犬護は小さく息を吐いた。
体育祭の出し物はダンスに決定した。
冬士はいなかったのだが、もうさっさと決定されてしまった。冬士は精神的にふらついているということで、もしかしたら体育大会への参加はないかもしれないと言われもした。しかしそれを千夏が受け入れるはずはなく、「アイツは絶対に参加する」と言い切った。
犬護は大輔とともにダンスの振り付けを考えなければならなかった。そもそも犬護はあまり細かい動作は得意ではない。大輔のように人型の霊獣ならばいいのだが、犬護のように完全に四足歩行型の霊獣だったりするとどうも細かい動きがうまくいかない。まあ、鬼3人に妖狐1人、山犬1人である。たった2人のためにぶち壊しにするわけにはいかない。
「燎、ちょっといいかな」
犬護が呼ぶと、燎が近づいてくる。2人が仲良くなったのは、冬士を介してである。正しくは、直接冬士は関わっていないが、翔がとりなしたのだ。冬士と仲の良い犬護と、あまり言葉を交わしたことのないままあの冬士の鬼気に中てられた燎。燎は流石にいきなり鬼気にさらされて冬士に反感をもったらしい。しかし冬士も生成りなのだからいろいろある、と、この半日で気持ちを片付けてきたとのことだった。
「どしたの」
「ほら、ダンスの振り付け、僕らが一番問題になるでしょ? どの動きがしにくいかなって思って」
「あー。 俺あれ無理、ほら、これ」
燎が肩を左右上げて見せた。翔がこれか?といって肩で波を作って見せた。
「それ!」
「…鎖骨がないからかな?」
「猫だったらできたかな」
「…」
言えない。
犬護はその動きができる。
「犬護?」
「…聞いてよかった…個人差あるね…」
「お前これできるのかよ!」
燎はえー、と声を上げる。
「…間をとるにはいいんだがな」
大輔が小さく言った。
「…ごめん、しっかり練習してくればよかった…」
「しゃーねーだろ、男子は組体操ばっかだろうし、お前ちっちぇえから上のほうだろ?」
「ちっちゃいって言わないでよ!!」
「175センチからすりゃあちっちぇえの!!」
「…じゃあ冬士からすれば赤石もちっちぇえな」
「ぐッ…」
翔が止まる。犬護は首をかしげた。
「冬士君ってそんなに大きいっけ?」
「アイツ180下らねえぞ」
「げ、そんなにでかかったっけ」
「あ…そう言えばそうだね。 僕ちょっと見上げるもん」
犬護はうんうんとうなずく。犬護の身長も172センチである。そこそこの身長はある。
「…って、そうじゃねえだろ。 とにかく、振り付け考えよう」
「そもそもどの曲を使うのかを決めて…」
「どんな曲がいいかな」
「明るいのがよくね」
「ぜってー冬士のちゃちゃが入るぜ…」
そうして話を続けていく。
そんな彼らのために今日もお菓子の袋が大量に籠の中に入れられている。籠はさすがに皆が持ってくるものだから置き場所を決めようということになり、烏丸が持ってきたものである。
空は青い。
まだ5月の上旬だ。
だが、窓はほぼ全開にされている。そのうちクーラーが点くようになるだろう。
犬護にとっては、こんなに楽しい思いをするのは久しぶりだった。
「…ほんとに冬士君今日来なかったなあ…」
寮に帰ってきて、犬護はケータイを開いた。そこには、メールがいくつか届いていた。
「…あ、清水君だ…」
メールを開くと、そこには、『ポスター見たぞ、お前の体育大会見に行ってやる!』の文字。
「…」
犬護の表情が曇った。
「…清水君、か…」
中学の時、犬護には友達と呼べる友達はいなかった。
こうしてメールをよこす清水という人物は、犬護が生成りであることを最初に知った人物だった。犬護としてはこれ以上の人に知られるとまた転校せねばならなくなる、そんなに家にお金はないのだからばれるわけにはいかなかった。せめて、清水の親にばれるのだけは避けなければならなかった。そうでなければ、また犬神と言われ、親にまで迷惑がかかる。
もう優しいあの両親が、村八分に遭うのは見たくなかった。
だから清水からの無茶な条件も飲んだ。いじめだとわかるようなことをされても何も言わなかったのはそのためだ。
――――――
「お願い…親には、言わないで…!」
「俺たちの親にか? なんで?」
「…なんでもいいでしょ…!!」
「口のきき方がなってねえな、駄犬」
鍵を掛けられた部室棟の部屋の一つ。犬護は清水に殴られたり蹴られたりしながら学校生活を送っており、清水に呼ばれれば必ず出向いていた。
殴る蹴るでは飽き足らず、犬護を犯そうと迫ってきたこともあった。
「…それはさすがに…何が楽しいのか分からないよ…」
「黙れ。 ばらすぞ?」
「…わかったよ…」
あくまでも自分の意思で服を脱いでいたのは記憶に残っている。
それほどまでに、清水を恐れていたのだろうか。
それとも。
生成りだからと蔑む目を向けたことのなかった彼に、縋っていたのだろうか。
「だ―――い―――なよ」
とぎれとぎれで聞こえていた声に無意識にうなずいていた。清水が何を言っていたのかは分からない。
――――――
「…うえ…」
嫌なもの思い出しちゃった。
吐き気が込み上げて来て、犬護はあわてて部屋を出て、トイレのほうに向かった。
すっかり顔は青ざめている。
中学生のころの思い出は嫌なものばかりではなかったが、嫌なことはかなり強烈だ。
とくに、中学3年の時は最悪だった。
ずっと隠していたことを皆が知っていたということを、皆の口から伝えられたのだ。どういう経緯だったかは覚えていない。
しかし、そこにいたるまでにその事実にすでに自分は気付いていた。どこで気付いたのだろうか。それももうわからない。
「…も、やだ…」
なんでこんなことばかり思い出すんだろう。
清水からのメールが悪いことだとは思わない。彼が見に来るということは、見に来るということは―――。
「…なん、だっけ…」
記憶に霞がかかっている。
トイレに着いたのだけれど、吐き気はおさまっていた。
かわりに、何か思い出したくないことに引っ掛かっている気がする。
しかしそれを思い出さなければいけない気がするのだ。
嫌なことだったのはわかるのだけれど。
嫌なことならばたくさん経験している。
自分を生んだだけで蔑まれる両親の姿。周りから犬神と呼ばれ蔑みの目を向けられることにも、いじめられることにも、とっくに慣れていたはずだったのに、どうして中学生の時のはきつかったのだろうか。
「…もう、やめよう…」
これ以上無理に考えたって無駄だろう。
思い出せそうにはない。
犬護は考えることをやめた。
そのまま自室に戻るために来た道を戻って行った。