ザアアアァ……
シャワーの水がわたしの体を伝って落ちる。……水の音が恐い。お母さんが殺された日は雨だったから、あの時の事を思い出してしまう。
アンテイクから本屋さんに行って本を買ってもらって、外に出たらお父さんの匂いがした。お父さんが帰ってきてくれたんだ!と私は思った。お母さんの制止の声も聞こえず急いで匂いの元へ走った。なのに居たのは白い服を着た人達と黒い服の人達で。皆恐い顔して私たちを見てた。鬼の顔をした白い髪のおじさんも怖かったけど20歳位の男の人も同じくらい怖かった。あの人たちのヒトじゃないナニカを見る冷たい目がとても怖かった。
あの時お母さんの言うことをちゃんと聞いてたら…………っ。
「ひぐっ……ぅ」
思わず涙が流れる。もう散々泣いて、泣いて、一生分泣いたせいかまぶたが開かない位だったのにまだ涙が溢れてくる。どうして……どうしてお母さんは死なないといけなかったの?私達は人間を殺して食べたりなんかしてない。いつもアンテイクで死んだ人のお肉をわけて貰っていたのに。人に、迷惑かけないようにひっそり生きていただけなのに……。
ーーー大丈夫か?
部屋を挟んだ扉の向こうから男の人の声が聞こえる。その心配そうな声を聞いて、安堵しそうになる自分をどうにか押さえ込む。
……良かった。この人は喰種の私にも優しくしてくれる。
違うっ!この人はお母さんを殺した人の仲間!心を許したりしちゃだめだよ……。
違わないよ。……だってこの人は抱きしめてくれたよ。喰種のひなみを。
……でもお母さんが。
それに、ずっと。ずぅーーーーーーっと、一緒に居てくれるんだぁ。
傍に居るって言ってくれたぁ。
横に流れそうな思考を頭を振って止めさせる。駄目…っ!この人はお母さんの敵なのに……。優しい言葉を掛けないで。貴方に敵意を持てなくなりそう。心を開いちゃいそうで、お母さんをないがしろにしているようで。それはいけないことなんだ。どうしようもなく弱い自分の心が嫌い。誰かに守られないと生きていけない小さな自分。
きっとお父さんは私とお母さんを守るために去っていった。お母さんは私を逃がすために守ってくれた……。……もう家族はいない。
…………世界で一人ぼっちなんだ。
そう考えて、同時に外から雨の音が聞こえた時が限界だった。雨の音に反応してお母さんの姿が脳裏に映る。私に微笑んでくれた最後の光景も、そこから家族3人の穏やかな日常へと移っていく。皆で笑って、泣いて、ゴハンを食べて、たまにお父さんに怒られて。そんな光景も一時で2人とも消えてしまった。
「お母…………さん。会い、たいよ。もぅ…………耐えられない……。ひなみもそっちへ行きたい……」
静かに姿見を壊す。鏡は音を立てながら割れて浴室に破片が散らばる。その中から一際鋭く尖ったガラス片を手に取る。これで喉を一突きすれば……。恐い、恐いけど、お母さんに会いたい…………お父さんに会いたい。震える両手でガラス片を握り込む。震えがガラス片に伝わって先端がブルブルと定まらない。顔の前で揺れる凶器を見て、お母さんを殺したあの白い服の2人を思い出す。
(これでいいんだよね……?幸せでしょ?喰種のひなみが死んで、嬉しいよね)
2人組は笑って頷いた。……やっぱり。喰種は生きてちゃいけないんだ。化け物なんだ。
でも……、最後に優しくしてくれたあの人は嬉しかったな……。最初は怖くて、でも2人組の人とはちょっと違って。家に連れてこられた時は何がなんだか分からないまま。気づいたら争ってたり、私は黙ってたけどおしゃべりしたり……。お兄ちゃんとは違った優しさだった。
お兄ちゃんはきっとなんでも助けてくれると思う。でもあの人は違って、全部は手助けしてくれなくて……えっと、そう。お父さんみたいな感じかな!
