電たちの部屋は畳の一間である。姉妹四人で共有するにはやや手狭な感が否めないが、彼女たちはそれで満足していた。引き戸の真向かいには小さな窓がある。部屋の真ん中にはちゃぶ台が備え付けてあり、その他には本棚があるばかりであった。本棚の上に飾ってある黄色くかわいらしいカエルと、もこもこした羊のぬいぐるみだけがこの部屋の住人が女の子であることを主張している。
本棚の中といえば、さまざまな専門書や書籍、軍事教典、微積分の教科書、料理本やお菓子作りの本である。その中でひときわ目立つのが『Das Kapital』と銘打っている三冊の書物や『帝国主義論』『ソ同盟の偉大な祖国防衛戦争』などと言った「アカい」書籍である。
「マルクスの資本論は原典が日本でも手に入りやすいけど、レーニンやスターリンのロシア語の原典を探すのは面倒だったからね。まったく、ソ連時代に買っておけばよかったよ」
ま、その時私は船だったけどね、と持ち主の少女は笑いながら言ったことがある。
駆逐艦響。先の大戦で生き残った軍艦の一つで、戦後ソビエト連邦に賠償艦として引き渡された艦である。その経歴のせいか、艦娘としての響にも共産趣味の一面があることは否めなかった。
響が買った本に限らず、歴史や経済、生物、天文などの書籍――専門書と呼ばれるものも含まれている――が見当たることから、この電たちの姉妹が案外知的レベルが高い――もしくは背伸びをして賢そうにしようとしている――ことがよくわかるというものだ。
電たちはトランプ遊びに興じていた。既に日が落ち、夜間訓練もない日だったので、四人とも暇だったのである。
「4がそろったわ」
4と書かれたカードを二枚捨てながら、ふふん、と暁は得意顔だ。
彼女たちが興じているのはババ抜きだ。
「いや、それくらいでドヤ顔されても…」
雷は苦笑いしながら暁の手札から一枚引いた。引いたカードと数字が一致するものはなかったらしく、2,3回手札のカードを切ると、それを妹に差し出した。
「これなのです!」
電は勢いよく雷の手札から一枚引いたが、その直後絶望したような表情になった。
あっ、これはババを引いたな、と暁と響は同時に思った。
はわわわ、と言いながら電は手札を切った。
軽く扉がノックされ、がらがらと引き戸が開いた。
「電ちゃんは…いるけど、一体どうしたの?」
少ししょげている電に、入ってきた娘は軽く首をかしげた。
軽巡洋艦大淀。鎮守府にある後方勤務を担当する四つの部の一つ、事務部の部長である。
「気にしなくていいのよ、大淀さん。お遊びしているだけなんだから」
長女の暁がその場を代表して答えた。
お遊びに負けたら怒るくせに、と響はぼそっと呟いた。
「ところで、大淀さん、何の用かしら?」
「電ちゃんに用があってね」
「電なのです?」
電は軽く首をかしげた。
「二二○○から緊急幹部会を開く、と提督がおっしゃってたわ。駆逐艦代表の電ちゃんは出席しないと、でしょ?」
「なるほどなのです」
「第一棟の第一会議室でやるそうだから、早めに行ってね」
「了解したのです」
「それじゃ」
大淀はがらがらと引き戸を閉めた。
「一体何があるんだろうね」
響は電から差し出された手札からカードを一枚引きながら言った。
そのまま彼女は6と書かれたカードを二枚捨てた。
「分からないのです。まぁ、多分大した用事ではないのです」
大した用事だったら先に議題を伝えられているのです、と電は言った。
22時には鎮守府司令長官、井上中将を含め幹部会の出席者全員が第一会議室にそろっていた。
幹部会の参加者は全部で12人である。司令長官と秘書艦、後方勤務を司る四つの部の部長、それに戦艦、空母、重巡、軽巡、駆逐艦、潜水艦の6つの艦種の代表である。
各艦種の代表は鎮守府の中枢と末端をつなぐ方法の一つであると同時に、参謀の側面も併せ持つ。ルーチンとなっている哨戒などと違う、攻略や防衛作戦を策定するにあたり、作戦の策定業務に携わるのである。
「今日集まってもらった理由は、来週末あたりに、急遽軍事参議官の視察が入ることになったからだ」
井上中将の言葉に、列席者はほっと胸をなでおろした。それは電も例外ではない。軍事参議官の視察というのは、しょっちゅうあることではないが、それなりに回数も踏んでいるし、そう大変なことではない。
軍事参議官というのは軍の顧問みたいなもので、陸海軍の大将、ないし元帥号を持つ大将が就任する。
「ちなみにどなたが視察するのか?」
戦艦代表、長門が腕を組みながら尋ねた。
「殿下だ」
