大海令とは、大本営海軍命令の略だとされる。大元帥陛下の奉勅命令であり、軍令部総長が起案、大元帥陛下の勅裁を経て軍令部総長により各指揮官に発令された。海軍の統帥の最高レベルのものであり、これに違反すれば軍法会議は避けられない。陸軍には、同様に大陸命というものがある。
「今まで大海令なんて発令されていましたっけ…」
軍令部から使者を出して送られてきた命令書を眺めながら吹雪は首をかしげる。
「通常戦力との合同作戦だからだろう」
井上の返答に、吹雪は納得した。
今回発令された大海令三八号の命令は簡潔で、スンダ海峡及びスラバヤ沖に艦隊を進出させろ、ということと、詳細は軍令部総長の指示に従え、ということであり、連合艦隊司令長官と井上に発令されたものであった。
大海令に基づいて軍令部総長が指示する作戦を大海指という。大海令と共に大海指も通達されており、その骨子は井上たちが定めた作戦案に基づくものであった。
「燕号作戦発動の準備をする。定められた各部隊旗艦を司令室に呼んでくれ」
「はいっ」
吹雪は敬礼すると、空母蒼龍、戦艦大和、駆逐艦陽炎を呼ぶために司令室から退出した。あらかじめ、この三人には燕号作戦の存在と、彼らが各部隊の旗艦を担うことは通知してあった。
「…しかし、大義の見えない作戦ではあるな」
一人になった部屋で、井上はつぶやいた。それきり、彼は黙したまま大海指を何度も読み返していた。
そもそも、この燕号作戦が企画された理由は中堅幕僚の不満によって、彼らが主導する作戦を発動させるためであった。それが、時の政治状況と結びついて、実現性を帯びたものである。だが、中途半端なところで作戦の主導権は軍令部の参謀から井上の手に移り、鎮守府強襲の事実から発動時期も政治から分断され早まった。
確かに、スンダ海峡を封鎖している敵艦隊や、スラバヤに簡易的な陸上拠点を作っている敵部隊を放置して良いものではない。だが、井上からすればまずはフィリピン周辺の制海権の確保という段階を踏んでからジャワ島に手を出すべきである。フィリピン周辺では依然として深海棲艦の活動が活発であったためにサイパン方面に陽動部隊を送りださなければならない現実があった。
井上はあくまでも前線指揮官である。大本営がやれと言ったことはやらねばならない。
「各部隊旗艦をお連れしました」
吹雪は蒼龍、大和、陽炎を引き連れて戻ってきた。旗艦を担う彼女たちは詳しい作戦内容を知らないため、幾分か緊張している面持ちであった。
「御苦労、吹雪」
敬礼している吹雪をねぎらうと、井上は旗艦を担う三人の顔を順番に眺めた。この三人であれば、それぞれ作戦を任せることができるであろう。彼女たちが作戦を遂行できなかった場合、それは作戦が悪いのであり、立案者である井上か、そもそも目標を定めた大本営か、そのどちらかに責任が帰せられるのである。
吹雪が作戦概要を記してある資料を三人に配った。それぞれ異なった内容のことが書かれているもので、旗艦である彼女たちが知るべき必要十分な情報が記載されている。
「その資料に書かれている通り、来月中旬より燕号作戦が発動される。君たちにはそれぞれ臨編第七航空艦隊、臨編第四艦隊、臨編第二遊撃部隊を率いてもらうことになる」
正式な作戦の場合、臨時編成部隊につけられるナンバーはランダムである。というのも、策定から発動まで時間がかかるので、暗号解読などで敵深海棲艦にどうしても情報が漏れる可能性が生じる。それに備えて、参加兵力をできるだけ掴ませないための配慮であった。
「それぞれに分担してもらう作戦はその資料に書いてあるが、何か質問はあるかね」
「第二遊撃部隊について、三班に分かれて作戦を遂行する旨が書かれていますが、班の分け方について何か御指示はありますか?」
訪ねたのは陽炎である。彼女が受け持つのはサイパン方面の陽動であり、広い海域で作戦を行う必要性から三班に分かれて任務を行うよう指示があった。
