一閃二閃、傷は広がっていった。
9月16日 曇り 午後5:00時
「ちゃんと気を付けなよ?」
「すいません、ありがとうございます」
買い物の帰り、ぬかるみに嵌まっている子猫を見つけた。
「いやいや、いいっていいって」
思わずあたふたする私。
「買い物の帰りなんですか?」
興味をそそられたのか私の買い物袋に興味を示す橙。
「あっ、秋刀魚ですか」
その瞬間一気に獣の目になる橙。
危ない危ない、思わず買い物袋を隠した。
勢いで隠したけれど、そんな必要がない事に気付いた。
幸う……残念なことに最近、家の主人が家にいない。
その間ほとんど備蓄庫が減る事はないのだが、いつ帰ってくるか分からないので困る。
幸い季節は冬の入りであり暖かくないため、腐ることへの心配が少ないのが救いか。
行き先も告げずに出ていくものだから良く分からない。
何故私を連れていかないのか心底疑問だった。
それは置いといて、食料の心配はあまりしなくて良かったのだった。
「今日、食べにくる?白玉楼に今私一人しかいないんだ」
「そうなのですか!?」
せわしなく体を動かし始めた橙。
行きたくてウズウズしているようである。
「いや、今回は遠慮しておきます」
でも、ニコッと微笑んだ。
「私がそっちにいったら藍様が一人ぼっちになってしまいますので」
「そうなんだ……」
もうそんな時期なのか、紫様が冬眠するにはまだ早いと思っていたけど。
まぁ、今年が早かっただけか、基本的にあそこの主人は怠惰なのでただ一足早かっただけか。
「それでは失礼します、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げ背を向けて帰って行った。
「いいから、ちゃんと気をつけなよぉ~」
「ハイィ~」
背中に掛けた声に返答があった。
「で、私は一人ぼっちなわけだ」
白玉楼への帰り道を急いだ。
―――――――――――――――――
9月14日 午後7:00時
いつも呼んでいなくとも来る家の主人が呼び掛けに答えなくなって、どの位たったか。
最初の頃、いつ帰って来てもいいように、きちんと作っていた多めの料理もいつからやめたのだったか。
庭師としては、それを見る相手がいない事がとても悔しかった。
なにより、自分を置いて行った主人が許せなかった。
自分に出来ることはただいつ帰ってきてもいいように此処を保つことだけ、そんなのは嫌だった。
「今日は鍋にしよう」
手の込んだ料理など面倒くさい。
私はこんなにも怠惰だったか。
少しづつ自分が死んで行く気がする。
外延より出で後に我が核心を蝕むが如く。
私は恐ろしく見事に空洞になっていく。
適当なだけ野菜を切り、肉を入れていく。
他に人のいない食卓のなんと寂しいことか。
うちの主人はあれこれとうるさかったからそれはなおさらであろう。
そろそろ食べ頃である。
箸をつけようとしたその時。
「よぅ、やってるかい?」
突然、縁側の扉が開いた。
「……なんのよう?」
そこには白黒の魔法使いがいた。
「つれないねぇ」
どっこいしょと私の隣に座った。
「ほら」
私に手を向けてきた、ご飯をたかりに来たようである。
「ちょっと待ってて」
台所に向かい一組の椀と箸を持ってくる。
「遅いぜ、妖夢」
敵は私の箸とお椀を持ってモシャモシャと鍋を食べていた。
「ハァ、いただきます」
食べはじめたが会話はあまり弾まなかった。
黙々と自分の家の食卓の如く食べ進む魔理沙。
「妖夢、野菜とってくれ」
お椀を渡してくる、なんだこの人は。
「なにがいいの?」
結局おさんどんを引き受ける私。
「椎茸を頼むぜ」
「そんなピンポイントに……」
鍋にそんな大層な量、椎茸なんていれてねぇよ。
「いつから、あんたの主人はいなくなったんだ?」
空気が凍った。
人にこのことを喋ったことなどない。
いずれ帰ってくる、そう思い続けて今まで周りに助けを求める程のことじゃないと自分に言い聞かせてきた。
気付いた時には手遅れで、もうここに追いかける為の痕跡などない。
ただ整然とした主人の部屋がそこには広がるのみである。
「そんなに長いわけじゃないわ」
しかし、私の口はそれを隠そうとすることはなかった。
「精々、二~三週間程度」
口は驚くほどにスラスラ動く
どうやら自分は誰かにこのことを知ってもらいたかった様である。
「その間、一度でも?」
「帰って来てはいない」
「……そうか」
再び会話に沈黙が降りた。
先程と違うのは、互いの箸は全く動かなくなっていた。
「それで?今どんな心境?」
一瞬、この女を殺してやろうかと思った。
「心境……とは?」
分かり切っていることを聞く。
質問をしてきた少女の顔はニヤニヤといやらしい笑みを顔に浮かべていた。
「だから、主人に捨てられた心境だよ」
瞬間、刃先を魔理沙の首筋ピッタリにくっつけていた。
「その言葉はある程度正しくはあるけど、正鵠を射てはいない」
捨てられてなどいない、その言葉は出てこなかった。
日に日にその不安は大きくなっていたから。
