神世紀298年日本国四国、樹海炎上。
大きくのちの流れを変えた事件と言われるようになる焔の底。ここに確かに地獄が存在していた。
「――――」
火の粉が、世界を赤で染め上げている。
それは、恐怖と絶望。
ただ二つ。この世界にしか存在しない誰にも理解されない阿鼻叫喚が煮詰まった魔女の窯。
むせかえるような肺をを焼く熱波の臭いに、彼女はようやく目の前の事実を理解し始めた。
「うそ、でしょ……なんで、こんなことに……」
絞り出した呟きは爆ぜる焔の音に紛れて消えた。
燃えているのは樹海と呼ばれる神樹が作る結界に存在する木々。そして、それは現実をも侵食してすべてを破滅へと導こうとしている。悪魔の拍手のようにばちばちと音を鳴らして、耐えがたい瘴気をあたり一面に充満させていく。
高熱が皮膚を炙るかのように全身を焼いていた。
生の息吹が、此処には微塵も存在しない。ここには焔だけがあった。
熱い、痛い、苦しい――
だがそれすらも、刻まれた数々の傷に比べれば微々たるものという事実がより絶望を煽っていた。
創傷裂傷死傷殺傷、端的に言って満身創痍。身体を守る精霊の加護はもはや機能を失い、勇者装束はズタボロといっても差し支えない。
まぎれもなく瀕死の姿だ。内臓も壊滅的とあればいよいよもって致命的というものだろう。その上、足が一切動かないことを思えば、もはや致命的を通り越して死んでいるといってもいい。
意識を保つことさえ限界に近い。発狂寸前の激痛が身体を襲っているというのに、死ねないし発狂すらできないのはわずかに残った精霊のなせる業であった。
それでももはや子犬にでもじゃれつかれようものならばばらばらに砕け散りそうなほど。むしろ半端な守りの分苦痛だけが全身を襲う。
目の前に広がる大空間。さながら恒星の如き焔が存在するそこには、人類の敵が数百を超えて、数千、いや数万は存在してその全てが彼女の破滅をいつくしんでいるかのように錯覚して。
頭がやられてしまったのか、そうとしか思えないのは現実があまりにも魔的なものだからだ。
ならばこそこう祈らずにはいられない。
「お願い、――、します――」
正気を失った人間らしく、
自らの身体を抱きかかえて彼女は震えながら天を仰いだ。
ただ一心に、哀切を込めて慈悲を乞う。
「お願い、します、神、樹さ、ま。たすけて、こんな、はずじゃ、なかった。こんなはずじゃ。なんでも捧げるから、お願い、します。終わらせて、助けて」
お役目を全うし守ると誓った。自分のすべてをなげうってでも構わないと信じていたし、実際そうしていた。
そしてそのために大切な友達が、自分がただの捧げられた供物でしかないことを知ってしまった。何もかもを犠牲にして戦った褒美がこれか。それが真実であるのならば、何を迷う必要がある。
こんな世界滅んでしまえ。
自らが招いた結果。文字通りの意味で滅びかけていた世界を滅ぼさんと守るための力を振るって、守るための壁を破壊したのだ。
むろん、そうするために葛藤はあった。だが、何よりも友達は重い。自分だけならばまだ良かったのかもしれない。だが、お役目のために散った友がいた。
その覚悟に報いるために守ろうとした。その結果が、全ては助からず、全ては終わっていて、全てはもはや手遅れというどうしようもない事実であったのだ。
ならばもはやこうする以外に方法などないではないか。生き地獄。ああ、そうともこの世は地獄だ。ならばこそお前たちも道連れとして何が悪い。
そしてそれはすべて間違いだった。
行動の結果、生じたのはもう一人の友の犠牲とそれですら止められない破滅だった。こうなるはずじゃなかった。そう思ってももはや手遅れも手遅れ。
起こした行動は覆らず友に苦痛を強いるだけの結果。そして、全ての滅びに直面して鷲尾須美は我に返ったのだ。
ゆえに願うは救済。恥も外聞もなく懇願する。心臓を抉り出しても構わない。この状況が好転するのであれば神でも悪魔でもいい。ただ一心不乱に奇跡を乞う。
だってこのままだともう終わりだ。すべてが滅ぶ。
根性や勇気でどうこうできる領域など、とうの昔に超えている。
悲劇の幕は上がったままだ。
