背中から殺気のようなオーラが放たれるばかりだ。

 罪悪感が僕の心の底から沸き上がるってくるから、どちらかと言えばこの場合、沈黙を通されるよりも怒ってもらえた方が非常に救われる。

 いや、そもそもよく考えれば、僕はやましいこなどなにもしていないのだから彼女たちに睨まれるような筋合いはないはずだ。お弁当を食べる約束を反故にしてしまってはいるけれど(重罪)、その無断欠席をしていた理由は、女の子を助けるためだったのだからプラスマイナスはゼロになっているはずなのだ(都合のいい解釈)。

 確かに僕は昼休みを通して、女の子に話しかけて回ってはいたけれど、それはただ成らぬ事情があったからである。だから決してやましいことをしていたわけではないのだ。そういう事実を、しかし、ハタから見ていたと思われる彼女たちにどう説明していいものかわからない。

 僕がしていた行為は、困っていた生徒に漫画の主人公みたく華麗に手を差し伸べるというものだ。日常の営みを投げ打ってでも人助けに汗水たらして勤しんだ。それは褒めらることされても、恨まれるような行為ではない。

 恨まれる筋合いはない。

 たぶんない。

 きっとない。

 とにかく、僕は悪くない。

 悪くないと思う。

 悪くないだろう。

「……ごめんなさい」

 どう考えても僕が悪かった。

 五時限目の授業中、約一時間に渡ってずっと背後から鋭い視線を浴びたことに耐えかねた僕は、休憩時間に入った途端、早々に音をあげて彼女たちに頭をさげた。フローリングの床に額を擦りつけての土下座である。やはり、どのような事情があったにしても無断で欠席したことは悪かったからだ。約束を反故にするということはイコールで双橋が作ってきてくれたお弁当を放棄するということにもなる。どう考えても、どう言い訳を作ったところで、僕が悪いことには変わりないのだ。

 僕がふたりの女子生徒に向って土下座をしたことによって、微かに教室がざわついた――むしろ静まったのかもしれない。普段は目立たないクラスメイトが突然フローリングの床に額を擦りつけはじめたのだから無理もない。ごくりと息を飲む音がどこからか響いた。成り行きを見守るというよりも、見なかったことにしようというのが全体の共通意識となっているらしい。誰一人として僕たちの間に割って入ろうする生徒は現れない。

 頭を下げている僕からではふたりのデュエリストがどのような表情をしているのか正確にはわからないが、たぶんきっと、それこそおぞましい表情をしているだろうことは想像に容易い。

「どうしましょうか、生徒会長」

「どうしましょうね」

 ふたりが会話をはじめた。その声からは、およそ生気というものが感じられない。ロボットのように平坦な口調で淡々と言葉を返しあっている。どうだろう、最近のロボットは性能を飛躍させているし、そのことを鑑みると、もしかすると彼女たちのほうが感情のこもっていない声を出すことにおいて秀でているかもしれない。

「あたしたち、ずっと待ってましたものね」

「そうよね。お昼ごはん食べ損ねちゃったものね」

「お腹すきましたよね」

「そうね。女子高生としてあんまり胃袋の話はしたくないけれど、確かに私たち、お腹減ったわよね。それでもって岬野くんがなかなか現れなかったから、何かあったんじゃないかと心配になって、学校中を探したわよね。走り回って空腹に拍車がかかったわよね」

「昨今では空腹のことを『ぺこりな』っていうそうですね」

「昨今って、変わった言い方するわね。まあ、そうね。ぺこりなっていうわよね」

「ぺこりなですね」

「ぺこりなよね」

「どうでしょうか、生徒会長。御影さんは女の子からお菓子を貰ってなましたよね。それってつまり、あたしのお弁当が食べたくなかったから他のクラスにまで赴いて食べものを確保したんでしょうかね。だったらあたし傷ついちゃいますよ」

「そうよね。事実って残酷よね。私のお弁当に味を占めちゃった岬野くんは遊奈のお弁当では満足できなかったんじゃないかしら。それでボイコットの意味を込めてこんな酷いことをしたのよきっと」