的確なその言葉は私の中を効率的に、実に的確に抉った。
しかしその言葉が完全な答えではない
「確かに私は捨てられた」
刃を鞘に直す。
少女は、少しも恐れていなかった。
瞬きもせず押し当てられた刃を、そして押し当てた私をずっと見続けていた。
「しかし、あの人はここに帰ってきます」
あの人にとっての家は間違いなく此処であり、それは揺らぐことがない、もし違えることがあるとすれば、その時は私が荷物をまとめて去る時のみである。
「帰ってくれば今まで通り、忙しい日常も戻ってくるのでしょう」
いつもへらへらしている私の主人はそんなことで揺らいだりしない。
「それでも、私は悔しい」
主人が黙って出かける時は必ず何かが起きている。
それなのに―
「何故今、私はあの人のそばにいないのか」
「何故私を連れて行ってくれなかったのか」
「私はあの人につかえているのに今何をしているのか」
次々と生まれる言葉は濁流のように流れていく。
「あの人に置いて行かれた、それが悔しい」
別にこの言葉は誰かに充てたものではない。
今まで溜めていた泥が一気に放出されたただの独白。
「それで?あんたはどうしたい?」
少女は未だにニヤニヤとしていた。
「あの人のそばにいたい」
それはすんなりと、随分あっさりとでた答えだった。
「主人が危険に晒されている中で、一人のうのうと生きていたくない」
そう、答えは簡単に出るのである。
問題はその解に辿り着いてから。
「なら、会いに行けばいい」
実に単純明快に物事の回答を出してくれる少女。
「無理です」
しかし、それにはそう答えるしかないのである。
「なんでさ?」
その疑問も最も。
「あの人はとても聡くて、優しい」
いつもはおちゃらけている、面倒くさがり屋だし、食費おばけである。
それでも―
「あの人は本当に危険な時私を巻き込みません」
間違いなく、私の仕えるべき、唯一無二の主人なのである。
「そして、人知れず解決して帰ってくるのでしょう」
それぐらい家の主人には当然である。
「本当は分かっているの」
あの主人が何も悪くないことを。
家の主人は優しくて、大事な所で一人で背負いこもうとする癖がある。
「本当に許せないのは、あの人に足手まといと思わせてしまった私自身」
だから、あの人が私を足手まといと判断したのなら、私は一分の余地もなく足手まといなのである。
「私は自分の弱さが憎い」
今までのことは、それをいじけて不貞腐れていただけ。
「あの人の刀でありたいと思い続けて、それが叶わないのが如何にも悔しくて堪らない」
それでも、意地として込み上げる涙は魔理沙には見せなかった。
そこで、やっと魔理沙が口を開いた。
「妖夢、私もこう見えて怒ってるんだぜ?」
慟猛な笑みを浮かべる魔理沙。
「最初は黙って苦しんでいたお前に、次にそれを気付けなかった私自身に、でも今は新しいムカツク奴が現れがった」
立ち上がり、私に手を伸ばす魔法使い。
「ぶん殴りにいくぞ妖夢」
「だ……誰をですか?」
予測は付いている、この娘はそんなぶっ飛んだことを考える少女だ。
「決まってんだろ? あんたを……私の親友を此処まで虚仮にしたあんたの主人をだよ」
この娘には当てがあるんだろうか。
きっとない、多分ない、いや確信をもって言わせてもらうがない。
それでも、あてのない旅でも、この娘は一緒に行こうと言ってくれた。
私に手を差し伸べてモノクロの魔法使いは言った。
「顔面に一発、ぶちかましてやろうぜ」
そういって不敵な笑みを浮かべた。
今までの経験則が知っている、この笑顔の時のこの少女に、不可能なんてないのだ。
“魔法使いになる”
そういって人里を飛び出したあの日も少女は同じ笑みを浮かべていた。
不可能だ、そう言われ続けていたことへの反撃だった。
血反吐を吐き、倒れたことが何回あったか、四肢が断絶するような痛みを今まで何度味わったか。
私は知っている、この少女の足跡はまさしく血の一滴一滴なのである。
まだ年端もいかない少女が一人きりで生活をしていくことがどんなに大変だったか。
ゼロからのスタートだった少女は走り続けた。
才能も無く、教え導く師も持てず、何もなかった少女は努力し続けた。
そして今少女は魔法使いになっている。
「大丈夫、私も一緒に行く」
そう言って立ち止まった私を引っ張ってでも走らせる。
この少女は誰よりも負けず嫌いで、誰よりも努力家で、立ち止まるのが大嫌いなのだ。
そしてこの少女の一番たちが悪いところは―
「だから、こんなとこで立ち止まってんな」
こうやって周りにも立ち止まることを許してくれないこと。
「こんなとこでウジウジ腐ってんな」
どんなに嫌がってもこの親友は私のことを走らせ続けてくれるのである。
こんな風に不敵な二ヤリとした笑みを浮かべて。
「さっさと行こうぜ」
伸ばされた腕は私の目を捉えて離さなかった。
面倒くさい程感情が溢れてきたけれど、それはとりあえずこの一言に込めることにした。
「殴りとばすのは私が最初だからね?」
とった手は力強くて、再び泣きそうになったことは秘密である。