その言葉に、ゆるみかけた会議の空気が一気に引き締まった。
華頂宮博靖。元帥海軍大将。皇族軍人であり、前軍令部総長である。海軍の中では絶大な発言権を保有し、将官の人事には彼の同意がなければならない、という不文律が生まれているほどである。そして、井上が未だに現役の軍人でいられるのは、彼の一言のおかげであったから、いわば恩人と言えた。
電は何度か華頂宮に会ったことがあった。というのも、鎮守府創設の頃の秘書艦であった彼女は、井上中将と共に軍令部に足を運ばなければならなかったことがあったからである。
特に気難しい人、というわけではない。むしろ、皇族のわりに妙に庶民的な側面があり、度量が広い。面長なところから、蔭で「長面君」と噂されていても一向に気にしないほどである。それに、井上が大佐時代に巻き込まれた政争では、立場的に井上と敵対していたにも関わらず、その才を惜しみ海軍に留まらせた人物である。
「細かいことは事務部に決めてもらうからいいのだが、必ず粗相がないよう、代表は自分の管轄の艦娘に徹底させてほしい」
井上は少し緊張した面持ちであった。今次の戦争において、艦娘は必要な戦力である。しかし、だからといって他の軍事参議官であればともかく、華頂宮に無礼を働いてただで済むわけがなかった。華頂宮本人がどう思うか、というよりもその周りがどう思うか、である。
さらに、その場合、井上が監督責任を問われる可能性も大きい。
「それは、必ず」
空母代表、赤城はうなずいた。
「あと、もうひとつ決めなければならないことがある。視察の時、誰が殿下をご案内するか、だ。事務部に決めてもらってもよいのだが、鎮守府の顔となるものだから、皆の了承を取っておこうと思ってな」
「秘書艦でちか?」
潜水艦、伊58が尋ねる。どうでもよいのだが、潜水艦娘は陸に上がっていても水着姿である。
今は夏だから良いのですが、冬場だと寒そうなのです、と電は思った。
「いや、吹雪は業務量的に無理だ」
井上は首を振ると、電に視線を向けた。
「電。頼めるか」
「ふぇっ?」
思わず変な声を上げてしまった電は、少し恥ずかしくなってうつむきそうになったが、それどころじゃないとあわてて自分を鼓舞した。
「なんで電なのですか?」
「お前は何度か殿下にお会いしているから、というのがいちばんの理由だな。視察のスケジュールは事務部が作成するからそれに従ってくれればいい」
「…了解したのです」
「他の者も異議はないか?」
特に声を上げる者はいなかった。井上は軽く頷いた。
「よろしい。それでは今日は散会とする。夜遅くにご苦労だった」
艦娘のすまいは艦種ごとに分かれている六つの寮である。駆逐寮に戻ると、電は早速寮にいる駆逐艦娘を全員、寮一階のロビーに集めた。何名か、夜間哨戒や遠征任務でいない者がいるが、それ以外は全員集まったようである。
「先ほど、幹部会が開かれていたのです」
電が言うまでもなく、彼女が駆逐艦娘を集めるとしたら、それ以外の用件は差し当たって思いつく者の方が少ないだろう。
「来週末に華頂宮軍事参議官が視察に来るそうなのです」
海軍に所属する者で華頂宮の名前を知らない者はいない。電の目の前にいる駆逐艦娘たちも例外ではなく、静かだった部屋がざわつき始めた。
「宮様は単なる視察に来るんだよね?」
白露型駆逐艦二番艦、時雨が電に問うた。彼女の冷静な質問は場を鎮めるのに一定の効果があった。
「おそらくそうなのです。もちろん、海軍省や軍令部のお偉方が何考えているのかは知りませんが…」
華頂宮は海軍の重鎮であり、影響力がとても大きい。彼が白と言えば鴉も白である。
「…本当にそうか、疑問ね」
次に口に開いたのは不知火であった。
「特殊な兵器を用い、今次の戦争で功卓抜な我が鎮守府に対する偏見や嫉妬もあると言います。海軍上層部ももしかしたら快く思っていないかもしれない。鎮守府解体、あるいは司令更迭への布石のかもしれない。お世辞にも行儀のよい軍組織とは言えないもの」
不知火の意見に、並みいる駆逐艦娘は押し黙った。司令長官の井上中将以外に上下関係を持たない艦娘たちは命令受領と任務終了報告の時を除いて、上官を上官と思っていないような言動を取る者も多くいる。
「なんであれ、宮様に無礼を働かないこと、これが司令官さんの命令なのです」
華頂宮は、電が前に会った時のイメージを基にすると、この鎮守府に悪い印象はもっていないようである。だから、大過なくやり過ごせば問題はないはずだった。