「いいように取りますね。さすが生徒会長です。あなたの銃口はどこを向いているんですか? まあ仲間内で言い争いをしている場合ではないでしょうから、いまの発言はあたしのご好意で聞かなかったことにしてあげます。ところで、御影さんはどうでしょう。もしかして、お菓子を貰うのは口実で、本当は女の子とお近づきになりたかっただけなのではないでしょうか」

「その可能性は大きいわね。現に今日だけでも三人の女子生徒に声をかけていましたものね。見境の付かなくなった雄犬みたいな顔してたものね」

「そんな顔してましたっけ? まあ、いいです。ところで、この件に関していまだに謝罪がありませんけど、その辺りどう思いますか、生徒会長」

「うん。そうね。まだ謝られていないわよね。土下座したくらいで謝った気になっている岬野くんは、本当にどうしようもないわよね」

 ふたりの顔が見えないはずなのに、その視線が確かな殺気をまとって背中に刺さるのを感じた。目は口ほどにものを言うというのなら、どうやら彼女たちの視線こそが、本心を物語っているらしい。

 彼女たちの会話を聞く限り、どうやら涼城だけでなく、ちぃーちゃんとの会話も目撃されていたらしい。彼女に関しては僕から話かけたわけではなかったので、双橋たちは僕とちぃーちゃんが会話をしているその途中から見ていたと考えられる。どうせ見るならもう少し早い段階で見ていてもらいたかったものだ。そうだったならば、言い訳の余地はあっただろうに。

 残念なことに、この状況ではどう見積もっても僕の言葉に説得力は生まれないだろう。

「……ごめんなさい」

 現状の僕では土下座をしてとにかく許しを請うより他に方法がなかったので、とにかく、床につけた頭を上げないようにしながら、謝罪の言葉を口にするしかなかった。

 これでも精一杯、精神誠意を込めて謝っているのだ。内心では言い訳を連発している僕ではあるけれど、それは心の安定を保つためなのだから大目に見て欲しい。

「ねえ、遊奈」

「なんですか生徒会長」

「岬野くんがお詫びになんでも言うこと聞いてくれるんですって」

「本当ですか。だったらなにをお願いしましょうか」

「えっ、ちょっと待ってくれ! そんなことを僕は言っていないぞ」

 さすがに戸惑った僕は、頭を上げて、ふたりの顔を見た。その表情はにんまりしていて、天真爛漫なそれだった。双橋がその表情をしているのはいつものことのように思うけれど、生徒会長には似合わない微笑み方だった。企画が違うというか、盤型が違うというか。非対応のOS上で無理矢理ソフトを走らせているような感覚に、それは近かった。

「なにか言いましたか、生徒会長」

「いいえ。なにも言ってないわよ」

 ふふふふふ――と、ふたりの不気味な笑い声が共鳴していた。

 どうやら僕には発言権が残されていないようである。

「それじゃあ、まずは何からお願いしましょうか。あー、あたし喉が渇いちゃいました。なにか飲み物が欲しいなぁ」

 双橋が我侭になっていた。その言い方からして、どうやらお願い事とやらの回数制限は設けられていないらしい。まあ、僕がしたことを思えば、それぐらいが妥当なところなのかもしれない。罪を犯せば、その罰を受けるのは当然の報いなのだ。

 いや、そんなことよりも。

 普段は献身的な態度で一貫している彼女が、まるで甘やかされた育った姫様みたいな言動をとったことに関してはとても個人的に興味を引きたてられる。彼女が見せた普段とのギャップに、僕の中に落とし込まれていた奴隷精神が逆流をはじめたのだ。

