鎮守府日記   作:まるあ

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陽炎の日常:1

「見てよ、不知火」

 陽炎が指し示したのは東の水平線であった。

 不知火は姉の言うとおりに視線を投げかけ、思わず目を細めた。

 日がまさに昇らんとしており、橙色が水平線を染めようとしていた。

「朝だね」

「はい…洋上で朝日を拝むのは久しぶりです」

 不知火は鎮守府事務部事務部員として事務仕事にも携わっており、最近には海軍の重鎮が視察に来たためその準備に忙殺されていた。そのため、洋上勤務は久しぶりだったのだ。

「あの太陽がてっぺんに昇るまでには鎮守府に戻れるかな?」

 陽炎は東を指示した指を天頂に向けた。

「おそらくは…敵部隊と遭遇しなければ」

「それは嬉しい寄り道ね」

 陽炎と不知火は遠征任務の帰り道であった。西方にある海軍の拠点から拠点へ、輸送船団が航行するその護衛である。

「途中で敵潜水部隊と遭遇した時にはびびったよね、おとといだっけ?」

 陽炎は気楽に笑いながら言った。

「不知火はびびってません。ソナーをきちんと動作させてたので索敵そのものには問題なかったですし」

 船団襲撃の花形といえば潜水艦である。それは敵味方そう変わることはなかった。敵艦隊も比較的被発見率の低い潜水艦を味方海域奥深くまで潜ませてくる一方、こちらももっぱら敵艦隊の補給艦が行き交う海域に潜水艦娘たちを潜ませる。当初艦娘たちが実戦投入された直後、人類の側が劣勢だった時には日本近海で通商破壊作戦を行ったものである。特に、九州西方の海域で行われたため、海軍の栄光、日露戦争の故事のちなみオリョールクルージングと呼称されたものであり、今でも潜水艦娘たちは通商破壊のことをオリョクルと呼称する。

 とはいえ、潜水艦娘たちの原型となった艦はもっぱら漸減邀撃を想定されて作られたものであり、艦隊型潜水艦と言えた。例えば、かつての同盟国の海狼たちとはまた一線を画する。

「ウルフパックをしようにも配属されている潜水艦が足りん」

 とは全艦娘を束ねる鎮守府司令長官の言葉である。

「敵の三隻で一団となった戦闘パターンには慣れてきたしね」

「戦争開始当初はわりとてこずりましたが、対潜特別委員会の研究で波状攻撃のパターンは分かりましたからね。敵潜水部隊が戦術を変えない限り狩るのは簡単です」

「そういやぬいぬいはその委員会の一員だったもんね」

「ええ。実戦で得た情報を蓄積し分析するのは楽しかったですね」

「さすが不知火先輩インテリジェンス」

「真実を言っても仕方ないですよ」

 不知火の表情は無愛想であった。が、姉である陽炎には照れ隠しの冗談であることが分かった。

 陽炎にとって不知火は可愛い妹であるが、その一方で不知火の方が実戦投入は先だったので、先輩と言っても差し支えのない状況であることは確かである。もっとも、先任順を気にする艦娘はいないだろう。彼女たちにとって同型艦では姉妹の関係が重要で、そうでない艦とは艦種が重要だった。

「そういえば、陽炎、今度司令が私に休暇をくれるそうです」

「良かったじゃない。最近あんた働きすぎだったもの。休暇の一つや二つくれないようなけちんぼ司令なら砲撃してるところよ」

「それで、誰か一人誘って温泉にでも浸かってこいって保養所のタダ券くれました」

「へー、誰と行くの?」

 陽炎の能天気な問いかけに不知火は小さく舌打ちをした。もちろん、姉はそれに気付かなかった。

「帰ったら荷造りしてください。明日から三泊四日でお泊りです。司令にも許可を取ってあります」

「…へ?」

「一緒に行こう、と誘っているのです」

 言わせないでください、と不知火は付け足した。

 

 海軍の持っている保養所はいくつかあり、艦娘も休暇には使用して良いことになっている。不知火たちが行く保養所は緑豊かなところにあり、近くには大きな湖もある。主要街道の宿所として古くから栄えていた町であり、何より湧き出る温泉が大きな目玉となっていた。

