※約一年……時の流れは早いものです……お久しぶりです。
※誰も待ってはいないと思いますが、こっそり投稿失礼します……|_-)ノシ
すぅ、と。
静かに、滑らかに、気温が下がった。
暑くも無く、寒くも無く、どちらかというと気温よりも湿気が煩わしいと感じていた最中、はっきりと感じられる程度には、明確に気温がするりと下がったのが判った。
そして、この邸に張り巡らされている結界はそのままに、ただ一部の空間だけが淡く陽炎のように揺らめいている気配がする。
「カール」
呼び声に振り返れば、ちょうど引き戸を開けて黄金の獣が入ってきた。背に流れる黄金の髪が眩しい。
「おや、獣殿。――龍殿の許にいらっしゃったのでは?」
「いや、なに。龍殿が粥を所望だったのでな」
「それは丁度よかった。今し方、出来上がったところ。……ですが、」
「ああ。この気配は私も察しているぞ、カールよ。――どうやら、逢瀬の邪魔になるからと、追い出されたらしい」
「おや。あなたがフラれるとは、珍しい」
軽い言葉の応酬。その間、黄金の獣はくつくつと実に愉しげに笑いを零していた。だが、不意にそれを収めて、こちらに向き直る。
「――それで? 龍殿が私よりも優先したらしい相手は?」
「ふむ」
まぁ、気になるか。この男のこういう反応も珍しいが、今現在、自分に
とりあえず粥を炊いていた小さな土鍋を火からおろし、卵を割り落してミツバを散らしてみる。見た目に関しては、まずまずの出来か。
しかし、それにしても。
「……獣殿。もしや、龍殿に本気になられたか?」
「む?」
「いや。未知を味わっておいでだろうし、だからこそいつもとは少々違う反応になるのは理解できるのだが……まるで、普通の恋する男のようだ」
「……」
「ああ、別にそれが悪いと言う訳では無いのだが……なんというか、違和感が凄まじい。そう、まるで嫉妬しているようだ」
「、…………カール。そういう卿も、湯呑を割りそうになっているぞ」
「おや、失敬」
そう言われて、茶を出すために用意していた湯呑に罅を入れかけていたことに気付いて、そっと力を抜く。――――この湯呑、名の知れた作家の一点物だったらどうしよう。いや、存命中の作家ならば、まだ心情的にどうにでもなるかも知れないが、没後云十年とか製作されて云百年、とかいうような恐ろしいブツである可能性すらあって、少しばかりコワイ。そして何より恐ろしいのは、たぶん、置いてあるもののほとんどが年代物であり、日本という国で年代物と云うからには、百年二百年は当たり前に経過していると思われる。つまり、壊してしまえば弁済不可であるということだ。
――――まぁ、ここの家主は惜しむことはするだろうが、それで怒り散らしたりはしないだろう。それが逆に、やらかした側からすると非常に遣る瀬無い。
「カール。卿の現実逃避はいつまで待てばいい?」
「私は、我が女神に恋している」
改めて、自らの根本的な本質を告げる。まぁ、いつもの事なので、獣殿も特に突っ込むことも無く受け流してくれた。それで?と視線が問い掛けてくる。
「砕け散った欠片でも掻き集めてこの世界に持ち込めば、龍殿は我らと同じように復活させ、養生させてくれるだろう」
女神の復活――それを心の底から願う限り、『この世界』は叶えようとしてくれる。願えば応えようとする――それがこの世界の本質だ。しかし、世界の魂の総量など、早々変わるものでもない。つまり、私と獣殿、この二柱の覇道神に対しても、同じように自らの血肉と魂を削って分け与えたのだろう『この世界』に、これ以上を望むことなど、とんでもなく厚かましい。厚顔無恥と言っても良いだろう。
しかし。
「……龍殿は、願えば叶えようとしてくれるだろう。だが、それは彼の御仁の魂を削り奪う行為に等しい」
「――ああ、確かに。自身のことなど顧みず、微笑みさえ浮かべて引き受けるであろうな」
「その通り。――ああ、全く以て、その通りだ。だからこそ、――そう、だからこそ、恩人たる
与えられるばかりで、何も返せていない。返せる当ても、いまのところ判然としない。そんな状況で、更に負担を強いると判り切っていることを望むなど、あり得ない。そこまで不誠実であるつもりも無い。――――我が最愛にして至高の女神のことでさえ無ければ。
「――よし、わかった」
「……?」