 体のバネを最大限活用して、胴体をフローリングから離す。

「わかったぜ双橋、僕がひとっ走り行って飲み物を調達してくるよ! して、なにがお望みだ」

「えっ、あっ、えっと。……その、ウーロン茶を」

 僕の突然の変わりように、戸惑った様子を双橋は見せた。察するに本心からの悪態ではなかったなかったらしい。つまり我侭なお姫様みたいな態度は演技だったようである。

 なんだ。

 ちょっぴり残念。

 まあ、例え演技であったとしても、そういう態度を双橋が取ってくれたというのは十分に僕のテンションを左右してくれた。双橋の命令に従いたい気持ちと少しでもこの場から退きたい気持ちで一杯となった僕はおかしなテンションを維持したまま、近頃軽量化の兆しを見せている財布を取り出して、急いで自販機へ向う。

 ――向おうとした。

「待ちなさい、岬野くん!」

 喜び勇んで足を踏み出したそのとき、生徒会長の上履きが、僕の足首を捕らえた。大雑把な足払いである。

「ぎゃぁす!」

 情けないことに僕は顔面からフローリングに突っ込んだ。まったく警戒していなかったこともあって、軽快な駆け出しに失敗した。

 無念である。

 地球の重力は時に残酷だった。

「なにをするんだ生徒会長! 暴力なんてきみには似合わないぞ」

「どうせ、おつかいを口実に逃げ出そうとしてたんでしょ。岬野くんの考えていることなんてお見通しなのよ。……それと、遊奈も岬野くんを逃がそうとしないで頂戴」

「あっ、やっぱりバレましたか」

 ちろり、と双橋が舌をだした。

 状況を推理すると、どうやら双橋は僕を逃がしてくれようとしていたらしい。彼女のおおらかな性格は今日も順調に稼動しているようで安心すると共に感心した。

 確かに僕は、この場から少しでも離れて、あわよくば次の授業が始まるのを期待していた。状況の先送りを企てていたわけだ。けれど、それはやっぱり先送りでしかなくて、逃げようなどとは思っていたわけではない。

 本当だよ、嘘じゃないよ。

 ……そう付け加えることによって信憑性が薄まったような気がする。日本語は保身に優しくないなぁ。

「御影さんが用件もなく人に声をかけるようなことはしませんからね。昼食の約束を反故にして女の子に声をかけて回ってたのも、きっとなにか理由があるからなんだと思います」

「ちょっと、遊奈! なにを自分だけが岬野くんのこと信じてましたみたいなこと言ってるのよ。わたしだって、別に岬野くんのことを疑ってたわけじゃないんだから」

「そうなんですか? てっきり生徒会長は昼食の席に顔を出さなかった御影さんに対して怒ってるとばかり思ってましたけど」

「それは遊奈の方でしょ! 岬野くんが他の女の子に寄り付いたとき、あなた凄い顔してたじゃない」

「凄い顔をしてたのは生徒会長だったじゃありませんか! まるであたしが御影さんのことを信用していなかったみたいに言わないでください!」

 仲間内でケンカが始まっていた。

 友達と書いてライバルと読む――そんな関係がふたりにはピッタリだと再確認できた。

 虚栄に虚栄を重ね、意地っ張りな口論が広がったことによって、なんだか僕が許されるみたいな流れになったことに関しては素直に助かったという気持ちで一杯だ。まさかふたりの負けず嫌い特性に助けられる日がくるとは思ってもみなかった。棚からぼた餅とは違うんだろうけど。

 口論が雪だるま方式に大きくなっていき、遂には行き着くべきところ――デュエルにまで発展思想になったところで、僕は止めに入った。

「ストップストップ! 僕のために争うのはやめておくれよ!」

「誰のせいでこうなったと思っているのよ!」

「御影さんは黙っていてください!」

「…………」

 僕に発言力は一切なかった。

 確かにことの発端である僕がどの面下げてふたりの仲裁に入れるのだという話だ。

 身の程をわきまえることがどうやら今の僕には大切らしい。

 うん。

 わきまえるぞぉ。

 デュエルディスクをカバンから引っ張りだして、ふたりは廊下に飛び出そうとした。もはや僕にも止められないし、クラスの連中もただならぬ殺気を感じたらしく、口出しする者は現れなかった。揉め事のストッパー的役割を担っている生徒会長が暴走状態になっているのだから起立が乱れても、それは当然のことだろう。