恐怖を紛らわすためにわざと元気に振舞って、死ぬ勇気を付ける。
………………………うん。
狙うのは首元。痛いのは怖いから、やるなら一気に。呼吸を整え目をつぶる。すぅ……はぁ。
「っ!!」
一気に振り下ろす。
俺はお嬢ちゃんを風呂場に連れて行った後、浴室の扉に背中を預けもたれ掛かっていた。何度か会話を試みるも、結果惨敗。敗残兵のごとくみじめにお嬢ちゃんの上がりを待っていた。
だが少し静かすぎる。シャワーの音の波に揺らぎがない。変だと感じた俺は何度か呼びかけるも返答はない。まぁ悲しい事にいつものことなんだが、真戸上官ではないが勘で何かおかしいと感じた俺は浴室に入る。もし誤解だったら後で謝ればいいだけのこと。何もなければそれでいい。そうして浴室に入るとスライドドアを挟んでぼやけてお嬢ちゃんが見える。
パリンッ
「なっ!」
ドアを開き、中に入る。するとまさにお嬢ちゃんは鋭利なモノを自身の首に振りかざしているところだった。
「何やってんだっ!!」
「え?」
足元に散らばるガラスに気をつけながら近づき包帯で巻かれた手でお嬢ちゃんの持つガラス片を殴り飛ばす。飛ばされたガラス片は壁にあたって粉々になった。お嬢ちゃんはこちらを向きながら何が起こったか分からない顔で放心している。その小さな肩に両手を載せ大きく揺する。意識を此方に戻すように。
「馬鹿なマネはよしてくれっ……」
「あっ……」
膝をつき目線を合わす。焦点の合わない眼はなにかを探しているように見えた。
「自殺なんて絶対にするもんじゃない……! ましてや、泣く位嫌なんだろ!?」
「あっ、あっ……」
お嬢ちゃんの頬に流れる大粒の涙を包帯で吸ってやる。……一人の親を奪うとはこういうことだ。その子供が受けるダメージは永遠に消えない。自殺に追い込まれるほどの。喰種に奪われる子供を守るために、喰種の子供から親諸共命を奪う。俺がやっているのはこんな仕事なんだ。守るために奪う。……俺は全く正義じゃない。だからこそ、
「ほら、暖かい。人の体温は安心するだろ? そこに人間も喰種もないんだ。お嬢ちゃんの体温は心地良いよ。お嬢ちゃんの良いところ……少しは知っているつもりだから。だから、今はそうじゃないだろうけど生きてれば楽しいこともたくさんあるんだ」
「ぁぁぁ……」
「だから、間違い……だらけだけど。一緒に生きてみないか……?」
「ひぐっ……。……うん」
「落ち着いたか?」
「う、うん。もう大丈夫です」
「じゃぁ、ちょっと待っててくれ」
「あ……」
部屋着のまま抱き合ってたのでびしょびしょだ。一回浴室を出て、タンスから海パンを引っ張り出し着替える。比較的軽傷の右手の包帯を親指の部分を残し巻いて取る。そのまま右手にバスタオルを持ち風呂場に戻った俺をお嬢ちゃんはなにやらもじもじしながら迎えてくれた。
「あ、あのっ」
「はいこれ、バスタオル。身体隠すのに使いな」
「!!?」
お嬢ちゃんは勢いよくバスタオルをウケとり身体に巻きつける。そして腕で胸を隠すように交差し蹲った。顔には恥じらいが浮かんでいた。
「まぁセーフだろ。見てない見てない」
「うそっ!!!」
「くくっ、嘘だよ。洗ってやるから椅子に座ってくれ」
「うぅ~……」
お嬢ちゃんは大人しく椅子に座る。その後ろに俺は立ち、片手にシャンプーを入れたところで思い直し水で洗い流す。来客用のコンディショナー&シャンプーの方を手に取り泡立てる。そのままお嬢ちゃんの髪の毛を洗う。
「俺は妹が2人いるんだ。小さい頃はよくこうやって洗っていた」
「…………」
「片手だけだと難しいな」
「……ひなみ自分でできるよ」
「いいって。遠慮するな。気持ちいいだろ?」
「う、気持ちいい」
「素直だなぁ……」
キューティクルが痛まないようにサラサラの茶髪を揉んで洗う。それに気持ちよく感じられる様にマッサージの動きも付け加える。
「痒いとこはないか?」
「気持ちぃぃ……」
さっと頭皮まで水で洗い流し、今度は自分の頭を洗う。その間にお嬢ちゃんは自分で身体を洗い始め、後から俺も洗う。お嬢ちゃんは遠慮しているのか風呂に入らないので両脇に手を入れ持ち上げる。そのまま二人で湯船に浸かる。俺の上にちょうどお嬢ちゃんが乗っかる形だ。
「えっ? えっ?」
驚くよな。一緒に湯に浸かるなんて昭和的な家族コミュニケーション。
「はぁぁ、生き返る」
「…………」
「ふぅ」
「あの、ね。私、殺されるのかな?やっぱり喰種だから?」
お嬢ちゃんは水面に映る自分の顔を見ながら呟く。
「あの白い服の人達っていっぱいいるんでしょ。だから逃げないと……ずっと、ずっと」
「俺が守るから逃げないでいい」
「っ……」
お嬢ちゃんは歯を噛み締めていた。今の言葉に何を思ったのかはわからなかった。
「それに、さっきは自殺するなとか言ってすまなかった。俺の立場で言えることじゃないな」
「ううん。嬉しかった」
「そうか……。そういや、初めて会った時の本あったろ。あれもって帰ってきたから。まあ……お母さんの形見になればと」
その言葉にお嬢ちゃんはゆっくりと振り向く。
「ありが……とぅ」
抱きついてくるので右手で頭を撫でてやった。するとさらに力強くくっついて来た。今日は特別だ。好きなだけ甘えさせてあげよう。お嬢ちゃんはそのまま安心したように目を閉じる。
俺も少しの間眠ろう。
こんな良い子を育てるのが俺なんかに勤まるだろうか不安だ。もっと精進しないとな。