ですが今回凛ちゃんでませんごめんなさい。
なんとなんの脈絡もなくあの人の出番です。
久しぶりに取り出した銘柄のタバコ、このタイプのものはあの日以降吸ってはいない。
そうだ、ナタリアとその他大勢の命を天秤にかけたあの日以来だ。
そこである意味エミヤキリツグという人間は死に、新たな衛宮切嗣が生まれたと言っても過言ではない。
その際に色々なものを捨て、新たな者を得た。
そしていま右手で握るタバコは真っ先に捨てた過去の思い出だったはず。
「今の僕はまだあの頃の僕に戻れるのか?」
自問の答えはすぐに出る。
答えは否だ。
冷酷な殺人マシーンとしてのエミヤキリツグはナタリアをとった時にひびが入り、そしてアイリスと出会い、イリヤが生まれ、セイバーの願いごと自らの望みを断ち切ったことで完全に砕け散った。それが戻ることはもうない。
「だけど今の僕ではだめだ。大切なものを守るためには」
皮肉なものだと切嗣は呟く。
かつての彼は手の届くところにある小さな幸せを犠牲にしないために自分を捨てた。だというのに、今の自分はその幸せを守るために昔に立ち戻ろうとしている。
これを皮肉と呼ばずなんと呼べば良いのか。
「あと5分か……」
日本一大きく、人通りが激しいことで有名であり、毎日夕方過ぎにテレビを見ればニュースでそこの様子が映されるスクランブル交差点が切嗣の目前に広がっている。
腕時計を見た後人混みを避け少し横にずれてその先へと視線を凝らすがあまりの多さにその中から目当ての人間を探すことは不可能とさえ思えた。
「前ならこんなもん朝飯前だったんだけどな」
自嘲する。
1km先からライフルで何処にいるかも、いつ現れるかもわからないターゲットを探すことに比べれば如何に人が多いといえども時間が指定されて更に自分に向かってくる相手を見つけるなど難易度は雲泥の差だ。
だが今の自分はそれすらも簡単にはこなせない。
「--」
握られたタバコの箱が手の中でクシャリとひしゃげる。
あの日の自分の選択に後悔はない。少なくともこの10年はそう胸を張ってこれた。
今もそれに変わりはない。だが正解だったのかどうかと問われると自信が揺らぐ。
「僕はここまでよわか--」
「切嗣さん!」
家族の顔が過ぎり思わず口をつきそうになった弱音がどこかから自分を呼ぶ声にかき消される。
随分と懐かしい声だがそれを聞き間違えることはなかった。
再び交差点に目を移すと何百人という数の人がまるで波のように押し迫る中にただ1人明確に手を振ってこちらに向かってくる人影が見えた。
その人物の顔を認めた途端切嗣は無意識に顔が綻ぶのを感じた。
「やあ、久しぶりだね--雁夜君」
かつて聖杯戦争で自らが呪われた運命から解放した男、間桐雁夜。
出会った頃の面影は内面的、そして「外面的」にもなくなり明るくなった彼との久しぶりの邂逅だった。
「一体何年振りになるかな?」
切嗣は士郎と話をしたときと同じ喫茶店、同じ席に今度は向かい合う相手を雁夜に変えて座る。
そして同じようにコーヒーをくるくるとストローでかき回しながら彼にそう訪ねた。
「5年振り……ですかね。イリヤちゃんの入学式の時に写真を撮らせてもらって以来ですから……イリヤちゃんは元気ですか?」
雁夜は顎に片手を当ててむむっと考え込むと指折り数えてそう答えると、彼にとっても縁のある愛娘について聞き返してきた。
「そんなになるのか……ああ、元気だ。それにあの娘は今でもあの写真を机に飾っているよ」
切嗣の答えに自分の写真が大事にされているということに嬉しさを覚えたのか雁夜は一見クールそうに見えるその顔をくしゃっと緩ませ破顔し、そうですか。と満足げに頷く。
その笑顔は本当に爽やかなものだ。初めてあったときは違う意味で破れていた顔は今や好青年という言葉以外似合わないようなものに変わっている、というか戻っている。
流石に間桐の魔術の影響で変色した髪の色こそ白のままだが彼自身それはそれで味があると気に入ったうえで放っておいているようなのでそれはまあおいておいていいだろう。
本当の理由がようやく懐きはじめていた姪に自分の外見の変化で怖がられたくないから、というのは火を見るよりも明らかだったこともある。
とにかく間桐雁夜はこれ以上ないほど健全だった。
「それにしてもびっくりしましたよ。何の音沙汰もなかったのに突然連絡寄越すんですから」