 このまま授業中、グラウンドからデュエル特有の戦闘音が響いてくるのだろうかと想像した僕だったけれど、生徒が止めなくとも、学校側はそれを認めてくれないらしい。

「なにしてんだぁ。双橋と木実近さんよぉ」

 腹の底から響く声を出しながら、担任の節茄(ふしな)先生が、横切ろうとしていたふたりのデュエリストの制服の襟を後ろからがっつりと掴んで動きを止めた。

 女性としては考えられないぐらいの腕力を持ってして、ふたりの女子生徒を宙ぶらりんにするさまは実に天晴れだ。

「……あー、えっと節茄先生」

 生徒会長が上ずった声で言った。ただ名前を呼んだだけなのに、僕にはそれが悲鳴のように聞こえた。

 節茄先生はふたりのクラスメイトを、サンマを咥えた猫のように扱っている。ぶらりんと手足を放り出している双橋と生徒会長がなんだかちっぽけな存在のように見えてしまう。とにかく、切ない。

 双橋はもちろん、弱者救済の正義であるところの生徒会長までもを無力化してしまうとは、改めて節茄先生の凄みを認識しておくべきだ。それはたんに節茄先生が教師であり、彼女たちよりも大人であるということも大いに関係しているのだろうが、それよりももっと深いところに肝要な部分が隠れている気がする。人間的に他を制圧するというか、なんだかそんな得たいの知れないオーラを、我が担任さまは有しているのだった。もしも彼女が僕たちと同じ年齢だったとしても、双橋と生徒会長を今とまったく変わらない扱いにできるのではないかと、僕には思われる。

 まあ、とにかく。

 本能的に人を恐怖させることのできる人間が教師をやっているという事実に、僕たちはもう少し緊張感を持つべきなのだ。

「デュエル。デュエルいいね。デュエル」

 節茄先生は野生の獣、いや、古代の爬虫類を連想させる威圧感に満ちた瞳を持ってして、ふたりのデュエリストをねめつけた。ハタからみている僕でも、その迫力を前にして思わず身震いしてしまうのだから、舌の上で転がされている状況である彼女たちはどれほどの危機感に襲われているのだろうか。

「デュエルはいい。すばらしい。先生もデュエルは大好きだ。暴力を使わずに調子にのった生徒を黙らせられるんだからな。拳をいためることもないし。もっとも私はこう見えてもか弱い乙女なので、ケンカみたいなのはごめんだけどな」

 生徒ふたりをそれぞれ片手だけで鎮圧している女性が、そんなこと言った。

 虚言であることは火を見るよりも明らかだ。

 先生が嘘をついた! とか指摘できる状況でないのが残念だ。

「ふん、それにしても木実近」

 ギロリと野獣の視線が生徒会長に向いた。すると、目に見えて獲物の肩が震えた。

「成績優秀眉目秀麗とかなんとか、ごたごたした称号を貰ってるらしいけどさぁ」

 ――中身はガキでしかないよな。

 ズバリと切り捨てた。

 それは決して生徒会長を傷つけるために言ったのではないのだろう。大人と子供の境界線をはっきりと示して見せたのだ。

 生徒会長が年上に対して、持ち前の負けず嫌いを発揮しない理由は、だからそこにあるのだろう。次元が違うというか住む世界が違うというか。

 最近は威厳のない先生が増えている傾向にあるし、事実、僕もこのクラスになるまでは先生たちのことを甘く見いたふしがある。まあ、フレンドリーな先生もそれはそれで持ち味だとは思うけど。

 彼女のようにきっちりと上下関係を示せる先生は絶滅危惧種だった。

「いいんだよ。いいんだよ。デュエルがしたきゃデュエルしろ。デュエルをしながらだって夕日は目指せるんだからな。けどなぁ。授業中にデュエルと洒落込もうとするのは感心できないなぁ。てめぇらはなんのために学校に来てんだよ。なんのために親はお前らの学費を払ってんだ。遊ぶときは遊ぶ。頑張るときは頑張る。そのメリハリが付けられねえからお前らはガキだってんだよ」

