「あやややっ」
特徴的で独特な言葉を発しながら上空から目の前に降り立った妖怪。その姿を見た途端、うちの記憶は300年前にさかのぼった。いや、300年前の記憶が浮かび上がったと言った方が正しい。なぜなら目の前に現れた妖怪は、うちの記憶に強く残っているからだ。常にうちの隣にいたあのいたずらっ子のような笑顔。間違いない。この妖怪は、うちの大親友だ。今、恐怖の混じった瞳でじっと警戒するかのようにうちを見つめてくる表情も、昔とちっとも変ってなかった。
「あややん!あややぁぁん!!」
親友に会った嬉しさをこらえきれず、その妖怪にバッと飛びついてギュッと抱きしめた。うちの行動に驚いたのか、その妖怪はビクッと体を震わせたが、はっと何かに気付いたかのように「もしかして」という言葉を漏らした。
「えっ、も、もしかしてころろん!?ころろんなの!?」
「そう!ころろんやで!会いたかったよあややん!ちっとも変ってないな!」
「何よ、そう言うころろんはすごく変わったから気づかなかったよ!急に姿が見えなくなったから心配たんだよ!」
そう、その妖怪の正体は射命丸文だった。昔はよくあややん、ころろんとお互いにあだ名で呼び合っていた仲で、鬼と天狗という種族の壁を越えて一緒に過ごしてきた大親友だ。サラサラの黒髪、真っ白なカッターシャツ、そして「あやややや」という特徴的な口癖は昔とちっとも変らなかった。
300年ぶりの再会に驚き、嬉しさを分かち合いながら抱きしめあっていたが、急に文がはっと我に返ったようにグイッとうちを引き離した。
「えっ、どうしたのあややん?」
「いえ、その……」
そう聞いてみたが、うつむいて文は言いにくそうに口元に手をやり、周りにきょろきょろと視線を送った。その視線を追ってみると、隊長の椛を含め白狼天狗の全員が驚いたような、愕然としたかのような視線を向けていた。その様子を見て、文の気持ちが読めた気がした。文は鴉天狗であり、周りの白狼天狗よりも地位は上だ。その上司である人物が突然山に現れた鬼に抱き着いている姿を見られてしまった。しかも鬼は天狗よりも上の存在。それなのにあだ名で呼び合って、まるで対等な立場にいるかのようなふるまいを見せてしまった。それが気まずいのだろう。だから急に引き離したんだ。まったく、天狗って相変わらず狭苦しい社会で生きているんだな。
だからここは文の心情に合わせないといけないな。そう思い、軽くコホンと咳ばらいをした。
「さて、射命丸よ」
「は、はい!栗夢様!」
従来の上下関係に合わせて文を呼び捨てにしたのだが、この後の会話が続かない。本当は再会をともに喜びたいのだが、今の状況じゃあ難しそうだ。辺りに気まずい雰囲気が漂う中、思い切って話を切り出した。
「うちは友の萃香に会うために博麗神社というところに行きたいのだが、久しぶりの山ということで散策したい。道が分からないので、麓まで道案内をお願いできるか?」
少し無理なお願いだったのかなと思いつつ口にした。でも、道案内ということは文と二人だけになるし、見張りもいなくなれば気兼ねなく話すことができるだろう。博麗神社までの道もわかるし一石二鳥だ。そう思ったのだが、文の表情は予想とは違い曇っている。しばしの沈黙の後、文は小さくうなずいて口を開いた。
「申し訳ありませんが、鬼が再び山に現れるとほかの天狗たちも驚いてしまいます。私はこのことを上に報告しなければならないので、共に行くことはできません。鬼が再び山で暴れないために、監視役として代わりの者をお付けします。それでご容赦ください」
「そうか…分かった」
まあ、立場的に仕方のないことなのかな。それもいいだろう。文にはいつでも会えるからね。向こうの都合によるけど。
「監視と案内役は、椛、あなたにお願いします」
「ええっ、私ですか!?」
案内役に指名された椛は驚きの声を上げる。なぜ自分が選ばれたのかという驚きと、そして鬼と二人だけになることの恐怖が混じったような心情をその表情から読み取れる。でも、あの勇気ある行動を見せた隊長さんなら完璧に遂行できるだろうと思う。
「そう。あなたは誰よりも山のことを知っている。それにあなたの実力は中々の物よ。だからあなた以外に適任がいないの」
「うう、わかりました」
「おう、ありがとうな。それじゃあ隊長さん、よろしく頼む!それと、射命丸!」
「はい」
「うちは旅の疲れを癒すためにしばらく博麗神社にいるつもりだから」
だから博麗神社においで。ずっと待っているから。その意味を込めて言葉を発した。文もその言葉に秘められた意味を理解したようで、元気よく返事を返してくれた。
