遊戯王デュエルモンスターズWD―ワーストデュエリスト― 作:Rさん
なにかを間違えた。
そんな気がした。
事態はおよそ最悪なものであり、取り返しの付かない地点まで、どうやら僕は足を運んでしまったらしい。振り返ることすらためらわれる。あそこで違う道を選択していれば、こんなことに巻き込まれることはなかっただろう。人生に後悔はつきものだし、頑張ってもどうにもならないことだって沢山あって、今回この件に関して、僕のできることといえば、それはカカシのように突っ立ってぼーと事態をやり過ごすだけだった。
虚しさと寂しさだけが無情にも込み上げてくる。
眠い。第一位にそれだ。
暇だ。それが後を追う。
さて、どうして僕はこんなことに巻き込まれてしまったのだろう?
そんな疑問が頭の中で淡く反響してはお腹の中枢へと落ちていく。なにが悪かったのかというと全てが悪かったのだ。僕も。そして、ちぃーちゃんも。
「どうしたものかな……」
渦巻いていた溜め息を少し吐き出して、前方に広がる途方も無い光景を、半開きになった目で確認した。
瞳が半分閉じている理由は複数あれど、主な理由は眠気によるものであった。先ほどの溜め息は、もしかしたらあくびだったのかもしれない。
眠い――それは僕が夜更かしをしているという意味にはならない。確かに太陽は昇ってはおらず、電灯が輪郭のぼやけた光を提供してくれている。けれど、それは夜遅くに限った話ではない。
時刻は早朝、目覚ましを鳴らすには早すぎる時間帯だった。
正確な時間を確かめたかったら携帯電話のディスプレイを覗けばわかることではあるのだけれど、時間を知りたいかというと答えはノーだ。
できれば知りたくない。
わかりたくない。
状況を理解したくない。
「夏休みの貴重な一日を消費して、僕はいったい何をしているのだろう?」
何度目かわからない独り言が口から漏れた。
答えが出ないとわかっていても、その疑問が途絶えてくれることはなかった。寝不足の頭では思考回路が十分に働いてくれないのだ。
あるいは手持ちぶさただから無駄なことに思考回路を割いて時間を潰しているのかもしれない。
手持ち無沙汰――暇だった。
それは前方に形成されている途方もない光景が大いに関係している。
人、人、人、人、人……途方もない人の列。
つまりは行列が僕の前方には形成されているのだった。いや、前方だけではない。後方にだって同等の、あるいはそれ以上の列が現在進行形でちゃくちゃくと伸びているのだ。
状況説明をするのは簡単なようで骨が折れる。
列の説明は簡単だ。世間で大ブーム進行中のカードゲーム、デュエルモンスターズ。その新作パックの発売日が今日なのだ。カードショップから伸びた行列は僕を取り込んで順調に自己記録を更新していく。狭い歩道がデュエリストで埋めつくされていて、通行人は車道に乗り出さざるを得なくなっている。
さて、ここからが難しい。
デュエリストが新作パックの発売日に買いに来るというのは至極もっともで当たり前の現象とさえ言える。しかし、僕はデュエリストではない。そんな僕がどうして列に並んで暇と眠気を持て余しているのかと。
罠にはめられたのだ。
――と思う。
主犯はちぃーちゃんで、加担者はなんと残念なことに僕自身だった。
経緯としては、ちぃーちゃんから待ち合わせを命じられたときに、僕はてっきり虫取りに行くものだと誤解してしまったのだ。だってそうだろう。夏休みの早朝に出かけると言えばそれしか思いつかない。
しかし実際には状況が答えだったらしい。
ちぃーちゃんがちゃんと伝えてくれていればこんなことにはならなかったし、僕が早とちりをして約束の詳細を確認せずにふたつ返事でオーケーをしていなければよかったのだ。
タイムマシンがもしも存在するならば、あの日あの時に戻って、僕の軽率な行動をなんとしてでも阻止てしていたことだろう。
まあ、脳内反省会はコレくらいにして、
「うーむ」
改めて考えてみる。明らかに列が長すぎる。たかが新発売のパックを買うためだけに、どうしてこんなにも時間を浪費しなければならないのだろう。別に限定販売の代物でもないし、在庫がなくなったとしてもそのうち再販されるだろうに……。
そんなにいち早く手に入れたいものなのだろうか?
僕がデュエリストだった頃は新しいパックの発売日に並ぶなんてことはしなかったし、しなくてもよかった。小学校の帰りにおもちゃ屋さんによっても十分在庫は残っていたのだから。
それほど現在ではデュエルブームが加速してしまったということなのかもしれない。
時が経つにつれて変っていくものがある。流行とか身長とか。それに僕の感情がついていけていない。この行列を実体験して心が引いてしまっているのが証拠だ。
それは成長なのか、それとも退化なのか、答えは未だに出ないままだった。
うーん。
それにしても。
どうして僕はこんなところでこんなことをしているのだろう?
何度目になるだろうか、素朴で素直な疑問が頭に浮ぶ。答えは出ているのに、だからといって悩まずにはいられない。僕はデュエリストを引退した身であるにも関わらず、こうしてカードを買うために行列に身をやつしてしまっているのはなぜだ。仮に僕が現役のデュエリストだったとしても、ちょっと気後れしてしまうほどの途方もない列なのに。
ぶっちゃけ、ちぃーちゃんとの約束を破ってでも早く帰って暖かい寝床で朝を迎えたいところだった。
僕をこの場に押しとどめているものはいったい何だろう。カードショップの開店時間まで折り返しに地点に入ったから、僕がここで車道に以降してせっせと逃亡してしまったら、今まで退屈と戦ってきた自分の努力が無駄になってしまうからなのかもしれない。
つまり、僕の足に釘を打つものの正体――それは意地に他ならない。
意地を持ってして、僕はこの地獄に耐え抜いてみせるぜ!
「…………」
心の中で盛り上がってみたものの、現実は冷たくなっていくばかりだった。
並んでいるデュエリストのみなさまもそうなのだろう。時間の経過とともに苛立ちを募らせているようだ。それは態度を見ていれば察しはつく、露骨に貧乏揺すりをしている人がポツポツと増えていく。「まだかなー」と友達同士で現状を嘆く人もいる。諦めて列から離れていくひとりのデュエリストに僕は心の中で敬礼をした。
デュエリストのみなさまも必死で堪えているのだ。地獄を経験した先にあるものを求めて。
だから僕もここで折れるわけにはいかないのだ!
……いや、だから僕は別に求めてないんだってば。
新発売のカードとか興味ないよ。
こんなに志の低い僕がどうして地獄をみなければならないんだ。
くっそー。
ちぃーちゃんめ。今度会ったときはあれだからな。もうあれだ。なんか言ってやる。
それにしても本当にちぃーちゃんがやってくる気配がない。どうしたのだろう。もしかして寝坊でもしちゃったのだろうか?