 言ってることは至極真っ当だし、僕にとっても染み入るお言葉だった。

 根は良い先生だと思うんだよ。思うんだけど――

 その形相のせいで、説教というより恐怖政治みたいになっていた。

 このタイミングで予鈴が鳴らなかったら、仔猫みたいになってる彼女たちは泣き出していたことだろう。

 

 *

 

 六時限目が終了して、本日の授業は消化できた。

 無事――とは言いがたいが何とか放課後を迎えることができて良かったです。

 ちぃーちゃんと落ち合う約束は放課後だけれど、正確には違う。昼休みだけでは部員が集めきれないだろうことを見越して、放課後にも勧誘フェイズは設けられている。つまり、あと一時間の猶予があった。その猶予を使って、ちぃーちゃんからの期待に応えるために部員を求めて学校中を走り回べきなのだろう。けれど、いまの僕にはその体力がなかった。お昼を抜いた付けがやってきたのだ。空腹に負けた僕は――僕たちは生徒会室で遅めのお弁当を広げていた。

「本当に怖いわね、節茄先生」

 震度を持った手を使っておぼつかない動作で箸を操りながら生徒会長が言った。震える顎が、食べものを租借しているがゆえに生じるものなのか、それとも恐怖がフラッシュバックすることによって生じているのかは判断の難しいところである。

「普段はあんなに穏やかな先生なのに、怒ると怖いですよね」

 同じく手を痙攣させながら双橋が同調した。

「穏やかというより、やる気のない先生なのよね」

「そうなんですか?」

「うん。遊奈は知らないだろうけど、節茄先生はやる気のない生徒に対してはすごくそっけない態度を取るのよ。『生徒がやる気を見せないのに、私が一生懸命になる道理はない』とかなんとか言ってたわ。わたしにさえ節茄先生はそっけない態度を取るんだから、言葉の真意は定かではないけどね。そして怒ったときは人が変わったように凶暴になると」

「そうなんですかぁ。なんだか呉羽さんみたいな人ですね」

「誰よ呉羽って?」

「あっ、生徒会長は会ったことありませんでしたね。他校の生徒さんで、行方不明事件のときに御影さんが彼女と知り合いになったんです。その繋がりであたしもお友達になりました」

 双橋と生徒会長の中で、あのときのことは行方不明事件という位置づけになっているらしい。ちなみに、あの日の生徒会長は同じく行方不明になった妹さんを捜索するというサイドストーリーを繰り広げていたとか。

「……ふーん。呉羽さん、ね」

 生徒会長がなにかを察したのか、鋭い目をした。普段なら威圧感を感じて僕が冷や汗を流すシーンだけど、今回は幸いなことに彼女は小動物のように振るえているので迫力に欠けていた。むしろ保護欲が掻き立てられる。

「そうだ、残念なことに呉羽さんと連絡先を交換し忘れてたんですよね。デュエル好きの人でしたから、きっといいお友達になれたと思うんですけど」

「お友達、ね」

「友達だよ! 友達としてだからね! 邪推はやめて!」

「岬野くん、なにを必死に弁明してるの。わたしはべつになにも言及してないのだけれど」

 つい条件反射で注意を促してしまった。悲しいことにそれは結果として逆効果になってしまったみたいだ。問うに落ちず語るに落ちるとはこのことだろうか。

 もしかすると日本語というツールは弁護に向いていないのではないだろうか?