「ハハハ、すまないね。偶々雑誌で君が今ロンドンで取材してるって報せを見たものだから……ナタリアには会えたかい?」
「俺の仕事がそれなりに順調に言ってるのが切嗣さんの役に立ててたなら光栄です。
ええ、会えましたよ。かなりこっぴどくやられたみたいですけど」
今まで柔らかなものだった雁夜の表情が真剣なものに変わる。ある意味それは10年前のそれに似ていた。
その変化に切嗣も本腰を入れて集中する。
「ナタリアがやられたと言うのは信じ難かったけど……そうか、直接見たとあっては否定のしようもないか」
ふーっと大きく息を吐くと切嗣は座席の背にもたれかかる。
切嗣の元にナタリアが敗れたという報せが届いたのは大体一週間前だったろうか。
流石に今の状態で日本を開けロンドンに飛ぶことも憚られたのでどうしようかと思っていたのだがそこで切嗣が思い出したのがフリーのライター、そしてカメラマンとして世界中を飛び回っている雁夜のことだった。
雁夜はこの10年で地道に実績を積みそれなりに知名度も上がっていた。
そのおかげで現在地を掴むことも容易く、偶然ロンドンにいたことを知り彼にナタリアの状態を確認してくるように頼んだのだが……残念ながら希望的観測というのは当たらないからそう希望なんて頭文字がつくらしい。
「それで、預かりものがあるんだっけ? まあ流石にそうでもなきゃ帰国することもなかっただろうけど……すまないね。仕事をほっぽりださせることになってしまって」
「いえ、他でもない切嗣さんの頼みですし。それに一度そろそろ桜ちゃんと凛ちゃん、それに慎二君の様子を見に帰ってこようと思っていましたからむしろちょうどよかった」
「遠坂……凛……」
一度ナタリアの事で埋め尽くされていた頭に少女の顔が映った。
6才というまだまだ幼く甘え盛りの年頃に尊敬する父を亡くし、全てを委ねることを出来た母は発狂し母と呼べる存在ではなくなった。
そんな状態でさえ名家の次期当主としての自覚からか何もかもを抑え込んで気丈に振る舞っていた少女の姿が
その時の記憶は切嗣の中で最後に不幸にした人の姿として今も鮮明に残っていた。
「切嗣さん、自分を責めないでくれ。時臣か、あなたか、どちらかが死ぬのは必然だった。もしもあなたが死んでいたら桜ちゃんはあそこから戻れなかった。
あれはもう仕方なかったんだ。」
「すまないね……」
その様子を見かねたのか雁夜が切嗣を慰める。
仕方のなかったこと、片方を救えば片方が零れ落ちた以上どちらかを選び取るしかなかったのだと。
「それにね、葵さんやっと落ち着いてきたんだ。意識と記憶がようやく噛み合いだしてさ。まあ随分時間がたってその分記憶はすっ飛んでたり多少PDSDの症状が出てはいるけど、もう少し良くなったら俺は彼女を凛ちゃんと桜ちゃんに会わせるつもりなんだ」
「なっ!? それは--」
本当かい?という続きの言葉は驚きのあまり出て来なかった。
遠坂時臣の妻、葵は夫の訃報を聞くと壊れた。それこそ廃人のように。
その姿を見た切嗣と雁夜は相談を重ね、彼女をそばに置いておくことで今度は凛が壊れることを危惧し交通事故を偽造、葵を死んだと偽って海外の専門病院に入れていたのだが……回復するとは切嗣は夢にも思っておらず、それは正に寝耳に水であった。
「だからそのことももう自分を責めなくていいんだ--それじゃあ本題に行きましょうか」
にっこりと笑うと雁夜は大きめの茶色い封筒を鞄から取り出し切嗣な手渡す。
その封筒には崩した筆記体でナタリア・カミンスキー、と署名がしてあった。
「ありがとう--なんてことだ……! 時計塔は愚か聖堂教会まで動いているというのか!?」
その中身を見て切嗣は驚愕のあまり声を抑えられなかった。
突然の大声に集まる視線に頭を下げると中に入っていた用紙をもう一度見返すべく更に手元に引き寄せる。
しかしその内容が変わることはなかった。
--クラスカードの存在に奴らが気づいただけでも問題だと言うのに既に実働部隊を動かす用意をしているだと!?一体ゼルレッチ翁は何を考えている?
遠坂の娘とエーデルフェルトを後継者候補とみているなら今すぐに危険を伝え、倫教に引き上げさせなければ命が危ないというのに!
いや、彼女達だけではない。クラスカードに関わっていることが分かればイリヤと士郎も只ではすまない。セイバーがついているとはどういうわけか彼女は弱体化している。安心できる要素は何一つない……!
