燕号作戦の発動から二週間がたち、燕号作戦の主力艦隊―臨編第七航空艦隊と臨編第四艦隊の出撃も間近に迫った。鎮守府内はあわただしく、出撃準備を念入りに行う者、出撃する者を激励する者、普段よりも手薄になる本土近海哨戒や通商保護、遠征任務などのために出入りする者などで鎮守府内は普段見せない活気を見せていた。
出撃準備を整えた臨編第七航空艦隊と臨編第四艦隊に所属する艦娘は鎮守府内の講堂に集められた。鎮守府司令長官井上中将からの激励のためである。普段は騒がしい艦娘たちもこのときばかりは水を打ったように静かになる。
「それでは燕号作戦主力艦隊の出陣式を行います」
司会役の秘書艦吹雪が厳かに宣言する。
「国歌斉唱」
スピーカーを通して前奏が流れた。並みいる艦娘は思い思いの表情を浮かべて歌う。
国歌は二回繰り返して歌うのが通例であり、正式であった。特に、国家の行事や祝典などには厳格にそれが運用されており、鎮守府も例外でない。
斉唱が終わり、再び講堂内は静けさに包まれた。
「鎮守府司令長官言辞」
吹雪が言うと同時に並みいる艦娘たちは一斉に敬礼した。それに合わせて井上が登壇する。
彼は壇上で掲げられている国旗と海軍旗に頭を下げると、艦娘の方に向き直って答礼する。彼が手を下げて、やっと艦娘たちも手を下げる。
「今次作戦は軍令部肝入りの作戦である。各員細心かつ大胆に作戦を遂行することを求める。作戦終了後、ここのいる全員が、また前哨に出ている臨編第二遊撃部隊の全員も、一同に会することを望む」
井上は並みいる艦娘をざっと見渡した。神妙な顔をして、彼女たちはたたずんでいる。
「諸君であれば今次作戦の成功は疑いない。指揮官たる私は諸君を信じて送りだそう」
井上は一呼吸を置いた。
「武運を」
この言葉が言辞の終わりの合図であった。
「続きまして、将旗授与。各艦隊旗艦は登壇してください」
将旗とは本来、指揮官の任務を帯びた将官が乗艦しているときに掲げる旗である。しかし、艦娘に乗艦することは不可能であり、また、指揮官である井上が同行するわけでもないので、鎮守府では代わりに旗艦に井上の将旗である中将旗を授けることで代わりとしていた。
なお、これは多分にセレモニー的な意味合いであり、実際に将旗を持って出撃するわけではない。
臨編第七航空艦隊旗艦蒼龍と臨編第四艦隊旗艦大和が登壇した。
井上は、既に吹雪が用意していた中将旗を手に取ると、それを一つずつ蒼龍と大和に手渡す。二人とも恭しくそれを手に取った。
「作戦の成功と諸君の無事の帰還を祈ろう」
「ご期待に応えて見せます」
蒼龍が答える。
「全てはおおせのままに」
大和が答える。
蒼龍と大和はそろって敬礼した。それに、井上が答礼する。
旗艦の退壇を以って出陣式は終了である。旗艦を先頭に、整列して艦娘たちは講堂から出ていった。
「お疲れ様です、司令官」
壇上から艦娘たちを見送った井上が下りてくると、吹雪が声をかけた。
「うむ」
「司令官は先に司令室に戻っていてください。後片付けが終わったら私も行きますね」
「分かった。ご苦労」
井上は秘書艦にねぎらいの言葉をかけると、講堂の出口に向かって歩き始めた。
「いい青空ね」
洋上で朝潮がつぶやく。
彼女と彼女の妹三人は臨編第七航空艦隊に編入されていたが、事情は特殊であった。これから合流する通常戦力の第一艦隊所属、ミサイル駆逐艦の護衛という任務を帯びているのである。
「私は夜の方が好きだわぁ」
荒潮が屈託のない笑顔を浮かべながら言う。
「夜戦こそ駆逐艦の本領を発揮する舞台だから」
