医務室で目を覚ました犬護が最初に見たのは、霊獣だった。
人の姿をしているが、纏っているのは水気ばかりである。他の霊気は感じられない。よって、純粋な水気によって形作られた霊獣と考えるのが妥当なのだ。
緑が強いがブルーグリーンと呼ぶべき髪に、うっすらと日に焼けたような肌と、髪よりも薄いブルーグリーンの尻尾が服の下からのぞいている。服は浴衣のような姿だった。
「!?」
犬護は慌てたが、霊獣が振り返った。
「あ…気がつきましたか、よかったです」
霊獣は桜色の瞳を犬護に向けていた。笑いかけてくるのがなんとも人間らしい。
「…君は?」
「あ…そう、ですね…僕は、トエと申します。 主は、冬様です」
「とうさま?」
「影山冬士です」
「…」
犬護はふっと考えこんだ。冬士の式神のようだ、ならばうなずける。冬士は基本的に水気を扱うことに長けているらしいためだ。
「…なら、トエは冬士君の護法ってことだよね? 自立してるみたいだし」
「は、はい。 …でも、護法なんて…僕は山村様の体調の管理を任されているんです」
トエはそう言って小さく笑った。どことなく冬士に似ている。少し皮肉っぽいところだろうか。
「…山村君って、確か…教室に全然来れてない人だったよね…?」
犬護の問いにトエはうなずいた。
「山村様はタイプキラーの中毒症状があるので、あまり教室にはいらっしゃいません」
「! タイプキラーって…西洋型に襲われたの? それともエルオデス?」
「…エルオデスだよ」
「「!」」
トエと犬護は声のしたほうを振り向いた。
「山村様…」
「トエ、怒らないよ?」
震え始めたトエに、声の主は笑いかけた。
「…君が、山村君…?」
「ああ」
山村圭吾は、焦げ茶色の髪と、青っぽい瞳をもつ少年だ。髪は短く切りそろえられている。
「お前あれだろ、狼の生成り。 矢竹犬護」
「うん。 …ここに僕を運んだのは…冬士君だったのかな?」
「ああ、影山と神成だったな」
山村はにっと笑った。
「狼って聞いてたけど、お前の髪やわらけえな」
「!?」
犬護がびくっと体を震わせた。
「あはは、俺は触ってねえよ。 トエが撫でまわしてたな」
「や、山村様…!」
トエがあたふたし始める。
「…本音は?」
「…お腹が空きました…」
「影山のやつ…」
「し、仕方ないですよ! 寮だし、2人部屋だし…!」
トエはそう言って縮こまった。
「…霊気の補給がいるの?」
「…矢竹、お前って案外鈍いのな」
「?」
犬護の問いに山村は苦笑いした。
「トエはエルオデスだぞ」
「―――ッ!?」
「失礼な犬っころだな」
声にならない悲鳴を上げて勢いよく飛びのいた犬護に山村はチョップをするように手を動かした。
「こいついないと俺が生活できないんだけどな」
「…あ、そっか。 じゃあトエは陰陽局に登録してもらってるの?」
「はい。 後見を多嶋蓮司第1級祓魔官にしていただいてます」
トエはそう言って少し恥ずかしそうに笑った。変な話ですね、と言って。
「…陰陽局は霊瘴を祓うだけで、霊獣本体を殺すために存在しているわけじゃないから」
犬護がそう答えると、トエはじっと犬護を見つめた。
「?」
「陰陽局だけじゃない、祓魔局や祓魔庁に不満を持っている人は沢山います。 あなたもそんな内の1人のはずだ」
「…トエ、それは霊獣として僕に問いかけているの?」
犬護の目がすっと細められた。
「そうと言えばそうですけれど、違います」
「?」
「あなたの忘れている過去を知っている人をもう1人知っています」
「!?」
それは、冬士以外のもう1人ということか。犬護はトエを見る。
「…それは、誰?」
「…そう問い返してくるということは、あなたには忘れてしまった過去を取り戻す気がおありだということですね」
「そうだよ」
犬護はうなずいた。
よみがえってくるのは転校すると伝えた時のクラスメイトの反対の声と、その時の表情だった。
「…どうして、ですか? つらい思いを、なさったのでは?」
「…それでもね、何かあったはずなんだよ。 いじめられていた記憶から皆が僕の転校に反対する理由になることがどこかにあったはずなんだ。 その理由を知りたい」
犬護がはっきりというと、トエはうなずいた。
「ちょっと待っていてください」
トエはケータイを取り出して誰かに掛ける。いや、その相手は誰への発信なのかなんて見なくてもわかる。
「冬様、トエです。 矢竹様は記憶を取り戻したいとおっしゃっています。 …はい、はい、わかりました。 そうお伝えしておきます」
トエが電話を切って犬護に向き直った。
「…やっぱり冬士君だったんだね」
「…はい。 もう1人の方は、佐竹エクソシスト科の火橋亜門ですから」
「…」
犬護はあれ、と思った。亜門たちに話しかけた時、亜門は自分のことを覚えていないようなそぶりだったということになる。
「…火橋君が覚えているってこと? 僕が話しかけた時には初対面さながらの対応だったんだけれど」
「…詳しいことは僕の生まれる前のことですから、なんとも…。 でも、初対面のはずですよ」
トエはそう言って、再びケータイをいじった。
「?」
「早いほうがいいでしょう? 今日校門前に火橋亜門を待たせます」
「え、それはそれで悪い気がする!」
「彼に予定なんてありませんから。 そもそも、彼にはこのメールが行くのわかってるはずですから」
「…?」
その言葉に少し引っ掛かりながら、犬護は山村を見た。山村は苦笑いしている。
「変なところは影山に似てんだよな、こいつ」
「…冬士君の霊気を食べてたってことだよね?」
「…これ言っていいのか…冬士とこいつ親子だぞ」
「語弊があると思う!」
霊獣と人間の親子というのは、要は霊獣を養育した人間のことを親と呼ぶだけのことである。ちゃんと知っていなければそのままの意味に取るととんでもないことになるのだが―――
「いや、影山はそのままの意味だぞ」
「聞きたくないよ! いろんな意味で冬士君のプライドをへし折る気がするよ!!」
そんな突っ込みを入れつつ犬護はふっと思い出した。
こんな風に、誰かと話し合ったのだろうか。
笑い合っていたのだろうか。
懐かしさを覚える。
懐かしいと思っている時点で、おそらくいつかこんな風景を体験していたのだろう。
皆は自分といて楽しかったのだろうか。
楽しかったと言ってくれた子がいた。
その思いすら自分はうそぶくな、と心の中で罵っていた気がする。
「…なあ、矢竹。 いいこと教えてやるよ」
「?」
山村の言葉に犬護は振り向いた。
「…とある町が、生成り保護条例というのを作ったんだ」
「…何、それ? すごいね、生成り用の条例だなんて」
「すごいだろ。 この条例な、とある中学校の生徒がクラスメイトだった生成りが被害にあった裁判の結果に不服を申し立てて、署名を集めたことで実現したんだぜ」
犬護は目を丸くする。
「…その生成り、どうなったの?」
「…残念。 条例が制定される前に行方をくらませちまったんだと」
「…そっか…でも、よかったね、その生成り。 …皆に好かれてたんだ」
犬護はどこか遠くを見つめていた。
山村とトエが切なげな笑みを浮かべていたが、犬護の目には映っていなかった。
霊獣と人間の親子・・・基本的には霊獣の卵などを知らず知らずのうちに押しつけられてとり憑かれている状態が進行して、霊獣を人間側が認識している状態。