切嗣を焦らせたのはその事実も勿論のことながら動き出している相手もだった。
時計塔、協会からはナタリアを真っ向からねじ伏せたバゼット・フラガ・マクレミッツ、そして聖堂教会からは……かつて時計塔で神童と呼ばれ、飛ぶ鳥を落とす勢いで出世街道を爆走するも何の因果か鞍替えし、いまや最強クラスの代行者と誉れ高いケイネス・エルメロイ・アーチボルトがクラスカード回収任務に動き出しているとその紙にはあった。
ナタリアが嘘をつく、もしくはダミーのネタにかかるわけがない。となるとこれは真実。
闇の世界の奥深くへ踏み込んだ手練れとまだ10才になったばかりの愛娘が近く相対しようとしている。
これは魔術師以前に父親として看過できることではない。
「切嗣さん」
「--なんだい?」
完全に一人思考の海に沈んでいた切嗣を雁夜の声が現実に引き戻す。
彼の目は昔のように鋭い眼光を放ちながら切嗣を見据えていた。
「あなたが何をしようと俺は詮索するつもりもなければ干渉するつもりもない。そもそも俺はもう魔術は完全に使えないしね。けどあなたに伝えておかなきゃならないことがある」
「いいよ、言ってみるといい」
「俺はあなたに救われた。あの時のあなたの目を見て俺は大丈夫だと信じることが出来たんだ。けどその直後に俺は全く違うものを見たんだ」
切嗣はそれに心当たりがあった。
10年前の冬木、そこでかつての自分を呼び覚ました時は3度あったはず。
遠坂時臣との戦い、セイバーの思いをへし折ったとき、そして……
「臓硯を倒したあの時……切嗣さん、あの時のあなたは間違い無く強かったよ。まるで機械のような冷徹さと胆力。本当にどうしようもないくらいに。けど……」
雁夜がそこで言い淀む。
一体なんと表現すれば良いのか分からない。そんな風に。
「けど……同時にすごく危なっかしいというか……今にも崩れそうなほど脆く見えたんだ。矛盾してるかもしれないけど」
切嗣からすれば納得だった。その通りなのだから。
驚くべきことがあるとすればそれを妻のアイリ、そして右腕として戦ってきた舞夜以外に看破されたということだ。
だからこそ、敢えて彼はなにも言わず黙ってその先を促した。
「あなたの過去に一体何があってあれだけのものを己の中に引き起こしたのかはわからない。だけどあれはあなたが人である以上起こしちゃいけないものだ、いずれあなたを殺す。
だからお願いだ、あの目にはもうならないでくれ。イリヤちゃんと士郎君の為にも」
「--」
それは頼みというよりも懇願に近いものだった。
もしかすると雁夜は分かっていて、それでも尚言わずにはいられなかったんじゃなかったのかと切嗣は思った。
間桐雁夜は衛宮切嗣の今後の行く末が朧気に見えているのではないかと。
「ああ、分かっているよ。僕はイリヤと士郎の父親であることを望んだんだ。ならあの時の僕には戻れないよ。そんな父親は自分自身許せない」
だからこそ、嘘をついた。
雁夜は日の当たる世界へと踏み出している。そんな彼を少しでも裏に引きずり込むことは切嗣にとってありえないことだった。
「本当にか……?」
「約束しよう。僕は彼等の父親でありたいんだ」
その嘘は切嗣自身びっくりするほどすんなりと口を出た。
その願い自体は、間違い無く本当だったからだろう。
「そうか、安心したよ」
雁夜は本当に安心したように笑った。
その言葉に切嗣の心がどこまで痛んだのかはわからない。
「それよりも少しは明るい話をしようじゃないか……そうだな、可愛い子ども達の成長について、なんてどうだい?」
「いいですね。僕としては桜ちゃんが士郎君とくっついてくれればと思うんですが……」
「ふふっ、それはなかなかに妙案かもしれないね」
和やかな雰囲気が流れる。
しかしそれは仮のものだと切嗣だけは分かっていた。
皮肉にも覚悟を決めさせたのは雁夜の心からの心配だったのだ。
父親でありたいと思うならば彼の言葉は抑止としては最良のものに違いない、しかし遅過ぎた。切嗣の思いはその段階を遥かに飛び越えていたのだから
--例え士郎とイリヤが望まないとしても、僕は彼等を……
ここに衛宮切嗣は、どんな手段を使ってでも10年前の自分を呼び起こす決意を固めてしまった。
どうもです。
--皆さんの言いたいことは分かります。
セイバーさんはおろかイリヤも凛ちゃんもルヴィアも美遊も出てこないとはどういう了見だこらぁ!!
という声がパソコン、スマホを通して聞こえてきそうですね。すいません。
たまにはこういうこともあります。反省はしてますが後悔はしてません。
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psお気に入り1200突破ありがとうございます。あと感想は明日朝返します。