「いつも通り過ごしていれば問題ないはずなのです。少なくとも、宮様は敵ではないのです」
「そう言えば、電は宮様にお会いしたことがあるそうだけど、どんな人なの?」
朝潮型駆逐艦一番艦、朝潮の問いに、電は少し悩んだ。過去の記憶を引っ張り出して、端的に伝えなければならない。
「…偉大な人なのです。皇族であることに驕ることはなく、海軍を一つの家族と見なしてその屋台骨たらんと日々努力し、その能力もある人なのです」
もっとも、お年を召したせいか、最近は活動はめっきり減ったようなのです、と電は付け足した。
おそらく、加齢に伴う体力や気力の衰えがなければ、華頂宮はいまだに軍令部総長として、海軍の一方のトップを担い続けているだろう、と電は思っていた。電が直接会った感想でも、あるいは経歴や噂を聞く限りでも、それだけの実力がある人物だ。戦時の海軍の軍令の長として、十分な資質を備えている。
「むしろ宮様が視察にお越しになる、というのは光栄なことなのです。この誉れを汚さぬよう、各人気をつけて欲しいのです」
視察の準備をしている間にあっという間に時間は過ぎた。スケジュールの調整や資料の作成で事務部が忙殺され、さらに案内を担当する電も自分の仕事の把握にかなり時間を割かざるを得なかった。その上、事務部は普段抱えている少なくない量のルーチンワークをしなければならない。秘書艦吹雪、事務部長大淀、事務部員の戦艦霧島、重巡洋艦鳥海、駆逐艦白雪、駆逐艦不知火は不眠不休とまでは言わないまでも実戦や演習を免除され、それでも睡眠時間を削って関係各所との調整やそれに基づくスケジュール作成といった必要不可欠なものから、あまり上下関係を意識したことのない艦娘に対する軍の規律や態度など、軍人であれば兵学校に入って真っ先に叩き込まれるようなことの簡単なマニュアルの作成など、普段であれば気にも留めないことにまで手を出さざるを得ない始末である。
「視察する側は気楽でいいかもしれないけど、視察される側は相手を沈めたくなるわ」
目の下に隈を作り、一日中眉間にしわを寄せ、人相がかなり悪くなった不知火の言葉である。
「妹がせっかく美人なのにこれじゃ台無し…」
鎮守府を駆け回る不知火を見た、姉の陽炎の言葉である。
こうした不知火たちの努力もあって、無事に華頂宮視察の前日にはスケジュールは完全に出来上がり、事務部としては安心して当日を迎えられるようになった。
電が案内するのは昼過ぎの到着から、夕食までである。夕食後はお帰りになるので、それは鎮守府司令長官たる井上が見送るようであった。
電は鎮守府第一棟の玄関に入ってすぐの大広間で待っていた。時間通りであればもうすぐ到着するはずである。
「宮様のお越しやで、どうぞ」
正門警備を担当していた陽炎型駆逐艦三番艦、黒潮から無線連絡が届いた。
「了解なのです」
電は無線で返事をすると、第一棟のすぐ外に出た。
駐車場に黒く大きな車――リムジンというのだろうか、電には詳しいことは分からないが――が止まっていた。警護の軍人と見られる人が後部座席のドアを開けると、中から70代の老人がステッキをつきながら出てきた。
「お久しぶりなのです。今回殿下の御案内役を務めます、鎮守府参謀部駆逐艦代表、電なのです」
電はきっちり45度頭を下げながら、自己紹介した。久しぶり、と言っても果たして華頂宮が覚えているかは自信がなかった。幾分にも、彼女はその時、井上のおまけにしかすぎなかったのだから。
「電君か。井上君が軍令部に来た時、何度か会ったことがあるな。あの時は秘書艦という役職だったかね?」
「覚えていていただけで、電は感激しているのです。はい、依然に殿下にお会いした時は秘書艦でした」
「ははは。私はそれなりに記憶力が良いのだ。それでは、案内してもらおうか」
「はいなのです。まずは演習場からご案内するのです」
ステッキをついていることから華頂宮の足はそう良いわけではないのだろう、と推測して、電はペースを落として歩くことにした。
歩きながら、華頂宮はふと思いついたように電に質問を投げかけた。
「そういえば、君は参謀部駆逐艦代表と名乗ったが、あれは一体どういう役職なのかね?」
「この鎮守府には正規の軍人は司令長官しかいらっしゃらないのです。なので、普通であれば参謀がやることを艦娘が代行しているのです。参謀部は司令長官と秘書艦の指揮のもと、戦艦、空母、重巡、軽巡、駆逐艦、潜水艦の六つの艦種の代表で構成されているのです。普段には司令長官から発せられる全体連絡事項を所管の艦娘に伝え、戦時には作戦立案を行うのが主な仕事なのです」