ずぼらなところのある彼女なら十分にその可能性もあり得る。寝坊が似合うというか、遅刻がアイデンティティというか。とにかく、定時にやってくる彼女の姿を想像できなかった。実際、学校にだってよく遅刻しているらしい。
寝起きが悪そうだしね。
「いや、無理があるか」
なんとか僕の中にある彼女のイメージを崩さないように色々つじつまを合わせようと勝手に寝坊キャラを定着させようと思ったけれど、無理があった。どう考えても、ちぃーちゃんは自分が列に並びたくないがために、僕をこの場に配置している。
きっと、彼女が現れるのは開店間近で、そして笑顔を持ってして「ごめーん、まったー?」とか言ってくることだろう。
このまま彼女の計画を完遂させるのも癪にさわる。
僕は携帯電話、俗に言うガラケーを開いて、ちぃーちゃんにメールを送り、間を置かずして電話をコールする。しかし繋がるのは音声ガイダンス。やはり、ちぃーちゃんは携帯の電源を切っているらしい。
意を決して僕が列を離れれば、簡単にちぃーちゃんの計画を破綻させることはできるけれど、それをしてしまうのは男としての器が疑われるし、なにより逆恨みが怖い。
だからせめてもの仕返しとしてちぃーちゃんに罪悪感を感じてもらいたかった。ゆえにメールの文面は寒さと暇を訴えるものしておいた。夏場とはいえど、夜風は薄手の体でカカシなっていると応えるのだ。
彼女がケータイを起動させるのがいつになるのかはわからないけれど、開いたが最後、罪の意識を芽生えさせることだろう。
「……虚しいな」
ほくそ笑んでから、言葉がぽつりと口を出た。
逃げ出せば簡単に済むような悩みなのに、そうすることによってちぃーちゃんから逆恨みされるのを恐れて、あれこれ理由をつけて逃走できないでいる僕っていったい……。
虚しさで一杯になった肺を換気しながら、メールを送ってから開きっぱなしになっている携帯電話に視線を戻した。液晶画面がやけに眩しく染み入った。
ついでに誰かにメールか電話をして、暇つぶしの相手になってもらうのも悪くないように思えた。
しかし、時間が時間だ。朝っぱらか夜中だかよくわからない時間に連絡を取るのマナー違反だ。ましてや現地に呼び出すなんてことはできないだろう。女の子が暗がりを歩くのは推奨できないし、隣街となれば尚更だ。いくらデュエルモンスターズの新作パックだからといって、モラルを無視する理由にはなりえない。
「……ん? 新作パックの発売日?」
そこで僕は根本的な事実に気がついた。僕の友人である彼女たちはデュエルモンスターズブームにのっかかっている真っ只中にある。昨日もデェエルについての議論を熱く交わしていた。そんな彼女たちが、新しいパックの発売日を見逃すわけがないし、美容の大敵であろうとも夜更かしを厭うことはしないだろう。
もしかしたら、この行列の中に彼女たちがいるかもしれない。
実際にいた。
列から顔をはみ出して、前方を確認してみると、十数人先に見知った長い黒髪が確認できた。
木実近恵美――生徒会長その人だった。
大人しめのロングスカートと長袖のカーディガンというファッション。大きめのショルダーバッグ。
僕より先にこの行列に並んでいるというのに、苛立ったようすもなく、腕を組んで静かに佇んでいた。
知り合いが共に戦っていると知って、僕の心には少しばかりの余裕ができた。
自然とニヤけてしまう頬を自覚しながら、携帯電話に指を添える。
文面は短く簡素に、『あなたの後ろに僕がいる』と。
送信をした瞬間、生徒会長に動きがあった。はっとしたように肩を強ばらせ、次にショルダーバッグの中から、おそらくは携帯電話を取り出した。距離があるせいで、僕の方からは彼女の手元までは確認できないが、携帯電話と定義することは妥当な判断だと思う。
そういえば、彼女はスマートフォンを使っていたのか、それともガラケーだったのかはどうにも記憶が曖昧だ。
なんて。
そんなことを考えていると、メールを読んだらしい生徒会長は、振り向くと同時に口を開いた。
開いてしまった。
「もう、後ろにいるなら声かけてよ」
「えっ……は?」
彼女の表情が氷つく。
彼女の真後ろに立っていた男性は突然話しかけられて戸惑っている。
見詰め合う二人。ロマンチックな空気では、もちろんない。
流れる沈黙。
これは僕のミスだった。
文章を省略してしまったがために、生徒会長は僕が真後ろにいると思い込んでしまったのだ。
非常に申し訳ない。寝不足だったことを考慮しても申し訳ない。後で土下座して謝ることにしよう。さすがにアスファルトではためらうけれど、フローリングの上でならやぶさかではない。
「あっ、えっと……その」
みるみる生徒会長の顔が赤くなっていくのがわかった。彼女がこんなにうろたえている姿を見るのはもしかしたら初めてのことかもしれない。
彼女と向かい合っている男性もどう対応していいのかわからずにいるらしい。
「ご、ごめんなさい人違いでした!」
羞恥心に耐えられなくなったのか、生徒会長は逃げるように列からはみだして、そのまま顔を押さえて駆け出した。恥ずかしい出来事と縁がないであろう彼女は、こういう事態には免疫がついていないのだろう。人生の八割は羞恥心と戦っているような僕でも彼女のような状況に直面したら、同じ行動にでていたと思う。
原因を作ってしまった手前、このまま彼女を見送るわけにはいかなかったので、車道に飛び出して、列に沿うように駆け出した彼女が、僕の隣を通過するタイミングを見計らって、その二の腕を掴んで引き止めた。
「ひっ…………」
腕を掴まれたことで悲鳴をあげそうになっていた生徒会長だったが、顔を合わせたことによって相手が僕であることに気づいてくれた。
しかし沈黙からは抜け出せそうにないらしい。
顔を押さえたままの彼女は、その白くて長い指の隙間から真っ赤になった顔を覗かせている。それが羞恥心からくるものなのか、怒りからくるものなのかは現状ではわからなくなった。
瞳が潤んでいる。今にも泣き出してしまいそうな雰囲気だ。彼女が泣いているところを、僕は見たことがなかったので、これは貴重な体験だ。なんならケータイのカメラ機能で即席の撮影会を開いてやりたいところだったけれど、それをしてしまうと、彼女の心境が怒りで確定することになるだろうから、そっと欲求を喉の奥にしまいこむ。
代わりに声をかける。なるべく穏やかな口調を心がけて、割れ物を扱うような感覚で。
「隣、どうぞ」
「…………」
掴んでいた二の腕をそのまま列の中に引き入れた。
僕の後ろに並んでいた人は特に文句を言わなかった。前方に並んでいた人が後方にやってきたところで、逆鱗には触れないのだろう。後方からなら怒られること請け合いだっただろうけど。
「……言うこと、あるよね?」
生徒会長が静かに言った。満面の笑みだった。その眩しさが、のんけんな空気を含んでいることを感じ取る。
すでに彼女は両手を腕の前で組んでいた。頬はほんのりピンク色に染まっているし、眼球も充血しているようだが、平常心は取り戻してくれたみたいだ。
世界に光がやってくる。僕は空を仰ぎ見た。
夜空はゆっくりと灰色の世界を形成していく。
日の出はもう間もなくだ。
僕は彼女の吸い込まれそうな笑みを直視して、そして応えた。
「なんか、ごめん」
返事はなかった。
*
「ところで、どうしてカードショップに来ているの? 岬野くんデュエルしないのに」
そこまで言い終えて、はっとしたように彼女は口元を押さえた。
「あっ、ごめんなさい。もう岬野くんじゃなかったのよね。遊凪くんって呼ばないとって頭ではわかってるんだけど……」
「あはは。気にしてくれなくてもいいよ。急には変えられないって分かってるから。僕だって、まだ実感ないんだし」
「そう言ってもらえると助かるわ……でも本当に、ごめんなさい」
「いいっていいって。それよりも、生徒会長も並んでたんだね。新しいパック欲しかったの?」
「うん。そりゃそうよ。デュエリストにとってカードは大切な要素だから。それにただ新しいカードが増えるってだけじゃないのよ、今回は」
「ふーん。そうなの?」
「ペンデュラム召喚。なんて、デュエルしない遊凪くんに説明してもしょうがないわよね」
ペンデュラム召喚。
そういえば、昨日、双橋と生徒会長がそんな用語を使って話をしていたような気がする。テレビのコマーシャルでも聞いたことがあるようなないような。
「とにかく、その新しい何チャラ召喚を目当てにしたデュエリストが列を成しているってわけか」
「遊凪くんもその列に紛れ込んでいるひとりだけどね。いえ、ほんと、どうして遊凪くんはここにいるの?」
「ちょっとした事情があるのさ」
「ふーん。その事情ってのと、遊凪くんが持っている虫カゴと虫網は何か関係があるの?」
「ないわけではない……かな」
指摘されてしまった。
すごく羞恥心を刺激されるから指摘してもらいたくなかった。虫取りをするものだとばかり思っていたから最低限の装備は整えておいたのである。ことここに至っては後悔の種でしかなく、注目の的となっていることが残念だ。
「話が変わるけど、」
と、僕の表情から何かを察したのだろう。生徒会長は僕の装いについてはそれ以上の言及をしてこなかった。さらに空気を変えるために会話を切り替えてくれるあたり、実に彼女らしい気配りといえた。
「そういえばなんだけど、遊凪と遊奈ってほとんど読み仮名が一致してるわよね」
「ん? ……そういわれてみれば、そうだね」
ゆうな、ゆうなぎ。一文字違いである。