「それじゃあみんな元気でな!よし、隊長さん行くよ!」
「あ、待ってください!そっちは違いますよ!」
元気よく山道を駆け出したうちの後を、椛が必死に追いかけてきた。
「あの、文様。あの鬼と知り合いなのですか?かなり仲がいいように見えたのですが」
心音と椛の姿が木々の間に消えたところで、残された白狼天狗の一人が文にそう尋ねた。彼らの目の前で、普段の文からは想像もつかないような言動を見せられ、彼らの間に混乱と動揺が広がっている。しかも位が上であるはずの鬼と対等に接している。あの鬼は一体何なのか、文にとってどのような存在なのか、それが不思議でならなかったのだ。
「彼女は栗夢心音。心音様とは、昔からの親友だったの。お互いにあだ名で呼び合いながらよく遊んだものね。栗夢という姓に、聞き覚えがあるかしら?」
文の問いかけに、白狼天狗全員がさあと言いたげに首をかしげた。その様子を見た文は小さくはぁっとため息をつき、仕方ないかという言葉を漏らした。椛からの話で、この度教官を兼ねて新人部隊の隊長に任命されたと聞く。最近入ったばかりの天狗が栗夢の性を聞いたことがないのは当然のことだった。
「みんなは、はるか昔に山を支配していた鬼は、天狗や河童の地位向上によってすべて地下に移り住んだと教わっているよね。でも、全員が地下に潜ったわけではないの。ほんのわずかだけど、山の麓に住み、天狗や河童たちと交流を続けようと模索する鬼がいたの。その中の代表格が栗夢一族よ。この一族は、私たち天狗と強い繋がりを持っていたの。そう、今から300年以上も前の話……」
「おらぁ!そんなものかぁ!」
山の中腹にある天狗たちの訓練場。周りを取り囲むうっそうと茂った木々を吹き飛ばすかのような、野太い怒鳴り声が辺り一帯に響き渡る。今訓練場では、白狼天狗の新人たちによる戦闘訓練が行われていた。
地面に投げ飛ばされ、真っ白な尻尾や衣服が敷き詰められた土によって茶色く汚れ、大量の汗をかき、涙と血を流しながらも、土煙の舞う中鋭いまなざしで相手を睨みつける白狼天狗。その眼差しの先には、頭から根元で渦を巻いた形の特徴的な角を2本生やした、がたいの良い鬼の大男がじっと白狼天狗を見下ろしていた。
「おいおい、もう終わりかぁ。おい椛ぃ!」
「ぐっ…まだまだぁぁ!」
椛と呼ばれた白狼天狗は、自分に気合を込めるかのように声を張り上げながら右足で地面を蹴り、刀を構えて一直線に鬼の懐を目指す。一方の鬼は避ける動作をすることなく、じっと椛の動きを見つめていた。ぐんぐん縮まる2人の距離。もらった!そう確信した次の瞬間、目の前にいたはずの鬼の姿が忽然として消えた。正確には、消えたのではなく攻撃をジャンプして避けたのだが、椛の目には消えたように映った。
「えっ!?」
突然の出来事に脳がパニックを引き起こし、一瞬身体全ての動きが止まった。その一瞬の隙を突き、攻撃をかわした鬼は背後を取り、ギュッと首筋をつかむ。
「勝負ありだ」
背後から響く声。力を込めて握ったわけではないが、椛の額からはだらだらと汗が流れ落ち、体中をガクガクと震わせる。これは訓練だ。しかし、もしこれが実践だとしたらどうなる。背後から首を掴まれたら、鬼の力であれば木の枝を折るかのようにいとも容易くへし折られてしまうだろう。実践であれば確実に命を落としていたという事実と恐怖に襲われているのだ。
体中から力が抜け、へなへなと地面に座り込んだ椛。鬼はしゃがみ込み、汗と涙でぐっしょりと濡れた椛の顔をじっと見つめた。
「いいかぁ椛ぃ。戦闘では勝負を急いではいけない。どんなに追い詰められた状況であろうと、どんなに疲労が蓄積されていようと、常に頭を働かせなきゃだめだ。五感を研ぎ澄まし、相手の不意を突いた行動に瞬時に対応し判断する能力を身につけないといけないぞ。いいな」
「は…はい…教官」
椛の返事を受け、教官と呼ばれた鬼は途端に笑顔になり、ぽんぽんと軽く椛の頭を撫でた。
「よし、今日の訓練は終わり。お疲れ様」
「あ、ありがとうございました」
「あやややや、まだまだですねぇ、椛は」
そんな2人の前に、颯爽と舞い降りる黒い影。特徴的で独特な口癖とともに現れたのは、鴉天狗であり椛の上司である射命丸文だった。
「あ、文様!?」
「おう、誰かと思えば文じゃないかぁ!なんだぃ、俺と勝負しに来たのかぁ?」
「いえ、ちょっと様子を見に来ただけです。それにしても訓練とはいえ容赦ないですね。さすが、“鬼教官”と謳われる栗夢