「特にない。隷下にいるのは君の妹たちだ。作戦の策定段階で班を指定するよりも君たちに任せた方がうまくいくだろう」
「なるほど、了解しました」
陽炎は敬礼した。
「と、いうわけで家族会議を始めるわよ!」
作戦受領の後、陽炎は早速姉妹を自分の部屋に招集した。おそらく、この時間に班分けをしろ、という司令長官の意向なのだろう、陽炎型の駆逐艦娘たちは全員鎮守府待機であった。
陽炎の部屋は不知火との相部屋で、二人部屋である。現在実戦投入されている姉妹全員、14人が入るには手狭であったが、陽炎からすれば物理的な近さは心理的な近さにもつながるため、むしろ好ましいことであった。
「家族会議ゆーてうちらまだ議題聞いてないで、陽炎ちゃん」
「そりゃまだ説明してないもの、黒潮。議題はもちろん陽炎型お食事会…」
「ではなく今度発動される作戦についてです」
陽炎の話を遮ったのは二番艦の不知火である。二女である彼女は長女陽炎の参謀兼補佐を自任していたが、一方で放っておいたら斜めに行きがちな姉のストッパー役でもあった。
「あんた何で知ってるのよ」
「事務部には既に作戦のことが知らされてますから」
陽炎の抗議めいた質問に、不知火は澄ました顔で答えた。
「あー、なるほどね」
陽炎は何度か頷く。
「さて、不知火も言ったように来月中旬から大規模作戦が発動します。作戦名は燕号作戦。私たちは姉妹全員でサイパン方面に出撃、陽動を行います」
「出撃か、腕が鳴るな」
磯風は不敵な笑みをたたえていた。彼女は戦場においては縦横無尽の活躍を見せる。一癖二癖ある駆逐艦娘の中でも武闘派の急先鋒として知られていた。
「細かい話は置いておいて、作戦実行上三班に分かれて行動するのね。それで、今日は班分けを行いたいから集めたの」
「野分とじゃないとやだー」
「舞風、わがまま言わないの」
「別に一人でもかまわんぞ」
「磯風が心配だからできれば一緒に…」
「雪風とがいーい!」
「戦闘せずに絵を描いてられる班を作ってよ」
各々勝手なことを言い始めた妹たちを、陽炎はにこにこしながら見ていた。
「静粛に、陽炎が困っては…なさそうですが話が進まないじゃないですか」
呆れたように不知火が口を挟む。彼女の言葉と言うよりも眼光に気圧されて、妹たちの喧騒はぴたりとやむ。
「ま、14人だから5・5・4で分かれるのは決定よ。で、四人班の班長は磯風に頼みたい」
「いいだろう」
磯風が頷く。
「私もその班に入れてください」
陽炎にとって不知火が参謀であるように、磯風にとっての参謀は彼女のすぐ下の妹である浜風であった。
「もとよりそのつもりよ。あと二人は…そうね、雪風、時津風」
「雪風は特に意見はありません。姉さんの決定に従います」
「時津風は雪風と組めればなんでもいーです」
雪風は腕を組んで静かであるのに対し、時津風は犬の耳のような髪の毛をぱたぱたさせながら言った。
「これで一班は決定ね。次の班は黒潮に班長を頼みたいわ」
「うち?ええよ」
黒潮は頷いた。
「黒潮班は初風、天津風、浦風、谷風と手堅い編成にしようか」
陽炎の決定に、異議は出なかった。
「で、最後は私の班ね。残った不知火、野分、舞風、秋雲の班とするわ」
「やったー野分!」
「良かったね」
野分が舞風の頭をなでた。
「後で班ごとの持ち分とかを決定するけど、まずは簡単に指示された注意事項を伝達するわ」
陽炎が手をたたきながら言うと、妹たちはぴたりと話すのをやめた。
「私たちが進出する海域は敵部隊と制海権の争奪が激しい海域の一つよ。特に、南洋諸島に複数の人類側の拠点や生存圏が一応残っているから、通商破壊をもくろむ潜水艦の跋扈が激しいのは知ってるわね?さらに、南方海域の敵精鋭艦隊をおびき寄せるのが作戦の目的になるから、決して楽な作戦とは言えない。それは心得て欲しいわね」
陽炎の言葉に妹たちは思い思いに頷く。彼女たちの表情を見た陽炎は満面の笑みを浮かべた。
「よし、あなたたちなら安心して送り出せるわ。陽炎型駆逐艦の名を誉れ高きものにするよう、一同気を引き締めてことにあたってね」