教室へ向かうまでに冬士は機嫌を直そうと必死で寄り道を繰り返していた。
すでに1限目が始まって30分ほどが経っているであろう時間だが、冬士の機嫌はいっこうに直る気配がない。むしろ悪化するばかりだった。
「―――」
イライラの理由は分かっている。
暗い考えにふけっている時は、ほかの人間たちの平穏な日常が恨めしくなる。自分はあんな夢にうなされたにもかかわらず、千夏は傍にいなかった。声をかけてくれるはずの家族たちが近くにいない。それが苦しい。
「…」
しょせんその程度の理由だ。
冬士は自販機でコーラを買って横のベンチに腰掛けた。
「…あ」
ポケットを探ったがスマホはなかった。寮の部屋に置いてきてしまったらしい。
千夏への手っ取り早い連絡方法がない。
イライラは募るばかりだ。
これが理不尽な怒りであることなど百も承知している。
だからこそ冬士はそんな理不尽を誰かに押しつけたくなかった。
理不尽を受けるのは自分だけで十分だ。
龍冴との会話を思い出す。
「お前の両親な、呪術がかけられてるんだ」
「は?」
なぜそんなことを突然言うのかと不思議に思った。龍冴は眉根をひそめた冬士の頭を撫でた。その目に同情の色はなかった。当り前だろう。そもそも彼の話からするならば、呪術をかけられている冬士の両親のうち、父親のほうは龍冴の息子である。同情されるのは本来なら龍冴のほうだったはずだ。
「しかも結構厄介なヤツだ。 お前、西洋魔術についての知識は?」
「…ほとんどありません。 ダチが1人佐竹のエスソシスト科に行ったのを知ってる程度です」
冬士の答えに龍冴はうなずいた。
「じゃあ、西洋の精霊や妖精の悪戯については?」
「…ゲームとか小説くらいなら」
「よし。 なら、“取り替え子”っていう悪戯は知ってるか?」
「…はい」
冬士はそれだけで何となく理解した。
「…理解が早いのも考え物だな」
「…俺のこの体質のせいなんでしょう? その辺の資料は読みましたから、拉致の方法くらいならいくらでも知ってます」
冬士はそう言って龍冴の目を見た。龍冴はまた冬士を撫でた。ガキ扱いするなと言うことすらできない。だってガキ扱いしてくれた人なんて、冬士には数える程度しかいない。そもそも、その中に父親は入っていない。
「…冬士、まずお前の体質についておさらいしておくぞ。 まずお前は、混気体質だ」
「はい。 混気体質とは、己の確固たる霊気を持たず、肉体の中で霊気をとどめる力がない又は極端に弱い体質のことです」
「そうだ」
混気体質とは、空気中に当り前に存在している霊気と自分の霊気が混じってしまい、意識を失ってしまったり、そのまま存在が消えてしまったりする体質でもある。混気体質の子供が神隠しに遭ったらまず二度と戻ってこない。そのまま死んでしまっていると考えたほうがいい。混気体質と呼ばれる子供は1国につき1人か2人ぐらいの確率でしか生まれないが、混気体質一歩手前のような子供はごまんと生まれる。だからこそ、混気体質の子供を守るための封印術が発達した。
「通常は封印をされているため混気体質であることはまずばれない。 でもお前はばれる」
「―――」
「その原因は俺だ。 すまない」
龍冴は頭を下げた。冬士はやめてくれ、と小さく言った。
「そんなことされたってどうしようもないですよ。 …影山について調べてみましたが、情報まったくなかったです」
「ああ。 影山は土御門の闇の一つだからな。 そう簡単に情報漏洩はさせねえさ」
龍冴は顔をあげた。
「影山は人工的に生成りを作っていた家だ。 な? キチガイな家だろう?」
「…仕方ないんじゃないっすか。 ダークバーレルだってそんなもんだったじゃないですか」
冬士は息を吐いた。
「まあな…だが、影山のそういう仕事はもう70年くらいはやってない。 俺の先代までしかやってねえってことさ」
「…まあ、戦争で生成りは使われるでしょうね」
「…ああ。 それは後々話していくとして。 お前の母親…彩月ちゃんはな、お前が腹の中にいるときに、酒吞童子に接触されちまったんだ」
「!」
酒吞童子と言えば、昔大暴れした鬼の最強固有名詞と言っていいものである。
「…そんな鬼が?」
「『ああこいつか、お前の腹の中にいる』って言われたそうだ。 ちなみに酒吞童子は今お前の護法になりたがってるぞ」
「…生まれる前から鬼に付きまとわれてるってのかよ…」
冬士の呆れたような声に龍冴は苦笑いをした。
「お前はおそらく生まれつき心に鬼が生じやすかったんだろう。 そして酒吞童子の後に絡んできたやつがお前を今の状態にしちまった」
「…そんなもったいぶらないで下さいよ。 また固有名詞でもついてるんですか」
「ああ―――茨木童子だ」
「もう俺は人間じゃないですね」