特に意識していたわけではなかったから違和感は感じなかったけれど、改まって突きつけられてしまったら、気になってくる。僕は別に人生においてロマンや刺激を求めているわけではないのだけれど、偶然の一致にしてはどうも引っかかりを感じざる負えない。
ゆうな――ゆうなぎ。
名前――書き間違える。
「ねえ、遊凪くん」
思考が冴えてきたタイミングで生徒会長からの声が割り込んできた。うん。人と一緒にいるときに考え事をしているのは失礼だろう。どうせ僕は暇な学生なのだから、双橋の件に関してはあとで考えることにした。
続きの言葉を、僕は促した。
「どうしたんだ?」
「えっとね。あのね……」
言葉を詰まらせている生徒会長。
若干のぎこちなさを感じる。僕が思うに、彼女が両手の指を照れたように絡ませているのは、きっと演技だ。どことなく、生徒会長の表情がいつもと違う。どこか、台本を思い出しながら喋っているかのような、そんな不自然な調子だった。
「あのね。遊奈と遊凪くんって似てるから呼びずらいじゃない。だから、その、遊凪くんのことを下の名前で呼ばせてもらってもいいかな? なんって」
「……おおう」
ある程度予想していた提案だったけれど、実際に女の子相手に言われるとそこそこの衝撃があった。なんだこのピンク色の空気感は……。
「だ、ダメかな?」
照れたような調子で上目遣いで僕を見る彼女。
僕がこの提案を断る理由は特にないし、また拒否できるような空気でも間柄でもなかったので、つまり出せる返事というのが、
「い、いいよん」
それしかなかった。
いつかきっと、彼女がこの提案を出してくるだろうことは何となくわかっていたから、頭の中で何度かシュミレーションを重ねていたのだけれど、実際に状況を体験するとどうしても自然体は装えなかった。
いいよんって……。
どんなキャラだよ。
「うん。よかった。じゃあ、えっと、御影……くん」
「お、おう」
「うーん……やっぱりなんだか照れるね」
「…………」
なんだろう。とてつもなくこの場から離れて海に出も飛び込みたい気分になってくる。行列に並んでいるという状況下でなかったのなら、それが出きるのだけれど、今は身動きができない。
それにしても、彼女。なかなかの度胸の持ち主だった。あるいは策略家といったところか。
二人っきりのときではなく、あえて人が回りにいるときにピンク色の雰囲気を醸し出すことによって、僕に羞恥心を与えているのだ。
ただでさえでもドキドキする状況だというのに、そこに羞恥心を加えられて、僕の心臓は激しく波打っている。手の平が湿ってきた。
心臓の高鳴りを利用している。
吊橋効果の応用だろうか。
くっそー。
僕が鈍い人間だったのなら小躍りして喜ぶような場面なのに。
「ねえ、御影くん」
「は、はい」
「もし、よかったらなんだけど、今度、一緒にお祭りに行かない?」
「お祭りですか……?」
ここぞとばかりに畳みかけにきやがった。どうしよう。ダメだと分かっているのに、どうしてもピンク色オーラにやられそうになってしまう。
「ダメかな?」
「ダメっていうかなんというか……。そもそもお祭りってどこで開かれるんだ?」
「御影くんは知ってるかな? 夢落ち神社のこと」
「……夢落ち神社?」
「知らないみたいね。夢落ち神社、嫌なことがあったとき、その神社にお参りしたら嫌なことを夢だったことにしてくれる神社だよ。あっ、もちろん迷信ね。そういう噂があるだけで、正式には明日宮神社っていうの」
「ずいぶんとスピリチュアルな迷信だなぁ。そういうのは嫌いじゃないけどね」
明日宮神社、ねえ。
なんだか最近聞いたことのある名称が交じっている。
無関係――ではないんだろうな。
古風な家柄、か。
「それでね。その明日宮神社で毎年お祭りが開かれるんだ。出店とか花火もあるんだよ」
「ほう。いいじゃないか夏祭りってやつだろ。そういうことなら僕もお供するよ。もちろん双橋も誘うんだろ?」
「ん?」
僕が双橋の名前を出した途端、生徒会長の表情が露骨に歪んだ。
「ん? えっ? どうしてここで遊奈の名前が出てくるの?」
「いや、どうして疑問符をぶつけてくるんだ。生徒会長と双橋は一緒に行動することが多いだろ? だからお祭りも一緒に行くものだと思ってたんだけど……」
「べ、別に遊奈と一緒にいることなんてそんなにないわよ。現に今回だって、カード買いに行こうって誘ったのに断られたし」
ちょっぴりむくれたように、そっぽを向く生徒会長だった。
どうやら生徒会長は双橋に買い物誘いを断られて、いじけているらしい。
双橋も意外に冷たいやつだ。
というか、デュエルモンスターズを生きがいにしているようなやつが、新作パックの発売日に興味を示さないしというのは妙じゃないか?
いやいや、そういえば、双橋は夏場はあまり出歩かない習性を持っていたっけか。
「…………」
機嫌を損ねてしまった生徒会長はそっぽを向いたままぶつぶつと小声で何かを囁いている。僕からかけるような話題は現在持ち合わせていない。話をするより、話を聞く側の人間であるということがいまさらながら自覚できた。そもそも生徒会長と話せるような話題は限られている。デュエルか勉強か双橋のことだけだ。その厳しい制約の中で、デュエルはもとより、現状では双橋の話は出来そうにない。
残るキーワードは、勉強か。自分から持ちかけるには難易度の高い話題だった。
夏休み――勉強。
混ぜるな危険だ。
夏休み恒例の悩みごとを思い起こして軽い吐き気を催した僕は、やむなく、デュエルの話題を出すことにした。
「なあ今更なこと聞くけどさ。生徒会長って何がきっかけでデュエルをはじめようと思ったんだ?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
口調はぶっきらぼうなものだったが、関心は引けたらしい。
「大きな意味がわけじゃないんだけど、なんとなく生徒会長のことが気になったから」
「へ、へえ……」
と、僕がヘタな言い回しを使ってしまったせいで、生徒会長の表情が明るくなってしまった。
悪いことではないのだけど、なんとなく気が引ける。
「えっと、ね。私がデュエルをはじめたのは。えっ……と?」
最初こそ機嫌をよくした生徒会長だったけれど、次第にその心境を右肩下がりに落ちていく。「うーん?」と唸って思案顔が続いた。
「生徒会長、なにもそこまで悩むことじゃなくないか? 別に面白い回答を期待してるわけじゃないよ」
「わかってるわよ。面白くしようだなんて考えてない。ただ、よく思い出せないのよ。どうして自分がデュエルをするようになったのか」
「思いだせない?」
「うん。なんか記憶に靄がかかってるっていうか。ホント、どうしてだろう? 記憶を辿ってみると、小学生の頃は男の子がやっているカードゲームに嫌悪感を持っていたような気がするのよ。それがいつのまにかカードを持つようになって……」
さらっと爆弾発現が交じっていた。
まあ、確かに女の子が男の子のホビーを好意的に見るのは難しいものがあるけどね。それゆえに、今のデュエルブームは異質さは増すのか。
「なにかデュエルを始めるきっかけのような出来事は覚えてないのか?」
「うーん。……あるようなないような、かな。はっきりこれというきっかけはなかったように思うわ」
「…………」
うーん、と生徒会長はそのまま自分の記憶あさりに気を向けてしまった。
残された僕としても、考えることがないわけではなかった。
……おや?
すっかり忘れそうになっていたが、いつの間にか開店時間が迫っている。
*
「ごめーん、待ったー?」
予想していた通りのセリフでウエーブがかった長い髪を振り乱しながら、颯爽と現れたちぃーちゃんは、僕の反応を待たずして、何かをこちらに放り投げた。
「おっと!」
慌てて僕はキャッチする。
「あっつ!」
缶は熱されていた。ラベルには『おしるこ』と記載されている。夏場のホットドリンクは回転が悪く、つまり長期に渡って自販機に温められ続けているわけであり、さっきまでの薄暗い時間帯ならともかく太陽が顔を出している現状では、それは凶器のような物と化した。
「あっつ! あっつ! 何の嫌がらせだこの野郎!」
「いやだ。岬野……じゃなかったね。遊凪くん。きみが言ってたんだよ。寒いって。だから気を利かせて温かい飲み物を調達してあげたの。ちぃーちゃんってとっても優しいでしょ? 気が利くでしょ?」
「数時間前なら崇めてたよ!」
行列に並びながらジャグリングをはじめる僕であった。それだけでも奇妙なやつなのに、加えて現在、僕の脇には虫網が挟まれており、肩からは虫かごが降りている。羞恥心がグッサグッサと刺激されていくのを感じた。
「あれ? どうして岬野……じゃなかった。遊凪くんは虫取りの準備をしているの? まあ、どうでもいいか。うん、ありがと。ちぃーちゃんのために並んでくれてて」
言うが早いが、ジャグリングを続けている僕を車道に追い出して、ちぃーちゃんは行列にちゃっかりと納まった。強制転移である。
「あっ、おはよう生徒会長!」
「おはよう」
などと二人は挨拶なんぞ交わしあっていた。実に呑気なものである。一方の僕はいつまでもジャグリングしているわけにもいかず、虫網に缶を収めることで事態の終息を図った。
「…………」
ちぃーちゃんは、それで僕との話は終わりだと言わんばかりに、生徒会長と新パックの話に入ってしまった。生徒会長も、目の色を変えて舌を震わせていて、僕のことなど意識の外に追いやっているらしい。何かに熱中できるのはいいことだとは思うけど、今回に限ってはまったく関心できない。
えぇ……。
良い待遇を期待していたわけではなかったけれど、この落ちはあんまりにもあんまりではないだろうか?