「なるほど。作戦参謀を分担してやっているようなものか」
「艦種によっては自然と航空参謀や水雷参謀などの代役も務めることになるのです」
感心したように華頂宮は何度もうなずいている。割合、正規の軍人が一名しか所属していないこの鎮守府の組織がきちんと機能しているのか、関心を寄せていたのかもしれない。
「案外、うまくやっているものなのだな」
そうでなければあれだけの戦果を出すことは不可能か、と華頂宮はつぶやいた。
視察は順調に終わった。普段騒がしい艦娘でも、もはや伝説か何かの類として認識されている宮様の前では萎縮してしまったようだった。
「まさか宮様にお声をかけてもらえるなんて思わなかったぴょん。だから、ちょっと硬くなってしまったぴょん」
とは普段騒がしい艦娘代表、睦月型駆逐艦四番艦、卯月である。
鎮守府司令長官たる井上中将と、華頂元帥宮が会ったのは夕食の席であった。本来のスケジュールでは電はこれでお役御免であったのだが、華頂宮たっての希望でご陪食することになった。
「宮様にお付きの人がいるかと思って、一応多めに用意しておいて良かったわ…」
この会食を取り仕切っている、兵站部長、給糧艦間宮の言葉である。
陪食を許されてしまった電は極度の緊張を感じていた。テーブルマナーなどろくすっぽ学んだことがない彼女は皇族の目の前で食事をする資格があるのか悶々と悩んでいた。
「硬くならなくて結構だよ、電君」
華頂宮は微笑を浮かべていた。孫、というよりもひ孫をみる表情であった。
「私も海軍生活は長い。正規の教育を受けた海軍将校であればともかく、下士官兵やそれに準ずる者に本来はテーブルマナーは必要ない。私も行儀の悪い食べ方を何度も見たことがある」
「はわわ…」
思っていることを当てられてしまった電は恥ずかしくてますます縮こまってしまった。
「あまり私の部下をいじめないで欲しいものですな、殿下」
「ははは、悪いね、井上君」
会食はたわいのない会話と共に進んだ。鎮守府の編成のことや最近の戦果のこと、あるいは海軍の中枢や政界で起きているよしなしごと。電が聞いて良いのだろうか、というような国家の枢機にかかわるようなことも華頂宮は口にしていたが、誰にも言わなければよいだけの話だった。
食事が終わり、デザートを食べ終わったところで、華頂宮はゆっくりと、今まで以上に厳格な顔で口を開いた。
「さて、本題に入ろうか…『第三次GW計画』についての、な」
華頂宮の言葉に、井上は心なしか顔をこわばらせた。
「…この場には電もおりますが」
「構わぬ。電君は始原の艦娘だ。艦娘側もそろそろこの計画の過去と展望を知る者が1人くらいいても良かろう。これは私を含めた軍事参議官全員と現海軍大臣、軍令部総長、連合艦隊司令長官の一致した結論だ」
海軍の重鎮である軍事参議官と海軍大臣、軍令部総長、連合艦隊司令長官という実務上の海軍のスリートップの同意を必要とするような重大事はほとんど存在しなかった。電も秘書艦の時に海軍組織についてはある程度勉強したことがあるから、海軍の上層部がどのような構造をとっているか、少しは知っている。
基本的には軍政のことは海軍大臣が、軍令のことは軍令部総長が責任をとる。実戦部隊の指揮は連合艦隊司令長官で、海軍軍人としての名誉はともかく、格式としては大臣、総長と比べて一段劣るものとなる。軍事参議官は基本的に海軍大将、ないし元帥海軍大将から任命される海軍の顧問で、海軍の重鎮として大きな影響力を保持している。また、ポストの新設や役職持ちの大将の急死など、急に大将級の現役軍人が必要になった時のためにポストのない者をプールする効果もある。
「殿下や軍令部総長のご一存ではなく、そこまで…」
「それくらいの大事だ。
華頂宮は厳しい表情を、少しだけ和らげた。
「電君、君を信頼して、これから話すことがある。しかし、これは他の艦娘諸君には、おそらく、いささか毒が強すぎる話だ。君は、誰にも――そう、仲の良い友達や姉妹たちにも――言わないでおけるかな?」
電は目を閉じて考えた。まず一つ目は、なぜ自分なのだろう、という問い。しかし、それは話を聞く時に尋ねれば良い。もう一つは、どんな話を聞いても黙っていられるのだろうか、という問い。おそらく、艦娘の内、誰かしらは聞かないとならない話なのだろう。
電はゆっくりと目を開けた。
「…誰にも言わないのです。聞かせて欲しいのです」
華頂宮はにっこり笑った。
「よろしい」
そして、彼は話し始めた。