湯島令子は自分の実力はしっかり理解している女だ。だからこそ説得できると思ったのに。説得が上手くいかなかったのは決して彼女だけのせいではないと思う。
実力を測り損ねたのか―――はたまた、俺の中のクソガキを測り損ねたか――。
令子が部屋に施した封印は、間違っていたわけではない。
間違ってはいなかった。
間違っていなかっただけなのだ。
完璧ではなかった。
それだけだ。
「そん、な…!」
こんなはずじゃなかったのに。
いまさら思ってももう遅い。
解放された鬼気が、令子の施した封印を今にも破ろうとしている。
令子は膝を着いてベッドに縛り付けていた封印式をいとも簡単に引き千切った大輔を見上げる。大輔の頭には双角が出ている。窓の外を見れば、すぐそこにまで迫っていた霊獣たちが動きを止めていた。
「…鬼気に中てられたか…」
大輔は小さくつぶやいて、ベッドに座りなおした。
はっきり言って意識はボロボロだ。立っているのがやっとだが、何よりいきなり見知らぬものに触れられたことに中の鬼が怯えているのがよくわかる。
(―――ようはクソガキってことか…)
大輔はふと近くの台の上に卵が置かれているのに気が付いた。
ああ、もうこの卵は孵らないかもしれないな。
少し申し訳なく思った。
鬼気に中てられてまともに立っていられるのは、それより強い鬼気を受けた経験がある者や、自分自身がそれより強い鬼気を放っている者だけである。
それは人間も霊獣も同じだが、霊獣の幼体や卵となってくると少し事情が変わってしまう。幼体や卵は耐性を作る前に、鬼独特の“搾取”の対象にされてしまう。結果、幼体や卵は鬼気に中てられただけで死んでしまうことも多い。
「…冬士…勇子…」
共に暮らしていた、家族の名を呼ぶ。早く見つけてくれ、という、少しの願いを込めて。
令子の施した符が黒く染まる。
符が燃え始め、封印は形をなさなくなっていった。
令子は泣き崩れた。
よく鬼気に中てられてすぐに回復できたと褒めてやるべきだろうな。
そんなことを思いながら、大輔はふっと意識を失いかける。
ここで意識を失えば、どうなるかわかったものではない。
目の前の令子の命の保証はできない。
気を失うわけにはいかないのだ。
「―――よく耐えたな、大輔」
聞き覚えのある声が届けば、大輔はふっと笑った。
「案外早かったな」
「チビちゃんは逃げようとしてたでしょ」
他人様の家の縁側から上がりこむという暴挙に出た冬士と勇子がそこにはいた。
横のガラスを叩き割って蓮司と咲哉も上がりこんだ。
「…やっぱり…この程度の封印じゃ大輔君の鬼は抑えられないよ」
蓮司が言うと、令子はびくっと肩を震わせて蓮司を見た。
「鬼…?」
「4年前の被害者さ。 さ、応急処置と行こうか」
蓮司はすっと青白い紙を2枚取り出した。
「白葉、黒葉!」
「「はーい!」」
紙がポンと音を立てて、烏天狗の姿をとった。
「白葉、黒葉、土行符の強化を頼む」
「はーい!」
「アイス食べたーい!」
「帰ったら買ってあげるから集中して」
冬士、勇子、咲哉も符を準備する。大輔は勇子の袖をそっと握った。
「…怖かったでしょ。 もう大丈夫だよ。 大輔が気を失っても、逃げたりしないでね?」
勇子は大輔の中のもう一つの存在に語りかける。大輔の赤みがかっている程度だったはずの目が、真っ赤に輝いた。
「…勝手に結界抜けやがって…お前が憑いていながらこの程度の黒魔術も破れねえとは。 鍛え直す、帰ったら覚悟しとけ」
冬士が低く言った。苦笑したのは大輔だろうか。
どんっと鈍い音がして、そこに船島と鷹が現れた。リンもトエを抱えて到着した。
「行鎖錬! 船島、水以外何が使える!?」
「金気が使える」
「金行符を強化してくれ。 トエは水行符だ」
「は、はい…!」
トエが冬士が張り終わった水行符の傍に向かう。
「鷹は火行符、リンは木行符ね! 冬士、咲哉、あんたらの霊気貸しな!」
「俺じゃねえだろ、それ。 …鬼使いの荒い小娘だ」
冬士は手の平に小さな石のようなものを作り出す。
「ほらよ」
「ありがと。 蓮司さん、土をメインにしてください。 湯島さん! ボーっとしてないで手伝いなさいよ! 多嶋さん抜いたら次の実力者アンタなのよ! いつもの威勢はどうした!」
勇子は令子に向かって叫んだ。令子ははっとしたように立ち上がる。
「御影…」
「…大丈夫、もう解けてる」
冬士は小さく言って、すっと息を吸い込んだ。
「簡易封印術式の開始を宣言する!」
通常冬士たちが使用しているのは、“属性符”と呼ばれるものである。属性符と“行符”は少し性質が異なる。属性符は攻撃に重点を置いたものであるため、封印への応用が利くが、威力は低くなってしまう。祓魔専用といったところである。
一方の行符。これは封印に重点を置いた代物で、攻撃への応用は利きにくい。その代わり、結界を張ったり隠形の範囲を広げたりするのにはもってこいだ。
冬士たちが行符と言霊によって作り出していく鎖は、大輔の腕をからめとり、動けなくしていく。令子が招いた事態とはいえ、さすがに、鎖でがんじがらめにされているのは、見ているとつらいものがある。
「…ごめんね、大輔君…!」
おそらくかつてこの苦しい状態を体験したであろう大輔のことを考えれば、令子にとっては何が助けるだ、何を豪語していたのか自分はと封印を解いた自分を叩き倒しに行きたい気持ちに駆られる。
鎖は蓮司をベースに、勇子、咲哉、令子、冬士が重ねて5人の霊気で練り上げられたもの。大輔はもう動かない。任せていいと判断し、意識を失ったらしい。
鬼も暴れるそぶりはなく、無事に封印を終える。
「…簡易封印術の完了を宣言する」
蓮司が言うと、ほっと勇子と咲哉が息を吐いた。
「…すぐ暴れるからこうなるんだぞ」
冬士はそう呟いて、封印符を大輔に貼る。
「…終わったね」
蓮司が言い、冬士は頷いた。
「…さて、いろいろ話を聞きたいけれど、移動が先だ。 ここはもうだめだ」
蓮司の言葉に令子ははっと外を見た。そこには、家の中を覗き込んでいる巨大な霊獣の群れがいた。