長時間のカカシ役で得たものが、おしるこって……。
やばいよ。僕の周りにはブラック企業予備軍であふれている。
「……うん」
どんな理由があるにせよ、車道でぼーとしているわけにはいかず、重い足取りを駆使して帰宅ルートに入った。
一度だってちぃーちゃんは手を振ってはくれなかった。
*
帰宅の途中、僕は見知った子の姿を目撃することになる。場所はいつぞやの公園。双橋と御厨がデュエルを繰り広げ、僕が生徒会長の妹と地獄のランを繰り広げた悪い意味で思い出の場所だ。
そして、見かけた人物というのが、その生徒会長の妹だった。
彼女は公園内のブランコに腰をおろしてゆらゆらとポニーテールを動かしていた。その瞳は、うつらうつらしており、照準がさだまっておらず、どことなく上の空に思えた。大人びた独特の空気を持っている彼女ではあるが、その容姿はそれとはまったく逆ベクトルを保っている。ありていに言って幼い顔をしているのだ。丸顔とも呼べる。半そでの涼しそうなTシャツとは違って、スカートは膝まで伸びている。どちらかといえば、オーバーオールのほうが似合うんじゃないかなぁ、とか想像しながら、僕は隣のブランコに乗った。
「あー。すみませんね。今日はあなたの相手をしている暇はないんですよ。ノスタルジータイムです。ひとりにしてください」
「連れないねえ。いや、別に相手をしてもらいたいわけじゃないよ。ただ、なんとなくブランコに乗りたかっただけだからさ。無視してもらってかまわないよ」
「無視ですか……。その虫取りスタイルとかけているつもりですか? この辺りにカブトムシは生息していませんよ。っていうか、どうして虫網の中にジュース缶が入っているのですか? しかも……おしるこって、見てるだけでも汗が溢れてきそうです」
まさか野生のおしるこ缶が生息していようとは……、と呟いて彼女はブランコから飛び降りた。
そのままスタスタとベンチの方へ歩いて行き、横に設置されている自動販売機に硬貨を投入する。
「ありゃ?」
「どうかしたのか」
僕もブランコから降りて、彼女の横に後ろへ向かった。
「お金がたりません。正確には小銭が足りません。恵んでください」
中身を見せ付けるように、彼女はがまぐちの財布を広げた。確かに小銭が乏しかった。しかし、紙幣はそれなりに入っていた。
紙幣がそれなりに入っていた!
「お、おい。きみは何歳だったっけ? 確か中学生だったはずじゃ……」
「……あっ、しまった。しっぱいしっぱい。飢えたハイエナにお金を見せちゃいけなかったですね。忘れてください」
「誰が飢えたハイエナだ。別に僕はそんなに貧乏ではないよ。むしろ小遣いが増えて潤ってるくらいだ」
「どうしてお小遣いがアップしたんですか?」
「あー、えっと、いろいろあったんだよ。いろいろ」
「そうですか」
と、彼女はさして気にしていないように頷いて、さっと手のひらを向けてきた。
「なんだい?」
「バカですか。小銭が足りないから恵んでくださいってことですよ」
「硬貨がないなら紙幣を使えばいいのよ」
「なんですかそれは、マリーなんとかのマネですか? 寒いですよ。いいからとっとと小銭を出してください」
冷めた瞳でそんなことを言う年下だった。
本当にあの生徒会長の妹なのだろうか? 遺伝子レベルで別物のような気がする。
「お姉ちゃんとは違いますよ」
――と、彼女は僕の心を読んだかのように言う。
「この場合、お姉ちゃんが私と違うと言ったほうが正しいのかもしれませんね」
「……それってどういう?」
「そのうち分かると思いますよ。というか分かってるんじゃないですか? 知ったかぶりは気持ち悪いだけですよ。本当はあなただって分かってるはずです、お姉ちゃんの本当の性格を」
「…………」
なんだか似たようなことを最近言われたような気がする。
知っているのに。
気づいているのに、知らないふりをしている。
「おっと、あなたと真剣な話をするにはまだ時季が早すぎますね。とにかく、硬貨を出してください」
「ちょっと待て、だから硬貨がなければ紙幣を使えよ」
「この自動販売機は一万円札に対応していないのです」
「全部万札だったのか……。もう君は喫茶店にでもいけばいいよ。ブルーマウンテンでも飲んどけ」
「私は見た目は中学生なので、喫茶店とかコーヒーとか、イメージに合わないんですよ」
「……見た目は?」
「おっと、失言ですよ。言い間違いですよ。細かいことに突っかからないでください。だからあなたはモテないんですよ」
足元をすくってやるつもりが、罵倒を持ってして返された。酷いというか、なんというか悲しくなってくる。
それにしてもどいつもこいつも……。
段々面倒になってきた。あいつもそいつも思わせぶりな態度ばかりとりやがって。相手させられる僕の身にもなってもらいたいものだ。
うん。
まあ、いいや。
抵抗すればするだけこちらのライフポイントが削られるような気がしたので、僕は諦めて、財布から小銭を出してやる。
「ありがとうございます。この借りはいつか返させてもらいますよ」
「期待しないでまってるよ」
なんだかデジャビュを感じるやりとりだった。
誰とした会話だったっけ?
「炭酸か……ウーロン茶か。どちらがより子供っぽいと思いますか?」
彼女は受け取ったお金を自販機に突っ込んでそんなことを言った。
僕は適当に応える。
結局、自販機から出てきたのは炭酸飲料でなければウーロン茶でもなく、オレンジジュースだった。僕のアドバイスはもちろん、自分から提示した二択すらも彼女は無視しやがった。
どこまでもケンカ越しな子だ。
プルタブを開けた彼女は、腰に手を当ててジュースを煽り、プハアと一息ついた。その一連の動作は、大学生の従姉妹がたまにやっていた動作だ。ジュースとビールの違いはあったけど。
なんとなく、手持ち無沙汰になった僕は虫網からおしるこを取り出して飲むことにした。まだ缶には熱は残っているし、額からは汗が自然と垂れてくる現状ではあるのだけれど、冷めてしまったおしるこを飲むのには抵抗があるので、汗を犠牲にしてここで消費してしまおうと思ったのだ。
夏休みの公園。
蝉の鳴き声だけが順調に響き渡っている。休日の公園だというのに、人の姿は見受けられない。僕は小学生だった頃は毎日、遊具で遊んだものだけれど、今の子供たちはデュエルに夢中なのだった。
そうだ。今日は新作パックの発売日だから、子供たちも公園で遊ぶことをせず、カードショップで列に並んでいるのかもしれない。
「ねえ、きみはパックを買いに行かないのかい?」
僕は聞いた。
彼女は応える。その瞳はやはりどこか遠くに向っているようだった。
「興味ないですね」
「ん? きみデュエリストなんだろ? だったらやっぱり新しいパックは嬉しいんじゃないのかい。きみのお姉さんは行列に並んでたよ。それとも並んでまでは買うつもりはないとか?」
「いえ、私は今回のパックを買うつもりはありませんよ」
「……自分のデッキで活躍できるカードが収録されてなかったとか、そんな理由かい」
「ええ。まあ、そんなところですよ。ペンデュラムなんていまさらすぎて……」
「え?」
「あっ、なんでもありません。とにかく私は買いませんよ。むしろあなたはどうなんです? デュエルを始めるつもりはないんですか?」
「するつもりはないよ。いまのところは」
「可能性はあるということですか?」
「……微量だけどね」
揺れている。
散々デュエルを拒んできたくせに、今更ながら、デュエルしなければならないような気がしてきている。理屈ではなくて、直感のようななにかが僕の心を揺らしているのだ。それは心境の変化などでは決してなくて、環境の変化によるものだった。
でも、それをすることで失ってしまうものがある。どうしたって気にかけずにはいられない。
デュエルをするべきか、しないべきか。
まさにペンデュラム――振り子のように心が揺れる。
揺らされる。
「ふふふ」
と彼女はそこで微笑んだ。手のひらを唇にあて、押さえたような笑いだった。仕草と表情がまるでアンバランスだ。
「そこまで動いているのなら、十分成果は出ているということですね。もうダメかと思っていましたが、ちょっとだけ希望が沸きました。そうだ、これをあげます。お姉ちゃんのことよろしくお願いしますね」
がまぐち財布から取り出されたのは、デュエルディスク引き換えの当たり券だった。
*
「いやっほー、岬野……じゃなかった遊凪くん! まさかきみが夏祭りに興味を示すなんて思ってもみなかったよー。ちぃーちゃんびっくりして目玉が飛び出そうになっちゃったじゃないか、どうしてくれるんだい。損害賠償だっけか慰謝料だっけか? なんでもいいからもしものときは金銭を要求してやるからね! 今のうちに働いて十分に蓄えをしておくといいよ。って、あれあれ? 生徒会長さんとご一緒ですかい旦那! 岬野……じゃなかった遊凪くんもなかなか罪に置けないやつだねえ! おし、ここはちぃーちゃんが二人の門出を祝って出店で何かご馳走してあげよう! 綿菓子でも焼きそばでもたこ焼きでもイカ焼きでもリンゴ飴でも、なんならヨーヨー釣とかでもオーケーだよ。おすすめは杏飴だけどね。って、どこいくのお二人さん! どうして他人のフリをするんだよ!」