「そう言えば、タダ券って行ったって券自体はタダじゃないじゃん。どうやって司令は手に入れているの?自腹?」

 新幹線の中で陽炎は隣に座っている不知火に尋ねた。

 休暇であるから、二人は普段着ているようなおそろいの制服ではなく、私服姿であった。陽炎はネイビーブルーのTシャツに短パン姿であり、気分転換にいつものツインテールではなくポニーテールに髪を結んでいた。不知火はお嬢様然とした白いワンピースで、麦わら帽子を膝の上に乗せていた。

「機密費です。わりとちょっと何かあるか何もなくても休暇と言っては保養所のタダ券をくれるのは莫大な機密費があるからです」

 事務部員として経理業務にも携わる不知火は鎮守府の金の流れにも詳しかった。

「機密費って言うとなんかワルな感じがするわね」

「私たちがヘソを曲げたら日本どころか人類が困りますからね。少なくとも海を渡った交通はやがて不可能になるでしょうし。だから機密費はかなり支給されています…艦娘一人当たり一月30万くらい」

「30万!?まさかジンバブエドルとか言わないでしょうね!?」

「円です。ここは日本です」

 艦娘たちは他に生き方がないとはいえ、海軍の一員として働いている以上給料をもらっている。役職手当や戦果に対する報酬などもあるが、基本級は月手取り30万円ほどで、その他にも福利厚生などが一応完備されているし、そもそも衣食住は基本的に軍が支給しているのでほとんど使い道がない。たまに街に出て食事をしたり買い物をしたりするくらいである。

「でもそんなに機密費を使ってるイメージもないのだけど」

「例えば日々の食事ですが、軍が食費として支給している以上に実はお金がかかっています。機密費の一部を使っています」

「えっ」

「あと季節の行事とかいってクリスマス会とかハロウィンとかするじゃないですか。あれも機密費です」

「えっえっ。確かにカンパ集めてるとこみたことないけど」

「まぁとはいえ、基本的に余る一方ではあるので、余った分は国庫に返還したり寄付したりしています」

 横領しても許されるんですけどね、と不知火は付けたした。

「ちなみにこの機密費の出所ですが、余所の国からの自主的な献金が主な財源です」

「それ絶対自主的じゃないでしょ…」

「まぁ、半ば脅しですよね。カネを払わない国の船の護衛や沿岸の警備は後回しにする、みたいなことを言われたら太平洋やインド洋に面している国はいくばくかの金を払わざるを得ません」

 主な金づるはアジアの新興の大国と新大陸の超大国ですね、と不知火は付け足した。

「まぁ、日本も機密費だけで年一億くらいつぎ込んでますけどね」

「一億!?」

「その他の部分は他の国に払ってもらっていますが、まぁいちばん多い国でも二億ちょいなものです」

「二億ちょい!?」

「まぁ自分とこの戦争に他国からカネを巻き上げる国もあったとかいう話ですし、私たちの活動は実際に他の国も恩恵にあずかっているわけですし、いわば公共財ですよ。フリーライダーは撲滅しなくてはなりません」

「ちょっと待ってぬいぬい、私ついていけなくなってきた」

「公共財というのは経済学の概念です」

「いや、それはいいんだけど、ケタが」

「日本のGDPは約500兆円で国家予算は約100兆円。内軍事費はおよそ5兆円です。いまさら1億2億で騒いでいられません」

 陽炎の頭の中を数字がぐるぐる回っていた。艦娘として生を享けた以上、弾道計算などといった場面で数学は使うので数字はよく慣れたものであるが、金銭のケタとして億だの兆だの使う生活をしたことは未だかつてなかった。

「…よし、私は何も聞かなかったことにするわ」

「…陽炎は案外数字に弱いのですね」

 まぁ、知らなくても全然困りませんし、むしろ金の出所なんて知ってもちっとも面白くありませんが、と不知火は付け足した。

「私が数字に弱いんじゃなくて数字が悪い」

「…おバカな姉を持つと妹が苦労します」

 不知火は少しだけいたずらっぽく笑った。

「そりゃ、おつむはあんたには負けますよーだ」

 陽炎はふてくされた。

 

 新幹線からさらにローカル線に乗り換えて、二人は目的地にたどりついた。

 電車の中ではまだ冷房が利いていたためか快適ではあったが、一歩外に出た瞬間に蒸し暑さを感じた。

 陽炎は二水戦と書かれた野球帽をかぶり、不知火は麦わら帽子をかぶっていた。

 先に駅に降りた不知火に風が軽くふきかけた。ふわっと白く長いスカートが揺れた。

(…可愛い)