「その気持ちは分かるけど、戦闘だけが全てじゃないのよ」
朝潮は人差し指を立てて妹を諭すようだった。
「嘘つき…自分じゃそう思ってないくせにぃ」
荒潮はにんまりと笑った。
「戦闘だけじゃないって思ってるのは本当よ。戦争しかないとは思ってるけど」
訓練も大切でしょ、と朝潮は付け加えた。
「同じ事じゃないのぉ?」
「ちょっと違うわよ」
「ふぅん」
荒潮は戦争と戦闘の違いに興味を抱かなかったようである。
「今次作戦の私たちの任務ってぇ、通常戦力のお守りでしょ?」
「そうよ。第一艦隊所属のミサイル駆逐艦『秋風』及び『潮風』の護衛ね」
「何でそんなかったるいことしなくちゃならないのかしらぁ?」
「偉い人が決めたから仕方ないわ」
朝潮にとって、命令は絶対であった。彼女に今下された命令は妹三人を率いて通常戦力を護衛せよ、ということなのだからそれを全力で努めるだけである。
もっとも、疑問がないわけではない。何故いまさら通常戦力が艦隊決戦に投入されるのか、ということもそうであるし、そもそも投入するのに足る実力があるのなら、護衛など付けずに前線に出せばよいのである。
「ま、特殊な任務よね」
満潮が口を挟んだ。
「最初聞いた時は大本営の正気を疑ったわ」
「満潮姉に賛成よぅ。正直、
「大本営や軍令部には私たちにはうかがい知れない深慮遠謀がある…と信じたいわね」
朝潮もため息交じりであった。彼女は直属の上司である井上長官のことは信頼していたが、それ以上となると彼女には想像がつかない。例えば海軍大臣や軍令部総長といった海軍の重鎮たちの名前を彼女は知らなかった。
「ないわよきっと」
辛辣なことを言うのは満潮である。
「思いつきよ、思いつき。そうじゃなかったらもっと通常戦力が活躍する作戦が採用されるはずだわ」
「満潮姉に賛成」
にっこりとした笑顔を浮かべながら荒潮は言う。
「…あまりそういうことは言わないの。与えられた任務を全力でまっとうするのが私たちの役目よ」
「そんなの言われなくても分かってるわ」
満潮はその釣り目を細める。
「でも、愚痴ぐらい認めてよ。大規模作戦に参加できると思ったらお守りとか嫌になっちゃうわ」
「分かるぅ~。満潮姉いいこと言うわぁ~」
我が意を得たり、というように荒潮は嬉しそうに笑う。
「ちょっといつの間にか私が除け者にされてるんですけどー」
大潮が目をくりくりしながら朝潮に寄ってきた。
「何話してたの?」
「今回の任務についてよ」
満潮が答える」
「あー…」
大潮は困ったような表情を浮かべた。
「変わった任務だからね…。でも、それは逆に私たちが変わった任務でもこなせるだけの実力があると思われてるってことじゃないかな」
「別に取り繕う必要はないのよ。こう言ってやればいいの。大本営のご乱心って」
満潮は容赦なく大元帥陛下も臨席する最高軍事指導機関を罵倒する。
「満潮ッ」
さすがに姉として朝潮は看過できなかった。通常の軍組織であれば今の発言だけで営倉入りは確実である。
「発言には気をつけなさい。姉妹しかいないところであればともかく、足元すくわれたらどうするの!?」
「…朝潮の言うとおりね。気をつける」
ふしょうぶしょう、という感じであるが満潮は長姉の言うことに従った。
「以後は今次任務の蔭口は禁止しましょう。護衛対象と合流してからそんなことを言ったら私たちだけじゃなく、鎮守府全体に迷惑がかかるわ」
朝潮の言葉に、他の三人は思い思いの表情を浮かべて頷いた。
「大規模作戦キタコレ!」
体全体で喜びを表現しているのは漣であった。
「漣ちゃんが嬉しそうで何よりなのです」