獣殿がゆったりと頷く。それに首を傾げれば、黄金の獣はいささか獰猛に笑って見せた。
「いっそ、龍殿に打ち明ければよいのだ。そして助力では無く知恵を乞う。もしそこで、本人が別に苦で無いようであれば、こちらから助力を乞うまでもなく応えてくれよう。――あの御仁、人は良いが無理なことはきっぱりと断る性質であろうしな」
「む……」
「なんなら、取引でもすればいい」
「……、」
「それで? カールよ。このタイミングでの龍殿の客だが――――どう見る?」
「邪魔だな」
考えるまでも無く、その言葉が出て来た。――そう、龍殿と交流を深めようと思うなら、このタイミングの来客は邪魔だ。踏み込める間合いに出現した壁のようなもので、打つ手が遅れれば龍殿の助力どころか知恵すら借りられなくなる可能性がある。
それでも、今この瞬間まで見逃したのは、気配がひどく清澄なもので、透徹したそれは龍殿の足に纏わりついていた呪詛を祓えそうだと判断したからだ。それ以上でも以下でもない。
「――そろそろ、龍殿に纏わりついていた呪詛の如き念も、取り除かれた頃合いか」
「ふむ……」
獣殿の視線が、ふと小さな土鍋に注がれる。それで、少し冷めてしまったか、と思い至った。
――が。
「口実の粥も、猫舌な龍殿にちょうど良いくらいか」
「……意外にも、よく見ている」
「ん? もしや、気付いていなかったのか。汁物も茶も、冷まし冷まし口にしていたが」
「……、」
なるほど。やろうと思えばこういう細やかな心遣いも可能なところが、入れ食い状態なほどに女性にモテていた一因なのか。実際問題、いくら外見が良くても、それだけでは靡かない女性も一定数はいる。それでも「女は駄菓子だ」と言えるほどにモテていたのだから、そういう紳士的な対応もしていたのだろう。改めて、我が親友殿は素晴らしいスペックであると言える。
ちょっとズレた思考に耽っている目の前で、獣殿は実にテキパキと流れるような所作で盆に鍋敷きと小鍋を乗せ、その脇に木製の椀と小匙も添える。ついでに龍殿が普段使っている湯呑に緑茶を注いで、それも盆に乗せた。――アレか。その茶をこの場で淹れてしまったのも、龍殿の猫舌対策か。まったく気付かなかった自分が言えたことではないが、なんと小憎らしい手腕。
そして何よりこの男、特に考えてやっている訳では無い。それこそ呼吸するようにしているという、その事実こそが、より一層始末に負えないのだ。
そうこう見守っているうちに、獣殿はさっさと盆を持ち上げて出て行ってしまう。慌てて眩い黄金の髪を流した背を追えば、小さく笑われた気配がした。それでも特に何を言うでもないので、突っ込まないことにする。
何度か廊下の角を曲がって龍殿の寝ている部屋の戸を滑らせれば、龍殿が寝ていたはずの布団はもぬけの殻。寝乱れた布団、開かれた庭へ通じる障子戸、庭に面した板張りの床――と視線で痕跡を辿れば、池の汀に佇む人影が見えた。
微かな月明かりに照らされて、雪色の髪が静かな光を零している。
「――、」
声にならずに消えた吐息に、けれど人影はゆっくりと振り返った。
「――――何者か」
龍殿の姿形をした白銀の髪の人物を、獣殿が
『
3つの声が重なって返ってきた。龍殿の声に被さって、別の声がふたつ。深く静かに染入る様な声と、蒼天に良く透るような毅い声。――龍殿の気配は、そこに在る。今は他の強い気配に覆われてしまっているが、それでも常と変わらず穏やかなまま在ることはわかった。
――ならば、今はそれでいい。これで龍殿の気配が弱まっていたりでもすれば、多少は拗れたかもしれないが。
「ふむ。龍殿の足に纏わりついていた恨みつらみの怨念は消えているようだが……それで残っているということは、我等に何か用でも?」
問い掛ければ、龍殿の身体に憑いているらしい何者かはゆったりと瞬いた。ゆらゆらと移ろう気配はふたつ。強大な光と重みの気配を感じる。おそらくはこの国でも高位の神。そして依り憑くものを必要とするなら、地上に姿を持たない類の神威だろう。そういうものは、当然のように限られてくる。
星辰の神。
それも、高位の神は古来より多くの人々がその恩寵を乞い願ってきた存在だ。となれば、その存在はごく限られる。
太陽と月。昼夜の天に在って地上を照らし、時の流れを示すもの。