境内にて、ちぃーちゃんとうっかり遭遇してしまった僕たちは、彼女から逃げるべく、人の波をかきわける。
勘違いしないでもらいたい。門出もなにも、僕たちは二人切りで祭り会場へやってきたわけではない。双橋も一緒だ。けれど、祭り会場である明日宮神社の境内にやってきた途端、双橋は消えるように姿を暗ませたのだ。好奇心旺盛で食欲のある彼女のことである、おおかた出店巡りの旅に出かけてしまったに違いない。
だから、別にちぃーちゃんから逃げるようなやましいことはなにひとつないのだけれど、なにせ今日の彼女は無駄にテンションが高くて絡みずらいし、何よりあらぬ噂がたちそうなことを大声で口走るものだから、世間体を気にして僕と生徒会長は目配せで会話をして逃走する道を選択にしたのだった。
「ちょっとーまちなさいな! ちぃーちゃんを邪険に扱ったら後でとんでもない災いに見舞われるよ!」
人で出来た壁の向こう側からちぃーちゃんの喚き声が聞こえる。鮮明だったそれは、距離を離すたびに小さくなり、いつしか境内で流れ始めた和風なBGMによってかき消された。
人の間を掻き分けて、明かりの少ない場所に逃げ込んだ。
大木を手の支えにして呼吸を整える。ひとごみを駆けるのは少々体力を消費するみたいだ。
Tシャツにジーンズというラフな格好の僕でも疲れるのだから、びっしりと本格的な浴衣に身を包んでいる生徒会長はもっと体力を消耗していたことだろう。
「はぁはぁ……ここまでくれば大丈夫だろう」
一度は言ってみたかった悪役から逃げる主人公みたいなセリフを口にしながら、生徒会長の方を見た。
見返した。
見渡した。
見回した。
見失っていた。
ありていに言って、はぐれた。
「オーノー……」
双橋という迷子に近しい人物が既に存在するというのに、生徒会長とまではぐてれしまうだなんて、面どくさ過ぎるだろ。
なんだかこの先のルートが確定してしまったような気がする。どうせあれだろ。僕が二人を探している間に、祭りは終わって、それで気づいた頃には二人とも家に帰っており、僕一人が残されているというパターンだ。
なんといってもこの境内、広いのだ。山の中枢を円状に切り開いて作られている明日宮神社は大規模なテーマパークレベルの敷地を誇っているのだ。とてもではないけれど人探しに適しているとは言い難い。ひどい話は続くもので、この辺りは人の少ない山の中ということもあり、携帯電話の電波マークは消失していた。
うん。
わかってるんだ。ここ最近の不遇な扱いを体感していればな。
両手に花で夏祭りを満喫できるだんて呑気なことを考えて内心はしゃいでいた数時間前の僕を殴ってやりたい。切実にタイムマシンが欲しい。
「んー。やあ久しぶりじゃないか、岬野御影」
僕が落ち込んで両手の平を地面につけていると、誰かが声をかけてきた。
その役者のような作った声色には聞き覚えがある。いつぞやのお坊ちゃま――喜四郎だった。
僕が顔をあげると、彼は坊ちゃんカットの金髪をふらりと揺らして優雅に続けた。
「いや、今は遊凪御影と呼ぶべきだったな。俺としたことがとんだミスを犯してしまった。すまなかったな。なんだったら迷惑料でも払ってやるよ」
やはり演技がかった口調だった。わざと間違えやがったのかもしれない。
ともかく、と僕は立ち上がる。
「やけに情報の収集が早いじゃないか。きみは僕のストーカーかなにかかな?」
「それでもいいがな。まあ、なんだ。きみの苗字が変ったって情報はたまたま耳に入っただけさ。それより、どうだ。最近は元気にやってるのか?」
「親しげに近状を聞いてくれるな。きみと僕とはそんなに親しい間柄じゃないだろう」
「連れないことを言うじゃないか。いや失敬。きみの情報はある程度洗っていた時期があったからな。どうしても情がわいてしまうのさ」
ふん、僕は鼻を鳴らして応えた。
喜四郎の服装は場にそぐわないものだった。ぶっちゃけると異質だ。ぱりっとしたスーツ姿って……夏祭りにスーツ着てくるやつがどこにいるんだ。
いや、違うのか。祭りが目的じゃないから、格好が歪なのかもしれない。
「なんだいご挨拶じゃないか。人のことを見て、そんな呆れた顔をするなんて」
「気にしないでくれ。僕だってしたくてしてるわけじゃないよ。っていうか、どうしたんだ今日は? ボンボン様が庶民のお祭りに興味津々ってわけではないんだろ」
「うーん。するどいところをついてくれるじゃないか。そうだね。祭りが目的ってわけじゃない。あっ、そうだ。よかったら食べるか? そこの出店で買ってみたんだ」
ビニール袋から取り出されたのはデュエルモンスターズアイスバーだった。
祭りが目的ではないと言っていたけれど、それでもちゃっかりエンジョイはしているらしい。臨機応変というか柔軟性が高いというか。底の知れないお人だった。
暑かったこともあって、僕は彼からのプレゼントを素直に受け取っておくことにした。パッケージを破き、チョコレート味のそれを口に含んだ。甘い味覚と共に、キンとした刺激が歯茎で生まれた。
ボンボン様も同様にビニール袋からアイスバーを取り出して口にする。ちょっぴり眉が引きつった。どうやら口には合わなかったらしい。
僕たちは大木を背にして祭りの明かりを眺めながら立ち尽くしていた。両手に花は叶わなかったけれど、こういうのも青春っぽくていいのかもしれない。
「御厨夏目」
唐突に、喜四郎が言った。
いや、不意を突いてきたというわけではないか。むしろ喜四郎が御厨の名前を出してくることは当然の流れともいえた。現状で僕と喜四郎の唯一の接点は御厨夏目を除けば他にないのだから。
「彼について、きみは何を知っている?」
「……情報収集ってやつか。ご苦労なことだな。でも残念だったね、僕は御厨について語れるような情報を持ち合わせていないよ。たまに絡まれる程度しか接点はないからな」
「いや、俺がしたかったのは情報収集ではないんだ。どちらかというと警告だ」
「は? 警告?」
警告だって?
そんなのは今更すぎる。できることならもう少し早い段階で言って欲しかったものだ。おかげで僕はやつとの接点を持ってしまい。押し倒されるまでなってしまったのだからな。
「おっと、これは結構真剣な話なんだぜ」
と、前置きをして彼は告げた。
――御厨夏目。
「やつには歴史がない」
*
歴史がない。
詳しく聞くと、それは来歴不明を意味しているとのことだった。
言い回しがキザ過ぎる。なんて、そんな呑気な突っ込みをする気にはどうしてもなれなかった。
――高校入学以前の記録が残っていないらしい。
どこの小学校に通い、どこの中学校に進み、どこから引っ越してきたのか、それらの情報が浮かび上がらないのだという。
それだけではない。
高校以前の記録がないというのはどうやら枕詞のようなものであって、実際にはもっと深いところに御厨夏目は位置しているのだとか。
今現在、高校一年生である御厨夏目――その素性すらも、およそ把握できていないらしい。
両親の顔すらも浮かび上がらないのだとか。
血液型から誕生日など、プロフィールとなりうる情報元が明るみになっていないところから察するに、ことの異常性は際立っている。
そもそも。
喜四郎がどのような情報網を所持しているのかは知るところではないし、興味のないところではあるのだけれど、しかし少なくとも、抹消されていたという四年前のデュエル大会を洗ったことからして、その技術は確かなものだろう。
なのに、その彼がただの一般人であるところの御厨夏目の素性を調べきれていないというのはおかしなことだった。
ただの一般人。
それは果たして、本当に……
「極めつけには、やつの現住所すらも伏せられてるって点だ。これは異常だ。いくら個人情報保護が行き届いた現代社会であったとしても、ガードが固すぎるにもほどがある」
「さらりと危ない発現をするなよ。壁に耳あり障子に目ありだぞ」
「おかしい。明らかにおかしい。現に遊凪御影、きみの歴史は洗うことができたんだ。住所なんてワンクリックで割り出せた。なのに、御厨夏目のことに関しては霧がかっているようだ。個人が有するセキュリティの範疇を越えている」
ガリっと、喜四郎はアイスバーを噛み締めた。クール気取りな彼にしては珍しい表情になっている。
うーむ。
正体不明――来歴不明。
「まるで、高校入学と同時にこの世に生まれ出たような存在だ」
喜四郎が呟くように言った。
あるいは小さい声で叫んだのかもしれない。
御厨夏目。
彼のことを僕はよく知らない。
女みたいな顔をしていて、同じ学校に通っていて、同級生で、短気で浮き沈みが激しくて、そして双橋遊奈に興味を示している。ただその程度の知識しか僕は持ちえていない。
うーん。
そもそもどうして喜四郎はそんな話を僕にもちかけてきたのだろうか?