出てしまった結果を覆したいというのなら、あとはもう奇跡に縋るしかない。
「お願いします――
ゆえに、光よ降り注げ。
今まで人類を守ってきた神樹様、お願いします、どうか、救ってください。
神樹様、神樹様、神樹様――自らの招いた結果にただただ涙を流しながら、鷲尾須美というちっぽけな勇者は天を仰いで絶叫するのだ。
「唵 呼嚧呼嚧 戰馱利 摩橙祇 娑婆訶」
「干キ萎ミ病ミ枯セ。盈チ乾ルガ如、沈ミ臥セ」
よってそれは、純粋であるがゆえに特大の凶兆を呼び寄せる。
即ち、事態は一向に好転の兆しを見せず。
地獄を作り出した
まず訪れたのは、全てを破壊する激震だった。
それが届いた端から破壊というより消滅が巻き起こる。
九つ龍の咢と縦横無尽に伸びる手足、空に浮かぶ逆の十字架から円状に広がる破壊と狂気の病魔。全ての衝撃が狂乱した死の到来を告げている。
とぐろ巻く狂乱――動くだけで激震が巻き起こり、ただそれだけでそこにある全てがはかなく砂と化して消え失せる。
奪い去る病魔――羨ましいぞ、ヨコセヨコセヨコセ。すべてが奪われ代わりに悪質な病魔が押し付けられる。
降り注ぐ樹海の残骸。結界の外でも尋常ならざる破壊がまき散らされ死体が木っ端のように舞うのが鷲尾須美には見えていた。
綺羅綺羅しい樹海の欠片に混じって血と内臓と肉片の混合物がまきちらされ、それらを浴びながら悠々と領域を侵食していく二体の廃神。
ありったけの災禍を纏う人類を滅ぼすためだけに顕象させられた廃神が、己の性能を見せつけながら再び姿を現した。
「ああ…………」
だからそれらを目にした途端、鷲尾は希望を捨て去った。
もう終わりだ。至極自然な道理としてここで死ぬし人類は滅ぶのだと理解する。いや、そもそもこんなものからどうして守り切れると思っていたのかとすら思う。
あがく気力はもとよりない。訪れる死をただひたすらに待つ。もはやそれだけしか彼女に残されたものはない。
友はこれに挑み、塵のように打ち捨てられた。都合二十を超える満開の果て、身体機能のことごとくを喪失し、敗北の海に沈んだ。
滅びの運命からは逃れられない。
廃神の進撃を止められる者はいない。勇者は敗北した。三人の勇者は、1人の勇者が招いた事態によって敗北したのだ。
ゆえに滅びは必定。
神々が定めたままに死に絶えろ人類。
二体の廃神が己に与えられた役割のままに全てを破滅させようとしたその時。
「――救ってやろう。おまえたちすべて、」
鳴り響いた靴の音は、まさしく
ここに、ようやく
「あな、た、は」
この世界に刻まれた数々の人的損失、痛み、そして絶望。
まさしく今は歴史が途絶えようとする空隙。
封神を終えた真なる勇者が、ここに今顕象する。
かつて世界を飲み込まんとした男は、今、世界の危機に立ち上がった。
「そんな顔をするなよ。笑ってくれよ。我が父のように、母のように。
おまえたちは幸せになるべきだ」
そこに立っていたのは第四盧生。かつて世界を
「
変化は如実だ。
まず起きたのは全ての崩壊が消え失せた。甚大な被害、その全てがなかったことになった。
精神すら侵食するほどの重度の火傷が消え失せた。
全身に広がっていた傷が消えている。
何が起きたのか。それを考える前に、目の前にありえないことが起きていた。
「みん、な――」
死んだはずの彼女が、身を犠牲にした彼女が、目の前に眠っていた。
生きている。五体満足で、全てがまるで何事もなかったかのように。
夢だろうこんなものは。自分が望んだとおりのことが起きるなんてありえない。そんな
だというのに、目の前のすべてはまぎれもない現実だった。
――好きに夢を思い描け。そのときおまえは、おまえの中で世界の勝者だ。
――俺はおまえの幸せを、いつ如何なるときも祈っている。
原因を直感する。それは現れた男。それだ。笑みを浮かべた白髪の男。奇妙な風体の男だ。鷲尾の幸せを願う言葉が確かに聞こえた。
「太極より両儀に別れ、四象に広がれ万仙の陣――」
声と共に巨大な何かが来る。
それは見てはならないもの。混沌そのもの。
「――終段・顕象――」
地の底より、来たりおる。
「
かつて一度は離反し、その身ともの滅んだ神格が今再び顕象する。