『――此国は、豊葦原の瑞穂の国。大いなる和を以って尊しとする国。是則ち、和を乱すは不義である』
――うむ。古来より神として崇められてきたものらしく、非常に上から目線のお言葉である。だが、別にこちらを貶めている訳でもなければ、自らの地位と権力によってこちらを押さえつけようとしている訳でもない、とも感じられた。これは、ただ自分たちに忠告してくれているだけなのだろう。親切にも、この国におけるルール、理を伝えているに過ぎない。
『汝らの存在は和を乱す』
「……断定なさるか」
『汝らの在り方を否定はしない。許容も出来る。だが、合わぬ』
「、……」
応えが返って来るとは思わなかった。特に獣殿には、それなりに衝撃的だったらしい。――まぁ、獣殿の性質を顧みれば、既存の神々――それも国の最高神と思しき相手に、否定されないということは珍しい部類だろうし、尚且つ許容しても良い、と言われることなど考えたことすら無かっただろう。かく言う自分も、こういう事態は未知である。
『吾等は八百万の
『――かつて、同じく海を渡って来た八幡の神を先導に、諸々の仏を迎え入れたように』
『それで、吾子らが安らぐならば。――なれど』
『かつての縁を捨て、この国の神となれぬならば、
『汝らを掬い、繋いだ、この龍に恩義を僅かでも感じるならば。この龍にこれ以上の苦を負わせることを厭うならば』
『――――選択を』
がつん、と。頭を殴られたような衝撃を受けた。ああ。これは、忠告であり、そして警告だ。この神々は、別に自分たちの地位が脅かされるとか、そういう思惑で接触して来たのでは無い。ただひたすらに、『客』である自分たちを案じている。
災厄としか言いようの無い邪神に砕かれ、流れ着いた自分たちを、本当に心底から案じてくれているのだ。だからこそ、この国の神となるならば、迎え入れても良いと。それが嫌なら、さっさと回復して還れと。無闇に長く滞在されるのは、自分たちが恩を感じている黄龍殿に負担が掛かるのだから、と。
――ここに残るのも、悪くは無い。
ここは未知に溢れている。故に、それも悪くは無い。
だが。
嗚呼。だが、しかし。
『新たな神が幾つふえようと、吾等は構わぬ』
『それが、和を以て貴しとなすものであるならば』
「っ、」
今度は、心臓をひと突きされたような衝撃。
つまり、この神々は、私の未練を正確に見抜き、そしてそれすらも肯定し、共に来ればいいとまで誘ってくれたのだ。
(――ああ、マルグリット……っ)
彼女の魂こそ至純であり、至高の存在。我が愛しい女神。可憐で美しい、唯一の花。
私は、どうすれば良い。どうすれば、彼女を救えるのか。きっともはや、間に合わないのは解っている。それでも、あの邪神を排し、再び自分が座に就けば――回帰することは可能なのだ。
だが、自分の力では、あの邪神は排せない。そしてそれは獣殿も同じ。そして、更に『次』は存在しえない。だからこそ、動けないのだ。
『――――刻限だ』
『疾く、選択を』
ふ、と気配が揺らいだ。金砂と銀砂のような気配の煌めきが、龍殿から舞い上がって夜の空に融け込む。同時に、龍殿の身体が
その身に別の神々を招いていた影響か、龍殿の髪はずいぶんと長く伸びていた。膝裏くらいまではありそうである。その髪から、さあっと、金とも銀ともつかない色が消え、根元の方から黒髪へと戻っていった。
龍殿を抱え、獣殿が戻って来る。だが、その顔には僅かばかり憂いが滲んでいた。――珍しい。
「――熱がある」
「は、……なんと、」
「とりあえず、
本当に珍しいほどに端的な言葉ではあったが、それが逆に龍殿の熱が微熱程度では無いことを報せていた。
水銀は女神を恋い慕う気持ちがオーバーフロー起こしてるのがデフォですが、同時に義理堅いのもデフォなので、まずモダモダ悩みますよね!!
……という回でした。
そしてお腐れがたへは、こんな例を。
友人A「共寝で夜伽……つまり、雨にずぶ濡れで足に重度の火傷という負傷を負っていた龍殿が熱を出して寝込むのだから、人肌であっためるんですね!!」
友人B「ハッ!! つまり、下着だけor生まれたままの姿で龍殿を抱きしめて温める獣殿の姿を拝める……っ!!?」
雲龍紙「なぜ水銀という選択肢が出て来ないのか」
友人ズ「「だって体温低そう」」
という妄想が炸裂しているようです。本文と併せてご賞味ください(笑)