 いや、責任転嫁は良くない。僕の使い方に問題があるのだろう。

 ふむ。

 それにしても。

 どうやら話がまったく違う方向に反れてくれたみたいだ。てっきり昼休みのことをねちねち事情聴取されるものだとばかり思っていたけれど、いろいろあったおかげでそれはすっかり有耶無耶になっているらしい。節茄先生の恐怖が、彼女たちの中にあった僕に対しての怒りを消し飛ばしてくれたのだろう。

 彼女たちにとっては悪魔みたいだった節茄先生も、僕にとっては天使の役割になってくれたということだ。

 ――なんて。

 気を抜いたところに、それはやってきた。

「それで結局、岬野くんは昼休みになにをしていたのかしら。当然、わたしたちとの昼食をぶっちしてでもしなくちゃならないことだったのよね?」

「…………」

 全然まったく流されていなかった。大抵の悩みごとは時間が解決してくれるけれど、今回はその例外にあるらしい。

 いや、だから、そもそも僕はやましいことなどなにひとつしていないのだから、変に隠し立てする必要はないのか。むしろ隠蔽しようとしたから彼女たちの疑心を高めてしまっているような気がする。

 気味の悪い笑顔が迫ってくるのに耐えかねた僕は、正直に白状することにした。もちろん、『例の件』に関する記述は個人情報保護の観点から鑑みて、伏せさせてもらった。

 デュエル部発足を夢見る女の子のために汗水たらして、時には涙まで流して部員探しを手伝った武勇伝を、僕は包み隠さず(包み隠さず!)彼女たちに話した。

 普段から物事に関わらない性質を持っている僕が、人助けなど、それも部員探しなどという毒にも薬にもならないことに加担したことに対しての、動機となる部分が致命的に欠けていたけれど、それでも双橋と生徒会長は納得してくれたみたいだった。双橋は人の言葉を鵜呑みにするし、生徒会長は怒っていても弱者救済の正義である、弱い人の話はちゃんと聞いてくれるのだ。

 いい加減、自分を弱者だと自覚することになれてきた今日この頃だった。

「ふーん。なるほどね」

 と、僕の話を一通り聞き終えた生徒会長は神妙な面持ちで顎を引いた。胸の前で腕を組んで考え込むようにしている彼女は、もはや震源ではなかった。問題は時間が解決してくれるのと同様に、恐怖も時間が経てば霧散するものらしい。

「なるほどね。だから岬野くんはあの子と絡んでたのね」

 あの子とは、この場合、ちぃーちゃんのことを指していると思う。

 絡んでいたという言い方が引っかかるけれど、今は些細なことに突っかかっている場合ではないだろう。お弁当を口に運びながら、僕は、生徒会長の言葉の続きを待った。

「ちぃーちゃんが登校するようになったのは実は最近のことなのよ」

「そうなのか?」

「親の事情で、ね。本当は四月から新入生として学校に通う予定だったらしいんだけど、海外赴任していた両親の仕事が長引いちゃったらしくてね、日本に戻ってきて登校するようになったのは本当に最近のことなのよ」

 海外産の遺伝子を感じさせる瞳を彼女がもっていたことは察していたが、まさか最近まで海外にいたとは思わなかった。流暢な日本語を話すから、たぶん海外育ちではない。親の事情とやらで少しの間だけ海を跨いでいたのだろう。

 なるほど、だからあれだけ騒がしい性格をしている彼女の存在を、僕は今日まで認知できなかったのか。認知するもなにも、そもそも学校にいなかったわけだ。

「それでね。変な時期に登校をはじめちゃったから、友達を作るのに苦労してるみたいなの」

「そうなのか? 結構フレンドリーな性格をしてるんだから友達なんてすぐにできそうなものだけど」

「わたしも最初はそう思ってたんだけど、どうやらそううまくはいかないみたいなの。なんて言うのかな、彼女、とっても人懐っこい性格をしてはいるんだけど、どうも友達の輪に入ることに苦手意識があるみたいなのよね。友達が欲しいからって、それに同情してわたしが友達になってあげたり、人を紹介して友人関係を繋げるのもなんだか違う気がするし、自分自身で友達を作ってもらうのが一番の解決策なんだけど、思い通りにことが運ばないのよ」

「……苦手意識」

「そもそも彼女がデュエル部を作ると言い出したのは、そのことが原因だったりするの。最初は他のクラブに入ることを勧めたんだけど、結局は友達同士の輪に入れなかったみたいで、それでデュエル部を作るって結論に至ったみたい」