否、それとは異なる。悪性としての混沌の要素が抜けて、ここに至は真なる鴻鈞道人。
最上位の神仙すら意のままにする丹の持ち主にして、霊宝天尊、元始天尊、道徳天尊の師であるとも言われた神仙。
しかし、これは封神演義に代表される創作であり、本来は神仙ですらないものだ。元来、彼らの師となるような格上の神仙は、本来道教の中に存在しない。
だが、万民から多くの支持を受けた架空の神仙はその存在をあってほしいと願う普遍無意識の海にて存在を肯定された。
ゆえに、鴻鈞道人は二次創作でありながら、そのままの神格を有している。
「救ってやろう。おまえたち全て。わかっている、娘よ」
封神を終えた神仙は、第八等廃神すらかすむほどに強大な力を有している。
ただ一度、腕を振るい神仙の意を放てば二体の廃神は消え失せる。
だが、世界はそれを認めない。
さらなる廃神を呼び起こす。
「Ураааааааа!!」
現れる超獣帝国。莫大な力を秘めた巨大なる人がその姿をさらけ出す。
それだけではない。
「あんめいえぞまりあ。おおおおおおお、ぐろおおりああああす!」
蝿声が生じ、黒い雪が形を成す。正しく悪魔として顕象した蝿声が今そこに悪夢を振りまくのだ。
「あ、ぁああ」
絶望はまだ終わっていないというのか。
まだ絶望が来るというのか。
「あきらめたら、そこで終わりだ。諦めるな。どうしてそこで諦める。さあ、立て、発起しろ。もし、自分で立てんというのなら、心を鬼にして俺はおまえを殴ろう。
さあ、謳わせてくれ、人間賛歌を喉が枯れ果てるほどに。信じているのだ。人間が、この程度で終わるはずがないと」
軍靴と男の声とともに、顕象した廃神はそれこそ木っ端のように消し飛んだ。
何も特別なことをしたわけではない。単純に殴りつけたそれだけだ。それだけで強大な廃神を男は砕いたのだ。
単純に言えば余波でぶっ飛ばした。それだけである。本来は別の意図があったのだが、どうやら盛大に手が滑ってしまったようだ。
だが、男は気にしない。
「さあ、宣言通りに来た。おまえたちの輝きを見せてくれ」
男は宣言した通りにやってきた。
そうとも人間の輝きが失せようとするのならば、その輝きをこそ愛する男が黙っているはずがない。
大外套を翻し、不遜な笑みを浮かべて。
「そして、謳わせてくれ、俺におまえたちを讃える人間賛歌を!」
豪笑でもって戦場を支配する男。
そんな男に対して呆れたように女が現れていた。
「まったく、飛びだして行きすぎだろう。順番では私だと思ったんだがな」
「これはこれは済まないことをした第三盧生殿。正直我慢ならなかったものでな」
「おまえに言っても無駄なのは知っている。なら――」
綺麗な女だった。豪奢な金髪に翡翠の瞳。感じる気品は貴族というものそのものだろう。それも古い武力をもって貴族とした頃の。
それでいて第一音のみをかなで続ける機械だ。鋭利な。
そんな女は、新たに生じた四体の廃神に向けて自らの権能を開放する。
「
ただそれだけで廃神は死に絶えた。
苦しむことなく安らかに。
さあ、雑魚は払ったぞ、そろそろ来たらどうだ真打。
そう言わんばかりに場を譲る2人の盧生。
「まったく。おまえらはいつもやりすぎなんだよ」
さらにもう一つ。軍靴とともに男が現れる。
汚れ一つないインバネスを翻す軍装の男。
自らを指標とする輝きの男がついに来た。
その男こそ近代、最も新しき英雄として称えられた人物。
「柊、四四八……」
今ここに、英雄がその姿を顕象させていた――。
これより四人の盧生による最終決戦が始まる。
絶望は終わった。
これより先にあるのは未来だけだ。
確かな未来が、約束された。
これより先に勇者など現れない。
なぜならば世界は救われるのだから。
「行くぞおまえら」
「「「応――!!」」」
四人の盧生が、絶望を希望に変えた。
ふと思いついて書いたもの。私の誕生日記念。
絶望なんてなかった。
とりあえずいったんこれにて終了。
今後また何か思いついたら投稿します。
予定しているのがいくつかありますが、なかなかかけないのでかけたらあげていく感じにします。
では。