口元を葉団扇で隠しながら、ニヤニヤという笑みを浮かべる文。文も昔、厳蔵から指導を受けていた一人で、何度勝負を挑んでも一度も勝つことができなかった。その後文は報道部門へと異動したため指導を受ける必要がなくなったのだが、異動した後も勝負を挑み、返り討ちにされてきた過去がある。だから彼に苦手意識を持っている。
栗夢厳蔵。彼は鬼でありながら、天狗たちの戦闘訓練の教官として日々指導を続けている。なぜ山を去ったはずの鬼が教官を任されているのか。なぜなら、厳蔵の性格と戦闘能力の高さを知っている天魔から依頼されたからだ。普段はのんびり屋で温厚な性格であり、天狗を部下ではなく仲間として接するが、ひとたび訓練となればまるで人が変わったように怒鳴り、追い込み、容赦なく攻め立てる。そして、相手の癖や思考を見抜き的確な指導を行う手腕を兼ね揃えている。
「もみぃちゃーん!」
嫌味を込めた会話を続けている厳蔵と文から離れ、ベンチに座って体を休ませている椛の下に、一人の少女が湯呑を持って駆け寄ってきた。彼女の頭には、厳蔵と同じ形をした特徴的な角が生えている。
「あっ心音ちゃん!ありがとう」
椛はお礼を言って湯呑を受け取り、お茶をグイッと飲み干した。
「ってもみぃちゃん血が出てる!早く血を止めないと!」
「ああ、大丈夫だよ、すぐ止まるから。ありがとね」
「そう、ならいいけど。まったく、パパは女の子にも容赦ないんだから、見ている娘はいつもドキドキだよ」
心音はそう言ってはあっとため息をついた。そう、彼女は厳蔵の娘。訓練には常に付き添い、お茶の用意や傷の手当てなど雑務を請け負っている。
「でも、教官のおかげで日々強くなっていくことが実感できますし、自分の悪いところもわかるので感謝していますよ」
「そう、ならいいんだけどね」
自分の明るい茶色の髪を掻きながら、心音は再びため息をつく。椛の言葉に救われたのか、心音の顔には笑顔が浮かんでいた。毎日父の指導を間近で見るたび、かなり落ち着かない様子で見つめていた彼女の不安やドキドキは相当なものだ。もし可愛い顔にキズが付いたら、もし立ち直れないほどの障害を負ってしまったら、そう考えただけで、背筋がぞっと寒くなる。
「あっ!おーいころろん!」
「あややん!やっほー!」
心音が椛と話していると、心音の存在に気付いたのか文が手を振りながら駆け寄る。この2人はお互いをあだ名で呼び合うほど仲の良い親友だ。
「あややんって取材の帰り?どうだった?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました!話、聞きます?」
「うん!聞きたい聞きたい!」
心音は文の話に興味津々な様子で、目をキラキラと輝かせる。一方の文はかなり上機嫌な様子でえへんっと胸を張った。
「おーい心音!俺は天魔の屋敷に寄ってから帰るぞ。お前も暗くなるまでに帰ってこいよ!」
「大丈夫だよパパ!うちはもう子供じゃないんだから!さ、行こうよあややん!」
「ええ、行きますよころろん!ついて来てください!」
「おう、それじゃあな!」
「うん、ばいばい!あっ、待ってよー!あややーん!」
厳蔵に手を振り、心音は飛び去った文の後を追って山の中に消えていった。
「……というのが、私たち天狗との繋がり、そして心音様と私の関係よ」
文の話を聞き、まわりの白狼天狗は一言も話さなかった。彼らにとって文の話は衝撃的であり、簡単に信じられるようなものではなかった。しかし、文は旧友との思い出を懐かしむような、少し悲しい表情を浮かべており、嘘を話しているとは思えなかった。
「でも、今までどこにいたのかしら。ずっと探していたのに…」
「えっ、それってつまり…」
「そう。ある事件を境に、心音様の姿は忽然として消えた。私も部隊を率いて山の中を駆け回ったり、幻想郷中を飛び回ったのに、どこにもいなくて。でも、元気そうな姿を見れて、本当によかった」
口元を押さえ、はらはらと涙を流す。文は心音が行方不明となってから、ずっと心音のことを思い、取材の合間を縫いながら心音に関する情報を集めていたのだ。しかし、有力な情報が得られず、諦めかけていた。
「文様、その事件とは一体、なんですか?」
「それは、その事件は私も思い出したくないんだけど…」
文の声は、悲しみと恐怖によってブルブルと震えていた。
「心音様が…ころろんが……私の目の前で仲間の命を奪った」
「えっ!?」
白狼天狗たちの驚愕の声を上げる中、文は重い口を開いた。心音が引き起こした、事件の全貌を…。