「なるほどね。新設の部を作って、一から人間関係を築こうとしてるのか」

 デュエル部の勧誘を口実に友達の輪を増大させることを目論んだ僕と、ならば発想は同じなのか。

 ちぃーちゃん自身が言っていた。デュエル部に入ったところでメリットが薄いと。ならば、デュエル部を設立することそのものにもほとんど意味がないということだ。

 ――彼女にとって、デュエル部の発足はあくまでも友達作りのための口実。

 僕は思い返す。

 同じく中途半端な時期に転校してきた双橋は、当時、唯一の知り合いである僕を拠り所にしていた。そして、生徒会長と知り合うまでは、彼女がクラスメイトと関わりを持とうとすることはなかった。

 それはもしかすると、双橋は新規の友達を作らなかったのではなく、作れなかったのではないだろうか。独りでいる相手に話しかけるのは容易でも、仲睦まじくしている生徒たちの間に割って入るのは難易度が高い。だからこそ、双橋は面識のある僕に接点を求めた。

 僕にしたって思考は同じだ。昼休み、勧誘のさい、集団でデュエル談義に花を咲かせている生徒には目もくれず、独りでいる生徒にターゲットを絞った。

 ならば、ちぃーちゃんが僕を頼りにした理由もわかる。

 僕が独りでいたから、そして部活の勧誘ポスターと睨めっこしてたから、話しかけるには絶好の的だったのだろう。デュエル部でゼロから友人関係を作ろうとしていたのならば、ぼっち属性の付いていそうな生徒を狙うのは当然だ。

 集団に入っていけない気持ち、か。

 デュエルをやめた僕にはその気持ちが痛いほどよくわかる。世間の風潮から逸れて、独り、蚊帳の外になってしまった僕には身に染みてよくわかる。わかりすぎちゃって困るぐらいだ。

 ――ちぃーちゃんはあの時、どんな気持ちであの笑顔を作っていたのだろう。

「デュエル部ですか。面白そうですね!」

 教え子に苦労する先生のような顔をしている生徒会長とは違って、どこまでも双橋は朗らかだった。ノーテンキというか、空気を外しているというか。

「どうですか、御影さん、生徒会長。一緒にデュエル部に入りませんか?」

「…………」

 勧誘する側だったのに、いつの間にか勧誘される側になってしまった。『例の件』を達成させることに並々ならない情熱を注いでいる僕だけれど、なんだかここで双橋の誘いに乗るのは違う気がした。

「なあ、双橋。お前、ちぃーちゃんに同情してるんじゃないか?」

「……バレちゃいましたか」

 双橋はいつものように舌をちらりと覗かせて、続けて、言った。

「近いですけど、でも同情しているのとは少し違います。もし、御影さんがいなかったと思うと、あたしもちぃーちゃんさんみたいに独りで暮らしてたのかなって、そんな風に考えてしまって、とても他人事にしておけないんですよね」

「双橋……」

「それに、デュエルをする相手がいないなんて、とっても苦しいことだと思います」

 棒を投げればデュエリストに当たる――

 こんなご時世で、まさかそんな言葉を聞くことになるとは。

 ホント、果てしない世界なのに、求める者に恩恵が少ないぜ。

「求めても与えられませんってか」

 僕は弁当の中身を一気に飲み下し、席を立つ。

 本当は嫌だけど、心の底から頼りたくないけれど、今の僕には困っている女の子を助けてあげることなんてできないから、だから頭を下げてお願いするしかないのだ。

「なあ、双橋」

「なんですか、御影さん」

「僕たちは彼女を哀れんでなんかいないよな。僕たちは同情したから彼女と友達になってあげようだなんて、そんな身の程をわきまえないことを思ってるわけじゃないよな――」

 僕は――言う。

 言葉に乗って胃が逆流しそうになるけれど、それでも僕は言う。

「僕の代わりにデュエルをしてくれないか」

「――よろこんで」

 待ってましたとばかりに、双橋は微笑んだ。

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