駆逐艦の編成を決めた電は嬉しそうに何度か頷いている。
電と漣は共通点があった。それは秘書艦経験者であるということであった。最初の秘書艦は電であり、その後五月雨、漣、叢雲、そして今の吹雪と受け継がれていた。
「嬉しいに決まってるわよー。こう、敵をボコボコにしてやるのヨ」
漣は殴るような素振りを見せた。
「あはは、勇ましいのです」
「でも漣としては電たんがちっこいのに奮戦する姿とか潮たんが胸部装甲をぼいんぼいんに奮闘する姿とか暁たんがお子様アタックする姿とか見る方が楽しみなんだな」
「誰がお子様よ!」
腕をくんでぷんすかしながら暁が文句を言う。
「おーこれはこれは我ら駆逐艦娘が誇るお子様こと暁たんじゃないですかー。相変わらず可愛いおへそをしてますかー?」
「誰がお子様よッ!それに何、あんたおへそフェチなの!?」
「おこちゃまあかちゅきたんのおへそは可愛いからねー」
「なっ…なっ」
暁が顔を真っ赤にして言葉に詰まっている。
「ストップ、漣、そこまでだ」
「漣!アンタ周りに迷惑かけてんじゃないわよ」
響と曙が同時に漣に声をかけた。
「私の暁をいじめないでくれないかな?」
響が暁の肩を抱きながら言う。
「お熱いねーひゅー」
漣には全く反省の色が見えていなかった。
「…っていつから暁が響のものになったのよ!お姉さんはこの暁よッ!」
暁はふくれっ面をした。
「やれやれ、暁は知らないのかい?姉は妹のものなんだよ」
「そんなわけないわよ!」
「ソ連ではそうだよ」
「なんでもソ連を出せば騙されると思わないでほしいわッ」
響は不満そうな表情をしたが、それ以上は何も言わなかった。
「暁、悪いわね、うちのクソ妹が迷惑かけて」
「まぁ漣に関してはいつも通りって感じしかしなかったわ…」
暁もあきらめ顔であった。
曙や漣たちは綾波を長姉とする特Ⅱ型に分類され、暁や響、電は特Ⅲ型に分類されるが、特型駆逐艦という観点で見たときは特Ⅰ型駆逐艦吹雪を長姉にする一大姉妹を形成する。もっとも、旧海軍であればともかく、現在の海軍では三つに分類するのが主流であり、姉妹意識もそれに従って醸成されていた。
「あんたら楽しそうに話してるじゃんか―。わたしも混ぜてよー」
音もなく近寄ってきたのは川内型軽巡洋艦一番艦、川内である。
「何の話してるの?駆逐の娘たちだから夜戦?」
「いえ、暁たんのおへその話です」
漣がにやにやしながら間髪をいれずに答えた。
「してないわよ!」
暁は顔を真っ赤にして叫んだ。
「いーなーいーなー駆逐の娘たちは楽しそうで。私なんか神通はなんだかんだ言って生真面目な戦闘バカ、訓練バカだし那珂は艦隊のアイドルだしバカな話につきあってくれないんだよねぇ」
「川内さんの場合バカはバカでも夜戦バカだと思います」
曙の言葉に川内は快活に笑う。
「そうだね。私は夜戦が大好きだ。でも、それは駆逐の娘たちもそうなんじゃないの?」
その場にいる駆逐艦娘たちはお互いに顔を見合わせた。昼戦よりは夜戦の方が得意なのは事実である。だが、だからといって、夜戦が好きだと言えるのであろうか?
「…電は平和がいちばん好きなのです」
電は消え入りそうな声で呟く。川内はそれを聞き逃さなかった。
「そうだね。平和が一番だ。でも…」
川内は満面に、あどけない少女のようなかわいらしい、それでいてどことなく凄惨な笑みを浮かべた。
「夜戦の時に生を実感する。あの極限状況で、右も左も分からない、敵も味方も分からない、あの状況で。あぁ、私はまだ生きてるんだって」
川内の笑顔に、答えられる駆逐艦娘はいなかった。