警告と言っていたっけ。
確かに素性のわからない人間と接点を持ち続けることはとても危険なことのように思えるし、実際、危ない橋渡りになることだろう。喜四郎がわざわざ忠告してくれるのも不思議な話ではない。
でもきっと、それだけが目的で喜四郎は釘を刺してくれたわけではないだろう。
僕が御厨と同じ学校に通っていて、微量ながら接点があるから、だから僕にその話をしのだ。
暗に、御厨夏目について探ってくれと、そう訴えられているように直感した。
確かに同じ学校に通っている僕ならば、遠隔では拾えないような近接的な情報網を得ることができる。極端な話、職員室にでも忍び込んで御厨の個人情報を拝借することも不可能ではないはずだ。
いや。
いやいや。
あれこれ秘密裏に事を運ぶ段取りで考えてしまっているけれど、別に隠密的な方法で御厨のことを調べる必要性はなくないか?
僕のときにそうしたように、喜四郎が直接、御厨夏目とコンタクトを取ればそれですべてが解決するだろう。
目的の本質は御厨の素性を把握することではなく、彼が持っているカードにあったはずだ。
……もっとも、そのカードを持っているという情報は、僕が流したガセネタなのだけれど。
「うん。なんにしてもこんなところでする話ではないんじゃないか? 御厨のやつにどういうカラクリがあるのかは僕にもわからないけれど、今この時にあげるような話題ではないだろ」
「ふー。まあ、そうだな。少なくとも祭りの最中でするような話ではなかったな。すまないスマートさに欠けていた」
「まあ、いいけどさ。……益体もないんだよ、お前の話は」
と僕は吐き捨てて、アイスバーの棒をクズカゴに放り投げた。しかし、どうやら僕にキザな態度は似合わないらしく、クズカゴの縁で弾かれた木製のそれは、奇麗な円を描いて地面にぶつかった。
熱くなった頬を手のひらで叩いて、僕はゴミを拾ってクズカゴに直接放り込む。
そうだ。
忘れかけていたけれど、デュエルモンスターズアイスバーには特典カードが一枚付いている。さきほどポケットに突っ込んでいた小袋を開封してみると、やっぱりというか、なんというかデュエルディスク引き換え用の特殊カードだった。
不自然なほど順調に物事が進んでいる。
進みすぎている。
「あー、くそ」
ちょっぴりむしゃくしゃしたので、八つ当たりのように僕は手を振った。
「じゃあ、またどこかでそのうち会おう、喜四郎さんよ」
せめて最後くらいはと、気取った態度で別れを告げた。
それでも、どうしても僕にキザは不適合らしい。
「おい、ちょっとまて。遊凪御影。せっかく再会できたんだから一緒にお祭りを見てまわろうぜ。俺もひとりで暇を持て余していたところだからさ」
ぽい、と余所見をしながら放られた木製の棒は奇麗な軌道を描いて見事にクズカゴにおさまるのだった。
ホールインワンかよ。
持ってるやつは持ってるよね。
「ひとりって、今日は執事の爺さんは一緒じゃないのか?」
「ああ、今日は有給を取っているからな」
「…………」
有給って……。
執事にも休みがあるんだなぁ。
いや、当然か。ついつい自分のイメージを優先して物事を考えていたけれど、執事だって休みの日ぐらいあってしかるべきだものなあ。休日も取れないようじゃ、過酷だもの。
なんて、心の中でかしわをついてみたけれど、実際のところ執事がどのような雇用条件の上でなりたっているのか僕は知らないので、もしかしたら有給制度は喜四郎宅が設けているものなのかもしれないし。
というか、あの爺さんが休みになったところで、他の執事を側近に付ければいいだけのことじゃないのか?
そんな疑問が浮んだけれど、結局、僕には言及する権利も必要もなかったので深くは突っ込むことは控えることにした。
「さあ、行こうぜ遊凪御影」
気分を切り替えたらしいく、彼は軽快な足取りをしていた。
断りきれる理由をを持ち合わせていなかった僕は承認することこそしなかったけれど、喜四郎が後ろをついてくることを拒みもしなかった。
減るものではないのだ。
人の波に割り込んで、出店を横目に横断する。提灯のほのかな光をバックにしながら、穏やかでいて力強さを持ってた太古の響きに耳を傾ける。焦げたソースの臭いは、ついさっきアイスを食べたばかりだというのに食欲を刺激した。境内の広さに比例するように会場の雰囲気は整っていた。お祭りに参加した経験は小学校以来のことで、それも学校のグラウンドで催された小さな規模のものだったので、今夜はちょっぴり新鮮な気分だ。
昔はヨーヨー釣や射的やらに熱を出していたっけ。今となっては、興味はほとんど食べものに集中するようになっている。ヨーヨー釣をしたところで、水風船なんて必要なく、射的をしたところで景品は邪魔になるだけだ。
そう思うと、歳を取ったことを実感する。
「なあ、遊凪御影。あれはなんだ?」
喜四郎が指を指す。
僕はその方向へ首を向けた。
そこでは見知った顔が真剣な表情を浮かべていた。
「さあ! 行きますよ生徒会長! 次の一枚で決着をつけてあげます」
「遊奈にそれができるかしら! 言っておくけれどこのターンを逃したら次の私のターンで終わるわよ!」
双橋と生徒会長を発見した。
二人が熱中しているのはデュエル――ではなく、神経衰弱だった。出店の催し物のひとつらしい。相撲でも出来そうな大きな舞台にテーブルを設置して、大々的に催されていた。トランプではなくわざわざデュエルモンスターズのカードを使っての大会だった。そこまで流行りに乗っかってやる必要はないんじゃないかなぁと思う。
神経衰弱という地味な競技にも関わらず、意外と人気があるようで、ステージの外は円状に人の塊が出来ていた。歓声が上がっているのがシュールだ。
「なあ、遊凪御影。あれはなんだ?」
僕が聞き逃したと思ったのか、喜四郎が同じ質問を繰り返した。
どう説明していいのか、本当に僕はわからなかったので素直に「知らない」と応えて、僕はその場から離れることにした。
迷子になった二人を探していた身としては、一石二鳥のラッキーな遭遇ではあったのだけれど、状況が悪かった。
双橋と喜四郎を会わせるのはまずい。
とあるカードを探しているのが喜四郎であり、そのカードを持っているのが双橋なのだ。
僕が嘘を吹き込んだことによって、喜四郎は御厨がカードを持っていると思ってくれている。だから真実が知れてしまっては後々面倒なことになってしまう。
仮に双橋がカードの所持者だということが明るみになったところで、大きな問題があるわけではないけれど、注意するにこしたことはない。喜四郎がいくらお金を積んだところで、双橋が大切なデッキを手放すとは思えないのだけれど、お金で解決できなかった場合、喜四郎がどのような手段を行使してくるのか未知数なのだ。
ストーカーまがいの行為をするようなやつである。表面上は相手をしてやるにしても、心を許すわけにはいかないのだ。
と、
そんなことを考えながら人の間を縫って逃げるように歩いていると、胸の辺りにドンという衝撃があった。
気をつけていたつもりでいたけれど、どうやら通行人とぶつかってしまったらしい。
「あっ、ごめんなさい」
「呑気なものね。あなたはもう少し周りを見て生きるべきだわ」
漆黒のツーサイドアップ。
制服であろうと浴衣であろうと、彼女の特性に変りはないようで、今日も今日とて、黒煙のようなオーラが彼女を包み込んでいた――そのように見えた。
明日宮雅だった。
「せっかく甘味でまどろんでいたのに、とことん気分を害してくれるわね。とりあえず弁償してくれるかしら」
彼女のその一言から一拍遅れて、僕は状況を理解した。
続いて感覚が走る。
冷たい。
彼女とぶつかったとき、ソフトクリームが僕の胸元に付着したしまったらしい。それも、ごっそりと。彼女の手元に残されたカップコーンが寂しく見えた。
「ご、ごめん。弁償するよ……って、不注意でぶつかったのは僕だけじゃないだろ。きみだって同罪じゃないか。僕だって服を汚されたんだからこの場合フェアにいくべきじゃないか?」
「小さい男ね。そんなだから、幸が薄いのよ。あなたの連れの男を少しは見習ってみたらどうなの」
「連れの男?」
僕が一緒に歩いていたのは喜四郎だけだが、どうして彼を見習う必要があるのだろう?