 陽炎は不知火のことを可愛いとは思っていなかった。正確を期すのであれば妹としては可愛いけども女子として可愛いとは思っていなかった。というのも、良き相棒であり背中を預けられる戦友としてのイメージが強かったためである。

「?陽炎、どうしましたか?ぼーっとして」

「や、いや、なんでもない」

 まさか妹に見惚れていただなんて口がさけても言えるわけがなかった。

 例えばこれがボーイ・ミーツ・ア・ガールの話で自分が主人公だったら、と陽炎は夢想する。おそらく恋に落ちていたのだろう。麦わら帽子に白いワンピースを着た少女と恋に落ち、彼女のために戦う少年の話などいくらでもありそうなものである。

 もっとも―陽炎は思う。戦場での不知火を知ったら千年の恋も一夜で醒めるかもしれないが。

 改札を出ると、不知火は口を開いた。

「まずは保養所に行って荷物を置かなければいけません」

「保養所ってどらくらいだっけ」

「歩いて三十分ほどです。バスもあります」

「バスを使おう」

 蒸し暑い中スーツケースを引きずってひたすら歩いて行くのは勘弁だ、と陽炎は思った。緑豊かな土地だから木漏れ日の中を歩くのかもしれないが、その分坂道が多そうだった。

 不知火は少し腰を落としてバス停の時刻表を見た。

「陽炎、次のバスは一時間後です」

「えっ、観光地でしょ、ここ」

「保養所の方面にはあまり観光場所がないのではないでしょうか」

「あー…」

 海軍の保養所に、時には海軍のみならず国家の中枢レベルの人物も宿泊することがある。というのも、保養所を利用できるのは現役軍人のみならず予備役や後備役の者も含まれるからだ。

 その結果、保養所の立地としては警備がしやすい場所、特に有象無象が往来したら不自然な場所に建てられやすい。

 どうやら、今回彼女たちが宿泊するのもその類のようであった。

「歩きましょう」

「仕方ないわね…その前にあそこの売店でソフトクリーム食べたい」

「賛成です」

 てくてくと歩いて行くと、新聞を読んでいた売り場の男が顔を上げた。恰幅のいい男だが、身なりはあまり気にしていないのか、白いシャツ一枚に手入れされていないあごひげが生えていた。

「らっしゃい坊ちゃん嬢ちゃん」

「坊ちゃん!?」

 明らかに女性の服を着ている不知火を男と見間違える人はいないだろうから、男の言う「坊ちゃん」とは明らかに陽炎のことを指している。

「ん?呼ばれ慣れてないかい?」

「いや、あの…」

 見れば不知火は口元を押さえてくすくすと笑っていた。妹が楽しそうなのは結構なことなのだが、それにしても誤解を解きたい。

「えっと、あの…」

「私抹茶&バニラでお願いします」

 陽炎の言葉を遮って不知火が注文する。

「坊ちゃんは?」

「…ストロベリー」

 せめて女の子らしい味を注文することで察してもらおうとしたが、もちろんその企ては失敗した。

「ほい。合計700円な。初々しいカップルなんて久しぶりだからクリーム増量しといたぜ」

 嘘だか本当だかわからないことを言いながら、手際良く男はソフトクリームを入れると二つとも不知火に手渡した。

 どうやら自分が二人分を払うことになったらしい、と陽炎は思った。陽炎は誤解を解くことはあきらめて700円ぴったりを男に渡す。

「ちょうどな。まいど」

 男はにこやかに言った。

 陽炎が財布をしまってから、不知火はソフトクリームを手渡した。

「あの人、面白かったですね。陽炎を男子と思ってさらに私たちのことを恋仲だと思っていたみたいです」

「面白くはないわよ」

「そんな恰好をしているから間違われるのですよ」

「それは一理あるわね」

 陽炎は自分が着ているものを思い返した。Tシャツに短パンに野球帽、確かに男の子だと思われても仕方ないのかもしれない。

「胸もフラットですし」

「フラット言うな」

不知火も人のことを言えるようなものを持っていない。

「まぁ、とりあえず行きましょう。今日はさっさと温泉に浸かりたいです」

「それもそうね」

 陽炎は頷くと、スーツケースをがらがら引きながら歩き始めた。

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