「真面目な顔のままパニックになるな、冬士」
龍冴に肩をぽんぽんと叩かれて、冬士は深く息を吸った。
茨木童子と言えば酒吞童子の右腕でかなりの強さを誇っていたと伝わる鬼である。
「こっちも護法に立候補中だ」
「今御影よりも自分が恐くなってきました」
「フツー喜ぶところだがな」
龍冴は横に置いていたカバンからプリントを取り出した。
「これはお前に張られている結界についての資料だ」
「…童子結界?」
童子結界。正しくは鬼が張る結界のことだが、冬士にはこれが張られているというのである。
「かいつまんで話すとな、童子結界ってのは内側から出て行くのは防げるが、外から入ってくるものは拒めない」
「…それ、混気体質にとっては最悪じゃないですか」
「ああ。 いまさらでなんだが、酒吞童子も茨木童子もおそらくお前を堕とさず鬼にしたがってる。 お前はカノンって呼んでるのか、あの金鬼だがな、おそらく童子結界の影響で召霊された以上の本体まですべてお前に食われてるんだ」
「…鬼を食うって…」
冬士は青ざめていた。自分のことなのに、得体の知れない化け物の話をされている気分だ。
「生成りになった以上、死ねばどちみちお前は鬼になる。 だが、死ぬまでにダチを助けたいって思いながら過ごすか、人間を憎みながら過ごすか、それだけでお前は悪鬼にも善鬼にもなる」
冬士は考える。
「…そりゃ、善鬼になりたいですけど。 …どっちかっていうと、千夏たちの隣に立ってられるなら…どっちでもいいっすね」
龍冴はまた苦笑いした。
「…それはこれからのお前の生活にかかってる。 …とにかく、お前は童子結界をかけられたから、周りの霊気を取り込んでいった。 ただ、お前はもともと水気が異常なまでに凝縮されてるようなタイプの霊気だ。 むしろ周りの霊気を取り込んで人間の霊気にだいぶ近づいてる感じだ」
「…そういや、御影入った後はとくに狙われにくくなりましたね」
「お前の水気とカノンの金気と御影の木気のバランスが取れてるんだ。 本当はあと火気と土気があればお前を混気体質のどうのと言う必要がなくなるんだがな」
龍冴はそう言って今度は真面目な顔になった。冬士は表情のコロコロ変わる爺さんだな、と思った。
「…お前を取り換え子でさらったのは解鬼会だ。 それを追ったのがダークバーレルだ」
「…野本先生を疑ってないんですか?」
「…憎くないわけじゃない。 だがこの時にはダークバーレルを追うのは祓魔局だった」
冬士は小さく笑った。
「俺がお前を取り返しに行ったんだ。 後悔はしてないが反省はしてる」
「…その間に親父とお袋に呪術がかけられたんですね」
「そういうことだ」
龍冴はそこまで話をして、時計を見た。
「げ、今日集会あるんだった。 悪いな、冬士。 この話はまた今度」
「待ってください」
「?」
出て行こうとする龍冴を呼びとめた冬士はこれだけは聞きたいと一歩前に出た。
「その呪術、まだ解けてないんですよね? 何でですか?」
「…」
龍冴は頬を掻いて、言いにくそうに言った。
「…実は、西洋魔術が術式の中に組まれていてなぁ。 祓魔局と仲が悪い俺たち十二神将以下陰陽局だけじゃ、あの術式を解けなかった」
「…」
「気を悪くしたのなら謝る。 でも、これだけは覚えておいてくれ」
冬士が龍冴の目を見ると、その目は何かに縋るような目だった。
「冬士、お前は嫌われてなんかねえ。 愛されてなかったなんて思うな。 少なくともお前の母親は。 彩月ちゃんは。 お前を愛しているよ」
「―――」
あの言葉が頭から離れない。
嬉しかった半面、どうして母は直接自分に言ってくれないのだろうと思いもした。きっとその答えは自分が問いただすべきではない。その理由を知っている気がする。
冬士は空になってしまったコーラの缶をゴミ箱に入れて立ち上がった。
まだグラグラとしてはいるが、だいぶ落ち着いた。
もしもやばくなっても、きっと千夏が何とかしてくれる。
あれ、千夏に頼ってるな。頼りすぎれば荷物になるのは嫌というほど知っているはずなのに。また千夏に迷惑かける気なのか、俺。
冬士は自問自答する。ゆっくりと深呼吸をする。
頭の中がこんがらがったままなのは、自分の知識量が圧倒的に足りていないからだ。調べていけばきっと何か道筋を立てて考えることができるはずだ。
冬士は教室棟へ歩き始めた。
混気体質・・・霊気が安定していないことが特徴的であり、男でも陰の気を纏っていたり、女でも陽の気を纏っていたりするため、見鬼からすればめんどくさいことこの上ない。また、生成りになることが少なく、そのまま人間の意識を持った霊獣になりやすいため、霊獣にされて調教され、人格が崩壊する者もいないわけではない。霊獣にするためには殺す必要があるが、そのことはあまり知られていない。