そう疑問に思って、喜四郎の方へ視線を向けてみると、彼は出店でアイスクリームを注文している最中だった。
なるほど、確かにできる男である。
見習えと言われるのも納得だ。
しかし、
「カードでお願いします」
「ああっん!? なんだテメェ! ケンカ売ってんのか! アタイの前でカードの話をするんじゃねえ!」
「えぇ……」
行動力は素晴らしい彼であったが、残念ながら結果が伴っていなかった。カード払いの有無で出店の店主ともめているらしかった。
さすがボンボンなだけあって、どうやら彼、現金を持ち歩いていなかったらしい。
ていうかさっき、デュエルモンスターズアイスバーを買っていなかったっけ? あれはどうやって調達したのだろう……。
うん。
まあ、出店によって支払いの方法に違いがあったのだろう。
「そこをなんとか、カード払いをお願いできないだろうか? カッコつけてしまった手前、ここで引いたら名が廃るんだ」
「はぁ? 知るかよ、テメェの事情なんて。だからアタイの前でカードの話はするなって言ってんだろ! とっとと失せろ」
「そ、そこをなんとか」
喜四郎さん、頑固だった。
クレジットカードに対応していないお店で必死にお願いしたところで、無理なものは無理だろうに……。プライドより常識を重視して欲しい。
「あれを見習えばいいのか?」
「……訂正するわ」
さすがの明日宮さんも引きつった顔をしていた。きっと僕も同じような表情になっていたことだろう。
「だから、カードの話は……って、いい加減にしやがれ!」
「いい加減にするのはきみの方だ。取引してもらわないと僕の威厳に関わるんだ。後生だからカードでお願いしたい。それでもダメだというのなら、物々交換ならどうだ」
「はぁ? 物々交換って……無理だ無理だ。諦めて帰ってくれ。こっちだって商売なんだ。っていうか、アタイは雇われてる身だからな、アタイの一存で勝手なことはできねえよ」
「そこをなんとか」
「…………」
気の強そうな店番の女の子がたじろいでいた。
喜四郎さん、やっぱり何をしでかすかわかったものではない。双橋と彼を会わせるのは阻止するべきだと、心の中で僕は固く誓いを立てた。
「止めなくていいのかしら?」
「やっぱり、止めたほうがいいかな……」
さっきから他人のフリをしながら、一歩引いた距離から喜四郎のやりとりを傍観していた僕と明日宮さんだったけれど、店番の女の子も困り果てたように遠い目になっていたので、そろそろ止めに入るのが、僕のするべきことだろう。
……っていうか、今更だけど、店番の女の子に見覚えがあると思ったら、やはり知り合いだった。
派手な色の髪をポニーテールにまとめて、エプロンスタイルで腕を組む彼女――呉羽美香子に、僕は声をかけた。
「やあ、久しぶり。ってほどでもないか」
「ん? おお、岬野じゃんか。カードショップ以来だな。元気してたか」
さっきまで難しい顔をしていた彼女だったけれど、僕と顔を合わせた途端、何事もなかったかのようにけろっと明るくなった。
せっかく気持ちの切り替えをしてもらったところ、申し訳ないけれど、話を戻させてもらわなければならない。
「こいつ僕の知り合いなんだ。悪いな迷惑かけた。偶然の再会を崩すようであれだけど、今回は退散させてもらうよ」
言って、喜四郎の首根っこを掴んでその場から退散を試みる。
「ちょっとまて遊凪御影! ここで引くわけにはいかないんだ」
「まだ抗うのか……」
未練がましいにも程がある。引き際が肝心なんですよ、何事においても。頑張ってなんとかできることと出来ないことが世の中には沢山あって、どう考えても今回は気合でどうにかできる話ではないのだ。
どうにかしていい問題ではない。
お金絡みは面倒でしかないのだ。
「おい、待てよ岬野」
撤退しようとしていた僕たちに、引きとめの声がかかった。
「ここで会ったのもなんかの縁だ。アタイがなんか奢ってやるよ! ソフトクリームでいいか?」
「えっ、いや、それは悪い。知り合いだからって気を使ってもらう必要はないよ。こっちは迷惑かけてしまったんだし……ああ、でも物品を調達したいって気持ちはあるかな」
離れた位置からやってくる明日宮さんの視線を感じて、僕は弁償の件を思いだした。なんだかんだで有耶無耶しようと思っていたけれど、よくよく考えるとソフトクリームのひとつぐらい買って返すのは容易いことだし、後々面倒にならずに済むだろう。こうして引きとめられてしまったことだし、ここは財布の紐を緩めるのが最適な回答だ。
「うん。奢ってもらうのはあれだし、お金は払うよ」
「いや、アタイが奢るぜ」
「それは悪いよ」
「気にすんなって言ってんだろ! あたいが奢るって言ってんだから黙って頷け」
「…………」
あれ?
なんだかとても既視感がある。
呉羽は自信満々の表情で、機械を使ってコーンカップにソフトクリームを巻きはじめた。有無を言わさず、行動に移してやがる。
先ほどの喜四郎と呉羽のやりとりを目の当たりにしている僕としては、ここで呉羽に硬貨を押し付けたところで、受け取ってもらえる未来が想像できない。
彼女も強情がすぎると思う。
「はい、お待ち! ひと巻きサービスで多くしといたぜ。気をつけて食べろよな」
「ありがとう。……でもやっぱりお金を」
「だから金は要らないって言ってるだろ。ほら、客も並んでるし、それもってとっとと去りな」
確かにお客さんが待機を始めていた。会計をするかしないかという私情で粘るのは営業妨害に繋がる。素直に恩を受けて立ち去るのが得策か。
「どういうことだ!」
これ以上ないほどの引き際だったのに、掘り返す男がいた。僕の支配から逃れ、ぐいぐいと呉羽に突っかかっていく喜四郎さんだった。
いい加減にしてもらいたい。
「どうして俺のお願いを足蹴にして、遊凪御影には開放的な態度を取るんだ! 差別を感じるぞ、そういうのはよくないと思う」
「ああ? テメェは大概にしとけよ。アイツは友達だったから情があるけど、見ず知らずのテメェにあれこれしてやるつもりはこれっぽっちもない。……って、遊凪?」
「おっと、きみは知らないみたいだね。彼は岬野御影ではなくなったんだ。そんなことも知らないで友達を名乗っていたのか、恥ずかしいやつめ」
「なんだとテメェ! アタイをバカにしてやがるのか!」
小規模な争いが幕を開けた。
なぜだか胸を張って威張る喜四郎と、眠たげだった目を見開いて怒りを露にしている呉羽のふたりは僕の苗字の話題から始まって、その後なぜだかケンカの内容は二転三転して知識の披露合戦に発展してしまっている。
出店に並んでいたお客さんたちも、ふたりの長話にしびれを切らせてしまったらしい。苦笑いを浮かべながら去ってしまった。
白熱を続けるふたりの小競り合いを、ジャマをするような気力もスキルも持ち合わせていない僕は、ソフトクリームが溶けそうなことも合わさって、戦場からの離脱を決意した。ふたりの戦士に心の中で敬礼をしながら、明日宮さんの姿を探す。
きょろきょろと人の波を見渡して、見つけた。
出店でビニールプールと格闘する明日宮さんの姿が目に飛び込んだ。
喜四郎と呉羽の取るに足らない言い争いを傍聴するのに飽きてらしく、ヨーヨー釣に洒落込んでいるらしい。
「吊れてるかい?」
「…………」
肩越しに彼女に話かけてみたけれど、返事は返ってこなかった。ワナワナと震えている様子から、良好ではないことが窺えた。
彼女は深く息を吐くと、針のなくなった細い紐を釣屋のおっちゃんに渡して、僕と顔を合わせることもなくズカズカと足早に遠ざかって行く。その背中は恐ろしいことに怒りの色に染まっているようだった。ヘタな言葉をかけると逆鱗に触れてしまいそうだ。
だから僕は無言で、黒い霧を目印にして後を追う。
気づけば人通りのない道に入っていて、木々のトンネルを抜けて、たどり着いたのは無人の広場だった。
祭りの音が薄く、木製のベンチや錆にまみれた小さな遊具が寂しそうに配置されている。周辺に雑草が生い茂っていることから、どうやら使われていない公園なのだろう。
どうして境内に公園があるのか疑問に思ったけれど、ここはどちらかというと境内の外であることに思い至った。山に出来た十円ハゲのような公園だ。
祭りの雰囲気もそれなりに良いものだったけれど、こうして外から明かりを眺めるのも風情があって大変よろしい。
明日宮さんは雑草を踏むようにして退けて、ベンチにハンカチを敷いてその上に腰を落ち着けた。
「明日宮さん。これ、どうぞ」
僕がソフトクリームを差し出すと、明日宮さんは鼻で笑って受け取った。
「なによ。ちょっと溶けてるみたいね」
「そりゃ夏だからね。溶けるのも早いよ」
再び明日宮さんは鼻を鳴らして、手首に伝った雫を舌で拭った。そして溶け切らないうちに食べてしまおうとぺろぺろを始め、無言になった。
「明日宮さんって、ここの神社の関係者?」
僕はそれとなく聞いた。
明日宮さんは応えない。
うん。
まあ、どうでもいいことだった。言っておいてなんだけど、彼女の素性がどんなものであろうと、僕には関係がないのだ。
……間を持たせる方法がない。
ソフトクリームを渡さなければならなかったから、彼女のことを追いかけてきてしまったけれど、ここからどのような行動に繋げればいいのかわからない。何かコミュニケーションを取っておくべきなのか、それとも立ち去るべきなのか。
