どんなに落ち着こうとしても、何かとぶり返すことになるらしい。
教室に入ったら烏丸先生に声をかけられた。今は、大人の声を聞きたくない。
まあ、そんな自己防衛のためのわがままなんざ言ってられるわけもない。俺は謝罪の言葉を述べて席に着いた。何か話し合いの活動中だったらしいのだが、俺が来たことで止まってしまったようだった。
「…千夏、何の話してたんだ?」
「えっと、体育大会。 ほら、1年はまだ式神とかも使えねーじゃん? だから何するか決めようって」
「クラスごとの発表らしいよ」
犬護がそう言ってきた。柔らかそうな栗毛だ。いじりたい。
「冬士はなんかやりたいことあるか?」
「…わかんねーよ、俺中学でも体育大会参加したことねえんだぞ」
「あ、そっか」
千夏はうなった。俺と千夏と勇子と大輔は同じ中学だが、生成りである以上まともに体を全部使うような運動をすれば生成りは簡単にタガが外れて霊獣の運動能力が出てくる。昔はそれで横にいた人間の頭を潰してしまう生成りがいたらしい。
言わずもがな、俺と大輔は体育大会に参加したことはない。
「…3年ぶりだな…」
小さくつぶやいたら、千夏が小さく笑った。
「―――!」
それが、誰かの笑顔と重なった。
よく知っている奴の笑顔と重なった。
アイボリーのふわふわの柔らかそうな髪のアイツ。
赤い眼はちょっと大きくて、きらきらしていた。
「…冬士?」
千夏の声が遠くで聞こえる感じがする。
なんで、こん、な。
『冬士…ここ、どこだよ…』
『知らねえ…』
あ、やば、い。
フラッシュバックして来てやがる。
『ほら、ご両親の役に立てるんだよ?』
うるせえ。
記憶の中の物のくせに。
過去の事象にすぎないくせに。
俺の今を、かき乱すな。
「おい影山、どうした。 顔色が悪いぞ、保健室に行け」
「―――!!!」
俺の肩に掛けられた手。
誰の手?
この手は誰のもの?
ここにあいつはいる?
さっきまで隣にいた千夏を、感じ取れない。
恐い恐い恐い恐い恐い―――!!
それに最初に気がついたのは千夏だった。冬士が自分を見つめたまま動かなくなったのだ。徐々に青ざめていくのも見えた。
烏丸がすぐ後ろから冬士の肩に手をかけていた。
「烏丸先生、危ないッ!」
勇子が叫び、千夏が烏丸を突き飛ばした。あたりに一気に水気が満ちて、気温が2度ほど下がった。
「冬士!」
千夏が右手で冬士の頬に触れた。見る見るうちに凍りついていき、千夏が苦痛に悶絶した。
「―――ッ!!」
冬士の瞳に光はなく、虚空を見つめていた。
「冬士、冬士しっかりしろ、冬士!」
勇子が小さく舌打ちしてホルダーから符を取り出した。
「我らの身を温めよ。 急急如律令!」
あたりをオレンジ色の炎が包んだ。
「春樹! 冬士に土符を投げて!」
「そ、そんなことできるわけないだろ!」
「全員凍りついて冬士を人殺しにしたいなら結構ですけど?」
「! なんて恐ろしいことを言うんだきみは!」
春樹はホルダーから符を取り出した。
「荒御霊を鎮めたまえ。 土剋水! 急急如律令!」
投げられた符は冬士に届く前に霧散してしまった。しかし、冬士の眼には光が戻ってくる。
「…あ…?」
「冬士! 大丈夫か?」
「…」
冬士は千夏を見て、小さくつぶやいた。
「俺…千夏を…」
「冬士、俺は大丈夫だから。 落ち着け、な?」
千夏が笑いかけると、冬士の眼に宿った光が揺れた。
「…千夏―――悪ィ…」
その瞬間、どっと鬼気があたりにあふれた。
「!!」
勇子が止まった。
犬護はへなへなとそこに座りこんでしまった。冬士はふらふらと教室を出ていく。
「とう、じ」
かろうじて大輔が出した声に、冬士は何かつぶやいて、そのままドアを閉めて消えてしまった。
「大輔…冬士、なんて?」
千夏の問いに、大輔は小さく息を吐いた。
「…記憶と目の前の現実の境がなくなった、と。 あれは、そうとう煉紅の一件が堪えてる」
千夏はギリッと唇を噛んだ。血が流れる。
「千夏…」
春樹が小さく言う。朱里は犬護のそばで犬護を支えていた。
「…鬼に近づいたらやばくなるのはわかってた…なのに冬士を一人にしたのは俺だ…俺の責任だ…冬士が起きるまで傍にいればよかった…!!」
千夏の後悔の言葉はほとんどの生徒が気絶してしまったAクラス教室の空気に消えていった。