いや。
第一に僕がやるべきことは、Tシャツに付着したソフトクリームを拭き取ることなのかもしれない。すっかり馴染んでしまっていたものだからうっかり忘れていた。触ってみるとべたべたして指が不快だ。
幸いなことに、公園内には蛇口があった。水が通っているかわからないけれど、捻ってみる価値はあるだろう。
「待ちなさい」
Tシャツを軽く水で洗おうと裾に手をかけたとき、明日宮さんから声がかかった。
「これ、使いなさい」
差し出されたビニール袋に入っていたのはTシャツだった。気がつかなかったが、どうやら小脇に抱えていたらしい。
「あ、ありがとう。でもどうしてこんなの持ってたんだ?」
「当てたのよ。射的で」
「射的……」
僕が呉羽たちのケンカを見ている間に、彼女はお祭りをエンジョイしていたらしい。僅かな時間ではあったけれど、その間に射的とヨーヨー釣をするぐらいなら余裕はあったのか。
「もらってもいいのか?」
「どうぞ。私からの弁償。これでフェアでしょ。扇風機の件もあるし、これくらいの借りは返すわよ」
クールともそっけないとも取れる態度だった。
てっきりキツイタイプの人だと僕は思っていたのだけれど、そうでもなかったらしい。
嬉しくなって、さっそく着替えることにした。よく考えれば女の子の前で半裸を晒すのはどうだろうかと内心疑問に思ったが、あまり細かいことを気にするのも悪いだろう。明日宮さんはソフトクリームを食べながら視線を遠くに向けてくれているみたいだし、着替えをしても、お巡りさんを呼ばれることはなさそうだ。
『デュエル最高やん☆』
そんな文字が踊っているTシャツだったけれど、これも些細なことである。
*
「飼い殺しってやつかしらね――」
明日宮さんが唐突に口を開いた。言ってることは穏やかでないのに、コーンカップをがりがりと齧りながらではシリアスな雰囲気は霧散してしまう。
僕は困って頬を掻いた。彼女のとなりに腰掛けるのは違う気がして、雑草の足場に立ったままだ。
祭りの音が鈴虫の合唱と合わさって調和していた。遠くからやってくる提灯と月の光が頼りない影を作っている。夜の公園で女の子と二人っきりという男子高校生なら小躍りしかねない状況のはずなのに、どうしてもロマンチックには感じられない。
ドキドキはする。
ハラハラといったほうが適切かもしれないが。
「手放すことができないあまりに、鎖で繋いで大事にキープして、それで善人ぶった態度で堂々としていられるなんて、あなたは鬼か悪魔の生まれ変わりなんじゃないかしら」
クスリ――と。
明日宮さんは小さく笑った。
どうやら鬼とか悪魔とか、そういうのは彼女なりのジョークだったらしい。自分の発言で自分のツボを刺激してしまうなんて、意外と愉快な人だ。しかし、少しは言われた方の身になってもらいたいものである。
「明日宮さん。きみはどうしてそんなに僕の……あいつのことを気にかけるんだ?」
「まるで私が自分の意志で構ってあげてるみたいな言い方ね。私だってなにも好きであなたたちに固執しているわけじゃないわ。人は生きていく上で、嫌なことだってやらなくちゃならないの。私の仕事の一部をあなたたちの件が担っているのよ。だからしかたなく相手をしてあげているわけ。ここは重要だからしっかり覚えておきなさい」
「仕事って?」
「……あなたは、わかってるはずよ」
明日宮さんを取り巻いている黒い靄のようななにかが、ぶわりと波打った。比較的に明かりの乏しい場所なのに、どうしてか漆黒の動きを鮮明に捉えることができた。
いや――錯覚だろう。
彼女の剣幕にたじろいだ僕の目玉が、そのような幻覚を脳に送っただけなのだ。
――ふぅ。
と、明日宮さんは自分を落ち着かせるように深呼吸をして、手元に残っていたアイスの名残を小さな口の中に収めた。ゆっくりと噛み締めたあと、彼女は背筋を正す。
「――除霊。この世に残った哀れな霊たちを祓うのが私の仕事よ」
「…………」
「驚いた顔ではないわね。苦虫を噛み潰したような顔、っていうのかしら。ベタだけど、その比喩がピッタリね」
「何者なんだ、きみは?」
「私が何者かは関係ないわ。この場合はね。肝心なの何をしているかよ。だから、除霊ね」
微妙な雰囲気だった。
変なやつと関わる機会が最近になって頻発している僕ではあるのだが、ここまでスピリチュアルに溢れている人物は他に知らない。正常な人間を装うのなら、「妄想の中に生きるのも大概にしとけよ!」と罵ってやるべきなのだが、残念なことに、僕は正常から離れた位置に属している。片足だけ。
「ねえ、明日宮さん。きみが本当に除霊が目的だというのなら、どうしてさっさと事を済まさないだ? こうやっていちいち僕を煽る必要はないじゃないか。むしろ僕が気づかないうちに解決してしまえば楽だったはずだ」
「簡単に言ってくれるじゃない。私だってそれができるなら苦労してないわ。世の中には順序があって、考えもなく動けば事態は悪化する。見えてる地雷を踏みたくはないじゃない。だから適切なタイミングになるまでこうして待機しているわけ」
「順序、か。本当に思わせぶりなセリフばかり吐くね。僕だって暇じゃ……いや暇だったな。僕は暇人ではあるけれど、間延びは好きじゃないんだ。もやもやしている時間は嫌いだから、はっきりさせてくれよ」
「よく言うわね。間延びさせているのはあなた自身じゃない。見ないふりして関係ない顔して、それで時間稼ぎしているくせに。やっとアレの存在を認めたくせに、まだ耳を塞ぐつもりなのかしら? 振り回されているかのような態度はやめなさい。あなたは傍観者ではないわ――」
――加害者よ。
ひやりと。
明日宮さんの声と交じるように、冷たい夜風が首筋を撫でた。
「勘違いしないでね。私は死体蹴りをしたいわけじゃない。あなたを焚きつけるのも私が踏むべき工程の一部なのよ。それにいくらあなたが逃げたところで、もうじき事態は動きだすのだし、いい加減現実と向き合う覚悟を決めておきなさい」
「……そうなったら、きっと面倒なんだろうな」
ぽつりと僕の口から本音が漏れた。
祭り会場から太鼓と演歌が聞こえてきた。盆踊りが始まったらしい。そういえば、双橋と生徒会長は盆踊りに興味を示していたことを思いだした。きっと今頃ゆっくりとしたリズムに合わせて身体を動かしていることだろう。
二人が呑気に踊りに興じている姿を想像すると、ちょっぴり和んだ。けれど、同時に、ケンカをしている姿もよぎった。やっぱり彼女たちは対立している方が絵になる。
――デュエルは向かい合わないと始まらない。
「あなたは逃げ癖が過ぎるのよ」
「背を向けることって、そんなにいけないことなのかな?」
「別にいいわよ。勝手にすれば。私の知ったことではないし、あなたの人生なのだから好きにすればいいわ。だけど、後になって助けを求めても、救済は望めないわよ」
言うと、明日宮さんは腰をあげて、僕と目線を合わせた。
長いまつ毛の奥にある漆黒の眼球は、しっかりと見開かれている。彼女を象徴するその色は、とても奇麗に輝いていて――そして鋭利なものだった。
「終わると終わらせるでは、まるで結果は異なるわよ。どちらが賢い選択なのか、あなたはわかっているはずよ」
浴衣の袖から取り出したカードを、彼女は僕に向ける。
例によってあのカードだ。
「アレが身を潜めている現状、私は仕事を果たすことができないわ。けれど、あなたにとってこの状況は動けるチャンスでしょ。一歩でも前に進んでおきなさい。問題が山済みになったらあとあと泣きを見ることになるわ」
――宿題は早めに片付けなさい。
「…………」
彼女の言葉に突き動かされるように、僕は無言でカードを受け取った。これで五枚のカードが揃ったことになる。
抗っても埒が明かないことは、僕だって十分承知している。デュエルをやめてから今日までの間、悩むことはいくらでもあったし、処理しなければならない事案は沢山あったのだ。頭ではわかっているし、理解していることではあるのだけれど、どうしても向き合うことができなかった。
覚悟を決めれば、すぐに解決する問題なのに、僕はそれを先送りにして、悩んでいるふりをしながら無駄な時間を過ごしてきた。
――夏休みの宿題とか。
――人生の宿題とか。
それがいけないことなのは十分承知しているし、未来において自分の首を絞める驚異になることだってわかっている。
でも、理解していても人間は動けないものなのだ。辛いことと向き合うのは誰だってしたくない。少なくとも僕は進めなかった。
進んで欲しくない。
――より良い未来より、より良い過去を求めている。
進むこともできず、かといって後戻りすら許されない僕は、停滞した時間の中で溜まっていくばかりのストレスに押しつぶされそうになりながら、今日も震える手でカレンダーをめくるのだ。
終わりがやってくるそのときまで。
「でも、僕は、やっぱり……」
「過去と決別できないのなら、それでもいいわ。あなたが動かなくても、時間は流れるのだから」
清ました足取りで、彼女は境内へと向った。僕とすれ違う際に、小さな言葉を残して。
「これから本番が始まるけれど、命をかける覚悟だけはしておいてね」
やっぱり。
未来ってのはどこまでも不安だらけだ。